67.ふたつのシィエラザード
田舎もんの俺は、都会の怖さを知らなかった。
長生きして欲しいから煙草は止めて頂戴、と幼馴染みの許嫁が懇願したからあれ程好きだった煙草を止めた。
王都に行った許嫁はてっきり魔族の防衛に精励し、お国の為に懸命に兵役に尽くしてるんだとばかり、疑うことも無かった。
裏切り者のゆる股クソ女として都会から帰ってきたそいつは、きっと俺が肺癌で死のうがなんの痛痒も感じなかったにちげえねえ。
仇と付け狙うキ印勇者が殺されたと聞いて狂乱した俺は、すぐさまその足で王宮を焼いた。後で修復したが王都の結界と王城に大穴を開けた。
“王都民結界”を維持していた世襲の結界魔術師300名が全滅したらしいが、知ったこっちゃねえ。
きっと俺は都会が憎かった。
ちょっとしたピンクジョークにさえ顔を顰めていた懐かしい筈の許嫁は、戻って来たときには非常識な迄に殺伐とした二目と見られない罰当たりな淫売だった。
後生大事と言われた通りに煙草を止めた無駄な精進を、無駄たらしめたアブノーマルな淫乱クズ女へと、俺の見知った幼馴染みを変えちまった都会が憎かった……おそらくあの淫らな変態肉便器は、花畑に蝶々が舞うオツムで禁煙を勧めたことなんざ綺麗さっぱり忘れちまってる。
お蔭で俺は普通の生き方を捨てざるを得なかった。その代償の大きさは骨の髄まで知って貰わなくちゃならねえ……愚直も正道も要らねえ、あるのは唯、狂おしい迄に煮え滾る復讐心だけだ。
反王政派非合法組織のレジスタンス、“シェスタ独立運動”の事実上の指導者だったフランクリン・キャリコは、世話になった恩人エイブラハムの一人息子だった。
王都ごと焼き尽くしても俺は構わなかったが、フランクリンに請われて王都の裏側からの民主化に協力することになった。
一旦殺しちまったが、必要な官僚を蘇生させて洗脳……言い成りの便利な操り人形を造り出した。
セーフ・ハウスを利用させて貰ったり、王都の貴族共から供出させた財産から資金援助を受けたり、“静かなクーデター”を標榜するフランクリンには予想以上に良くして貰った。
王都を去るにあたっては、嘗てトラップ島に設置したメシアーズの万能汎用型端末、AMTフレームの同型を数機置いた。
こいつの物理&全属性最強シールドは、俺が破壊しちまった中途半端な“王都民結界”なんかの比じゃない。
同時に広範な催眠波を発して、俺が王城を破壊したり、シェスタ王家を家臣や近衛騎士団の精鋭中枢ごと滅ぼしたり、シンディを攫って行ったり、対外的にバレると内政と外交に致命的なダメージがある事柄は皆んな無かったことにした。
メシアーズの記憶操作技術に隙は無く、何が起こったか、何が進行中なのか、渦中にある者以外に都合の悪い事実は全て巧妙に、かつ徹底的に、隠蔽された。
先んじてネメシスの遣り方を模倣した俺が、後腐れねえように王都の隅々まで自動捏造系の疎外で記憶改竄を施行しちゃあいたが、念には念を入れてだ。
ドロシー達3人を探しあぐねた俺は、サー・ヘドロック・セルダンが生み出した有機質サイボーグ、ワルキューレ別働隊たる高性能ホムンクルス達の“夜の眷属”チームを率いた最強の吸血妖姫、カミーラが持つと言う、“ハーミットの水晶”に望みを託していた。
“ハーミットの水晶”を原理的に進化させた……手に収まる範疇は現象も過去も全てを暴くハイパー版フリズスキャルブは、今俺達と共に在る。
だがパラレル・ワールドを漂流する俺達は、未だ元の世界への還り方が分からないでいる。
「んで、この俺様がなんであんたの人生相談に付き合わなきゃならねえんだ?」
「俺が血も涙も無い狂った殺人マシーンだって分かってるよな?」
「墳墓荒らしは仮の姿……俺たちゃあゲハイム・マインこと、泣く子も黙る超絶殺人鬼集団の犯罪結社、デビルズ・ダークだぜ」
なんだか厨二病っぽい脅しで端から見りゃあ滑稽で間抜けかもしれねえが、釘だけは刺しておかねえとな。
理想的な迄に充分不機嫌な声を出したから、本気モードじゃねえにしろ俺がイラついてるのは伝わった筈だ。
筈だよな?
大体ちっとは薄気味悪がってくれて良いんだぜ……少し前迄はオシッコちびる程怯えてたってのに。
「私は不誠実な女なんです……ユッスーフ・サラディンを愛しているのに、他の男達とのザーメン酔いが忘れられない」
「子宮をしゃぶられて下腹部がだるくなるような感覚が忘れられないんです、それも同時に見知らぬ男達、何人にも犯されて、熱くてドロドロの精液に膣内と肛門を同時に汚されるのが死ぬほど気持ち良くて……駄目だ駄目だと思いながら、止められなくて」
「ウンム蜜蜂の教義にも違背していますし」
「良い歳をした大人が本能丸出しの交尾を好むなんて知られたくなくて、流石にパーティのメンバーには秘密にしていますが………」
「先祖代々、呪われた血筋なんです!」
……カマトト振るなとは言わねえが、ここ迄明け透けだと却って身近な既視感があるな。うちの連中、関与してねえよな?
「人の話聴いてるか?」
「だってカミーラ様が、“凶相のソラン”はその気味悪い人相とは裏腹に、本当に困っている女には救いの手を差し伸べてくださるっておっしゃいました」
矢っ張りかあ!
何吹き込んでくれてるんだっ、あの変態ババア。
「そりゃあ、お前の呪いじゃなくて、単純にお前が輪姦陵辱好きの不道徳駄目女ってだけだ」
「不埒で無節操で、見境無い煩悩の為せる業で、間違っても呪いのせいじゃねえ」
思ってもいなかったって、鳩が豆鉄砲喰らったような顔してんじゃねえよ。ほんと、女って奴はいつでも何処でも自分に都合の良い解釈をしたがる生き物だ。
もっと相応の分別があってもいい年頃なのに、調子狂うぜ。
元々、“アラジンの魔法のランプ”を追って現役の墳墓荒らしの実態を観察するために接近したパーティだったから、あのまま打ち捨ててくれば良かったんだ。
それが、肝心の獲物が煙のように消えていて肩透かしを喰った。
“可哀想だから連れて行ってあげれば”、なんてシンディが言うもんだから、つい絆されちまった。
嘗ての仲間の敵討ちの為に“アラジン霊廟神殿”を目指したのは、彼等に語られる迄もなく知っている。
昔、冒険者ギルドで駆け出しだった頃、そんなパーティを良く見掛けた。失った仲間のことが古傷となってジクジクと痛み出すと、生き残った者同士で傷を舐め合う。
感傷に浸ってる間に冒険者はすぐに死んじまうと、そんな甘っちょろい坊ややお嬢ちゃんに冒険者を名乗る資格は無いと、誰とはなしに大抵の奴等が言う。
確かに女々しくて気持ち悪いが斯く言う俺だって、俺のチームの誰かが欠けたりしたら、一生喪に服せる自信がある。
……けれどな所詮俺達はどいつもこいつも一皮剥けば、血に飢えた戦闘狂か餓狼みてえなもんだ。実際のところ、下手げに同情や親切心を起こした日にゃあ、碌なこたあねえ。
よしゃあ良いのに、袖触れ合うも多少の縁と思って滞在を許してみれば、この為体だ。
中にゃあ粗食の癖に尿酸値過多の奴とかいて、体質改善の有酸素トレーニングと食生活の保健指導をしたりと、親切にも馬鹿々々しい面倒を見ている。滞在中に未知のウィルスとかばら撒かれたらかなわないから、混合ワクチンとは名ばかりの(嘘も方便だろ?)抗体ナノマシン100パーセントの攻撃性免疫タイプCで予防摂取した。
ものの次いでとレベル3の健康診断したら、見て呉れのガタイは丈夫なのに随分と不健康な奴等だった。
あの熱砂の過酷な環境で生き残れてるのが不思議なくれえだ。
放っても置けないので虫歯の治療や整体までしちまった。
ド素人の割礼が下手糞だったとか、盲腸の術後処理が信じられない程稚拙だったとか、嫌湿性乾燥マラリアの後遺症があったりと、遣れば遣る程切りがねえ。
手加減はしたが、長いか短いかは知らねえがこいつらがこの先の生涯、病気で死ぬことだけは無くなった。肉体的には状態異常に対する抵抗力が半端なくなってる。
艦内の俺達はほぼ素の状態だから、膨大な魔力や生命力に幾ら頑健で強靭とは言え通常の人間は耐えられない。彼女等を守る為に80パーセントのオーラ光をカットする防護眼鏡を貸し与えた。
真面に顔を見て会話が成立するのは喜ばしいことかも知れねえが、だからってなんでセックス・カウンセラーよろしく、夜のお悩み相談を聴かなくちゃならねえ?
第一、怪しげなメンタル・セラピストみたいに我慢強くもねえし、親切に寄り添える程お人好しでもねえ。ましてや代々引き継がれた結婚相手が早世するチンケな呪いなんて、余程ご先祖様が何かやらかしたにちげえねえから、恨むんならご先祖様を恨むことだ。
「でっ、でもですね……私が一人の男と添い遂げられないのは、呪いのせいですよね?」
「もしかしてですが、呪いが無ければひょっとして私の放蕩三昧も必要なくなりますよね?」
あぁ、はいはい、どうしても呪いの所為にしたい訳ね。
単純に身体の疼きを我慢すればいいだけじゃねえの?
解いたら解いたで辛抱出来ずに浮気に趨るタイプと見たね……間違っても理想の人妻なんてものにゃあなれねえし、敬虔な回々教徒が聞いて呆れる。姦淫の罪で首刎ねられても知らんぞ。
そもそもこんなしょぼい呪いが現地の解呪屋に解けなかったってのも納得いかねえ。
「仕方ねえ、少し見せてみろ」
「は、はいっ」
…………。
「脱がなくていいから」
何を勘違いするのか、ダリラは着ている装束の前をはだけ出した。
医者の前でも伴侶の付き添いが要る、もしくは手間隙掛けて同性の医者を探すサラセン人の女とも思えねえ。
「すっ、すっ、すいませんっ、素肌を人前で晒す爽快な解放感を覚えると、つい脱ぐのに躊躇いが無くなって仕舞って」
恥ずかしそうに身を縮めるパーティリーダーは、己れの勘違いを恥じて真っ赤になったが、決して自分に露出癖がある訳ではないと諄々説明し出した。
なんだかうちの連中とベリーダンス大会とかやってたようだが、ネメシスが場末のストリップ劇場のBGM……“オリーブの首飾り”だったか、を掛け出した辺りからストリップショーに転じてた。
一緒に行動するようになってから、うちのメンバーに感化されたのか、既に黒いチャドルは取り去ってその下の革製の胴鎧姿だった。
ウエストニッパーのようにフックで留め上げるタイプだ。
どう言う心境の変化か、二カーブやマスクをやめてヒジャブの襟巻きで頭髪をくるんでこそいるが、素顔を晒している。
矛盾してるかもしれねえが、そっち方面の辛抱が利かねえのが不思議なくれえの意思の強そうな眉毛をしてる、真実一路って雰囲気が印象的な美人だ。
死ん仕舞ったクセルクセルって奴が一目惚れしたってのも、分かるような気がする。
“アラジンの魔法のランプ”の行方を追う為に、ハイパー・フリズスキャルブの更なる精度アップに腐心した。
ネメシスが現場をサイコメトリーで過去視した結果、シィエラザードと言う少しばかり特異な一族があることを知った。
およそありとあらゆる事象を暴き出すことが可能な、ハイパー・フリズスキャルブの無限拡張型万能ネットワークから遁れる者が居たと言うことに驚きがあった。
だが同時に、新たな可能性との邂逅に俄然興味が湧いてきた。
不思議なことにシィエラザードの血族については、フリズスキャルブでその概要さえ情報を入手し得なかったのだ。
俺達の陣営は躍起になって、ベナレスとメシアーズの融合と進化を加速させて行った。
斯くして魔法のランプの現在の場所を探り当てた俺達は、一路ベース型移動巨艦、“白抹香巨鯨13号”でダマーヴァンド山と言う活火山を目指していた。
……まあ、“あばずれダリラ”って言う余分なおまけ付きを載せたが為に、しなくてもいい身の下相談に乗ってる訳だが。
ダリラの額に人差し指を当てると、本人の遺伝子に刻まれた過去世を遡っていく。本人さえ知らない、遥か以前の出来事と因縁の記憶がどんどん、どんどん、走馬灯か壊れて仕舞った活動写真のようにパラパラと捲れて、過ぎ去っていく。
やがて辿り着いたのはダリラから十四代前、丁度290年程前のウルーミエ海にあるエクバタナ群島……別名、暗黒諸島と呼ばれていた場所だった。
今在るフーゼスタン地方からも、遥か南の島だった。
どうやらエシュムナザルと言う島の沿岸部に築かれた、デリヤバールと言う王国の宮殿のようだった。
南の島独特のきつい陽射しが室内まで遠慮なく入り込み、一体どこが“暗黒諸島”なんだって文句を言ってやりたかったが、こいつはどうも海流の関係か、浅瀬を見落とす外国船がよく座礁することから付いた名前らしい。
王の居室らしい場所に、寝椅子に横たわる白髯の美丈夫が居た。
日中の午睡の時間か、半裸のような格好の侍女が枕元と足元に腰掛けて扇を使い、風を送っていた。
時折舞い込む小さな羽虫を追い払ってもいるようだ。
王が眠っていると油断したか、二人の侍女に小声の会話があった。
「ねえ、お妃様がこんなに素敵で魅力的な王様をお愛しにならないのは何故かしら?」
「そうねえ、私には分からないけれど、どうしてお妃様は毎晩外出なされて王様を放って置かれるのかしら……ひょっとして王様はお気付きじゃないのかも」
「そりゃあそうよ、お妃様は毎晩と言って良いほど王様の寝酒に何か草の汁を入れておられるし、朝に寝室に戻られてから王様の鼻先に何やら香料の瓶を嗅がせて目覚めさせておられるんだもの」
ああ、十中八九またもや人妻の不倫話か……つくづく世に浮気の種は尽きまじって思うよな。
やがて王の寝覚めで侍女達は下がり、独り憮然と考え込む素振りの壮年の王の姿があった。狸寝入りをしていた王が侍女の会話を聴いたのは分かっていたから、おそらく今晩にでも動きがあるだろう。
夕方の水浴から戻ったのであろう妃が姿を見せて、間違いなくこいつが“呪い”の大元を受けて仕舞った張本人だと知れた。
既に子を儲けているらしいのに若々しい容貌が、今のダリラに生き写しだったからだ……してみると、ダリラの先祖は王族だった訳か。
随分と落魄れたもんだ。
夜になり王と妃が寝室に引き上げると、妃は王の酒盃に薬を盛り、王は妃の目を盗んで寝台の横にあった紅桐草の鉢植えに酒杯の中身を捨てたのが見て取れた。
やがて夜中に床から起き上がった妃は、王の寝息を伺い、寝具から滑り出ると身繕いを始めた。
「ぐっすりお眠りあそばせ、もう朝までお目覚めになることは出来ませんことよ」
そう囁いて、夫婦の寝室を出て足早に王宮の中を何処へともなく去って行った。気配を消した王が跡を付けていたが、気が急いているのか妻の方は一度も後ろを振り向くことは無かった。
王宮の西の外れから裏庭に出ると、片隅に小さく造られた先祖の霊を祀る霊廟神殿がある。
妃は胡乱なことに、霊廟の扉を開けて、手燭を手に地下へと降りて行った。男との逢瀬には相応しからぬ場所だ。
神聖なる墓所の漏れ出る明かりを頼りに伴侶の筈である王が隙間より中を窺えば、既に自分の妻が裸になって誰かに跨がり、夢中に腰を振っている最中であった。
聞くに耐えない卑猥な言葉を口走り、燭台の灯りだけで王には良く見えなかったかもしれないが、あろうことか白目を剥くまでに興奮しているらしかった。
どう見てもイカれた快感に昂っている。
生臭い媾いの性臭が充満する中、何か臭うなと思ったら、どうやら妃は連続する絶頂に逝きながら小水を粗相しているようだ。
不貞の現場を目撃した王は頭に血が上ったか、部屋に踏み込み間男を手討ちにしようとして愕然となった。
それは傷付き弱ってはいたが、黒い肌と角を持つ魔族か悪魔のような怪物だったからだ。
