第7話 黒雨、閃光に出会う
俺たちは現在、ディスティアに紹介された高級感漂う宿屋にいた。
通された部屋は申し分ないほど広く、部屋の中を軽く走れるほどだ。
「ふかふかー!」
人が二、三人同時に眠れそうなほど大きいベッドで燐が飛び跳ねる。
さっきからずっとそうしていて楽しそうだ。
「いい部屋だな」
部屋の広さ、置いてある調度品の数々、スタッフのレベル、大通りの傍という立地。どれをとっても一級のものだと思う。
来たときには既に支払いもされていたが、結構いい値段じゃないだろうか。
『私までこんな豪勢な部屋でよかったのでしょうか?』
「もう支払われてるしいいんじゃないか? せっかくだし楽しめよ」
『……はい』
予想より上の好待遇にフィーラは困惑しているようだ。
俺もしていないと言えば嘘になるが、まぁいっかという感じだ。元々そこそこの宿屋には泊まりたいと思っていたので、予定より少しグレードが上がっただけだ。
「久しぶりのベッドがこんなふかふかなのはいいなー!」
頭からベッドに飛び込み、全身でふかふかを楽しむ。
するとベッドの間を飛び超えて燐がこちらのベットにダイブしてきた。
「パパー!」
「おっと」
頭から突っ込んできて少し危なかったが、何とかキャッチできた。
「こらー、危ないだろ~。悪い子にはこうだ!」
「きゃー!」
燐を捕まえてこちょこちょ攻撃を仕掛けていく。
だが、一瞬にして猫のようなしなやかさで逃げられて、隣のベッドにある枕を投げてきた。
俺はそれを受け止めこちらからも投げ返す。
何度かそれを繰り返して今度は天井ギリギリに、放物線を描くように変化球を投げる。
自然と視線はそちらに向き、その隙にスキルを発動。一瞬で真後ろに跳んだ俺は後ろから燐を抱きかかえる。
「うおりゃー」
「ああぁぁぁ」
持ち上げた燐を気持ち悪くならない程度にぐるぐる回す。
「もう悪いことしちゃだめだぞー! とりゃー!」
腕も疲れてきたところで燐をベッドに放り投げる。
トランポリンのように一度跳ねた燐は壁にぶつかることなく停止する。威力はしっかり考えたので怪我もない。
だが目が回ったのか立ち上がることはなく、布団を巻き込みながらゴロゴロ転がってきた。
「パパたのしかったー!」
「あぁ、だがもうあんな飛び込み方はダメだぞ?」
「わかった!」
「よし、いい子だ」
「えへへ」
頭を撫でてやると猫のように気持ちよさそうにする。とてもかわいい。
『マスターもむやみにスキルを使ってこちらを驚かせるのはやめてください』
「へいへい。気を付けるよ」
フィーラの注意を受け流し、軽く動いたので何か飲むためにルームサービスのマジックベルを鳴らす。
リアルのホテルでもこういった体験はしたことがないので少し緊張すると、すぐに制服を着た女性が入ってきた。
「お待たせ致しました」
「飲み物頼みたいんだがいいか?」
「お伺いします」
部屋の備え付けメニューを開く。
いくつか飲み物、酒類もあるがディスティアとの約束もあるので普通のジュースにしようと思う。
「じゃあ俺このオレンジので」
『果肉入り』と書かれたオレンジジュースにする。今は甘いジュースよりも若干の酸味が欲しい気分だ。
「燐はどうする?」
「パパとおなじがいい」
「酸っぱいぞ? 大丈夫か?」
「のめるもん!」
俺が一応聞くと、燐は頬をぷくっとふくらましながら言い返してきた。
文字通り子ども舌なのにあの酸味と少しある苦みは大丈夫だろうか。途中で後悔するのが容易に想像できた。
するとそこで今まで黙っていたフィーラもメニューを覗き込んできた。てっきり飲まないと思っていたので驚いた。
何を頼むのだろうと思っていると、軽く目を通してリンゴジュースを注文した。
飲食をすること自体珍しいが、フィーラにも味覚センサーはある。
だが、甘いのはそれほど好きじゃなかったようなと思っていると、リンゴジュースには『お子様向け』と書いてあった。
