51.トラップ島戦役
トラップ島戦役……それはシェスタ王朝二十三代にして未曾有の魔族軍の侵攻を迎え撃つ総力戦として、王国の存亡を懸けた歴史に残る攻防が後世に伝えられてはいるが、実際に何が起こっていたかを知る者は極めて少ない。
機動空中ヴィークル機体に換装変形したメシアズ・アーマーはデファクト形態のプロテクター時と同じように、間断なく無限に複雑怪奇なパーツが、意味不明の変形を繰り返していた。最初の内は機能的に何の為なのか、必要なことなのかさえさっぱり分からなかったが、変形形態も含め、建造し創出する全ての端末類、自動戦闘モニュメントの類いがそんな調子で例外無く似たような仕様だった。
この絶え間ない現象をローター・ムーブメントと呼び、どうやら動力を得る為のものらしいと、この頃ようやく分かってきた。
教官の搭乗部分のキャノピーを持つ汎用哨戒フライング・ヴィークル08も似たように見た目がすごく怪しかったので、離陸と同時にスティルス・モードに移行している。
哨戒飛行は、ロレンツォのボウズの願いを聞き届け、“トラップ・イースト”に住み暮らすらしいルイーゼと言う娘の安否を確認し、存命なら安全を確保するためだ。
待ち人来らずで、正直魔族側の大規模侵攻なんてどうでも良かったが、念願の宿敵たる勇者パーティが到着するまでの間は手持無沙汰で暇だ。ちょっとボウズに頼まれたお遣いをこなす気になった。
オー・パーツ対向プロテクター、“救世主の鎧”は俺に自らの性能スペックを伝えて来るんだが、正直理解出来るものもあるが何のことやらてんで理解不能なものもある。
俺と言う器が小さ過ぎて、この神の装置の機能を充分に生かし切れていない感じだ。
それもあるが、決して焦ってるわけじゃねえにしても、膨大にストックした魔術やスキルをより効果的に駆使するテクニックや組み合わせにも、この頃思い悩んでいた。
魔術に関しても曲りなりにも使えちまう分、いちから学んでこなかったから、魔術式への理解や発動の理屈もからっきしだ。
たまにネメシスとビヨンド教官が原理や応用方法を手解きして呉れようとするが、どうも中途半端な感じがずっとしている。
これをネメシスに相談したところ、科学的思考の“能力”を付与してはどうかと勧められた。
賢者のスキルは絶大な知識量を誇ったが、持てるものを有効に活用する論理的思考はまた別物だという。その辺のアプローチとシュミレーションを可能にするのが、論理思考の“能力”だ。
(大したスペックではないから、対価としてはお前の咽喉にからむ痰を奪うことにしよう……向後、お前は咽喉にからむ痰の感覚を味わうこと、叶わなくなる)
「……なあ、不思議なんだが、それって適正な対価なのか?」
(お前は眠りを失い、瞬きを失い、そして今また、痰のからみを失う……吾と共に在り、吾に依存し続ける限り、お前はひとつひとつ人としての営みを失う)
(最後に残るのは、復讐を成し遂げる憎しみだけになるだろう)
それは願ってもない、俺が思い描く理想的な死刑執行人の姿だ。
煙草を吸っても、痰切り飴のお世話にならなくて済むのは願ったり叶ったりじゃないのか?
そんな陳腐な対価を支払った後、シェスタ王国危急存亡の最前線にやって来た。北大陸西部戦線の主だった魔族の襲来は、700万以上の戦力を投入していると言う。今の内に勇者パーティの身柄を掻っ攫う段取りに戦場を俯瞰して置いても、損はなさそうだ。
未知の勢力だったが、大袈裟かどうかは別にしてネメシスに言わせると敵側西部戦線の全部隊が集結しつつあるようだった。
魔族側の思惑が奈辺にあるかなんざ全く興味は無かったが、少なくともあまり好い印象が無い王国軍が痛めつけられるのには、ざまあ見ろって気が無くはねえ。
シェスタは、隣国西ゴート帝国のような覇権国家ではない。謂わば中堅……何ゆえここを突いてくるのかは謎だったが、あわよくば魔族の指揮官クラスに高威力のスキルがあればパクる。奪い尽くすことに慣れ切った俺には、魔族に対して最早それ以外の興味は無かった。
満を持して打って出た俺達一行は、こうして戦地にて勇者パーティを待ち受けている。
本格的に冒険者を生業にする気も無く、昇級手続きをしていないから、変わらず蒼鉛クラスのランクE……流れの同業者からは唯の駆け出しと目されることも多いが、気にもならない。
俺の目的はひとつだけ……それももうすぐ叶う。
例え相手が糞な神だろうと無慈悲な悪魔だろうと、立ち塞がる者あらば完膚なき迄にぶちのめさずには措かない。
神々も悪魔共も、目ん玉剥いて照覧しやがれ……不退転が俺の覚悟を見るがいい。
絶望と、絶え間ない苦悶と、悲劇を断罪する血に飢えた鉄槌だけが支配する我が復讐のステージに、狂おしい迄に蠱惑的な渇望が俺を押し上げる。
