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03.消せない過去は、大浴場の湯煙に霞んで


挿絵(By みてみん)




 逃げ惑った間の傷、ジャングルでの打ち身の痣、擦過傷、栄養不足で髪・肌・爪など全てが痛んでいた。

 勇者が死んだあの晩から三日後、錯乱し罵り合った末に、仲違いした私達は取っ組み合いの喧嘩をした。

 エリスがステラ姉の顔面に拳を叩き込んだ結果、ステラ姉の鼻は潰れたままだ。

 私が齧り取ったのでエリスの右耳は半分の長さだ。

 3人で死のうと、互いの咽喉を突いた躊躇い傷は醜く攣れている。

 私、ドロシーは発疹とケロイド状の皮膚病を患ってもいた。




挿絵(By みてみん)




 「うーん、それにしても、随分やらかしちゃってますねえ……」


 渦巻髭を()まむ謎の美丈夫は、面白くもなさそうに幾つかの宙に浮かぶ魔法陣を見つめている。遠くを映す“千里眼の鏡”のように、何かの映像を見ているようだ。


 「今回のブリーフィングノートですよ、どうぞ」


 空中を滑らすように、ツィーッと寄こされる小振りの魔法陣は(まさに滑らせてとしか形容出来ない動きだったが)、私達の目の前で止まると、男が何を見ていたかが明らかになる。

 その瞬間、私達は声にならない叫びを挙げて、手のゴブレットを取り落とすが、誰もそのことに気が付かない。

 私は両の頬をツメで掻き(むし)る自傷行為で、顔を血だらけにするが、自分自身気が付いていない。

 硬直し、血の気が引いたエリスは漏らした粗相でズロースをビシャビシャにするが、気が付いていない。


 「ウオッブ、ウオエエエッ」


 ステラはえずく反吐(へど)に身体を折り曲げて、先程呑んだばかりの酒と胃液をブチ撒けて、己の顔と言わず胸元を汚していた。


 「やめてっ、やめてっ、やめてっ、やめでええええええっ!」


 それは決して消すことの出来ない過去の罪と(とが)(おぞ)ましい痴悦に取り憑かれた、(かつ)ての自分達の姿だった。

 その魔法円陣は過去を写し取っていた。


 絡まる裸体に(ほう)けた、自分達の理性を失った畜生染みたバカ面は心底見るに()えない。見たくない。

 でも目が離せない。

 覚えがある、それはおそらく王都のハムナム第一公爵邸の庭園で開かれた“艶遊会”という名の秘密の催し、

 あらゆるタブーを犯し、悦楽に溺れてみせた裸体のアトラクション要員の、嘗ての無様にも人としての貞節を失った姿、チャームのスキルに(たばか)られ、あられもない従順な肉便器性奴隷と化した姿だ。


 男の魔法陣は過去の私達の狂った所業を映している。

 こうして自分達の不仕鱈(ふしだら)な狂態と痴呆の如き表情を突き付けられ、情けない嬌声(きょうせい)を聴かされるとは、思いもしなかった仕打ち。

 自分で自分の、正気を失い痙攣する瘋癲(ふうてん)のように乱れる様子と、発情した性処理奴隷の顔、魅了の(とりこ)として歪められた顔を見せつけられるとは、自分でしたこととはいえ一体何の因果だろうか!

 汚らしい唸り声に似て、“如何に自分は勇者を愛しているか、勇者の為には何でもするか”、繰り返し繰り返し、壊れた蓄音器のように誓う言葉が、獣の吠え声の様に何度も汚らしく誓う言葉が、聴くに()えない。聴きたくない。

 でも耳を塞いでも聴こえてくる。


 聞こえてくるのは、私達の告解と懺悔を(あば)き、無惨にも断罪する裁きの喇叭(ラッパ)



 「ドロシー・ベンジャミン、21歳……」


 「クラン県農業開発特区の試験農村ボンレフ村の蜜柑農家の出身にして、自警団の会計係の娘、17歳のときに諸国漫遊中の召喚勇者トキオに見いだされ、指名従者の勅命(ちょくめい)にて勇者に付き従う」


 「勇者の付与する権能スキルで、“剣帝”の才能を開花させるが、同時に腹黒勇者の隠しギフト“魅了・催淫”の術式の餌食になり、故郷に残した幼馴染みの恋人を裏切り、勇者の破瓜を嬉々(きき)として受け入れた」