これがズレというやつだろう。
俺の知るフィーラはここまで細かい気配りはできない。
密かな成長に嬉しく思うと同時に、その変化の過程を見られなかったことが少し悲しくもある。
注文を受け終えて女性が優雅な礼儀作法で部屋を出ていった。
それを見届けてフィーラに笑いかける。
『どうしましたかマスター?』
「変わったな」
『? 何がでしょう?』
「いや、なんにもだ」
メニューを閉じて元の場所に戻す。
フィーラは俺が何に喜んでいるかわからないようだった。
◇◆◇◆
飲み物も届き、燐とベッドでだら~とする。何だかんだ外は疲れるため、屋内のありがたみがわかる。
フィーラもそうしてもいいと言ったが立ったままだ。
しばらくそうして虚無の時間が流れていると、唐突に扉がノックされる。
誰だろうと思い声をかけようとしたら、その前にバキッと大きな音とともに扉が開いた。
「おっといかん。鍵がかかっとったのか」
入ってきたのはディスティアであり、手には外側のドアノブが握られていた。
力を入れすぎてぶっ壊したようだがまるで気にしていない。
「待たせたの。行くぞ」
そういえば約束していたなと思い出して体を起こす。
燐を見ると目をごしごしして眠たそうにしていた。
「フィーラ、燐を頼む」
『YESマスター』
布団をかけなおし、燐をフィーラに任せて部屋を出る。
「よし、んじゃ行くか」
「うむ。酒蔵へ行くぞ」
ディスティアは昼から飲む気満々だった。
他愛もない会話をしながら階段を降り、受付のような場所に寄る。
そこには二人の係員がいたが、一人は何やら作業中だったので手の空いている女性に話しかける。
「すみません」
「どうされましたか?」
「ちょっと横の人がドアノブ壊しちゃって。弁償とかした方がいいですか?」
ディスティアが壊したドアノブをカウンターに置く。
ドジっ子ヒロインでもあるまいしやめてほしい。
受付嬢は一瞬『何言ってんだコイツ』みたいな顔をするが、何やら書類を見て納得したらしい。
「いえ、弁償の方は必要ありません。すぐに修理いたします」
「おぉそれは助かった。人の物は脆くて扱いが難しいのぅ」
「もう勘弁してくれよ?」
「安心せえ感覚は掴んだ」
あまり信用できない言葉を聞き、ドアノブを渡す。
受付嬢も苦笑していたが、要件はもう一つある。
「あとこの辺にある酒蔵を教えてほしい」
「はい、少々お待ちください」
受付嬢はそういって後ろから街の地図を取り出しカウンターに開く。
大きな円形のこの街は『◎』と『十』を組み合わせたように大きな道が敷かれており、そこから更に小さな道が枝分かれしている。
俺たちが現在いるのは『十』の北側真ん中あたりらしい。
「酒蔵ですとこことここの二つですね」
受付嬢が指した場所は二つ。『◎』の北側と南側、ちょうど対角になるようにあった。
「どっちにしようかのう」
「それでしたら、南側の店がよろしいかと思いますよ。北側の店はここで仕入れを行っていますので、持ち帰って飲み比べなどいかがでしょうか?」
「なるほど。ディスティアもそれでいいか?」
「そうじゃな。それがいい」
「それと、この辺りには近づかれないようご注意ください」
受付嬢はそう言い『十』の一番西側を指す。
「何かあるのか?」
「実は昨夜そのあたりの共同墓地が荒らされる事件がありまして。捜索や現場検証のため立ち入りを禁じられているのです」
城壁の兵士が物騒と言っていたのはこれか。
「わかった。気を付けておく、ありがとう」
とりあえず行く場所を決めたので受付嬢に礼を言って外に出る。
人の流れに合わせるように歩き始めると、早速ディスティアが話しかけてきた。
「のうジャミル、お主はセンセムとどういう関係じゃった?」
話の内容はセンセムについてらしい。
やはり同じ竜王ということもあり気になっていたのだろう。
俺は彼女との出会いを懐かしみながら語り始める。