世界が見ている。俺は、俺の復讐を世に問い、世は俺の前例の無い蹂躙と惨劇に恐怖する。世界がそれを待ち望んでいる。
猛り狂った復讐の炎が、今まさに俺の脳髄を焼き焦がす。
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「モーガン、うまくズラかれそうか?」
「いや、王国軍の監視はねえがセルジュ出張所のスザンナ達の目がある、チャンスはある筈だから、もうしばらく様子を見よう」
「スザンナの姉さんは、あのソランとか言う新人に掛かりっ切りじゃねえのか? 窓口のぶりっこ振りはすっかり影をひそめてるぜ」
「そうかもしれねえが、なにせあのスザンナだ、あの女の鋭さはおめえ等も知ってるだろっ」
「でもよう、あの振るい付きたくなるようないい女がよう、あの様子が好い優男にべったりだぜ……まぁ、男っぷりが好いのは認めるがよ、ちょっと薄っ気味悪い雰囲気あるよな、あいつ」
「この間帰ってきたら、顔半分、仮面みたいなもので覆われてるしよ、なんかますます不気味さに磨きが掛かってねえか?」
「あいつにはかかわらねえ方がいい、抜き身の刃物のような危うさがある……下手に触れれば、血の雨を見るかもしれねえ狂気をはらんでいやがる」
「えぇ? セルジュの出張所で昼飯を喰いに行ったら、訳ありの臨時雇いだっけか……アザレアってのにへこへこしてるの見たぜ」
「まだ駆け出しのEランクだよな?」
夏でもどんよりした灰色の雲に覆われて、今にも雪でもチラつくんじゃねえかって空模様の下、獣人族達の寂れた漁村は、可成り海っぺりから離れてやがる癖に見たこともねえ北の海鳥がミャウミャウと騒がしく群れ飛んでやがる。
遠征中は髭も当れねえから伸ばし放題になった無精髭を気にしながら、俺はクレインクインで巻き上げる方式の俺の長年の得物、精霊の加護が宿ったアダマンタイトのクロスボウを無意識に摩った。
「お前等は見たことがねえから、そんな甘っちょろいことを言ってられるんだ……俺は偶然スザンナ達二人の立会いを見たことがある」
「ありゃあ人智を越えてるぜ」
「ありゃあヤベー、兎に角敵に回しちゃいけねえ奴だ、おめえ等も噂ぐらい聞いてるだろ、あいつが勇者に彼女だか姉貴だかを寝取られたってえのを」
セルジュ村に滞在する流れの冒険者にも強制クエスト、所謂ミッションの発令が伝えられ、運悪く徴用されてパーシヴァル半島の局地戦の戦場に派兵されてしまった。送り込まれた先は、優先保護対象の人間様達が住み栄えるトラップ島の港街じゃなく、主に獣人族達を中心にした小さな漁村だった。
表港の繁栄した交易都市を“トラップイースト”、こっちの廃れた漁師町を“ウエスト”と称するのは、性が悪い冗談みてえで笑えねえ。
どうやら王国軍単独では持ち支えるのが怪しくなって、民間軍事組織や傭兵団などにも王命で強制依頼があったらしい……運悪く、丁度セルジュに滞在していた俺の他に、ソロでやってる3人、幻術使いの盗賊職ナイジェル・コリンズ、退魔召喚士のダグラス・トールマン、ドワーフ出身の無手の精霊格闘家ガリン、他数名の冒険者達に白羽の矢が立った。
つまり、不運にも逃げ出すのが遅れた全員だ。
魔族軍が大挙して押し寄せるのに出遅れた正規王国軍は、近隣在野の村々から民間兵を徴用し、従軍させた。戦闘訓練の無い農民達がどれ程の戦力になるのか、俺達冒険者には良く分かっていたが、半ば強制的に連行された一般人はいい迷惑だったろう……おそらく、運が悪ければ死ぬことになる。
それだけしてもシェスタ混成部隊は、400万にも満たない。
魔族軍は700万を下らないだろうと言われている……対魔族連合軍、それに同盟条約のある西ゴート帝国軍に応援要請を出してはいるが、間に合う筈もない。
最後の頼みの綱は、シェスタの召喚勇者のパーティだった。
だがいつ来るかもしれねえ勇者を殊勝に待つつもりなんざ、俺達狡すっからい流れの冒険者には更々ねえ……貧乏籤を引くのは真っ平御免だった。
強制徴兵でこそないが、事実上の民間兵として、ギルド、そしてその上で王命を発令した国の意向には、俺達鑑札持ちの冒険者は逆らえない。
近隣の村々に居た冒険者達も一様に連行された。
“連行”と言う語呂を使うと正規軍は目くじらを立てるが、作戦行動を自由に選べない時点で、俺達冒険者にとっては事実上、連行と同じことだった……つまり遣い潰しの戦力だ。
こんなところで犬死するのは御免だった。
「……それではまるで、この世には凌辱の快楽に狂う女と、これから凌辱されることを望む女の2種類しか居ないと、この身が主張しているみたいではないか?」
「教官、誰もそんなことは言ってねえだろっ!」
