第9話 管理者
夜、街の明かりもほとんど消えていき寝静まる頃になった。
結局俺は夕食の席でもディスティアの言っていたことを深く問い詰めることはしなかった。
これほど臆病な自分は珍しい。今までにない、聞いたらもう後戻りできないような不安があった。
しかし、夜ももう終わる。
時間的にはまだまだこれからだが、燐はもういつ寝てもおかしくないぐらい目が虚ろになっている。
ディスティアもてっきり今日酒を飲むと思っていたが、俺の仲間に興味があるらしく酒は助六丸が合流してからになった。
全ては杞憂。
ゲームがリアルになるという未知のストレスにイライラしていただけかもしれない。
俺はそう思い込み、寝支度を済ませる。ベッドには既に着替えた燐がおり、その隣ではフィーラもスリープモードに入っている。
ベッドは大きいが流石に俺まで入れば窮屈だろう。まるで親子のようにくっついているため、今日はフィーラに譲ってやることにした。
今夜はよく寝て明日合流予定の助六丸を元気よく迎えてやらねばいけない。
きっと竜王までいるのは驚くだろうが、そうかからず打ち解けるだろう。あいつは俺のギルドでも割と常識的なやつだ。
なんの問題もない。そう思い、最後の魔力式電灯を消すために手を伸ばす。
その時だ。
「まってパパ、―――『私と話をしないかい?』」
焦って振り返る。
常に気を配らせていたため、鉤爪の装着も一瞬だった。
だが、そこにいるのは俺が世界で一番愛している娘だけ。
しかし、俺は警戒を解かない。寧ろより一層緊張の糸を張りつめる。
何が変わったかは分からない。
少なくとも視覚的な情報だけでは燐だ。だが、それは違う。それは俺の娘じゃない。
心が訴える確信と視覚で認識する否定が俺の鉤爪を持つ手を震わせる。
先に動いたのは燐のような燐でないナニカだった。
「『まぁまずはその物騒なものをしまってくれ。―――落ち着いて話そうじゃないか』」
瞬間、世界が変わった。
何が起きたと認識できたわけではない。だが、何かが起きたと感じた。
矛盾した思考に焦るが、燐でないナニカは落ち着いた様子で話し始める。
「『気にしないでくれ。この部屋を隔離しただけだよ。前みたいに誰かに盗み聞きされても困るからね。念のため彼女もスリープにしたけどいらなかったかな。……まぁ結果的に私と君の二人きりで話せるしいいか』」
恐らく彼女と思われる存在は独りで呟いて何やら納得する。
「一人で何言ってやがる? お前は何者だ?」
心苦しいが燐に鉤爪を向けて問いただす。
「『あぁそうか。自己紹介がまだだったね。初めましてジャミル。私は元管理者、名前がないからそうだね……天華とでも名乗っておこうか。といっても私は君のことをよく知っているけどね。アハハ』」
燐の口でしゃべる天華というやつは楽しそうに笑う。ふざけたやつだ。
「管理者だと? お前はいった――」
「『まぁまぁそう焦らずまずはそれを仕舞ってくれよ。君が私を、正確には私の体を攻撃できないのは分かっている』」
更に問いただそうとするが、先に武器を仕舞えと言われた。
どうしようか悩む。ここで相手の命令をそのまま受け入れてしまうか。
「『そんなに警戒されると落ち込むなぁ。私は君も、この子も、一切傷つけるつもりはないさ』」
「……体を乗っ取っているお前が言うか?」
「『それは本当にすまないと思っているよ。でも私にはこの子しかいなかったのさ。だから無駄な警戒はやめて私の話を聞いてほしい。あまり時間もないからさ』」
「本当に燐を傷つけないな?」
「『あぁ本当さ』」
天華の言葉を聞き、鉤爪を仕舞う。俺に一番効く人質をまさかこんな形でとられると思っていなかった。
「『やっと聞いてくれる気になったようだね。嬉しいよ。まずは椅子に座ろうか』」
天華は備えつけられた椅子とテーブルを指さす。
俺はそれに従うしかなかった。
◇◆◇◆
「『では改めて。私は元管理者の天華。今はこの体に住むことで生きている。いくつか聞きたいことはあるだろうけど、先に私から話させてもらうよ』」
「……」
「『そんな睨まないでほしい。後で君の質問には全て答えるさ。……まずはそうだね。私が出てきた目的から話そう』」
「目的?」
「『そう、目的。結論から話すと私は私の肉体を取り戻したいのさ』」
「肉体だと?」
「『管理者について、フィーラから少し聞いただろう?』」
確かにフィーラは管理者について話していた。話していたが、
「管理者は死んだんじゃないのか?」