「友達だな。竜王で初めての」
「ほう、竜王が友とな?」
「あぁ、すごい出会いだったよ。強い雨の日、傘もささずにほとんど裸みたいな恰好で立ってたんだ」
今でも鮮明に思い出せる。
道の真ん中に立つ金にも銀にも見える不思議できれいな髪色。
引き込まれていつまでも眺めていられるような幻想的な色だった。
しかし、初めて見るそんな髪に目を奪われたのは一瞬。
何故なら―――彼女は“裸”だった。
いや、正確には恥部のみ髪と同じ色の鱗のようなもので覆われていた。ほぼ全裸に近い半裸の形だ。
その人が普通の服を着ていたのなら見とれていたかもしれない。
だが、その時の俺は明らかにヤバいやつにビビって関わらないようにさっさと逃げようとした。
泥水が自分のズボンにかかるのも気にせず横を通り過ぎた時だ。
「君、少しいい?」
声をかけられた。
俺ではない誰かと思って一応周りを見るが、ここには俺しかいない。この道は特に人通りが少ない、その日は雨のせいもあっただろう。
無視しようとも思ったが、さすがに失礼と思い振り返る。
遠くからは目立つ髪しか見てなかったが、彼女はどこか捉えどころのない不思議な美少女だった。ミステリー系とでもいえばいいのだろうか。
初めて見た彼女の印象はそんな風だった。
歳は18前後ぐらいかなと思いつつ、話しかけたのが俺か確認する。
「あ~、俺?」
「うん」
俺だった。
これから怪しい宗教に誘われるのか、それともやけに高い壺を買わされるのか。
どっちも面倒だなと思いつつ、彼女の次の言葉を待つ。
すると彼女は宗教勧誘でも押し売りでもなく、俺の持つ傘を指さしてきた。
「それ、どこで貰える?」
『買う』ではなく『貰う』と言っていることから何となく常識が通じないことは察せられた。
「えーと」
俺は少し悩んだ末に持っている傘を差しだす。
「はい」
「?」
彼女はよくわからないといった様子だが、右手をとって傘を握らせる。
「これ、あげますから。じゃあ風邪ひかないように!」
「って言って俺は逃げたわけ」
「逃げたのか」
「こんなやべぇやつにいつまでも関わられたくないと思ってな」
「なるほどの、それは衝撃的な出会いじゃ。……しかしそこからどうやって友になった?」
ディスティアの疑問は当然だ。
逃げ出したのなら関係はそこで終わるはずだった。
だが、彼女はそこで終わらせてはくれなかった。
「次の日にさ、レベ上げもひと段落して宿屋に戻ったんだ」
「ほう」
「そしたら―――」
そしたら―――どうやって入ったかは知らないが、彼女はまるで自分の部屋のようにくつろいでいた。
そのころはまだFGを初めて一年も経っていなかったため燐もフィーラもおらず、ベッドの上には前日脱ぎ捨てたままの服が畳まず置かれていた。
その上に昨日と変わらずほぼ裸のような恰好で横になっているのだ。服は潰されてしわになっていた。
「お邪魔してる」
まるで同居人のような気楽さだ。意味がわからなかった。
「なんでここにいるんだ?」
どうやってよりもなんでの方が気になった。
理由を聞くと彼女は立ち上がって荷物の死角だった位置から昨日渡した傘を取り出す。
「これを返したくて」
「お、おう」
まさか返ってくると思っていなかったので、少し驚きながら受け取る。
「それに人と話したの、あなたが初めてだったから」
「初めて?」
何歳かは知らないが、特殊な人生を歩んできたのだろうか。
ミステリー系かとも思ったが、彼女は単純に感情の起伏が少ないだけかもしれない。
「うん。だから、教えてほしいの」
「……何を?」
なんだか重そうなことを話されると予想しつつ、僅かな好奇心そして興味本位で恐る恐る聞いてみる。
彼女は口を開き―――
「私に……“自由”を教えて」
―――小さな声でそう言った。
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