「てか、子供の前でそんな話すんなよ、バカ、相変わらずデリカシーがねえなっ!」
防衛ラインを割振られた獣人族の村はずれで、スザンナ達が言い争う声が聞こえてくる。何か揉めてるようだが、傍から見てるとまるで痴話喧嘩みてえだ。
羽振りがいいのか、二人共戦闘衣が高価そうだ。特にスザンナが身に着けてるのは、あの光り方からして多分オリハルコンだ。
解せねえのはソランだ。出師だってえのに鎧の類いを、全く寸鉄も帯びてねえ。薄気味わりい実力から駆け出し特有の油断があるとも思えねえが、正可に早くも天狗になったか、戦場での防具無しは命取りもいいとこだ。
農民兵に配給のあった戦衣も、シェスタの国旗と同じ黒と黄色に染め抜かれた揃いのリブリーも、俺達臨時雇いの分まではねえ。俺達のは全て自前だ。
側にこの村の黒猫族の坊主が佇んでいる。
体毛の濃いこいつらは、見る限り夏でさえ冷たい海風にも薄着で平気そうだった。
猫って奴はもっとこう、寒がりかと思ってたぜ。
小僧は、ソランの野郎が助けてからずっと懐いている。
先日、俺達が従軍させられて防備に就いた日に、突出した魔族軍のはぐれだろう凶暴そうな陰獣魔に襲われてるのを、逸早く見付けたのがソランだった。
「しっかしよう、どうも遣る気が出ねえ」
「王都軍の奴等はあからさまに、獣人族は保護対象外みたいな顔しやがるし、正国民だかなんだか知らないが、人間の街の奴等も差別的な態度をとるし……なんだろう、お高くとまってるってえのかな……いまいち気に入らねえ」
「仕方ない、ここいらの土地柄では昔から亜人種差別主義が根付いていてな、王都の融和政策部署も本腰を入れないから中々改善は進んでいないのが現状だ」
「チッ」
奴の舌打ちと苛立ちが、こっち迄伝わってくるようだった。
「おじさんっ、おじさんっ」
「んんっ、何だロレンツォ、、チョコレートならもうねえぞ?」
しゃがんで小僧の目線に合わせるソランは、大して子供好きにも見えねえ冷酷な風情の癖に、小僧に好かれてるようだった。
ギルド長代理のエイブラハムがこんな時の為にストックしていた兵糧食に高級菓子の部類に入るチョコレートもあって、太っ腹にも俺達にも配給があった。それだけここの戦線は厳しいってことだろう。
たかがチョコレート程度で命を掛けさせられるこっちは堪ったもんじゃねえ。
だが、このソランと言う男、なんの絆もねえ見ず知らずの子供に恵んじまったらしい。
「昨晩、見回ったときにルバーブを摘んだ」
「ボウズんちの台所を借りて、コンポートにしたのをタルトに焼いた……もう食べ頃だろう、お袋さんのところに戻ろうか」
「おいおい、そんながっかりしたような顔すんなよ、ちゃんとボウズの好物のミンスミートのパイも焼いてあるからよ」
何が気に入ったのか、この見た目は凶悪そうなソランという男、以来助けた小僧の家に入り浸り、懇意にしてるらしい。
スザンナ達が村の集落に戻るのに俺達の脇を通り過ぎる。
「あぁ、そうだ、モーガンのおっさん達に頼みがあるんだ」
立ち止まった隻眼の優男が話し掛けてきた。ちょいビビるぜ。
「……万能汎用型端末、AMTフレームがここを最強シールドで保護している」、「この間から機を伺ってるようだけど、別にトンズラする必要はねえぜ?」
何気なく構えていても一分の隙もねえ……最初の内は分からなかったが、気が付いてからそう言う目で見てみると、こいつの発してる気は尋常じゃなかった。
顔の左半分を覆う不気味な仮面も相俟って、半端じゃない圧力なのに、幾ら命の恩人だからってよくこの小僧は懐いてるな?
猫耳と特徴的な瞳孔の猫目をクリクリさせて、日がなソランの後を金魚の糞のように引っ付いてやがる。
まだ幼い黒猫族の夏毛は短くて艶がある。上等な羅紗みてえな光沢が腹、胸以外の全身を覆ってるのが生き物として贅沢だ。
「なんでそんなに自信たっぷりに、安請け合い出来るんだ?」
「確かコリンズのおっさんは遠視と鑑定が出来るよな……瞬間、スティルスを解くから、見てみるといい」
ソランが指し示す方向を、襟首に鐔のある鉄兜を取ったコリンズが振り仰ぐ。遥か天高く、何かが浮いていた。
「なっ、何だありゃあっ?」、「随分と変梃りんな機械だっ!」
生え際が後退した額に手を当てて、乱杭歯の目立つ口をアングリと開けたコリンズは、素っ頓狂な声を上げた。
「可変式オールレンジ万能防御型、万能攻撃マルチプル・ターミナル、“イリュージョン・インセクト”だ」
「よく機械だって認識出来たな……あいつがこの村を取り囲むように36機、待機している」
「西部戦線の主力部隊がここに押し寄せる可能性は万にひとつもねえが、雑魚の100万や1000万なんざ屁でもねえ」
「眉唾だっ!」、「大法螺だっ!」
俺達は口々に反発した。到底、信用出来るような話じゃねえ!
