夏の思い出
夏休み、俺と友達のしゅうはダラダラとしていた。家の近くにある森や林から聞こえるセミの鳴き声が頭の中で響いている。
「あちぃなぁ」
「ああ、あついな」
会話することもつらいくらい部屋の中は熱い。エアコンもない部屋で、窓を全開にして扇風機が回っているが、夏の暑さには勝てない。俺は熱さにやられながら、寝転がりながら読んでいた漫画本を横において目を閉じた。汗がじわじわと額を流れる。
目を閉じたら、暗闇に蝶々が目の前をひらひらしていた。色鮮やかなコバルトブルーの羽と鱗粉が俺の目の前を通り過ぎ、知っている場所へと向かっていく。なぜか、蝶々がこいと誘っているように見えた。俺はその蝶々を追って走り出したが、つまずいてはっと起きて目を開け、思いっきり体をおこした。
「おきたか」
しゅうが漫画本を読みながら俺に声をかけた。起きたばかりのせいなのか、心臓がバクバクいっている。
「いま夢で青い蝶々がさ、あの場所にこいって」
「あ?お前寝ぼけているのか?」
しゅうは俺が寝ぼけていると思っていた。俺自身、夢と現実の区別がついているのか良く分かっていなかったが、夢で見たあの蝶々が無性に気になっていた。そしてあの場所は俺がよく知っている場所だった。
「寝ぼけてないと思うんだけど、なんかあの場所が気になってさ」
「あの場所って?」
めずらしく、しゅうが興味を示した。
「まむしの森だよ」
「お前、何言っているんだ、夢だろそれ」
「そうなんだけどさ」
しゅうがあきれた顔をしている。
「お前、熱さで頭やられたんじゃないか?」
だが、俺の心臓の鼓動はまだ落ち着くことはなかった。
「俺、ちょっと行ってくるわ」
「あっそ、勝手にしろ」
俺は、しゅうを横切り、部屋をでた。台所に行き、コップに水をそそぎ一気のみした。母親は買い物にでも行っているようでリビングにも気配がしなかった。そして玄関へむかい、夢で見たあのまむしの森に行ってみることにした。現在2時、ちょうどあつい時間帯。蝉の大合唱で頭がどうにかなりそうだ。じりじりと日差しが痛い昼下がり、家を出て公園をとおりすぎる。畑をつっきり、あぜ道を通っていくと、れんげ畑があらわれる。低学年の女の子たちが学校の帰り道れんげを摘み花飾りをつくっているのを見たことがある。れんげ畑を進むと廃線がある。昔トロッコが走っていたと親父から聞いたことがある。踏切もないこのさびついた線路が小さい頃から好きだった。この線路は河原から近くの駅までつながっているが、枕木もボロボロで鉄道会社は放置状態だ。逆方向はどこまでつながっているか知らない。まむしの森をとおらないといけないからだ。
まむしの森は不気味なほど暗い。そして真夏の暑さをわすれるほど涼しい。この森へとまっすぐのびている線路の向こうはトンネルのようになっていた。あのトンネルの向こうはどうなっているのだろうか・・・この廃線をたどっていけば、異世界につながっているんじゃないかと思わせるくらい不気味で魅力的なトンネルだった。緊張気味の心臓をおさえながら、「よしっ」と気合いを入れた。一歩ふみだそうとしたその時、
「俺もいくよ」
うしろを振り返るとしゅうがいた。
「しゅう……」
俺はしゅうの顔を見て安心した。
「やっぱりお前も気になったんだろ?」
「……」
しゅうはあまり感情を表にださない方だ。だから無言になると否定というよりは肯定という意味であると解釈している。しゅうとの出会いは小学校3年のとき、しゅうが都会から引っ越してきて、俺と同じクラスで席は俺の後ろだったことだ。休み時間や帰り道に話すようになって、今では腐れ縁だ。お互い漫画やゲームが好きで、話も合って一緒にいるのが楽しかった。休みはほとんどお互いの家をいったりきたりしていた。まむしの森の向こう側は小さい光がさしている。だから、森を抜けるのはそんなに遠くはないように思えた。足下は2本の錆び付いた線路と枕木がまっすぐまむしの森の方へのびていて、途中、土や枕木がない宙づりになっているところもあった。だが、ここで行くのをやめるという選択肢はまったく頭になかった。俺は息を吸って吐き、自分自身に気合いを入れた。