 「以来、従者3人衆のステラ、エリスと共に日毎夜毎、勇者の(しとね)(はべ)るのを日課とし、変態的隷属的な交わりも忌避(きひ)せず、色好みの勇者が望めばステラ、エリスとも倒錯的な同性愛を披露して見せるのも全く(いと)わなかった」


 知られたくない、知られてはいけない罪深い過去、男が語るのはブリーフィングノートとやらの調査資料などではなく、私達の(みじ)めな正体だった。


 「やがて勇者が貸し与えられた宮殿内の別邸で、勇者が堕とした侍女や女官らとハーレムメンバーになり、濁ったスキルは“闇剣帝”にすり替わって仕舞い、使命たる魔族討伐・魔物掃討の大義など何処吹く風と、色と肉の乱痴気騒ぎの(ただ)れた日常に溺れる……結果、直接手に掛ける最悪な事態こそ引き起こさなかったものの、救える命も見捨てたりと、王国民からは総スカンを食らうが、頭がお花畑の当人は勇者が反王政主義者の手で暗殺されるまで、魅了の(とりこ)だった」


 「“大賢者”スキルに目覚めたステラの避妊のまじないが度々(たびたび)失敗するのに何回か妊娠して仕舞い、“大聖女”スキル持ちのエリスの堕胎術を繰り返し施された結果、子供の産めない身体になって仕舞う」

 「そんなに為って迄も繰り返す変態乱交に、遂に股関節脱臼になる」


 あぁ、もう向き合いたくない、向き合いたくないよぉ。

 辛い現実から逃げるように、殻に閉じ籠もるように、私は(うずくま)り、膝を抱えて丸くなろうとする。


 「恋人を裏切った事実に、勇者が死んだお陰でやっと正気に還ってからも、会いに行く勇気が、面と向かって詫びを言う勇気が出ないでいる、昔は勝気な性格だったのに、しでかして仕舞った罪の重さに耐えかねて萎縮して仕舞い、いっそ死のうと思っても、死にきれず、贖罪の道から逃げての毎日を、(ただ)生き(ぎたな)(ほう)けている」



 「ステラ・アンダーソン、25歳、ドロシーと同じボンレフ村の出身にして、ドロシーの許婚(いいなずけ)だったソランの実の姉」

 「開発特区のボンレフ村には弟が7歳、ステラ12歳の頃に入植してきた」


 「母親を流行り病で亡くしたとされるアンダーソン家唯一の女手、炊事、洗濯、掃除、農耕、弟の家庭教師と八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍をするが、弟想いのブラザーコンプレックスの反面、いつか白馬の王子様が迎えに来ると信じて疑わない、傍迷惑(はためいわく)な夢見る少女のまま大人になって仕舞う」


 「人を疑わない性格に付け込まれ、巨乳好きの獣慾勇者に最速で堕とされた、ある意味、最低の尻軽女」


 「また、面倒見が良く、姉御肌で周囲から慕われていただけに、自ら勇者に言い寄った前代未聞の稀有(けう)な村娘として、子供染みた恋愛観と男を見る眼の無さがまったくもって度し難い目が曇ったり腐ったりのポンコツ娘と、後々知り合いの村人達から揶揄(やゆ)されるが、残念ながら本人の耳にはひとつとして届くことはなかった」


 「好色勇者パーティの選任従者として、(ほま)れ高い過去の伝説的なウィザードを別にすれば、魔法職の頂点である“大賢者”を(たまわ)ったが、その後はドロシー、エリスらと同様に荒淫生活一直線、“大賢者”のスキルが順当に最底辺の“闇賢者”に堕ちる迄、さして紆余曲折(うよきょくせつ)は無かった」


 「ご免なさいっ、ご免なさいっ、ご免なさいっ、ご免なさいっ!」

 「ウゥッ、許してください、こんなつもりじゃなかったんです」

 泣きじゃくり、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったステラの心はとっくに壊れて、唯々(ただただ)免罪を願って、額を地面に擦り付けるばかりだった。


