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3〈天霧さつきの場合 二〉



 翌日、土曜日。


 まだシャッターの閉まっている柊木書店を通り過ぎた辺りで、テナントの入っていない店舗の横をひょいと覗くと、猫しか通らないような裏道がある。そこを服を擦れさせながら、何度か右へ左へ身体を傾け、通っていくと、不意に開けた場所に出る。


 一軒家がいくつも並ぶ住宅街のようだけど、いくら朝方とはいえ物音がしなさすぎるし、よく見ると、周りの家はどれも塀や竹垣に囲まれていて、肝心の玄関がどこにも見えない。


 音も気配も何もしない、辿り着く先さえ見当たらない住宅街。


 上倉町は、駅を基点として、直線状に区画が伸びている不思議な作りになっている。駅に隣接するように商業ビルが並び、そこにサラリーマンが出入りするような会社ビルがいくつか混ざっている四丁目。


 続いて私が通う上倉高校や図書館、商店街などが固まっている二丁目。それらを挟んで最も駅から遠くにある住宅街が、一丁目……私の住んでいる住所になる。


 この人気のない空白のような場所は、三丁目に当たるのだそうだ。

その中を道なりに進むと、唯一玄関のある家が見えてくる。天性のひねくれ者が建てたのか、それとも単に趣味が悪いのか、夜闇に溶け込みそうなほどの黒色に染まった屋敷。そこが私の目的地だった。


 鍵を回してみなければ開いているのか閉まっているのかすらわからないほどにガタの来た扉を全開にしたら、まずは玄関先を箒で掃く。そこから屋内を背骨のように貫いている廊下を渡り、廊下を同じく箒で掃きながら、途中にある扉を無視して、一番奥の戸を開き、居間へ。


 電気を点け、明かりに照らされた内部は、部屋というより小さな事務所のようで、片面には本棚がずらりと並び、そこには本だけではなく、海外の土産物のような怪しげな小物もいくつか置かれている。


 本棚のある壁の対面には、火の入ってない暖炉。その右側には、私より頭一つ分大きな、種類も分からない樹木が鉢植えで置かれ、左側には、満タンになっている水瓶が設置されている。部屋中央には応接間にあるようなガラステーブルとソファ。その奥には社長机が置かれ、更にその後ろにある唯一の大窓は、遮光カーテンでしっかりと遮られていた。


「……本当、なんでここ窓一か所しかないんだろう」


 太陽光の足りてない部屋の中の陰鬱な淀みは、ただでさえ沈んでいる私の心を更に深い泥だまりの中へ押し込もうとしてくるようだった。


 買った本を机に置いたら、まずは遮光カーテンを開き、日の光を入れる。


 本棚の上からはたきをかけて埃を落とし、床まで落ちたそれらを丁寧に箒と塵取りで掬う。定期的な掃除作業は、知識ではなくほぼ身体が覚えており、動きに淀みはない。


 携帯が震える。昨日交換した柊木さんから、早速メールが届いていた。


『今日暇? どこか遊びに行かない?』


 おぼつかない手つきで、ボタンを押す。


『午前中は用事があるから、午後からならいいよ』


 掃除を再開すると、規則的だった動きが少し乱れていた。


 気分が高まっているのかもしれない。他の人とあんな風に会話をしたのは、葉月ちゃん以来だった。メールアドレスまで交換してしまった。遊ぶ約束までだ。これはもう友達ではなかろうか。


「……えへへ」


 遊ぶ約束をしたのは小学校以来だ。ドラマやアニメでしか見なかったようなことを出来るのだろうか。そんな妄想を進めていく。パタパタバタバタと、はたきが本を叩く。学校で挨拶し合うような仲になったら、周りは私のことをどう思うのだろうか。そこまで考えが及んだ時、


『幽霊女』


 その一言が不意に思い出されて、一気に現実に引き戻された。テンションダダ下がりである。


 深めの溜息をついて、改めて丁寧に、落ちた埃を箒で集める。既に頭の中は、昨日の三人娘のことに切り替わっていた。


 中学よりも受験や就職絡みで忙しくなる分、高校の方がいじめは少ない、とはだれの言葉だっただろうか。


 机の上には、本がいくつか置きっぱなしになっている。昨日買った『心霊スポット大全』に加えた、新刊のオカルトスポット紹介本が複数と、以前私が気まぐれに広げてそのままにしてあったもの。その中から浮いている一冊を取り出す。絵本だった。


『北風と太陽』


 そう、まさしく北風と太陽だ。


 成程確かに、表立った衝突は少なくなる。けれど代わりに、陰湿さは中学時代の比ではない。直接害を下すのではなく、より迂遠な方法で、特定の相手を貶めるのが、高校流といえた。仲間内でヒソヒソと陰口を叩き合う。