古来、通常忌み嫌われる家畜や魔物との交わりで、異端の背徳に興奮する気性の女は存在した……悪魔信仰の魔女の集会、サバトでは悪魔との性交でトランス状態になる。だが、自分の妻がそんな畜生の性癖に取り憑かれているとは、今の今迄知らなかった王だった。
妃を捕らえて連れ帰り、夜明けと共に宮廷に使える退魔師に命じ、悪魔祓いの儀式で霊廟を燃やし尽くした。
同時に妃と妃の産んだ幼子を詰って、無一文で放逐した。
宮廷の呪術師団を集め、もう自分の血筋かも疑わしいとしてまだ二歳にも満たぬ女児であったが、子には子々孫々まで家庭を築けぬよう伴侶が早世する呪いを、妃には一度でも劣情すれば驢馬に変身して仕舞う呪いを掛けさせた。
案の定、ひと月も経たぬ内に元妃は驢馬になっていた。
騾馬の寿命がどれ程かは知らぬが、これでは子育ては出来まい。
きっとこの女の児がダリラのご先祖様になるんだろうから、野垂れ死にさせる訳にはいかねえ。
後先考えず男共と馬鹿遣ってる間は放ったらかしで栄養失調になり掛かっていた娘を大急ぎで保護して、治癒魔術で健常体に戻した。
然るべき裕福で子煩悩な家庭を見繕って、命に変えても守り育てよと洗脳して託した。
驢馬になった元妃は、人手に渡り、日々荷馬として過酷な労働に耐えていた。夜は小屋に繋がれる。
「額に汗して働く気分はどんなもんだ……一時の情欲さえ我慢出来なかった成れの果てとは言え、惨めなもんだな」
「淫欲の塊であったお前には人間であった頃の毎日の情交が忘れられまい、あまりのご無沙汰に男日照りは寂しかろうと、日中の労役に報いる褒美を持ってきた」
いきなり登場し話し掛ける俺に戸惑うも、驢馬の身なれば元妃は返答も出来ぬ。
「しっかし、ここは蠅が多いな、臭えし……まあ、いいや、お前が心の底から望んだ動物との行為の為に用意した、精力旺盛な若い悍馬だ……気が荒過ぎて種牡馬には慣れなかったが、今のお前には丁度お似合いだろう」
「特別にあそこがデケえんだ」
月明かり、星明かりが照らす黒い影に、限界まで興奮仕切り、聳り立つ真っ黒いものが垣間見えた。
後ろに引いてきた雄々しい馬体にパンパンに隆起した逸物を目にした驢馬は、これから何をされるのか悟ったように必死で暴れ出した。
飼い主が起きないように、家畜小屋には静音結界を張った。
「遠慮すんなよ、お前の雌の性器にはちっとばかりサイズが合わねえが、なあに、続けていれば苦痛も快楽に変わるかもしれねえぜ」
「これから毎晩、相手をさせてやるからせいぜい楽しんでくれ」
メリメリとめり込むペニスに、驢馬の断末魔が響き渡る。
驢馬の死相って分かりづれえな。
泡吹くんじゃねえよ、汚ねえな。臭いし。
「無惨で刺激的なアヴァンチュールが幾夜も続く、寧ろ感謝して欲しいぐれえだ」
「女冥利に尽きるってもんだろ、もっとこう、歓喜の涙に咽び泣いて呉れていいんだぜ……聞こえてねえか?」
一遍や一日で死なれちゃ、折角の褒美が無駄になる。
虫の息の驢馬に適度な癒しの加護を掛けて、なるべく地獄の苦痛が長引くように調節した……まあ、そう長くは生きられまいが。
「きっとお前は己れの快楽の為には、腹を痛めた子供ですら平気で捨てる……俺はそれが気に入らねえ」
「お前の罪はお前自身が償うべきだ、今から十四代目の子孫で子に掛けられた呪いは解ける、その分お前に受けて貰う罰がこれだ」
「精々己れの所業を悔いることだ」
そう言い置いて、呪いの元凶となった元妃の許を後にした。
「と言う訳で呪いは解いた」
過去に遡って呪いの元凶に一手間加えた解呪の顛末を、一通り掻い摘んでダリラに説明した。
「肉欲に溺れるのもひとつの人生かもしれねえ、だが魔物と交わって迄も得たいとした歪んだ快楽が真面かどうか、よくよく考えてみることだ……お前の中に先祖から引き継いだ淫蕩な血が、今も宿っているのかもしれねえぜ」
「いつ死ぬか分からねえ墳墓荒らし稼業で刹那的な生き方になるのも分かる……けどな、子を為すだけが女の人生とは言わねえが、もしお前が子供を産むことがあったら、快楽の為には子供を売ったかもしれねえ醜い女が居たことを思い出して呉れ」
殊勝にも項垂れるダリラは、長年悩んだ憑き物がやっと取れたとは到底思えねえ暗い顔で、身じろぎも出来ずにいた。
狭量と嗤わば嗤え……俺を捨てたお袋がそんな奴だったから、母親でいるよりも快楽を選ぶ女には人一倍嫌悪感がある。
「“凶相のソラン”ってかっこ佳い呼び名ですよね」
「……俺はあまり気に入ってねえんだがな」
ユッスーフの世辞に憮然となるも、あまり邪険にすればこれからの聞き取りに支障が出る。
仕方なく、当たり障り無くお茶を濁した。
……蟣蝨は肉体改造中で留守番だったが、パルティア州の一番大きな州都、タフテ・ジャムシードにチームのメンバーで大挙して、“墳墓荒らし互助協会”の登録をしに行った時のことだ。
首都本部の公衆浴場、ギャルマーべはそこそこの大きさだったが、そこの一室でフィジカルや魔力の身体測定を適当に超手抜きで済ませた後(エレアノールなんか係りのスタッフを魅了眼で誑し込んでズルしてやがった)、登録申請の書類手続きを面倒とネメシスとカミーラに任せたのが間違いの元だった。
登録者の任意だが、ほぼ慣例となってる申請時の二つ名の登録があって、記入用紙に墳墓荒らしとしての活動ネームの申請欄があるのを俺は知らなかった。
ネメシスとカミーラが面白半分に皆んなの分を提出して仕舞ったので、互助協会員カードが発行されては後の祭りだった。
怒り心頭の俺は時を巻き戻して遣り直そうかとも思ったが、仮初の身分と思い、我慢することにした。
斯くして俺は渋々とだが、墳墓荒らしとしては“凶相のソラン”を名乗ることになった。
因みに、アザレアさんは“処刑修道女アザレア”、シンディが“八つ裂き狂犬シンディ”、ビヨンド教官が“病めるシャムシールのスザンナ”だったか……後はエレアノールが“巨乳ハンター・エレアノール”、アンネハイネが最も酷くて“荒ぶる紅蓮の処女膜、アンネハイネ”(本人は本気で涙目だったが)、華陽が一番無難で“耳年増のカヨウ”になった。
全員、内心では腹腑煮え繰り返って居たが、ネメシスとカミーラの暴虐振りには逆らえない。
ご愁傷様だ。
「シィエラザード?」
「……あんまり知ってることは、多く無いですね」
ブランチには早い時間だったが、喰い意地の張ったこいつを懐柔するにはまず餌で釣るって安易な作戦が功を奏していた。
長耳族のあまり信心深く無いユッスーフ・サラディンは、これでも700年は生きてるらしいから、それなりに情報量は豊富だ。
ちょいと背が低く幼く見えるが、艶やかなブロンドヘアに澄んだ青い目、透き通るような白い肌は、長年に渡り墳墓荒らしを稼業にしてるにしてはちっとも傷んだところが見受けられねえ。
これも種族の特性って奴だろうか?
貸し与えたオーラカットの保護眼鏡も似合ってないこともねえ。
「報酬を糧に、各地の有力な為政者や各宗教派閥の最高指導者に仕える有能な政府機関の顧問役というか、その実態は影から行政を動かす職能集団が隆盛を誇ったって話は残っています……ただ、今はそれ程噂は聞きませんね」
「それより、ここのご飯もほんと美味しいですね……生のお魚なんて、あたし700年も生きてるのに初めて食べましたよ」
酒を飲まないウンム蜜蜂学派に属してるが、亜人種故ハラルに縛られてないこいつは、なんでもよく喰った。
連れ回してる内に俺達の食事を物欲しそうに見てるので餌付けしたら、すっかり虜になって、カツ丼一杯で親兄弟でも売りそうだ。
あまりにもチョロ過ぎるんで、ちょっとダリラ達の他のパーティメンバーが気の毒に思えてくるぜ。
モビーディックのメインダイニングで雲丹、鮭卵てんこ盛りの海鮮丼に貝の刺身盛り合わせ、文蛤の吸い物、蓴菜と鱧と松茸の土瓶蒸しなんかで釣って、知ってることをゲロさせてるところだ。
「だけど古参の墳墓荒らし……あたし達みたいな長耳族や短躯族、グラスランナーやハーフリングのような長命な種族には、別の違った言い伝えもあるんですよ」
「この世はひとつの物語で、彼女達は……あぁ、表舞台に出てくるシィエラザード一族は大概が女性なんですけど、彼女達は物語の外側に位置してるって言うんですけど……良く分からないですよね?」
世界を外側から俯瞰する存在……その辺にヒントがありそうだ。
「……あれ、何話してましたっけ?」
「海鮮丼のネタは本鮪の大トロは外せないって話でしたっけ?」
(ん……何か感じたか、ネメシス?)
不自然なまでに、唐突に会話が打ち消された。
(いや、魔導の揺らぎは何も無かった……世界に対して何らかの呪術が掛かっているのか、この小娘が突発性健忘症なのか、おそらくどちらかじゃろう)
「いや、俺は縞鯵の方が好きだけどな」
シィエラザードの話題が出ると自動的に発生する認識の希薄化、とでも言ったような呪が掛けられている。
何処にと言うと、おそらく全世界全般にだ……凄いな。
これが為、シィエラザードに関する確たる情報が得られないのだとしたら、シィエラザードこそがこの世界の大いなる秘密そのものと言ってもいいだろう。
その後、シィエラザードに関する有益な情報はユッスーフから得ることは出来なかった……記憶野を探ってみても、ノイズが掛かったようになっている。
自分に何が起こったのか理解しないまま、ユッスーフは最近の好物のクリーム餡蜜と昆布茶のデザートの後、スキップする程(実際にはしなかったが)満足して引き揚げて行った。
自分の愛人が何をしてるのか幾らなんでも知らない筈はないので、去り際の彼女に、身体の関係があるデリラが他の見知らぬ男達と変態的な刺激を求めて遊びのセックスをしてるのは嫌じゃないのか、遠回しに尋ねてみた。
……長命種が人族と恋愛関係にあるとき、大抵と言うか、ほぼ相手の方が先に寿命が尽きる。
だから長耳族の場合は相手に対して執着しない。
例え夫婦に近い関係であっても、自分と寝屋を共にしてる時以外は何処で誰と何をしようと、それは相手の自由だと。
残念だが、自分は恥ずかしがり屋で一対一じゃないと出来ないし、幾らデリラに誘われても女性しか愛せないから、呪いのことは知っていたが男女入り乱れての混合乱交、ガンジャをキメながらの初対面の女の子とのレズあり複数姦、相互鑑賞での見られックスやボディシェアと言うかラブシェアなんかとても無理だったと。
無作為に身体の関係だけに爛れるぐらいなら、夫婦として愛し合う時間が減っても仕方ないと。
殊勝な心構えかと感心する一方、些か淡白な対応と首を捻りたくなるのは俺の一方的な僻目だろうか?
相手が貞操を裏切るのは別に構わないが、自分はその他大勢との連続逝きでおかしくなる程に快楽を貪るのは性に合わない。
干渉しない、好きにしろ……寿命の違いとは言え、相手に対して深入りし過ぎない、そんなドライな考え方と感じ方が薄情過ぎて、彼女を裏切ってる筈のダリラに対してほんの少し同情した程だ。
「それでもダリラの呪いが解けたのはあたしも嬉しい、ダリラがあたしとだけで満足してくれるかはこれからの話だけど、あたしからもお礼を言わせて欲しい」
「本当に有難う」
最後にユッスーフは、そう言い置いた。
シィエラザード、もしくはシェヘラザード……言わずと知れた“アルフ・ライラ・ワ・ライラ”、千夜一夜物語の語り手だ。
確か、ササーン朝ペルシャにシャフリヤールという王が居て、妻の不貞を知った王は妻と相手の黒人奴隷達の首を刎ねて殺した。それで済めば良かったが、女性不信となった王はそれから街の生娘を宮殿に呼び、一夜を過ごしては翌朝にはその首を刎ねると言う実に惨い所業を繰り返した。
こうして街から次々と若い女が居なくなっていった。
王の側近の大臣は困り果てたが、その大臣の娘シィエラザードが名乗り出て、非道を正し、傍若無人な八つ当たりを止める為と王の元に嫁ぎ、妻となった。
明日をも知れぬ中、シィエラザードは命掛けで、毎夜、王に興味深い物語を語る。話が佳境に入った所で、“続きはまた明日”そして“明日はもっと面白い”、と話を打ち切る。
王は話の続きが聞きたくてシィエラザードを生かし続けて1000夜を明かし、遂にシィエラザードは王の悪習を止めさせる。
もし、もしもだがこの世界そのものがシィエラザードの紡ぎ出す物語そのものだとしたら、荒唐無稽な可能性だが、世の中を外側から見て世の中そのものに干渉出来る神の如き存在と言うことになる。
物語の語り手として、世の因果律の外側に位置している……と言うのも頷ける。
太古の昔より連綿と引き継がれている血族に、不老不死の頭目が居るのだろうか?
いや、違うな……一族の惣領とでも言う者に前世の記憶が引き継がれていく……多分、そんなシステムだ。でなければ分家というか亜流の家が増えていく説明が付かねえ。
それとも生体的不死人は本家の元祖が一人なのだろうか?
或いはどんどん不死人が増えて行って、傍流が幾つも出来た……その可能性は低そうだが、いずれも想像の域を出ない。
「どう、思う?」
残ったネメシスが渋茶を啜ってるのに、問い掛ける。
「ウンム蜜蜂学派には、女同士で愛し合う28手の秘技があるそうじゃ……経験上、性的満足に多数で行う乱交を好むか、女同士の途切れぬ深いオルガスムスを好むかは当人の資質に依る」
「まあ、大丈夫じゃろ」
「そっちじゃねえよっ!」
「分かっておるは、馬鹿者……果報は寝て待てとは言わぬが、我等がハイパー・フリズスキャルブをもそっと信じよ、シィエラザードの秘密、間も無く全てとは言わぬが輪郭ほどは見えてこよう」
「懐柔するか敵対するかは、直接対峙してみなければ分からぬが、これ程の力の持ち主……その目的も含め、デビルズ・ダークが奪わずにおれようものか」
「それより、そろそろじゃろ」
「例の四色神器のひとつ、“鉛白のバルバット”が隠されていると言う地下大墳墓、ソロモン王のダンジョン“パサルガダエ”が」
非常呼集や作戦行動中以外、そして非番の当直外に何も訓練が無ければ、自室でビデオ・フォーンの会話が許されています。
残してきた青青と兄夫婦が移り住んだ村は、今厳冬の真っ只中のようでした。何か防寒着を購いたいのですが、皮肉にも砂漠だらけのこの星で極冠に人は住みませんから、何処をどう探しても綿入りのキルティング・コートやレッサー・マンモスの毛皮などは売っていないのでした。
ただ手に入れても、今は送る方法がありません。
マクシミリアン式パルス通信は、見事にパラレル・ワールド間次元通信を可能にしたけれど、次元間の物質転送技術はまだまだこれからのレベルと言うことで、刺し子半纏どころかメシアーズ・テクノロジーの多機能クリーン暖房器具すら送れないでいます。
「青青は寒くないアルか?」
(うん、平気アル……貰ってた仮想オイル・ヒーターや、スクランブル遠赤外線装置でお家の中はあったかだし、お外に出る時もウェアラブル懐炉があるから、どんな吹雪の日でもへっちゃらアル)
ほっぺが赤くて、すっかり雪国の子供になって仕舞った青青は、変わらず元気そうでした。
くうううぅっ、青青、マジ天使……眼の中どころか、鼻の穴にも耳の穴にも入れたい可愛い姪っ子の笑顔でご飯3杯はいけます。
取り乱して頭の可笑しい叔母さんと思われないよう、気を緩めてはなりません。キリッとです、キリッと!
「それは良かたアル……ケータリング・ダムウェーターはちゃんと食事を送り続けてるアルか?」
(ああ、今迄と変わりなく注文した喰いもんが届くアル)
(それよりそっちはどうなんだ、聞くと砂漠地帯ばっかりで、盗賊とか、魔物とか、危険なことは無いアルか?)