 「快楽に溺れる(かたわ)ら、酒精の酩酊感を好むようになり、酔っ払った状態で避妊のまじないをするので、半分以上失敗していた」


 「実は大変な美声の持ち主で、村の民族舞踊保存会で民謡伝承部の首席を長年保持し、収穫祭ではボーイソプラノの実弟、ソランとデュエットを組んでステージに立つほどだったが……」

 「魅了から()めた瞬間、数々のタブーを犯した過去が走馬灯のように責め(さいな)んで、嘔吐し続け、慟哭し続けた結果、声帯を潰して嘗ての美声は永遠に失われる羽目になり、心を病んで二度と歌わなくなった」


 「スキルを失くした肉体は極度のアルコール依存症だった」


 スキルのおかげで常態を保っていられた鯨飲(げいいん)は疾っくに身体を壊すレベルで、正気に還れた時点で既に廃人だった。おそらくステラ姉に出来ることは、酒毒に侵食されてゆっくりと死んでいくことだけだろう。



 「エリス・プーチ・バレンタイン、22歳」


 「ボンレフ村唯一の医療機関兼薬局、“プーチ総合クリニック”の跡取り娘にして、ドロシー、ステラ、ソランらと小さな頃からの顔馴染み」

 「残された家系図によると、遠い祖先にエルフ族がいたらしく、先祖返りでとがった長耳を有している……エルフの血筋なので、絶世の美女」

 「無口で読書を好むような、静かな性格、両親と共にオールドフィールド公国正教の熱心な信者だった」

 「村の教会では修道女会の手伝いと、幼少から始めた安息日礼拝のときの聖歌隊(クワイア)ではガールトレブルを務めていた」


 「一方、大変なお転婆(てんば)で、幼い頃に木登りの木から落ち、下に居たソランの顔に丁度お尻をぶつける形で着地して、ソランの鼻骨を折ってしまった逸話がある」

 「この一件から暫く、キズモノにしたソランを婿(むこ)に貰うと公言していた時期があったが、年頃になってソランとドロシーの仲が公認になった途端、身を引いた積もりか口にしなくなった」


 「勇者に付き従った3人の女の中で、遠いエルフの血がそうさせたのか、稀有(けう)なことだが“大聖女”と“大盗賊”のふたつの権能スキルを授かった……スキルふたつ持ちは、歴代の勇者チームに仕えた契約従者の中でも珍しかった」

 「このふたつのスキルが(わざわ)いした」


 「盗賊のスチールと聖女の(いや)し、このふたつの(おぞ)しいコラボレーションが神に(そむ)く行為……妊婦の堕胎を可能にした」

 「勇者の邸宅に(はべ)る女官達を含め、何十人もの女達の施術を請け負ったので、いったい何体の胎児が水に流されたのか? 当たり前の話だが悪夢から覚めた女達の怨恨を一身に受けることになる」


 「実際、生命(いのち)を下水に流した悪魔の所業は知る者達が正気に還った後も、絶対に口外出来ない秘事になった」


 「何よりも、公国正教は堕胎を教義上の戒律で封じている」

 「信仰する神の教えに(そむ)き、自身の手を背徳で染めた……決定的なのは、エリス本人が自分の子を堕胎した事実だった」


 「あっ、あっ、あっ、あっ、ああああ―――――――っ!」

 突きつけられた大罪の暴露に、エリス当人は泣き崩れることも出来ずに、天を振り仰いで叫び続けるのだった。

 聴くことを拒絶する、いや、最早自我が崩壊して仕舞った私達にお構い無しに、男は追い討ちを描けるように語り続けた。


 「勇者が死んだ日に折り悪くというか、ハーレムの居宅に居た大勢の女供が本来の自我を取り戻してパニックの騒乱状態になり、失禁したり、自死しようとする者を思いとどまらせたりと、一通りの困惑と嘆きを発露したその先……」

 「既に亡き勇者に代わりターゲットにされたのが、非道で無慈悲な胎児遺棄の実行犯だったエリス、お前だ」

 「吊し上げられるようにして、詰め寄られなじられるのに、心が壊れて仕舞ったお前は成すすべもなく、ただ茫然と()いた」


 「被害者の女性達を保護する為に密かに派遣された調査部の修道士達に罪過が露見し、公国正教会からは背信者として破門されたばかりか、神敵の烙印(らくいん)を押され永久追放になる」