 言葉が聞こえないようにする配慮と、悪意だけが伝わるようにする努力を絶妙な塩梅で維持していく。力づくな北風ではなく、遠くからジワジワと照り付ける太陽のように。


 一つだけを置きっぱなしにして、残りの本を棚へと戻す。


 ただ就職や受験にリアリティが増し、忙しくなるから、だからやり方が変わる。否、そんな単純な話ではない。


 幼いころから持ち合わせる、他者へ抱く嫌悪感が、年齢を重ねることで得る、他者を害する行為が悪辣であるという人並みの社会常識と罪悪感によって、詳らかにされかけているが故の苦肉の策のように、私には思えた。


 他人をこき下ろしつつも、直接は相対さない。それは相手だけでなく、自分自身に相対することも意味するから。ただ目障りなだけの誰かを攻撃しようとする理不尽な自分に、向き合わねばならないから。


 自分の行為に少しでも正当性が欲しいから、彼女たちは同意する仲間を募り、相手が悪いと文句をつけ、そしてそれを決して正面から振りかざさない。


 私達は悪いことはしていない。周りに配慮して小さく縮こまっているではないか。


 世間と、自分自身への言い訳を無言で交わした子達は、今日も小さなコミュニティの中でのみ成立する正義を振りかざす。


 幽霊女。


 昨日私のことをそう呼んでいた時の彼女達は、どんな顔をしていたのだろう。面白がっていたのか、それとも。


 最後に部屋の中を軽く箒がけして、掃除は終わり。この家に出入りするようになってからの日課を終えて、部屋の中を一望しながら、満足げに息を吐く。


「二日に一度のルーティンらしい掃除ね。丁寧なんだか雑なんだかわかりゃしない」


 と、一仕事を終えた私の後ろで声がした。


 振り向くと、いつの間にか扉の前に、一人の女性が立っている。私より五つ上で、背も拳一つ分高い。


「これで十分だよ。廊下はいつも綺麗だし、本棚だって、埃一つ溜まっていないでしょう」


「はたきと箒を通した部分はね。動かしてない本の上には埃が詰まってるし、廊下の隅には先週持ち込んだ菓子の袋の切れ端がまだ落ちてる。出入りすらしてない二階に至ってはどうなってるか、考えたくもない」


 女性……天霧フミは諦めたように息を吐くと、ソファの上に雑に身体を投げ出して横になった。


「……まぁ、いいわ。で、なんか面白い話はあったの? 退屈しのぎになりそうなやつ」


 しれっと、話題を変えてきた。柊木さんの話をするのはなんだか癪だったので、


「残念ながら。前に話した自殺ビルの話がまた少し出てきただけだよ」


「続報でもない話に興味はないかな」


「でもまた少し気になってきたから、もう一回それについて調べてみようと思って……えーっとこの辺だったと思うんだけど……」


本棚の書物を順番に指差しで確認し、その中から一冊のB5ノートを手に取る。以前葉月ちゃんから噂話を聞いた時に、自分なりに調べた情報を纏めたものだ。内容は、ひどく薄い。


 曰く、事件は二つ。


 最初は今から五年前。2007年、六月四日、深夜三時十分。上倉町四丁目にある廃墟の洞淵ビルで、カップルの飛び降り自殺があった。五階建ての屋上から、真下のアスファルトへ真っ逆さまに落ちて、どちらも頭が砕け散っていたという。


 女性……岸優佳は、男性……三島陽太の服を強く握りしめており、一方三島陽太の手には、それを振り払おうと抵抗した跡があり、岸優菜側からの無理心中であるとされた。双方とも当時未成年である。


 どちらの両親も取材には応じなかった、とのこと。


 二件目は、それから四年後……つまり今から一年前の、2011年、三月七日。


 その夜、その不良組の中の一組の男女が、屋上に向かった。男性……橋川守がピッキングの技術を有しており、女性……田町京香はそれを聞いて、屋上からの景色を見たい、と言い出したのが理由だった。


 そして同日、午前三時十分。田町京香がビルから落ちた。


 物音を聞いて駆け付けた不良仲間は、最初のカップルと同じ場所に落ち、頭が砕けた彼女を見て、悲鳴を上げて逃げ出した。通報したのは、その場に居合わせた通行人だった。


 数分後、駆け付けた警察が屋上に行くと、橋川守はその場にへたり込み、心ここにあらず、といった状態だったという。


 田町京香は自殺だと断定された。


 以来、一つの噂が生まれる。


『午前三時十分に男女が二人だけで行くと、女性の方が飛び降り自殺をする』


 以上。


 三人娘が噂していたのは最後の一文のみで、それ以外は全て図書館に保管された古新聞と古雑誌から見つけ出したものだ。


「悪霊とかの噂話については全く聞かないんだよね。事件自体の話はどちらもあったけど、それも思ったほどの情報にはならなかったし、お互いに大して触れてもいないし」


「特に二回目の事件は時期も時期だもの。もっと話題にすることが山積みだったんでしょう」


 田町京香の件は、直後の震災によって発生した被害の方がよほど深刻で、新聞は地方記事が一度か二度掲載したのみ。そこからは被災絡みの記事で一杯になり、週刊誌に至っては、そもそもこの一件に注目すらしていないかのようだった。