「哥哥、こっちのことは心配しなくても大丈夫アル……厳しい鍛錬に比べれば、斬った張ったはお手の物アル」
「何しろ、あたしらの方が逆に強奪し捲る犯罪結社アル、場合に依っては敵も大勢殺すし、華陽も大抵の相手には負けないアル」
「……ああ、青青、遣っ付けるのは悪い人達だけだからね」
一家の安寧を守る為、“華胥”老官台の衛星軌道に無補給で稼働する永久スタンドアローン型の守護システムを残して貰いました。
世界線を渡ったので巨大母艦“バッドエンド・フォエバー”のセントラルキッチンが使えなくなりました。代替として一家の様子を遥か上空で見守る静止型監視攻撃衛星に、簡易版ですけれど凝縮設計のフル駆動型擬似セントラルキッチン機能の全自動ユニットを増設して頂いたのです。
有機質生成工場も併設されています……今、青青の家に届く便利な出前は無人の人工衛星からのものでした。
一頻り近況報告をし合っていると、つい夢中になってあっという間に時間が過ぎて仕舞います。
除雪はナノマシーンで構築された作業ロボット達が遣るので、青青一家は冬の間は蔓で篭を編んだり、藁細工や編み物、繕いの縫い物をしたりして過ごすんだそうです。
「そろそろ行くね、次の大きな作戦行動が始まるアル」
後ろ髪を引かれる想いで通信をログアウトし、あらかじめ装備点検を済ませた薄手の万能背嚢と突撃銃を掴んで、モビーディック13号に与えられた自室を慌てて後にしました。
各自が何等かのストレージ機能や瞬間格納技術を持っているので、いつ如何なる時にでも対応出来る装備は持ち歩いてますが、第一軍需仕様の硬質樹脂製のバックパックは万が一それらが使えなくなった事態を想定しての緊急用です。
謂わば外付けアウトソースのイベントリ、高機能アイテムボックスとでも言うものでした。
規格化されていて内容も一律、中身の点検手順も決められてます。
一方、ダンジョン攻略用に今回チョイスされた強襲小銃は、取り回しが良いよう銃身も短く、銃床も肩当てが自動でフィットする伸縮式でコンパクトに纏められた仕様です。
前もって手に馴染むようミリタリー演習場で何回か、迷路突入の実弾演習を遣ってみました。
急いで出撃フロアに移動すると、既にウォームアップを済ませたメンバー僚機のコマンド・グラスホッパーと、一個小隊のバックアップ制圧チームのグラスホッパーがハンガーアウトするところでした。
各種の補充ケーブルが幾重にも重なって、絡まらないよう機能的に巻き取られ、収納されて行きます。
グラスホッパー――新しく造られた、砂漠行動用の反重力ホバリング機能を強化した多脚装甲戦闘車両です。
ベース型移動巨艦、モビーディック13号と同じようにベッセンベニカ鋼材で建造され、ローター・ムーブメントと言う永久機関でエネルギーを補充します。
グラスホッパーとは名ばかり、昆虫の螇蚸とは似ても似つかない5本足の首無し駝鳥のようなフォルムですが。
「おっそーい、ウンコでもしてたのかっ、アイドリングしといたからちゃっちゃと離陸前点検終わらせろっ!」
いつものようにシンディ指導教官からは、冷気が籠ったようなお叱りが重低音で降り注ぎます。
必死でぺこぺこ謝って、最速で駆動系と計器類、神経インターフェースに異常が無いかの確認を済ませると、間を置かずに盟主からの出撃命令が下りました。
愈々こっちの世界に来てから初めての、フルメンバーでの大掛かりな作戦状況――“ソロモン王のダンジョン”攻略が始まります。
ただし、今回の実動部隊と言うか攻撃担当の前衛は、エレアノール先達たった独りと決められていました。
“アラジンの魔法のランプ”を求めて移動する航行コースの途中、近くを通るというので少しばかり寄り道をすることに決まりました。
キルデール首長国のダンジョン特別指定区にあるパサルガダエを占領することになったのです。
地名の基にもなっている地下大墳墓が、ここにあるからです。
世界でも有数の大きさを誇り、日に多くの墳墓荒らし達が訪れる大きなダンジョンは、一日に2、3000人は潜っているとの噂でもっぱらの盛況振りです。
活気に満ちている“ソロモン王のダンジョン”、パサルガダエは丁度朝の礼拝を済ませた墳墓荒らし達がぞろぞろと、上から俯瞰すればまるで蟻の行列を思わせるように墳墓の入り口を目指していました。
未だ誰も最下層に到達していない地下大墳墓は、聴いた処に依れば23階層までしか開拓されていないながら、魔物出現率や討伐時の副産物であるドロップ率も他と比べて格段らしく、墳墓荒らし達に取って好い稼ぎ場所になってるらしいのです。
そんな背景でダンジョンを中心に発展して、やがて都が形成されたのが、ここパサルガダエでした。
遠くから豊富な水量の地下水路が敷かれ、スークと呼ばれる市場も活況で異国からの布地や金細工も店頭を賑わせていました。回々教徒のモスクだけでも東西南北に四寺院もある程です。
空から降り立つグラスホッパーで、ダンジョン地上部を占拠。
パニック一歩手前に騒ぎ出す墳墓荒らし達を武力で威嚇し、バックアップ部隊の機動歩兵達が、パサルガダエ地下大墳墓の入り口を封鎖しました。
「諸君らに遺恨は無い、我等は此処、“ソロモン王のダンジョン”最深部に眠ると言う“鉛白のバルバット”を確保したい」
「我等のダンジョン攻略は少々手荒だ、諸君らが一緒に潜っていれば、とばっちりを喰って犠牲者が出ぬとも限らない……今日一日は、このダンジョンは我等の貸し切りとさせて頂く」
ビヨンド教官が拡声器を使って、こちらの意向を手短に伝えるも、取り巻く地元の墳墓荒らし達は、最初はなんのことか分からずに呆然としていました。
それはそうでしょう、唐突に出現した正体不明の侵略者みたいな連中は、アウェイどころの話ではありません。
しかし集団心理から、やがて不満や怒り、非難が広がっていくのを最前列の制圧班機動歩兵がパラライザーを斉射して黙らせます。
彼等、彼女等もそこは現役の墳墓荒らし……下手げに騒いでも自分達に益は無いと素早く判断し、気絶した仲間を引き摺って三々五々引き揚げて行きました。
「手筈通り、突入を開始する!」
散ったり、遠巻きにする地元の墳墓荒らし達を余所に、盟主の号令で隊列を整え地下へと降ります。
先頭はアーマー・タイプのボディにチェンジしているエレアノール先輩が、独り突出して進みます。
搭乗機は駆動系スリープのアクセサリー・モードで待機状態、置いては行きますが、遠隔操作で穴蔵だろうが何処だろうが周りを突き崩して無理矢理転移して来ることも可能ですし、緊急テレポート搭乗も問題ないです。
(今回、エレアノールの手腕を見る為に迂回路やショートカットは禁じられている……華陽、主と同じくエレアノールは此方が導師じゃった、無理を言って主と此方を二番手に付けて貰った)
(あらかじめの調査で、ダンジョン最下層の53層までの情報は得ておるから、今、エレアノールの頭の中には階層マップと共に、どの階層にどのような魔物が出現し、弱点は何かも含めてこれらが徹底的に叩き込まれておる)
二列縦隊の最前列にあたしと並んだカミーラ王母が、事前に知り得たブリーフィングでの説明以上のことを教えて呉れようとします。
(エレアノールは事前に最短ルートと各階層での攻略法を細部に至るまで組み上げておる、此方が一番弟子、エレアノールの闘い振りを聢とその目に焼き付けよ)
(分かたアル、勉強させて頂くアル)
おそらくエレアノール先達は、内蔵されている補助電子脳に今日の攻略シュミレーションを複合メモリーとして記憶している筈……順番に読み出して、事に当たると思われます。
前を行く先達の後ろ姿が落ち着いていて、覚悟を決めて事に及んでいるのが察せられました。いつもより凛々しく、頼もしい。
(上層階での此方らの役目は、中に残っている墳墓荒らし達を発見次第、地上に強制転送……エレアノールの餌食にならぬよう気を配ることじゃ)
進みながらカミーラ王母は、多分朝も暗いうちから出発したのであろう先行組と思われる墳墓荒らし達を次々と捕捉し、強制送還させていきます。
(愚図々々するな、間もなく魔物、妖異の出没が始まる地点じゃ、エレアノールの前方10キロまで扇型にサーチ範囲を広げよ、発見が遅れればエレアノールの犠牲になる者も出てこないとも限らん……ソランは有象無象に配慮無用と言い含めておる)
犠牲者を出さぬ役割を仰せつかっているあたしも、役目を果たさんと必死です。
今日潜ったパーティだけではなく、おそらく数日間に掛けて深いところ迄潜る遠征組、或いは獲物を多く狩る定点狩りを目的とした素材集めのパーティも既に中に滞在している筈だからです。
一般墳墓荒らしの発見が遅れれば、エレアノール先達の広範囲攻撃のとばっちりで無駄な犠牲が出て仕舞うのは必須です。
こちらも真剣にならざるを得ない。
上層階でのエレアノール先達は、ほぼ振動分解系の魔法と浸透系高圧電撃の無属性中級魔法を使ってました……複雑な迷路を迷わず駆け抜けて小鬼、犬鬼、大鬼、人狼、獣巨人、岩巨人、巨大蟻や巨大な毒蜘蛛、巨大蜥蜴、大きさの割に素早く動く巨大蜚蠊と殆ど問題なく討伐していきます。
迷い無く縦横無尽に疾走する先輩は、やがて面攻撃の他に透過音響系の振動魔術でコースから外れた遠隔のモンスター溜まりも確実に潰し始めました。
階層の魔物を大概掃討し尽くして、迷わず下へ下へと突き進む。盟主に近道は無しだと釘を刺されている故に、フロアに竪坑を穿つでもなく、唯々真っ当に攻略していくようです。
途中で気が付きましたが、ちょっとしたアクシデントやイレギュラーでも先輩は難無く対処して見せました。おそらく、事前のシュミレーションで捨ててもいいような起こり得る可能性の低いところ迄、何百何千と検証し尽くしてるのでしょう。
素直に凄いと思えました。
攻撃に特化した時のエレアノール先輩の凄味と言うか真っ直ぐな真剣味が、犇々と伝わってきます。初めて、この人に追い付きたいと言う狂おしくも真摯な想いが、先輩の背中を見ていて芽生えました。
中層階に行くに従って、水没した廃墟や植物が繁茂する荒れた庭園風だったり、カタコンベを模した剥き出しの骸骨だらけの墓所のようなステージとか特異な階層が増えていきます。
水中での推進は、浮遊と慣性を無効化する術式の高速飛翔の魔法と空間転移の応用で水圧と抵抗をゼロにして進みます。
攻撃方法は収斂音波系と腐食溶融系の合わせ技でした……水棲人や半漁人、セイレーン、蛸女、竜鰻鱺は問題無く葬って、獰猛な肉食魚系の小魚の群体などには即効性の神経毒を散布します。
事後に中和剤を撒いて無害化しておくのは、事前に取り決めた通り最後尾のアザレア大姐とアンネハイネ同志の役割になりました。
アンデッド系が大挙して湧いていたステージでは、浄化の聖属性魔法一択でしたが、彼女の濁りの無い光魔法は、日頃の言動からは想像も出来ない程真っ正直に潔癖で、迷いのないものでした。
屍食鬼が、デュラハンが、リッチが、ノーライフキングが、光の塵となって消えていきました。
カミーラ王母の直伝らしいのですが、瘴気にまみれた王母に教わったにしては、どうして彼女の神聖魔法がこんなに神々しいのかは甚だ不思議でした。
(今の時代、23階層までが最深到達地点と言うが、その下から最下層迄の各階層主がどんなものかは誰も知らず、我等は知りえたが、守られ眠るお宝が、実は“鉛白のバルバット”だと知る者は更に少ないようだ……なんでもリュートに似た現地の楽器、ウードを小振りにしたものだそうだが)
もう間もなく23階の階層主のエリアで、コカトリスの鋭い威嚇が聴こえてきます。
(楽器に憑依する妖霊大魔神を従えるには、胡弓の天界泰山府君符を操り、稀有なる音楽神“ハルモニア・ミューズ”をその身に宿すエレアノール先達が最適アルな)
(先輩のこの手の攻撃には、何物も敵わないアル!)
巨大なコカトリスは先輩の魔術反射で石化したところを、空間断裂魔法で止めを刺されました。
現地の墳墓荒らしは誰一人攻略出来ていなかったコカトリスは、あっさりと仕留められました。
(ドロップ品を持ってるようじゃ、胸の辺りを切り裂いてみよ)
(討伐部位の鶏冠と一緒に回収しておくがよい)
カミーラ大王母の言う通り、超電磁メスで切り裂いた巨体の半ば石化した脂肪の奥からレアメタルらしい腕輪が出てきました。鑑定スキルで見たところ、石化の術式を付与するものらしい。
ここから先は未踏破の階層……換金出来る手付かずのドロップ品や財宝、或いは竜種の魔物素材とかであれば高値で取引き出来る。
これは、またとない現地通貨獲得のチャンスでもあるので、取り零しの無いよう言い遣っています。
下層階、深層階になると、ダンジョン自体のギミックと言うかトラップも多くなる……階層自体の大掛かりな構造変化や、移動出現型転移トラップなどの一筋縄ではいかない罠が仕掛けられているのです。
情報共有は出来ているが、巻き込まれないよう感知のクロック数を上げていく。
28階に在った植物ステージでは、凄い勢いで見る間に繁殖していく熱帯雨林のような緑濃いジャングルに、空洞の中空に設けられた巨大な火の玉から仮初の陽光が降り注いでいました。
幻影の呪いが掛かっているのか、まるで地上のように明るい。
局地的にスコールが降り、大河が流れ、階層に跨がるすごい落差の滝と滝壺まであるようです。
無軌道に折り重なるように蔓延る植物の八割方は、トレントなどの魔物で、エレアノール先達は強力な腐敗魔法を展開して片っ端から遅滞なく、一切怯むことなく腐らせていきます。
……地下深いエリアでは空気の淀みが出来る。
メシアーズ・ベナレスの分析では、28階の植物ステージはダンジョン全体の空気浄化を担っているらしい……それを、ここ迄破壊し尽して大丈夫だったのだろうか?
余計な心配を余所にここの階層主だったドライアドは、エレアノール先輩の手に依って一瞬で氷漬けになり、下の階層への出入り口が開きました。
作戦行動中は簡単に“復帰湧き”――リポップしないよう、特に厳重に凍結してあります。
36層は天井が霞む程の巨大な薄明かりの洞窟で、あろうことか洞内に火山が噴煙を上げ、溶岩が流れ出る大地にはマンティコアやヒッポグリフのようなキメラ種が徘徊し、天空には飛竜や翼竜が悠然と飛び交っていました。
なかなかに悠揚迫らず、ここの魔物は風格を以ってゆっくりと地面を伸し歩き、空を行くものは王者の如く誇らしげに羽搏いています。
この時になって初めてエレアノール先輩は、獲物を傷めないよう狙撃用の光術を使いました。
視野に入ったターゲット総てを、一瞬でポイントしていきます。
一斉掃射で地上も空もポインティングされた獲物の眉間が細く撃ち抜かれました。重なるようにして空から墜落する飛翔型の魔物は、大きな地響きを立てて死骸を晒していきます。
ポイント、掃射。そしてまたポイント、掃射と繰り返して行けば、あっという間にストレージ回収が追い付かない、大量のドラゴン種乱獲状態になります。垂直に、或いは滑空して落ちてくる巨大な亡骸に飛び散り舞い上がる土砂を避けて物理フィールドを展開し、3Dファクター・サイトで視野を確保します。
偶々頭上に落ちてきた獲物の巨体をそのまま瞬間収納にして、思い付きました。
遠くに落下する拾得物は、途中から素早く牽引ビームで捕捉して、引き寄せざまに瞬間収納する……これでいけそうです!