 「もともと無口だったお前は、遠い目をする瞳に何を写すのか、精神疾患から重度の失語症になった」




 ***************************




 「容易(たやす)く人が死ぬこの時代、男女の浮気や不倫、姦通に目くじらを立てる程のこともない、そんな愛憎劇など本来は茶番の幕間程度の価値だろう」

 「真実を言おう、勇者の“魅了・催淫”の術は、実は抵抗出来る」

 「確固たる意思と譲れない想いがある人間を術で縛ることは出来ない、あの勇者のレベルでは、そこまでの威力と効能は無い」

 「だが、まぁ、悲観しなくても大抵の十把一絡(じゅっぱひとから)げ、男女間の想いなんてのは、その程度のものだ、お前達が特段、浮気性だったと言う訳じゃない」


 初めて聴かされる事実だった。都会への憧れや、未知の恋愛へのときめき、田舎には無い街の娯楽と言った華やかな生活への幻想など、クズは年頃の娘の心の隙を衝いてくる手管(てくだ)に秀でていたのだと。

 私達のソランへの想いが、もっと強ければ、もっと堅固でありさえすれば、私達は自分のままでいられたのだろうか?

 お前達は普通だと言われるのが、何の(なぐさ)めにもならない。

 私達のソランへの想いはその程度なんだと、進んで裏切るのも当然の想いしかなかったんだと、侮蔑(ぶべつ)されていることと一緒だから。


 「これを見ろ……」

 打ちのめされて、起き上がれないまま横たわり、(うずくま)り、(たたず)む私達に、男はある映像を突きつけた。

 既に息絶えた乳飲み子を抱きかかえ、半狂乱に逃げ惑う母親の映像だ。

 「一年前のトラップ島戦役で魔族軍が侵攻を開始した掃討作戦の最初の一週間で、三千人の一般市民が亡くなった」

 「そのとき、お前達は何処にいたか覚えているか?」

 「何と、()()()()()()と称して、ハーレムの一族郎党と共に、水辺で酒池肉林のご乱行(らんぎょう)(ふけ)っていたんだ」


 ―――――――ッ、もう叫びは声にもならない。

 これこそが、私が記憶障害を起こす要因……私達は、己らの馬鹿な欲望の為に、救うべき命を救わなかった。

 三千世界に身の置き所も無い迄に、私達は大罪にまみれていた。

 もう何も考えたくなかった。


 「そこでだ、お前達に(つぐな)いをする機会を与える」

 「拒否権は無い、決定事項だからな、お前達には少なくとも100年は贖罪の旅をやって貰う……反省は継続してこそ意味がある」

 「まぁ、僧の托鉢みたいなイメージかな、世の為、人の為、無償の世直し旅を続ければ、お前達の罪も、いつかは許される日が来るかもしれない」


 もう何も考えたくなかった。男の声も私達には響かない。


 「お前達を鍛える、もう何者にも(まど)わされない迄に強く、常に正しい判断が出来る迄強く、間違いなど決して起こし得ようも無い程強く、徹底的に鍛える」


 「明日から特訓を開始するにあたり、まず各人に健康管理をして貰う」

 「体温、血圧、生理の周期、基礎的なバイタルは毎日やって貰い、更に一月に一度の血液検査、……記録は、エリス、お前の役目だ」

 「言っておくが、俺の健康管理はちょっとばかり厳しいぞ、ほおおおおおぉんのちょっとスパルタだ……小便ちびるなよ?」

 言い様に、男は私達3人を束にして何の苦もなく担ぎ上げた。

 何らかの身体強化術が付与されてると思われたが、まるで買い物籠でも下げるように男は確かな足取りで、目の前に展開する異次元空間に繋がる魔法陣を(くぐ)った。




挿絵(By みてみん)




 トンネルを(くぐ)るように抜けた魔法陣の先は、どうやら巨大で幻のように(かす)む浴場施設のようなものだった。

 孔雀石のような紋様の豪壮なコロネード列柱に囲まれた湯船というか、池のように広い湯面はゆらゆらと揺れて、溢れる縁から黒御影(くろみかげ)の床を濡らしている。

 よく見ると、大小配置された壺を持つ古代の女神や翼を広げたガーゴイル、龍やライオンを模した彫刻のそれぞれの口から、大量の湯が注がれ続けていた。

 圧巻は中央に配置された巨大な亀の像が吐き続ける湯が、まるで巨大な滝のようだったことだ。水飛沫と言うか、盛大な湯飛沫から立ち上る湯気が辺りを(おぼろ)(かす)ませていた。