 それでも情報量が一回目よりも多いのは、橋川守の存在が大きいのだろう。と言っても、まともに話が出来たのは一度か二度だけで、取材はそれっきりになった、と書かれていた。


 知り合いはおろか、両親からすら語られることのなかった最初の二人と比較して、救われていると言えるのかは、私には何とも言えない。


「とりあえず今回の新刊の中にめぼしい情報がなければ、今度図書館でもう一度新聞を一通り読み返してみようかなー、って」


「暇人ね」


「自分の家でもない場所を定期的に掃除に行くよりは建設的な趣味ですよーだ」


 ベーっと舌を出してやり、『心霊スポット大全』を開く。洞淵ビルのある付近での新情報を求めてページをめくっていると、


「にしても、今日はいつにもまして掃除の動きがえらく大雑把だったんじゃない? おまけにニヤついたかと思えば陰鬱なため息をついて。何か嫌なことでもあったの? お姉ちゃんに教えてごらん?」


 嫌味な声が、私の手を止めた。


 彼女のこういう見透かしたような物言いは、あまり好きじゃない。


「別に。なにもありませんよ」


「さつきちゃんが調べ物をするのは、嫌なことがあって気を紛らわせたいとき」


「……」


 本当に、好きじゃない。そうやって解っていて訊いてくるところとか。


「いつも言ってるでしょう。詭弁結構、嘘八百大いに結構。口にする言葉や頭で考えることなんて、いくらでも都合よく捻じ曲げていい。ただし、本音の本音だけは、しっかり自覚しておきなさい、って」


 気恥ずかしさを誤魔化すようにページをめくる。それはもう乱暴に。内容なんて見てられない。


「ちょっと姦し組に悪口を言われただけ。私が悪いんだよ、あれは。内緒話をしてるところを、私が向こうのテリトリーに不意に入っちゃったから」


「えぇそうね、さつきちゃんの考えは正しいわ。悪口を言っているという自覚と罪悪感があって、悪意があることを明確にして、その上で本人には伝わらないようにする。温厚で、とっても健康的。内輪の間で完結する愚痴だもの。『感情論抜きに』言えば、間違いなくさつきちゃんの考え方は正しい。勝手に人の輪に入り込んで勝手に傷ついた貴女が悪い」


 長々とやかましい。要するに、屁理屈をこねるなと言いたいのだ、この人は。


「でもね、さつきちゃん。ハズレ、大ハズレよ。貴女のいう姦し組は、そんな罪悪感なんて持ってない。……何も考えてないのよ。自分たちが人を傷つけてるだなんて大層な自罰意識を、欠片も持ち合わせちゃあいない。だから平然と毎日毎日、違う人の悪口で盛り上がる。噂話を好む奴なんてそんなものよ。自分が人を傷つける要因をバラまいてることに、そもそも気付いてすらいないの」


「はいはいわかりましたわかりました! ごめんなさい、私は悪口言われて傷ついていました。幽霊女なんて呼ばれてショックで心がキューってなってました。別になんてことない風に彼女達のことをかばったり色々考えてましたっ」


 本当に、この人のことは嫌いだ。せっかくちゃんとした人間であろうとしているのに、それをわざとかき回してくる。そりゃあそうでしょうとも。私だって傷つきます。女の子だもの。ゴミ箱の中から紙屑を当てつけに拾い、ソファに向かって投げつけてやる。お姉ちゃんはクスクスと笑いながら、避ける素振りすら見せなかった。


「そうそう。気遣い、社会常識大いに結構だけど、そもそも常識なんていうのはその場にいる人間達の種類でいくらでも変わるんだから。なら貴女一人だけの場で、他人に合わせた常識を活用することもないでしょう。そういうことをするのは、神の視線を常に感じている熱烈な信徒くらいよ。さつきちゃんは、どこの宗派かしら?」


「宗教家じゃなくても、自分を常に律する人はいるよ」


「それはその人が持つ常識がそうなってるってだけの話。他人に合わせた物を常に使っているんじゃなくて、常に自分に合わせて生きていて、それがたまたまどこでも通用してるに過ぎないわ。その本質がマゾかサドか、なんてのとはまた別の話だけどね」


 また意地悪な視線が私を刺す。お前はそうじゃないだろう? とでも言いたげに。


「……」


 なので私は、はぁ、と一つ大きなため息をついて、この話はおしまい! と強調するように視線を大全へと戻す。


 お姉ちゃんはまだ言い足りないようだったけれど、ツンと無視してやった。私は忙しいのだ。午前中でこれを読み終えて、午後には柊木さんに渡しに行かなくては。


 けれどページをめくりながらも、心の中だけで、言葉を反芻する。


 悪口の自覚すらなく、人を傷つけかねない要因をバラまく、単なる噂好き。


(……でも、あの子は多分そうじゃないよね。私が来た時、気まずそうにしてたから)


 少なくともあの中の一人は、人を傷つけることをしていると自覚している。それは本当に、まだマシな方なのだろう。比較的、の話だけれど。



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