俺の疑問に天華が否定するように首を振る。
「『確かにあの戦いで私は負けたさ。いや、一応あれは封じたから引き分けか。でも、まだ死んだわけじゃない。肉体は失い、かつてないほど弱体化したけど私はまだ存在している。―――』」
そして天華は一度言葉を区切る。
「『―――だからこそ、私は責務を果たさなければならない。世界をあるべき姿に戻す。……そして、そのためには君の力が必要不可欠だ』」
「俺に何をさせるつもりだ?」
「『何を……と言ってもいくつかあるけど、君にしてほしいことは大まかに三つかな。一つ目は簡単さ。この体を、この子を守ってほしい』」
天華が指を一本たてた。
「言われるまでもない。当然だ」
「『だろうね。結果的に人質のようになってしまったが、これは言わずともやってくれると思っていた』」
次に二本目の指をたてる。
「『次に君には残った分霊獣を倒してもらう』」
「分霊獣?」
「『一から九までの特別な魔物。君たちの言い方ではイレギュラー級UBMのことさ』」
「あの化け物を俺に倒せだと……? 正気か?」
UBMは基本、強さによって王級・逸話級・伝説級・神話級に分けられるが、それより更に上。神話級すら超越した力を持つ世界に九体の『アスタラシアの九席』のモンスター。それがイレギュラー級UBM。
一国の戦力を総動員しても勝てるかどうかというほどの化け物だ。
「『もちろん正気だよ。すでに倒された一閃鬼カグラ、四刻冒涜クラインルイン、六呪厄災ヒルガム、七魔支配ミーティス、八門要塞ユーディン。これらを除いた残り、双環伏魔アルガス・ヴィオラ、三法死別メガロス、五海天蓋レヴィーア、そして九転粛清クウガ。この四体を倒してもらう。君なら、君のギルドならできるだろう?』」
「……確かに全員いれば出来るかもしれない。だが、何故そんなことが必要なんだ? 繋がりがあるように思えんぞ」
最強のUBMを倒したところで天華にとって何がプラスなのかわからなかった。
それに大した理由もなく俺の仲間たちを危険に巻き込むわけにはいかない。
「『まぁ不思議に思うだろうね。でも、繋がりはあるのさ。分霊獣はね、分けた私そのもの。私の力を取り込ませた特別製だよ。だから倒せば倒すほど渡した力が私に戻ってくる』」
「……やっぱ話が見えんな。力が帰ってきたからなんだ? お前が欲しいのは肉体じゃないのか?」
「『あぁ、これは私の話し方が悪かったね。力が欲しいのは順番の問題さ』」
「肉体を取り戻してから力を回収でもいいだろ?」
というか燐のためにもコイツには早く出ていってほしい。
「『私が仕留めきれていたらそれでも良かったんだけどねぇ。あいにく私の肉体、正確には遺体かな? まぁそれの場所が悪いのさ』」
「どこにあるんだ?」
神の肉体だ。適当に野ざらしというわけではないだろう。どんな秘境か、はたまた世界一デカイ聖王国の教会とかだろうか。
天華が俺の疑問に嫌そうな顔で答える。
「『最悪の場所だよ。今この世界で最も残虐な王、恐王テラの主城ヴェルナウル。その地下にある。……私をこうした神殺しと一緒にね』」
「恐王テラ? 何者だそいつは?」
「『あぁ、彼は―――ッ!』」
話そうとした天華が突然何か痛みだしたように頭を押さえ、椅子から崩れ落ちる。
「なんだ!? お前燐に何をした!?」
「『うぅ、すまないが、そろそろ時間だ。この体に無理をさせすぎたらしい』」
「無理だと!? 燐は大丈夫なのか!?」
思わず大声になり、天華を、燐の体を少し揺さぶる。
「『あまり揺さぶらないでほしい。結構きつい』」
「くっ!」
「『なに、そう心配することはない。思ったよりも早かったが、私にとっても大切な体なんだ。半日もすれば必ず目覚める。……それより最後に二つ伝えておくよ』」
「なんだ? 燐の体で無理をするな」
「『わかっているさ。一回しか言わないから聞き逃さないでくれ。……まず一つ、この子の時間を進める』」
「時間だと?」
「『そう、三百年の間止めていた君とこの子の時間を再開させる。この子はね、壊れないように私が記憶をいじって成長を止めていた。だが、それも今日で終わり。君との時間を再開させる』」
「……そうか」
「『次に、君には今から戦闘準備をしてほしい』」
「戦闘準備?」
「『念のためにね。……いろいろ省くけどあちらに感知されたなら、そう経たずにこの街は襲われる。恐らくまだ様子見程度の戦力しか出してこないけど、その程度でもこの街には脅威さ。この街を、人を、君の手で守ってほしい』」