 後で聞いたが、この亀は玄武(げんぶ)と呼ばれるものらしい。


 まるで玉葱(たまねぎ)の皮を剥くように、無造作に下着を奪われた私達は丸裸にされて、順番に湯船の端に放り込まれた。

 軽々と放り投げる男の膂力は大したものだが、大層な弧を描いた。

 「きゃっ」、ザッブーン。「きゃっ」、ドボーン。

 「……っ」、バッシャーーンッ。

 頭から(さか)さまに落ちた私は、鼻に入ってきた湯にツーンッとなり、腑抜けて憔悴(しょうすい)していた意識から立ち返り掛けていた。

 深い湯船は、立ってもバストが隠れるぐらいで、見上げると王都の大聖堂の何倍も大きく複雑に入り組んだドーム天井が、荘厳な金蘭の飾り彫刻や吊り下げられた沢山の香炉、よく題材の分からないフレスコ画などに飾られ、コリント式柱頭からの間接照明で幻想的な全容を垣間見せていた。

 ドーム頭頂部には、空気抜きだろうか? 眼窓オクルスにも似た円形窓が(かす)んで見えた。


 「消えていく、消えていくよ……」

 隣で(つぶや)くステラ姉は、毒虫に刺された青痣(あおあざ)や裂傷の傷痕が修復されていく自分の身体に驚き、目を見張りながら私を振り向くと、嬉しそうに笑った。

 陥没したままだった鼻が修復されたことを、自身で触れて知った時には震えて声も無く慟哭(どうこく)していた。

 見ると、私が噛み千切ったエリスの右耳の先が復元していた。部位欠損修復の奇跡は、おそらく“聖女”だった頃のエリス自身にも簡単ではなかった。

 透明な湯は、癒しの効果を持つのだろう。

 荒れた胃の腑も、その為に()れた口内炎も、削がれた体力も、乾いて艶を失った髪も、唇も、肌も、割れた爪も、膿んだ肉刺(まめ)も、何も彼も全てが治っていく。

 私達の身体から剥がれ落ちた(けが)れは、揺蕩(たゆと)う湯に溶けるように、蒸発するように消えていく。

 付着した反吐(へど)も汚れも、肌の疥癬(かいせん)や、打身の痣、体内の善くないもの、心の(おり)までが溶け出して消えていく、浄化されていく。

 肌の傷やシミまでも治療され、嘗ての(けが)れていなかった頃の活力までが戻ってくるような、そんな気さえした。

 醜い、死に切れなかった証し、咽喉の躊躇(ためら)いキズが消えていた。

 私は、あの日以来、罪の象徴として痛み続ける脇腹に触れてみた。そこは初めから何もなかったように、滑らかな肌だけがあった。


 「我が魔宮の玄武の湯、……(いや)せない傷など無い」

 「ドロシー、お前はもう解離性記憶障害に悩まされることはない」

 「ステラはアルコール依存症を治したが、スリップして元の木阿弥(もくあみ)になるから、暫く酒は禁止」

 「あと、声も直っている筈だ」


 「……さて、エリス、本来の人格を取り戻した気分はどうだ? もう、心の檻に逃げ込んだりしないと誓えるか?」


 「……はいっ」、俯いていた顔を上げると、嘗ての利発なエメラルド色の目の輝きを取り戻したエリスは、幾分弱々しくはあったが昔の理知的な声音(こわね)ではっきりと答えたのだった。

 戻って来た、大人のエリスが戻って来たのだ……本当に良かった。有り難い……感謝しても仕切れない!

 この人は神なのだろうか?

 仲違(なかたが)いをしてから、謝る前に幼児退行してしまったエリスが奇跡的に戻って来て呉れたのが、我がことのように嬉しかった。

 自分の罪に押し潰されて色々と壊れて仕舞った私達だが、敬虔(けいけん)な女神教徒だったエリスは人一倍己れの犯した罪が(ゆる)せなかったのだろう。


 「よーしっ、お前ら、ここに来て並んで座れ」


 横一列に正座させられた私達に向かって、男は仁王立ちに腕を組んで睥睨(へいげい)している。フルチンだ。

 不思議なものを見せ付けられた。傷も消えて綺麗になった私達の裸体は、自惚(うぬぼ)れている訳ではないが肉欲の対象としてそんなにも魅力がないのだろうか? ぴくりとも反応していない。

 こんなに立派な体格をしているのに、もしかして不能(インポ)? 神だとしたら、そんなこともあるのだろうか?