「まっ、信じる信じないは勝手だけどな」
「命が惜しかったら、この村に留まった方がいい……それで、ものは相談なんだが、もし俺達が留守したらこの村の面倒を見て欲しい」
「戦闘にはならねえ筈だから、怯える村人達を宥めたりとか、独り身の年寄りなんかを非難させたりとかかな?」
「おめえらはどっか行くのか?」
「俺達ゃあ勇者パーティが参戦したら、そっちに行く」
「ちょっと、お礼をしなくちゃならねえ」
ちょっとお礼、と言うニュアンスに並々ならぬ思い入れがある……陽が翳るような幻視を見る程の、激しくも重い威圧にそれと知れた。
素行の悪い勇者に恨みがある……“リベンジ”と言う言葉が浮かんで消えた。
よけりゃあ、後で坊主の家にミートパイを喰いに来いよと、誘われた。出張所の食堂じゃないから、金は取らないと言う。
俺達は、ソランと言う得体の知れない冒険者見習いに従う覚悟を決めて、粛々と相伴にあずかった。
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かなり内陸でも海風の影響か、防風林が拈た生え方をしてる。
海岸線に白く見えるのは、消波ブロックに打ち付ける波の花ってやつだとネメシスが教えてくれた。見事な護岸は古代の石工達が築いたものらしい。
教官と村の外を見回っている。
正規軍はトラップ島表海岸にある人間達の街の防備に着いた。掻き集められた冒険者の殆どもそっちに行った。
普通だったら、こんな数名でこの村を受け持つのは無理だ。王都の軍人達、少なくともその司令塔は獣人族の村などに構ってはいられないと言うことだろう。
選民主義もいいとこだ。
「防具の具合はどうだ?」
「うむ、申しぶんない……済まぬな、こんなに高価なものを譲って貰って、さぞや高かったのだろう?」
海風に靡くダークブロンドの髪を押さえて返すビヨンド教官は、今は通常運転だ。
時々、ひどくポンコツだったり、ひどくあからさまだったり、芝居掛かってる割りに残念だったりするのが、この頃分かってきた。
700年生きたからって、大成するとは限らねえ。
ジグモント・ルーシェの最高級武具店、“イシュタルの聖杯”で3000万ガルバスだったって話はしてねえ。
俺が装着し続ける“救世主の鎧”は、普段こそそこに在り続けてるのに影も形もねえが、いざ次元位相を解いて現界するときは邪魔なものはパージしてでも俺に蒸着しようとする。
例えそれがオリハルコンとミスリルで出来た高価なライト・アーマーであろうともだ。
斯くて貧乏性の俺は、冒険者にあるまじき全くの防具無しと言う格好でうろついていた。胴衣は刺し子の薄いものに変え、下もブレーとファスチアンと言う羊毛と亜麻の混紡のホース、コッドピースと身体にぴったりするものに穿き替えた。
全て、目立たぬグレーで統一している。
いつ如何なる時も俺と共にある神の如きオーパーツ対向プロテクターは徐々にではあるが、俺に自らの性能を理解させるべく、その情報をダイレクトに浸透させつつあった。
こんな神のような装置が、砂漠の廃神殿に眠っていたなんて、まるでまったく出来の悪い法螺話か与太話のような類いに括られる、悪夢の如き真相の悉皆だった。
それを引き当てた奇跡のような悪運の強さを、俺は誰憚かることなく誇ってもいい筈だ。
なにせ、その存在自体……オリジナルから分離された良心のペルソナを刷込まれた特別なクローンの存在自体が、大陸救済協会でも知る者は少なく、同じワルキューレ内でさえ探索を仰せつかった別動隊たる“夜の眷属”チーム以外には認知されていない。
ましてや装置の存在、そして装置の完成自体が、オリジナルのセルダンにさえ把握出来てすらいない……そう思われた。
3000万ガルバスのライト・アーマーは、俺より背が高く凹凸の多い教官に合わせるのに装着帯の調節と、流石に胸周りは調整が利かなかったので、教官自らが鍛冶スキルで打ち直した。
火入れも無しに金属を変形させる不思議なスキルだったが、実はオリハルコンもミスリルも生半な鍛冶窯じゃあ打てないそうだ。
これを教官は薄めのブリガンディーンの上に装着している。
教官好きだよな、ブリガンディーン。
女物の仕立ては胴が括れている。
良く似合ってるぜ……と、言葉に出さずに褒めておく。
今回、教官は手に一番馴染むと言うシャムシールを帯剣していた。新月刀とも呼ばれ、砂漠民族がよく使う湾曲した刃の薄い片刃のソードだ。ここいらじゃ珍しくて、俺も教官以外に使う人を、実は見たことがねえ。
また先祖伝来とか言う、ハンジャルって同じく異国風に湾曲したダガーを帯剣ベルトに手挟んでいる。
金銀で宝飾された高価そうな鞘と、束は鹿角か象牙だな……実はすごく強い神聖力を感じるんだが、どうも古い書式の複雑な認識阻害があって、俺の心眼でも良く分からない。
「ところで、間違いなく勇者一行はここに来るんだろうな?」
(シェスタ王国始まって以来……と迄は行かなくとも、この戦役は誰が見ても国の危機、王命が出ておらぬ筈は無い)
(如何に独立遊撃隊としての身分を保障されているとは言え、王命には逆える筈もなかろう?)