天華は俺を信用したように、俺がそう動くのが当然と思っているように頼んでくる。
自分の命令なら必ず聞くと思っているのか。実際にそうだが、軽く顎で使われているようでイラつく。
一度聞こえるように舌打ちしてやると一瞬驚いたような顔をするが、すぐにまた痛みに顔をしかめる。
「『ッ! 限界か。時間が、なくて、すまないね。次は、君の疑問から、答えると、約束する。それじゃあ、ま、た―――』」
天華の絞り出すような別れを最後に部屋が元に戻るのを感じた。
眠る燐を抱えて様子を確かめる。問題ないとは言っていたが心配だ。
「呼吸は……普通か。熱も……ないな。起こすのは、やめるか」
寝苦しさなど無縁そうな、とても気持ちよさそうに寝ている。ここで起こすのは可哀そうに思えた。
天華の言葉を全て信じるわけではないが、少なくとも燐に危害を加えようとはしないと信じたい。
安らかに寝息をたてる燐をベッドに運び、フィーラの隣に寝かしてやる。
布団をかけなおしひと段落すると何だがどっと疲れがきた気がする。
ベッド端に腰かけて考える。
いろいろ、本当にいろいろ聞きすぎた。
俺には荷が重いことだ。
「何故、どうして俺なんだ……」
正直な言葉が口から洩れる。
俺は燐が好きで、燐も俺を好きならよかった。ただそれだけでいいのだ。
それが分霊獣やら管理者やら……こういうのはもっと主人公っぽいやつが担当することだろ。
「いや、俺なんかよりこの子の方が辛いか」
手を伸ばし燐の髪に指を通す。
まだ小さいその身に余りある重しを背負わされた子。
天華は記憶を消してリセットし続けたと言っていたが、それは半分間違いだ。
この子はきっと覚えている。記憶ではない。心で世界を、時を、感じているはずだ。
でなければ俺との再会にあれだけ泣きじゃくるはずがない。
記憶がないながらも“寂しい”ということはずっと覚えていたのだ。きっと俺には想像できないぐらい辛かっただろう。
「もう絶対に悲しい思いはさせない。燐、パパが必ず守ってやる」
眠った娘の額に軽くキスをする。
「おやすみ」
人知れず騒がしかった夜はそうして終わりを迎えた。
◇◆◇◆
何もない、ただ“白”のみが広がった世界に一人の人間がいた。
美しい銀の髪に、何色にも見えるような不思議な瞳。
純白の衣装を纏って空間を漂う姿はとても神々しいものだった。
衣装の上からもわかる美しい身体を持つ彼女は、そんな世界で一人悶えていた。
「あー!!! しゃべっちゃったぁぁぁ!!! 私、変な子じゃなかったかなッ? 嫌な印象じゃなかったかなッ? でもでも、時間もなかったし。私には使命があるわけで。……でも、やっぱり一方的に話すのは良くなかったかな? しっかり彼の言葉も聞くべきだったよね。……聞きたかったな。もっと話したかったな。……話したいって思ってくれてるかな……」
彼女は顔を真っ赤にして、恋する乙女のようについ先ほどの出来事を何度も思い出す。
「あぁぁぁ!!! こんな気持ちになるなら、もっと練習しておけばよかった! どうして私は余裕なんて思ったんだ! 恥ずかしい! 人間はみんなこんな想いで好きな人といるのか!?」
彼女の好きな人。それはジャミルだった。
彼女は管理者であり、普段ならそんな気持ちは持ち合わせない。どちらかといえば機械のような、管理者というシステムに近い。
それがこんな姿になっているのにはもちろん理由がある。
彼女は神殺しとの戦いで疲弊し、魂を人と同じレベルまで堕として同化することで生き永らえた。
そして、同化した魂は燐という少女に影響されすぎた。
三百年の間、燐は寝ても覚めてもずっとジャミルを想っていた。記憶をいじられても心が叫ぶ孤独の悲しみを、思い出で少しでも癒していたのだ。
そしてそれは燐を通した彼女にも、彼女を変える出来事になっていった。
未知の感覚。初めて現れた彼女の心を揺さぶる人物に、彼女が恋をするにはそうかからなかった。
燐の記憶を消すごとに、彼女の想いは強くなった。
燐が孤独を感じるごとに、彼女も触れ合いたいと思っていった。
燐がジャミルと三百年の時を超えて再会した時、その“嬉しい”という気持ちにうらやましく思った。
いつからかはもうわからない。
だが、今の彼女はジャミルという人物で心がいっぱいになっていた。―――ジャミル本人に嫌われているとは知らず。
面白いと感じていただければ、ブックマーク・ポイント評価の方をよろしくお願いします!