慣れれば、この方法で素早く竜種もキメラ種も、高額素材を回収出来そうでした。特に竜種は骨も鱗も内臓も、防具や薬剤の原料として重宝がられているようです。
そして到達した迷宮主の階層を跋扈するのは、イフリートの百倍の火力を持つとされる巨大な火喰い鳥マーリドやアンカーやシムルグと言った猛禽類系のこれまた獰猛な霊鳥で、いずれも魔法耐性があったり魔術をレジストすることが出来る怪物でした。
他にも尋常じゃない大きさの女の上半身に蛇竜の下半身を持つ、ティアマトともエキドナとも思えるモンスターが長い長い身を拗らせていました……データが正しければ、全長7、8キロはあります。
眷属のように蝟集する巨大蛇ファラックを数十匹と従えています。
情報通り、目にする全てがいずれもボスレベルを超越した特異種、変異種ばかりのようでした。
こんなものが幾体も息衝いていれば、唯それだけで天地は鳴動し、大気は相剋、攪乱します。
だけど、戦闘ヘルメットを取り去り、短く刈り揃えたブロンズ色の髪を風に晒したエレアノール先達は、大規模魔術に伴うフレア光に包まれてセイクリッド・ライフドレインを最大広範囲に発動しました。
凄い勢いで、見えない巨大な魔法陣が幾重にも階層全体に広がっていきます。
抗う術も無く、攻略ダンジョンの最大勢力、最後の階層の守護者達は生命力をことごとく奪われて、虚しくも物言わぬ肉塊と化します。
……流石に全てのゲット品を素早く回収するには時間が掛かり、先を急ぐ為に人海戦術で後続メンバーが全員で当たりました。
ここに到達するまでおよそ4時間20分程を要しましたが、53階層……この最終フロアの地形の中央にある角錐陵墓状の墳丘神殿が最終到達地点でした。
工程の殆どを疾駆した先輩でしたが、各フロアのモンスターを細大漏らさず駆逐してきたから、この結果は無理からぬところでしょう。
核融合爆裂などの大規模魔術で蒸発させるか、換金目当ての討伐部位や素材確保が前提なら、流体生命の進化版として開発した全属性デバフに特化したデビル・スライムなどを大量に召喚して流し込み捕縛するか……確かに卑怯技は幾つかあります。
そうではなく、短絡的な技巧とは真反対の正統派の戦い方でした。
少なくとも、今のあたしには同じような成果は出せない。
墳丘神殿を少し登ると、中の墓所へと続く通路が下っていました。
ラストダンジョンの最終討伐を前にエレアノール先輩に毛程の油断もありませんが、その手には既に先輩に与えられた胡弓の天界泰山符が握られていました。
四つに分かれた玉皇頂符、天臨四神のひとつ、楽器を模した“音色の泰山府君符”がこれです……奏でる旋律が神字と変わり、この世に討ち滅ぼせぬものは無く、防ぎ得るものも又無いとされています。
(エレアノールは仕上がってるようじゃ……抜かるでないぞ)
本日の最終決戦を前に、カミーラ王母が活を入れます。
(分かてるアル、バックアップがしくじって足を引っ張ったら洒落にならないアル、駄目要員認定されないよう真剣に遣るアル)
宝物安置所の間に居たファイナル討伐対象は、暗闇に光り輝く白い蛇のようなものでした。
擡げた鎌首だけでも体高10メートルぐらいはありそうです。
目が無く、代わりに箆鹿のように、紅珊瑚にも似た見事な赤い角が頭部の両側に生えています。
これこそが“鉛白のバルバット”に宿りし古代の大妖魔神、“永遠なる白妙のナーガ”でした。
予備動作も無く、初撃が来ました。
大音響からの致命的な発火魔法です……“白妙のナーガ”は、音域、音波、音色に関する防御と攻撃に特化されています。
事前に知識を得ていたから、既に全員が音響遮断の特殊フィールドを展開していました。
満を持したエレアノール先輩の反撃ターンです。この日の為に先輩は、何度も演奏レッスンを反復してきました。
胡弓の天界泰山符から紡ぎ出される旋律は、巨大な金色に光り輝く神字となってナーガを押し包まんとします。
ですがナーガは、原初的なリズムを打ち出してこれを相殺します。
手を変え品を変え、何度かの遣り取りで先輩の攻撃はことごとく打ち消されていきました。
先輩の演奏は益々白熱化していきます。
音痴とは言いませんが、音感の弱かった先輩の音楽性が飛躍的にアップしたのは異世界から召喚して、その身に憑依させた音楽神“ハルモニア・ムジカ”に負うところが大きいでしょう。
いつの間にか、両の翼と上へと棚引く髪を燃え上がるように瞬かせて、全身オレンジ色に染まった音楽神の神気に満ちた姿が先輩の背後に顕現していました。
あたしも目にする機会は多くありませんが、本気になった音楽神は両の眼を見開いていると言います。今、エレアノール先達の専属加護神“ウーラニア”の瞳は真紅に燃えていました。
9柱ある真正の女神、ハルモニア・ムジカの内、盟主の封印する暗黒の呪縛たる“深淵の混沌”に匹敵する神力を内包するのは、カミーラ王母に言わせるとただ一柱……その名をウーラニア。
勝負は最初から決していました。
力で捩じ伏せて従える、実に単純明快です。
そして“永遠なる白妙のナーガ”は、エレアノール先輩に永遠の忠誠を誓って、バルバットと言う小振りの弦楽器に収まったのです。
白蝶貝の螺鈿細工の見事な、一振りでした。
エレアノールも可成り遣るようになったようだけど、甘い感傷を捨て切れずにいる。
非情になり切れないのは、妾達から見たら人間的過ぎる。
七面倒臭いことを避けて通れとは言わないが、無駄を省くことももっと覚えなければならないわ。
ズルはするなと条件を課せられても、馬鹿正直に踏襲し過ぎるのも頂けない。
でも今はそれでいいのかもしれない。
そもそもがエレアノールの出自が、軍事目的の多用途特殊工作用の戦闘要員を養成する機関だった。
今迄もあまり悲惨な過去は語りたがらないが、純粋培養の人殺しに禁忌を持たない、目的の為には仲間でも見殺しに出来る鉄の意志を育んできた筈だ。
それが妾達のところに来て、やっと少し人間らしくなれたと言うことだろう。
……魔法も覚えて、色々なスキルも付与して貰った。
だけど、戦士としては弱くなった。
でもそれでいい。
シンディ姐さんの眼の黒い内は、必ずお前を守って見せる。
人の心を失った機械としてではなく、人の心を持って尚酷薄に成り切れる真の戦士にエレアノールが届くまで、お前を守る。
「ギリギリ合格ラインかな、奮発してソラン流窃盗術の“切り紙”ぐらいは呉れてもいい」
「技と工夫を見せる為にセイクリッド・ライフドレインを温存したのは評価してもいいが、ベナレスの魔力供給がある以上、一発のライフドレインで全ての階層を制圧出来た……そうしなかったのはお前の矜恃かもしれねえが、俺達はプライドよりも結果を選ぶ」
「驕らず研鑽と精進を怠らねえことだ、俺の願いはただひとつ……俺より先に死ぬな、いいな!」
案の定、ダーリンの手厳しい酷評を受けていた。
けれど顔は笑っていないのに、何処か嬉しそうだった……そう言うとこだぞ、エレアノール?
ダンジョンコアに相当する“永遠なる白妙のナーガ”を下して仕舞った以上、間も無くこの地下大墳墓は消滅するだろう。
拾得物の整理もそこそこに撤収の算段に掛かった時だった。
「………も……、た」
「もし………」
何処かは分からず、話し掛ける声があった。
それは最初、微かな呟きにも似た呼び掛けだった。
「もし、旅の方々」
何処からの声かまるで分からなかった。
魔力感知も、気配探知、亜空間にさえプローブを差し込める全方位センサーも、何も彼も見通せる因縁眼も、どれひとつとして相手の居場所を捉えることが出来なかった。
「“永遠なる白妙のナーガ”を打ち倒せしお腕前、お見事でした」
「されど“鉛白のバルバット”はここの迷宮核、失えばこの地下大墳墓は明日から立ち行かなくなるでしょう……誠に勝手な願いながら、置いて行っては頂けないでしょうか?」
「成る程、“理外の存在”とはこう言うことか」
「出撃前に、フリズスキャルブからシィエラザードに関する暫定報告があった」
なんとはなしだが、正体を言い当てられて動揺する、見えない相手の気配があった。
「最盛期には43家あったお家流の血族にして一世代に一人、前世の記憶を引き継いで生きる“当代様”と呼ばれる存在があるそうだな」
「原則、ひとつのシィエラザードには一人の党首だが、実際は魂を引き継いだ転生体不在の空白期間もあったようだ」
ダーリンの言う通り、出撃前にようやっと探り当てたベナレスとメシアーズのタッグマッチ・ペアに依る再初動調査の概略報告を、圧縮情報で受けていた。
文献の類いは巧妙に処分されていたので、人々の記憶の断片を繋ぎ合わせて答えを導き出すことに成功していた。
「多くの場合“当代様”は女性だが、その目的は不明……何か大いなる使命を持つと見做されている」
「世襲で連綿と引き継がれる過去からの記憶を引き継ぐ存在は、それを知る者達からは“不死のシィエラザード”、或いは“輪廻のシィエラザード”と呼ばれて畏れ敬われたが、当人達は自らを“語り部シィエラザード”と呼んだ」
「だが現在は本家と傍流の二つしか残っていない」
「確かなことはこの血筋というか特別な存在は、世の中の道理の外側に生きているということだ……物語の語り手として、世の因果律の外側に位置している」
「……ざっと分かった範囲はそんなところだが、合ってるか?」
「…………流石、異世界から来られたお方、恐れ入りました」
長い沈黙の後から、返された。
「今日のところは退散いたします、どうぞ“鉛白のバルバット”はお持ち頂いて構いません……ここの迷宮核には別の物を当てることにいたしましょう」
「名乗りが後になりましたが、わたくしは当代の“本家シィエラザード”を継いでいる者です」
それを最後に、声が聴こえることは無かった。
短い邂逅だったが、初めてシィエラザードに接触出来た。
ダーリンは上手く“糸”を付けられただろうか?
手癖が悪いむっつりスケベのダーリンは、あれで目を付けた女は絶対に逃さないから大丈夫とは思うけど………
ダマーヴァンド山の麓に、世界中のキャラバン隊が指定した常設スーク特別区のひとつがある。
東西の通商路に設けられた交易の要塞都市のひとつで、曜日に依って立つバザーが異なる。
毎日立つのは庶民には少しばかり貴重な果物や野菜、他にハラルの手順で処理された食肉や淡水魚、羊の頭と足を煮込んだキャッレパーチェ、様々なケバブとサンギャク、バルバリー、タフトゥーンと言ったそれぞれのナンを売る屋台だ。
それぞれ焼き方も違うのでサンギャクはサンギャク屋、バルバリーはバルバリー屋と別々の店になる。
保存食はキャラバン・サライ御用達の常設店舗になる。
十中八九この手の保存食は不味いと決まっているが、案の定不人気のようだ。
商業区の中心街の方では香辛料や異国の絹織物、サラセン陶と呼ばれる色取り々々な焼き物などに混じり、様々な魔物素材の加工品も商われていた。
屋根を持つ歩廊式の建物が並ぶ目抜き通り、カイサリーヤと呼ばれるアーケードのグラン・バザールが幾つも交差する、大陸でも有数の規模のようだ。
店舗の奥に併設する魔物素材の加工工房、カールガーフや沢山の職人を雇っているカールハーネと呼ばれる工場もあり、互助協会が墳墓荒らしから買い上げた素材を元に様々な製品、商品が提供されているらしい。解毒剤や各種の水薬類、キャラバンの煮炊きに使う魔道具や夜営道具、生活道具、墳墓荒らし達に向けた防具や武器を中心にした各種魔物製品が売られている。
当然、原材料の買い取りも遣っている。
ダンジョンで乱獲し捲った素材を売り捌くなら、ここしかないと当たりを付けていた。
細かい出納は以前からメシアーズが管理していたが、つい先日のミーティングで不肖スザンナ・ビヨンド774歳独身(764歳だったかもしれないがもうこの年になると10年、20年は誤差の内だ)、チームの主計役を拝命した。この身なら冒険者パーティでも、冒険者ギルドでも現金出納を卒なくこなしていた身、売り掛け、買い掛けで商品の仕入れもしていたので金銭帳簿の会計知識も問題無い。
自分は実務経験者だ……そう思っていたこの身が恨めしい。
ダマーヴァンドのバザールには、この身達が回収してきた魔物素材を買い取る財力が不足していた。
少し本気で脅したから、出し渋っていることはない筈だ。
こんなに大きなスークでも、ダンジョンひとつ丸々の討伐素材を買い取るだけの資金力は無いようだった。
量も量だが、未だ人跡未踏だった階層の強力な魔物を狩ってきたので鑑定すら難航しそうな雲行きだった。結果、竜種の素材は高値で売れたものの、捌けた量はこちらの保有総量の半分にも満たなかった。
しかもバザー全体が総力を挙げたが現金が用意出来ない。バザール商工会発行の為替と放出出来るだけの有りっ丈の宝石類が、売れた総額の半分になった……特に為替は早いところ何処かで通貨に現金化しないと、唯の紙屑になって仕舞う可能性すらある。
思ったような成果を得られぬまま、一部の素材を評価用に預けてダマーヴァンド山攻略の帰りに立ち寄ることにし、預かりの証文を書いて貰った。大きさが大きさなだけに、預けていくにも一騒動だったので、鑑定を依頼するのはごく小さめの個体に限った。
帰り迄に女房達を売り払ってでも現金を用意しておけと強力に洗脳したが、あまり期待は出来ない。
阿漕な真似迄して、またぞろ為替で取り引きなんてことになったら何処ぞの両替商にでも強盗に入った方が増しかな、なんて軽く現実逃避してみる。
然もありなんとは思っていたが、考えていた以上にこの世界の経済発展度は低く、当初も視野に入れていたが他のバザールや大きな墳墓荒らし協会本部がある街などで何度かに分けてチビチビ売り捌いていくしかあるまい。
気の長い話だった。
……世界線を渡って行くに当たり、犯罪結社“デビルズ・ダーク”は幾つかルールを決めたが、それとは別に行く先々の世界を蹂躙するに際しての“法度憲章”を設けた。
所謂、べからず集だ。
総則の2章に謳ったのが、明らかに存続する価値を見い出せず、滅ぼすと決めた世界以外には生命の営みが在ることを認め、徒らに社会活動を乱し害することを慎む……と言うもので、現地貨幣の複写と偽造は経済活動を大幅に乱すとして、遣らないことになった。
ベナレスが吸収する魔素にも一定の制限を設けることにした。
まあ、会計役を仰せつかったとは言え、金儲けがこの身達の主たる目的ではないからいいのだが、活動資金が調達出来ずに肝心な時にオケラだったりするとあまりにもポンコツ過ぎる。
皆に顔向けが出来ぬ、なんて事態になったら肩身が狭いどころの騒ぎではない……袋叩きに遭わぬよう、なんとか挽回出来る起死回生の一手はないものだろうか?
現地通貨獲得は、これからのこの身達に取って大きな課題だ。
帰り際、魔術師協会の建物があったのでシィエラザードに関して何か動きが無いか尋ねて見ることにした。
この世界では妖魔が憑依している器物から召喚して使役する、サモナーともテイマーとも呼べる魔術が主流で、潤沢な精霊素、ジンと呼ばれる魔素は、妖魔や妖魔神がもっぱら消費してるので人間や亜人種もしくは獣人が使う魔術はごく低位のものに限られている。
スペル・キャスターと言った高位詠唱魔術の達人などは、この世界には存在していない。
従ってこの世界の魔術師協会は、妖魔や妖魔神が宿る器物を操ることに関する便宜を図ることや、割引価格での憑依器物の直接販売とかに限られており、この身達がかつて見知った魔術師協会とは大きく掛け離れてはいる。
しかしながら何処もこう言った組織が情報をいち早く掴むのは、世の中の摂理だろう。案内を請うて、広報相談係と言う担当が出て来る迄に、妖魔器物の商品陳列を見ていた。
様々な“幻魔器物”、ビスミラがあるが、指輪の器物が多いような気がする。多分、ポピュラーなのだろう。
ソランは、以前にこの身が差し出した“ゾモロドネガル”の代わりだと、古代四色神器がひとつ、“巡る蒼天のアハリマン”と言う魔神を従える“蒼いジャンビーヤ”とやらを贈って呉れた。
嬉しいには嬉しいのだが、どうせ貰えるのなら、この身としては指輪のビスミラの方が好かった。
鈍感とか朴念仁と言うことはないのだが、どうもあやつは自分の女に何かをプレゼントするって感性を敢えて封じているのか、丸っ切り眼中にないのか、どちらかだった。
この身達のことは性別を別にして戦友か、もしくは配下とでも思ってるのだろう……与えるのは大概の場合、もっと強くなる為の武器や兵器だったりするのは最早お約束だ。
憎たらしいにも程がある。
大体、愛人枠でもいいから指輪のひとつぐらい買って呉れてもいいのではないか……なんて思うのはあまりにも世間的過ぎるだろうか?
外道勇者死すの報を聴いて狂乱したソランに労りと理解よりも、自分の肉欲を優先した。あの時、寄り添うことすら出来なかったこの身は、本気で拒絶したソランにもう二度と間違いは犯さないと誓った。
痛かったよ、己れの馬鹿さ加減が本当に痛かった。
だから、他人は妄執と嗤っても、この身はソランに捧げ尽くすと決めている。
小賢しくも烏滸がましく僭越に過ぎるが、これ迄も、これからも、この身はきっと何度もソランに恋をする……何度も、恋をする。
……何度も。
男ではしくじりっ放しの人生だったし、冒険者と兼業で娼婦やストリッパーをしていた自堕落な時期もあった。
若気の至りで平々凡々とした所帯染みた暮らしより、刺激のあるセックスを求めて仕舞った。
仕舞いにはどちらが本業で副業か分からなくなるぐらい、碌な者ではなかった自覚はある。
ソランとは、この身が冒険者としてのイロハを叩き込んだ頃からの付き合いだから、過去のあやまちも全て話してある。
それでも受け入れて呉れるとソランは言った。
もっと可愛げのある、愛嬌のある顔立ちだったら良かったのに、ぶりっ子の演技をしていない時の素の表情は、我ながら非常識な迄に酷薄で人を寄せ付けぬ。
色気付いてまだ生身だった頃のこの身は、ソランに抱かれたい一心で鼻毛を抜いたり、乳首のパイ毛を抜いたり、それこそ舞台裏では可笑しくも涙ぐましい努力をしたものだ。
あの流行らないギルド出張所のカウンターで、看板娘を演じてた頃の余所行きキャラクターを、繰り返し印象付けておけば良かったなと思う……今更だが。
意地悪なマクシミリアンは、この身のボディを高性能換装するときにメシアーズに自動成長型ロボティクス・ボディをチョイスするよう指示している。
鍛えれば鍛えただけ筋力がアップして行くので、今この身の腹筋はシックスパックだ。
同時にハーフエルフに取って700歳代はまだ成長期だった。
自動成長型故に、人造ボディでも背が伸びる。
180センチだった身長は、今では190近くある……チームで一番ののっぽだ。
女らしい要素がひとつも無いじゃないか!