おそらく勇者等は、起死回生、劇的な反撃を演出する為に遅れてやってくる……それがネメシスの読みだった。
俺に取り憑いたあの日、用意周到なネメシスは既に勇者にはマーカーを設定してあるので、半径50km圏内に入れば立ち所に感知出来るそうだ。
トラップ島はパーシヴァル半島の突端にあるデカい島だ。
本土とは浅い海峡で隔てられている。
交易流通の要所として栄えているから、ここが叩かれるのは国としても大打撃だ。いや、それ以前にこの布陣じゃあシェスタの領土や所領は蹂躙し尽くされるかもな。
シェスタの冒険者ギルド連盟が、国からミッションを課せられた。
北大陸の魔族側西部戦線の主力部隊が、パーシヴァル半島の最突端沖に集結しつつある。水棲の魔族以外は軍船に乗ってやって来るそうだが、魔族にどんな造船技術や海戦、用艦の智略があるのか不思議に思って訊いてみると、西部方面隊に限っては、樹木系のモンスター、トレントやその上位種に当たるドライアドなどを大量発生させて、造船用の建材に使うらしい。
しかも生きたまま建造された軍船は、そのまま分裂して揚陸艇になったり、変形して艦砲射撃紛いの攻撃をしてくるそうだ。
兎に角、ここ何十年と絶えていた魔族側大規模侵攻は、その数700万とも1000万とも言われているが、ネメシスに依ると前線に配される武装したジャイアント・エイプなどの軍用魔獣隊も数に入れると、優に1500万近くになるって話だった。
奴等の西部戦線とやらの全勢力が集結しつつある。
王都軍司令部は完全に戦況を見誤っている。いや、分かっていてもどうしようもないのかもしれないが……おそらく魔族軍は、ここを橋頭堡にして内陸侵攻を開始する。
ことの重大性に気付いた対魔族連合軍が駆け付けても、遅過ぎる。
多分、シェスタ王国は滅びる。
俺の知ったこっちゃないが、ただ、それでも俺の生まれ故郷のボンレフ村が蹂躙されるのだけは避けたかった。
何故今なのかって疑問は残るが、国外列強の軍事評論家が唱えた仮説、“魔族蝟集周期説”ってのが一般には信じられてるらしい。
曰く、膨れ上がろうとする魔族陣営は、ごく些細な現実として食物連鎖のヒエラルキーと捕食関係、所謂弱肉強食を絵に描いたような図式で、生命の進化とも言えぬ進化を繰り返してきた。
いや、多分それも進化なのだろう……より強い種を産むと言う為の正しい進化だ。
だが、進化の方向性がより残虐性を求め、より強固で攻撃力に優れた種を造り出すと言ったディレクションを持ったとき、強烈なブーストを全体で掛けようとするムーブメントが群体で起こる。
一種、エポックメーキング的な転換点としてビフォアとアフターが明確に分かれる分岐が周期的に遣って来る、そして群体が蝟集し熱を帯びた闘争の果てに新たな進化が遣って来るとした説……それが学者や識者が唱えた“蝟集周期説”だ。
総てネメシスの受け売りだったが、例外無いそう言った大規模な魔族軍との攻防は、ここシェスタ王国でも50から70年ごとに繰り返されていた。
だが、実際は技術供与をした際の大陸救済協会が魔族サイドに行った密かな刷込み……遺伝子レベルに組み込まれた闘争本能の周期的高揚効果を齎すある種のホルモンのせいだと、ネメシスは言った。
「なんでそんなことが必要なんだ?」
(セルダンとしては、進化に拍車を掛けて何か自分の手駒になるものを生み出したかったのであろうよ)
「闘って……闘いの果てに、一体何があるって言うんだ?」
「それは、素晴らしく価値のあるものなのか?」
今の俺には、裏切った女達と勇者への復讐以外に価値のあることは見い出せなかった。
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「モーガンのおっさん、その骰子見してみな」
「えっ、なんだよ、如何様だってのかよっ」
こんな場だってのに、平気で仕込むモーガンのおっさんの図太い神経にゃあ正直惘れるが、これが転んでもただは起きない冒険者って奴かもしれねえな……
「おっさんが、賽の縁に薄く尺取り松脂を塗るってのは、出張所出入りの面子の間じゃ有名な話らしいぜ?」
自生種は少ねえが、蛞蝓赤松って松の樹液は面白い性質があって、一定の圧力が掛かると反発して弾ける。
普通は子供の玩具なんかに使われるだけなんだが、如何様師がよく使う便利アイテムとして知られてる。
「いっ、言い掛かりだっ!」
「ふうぅん……まっ、いいや、おっさんらを持て成す積もりの賭場だ、儲けは特別ボーナスで持ってきな、こんだけありゃあプリマヴェーラで一晩どんちゃん騒ぎしてもお釣りが来るんじゃねえか?」
プリマヴェーラってのは王都の近くにある一大歓楽街、風俗の殿堂で有名な街だ。世間一般で言うところの悪徳の街……聞いた話じゃ、カジノや娼館を筆頭に有りと有らゆるこの世の快楽を満たすらしい。
「その代わり、稼いだ分はしっかり働いてくれよな」
村の目抜き通りのど真ん中で、おっさんらと車座になって手慰みの骰子賭博に興じていた。鼻薬を嗅がせるっつうか、金で釣ろうって腹で大盤振る舞いした。
冒険者家業も板についてきた俺は、最近じゃあちょっとした小金持ちだ。取って置きの馬鈴薯の蒸留酒を放出して酒盛りしながら、昼日中から博打を開帳していた。
歴戦の冒険者の筈が、熱くなってバシネットやサレットの保護帽、年季の入った胸甲プレートや肩甲、片手半剣を放り出している。幾ら何でも無用心だろう、おっさんと思ったが……ま、いっか。
「ガリンのおっさんの長手甲はジャマダハル、別名ブンディ・ダガーが仕込まれてるのか……スプリングで飛び出す仕掛けの刺突武器は拳法家に向いてるかもな」
口数の少ないガリンのおっさんは、酒焼けした赭ら顔で黙ってニタニタ笑っていた。