 罰当たりかもしれないが、そんな即物的な考えが頭を(かす)めた……いけない、過去に積み重なる淫らな体験は直ぐにそんなことに結び付けて仕舞う。


 「揃いも揃って、失礼なことを考えているんじゃない、お前等(まえら)のようなケツの青い小娘に食指が動かないだけだ」


 (ウッ、心が読める? それにしてもステラ姉とエリスも似たように同じことを考えてたなんて、幾ら身体が()えてもあたし達はもう、以前のような純粋で無垢(むく)な乙女には戻れない……そんな資格は無くして仕舞ったし、望んでもいけない)

 私は悲しい気持ちで、己れの不純を()いた。


 「そんな大層なもんじゃない、目は心の窓、お前達の浅はかな考えなんて、目を見れば大抵のことは分かる」


 「さて、俺は第24裏銀河連邦中條流整体術の認可を得ているし、優れた医療魔術の使い手でもある……ちょっと見せてみろ」


 やおら屈んで私の身体に触れようとする男に、反射的に胸と股間を隠して身構えて仕舞う。クズの残した(はずかし)めが今も外せないままなのを、この男にだけは、マジマジと見られたくはなかったのだ。


 「隠さなくてもいい、何か不可逆の呪いが掛けられているな、……こいつは時の因果律かな? こんなものの為に大層な呪術を行使して、呪力の無駄遣いだ」

 口に出来ない3箇所に着けられたピアスと、これも呪いで永久脱毛させられ、隠すことの出来なくなった恥丘に彫られ消せなくなった卑猥なタトゥー、いずれも強力な呪術に(はば)まれて、自分達では除去出来ないものだった。

 何度か試みたのだ、肉ごと切り落とそうとか、皮膚ごと()がそうとか、その度に呪術式の鉄鎖に(はじ)かれた。


 やがて男は(へそ)、胸、咽喉、眉間と触れていく。

 男の手が触れた後が、じんわりと温まるような感じがしていた。

 「うんっ、マニプーラもいい調子だ、養生すれば子供も産めるようになる」

 ……本当だろうか!? もし、本当なら私は生まれ変われることが出来る。

 女に戻れる、あっ、いや、母になる可能性を取り戻せる。

 「そう有頂天になるな、相手にして呉れる男が居ればの話だろ」


 「傷んだ肝臓も問題無いようだ、お前の当面の課題は皮下脂肪の除去と無駄に大きい乳房をどうするかだが……、戦闘時にな、巨乳は邪魔なだけだ」

 己れの一番の武器たるセックスアピールを否定されて、ステラ姉はすっかりしょげ返っていた。


 「エリス、どうもお前は膀胱が(ゆる)いようだな」

 無遠慮な指摘に、涙目で相手を(にら)むエリスは、顔中を真っ赤にしてプルプルと震えていた。



 「スパルタ式健康法で、お前達は明日から清く正しい生活を手に入れる!」

 「汗はいいぞぉっ! 身体の中の毒素を絞り出し、清々(すがすが)しい心で眠りにつけばムラムラしてお互いを慰めあう、なんてこともしなくなる」

 どうやらこの人には全てお見通しなのだろう。逃避行(とうひこう)の旅で、心細い身体を寄せ合って微睡(まどろ)む眠れない夜に、私達は自然と互いの薄汚れて生臭く匂う身体をまさぐっては(なぐさ)め合った。どうしようもなく壊れて仕舞った心は渇いていくのに、肉体は悲しい程に痴悦を欲した。

 ほんのいっとき、夢中になることで過酷な現実を忘れられた。

 (うず)く身体を持て余す私達は、どうしようもない淫売だった。


 まるで野菜か芋を洗うように手荒に扱われはしたが、泥と疥癬(かいせん)と吐瀉物にまみれた私達の身体は清められ、髭男は私達の髪を粗雑(ぞんざい)(くしけず)っていた。