これではあやつが高身長マニアか、マッスルボディに性的興奮を覚える特殊性癖に鞍替えしない限り、この身は色物枠になって仕舞う。
いかんっ、これはいかんぞおおお!
これではマクシミリアンと裏取引をして、特別仕様ボディに改造した旨味が何も無くなって仕舞う。内緒だが自動成長型にするのとバーターでエンドルフィンを始めとする脳内麻薬、様々な快楽物質は生成し放題、更に性感帯を数千倍に増感し、より深いエクスタシーを味わえる裏機能を付けて貰った。
付けて貰ったのはいいが、意気地の無いこの身はソランにドン引きされるのが怖くて、未だこの裏機能は使えずにいる。
別にエログロナンセンス路線を目指している訳ではないが、変態妄想を……仕舞った、自分で変態とか口走ってるし!
もとい、ちょびっとだけお茶目な妄想を実際に遣ってみたところチームのメンバーには、まるで頭が病気のエイリアンにでも遭遇したかの如く目を背けられたが、好きな男のオシッコを飲みたいとか、全裸での端たないセルフ・エネマを見て欲しいとかは超自然なことで、とっても普通の有り触れた欲求ではないだろうか?
現に昔のストリッパー仲間なんかには、眼を剥くようなド変態で、もっとイカれた背徳的な女は幾らも居た。
赤ワイン浣腸とホイップクリーム浣腸では、まだホイップクリームの方が視覚的に増しだとソランは言ったが、流石に直接口を付けて食しては貰えなかった……お酒の浣腸は、普通の人は急性アルコール中毒になるので良い子の皆さんは真似をしてはならない。
因みに今の最新型高性能ボディは、摂取した食物はロスゼロでほぼ100パーセントエネルギー変換するので、大も小も排便はしない。
セックスは出来るし、循環器系と免疫抗体はナノマシンが代替するから肛門だって大腸菌すら皆無の清潔なものだ。なんだったら妊娠も可能だが、所謂生物学的内臓は存在しないと言うか、もっと高度な機能の高性能な人工物に置き換わっている。
あれこれ考えていると無暗に興奮してきた。
これは、あれだ、今すぐソランにして貰わねば収まらない。
シィエラザードの情報収集もそこそこに、魔術師協会支部会館を後にして、燻る熾火のような情欲をどうしてくれようかと思ったが、ここはあれだ、何か贈り物をしよう……例えソランが、この身に指輪のひとつも買って呉れなくても、この身は何かをソランに貢ぐ。
女からの贈り物に感激したソランがそのまま性行為に及ぶなんて安直はありえないかもしれないが、後はこちらの恥知らずな誘惑次第でどうとでもなる。
確か、正妻を自称しているネメシスはスコッチ・ウィスキーとか缶入りの刻み煙草を贈っていた筈だ。
雑貨を売るキオスクのような店で、スライムの黒焼きを原料にした歯磨き粉が目に付いた。ヘビースモーカーのソランにとも思ったが、ごく初期状態のソランでさえ歯にヤニが付いたのを見たことが無かったから、その辺の新陳代謝は多分完璧にコントロールされている。
だがソランのキスは煙草の味がする。
それ以外はほぼ無味無臭に制御されているのだが、口腔の煙草の残り香だけは濃厚に漂う。
これを好ましいと感じるかどうかは個人の好みに分かれるところだが、この身はもっと生臭いものへの執着があるから煙草の香りは却って邪魔だ。
このビヨンドの臭覚を嘗めて貰っては困る。
巧妙なデオドラントの魔法で消臭されていても、昨晩の夕食がクラムチャウダーだったのか、オイスターチャウダーだったかはすぐに言い当てられる……だから相手が欲情してるかどうかは、いくら性的興奮の分泌を抑え込んでいても、本の微かな匂いで分かる。
大方の場合ソランは修道士のように清廉潔白、心頭滅却無念無想と等しい状態だった。
だがその要因は真反対な理由で、常に胸の内は常軌を逸する迄にドロドロとした復讐の、おどろおどろしくも真っ暗な憎念で荒れ狂っているからだ。
大体、ソランは頑なな迄に潔癖なところがあって、冒険者時代にこの身が幾ら迫っても歯牙にも掛けなかったものだが、ネメシスが肉体改造で何かをしていたけど、あの頃はまだ生身の体臭が残っていた。
あの男臭くも艶めかしいフェロモンに、上っ面でこそ擦れっ枯らしの鉄面皮を装ってはいてもその実内心、当時のこの身がどれ程ゾクゾクしたのか、ソランには分かるまい。
あの匂いをスーハーするだけで、この身はうれションと共に充分に逝けた(立ったままアクメってるのを悟られないようにするのが思いの外、大変だったが)。
100年続けた禊の禁欲は限界だった。
徐々に反動が来ている。
口にこそ出さぬが……いや、出していたのかもしれぬがソランの熱い射精がこの身のスケベ穴とお尻を溶かしていくのを、心の底から焦がれていた。
有頂天アナル犬として、チンポ奴隷になるのが夢だった。
結局、貢ぎ物は殺菌作用のあるニームの木で作った歯木になった。
悩んだ割に何をどうして血迷ったか、我ながらしょうもないものを買って仕舞ったと思う。
この身の健全な欲情が空回りしたのは、いつものことだ。
誰でもが心に闇を抱えていると言う。
笑わせて呉れる。
寝言は寝てから言えとも思うが、想像を絶するような本当の闇を知らない、その他大勢の他人様の領域を荒らしても虚しくも詮無きことかもしれない。
眠りを失われているアンダーソン様は、復讐以外の感情が錆び付いているので四六時中悪夢を見ているようなものだとおっしゃった。
永遠に降り積もる絶望の中に、人一倍原罪を背負い込んだ気になって、暗鬱の淵に嘆き悲しむ残りの人生に唯死にたくないから生きてるだけなのかと悩んだ時期もあった……“死ぬな”と言われて、此処より他に行き場所は無く、此れより他に生きる術は無いと思った。
パラレル・ワールドを理解し、次元の裂け目のビッグウェーブをライディングする為には万能神だろうが造物主だろうが軽く凌駕して見せると折りにつけて豪語するアンダーソン様ではありますが、同時にまた復讐に狂った自分自身を自嘲的に卑下して見せたりもします。
平凡に生きて死ぬ普通の人生が何よりも尊いと……生涯、一木樵として田舎暮らしのまま死にたかったと……最早、どうしたって手に入らない生き方だから、それが何より尊く思えると。
アザレアも同じです。
何も知らない無垢な淑女として婚約者に嫁ぐべきところ、人としての道を大きく踏み外しました。
然れど、同じ勇者に翻弄された者でも、アンダーソン様は裏切られた側、わたくしは裏切った側です。
星の巡り合わせに感謝すべきか、罷り間違っていればわたくしはアンダーソン様に仇と付け狙われる側の人間でした。
なのに救い上げてくださったアンダーソン様に尽くし切る気持ちに何ひとつ嘘偽りの無いこと、わたくしの心臓を取り出して一点の曇りも無いことを示せたら、どんなにか良いでしょう。
……その点、蟣蝨ちゃんはいい。
絶望の内に彷徨った6000年の月日が彼女を鋼のように鍛えた。ちょっとやそこらで折れる事は無い。
アンダーソン様はマクシミリアン先生に蟣蝨ちゃんの改造を、一任なされた。
基本設計は何種類か用意されていたようだが、生体部分を何処まで残すか、逆に言うと何処まで削れるかで試行錯誤があったと、マクシミリアン先生には聞き及んでいました。
未だ未知数の異能ですが、世界が滅びた後の混沌に新しく世界を創り直す力が“根元符”には備わっており、その根元符は蟣蝨ちゃんと共にあります。
即ち蟣蝨ちゃんの肉体に封印されている根元符ごと、改造手術で切り刻んで仕舞っては元も子もありません。
慎重に解析した結果、脳幹、心臓、脊髄神経系を残して可能な限り不可侵シェルでコーティングし、特殊なブースト超電磁圧縮式のリニアコイルで何重にも覆い、伝達信号を外部から補助する仕組みで劇的な神経回路の加速に成功していました。
丁度改造の終わった蟣蝨ちゃんがダマーヴァンド連山に隠された神代のビスミラ、“アラジンの魔法のランプ”略取作戦に当たることになりました……サイバネティクス版蟣蝨ちゃんのお披露目、本邦初公開のデビューステージです。
“アラジン霊廟神殿”から傍流シィエラザード(多分、この間接触したばかりの本家シィエラザードとは別のシィエラザード)の手に依りいつの間にか隠し場所を移されていた“魔法のランプ”……ここで同じ轍を踏む訳にはいかない。
ベナレスとメシアーズの監視網をくぐり抜ける手腕は瞠目ですが、今回の事前調査と脇固めは完璧です。
にしてもシィエラザード……物語の外側に在る、と言うのはどういうことなのだろうか?
“あばずれダリラ”のメンバー5人を載せて、飛空艇で略取作戦の模様を見せてあげることになりました。モビーディックの艦橋モニターでも充分なのですが、肉眼で見たかろうとのアンダーソン様のお優しい計らいで出血大サービスです。
お揃いでオーラ光除去の防護眼鏡を掛けた5人組がお間抜けに見えていましたが、勿論そんなことは口には出せません。
“ソロモン王のダンジョン”、パサルガダエ地下大墳墓攻略のときは留守番を余儀なくされましたが(足手纏いでとても連れてはいけませんでした)、観測モニター室のリアル版3Dサラウンドエリアでは実体験さながらの脅威を目の当たりに出来た筈……それこそ攻略作戦の一部始終を手に取るように体感出来たでしょう。
話に依ると金級墳墓荒らしの癖に2人ぐらい気絶したそうです。
しかし今回は、彼女等にも思い入れのある“魔法のランプ”です。
彼女等をここ迄引き連れたのに肝心な部分を見逃しては忍びなかろうと、謂わば特別な配慮でした。
お揃いでオーラ光除去の防護眼鏡を掛けた5人組がお間抜けに見えていましたが、勿論そんなことは口には出しません……強調したい事柄なので、つい繰り返して仕舞いました。
「インシャラー 、おっ、俺はあ、以前に空飛ぶ絨毯にも乘ったことがあるから全然まったく、へっ、へっちゃらだぜっ!」
「へへっ、こっ、怖くなんかない……」
「だったらあたしの手、握らないでよ、気持ち悪い!」
「拙僧は若い頃、調教された大鷹の背に乗って飛び回っておりましたが、これ程速くはなかった」
「ましてや中空で同じ位置に留まり続ける芸当など出来ぬ」
「……少し静かにしてくれ、お前ら騒ぎ過ぎよ」
「アザレア様、もう間もなくでしょうか?」
展望型キャノピーから望む下方にスタンバイした蟣蝨ちゃんを喰い入るように見ていたダリラさんが、尋ねてきた。
自動操縦でも良かったのですが、万が一の為にわたくしが付き添っています。
「後1分50秒程、ヒトヒトマルマル時丁度にアンダーソンからの状況開始のゴーサインが出ます……作戦はあっという間に終わりますから、見逃さないようにしてください」
そう言ってる間に、ボディ単体で出撃してる蟣蝨ちゃんは滑るように連山の主峰、ダマーヴァンドの火口間近まで移動した。
新しいボディは完全アーマー仕様に変形している。
薄く棚引く噴煙は穏やかなもので、活火山とは言え火口に剝き出しの溶岩などは窺えない。熱せられたガスが吹き出して、硫黄が堆積しているだけだ。標高6000メートルを超えているので、頂上付近の山並みは熱帯地方にあってなお冠雪していた。
高地の砂漠地帯にいきなり隆起する山塊は殆どが岩山で、その麓にすら申し訳程度に植生がこびり付いているだけだった。
夏だらけのこの星には珍しく、現地で瑠璃岩雲雀と呼ばれる高山にだけ生息する渡り鳥の群れが、丁度気温の低い高所を求めて飛んでいるのが小さく傍観出来た。
状況開始せよの指示と共に蟣蝨ちゃんは手をかざす。
ダマーヴァンドの山塊で一際高い主峰を押し包む程の巨大な神字が出現し、金色に光り輝くそれは次から次にと撃ち出されて、地表に吸い込まれるように消えていった。
「これは、何をしてるのですか?」
とダリラさんが質問するが、5人は行き成りのことに全員頭が疑問符で一杯のようだ。
「前の世界で主流だった神字と言う技です、魔力を込めた真に力ある聖なる文字は奇跡を起こす……これはわたくし共が独自で開発した分子の運動エネルギーを奪う術式で、遥か地底200キロの位置までマグマを固めます」
“幻魔使い”の彼女等にしてみれば、強力なスペル・マジックとか、充分に発達した科学兵器とかは全く見慣れぬものでしょう。
次の段階として蟣蝨ちゃんは、両の手首からリアクタブルの散弾砲門を開いた両腕を既に冷えて固まった火山帯に向けます。
ショットガンのように撃ち出されるのは、極小のブラックホール散弾とでも言ったもので、雨霰と降り注ぐそれはあっという間にダマーヴァンドの主峰を深く、広範囲に削っていきます。
ワンショットで50のミニブラックホール掛ける毎分5000発の連射がそれぞれ両手から撃ち出され、地上部分を見る間に消失させ、正確に地中を下へ下へと掘り下げていきます。
慎重に素早く“魔法のランプ”が隠された地下までアクセスする為、巨大な竪坑を築いていきます。
探り当てた“魔法のランプ”の所在は不懐属性の結界にくるまれて、地表から深度140キロ地点の岩漿に揺蕩っていたからです。
「あぁっ、こんなことが許されていいのでしょうかっ!」
「アラーはお許しになると?」
今日を限りに地表から消失したダマーヴァンド山を嘆いて、5人は恐れ慄いていました。
「わたくし共の信奉するのは魔神達を束ねる王……貴女方の神なぞ信じてはおりませぬ」
そう、わたくしはもう祈るのを止めて女神のロザリオも捨てた。
形ばかりの信仰になんの意味があるだろう?
現にわたくしを救ってくれる神なぞ居なかった……わたくしを救ってくれたのはアンダーソン様だ。
以来、祈りの為の祭壇はわたくしの心の中にこそ在る。
正確に邪魔な岩盤を掘り抜いた蟣蝨ちゃんは、瞬間アポーツを発動して140キロ離れた“魔法のランプ”を一瞬にしてキャッチした。
(お待ちください、旅のお方)
不意に頭の中に声が響く……既視感のある登場の仕方だ。
実はこれを待っていた。
場所を移してまで守り通そうとした“魔法のランプ”を奪取せんとすれば、当然防衛しようと傍流シィエラザードか、それに連なる勢力が出てくると踏んでいた。
伏兵で待機したビヨンド様は何処だろうか?
(うおぉっ、何処から入ったのっ!)