最近じゃあ、黙っていても大体相手の力量がわかる。
この超接近戦の専門家は、精霊術爆殺拳とかの使い手として頼りになりそうだった。
「それはそうと、くれぐれも、村の女衆に無体な真似はしねえでくれよ……紳士的に振る舞うんだ、紳士的にな……じゃねえと長生き出来ねえかもしれねえぜ?」
俺の脅しに、震え上がるおっさんらを見てる限り大丈夫そうだが、なんか使い魔の監視とかを付けといた方が良いかもしれねえな。
「今この村には、女子供、老人しか居ねえ……セルジュの冒険者はマナーを守る、だからお行儀も良くな、粗野な振る舞いは勿論のことだが、手洟とか噛み煙草を吐き捨てるなんてのも以ってのほかだ」
「それとな、紳士は身嗜みにも気を付けてくれよ」
「村はずれに温泉を掘り抜いた、日に一回は身体を洗ってくれ、いいな、こいつは命令だ」
模倣スキルで石工と彫刻の真似事が出来る俺は、掘り当てた湧出する源泉を野趣あふれる岩風呂に仕立てた。
源泉はダウジングのスキルで探り当て、土魔法で1500メートルを掘り抜いた。獣人族の村の衆に開放している。
「まっ、こいつが稼働してりゃあ、魔族軍はここいらにゃあ寄り付かない筈だがな……」
おっさんらに入浴の義務付けを言い含めると、車座になったすぐ傍らに佇立する魔獣魔族忌避装置を見上げた。
俺は立ち上がると、目抜き通りのど真ん中に設置した高さ5メートル程はあろうかと言うその複雑なメカニズムを、無造作にペシペシと叩いて見せた。
滅びたヒュペリオン文明が編み出した使役獣忌避システムを後の大陸救済協会が強化版に改造したって話だったが、エルピスの置き土産はもっと高性能なものが造れた。
俺が装備し同化を進める“救世主の鎧”は、無限にナノマシーン単位の微小端末を生成する。
そしてこれを材料というか部品にして、自分が保持している設計図のデータに従い、幾多の外部端末を建造し、創出する。
この忌避装置も、村の守りに就かせたマルチプル・ターミナル、“イリュージョン・インセクト”もそうやって造った。
実際のところ、防御力一点に於いてさえ、世界を滅ぼすオー・パーツの暴威を防ぎ切るスペックで開発されているインセクトの防護シールドには通常の既存攻撃など、子供騙しも同然だった。
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「極太ペニスでこの身を貫いてくれ」
ブフオオォッ、
俺は奥さんの出してくれたザリガニスープを盛大に吹き出して、正面のビヨンド教官の顔と言わず上半身を悲惨な状態にした。
「おおおおおおおおっ奥さん、こここここっこいつは、別に色情狂って訳じゃねえんだっ、ちょっとここのところ発情期でっ」
「いや、違うなっ、兎に角こいつと俺は清い関係でっ、奥さんが想像したような爛れた行いは金輪際してねえっ!」
ボウズの家で教官と二人、昼飯をご馳走になっていたんだが、夫が王都軍に従軍を強要され別の戦線に出兵されるのに留守を守るボウズの母親、アルマリットさんが驚愕の表情でこちらを見詰めていた。
何か、限り無く残念なものを見るような目付きだ。
ボウズの家の静かな窓際の食卓で落ち着いた昼餐を暢んびりしたためてた筈が、教官の爆弾発言で全て台無しになった。
健全で家庭的な白地に赤のギンガムチェックのテーブルクロスも、小さな硝子瓶に生けられたパンジーも、一気にうらぶれたものへと色褪せる。
「おおおおっお前も釈明してくれよっ、人前で憚かりなく何口走ってんだよっ! 少しは公序良俗わきまえろよっ!」
「この身は男に股間を晒したのは100年振りだというのに、お前は少しも欲情しようとしない……独り身を慰めるのにずっと手淫で我慢してきたこの身のあそこは、そんなに魅力が無いのか?」
濡れたダークブロンドの髪を掻き上げ、手拭きを取り出してスープの汚れを拭き取りながらクリーンとデオドラントの魔法を掛けるビヨンド教官は、またまたとんでも発言をしてくれる。
「あああああああっあのねっ、おおっ奥さんっ、こここここっこいつはね、少し頭がおかしくってねっ、ハーフエルフなんで、すっげえ長生きなんだっ、ちょっとボケ入ってるかもしれねぇっ」
「いいんだよ、ソランさん、取り繕わなくっても」
理解不能な珍獣を見るような目付きは鳴りをひそめていたが、でっぷり肥えてる奥さんは、まるで助平好きなカップルを見るようなニタニタした生温かい笑いで応えた。
「若いんだからしょうがないよ……あたしだって若い頃は羽目を外したものさ、木天蓼酒で正体がなくなる程酔っ払ったら、朝は素っ裸で男と一緒だったってこともしょっちゅうだったさ」
「……亭主には内緒だよ」
俺があんまり取り乱すものだから、気の毒になったのだろう……今は貫禄たっぷりの体格だが、若い頃は其れなりにナイスバディだったかもしれねえアルマリットさんは、昔の失敗談……それも男癖が悪いなんて外聞の良くねえ恥まで披露させちまって、却って気を遣わせちまった。
ボウズが居なくてよかったぜ。
自分の母親が身持ちが悪いなんて、きっと子供はあんま知りたくねえよな。俺だったら知りたくねえ。
「あのね、御上さん……折角気い遣って貰って悪いんだが、ほーーんと、俺達、そう言うんじゃねえからっ!」
アルマリットさんの表情は納得したようには見えなかったが、別に憤慨するでもなく、可哀想な人達を哀れむ風でもなく、ただ淡々と自分の一家言を宣うに押し留めた。
「ソランさん、女を気持ち良くさせるのはとっても大切なことよ、セックスに満足してる女は大抵のことを我慢出来る」
いやいやいや、いや、だから違うんだってのっ、あぁ、どう言ったら分かって貰えるのかな?