「よし、行こう」
「ああ、仕方ないからつきあってやるよ」
しゅうは小さく返事をしたが、蝉の鳴き声であまり聞こえなかった。汗がこめかみから顔をつたってながれるのがわかり、手でぬぐう。あの青い蝶々はなぜ俺を呼んでいるような気がしたのか、少し緊張している胸の高鳴りをおさえながら俺としゅうはまむしの森へと入っていったのだった。
まむしの森と呼ばれる森の中は、日差しがキラキラしていて、風が吹くと汗がひんやりするくらい涼しい場所だった。しゅうと俺は同じ歩幅で線路を歩いていた。虫かごと虫あみ、それと水筒と少しの食料を肩掛けカバンをぶら下げていた。
「おい、しゅう」
「なんだよ」
「なにもでないな」
「そうだな」
もっとへびやらあぶやらがいるかと思いきや、まったくなにもいない。時折、バッタや小さい羽虫が飛んでいるくらいで、草むらをあるき続けた。時計をみると2時半だった。
「ちょっと休憩しようぜ」
「そうだな」
俺としゅうは廃線に座り、水筒の麦茶を飲む。蝉の声が響く森。どこか怖くてどこか懐かしい。この街とこの森は俺にとっては庭のような存在だった。ふと、あの蝶が目の前を通り過ぎる感覚があった。
「あ、あの青い蝶だ」
「蝶なんていないぞ」
「しゅうには見えないのか、ほら、あっちに飛んでいった」
「わかった。お前を信じる」
そうなのか、しゅうには見えないのか。青い蝶はひらひらと踊るように舞っていた。それは僕としゅうを誘うように、ひらひらと踊っては止まり、また踊るように飛んでは止まり。線路をたどったり、少し横道に入っていったり。
どこまできただろう。だいぶ線路も終わりが見えてきそうな気がした。あれから青い蝶は見ていない。俺もしゅうも疲れてきていた。
ふと、青い蝶が目の前を通り過ぎる。眠気と疲労で幻をみているかのようだった。
「おい、青い蝶がいるぞ」
しゅうの驚いたような声が俺の耳に心地よく届いた。
「しゅうにも見えたんだな」
「ああ、お前は、嘘は言わないからな」
「そうか?」
「おい、見失うぞ。追いかけよう」
めずらしくしゅうが声を上げている。俺としゅうは小走りをして蝶を追いかける。そして、藪をぬけた先にあったのは小さな川原だった。線路はここで終わっていた。静かな川原に青い蝶が何匹も飛んでいた。不思議な空間だった。そして見上げると遮るものが何もない一面の星空がひろがっていた。まるで飲み込まれそうなくらいの星だらけの空。時折、流れ星が流れている。
「しゅう、見てみろよ」
「ん?」
「流れ星だ」
「ああ、見た」
「確か、この時期はペルセウス座流星群が見られるんだよ」
「ペルセウス座流星群……」
相変わらず物知りなしゅうだなと思いながら俺はつぶやいた。確かに夏の大三角の方角から流れ星が流れている。俺らは静かに流星群を眺めていた。
「なあ」
しゅうは静かに口を開いた
「何?」
「ありがとな」
「なにが?」
「よくわかんないけど、言いたくなった」
「ん」
「また、いつかここに来られたらいいな」
「うん」
俺は胸がぎゅっと苦しくなった。嬉しかったのだ。なぜだかわからないが、涙が出てきそうだった。必死に堪えて星空を見上げる。
「さてと、帰るか」
「うん」
「帰ったら母さんに怒られるかな」
「まぁ、1週間風呂掃除は免れないな」
「夏休みの宿題もちゃんとやるからな」
「あー、忘れてた」
夏はもうすぐ終わる。冒険ももうすぐ終わる。でも、俺は一生忘れない。この夏の冒険のこと。またいつかしゅうとこの話ができるといいな。そんなことを思って俺はそっと目を閉じた。