心配せずとも、戦神ビヨンドは既に最初の一手を打っていた。
(ふっ、世の条理から外れた特殊結界……現実世界からずらした位相空間でもなければ、造られた亜空間でもない)
(だが薄く重ねられた擬似空間の技術……種が割れてみれば、何程のこともない)
傍流シィエラザードが慌てふためく気配の中、突然何も無い大空に亀裂が走った。現実空間が罅割れ、音にもならない奇妙で不協和音めいた瓦解の音と共にシィエラザードの謎……物語の外の空間が崩れ去り、隔てていた擬似空間シールに穴が開いた。
ジグソーパズルのピースが欠けたような不思議な景色だった。
空に覗くその部分だけが、まるで三文芝居の張りぼての書割ように破けて見えた。素早く感知した向こう側の環境は見るからに奇妙で、密林のような樹木や草花が渦を巻くように繁茂し、絡まり捻れて踊るように成長し、噎せるような生命力と植物自体が放つ精力に満ち溢れていた。
破れ目からは見る々々伸びる蔦が飛び出し、極彩色の羽を持つ鳥が数羽こちらに向けて羽搏いた。
ビヨンド様に蹴り出されたか、綻びの穴から一人の女が躍り出る。
灼けつく太陽の下、今は大穴と化したダマーヴァンド山を遥か下方に望み、風に靡く衣装の布が繙いた。
高価な絹のベールで口を覆っているが、美しい女だった。
色素が薄く透明度の高い菫色の瞳が、驚愕に見開いらかれている。
サルト族のハラケと呼ばれるロングドレスに似た衣装だ。頭に巻いたターバンのような赤い頭帯が印象的だった。
締められた帯状ターバンの端が、尻尾のように長く垂れている。
(撃退か、捕獲を命ぜられている……“アラジンの魔法のランプ”は頂いていく)
(今日のところは引くなら追わん、大体知りたいことは知れた……遣り合うならこの身は一向に構わんが)
ココス椰子の葉を掻き分けて、落ち着き払った闘神がこちら側に踏み出してくる。中空を歩むが如き、完全無敵の阿修羅神の姿だった。
心なしか静かに燃える闘気の焔が、幻視となって背中に見えるようだった。遠目でも一目で分かる。
中空に浮いた傍流シィエラザードは、体勢を立て直すと気丈にもキッと睨み返す素振りを見せた。
(後日、また推参いたします)
一言残すと、傍流シィエラザードは薄れていくように消えた。
この僅かな時間にベナレスとメシアーズは、やっと特定された存在を高速で分析していた。
全てを暴く為に、あらゆる手段で情報を抜き取る。
こと情報を蹂躙することに関して彼等が通った後には、ペンペン草も生えません。
泳がせるときに付ける第一級不可視化追尾端末、インビジブル・ヘアがトレースを開始していました。
「いっ、一体何が起こったんですか、今のは誰ですか?」
あぁ、事前に知らせてなかったですね、ダリラさん。
「あれこそが貴女方の世界を舞台裏から演出してきたシィエラザードの一人……エレアノールが“鉛白のバルバット”を入手した時に声だけは聞いた筈ですが」
「あれとはまた別のシィエラザードです、おそらく姿、形は似ていると予想しています」
補足さえすればハイパー・フリズスキャルブは一瞬で正体を暴き出せる。心配は無い。
心配と言えば、鬼神スザンナ・ビヨンド……普段から奇矯な行動を隠し切れないこの人の方が、わたくしは心配だ。
昨日、鬼神は唐突にニームの木の房楊枝を購ってこられた。
最初はアンダーソン様に渡されていたようだが、アンダーソン様が皆に下げ渡されていたので、皆首を傾げて受け取った……これでオーラルケアをするとも思えなかったからだ。
時々、ビヨンド様は良く分からない突飛なことをなさる。
緩くウエーブしたダークブロンドを揺らす綺麗な瓜実顔はいつも憮然としてられるので、表情が読みづらい……今日も今日とて、作戦前に何を考えてらっしゃるのか良く分からなかったぐらいだ。
普段はきりっとした表情で、確実に高度なオペレーションタスクをこなされるのでチームの牽引役としても信頼されているし、ミッションの指令塔としても適格で間違いない安心感がある。
千度試合って生き残ってきた真の死合巧者……その悪運と生き汚さは、一同が認めている。
実は理解し難い程に偏屈で頑固なのはアンダーソン様を上回り、誰よりも強くなる為に精進したのはアンダーソン様の為だった。
幾つもの死線を越え、悲しい思いも沢山した。
だがメンバーは皆、実のところビヨンド様が掛け値なしの可成りガチな“変態”であることは重々承知している……正直、偶々目にするその言動や行動には全員が“ないわあ……”と思っている、口にこそ出さないが。
しかも始末が悪いことに、自分の変態行為がアンダーソン様を癒すと本気で思っているような節があるから吃驚だ。
却って変態と謗られることで、ゾクゾクする程興奮すると明かしてくれたことがある。
本来ストイックが信条でありながら女の要求に応えぬは男子の本懐にあらじと、ヴァーチャルでもリアルでも、わたくし達がしたいと望めばアンダーソン様は大抵の願望に応えてくださる……それを良いことにしたい放題されるビヨンド様の変態振りは、興味本位で何度か覗いてみたわたくし達が挙って目を背ける類いのものだ。
同時に、端正なお顔を歪めて泣き叫ぶ絶叫染みた逝き声と狂騒の痴態は、絶対に余人には秘密にしなければならないと皆で取り決めをする程のものだった。
黙ってさえいれば誰よりも猛く気高く美しいのに、その実その残念な性癖は畏怖、尊敬、ライバル心、憧憬、その他諸々ポジティブなものを全て台無しにする。
これさえ無ければと惜しむのは、裏を返せばこれが在るからこの人は脳味噌に虫の湧いた残念大魔神まっしぐらなのである。
つい先日なども皆の前で唐突に、“この身はソランの恋するチンポ犬になる”などと意味不明に宣言されていて、一同目が点になったものだが、唯この一点を除いては紛うことなく非の打ち所が無い万能の戦士にしてマルチスキルの覇者であることは間違いない。
今は叶わなくなった打倒勇者を目標に、強くなりたかったアンダーソン様を常に陰で支え続けたのはシスたそ様とビヨンド様だった。
過去の淫らな行いと決別する為に100年の禁欲で禊をしたと伺ったが、習い覚えた変態テクニックは忘れられなかったのだろうか?
……そう言えば、昨夕バザールから戻られた時のビヨンド様は心做しか発情しているように見受けられた。
このアザレアの観察力を侮らないで頂きたいのだが、ビヨンド様はいつもと変わらない怜悧なお顔ながら、欲情されると鼻の穴が本の少しばかり広がる。
昨日のビヨンド様の鼻の穴は確かに広がっているように見受けられたのだ……痴れ者調教豚の肉便器竿姉妹として(わたくしとて恥ずかしながらメス発情する性奴隷肉穴妻の端くれ……アンダーソン様の復讐行を支えるファム・ファタルの一人として誇りを持っています)、わたくしが内々にお相手すれば良かったのだろうか?
いやいや、わたくしの貞潔は最早アンダーソン様だけのもの……女同士の快感にうつつを抜かすなど、もうしないと決めている。
魅了・催淫の毒牙に絡め取られたが故、心の奥底に眠った欲望を剥き出しに、ワセリンを使った尻穴性愛天国のレズ中毒に狂った過去があった。快楽に脳味噌が蕩けた勇者ハーレムで、日夜に渡り退廃三昧の輪姦乱交に明け暮れた消せない罪があった。詭弁かもしれないがそれでも過去は過去……目を覆いたくなるような本物の変態行為を繰り返したアザレアは、もう居ないのだから。
にしてもシィエラザード……物語の外側に在る、と言うのはどういうことなのだろうか?
……わたくし達の物語はまだ道半ばだ。
寂しくて、やがて可笑しい……或いは可笑しくてやがて寂しいわたくし達の修羅と恋の物語はこれから先、どういう風に色付いていくのだろうか?
どう転んで、どう起き上がるのか、気にならないと言えば噓になるが、物語の渦中に居る者にはそれを知ることは出来ない。
56億7000万年先のことなど、アンダーソン様は考えていない筈だ……復讐さえ完結すれば、おそらくアンダーソン様の歩みはそこで止まる。
「ダリラさん、よければ帰投しますよ」
「そうそう、超古代の貴重なビスミラ……誰も目にすることが無かったって言う、“アラジンの魔法のランプ”をご自分の手に取ってみたくはありませんか?」
「えっ? ええ、そうね……お願いします」
人は驚愕が過ぎると得てして疲れたように呆けて仕舞う。
実際に目にしたことを理解するのは、彼女等には酷だったのだろうか……随分と腑抜けて仕舞ったようだ。
「あまり気が抜けているとアンダーソンの不興を買いますよ?」
「あれでうちのボスは気が短いですから、価値の無いつまらない奴と思われれば直ぐに処分されちゃいますよ」
冗談だったのに、お揃いで同じ眼鏡を掛けた“あばずれダリラ”の5人は本気で青くなって、面白いほど震え上がっていました。
信じられないことに何かが追ってきていた。
外の空間を自在に操るシィエラザードの能力を以ってしても、まるで振り切れない。
二つ以上の擬似空間を創り出し、合わせ鏡のように空間渡りを繰り返し、行く先々で新しい空間を生み出して渡ると同時に用済みの空間を閉じていく、多面体のように空間の入り口を幾つか創り出し、飛び込んでは別の空間へと移って行く。
思い付く秘術の限りを尽くしているのに、振り切れない。
何かに捕捉されているのは気が付いていた。
だが、こんなことは初めてだった。ずっと見られ続けていると言う感覚が拭えない。
恒星系の形成から数えて、48億2000万年を掛けて培われた幻魔達の揺りカゴ世界……非カルケドン派に依り理論の証明の為に培養された実験的進化促進施設“アリラト”をモニタリングし、サイドから運営するのが我々シィエラザードのお役目だ。
創り出された子宮世界の守り手、それがシィエラザードだ。
大天使ジブリールを開祖とする我等シィエラザードの一族は高度な監視機構として、連綿と過去に生きた先代達の膨大な記憶を引き継いで生きる。
我が傍流の血筋は、先史文明ジャーヒリヤの7000万年前からの家系にて、1000年に一度の転生で68944代目に当たる。
その長い長い記憶の経験則の中でも、有り得べからざる未曽有の事態に遭遇していた。
シィエラザードの鋭い感覚は、5感の他に第6感、第7感、第8感とも呼べる特殊なセンスを幾つか備えている。
今それらの疑う余地の無いレッドアラートは消魂しく鳴り響き、肌が粟立ち、産毛が逆立った。
(……0010101、01…第一段階の洗脳を試みます、011101)
これはっ!
この初めて接触する無機質な感じは、未だ知らぬ領域の高度に発達した機械文明の高速電気信号の意志のようなものだろうか!
はっきり言って、理解不能な恐怖があった。
このままでは拙い、脳髄を焼き切って一時的な仮死状態になるか、このままこの身体を捨てて次の器に行くか?
だが待て、果たしてここで意識を手放して敵に手掛かりとなる肉体を残すのは最善手と言えるだろうか?
精神を分離すると共に、肉体を始末するのは可能だろうか?
抹消し損ねた残滓から、敵は肉体を再生するかもしれない……遣るなら徹底的に塵も残さず処分せねば。
……異質な分子の策動は感じていた。
この幻魔の“揺りカゴ世界”、アリラトには嘗て存在しなかった大いなる力を秘めている。即ち、その正体は異世界からの侵略者だ。
それ以外考えられない。
自己霧散により追手を振り切る……最早、これより他に逃げる道は無さそうだった。ただし雲散霧消した魂は散り々々になるから、長い時間を掛けて退避場所であるニルヴァーナ・スペースに帰巣する。
その分の時間のロスに、状況は取り返しの付かないところまで悪化して仕舞うかもしれない。
賭けだった。
一度世界に重篤な異変が席巻すれば、シィエラザード監視システムは自動的に対処要員を現実世界に転送する筈。
文明衰退期での代替わりは少なく、各地方に散った43家のシィエラザードのうち長命な者では30000年もの文明復興に寄与した活動期間があったと聞く。
今でも奇特で精力的だった往年のシィエラザード分家の優秀な女傑達、41家系が魂となって心霊空間ニルヴァーナに眠り、時代が必要とする機会を待っている……待機状態のスピリット・コア達の出番は当面無さそうだと思っていたのに。
(んー、すまんな、初手からここ迄追い込む気は無かったんだ……今は引くから思いとどまれ)
(存在を捕捉した瞬間にほぼすべての情報は得ている……在命中だった6917万422年と8ヶ月に渡るお前の記憶諸共、頂いた)
それは、突然の燃えるような意志だった。
暴力的で、強く、激しく燃え盛り、総てを焼き尽くそうとするような峻烈な鋭さがあった。突如として接触して来た存在に仰天して、心臓が止まる程驚いた。
あまりにも圧倒的な苛烈さに、次いで眩暈を覚えた程だ。
(泳がせるときの常道として監視の糸を付けてみたが、存外にお前の感覚は鋭いようだ)
(メシアーズの第一級追尾システムに無力化の弱洗脳と言う最終手段を取らせるとは、中々敏いな)
(だが、何をしようと全ては手遅れだと教えておこう)
何がなんだか分からない。これ程前後不覚な恐慌状態に堕ちようとするのは初めての経験だった。
(永遠に近い刻を生きてるにしては知能的な進化は無かったようだな……何か制約が掛かっているのか?)
(嫌味で言ってるんじゃねえ、猿からヒトが進化するように、其れだけの刻を掛ければ神が生まれてもおかしかねえ)
その通りだ。
大いなるアリラトの運営システム自体が神になっては、実験場としての意味が無い。余分な向上心や好奇心と言った類いのものは徹底的に排除されている。
(だが、まあ、オツムの血の巡りはちっとばかし残念かもな)
(ここでシィエラザード機構とやらの自動防衛システムのことを考えちまうあたり、お粗末が過ぎるが……思考のブロック方法が洗練されてねえのは今迄そんな難敵に出くわさなかったと言うことか)
煽り目的の侮蔑はこちらの平静を掻き毟る為のものか……いや、どうも駆け引きではなく本音を語っているように思われる。
(俺達、謎の悪党組織がニルヴァーナ・スペースとやらを攻略すると思い至らないのは、危機管理の欠如だ……減点1)
(この悪趣味なジャングルみてえなグリーン・プラントは、どうやら精霊素に満ちたこの固有結界の安定機みてえな役割らしいが、非効率だ……もっとお利口でスマートな方法を思い付かない間抜けさ加減は、更に減点2だ)
(ズロースが綿なのも気にいらねえ、減点3)
「しかし戦闘力は別だろう……ちょっとばかり試させて貰うぜ」
瞬間的に横から声が掛かった。
なんの予兆も無いまま、意思として頭の中に話し掛けて来た謎の存在はそのまま、なんの苦も無く実体として踏み込んで来た。
私の真横に上下逆さまにその男は居た。
逆さまなのに、そのギラつくひとつだけしかない眼は鋭いというよりは、一目見ただけで忘れられなくなる不気味さを湛えていた。
どう言うのだろう……到底人では醸し出すことの出来ない狂気に満ちている。
およそ7000万年の記憶を持つ、このシィエラザードをして竦ませるだけの剥き出しの気迫があった。
反射的に身構えた私は、瞬間的に最強の防御態勢を取ろうとして愕然とした。
我が領域内なのに権能が発動しない!
自分の占有領域なのに神霊素が反応しないっ!
もしやすると、これでは魔術の類いは一切使えないのではないか?
「成る程、自分が支配する領域結界内では最強と思ったか、だがそいつはどうかな?」
「……エキジビション・マッチにはちょっと邪魔だな」
言うと、有り得ない筈の不可能……我が絶対不可侵の固有領域内への侵入を苦もなく果たした謎の男は、あろうことか今度は結界を自在に支える、“永遠に繁茂する樹林”を一瞬にして消し去って見せた!
塵も残渣も、何も残らない。
辺りはただ無限に広がる薄暮の空間だけになった。
「腕前を見たら、今日はお暇しよう」
支配空間に天地上下は無い。
ゆっくりと回転する男は、驚天動地そのものと言える前代未聞の危険な存在として、こちらと正向きに相対した。
どうする?
魔導を封じられれば、残るのは体内に巣食う魔獣達と残虐な古代幻魔神を出すしかないが。
「……限りなく繰り返す懊悩が俺を叩いて引き伸ばした」
「復讐と言うたったひとつの目的の為に、掛け値無しの強さを求めた……それ故、俺は並大抵のことでは死なねえ」
「お前はどうだ?」
予備動作無しで何か物凄い勢いのものが、爆発したかと思う凄まじい威力で放たれた!
ボッと言う音が後から来たのは、音の伝達速度より速いからだと思われたが瞬時のことなので定かではない。
避け得たのはただの僥倖でしかない、いや、避け切れなかった。
シィエラザードとしての鋭い感覚が、眼で捉えるよりも早く回避行動を取らせていた。
身体の中に飼った沢山の獣から、咄嗟に出した獅子女が魔細胞ごと半分以上蒸発した!
相手方から繰り出される攻撃は容赦無く連撃となって襲い来る。
右手から出した百頭竜が次々と爆散するのを、今迄味わったことの無い焦燥感と共に信じられない気持ちで見詰めていた。
目に見えない速度で縦横無尽に繰り出される相手方の攻撃は、唯の突きと蹴りだったからだ!
時空転移術で可能な限り後ろに下がった。
「復讐と言う呪いに取り憑かれた俺は、強くなる為ならなんでも遣った……いつしか、どうしたら今より強くなれるのか常に考えるのが性になった」
「だから魔力は俺と共にある、今では溜めておけるだけでなく魔素は無尽蔵に生成出来る」
離れない!
振り切れないっ! 回り込めない!
何処迄も付いてくるっ!
「絶対無敵の占有結界に胡座を掻いたお前は、研鑽を怠ったツケとして魔素の貯留能力も、転換リアクター技術もついぞ身に付けることは無かった」
「およそ魔導を極めんとする者は、いつ如何なる時でも遅滞無く魔術を発動する為に己れの内に魔力を溜めるが必定、その道理が分からぬは減点4だ」
「更に、鼠色が混じる紫の瞳は“透徹の賢者眼”と見ゆるが、それ故修羅と惨劇に生きると決めた傾奇者の俺達の愚かなる胸の内を覗くことは叶うまい……通用しない相手が居ると想定出来ぬ程の平和ボケは最早惘れるを通り越して陳腐ですらある、減点5」
「子宮か孵卵器のような世界で歯車として生きてきたお前に、俺の思いの丈を越えることが出来るかな?」
「言っとくが俺は、大抵の魂をその存在ごと滅却出来る」
瞬間転移で追って来る相手は、もう光の速度を超えて追尾して来るので可視光の視覚は全く役に立たない。
“逃げ水のシィエラザード”と異名を取る傍流の遁走術……渾身のバックステップ、鍛え上げられた瞬間転身のサイドステップが、そして光速移動も、明滅する程の連続転移も、あろうことか、男は、その驚異の追手は、まるで嘲笑うように肉薄し続けた。
方向転換してさえ特殊相対性重力赤方偏移も光のドップラー効果もあらゆる物理法則を無視して、どう言った方法なのか肉声で話し掛けてくる!