「最初は心因性の勃起不全を疑った、いつ如何なる時もエレクチオンしている気配が無い、もしや金丹と呼ばれる易経陰陽五行説の“精を漏らさぬ”ことに依る練丹術を用いているのかとも思ったが、どうもそういう風でもない」
「何故だ、何故女を抱こうとせぬ?」
お前、ちょっと黙ってろよ!
「ソランさん、インポなの?」
御上さんが、同情するような目で見てくる。
「あたしでよけりゃあ、相手しようか?」
「黒猫族は発情期に激しい交尾をする種族なの、あたしは何度も昇天した亭主の逸物を再びおっ勃たせるのが上手よ?」
いやいやいや、いやっ、そりゃああんまりにも留守にしてる亭主殿に悪過ぎるでしょ!
ふさふさした体毛の両頬を肉球のある手で押さえて照れる仕草の御上さん……獣人族の村の貞操観念も充分低いようだった。
「ソラン、この身はこれからお前の為にド淫乱のドスケベ妻になると決めた、昼日中から本気のドエロ子作りセックスをしよう!」
「子宮の奥の奥まで、この身の穴という穴は全てお前のものだ!」
「お前の怒張で奥まで貫抜かれて、思う存分スペルマ漬けにして貰ってこそ、この身はお前の女に成れた気がする!」
あああああっ、情け容赦ねえな、こいつ!
おまけにドストレートに無節操だっ! 誰が俺の女だって!?
「御上、暫し2階のベッドを貸しては呉れまいか?」
「黒猫族の激しい交尾に耐えられるよう、御身達のベッドは至極頑丈だと言う、嘗て取った杵柄、凡ゆる体位に秀でたこの身のテクニックできっとソランを勃たせてみせる」
「下半身だけではない、スッポンポンだ、スッポンポンのこの身を見れば、きっとお前も限りなく興奮する、この身はお前が見たこともないような快楽に狂った痴態を晒すことが出来る」
「魔道具による性器拡張、尻穴プラグ、肛門洗浄、お下劣でイカれた倒錯変態ごっこが良ければ、この身はどんなことでも応えるぞ、どんなことでもだ!」
「目眩く法悦の世界にいざ赴かん!」
何言ってんだっ、この色ボケ教官んんんんっ!
猫人族の抜け毛だらけのベッドで教官と裸の寝技の応酬なんて、俺は死んでもイッヤッダッ!
(んふふふふふ、モテる男は大変だのお?)
ネメシスが茶々を入れる。
(面白がってんじゃねえ、アバズレ!)
「……単純に欲しくねえっ、欲しくねえんだっ!」
「女は信用出来ねえ、だから女と寝たくねえ……それだけだ」
観念した俺は、あれ以来の心境の変化を吐露した。
正直、愛した女が反吐の出るような痴態を晒すのに俺は拒否反応を示した。それがいまだに続いている。
「………………男か? ………男がよくなったのか?」
教官の切れ長の眼は、勝手に行き着いた斜め上の驚愕の結論に、これまで見たこともないほど、目一杯見開かれていた。
心なしか涙目だ。
うおおおおおおおっ、そう言うとこだぞっ、教官んんんっ!
ぜってえあんたの脳味噌は腐ってるっ!
泣きたいのはこっちだぜ!
俺はつくづく女運がねえのかな?
世の中の大部分は、敬虔な女神教徒で身持ちのかてえ女達の筈なんだがな……近頃、見るもの聴くもの、こんなんばっかだぜ。
こんなにも凛と美しく艶やかな教官が、際限なく下品ではしたない真似を繰り返してたかって思うと、長生きするのも善し悪しだって考えて仕舞う俺は、随分と真面なんじゃないだろうか?
「うん、その呼吸を忘れるな」
勇者を追ってトラップ島の戦場を目指す前、曲がりなりにもようやっと“疾風迅雷”の指導を仰ぐに至っていた。
引退したとは言え、剣神と畏れられたエイブラハム・キャリコの技は健在だった。武に愛されていると言えば良いのか、達人とか神域のレベルになると、もう強いとか弱いとかそう言った範疇に収まらなくなる。
戦士としての心構え、武人としての作法、作戦の立案の仕方、気の練り方、ほんの触りの部分だけだったが神秘的な神仙術や精霊武技と教わること、得るものは確かにあった。
矢張りこの男に師事したのは正解だった。重鎮と言うだけあって、その技前は真っ直ぐな王道……教えを請うだけの価値がある。
俺のような復讐に狂った男には、勿体無い程だった。
「普通は、この“纏い”の斬撃を身に付けるのに5年は掛かる、お前は斬る才能に恵まれている」
「と言うよりも、お前の教えを請う姿には、何やら鬼気迫るものがあるのが儂にも分かる……話したくなければ無理にとは言わんが、どんな訳ありだ?」
どうやらビヨンド教官は俺との約束を守って、エイブラハムにも仔細を伝えてはいないようだった。
胡麻塩頭の傑物は、ブロードソードを下げて構えを解いた。
意外にもエイブラハムは、バスケット・ヒルトのブロードソードを多用した。勿論、両手持ちロングソードも得意だ。
俺の元々のジョブが木樵と知ると、戦闘斧の指導もしてくれた。
ギルマス代理は普段、出張所にいるときはクッションのキルティング縫いにしたジャックという胴衣の上にシェスタ冒険者ギルドの紋章の“双頭の竜”を縫い取ったリブリーに、マスター代理を示す緋色の布に白薔薇をエンブレム にした斜めの肩掛け帯を重ねていた。