 使っているヘアブラシは数々の魔石が散りばめられたミスリル製の柄を持ち、彫金の不可能な黒魔金(デュランダル)で出来た真に力あるワンドでもあったが、男の大雑把(おおざっぱ)な扱いが総てを台無しにしていた。


 「まぁ、なんだ、助平(スケベ)なことを考えてる暇も無いほど、体力的にも根性的にも扱き(まく)ってやるっ、てことさ……」


 「死なない程度には加減してやるから、しっかり付いて来いやっ!」


 「大丈夫だ、息の根が止まっても何度でも蘇生させてやる、何しろお前達には、少なくとも100年は贖罪の旅をして貰わなくちゃならないからなっ」


 「俺と師弟の(ちぎ)りを結ぶのは、最早(もはや)宿命と知れ!、逃れられぬ運命の烙印をお前達に呉れてやるっ!」


 順繰り押し当てられる男の指先が額に触れるたび、一瞬の(まばゆ)い光が広がる。

 目を(しか)める間に、じんわりと額の中心が熱を帯び、触れればそこに石のような硬い突起が出来ている。

 エリスもステラ姉も同じものなら、それは菱形に削られた血のように赤い、宝石のようだった。



 「与えた眉間緋毫(みけんひごう)(いまし)めの呪印、お前達に(よこし)まな考えや、後ろ暗い思いが芽生えたときに、それがお前達を容赦なく責め(さいな)むだろう」


 「以降、多少の不謹慎さは目を(つむ)らないでもないが、常に清く正しく、美しくあることだ、それがお前達が生かされる条件だ」

 「選べ、死ぬる覚悟と恥を忍んで生き続ける覚悟とどちらが上か」


 「清く、正しく、美しくだ……」






あまり書き溜めていないのに、見切り発車しています

絶対エタらない覚悟で始めていますが(最近更新が滞ってる)、ストーリーテラーの才能があるかないかは、また別の話……

面白くなるよう応援してください


孔雀石=名は微結晶の集合体の縞模様が孔雀の羽の模様に似ていることに由来し英語起源のマラカイトなど欧語表記はギリシア語(アオイ科の植物の名称)に由来する

コロネード列柱=古代の建築においてエンタブラチュア(柱頭の上部へ水平に構築される部分でモールディングや帯状装飾で飾られる)で連結された柱の並びを指す

例えばローマのサン・ピエトロ大聖堂のファサードにベルニーニが追加した楕円形にカーブしたコロネードが有名である

コリント式=溝が彫られた細身の柱身とアカンサスの葉が象られた装飾的な柱頭を特徴とする、ギリシアに起源を有するがギリシア建築において用いられた例はほとんどなくコリント式という名は古代ギリシアの都市国家ポリスのひとつであるコリントスに由来するがコリント式は一般にアテナイで発達したと考えられている

オクルス=元々はラテン語で目を意味しローマのパンテオンのドーム頂上部にある円形の開口部の名前として使われ、似たような形状の丸い窓や開口部を指すのに使われる

マニプーラ=腹部の臍のあたりにあり「宝珠の都市」という意味を持つ第三のチャクラ、ヒンドゥー・ヨーガの伝統的なチャクラの図では青い10葉の花弁を持ち火の元素を表す赤い三角形がある

「シヴァ・サンヒター」で言及されているチャクラの色は黄金色、また「蛇の力」での色は赤


応援して頂ける、気に入ったという方は是非★とブックマークをお願いします

感想や批判もお待ちしております

私、漢字が苦手なもので誤字脱字報告もありましたらお願いします

別口でエッセイも載せましたので、ご興味のある方は一度ひやかしてみてください

短めですのでスマホで読むには最適かと……是非、通勤・通学のお供にどうぞ、一応R15です

https://ncode.syosetu.com/n9580he/


改稿作業中です 2021.01.16

全編改稿作業で修正 2024.09.08


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)

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拙作「ソランへの手紙」にお越し頂き有り難う御座います
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別口で“寝取られ”を考察するエッセイをアップしてあります
よろしければお立ち寄り下さい
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― 新着の感想 ―
[良い点] 語彙力がめちゃ高くて、専門用語のルビなどに知識量の多さが滲み出ているような気がします。 なろう小説作品で珍しい、豊富なボキャブラリーには素直に脱帽! 舌を巻く思いです。 寝取られ属性持ちの…
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