しかも文字通り目にも留まらぬ速さで、外連味のある体術を連続回し蹴りから蹴り上げ、蹴り下ろし、貫手と休み無く仕掛けながらだ。
次第に突き蹴りの技さえ光速を超えつつあった。
身体の中に108の魔物と13の“大罪”を宿す、この傍流シィエラザードが手玉に取られている。
防御に徹せざるを得ない強襲に、何処にそんな底力があったのか、耐え続けられた自分が不思議ですらあった。
既に百頭近くの双頭熊とそれに倍する数の大鷲の怪物、エトンが倒された。全て打突と蹴撃に依る。
「キメラ遺伝子か、面白えな」
言い当てた相手から逃れる術は無さそうだった。
相打ち覚悟で最強の“大罪”、強欲を呼び出すと共に横を擦り抜けるか逡巡する迄に追い詰められていた。
「おっと、ここ迄にするか」
「最初に言ったろう、折角逢えたんだから挨拶がてらジャブを咬ましに来ただけだ……また逢おう」
猛攻が嘘のように、あっさりと鬼のような格闘魔神は去った。
(身支度を整えた方がいいぜ、殆ど裸になっちまってる………)
(次に逢う時は燃え尽きない繊維の、無様且つ不格好に破れちまわねえ、上等なパンツを持って来てやるよ)
去った後に伝えて来たが、気がつけば猛速度での移動の摩擦熱と体細胞を増殖し変化させる怪物具現化の技で、着衣は擦り切れ、下着ごと塵と蒸発していた。
咽喉はひりつき、息継ぐ間も無いノーブレスの長い戦闘に、酸素を求めて開いた口に流れ込んだ汗がどう言う訳か酷く苦く感じられて、激しく咽せた。今迄に感じたことの無い徹底的な敗北感にまみれて、嘗て無い迄に己れの非力さ加減を痛感し、気を失う程の疲弊と徒労感で唯々茫然となった。
自動治癒と常時回復がまったく追い付いていない。
肩で息をしながら、危急存亡の事態に如何に対処すべきか考えあぐねて途方に暮れた。
空前絶後の圧倒的な戦力差に悲しい程の絶望感があった。
だが同時に、長い長い人生で初めて恋をしたような顕貴を覚えてもいた……見たことも無い悪相、稀相、そして凄まじい迄の凝念に吞み込まれそうなのに、その面差しにはどうしようもない大きく深い悲哀を乗り越えた者だけの、確かな泰然自若があったからだ。
たった一度出会っただけの正体不明の男だが、皆迄語られずとも私には何故か腑に落ちた。
膨大な過去の記憶には、そんな悲しい人々に謁えた思い出もある。
その最たるものは、本家のシィエラザードだったけど………
この子宮世界で絶対に失ってはならない神器のひとつ……48の最強幻魔神を封じ込めた“アラジンの魔法のランプ”は、こうして敵方の手に落ち、この傍流シィエラザードは手も足も出なかった。
本家は、この異世界からの侵略者としか思えない、真の怪物染みた異能の者達の趨勢を、一体何処まで知っているのだろうか?
勿論それが主筋であるほど筆者は酔狂ではありませんが、動物姦、所謂獣姦について本編では幾分遠回しに描いてみました
神話や寓話の類いにはよく登場しますが、有名なものではミノタウロス誕生の切っ掛けになるパシパエの話があります
ギリシャ神話で、奸計によりエロスの弓矢に射られ、牡牛への恋心を抱いたパシパエは思いを遂げる為に工匠ダイダロスに相談します
ダイダロスは木で牝牛の像を造り、内側を空洞にして牝牛の皮を張り付けたりして工夫し、像を牧場に運び、パシパエを中に入れて牡牛と交わらせました
この結果、パシパエは身籠り牛の頭を持った怪物ミノタウロスを生んだ、と言うお話です
大抵の場合神話には元となる伝承があったりします
実話とも思えませんが、実際に牛と試した女性は存在したのでしょうか……想像してみて欲しいのですが牛臭いし、第一不衛生です
ポルノ雑誌や海外のサイトには、そんなエログロの画像もあるようで馬といたしている女性は記憶にありますが、牛が相手と言うのは残念ながらあまり見たことがありません(筆者、その手の方面はあまり詳しくありませんが)
馬のペニスは、人間様の男性器の比較によく持ち出されるので牛よりもデカいのかもしれません
今後、この部分については必然性が無いので本作では取り上げることはないと思いますが、リアルを標榜している以上は女性器がそこまでフレキシブルに対応出来るかどうか、人類史上牛と交わった女性が居たのかどうか……気になる部分ではあります
カマトト=「ぶりっ子」と似た意味の言葉として、本当は知っているのに知らないふりをする、性的に初心らしく振る舞う女性を「カマトト」と言う/カマトトは「蒲魚」で、語源には諸説あるが、知らぬふりをして「かまぼこっておとと〈魚〉からできているの?」という台詞からきているという説がある/元々は江戸時代末期に上方の遊廓で初心なふりをする遊女に対して使われていた
ベリーダンス=古代エジプトの発祥の、中東およびその他のアラブ文化圏でイスラム教が普及する前に発展したダンス・スタイルで、これらを総称するために造語された呼称である/エジプト、トルコ等、アラブ全域で踊られ、13世紀末に建国された当時のイスラム教宗主国であったオスマン帝国でも、スルタンのために世界中から集められた女性がハレムにおける教育の一環としてダンスも学んでいたとされており、スルタンのために踊る姿が描かれた絵画も多く残されている/比較的世俗的なエジプトやトルコでは伝統になっているが、音楽や踊り、女性の肌の露出を禁忌と考えるイスラーム主義過激派〈原理主義者〉には懲罰・攻撃対象となっている/使用されるほとんどの基本的なステップやテクニックは、体の部分ごとに分かれた円運動で腰や肩を床と平行に別々に動かす/一部の中東諸国では子孫繁栄を祈る踊りでもあるため、結婚式に欠かせないものとして肌を見せてはいけないイスラム社会でもベリーダンスだけは特別とされる/ターキッシュ・ベリーダンスの衣装は肌を露わにしたものであり、ダンサーたちは腰より高い位置で留められたベルトに脚を完全に露出させるようなスリットの入ったスカートをしばしば身にまとっていたが、今日のダンサーはエジプト・スタイルを想わせる淑やかなマーメイドスタイルのスカートを穿いている/近年ではジルと呼ばれるフィンガーシンバルの扱いに精通したダンサーも多く、ジルを上手く扱えないダンサーは熟練のダンサーではないともいわれる
オリーブの首飾り〈El Bimbo〉=イージーリスニング界の著名音楽家ポール・モーリアのヒット曲/クロード・モルガン作曲で、オリジナルはビンボー・ジェットが演奏した「嘆きのビンボー」という曲〈東芝EMI EOR-10691〉/1975年1月25日に発売されたシングル盤〈SFL-2001〉はオリコンチャート最高61位にとどまるものの、モーリアの演奏シングル盤としては最も多い約12.7万枚を売り上げている/本曲発表後の各種ライブアルバムに収録されたほか、1988年・1994年にも新録音テイクが発表された/1970年代後半からの来日公演では、観客の手拍子をバックにオーケストラ・メンバーを紹介してフィナーレを飾る定番ナンバーとしても演奏され、日本テレビ系深夜番組「11PM」のコーナーBGMに使用されるなど日本での人気は高い
ウエストニッパー=女性用ファウンデーションの一種で胸部下部よりウエストにかけてのラインを補正する役割を持ち、主に腹部を引き締めて体のラインを細く見せるもの/同様のものにはコルセットがあるが、違いは着脱の容易さ、締め付けの強さにあり、コルセットは伸縮性のほとんど無い素材を使用し強靭な紐で締め付けることでウエストのラインを強制的に作り、時に骨格にまで影響する締め付けの強さを持つのに対し、ウエストニッパーはフックやファスナーを使用して比較的簡単に着用することができ、ある程度の伸縮する余地があり体の肉付きを補正するにとどまる
ヒジャブ=アラビア語で「覆うもの」を意味し、イスラム教を信じている女性〈ムスリマ〉、非ムスリマを含めた着用を法的に義務付けているイスラーム教国内の女性が、頭や身体を覆う布を指して使われることが多い/イランのヘジャブを例にすると、チャードルと呼ばれる大きな半円形の布で全身を覆うタイプと、ルーサリーと総称されるスカーフは頭巾型のメグナエといった簡易なタイプの、大きく分けて二つの種類が存在する
イスラームでは女子の服装に関してシャリーア〈イスラーム法〉で規定されるが、その根拠となる法源には以下の様なものがある
クルアーンの第24章31節には「また女の信仰者たちに言え、彼女らの目を伏せ、陰部を守るようにと、また彼女らの装飾は外に現れたもの以外、表に表してはならない」とある/他に33章でも女子の服装に言及している/ハディース〈預言者ムハンマドの言行録〉では「成人に達した女性は、ここを除きどの部分も見られてはならない、と言って預言者は顔と手を示された」など、服装への言及がある
イスラム法学では、法源を基にウラマー〈イスラーム法学者〉が解釈を行い、ヒジャブ着用が義務になるかどうかは時代や社会環境により一定ではない/最も一般的な解釈では、「女性が婚姻関係にない男性からの陵辱から身を守るために、ヒジャブは必要である」とされる
エクバタナ=地名をお借りしただけなので本作のストーリーには全く関連性は無いが、古代ペルシアにあった都市の名で現在のハマダーン〈イラン・ハマダーン州〉にあたる/古代ペルシア語ではハグマターナと呼ばれ、原義は「集いの場所」となる/エクバタナはメディア王国の首都と考えられているほか、その後のアケメネス朝やパルティアの夏の王都〈夏営地〉にもなった/歴史家ヘロドトスは、メディア初代国王デイオケスはエクバタナの丘の上に宮殿を建てさせ、その周りに民を住まわせたという/またエクバタナの町は七重のそれぞれ色の異なる城壁〈ハフト・ヘサール……内側から、白色、黒色、緋色、青色、橙色、銀色、金色〉で囲まれていたと述べている/最も内側に宮殿と宝物庫があり、城壁はヘロドトスが住んでいた当時のアテネの城壁によく似ていた/ザグロス山脈の入口を扼するエクバタナは交通の中心でもあり、アケメネス朝を貫く「王の道」は、アナトリア西部のサルディスからバビロンを経て首都スーサへと通っていたが、バビロンからはエクバタナを通りザグロス山脈を超えてバクトリア方面へと通る道が分岐していた/ハマダーン中心部から南西に12kmの山中にある、ダレイオス1世とクセルクセス1世によるギャンジナーメ碑文およびケルマーンシャーの東30kmにあるダレイオス1世のベヒストゥン碑文は、この「王の道」沿いにある
フーゼスターン州=地名をお借りしただけなので本作のストーリーには全く関連性は無いが、首都をスーサにおいた古代エラムの地として歴史に登場する/エラム人自身はこの地をハタミ、又はハルタミと呼んでいた/エラムの呼称はシュメールによるシュメール語での他称である/アーリア人が流入後、最初に定住してエラム人と混淆した場所であるため、イラン人には「イラン揺籃の地」として言及されることがある/エラムは古代ペルシア語で「フーズィヤー」であるが、これが現在のフーゼスターンの語源で、フーゼスターンとはもともとの住民である「フーズィー」の人びとの「フーズィーの地」を意味する
パルティア=地名をお借りしただけなので以下略……全古代イランの王朝で、王朝の名前からアルサケス朝とも呼ばれ、日本語ではしばしばアルサケス朝パルティアという名前でも表記される/古代中国では安息と呼称された/前3世紀半ばに中央アジアの遊牧民の族長アルサケス1世によって建国され、ミトラダテス1世〈ミフルダート1世、在位:前171年~前138年〉の時代以降、現在のイラク、トルコ東部、イラン、トルクメニスタン、アフガニスタン西部、パキスタン西部にあたる、西アジアの広い範囲を支配下に置いた/ミトラダテス1世の時代にはシリアに本拠地を置くセレウコス朝からメディアとメソポタミア、バビロニアを奪い取り、その領土は大幅に拡大した/最盛期には、その支配はユーフラテス川の北、現在のトルコ中央東部から、東はイラン高原にまで達した/パルティアの支配地は地中海のローマと、中国の漢朝の間の交易路であるシルクロード上に位置しており、交易と商業の中心となった/パルティアの初期の敵は西ではセレウコス朝、東ではスキタイ人であったが、パルティアの建国当初、セレウコス朝はパルティアを服属させるべくたびたび遠征を行った/その後パルティアの優勢は確実なものとなり、セレウコス朝はローマによって滅ぼされた/パルティアとローマが西アジアで互いに勢力を拡張した結果、両者は各地で衝突するようになり、パルティアとローマはともに、自らの属王としてアルメニア王を擁立しようと競い合った/パルティアは前53年にカルラエの戦いでマルクス・リキニウス・クラッスス率いるローマ軍を完全に撃破し、前40年から前39年にかけては、テュロス市を除くレヴァント地方をローマから奪い取った
ハリーファ=あるいはカリフは、預言者ムハンマド亡き後のイスラーム共同体、イスラーム国家の指導者、最高権威者の称号/原義は「後継者」であり、預言者ムハンマドを代理する者という意味/イスラーム共同体の行政を統括し、信徒にイスラームの義務を遵守させる役割を持つ/あくまで預言者の代理人に過ぎない存在であるため、イスラームの教義を左右する宗教的権限やクルアーン〈コーラン〉を独断的に解釈して立法する権限を持たず、これらはウラマーたちの合意によって補われる
グラスランナー=創作ファンタジー世界「フォーセリア」と「ラクシア」に住む架空の小人族で身長は人間の子供と同じくらいであるが、耳が尖っているのでそれと分かる/その名のとおり、アレクラスト大陸極東地方の「草原の王国ミラルゴ」において多数生息している/分類上は妖精族に属し、エルフやドワーフと同様元来は妖精界に住んでいたものと考えられているが、生まれつき手先が器用で優秀な盗賊〈シーフ〉あるいは野伏〈レンジャー〉となれる素養を先天的に有する/一方、筋力はなきに等しく、戦士〈ファイター〉として身を立てている者は少数派である/また一般の魔法〈古代語魔法、精霊魔法、神聖魔法〉は一切覚えることができないものの、代わりに共通語魔法〈コモン・ルーン〉と呪歌〈バード・ソング〉は使用が可能
ハーフリング=さまざまなファンタジー小説やゲームに登場する架空の種族で、一般的には身長が人間の半分ほどである点を除き、人間によく似た種族とされている/元々の「ハーフリング」という単語はスコットランドやイングランド北部で「未成年者」や「1ペニー銀貨の半分」を示す言葉で、「ハーフリングズ」だと「半分だけ、半ば、部分的に、いくぶん」というような意味になるが、こうしたこともありJ・R・R・トールキンの著作では小人種族〈3~4フィート〉のホビットがこう呼ばれることをよく思ってない描写がある
バルバット=ネックと木製の響板を含む 1 枚の木材から彫られている古代のペルシャの弦楽器でボディの背中が丸くなっているラウンドバックが特徴/アラビアのウードはバルバットが起源で、小さいボディと長いネック、わずかに盛り上がった指板、およびウードとは異なるサウンドなどの違いがあるものの、今日ではバルバットとウードの区別は曖昧になっている/アラビアの伝統音楽で演じられるときウードと呼び、ペルシャの伝統で演じられるときには現在のウードもバルバットと呼ばれている/ヨーロッパでは中世からバロック期にかけて使われたリュートはバルバットとウードが原型/一方、東へはアフガニスタンを通って中国へ伝来したのが琵琶で、日本の琵琶は中国からやって来たわけだから、日本の伝統音楽である雅楽で使っている琵琶は遥かペルシャのバルバットが祖先ということになる
パサルガダエ=地名をお借りした、以下略……アケメネス朝のキュロス2世によって建設された、当時のペルシャ帝国の首都でキュロス2世の墓が存在する/今日ではユネスコの世界遺産に登録されている/ペルセポリスの北東87キロメートルに位置し、現在のファールス州にある/パサルガダエはペルシャ帝国の最初の首都であり、紀元前546年にキュロス2世の手によって建設が開始された/しかし、その建設は途上に終わり、というのも紀元前530年前後の遊牧民マッサゲタイとの戦争中に、キュロス自身が戦死したからである/ダレイオス1世がスーサに遷都するまで、パサルガダエはペルシャ帝国の首都として機能した/パサルガダエの土木工学における最近の研究ではハカーマニシュ朝の技術者は震度7の地震でも耐えうる設計をパサルガダエに施していた/今日では「免震」と呼ぶ方法を用いていたが、この建築方法は原子力施設等で今日も多くの国が採用している方法であり、また日本のような巨大地震が頻発する国で用いられている免震方法である
スーク=アラブ人やベルベル人の世界で商業地区を言う/元来、キャラバンの通る街外れに定期的に立つ交易の市で、祝祭の場でもあり、部族紛争のときも中立性が担保されていたが、やがて恒久的なスークが登場し、現在のアラブ世界では英語の「マーケット 」とほぼ同じ意味で用いられ、物理的な意味と抽象的な意味の両方を含む/古来では季節的なスークとして街外れにある年、ある月、ある週にだけ立つ市であった/例えばメッカにはヒジュラ暦の戦いが禁じられていた神聖なズー・アル=カアダ月にだけ毎年立つスークがあった/家畜や農作物、工芸品が売られるだけでなく詩歌の出来を競ったり、街中の空き地で毎週決まった曜日にだけ開かれるスークは現在でもアラブ世界では珍しくない/アンマンの「水曜スーク」は毎週水曜だけ開かれ中古品を売買し、バグダードの「金曜スーク」はペットを、マラケシュのスークは歌やアクロバット、サーカスで有名である/スークはやがて契約や課税という点からも街の行政の中心へ成長した/市の中心部へと位置したスークは、取り引きの場、行政・司法の座、ハーン〈キャラバンサライ〉、モスク、マドラサ、ハンマーム等を内包する地区を形成した/外部から来た商人は荷物をキャラバンサライの倉庫に入れて数日間宿泊した
モスク=イスラム教の礼拝堂のことで都市の各街区、各村ごとに設けられる/各都市の中心には金曜礼拝を行うための大きなモスクが置かれ、金曜モスク〈マスジド・ジャーミー〉と呼ばれる/このようなモスクは専任職員としてイマーム〈導師〉、ムアッジン〈アザーンを行う者〉を抱えている/エジプトのカイロにあるアズハルのような特に大きなモスクは複合施設〈コンプレックス〉を伴っており、マスジドだけでなくマドラサ〈イスラーム学院〉や病院、救貧所のような慈善施設が併設されている場合もある/これらのモスク複合施設の維持・運営はワクフ〈寄進財産〉によって担われる/伝統的に、モスクは政府の布告を通達する役所、カーディーの法廷が開かれる裁判所、ムスリムの子弟に読み書きを教える初等学校〈クッターブ〉であった
内部にはイスラーム教の偶像崇拝の徹底排除の教義に従い、神や天使や預言者・聖者の像〈偶像〉は置かれることも描かれることもない/装飾はもっぱら幾何学模様のようなものだけで、メッカの方角〈この方角をキブラという〉に向けて、壁にミフラーブと呼ばれる窪みがある/これは、「コーラン」の規程に従ってメッカの方向に対して行わる礼拝の方向をモスクに集う人々に指し示すためのもので、礼拝の場であるモスクに必須の設備である/その向かって右隣にはイマームが集団礼拝の際に説教を行う階段状の説教壇があり、付属設備としては礼拝の前に体を清めるための泉〈ウドゥー、泉がない場合はシャワールームで代用〉などが見られ、礼拝への呼びかけに用いるミナレット〈マナーラ〉を有する場合も多い
ゴブリン=ヨーロッパの民間伝承に登場する洞穴、木立に住み、幼い子を食べる、概して邪悪なもので万聖節を象徴するものである/ハロウィンでは「死者とともに現れ、人間へ妖精の食物を食べるよう誘惑する」と説明するアンナ・フランクリンによれば、醜く不愉快な妖精・教会の墓地の地下や岩の裂け目、古い木の根元に住む妖精で、ピレネー山脈の割れ目から発生し、ヨーロッパ全土へ広まったという
コボルト=ドイツの民間伝承に由来する醜い妖精、精霊で、A・フランクリンは、身長60cm、緑か、濃い灰色の肌をして、毛がふさふさとした尻尾と毛深い脚を持ち、手を持たない、という姿で、三角形の帽子に先のとがった靴を履き、赤か緑色の服を着た姿であるとしたが、今日の日本で最も一般的に普及しているイメージは、アメリカからゲーム的ファンタジーが輸入された時期に影響力のあった犬獣人の姿で描かれることが多く、特に「ウィザードリィ」シリーズにおいては輸入版のイラストレーションを担当した末弥純によって狗頭そのものであるように描かれたことが、このイメージの流布に大きく寄与している
オーガ=伝承や神話に登場する人型の怪物の種族で、北ヨーロッパでは凶暴で残忍な性格であり、人の生肉を食べるとされる/元々は人食い怪物のことで明確な名前があったわけではなかったが、オーガという名前がシャルル・ペローの小説「長靴をはいた猫」で初めて与えられた/日本では「鬼」と訳されることが多い
アヌビス=エジプトの中でも比較的に古い時期から崇拝されていたミイラづくりの神であり、アフリカンゴールデンウルフの頭部を持つ半獣もしくは狼そのものの姿で描かれたが、これは古代エジプトにおいて、墓場の周囲を徘徊する犬または狼の様子を見て、死者を守ってくれているのだと考えられたからである
トロール=北欧ではトロルド、トロールド、トラウ、トゥローと呼ばれ、悪意に満ちた毛むくじゃらの巨人として描かれる/一般的なトロールについてのイメージは、巨大な体躯かつ怪力で、深い傷を負っても体組織が再生出来、切られた腕を繋ぎ治せる/醜悪な容姿を持ち、あまり知能は高くなく、凶暴、もしくは粗暴で大雑把、というものである
ゴーレム=ユダヤ教の伝承に登場する自分で動く泥人形で、「ゴーレム」とはヘブライ語で「未完成のもの」を意味し、これには胎児や蛹なども含まれる/ラビ〈律法学者〉が断食や祈祷などの神聖な儀式を行った後、土をこねて人形を作り呪文を唱え、「אמת」〈emeth、真理、真実、英語ではtruthと翻訳される〉という文字を書いた羊皮紙を人形の額に貼り付けることで完成する/逆にゴーレムを壊す時には「אמת」の「א」〈e〉の一文字を消し、「מת」〈meth、死んだ、死、英語ではdeathと翻訳される〉にすれば良いとされる
マーマン/サハギン=半魚人は、体の一部が魚で残りの部分が人間という特徴を持つ半獣人の一種である/英語ではマーフォークといい、男性の場合マーマン、女性の場合はマーメイドと称される/ダゴンはユーフラテス河中流域に起源をもつ神で、魚の頭部と人の体あるいは魚の尾と人の体を持ち、旧約聖書でイスラエルと敵対するペリシテ人の信仰する神として語られていることから、キリスト教圏では海の怪物としてイメージされる事が多い
スキュラ=ギリシア神話に出てくる女の怪物/「オデュッセイア」では3列に並んだ歯を持つ6つの頭と12本の足が生えた姿と書かれているのみだが、「変身物語」では上半身は美しい女性で、下半身からは足の代わりに幾つかの犬の体が生えた姿をしているとされる/陶器画や彫刻では女性の上半身と魚の下半身を持ち、腰から複数の犬の前半身が生えた姿で描かれ、メシナ海峡に住み、ここを通る船乗りを捕えて食べるので、恐れられた
グール=アラブ人の伝承に登場する怪物の一種で、死体を食べることから日本では屍食鬼〈または死食鬼〉、あるいは食屍鬼と訳されることが多い/伝承によると、砂漠に住み、体色と姿を変えられる悪魔であり、特にハイエナを装う/墓をあさって人間の死体を食べたり、小さな子供を食べたりする
デュラハン=アイルランドに伝わるヘッドレス・ホースマン〈首無しの騎乗者〉、または御者の首のない姿で馬に乗り、首級を手に持つか胸元に抱えている悪しき妖精の一種/ガン・ケン〈アイルランド語:「無頭・首無し」〉の異名もあるが、そもそもは「首無し馬車〈コシュタ・ガン・ケン〉」、別名「音無し馬車〈コシュタ・バワー〉」の伝承があり、その首無し御者がデュラハンとみなされる/家の人が戸を開けると盥にいっぱいの血を顔に浴びせかけるともいわれ、この死の馬車はバンシーと同様、死を予言する存在であり、死人が出る家の元に現れる
リッチ=超常的な力により死してなお生前の人格と知性、全能力を維持するアンデッドで、外見は骸骨か干からびた死体だが動きにぎこちなさはなく、生前の社会的地位〈強力な魔術師や神官、王であることがほとんど〉に応じた、しかし大抵長い年月でぼろぼろになった衣装を着ている/リッチは多くの場合、自ら望んで多大な労力の果て〈複雑な儀式、高度な魔術、希少な材料の霊薬など〉にこの「すでに死んでいるためこれ以上死なない」形態に変異、墳墓など住居の奥で寿命を超越して生前の目的〈研究や修行、統治や陰謀〉を継続している/1976年に発売されたロールプレイングゲーム「ダンジョンズ&ドラゴンズ〈D&D〉」の追加ルールブック「グレイホーク」で「高位の魔術師や神官が不死を求め、強力な魔法や神的存在の力で生前の人格や能力を維持したまま死体に変じた」アンデッドとして掲載されたことにより認知度が上昇/その後も様々な創作において採用され数々のアレンジや解釈が行われ、「リッチ」という単語は「最上位のアンデッド」として広く認識されることとなった
ノーライフキング=1990年国産テーブルトークRPGの「ソードワールドRPG上級ルール分冊2追加モンスター」にて、最上位のアンデッドとして特殊な吸血鬼「ノーライフキング」が登場した/暗黒神ファラリスのお気に入りが死後選ばれて変ずる吸血鬼・ヴァンパイヤと異なり、古代語魔法の一系統である死霊魔術の奥義を用いて自ら変異することに成功したノーライフキングはヴァンパイヤの全ての特性に加えて、生来の能力がより大きく上昇する/変異に用いる儀式を伴う呪文「ノーライフキング」は失われており、新王国歴525年ロードス島で邪神戦争が終結する以前のフォーセリアに存在する個体は全て古代王国時代の強大な魔術師である/公式に設定されているノーライフキングは古代王国末期の死霊魔術師一門門主アルヴィンス・デラクロス、ロードス島最後の太守サルバーン、ルテジア、そして黒の導師バグナートである/ゲームデータやQ&Aではノーライフキングと表記されるが、ルールブックの解説やワールドガイド、小説等では「生命なきものの王」……「不死の王」と当て字をされる
コカトリス=バジリスクと同じく鶏と蛇が混ざったような姿形で描かれ、その生態の伝承もバジリスクに準じ、雄鶏の産んだ卵をヒキガエルが温めて生まれるという〈雄鶏は7歳で、卵はヒキガエルが9年間温めるとされる〉/バジリスクと同じように毒を持ち、人に槍で襲われるとその槍を伝って毒を送り込んで逆に殺したり、水を飲んだだけでその水場を長期間にわたって毒で汚染したり、さらには見ただけで相手を殺したり、飛んでいる鳥さえ視線の先で焼いて落下させたりするとされた
マンティコア=ライオンのような胴と人のような顔をもつ怪物で、怖ろしい人喰いと伝えられる/非常に走るのが早く、顔や耳が人間に似て淡青色の眼を持ち、体はライオンで紅毛、3列に並ぶ鋭い牙を持つ/蠍のような尾をもち毒針がついていて相手を刺したり、相手に槍のように発射できるという
ヒッポグリフ=グリフォンと雌馬の間に生まれたという伝説の生物で身体の前半身が鷲、後半身が馬/非常に誇り高いとされ、グリフォンの習性を受け継いでいる部分があり、その翼で大空を駆けたり馬肉や人肉を好んで食べるとされる
ワイバーン=一般的にはドラゴンの頭、コウモリの翼、一対のワシの脚、ヘビの尾に、尾の先端には矢尻のようなトゲを具えた空を飛ぶ竜とされる/その口からは時に赤い舌が伸び、また炎を吐いていることもある
マーリド=アラビアにはジンマという精霊がいるが、マーリドはそんなジンマたちの仲間で、中でも巨大な姿をした恐ろしい存在として描かれる/ジンマはイスラーム以前からアラビアで崇拝されてきた超自然的存在もしくは霊魂として畏れられ、イスラームでも唯一神アッラーフが、天使と人間の中間的な存在として創造したものとして「アル=クルアーン〈コーラン〉」に登場する/「アル=クルアーン」によればアッラーフは天使たちを光から、そしてジンマたちを煙の立たない炎から創った/一説によれば、ジンマは五階級に分類されるといい、上から順にマーリド、イフリート、シャイターン、ジンマ、そしてジャーンになるという
シムルグ=イラン神話に登場する神秘的な鳥で、伝承ではシムルグの体は象さえ運べるほど巨大だという/鳥の王であり、ゆえに餌として得たものは自身が満腹になると残りは他の動物が食べられるようにとその場に置いていくという/1700年の寿命を持ち、300歳になると卵を産み、その卵は250年かかって孵るという
ティアマト=神話におけるティアマトは後に誕生する神々と違って人の姿を模しておらず、異形の姿を取った/その体躰は現在の世界を創る材料にされるほど巨大で、「大洪水を起こす竜」と形容され、ほかにもいくつかの典拠は彼女をウミヘビ、あるいは竜と同一視し、以前にもその姿はドラゴンであると考えられていた
エキドナ=ギリシア神話に登場する怪物で、上半身は美女で下半身は蛇という姿をしており、陶器画ではそれに加えて背中に鳥の翼が生えた姿にも描かれる/ヘーシオドスの「神統記」ではクリューサーオールとオーケアニデスのカリロエーの娘でゲーリュオーンと兄弟とされるが、出自については様々な異説がある/また、テューポーンの妻でケルベロスやヒュドラーなど多くの怪物達の母でもある
切り紙=武芸の技能等級としては段位や級位など段級位制を採用していることが多いが、段級位制の多くが剣道や弓道など明治時代以降に創始された現代武道や芸道の連盟によって制定されているのに対し、伝位の多くは剣術や居合術などの古武道や書画、茶道、華道の各流派によって制定されているのが特徴である/切紙→目録→印可→免許皆伝→秘伝→口伝
サンギャク=イランやアゼルバイジャンの伝統的なパンで、小麦を練った生地にパン種を入れ発酵させて作り、形状は平たく、三角形か四角形/昔のペルシア兵は各々小石を詰めた袋を持っており、ナーンを焼くときにパン焼き窯にその石を並べたのがナーネ・サンギャクのはじまりとされる
キャラバン・サライ=ペルシア語で「隊商宿」の意味で隊商のための取り引きや宿泊施設を指し、バザールやスークに隣接して建てられた/一般的には中庭がある2階建ての建築物で、1階は取引所、倉庫、厩、管理人や使用人の住居にあてられ、2階は客人である隊商の商人たちの宿泊施設となっていた/アガと呼ばれる責任者や、荷運びの監督、夜警などの役職が常駐していた/キャラバンサライは遠隔地交易の商人の他に地元の卸売商人の事務所や倉庫にも使われ、イスファハンでは前者をタージェル、後者をボナクダールと呼んで区別した/地元の卸売商人はティームやティームチェと呼ぶ取引場や、ダーラーン〈通廊〉で取引を行った
グラン・バザール=古代のメソポタミアや西アジアでは食物をはじめとする必需品を貯蔵して宮殿や城砦都市の門で分配し、バザールでは手工業品の販売を行なった/やがてイスラーム世界の商業が浸透すると、バザールは地域の食料市場も兼ねるようになった/バザールは通りの両側に常設店舗が並ぶ構造が基本となるが、これが発展すると十字路を作り、交差する通りや並行する通りに店舗が増えていき、このようにしてバザールは拡張された/常設店舗はペルシア語で「ドッカーン」と呼び、売買に加えて職人の工房も兼ねた/店舗から独立している工房〈カールガーフ〉や、それより大きい工場〈カールハーネ〉もあった/バザールには同業者が区画に集まり、並行する通りを結ぶ「ダーラーン」と呼ぶ通廊や、さらに大規模な「カイサリーヤ」と呼ぶ通廊があった
歯木=木の枝・根の片側をほぐして歯磨きのように使用し、またもう片方は爪楊枝のように使用される場合もある、虫歯や歯周病を予防する口腔衛生用のツールである/特定の植物の小枝または根を使用した口腔衛生ツールの痕跡は、紀元前3500年のバビロニア、紀元前3000年のエジプトの墓などからも見つかっているし、紀元前1600年の中国の記述からも見ることができる/古代インドで使われたサンスクリット語でダンタカーシュタ〈ダンタ=歯、カーシュタ=木〉という単語がある/紀元前5世紀に仏陀が弟子たちへの教えをまとめた律蔵の中に、ダンタカーシュタを使用するようにというものも含まれていた/これが中国に伝わると楊柳の枝から作られたことから、楊枝となり、それが日本に伝わり、爪楊枝・房楊枝などが江戸時代ごろまで作られるようになった
ターバン=伝統的に中東諸国およびインド亜大陸で用いられる頭に巻く帯状の布/イスラームではアッバース朝期以降、宗教的敬虔さの象徴として扱われ、現代でもウラマーやイスラーム復興に親近感を持つ者が好んで用いる/またインドなどのスウィーク教徒も日常的に用いる
応援して頂ける、気に入ったという方は是非★とブックマークをお願いします
感想や批判もお待ちしております
私、漢字が苦手なもので誤字脱字報告もありましたらお願いします
別口でエッセイも載せましたので、ご興味のある方は一度ひやかしてみてください
短めですのでスマホで読むには最適かと……是非、通勤・通学のお供にどうぞ、一応R15です
https://ncode.syosetu.com/n9580he/