こいつは確か、ベンドって呼ばれてる。
「仇を討ちてえ奴等がいます」
学ぶ者の礼として、この人にだけは敬語を使う。
ギルドマスター代理の耳にも、おそらくは俺の素性は伝わっている筈だった。
「残念だ、皆までは聞かぬが……お前程の才能であれば後4年、いや後3年、儂の許で地道に辛抱すれば皆伝をさえ与えても良いと思ったが……惜しいな、お前の覚悟の程が判るだけに」
民衆の解放を唱える思想家の周囲に、俺みたいな異分子が長く滞在するべきじゃない。袖振り合うも他生の縁程度に押し留めるべきだ。
所詮、俺のは私怨、立派な理想がある訳じゃねえ……歩む道が違い過ぎる。
寝取られたから、信じた者達に裏切られたから、断罪の権利がある訳じゃねえ。ただ俺がそれを欲しているだけだ。
ルン式呼吸法を身に付けた俺は、大気や万物が持つエーテルから気を取り込めるようになっていた。俺の願いを受け入れたエイブラハムの指導は苛烈を極めたが、何十年振りかに得た熱心な弟子に本気になったようだった。
一切の妥協は無く、基礎からみっちり扱かれたが、叩き込まれた技はそれだけ俺の血肉になった。
“疾風迅雷”の異名に至る武技の真髄、縮地の歩法の奥伝たる武技歩法“刹那”、エレメンタルを駆使し剣に気力による豪壮激烈な効果を乗せる技たる“纏い”……纏いには、風の纏い、火の纏い、水の纏い、光の纏いと様々なものがあり、また“必殺”、“幻視剣”など数多くの武技を得た。
気配遮断に暗殺術、無手の活殺術、暗黒邪術、魔撃技、禁術、禁じ手、禁じ技の幾つかと細々としたものがもれなく付いてきたのには恐れ入った。
免許皆伝とは行かずとも、可成りの部分を伝承したとエイブラハムは言った。後は精進あるのみだと……
「王宮に出仕する息子から連絡があった、かねてから魔族軍の動きを邀撃すべく王国軍は国中の戦力を北方パーシヴァル半島のトラップ島周辺に集結させつつあるが、どうやら冒険者ギルドへも出兵要請が掛かる模様だ」
エイブラハムの一粒種とやらは戦いを嫌い、身分を偽り随分前に難関の登用試験を勝ち抜いて、王宮の主計局に勤めたらしい。
ネメシスが国の動静を掴んで忠言して呉れる迄もなく、国を挙げての戦争になることは前以って承知の上だ。
いよいよだ。
この場面で勇者パーティが出て来ない筈はない。
公開処刑でじっくり血反吐を吐き続けて貰うもよし、心の底から懺悔して貰うか気が狂うまで痛覚を味わって貰うもよし、楽しいプランは色々とある。
斬っては再生し、斬っては再生し、様々な死に方を繰り返し味合わせて、もういっそ心を壊してくれと懇願されても許す気は更々ない。
まぁ、少なくとも俺が満足するまで甚振り続けることに変わりはない。待ってろよ、勇者と3人、会うのが楽しみだぜ。
ヒリヒリするような綱渡りは、そろそろ大詰めを迎える。
魅了・催淫は其の者の心の奥底の願望を叶えると言う。ドロシー、……裏切りは蜜の味だったか?
背徳的な快楽を選んだお前の人生は腐った果物のように、嘸かし饐えた匂いがするのだろう……俺には耐え難い匂いだ。
(いい貌をしておる、復讐者の貌だ)
(復讐の血の祭典も近い、せいぜい怨念を溜めておくことだ)
言われるまでもねえぜ、ネメシス、俺はこの為だけに生きている。
ちっぽけな恨みと嗤わば嗤え、だがこれには俺の報復への願いの強さが、地獄の底まで続く深淵の丈が付いている。
「ミッションが発令されれば、お前とスザンナにも出征して貰うことになるだろう」
エイブラハムは短く刈り揃えたこわい髭に手をやると、複雑そうな表情でそう告げた。
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「おじさん、おじさん」
「ん――、どうしたロレンツォ?」
朝の見回りに良くくっ付いてくる黒猫族の坊やは、俺達に負けず劣らず早起きで、夜明け前から行動開始する前に俺達の天幕に遣って来ては、この頃では昇る朝日にビヨンド教官と祈りを捧げていることが多くなった。
ボウズ達の村、半島の突端に突き出すようにしてあるトラップ島裏海岸はピッテンウーム湾を望む高台にあった。
国中の軍船を搔き集めても大小700隻に満たないシェスタ海軍の主力艦隊はほぼ表海岸の交易港“トラップイースト”のマーデン・マーデンに集結していて、ここピッテンウーム湾には影も形も無い。
まっ、正直勝敗の行方なんてどうでもいい。俺の目的は、勇者パーティ……ただ、それだけだ。
北の海は荒波だったが、今日は幾分凪いで見えた。それでも男手は対魔族戦に駆り出されて、ニシン漁に出る船影は見当たらない。
獣人族半分、流罪になった罪人達の子孫が半分のあまり見返されることのない、言うなれば見捨てられた土地だった。
白漆喰とこの地方独特だろうオレンジ色の瓦屋根が北国の降雪対策の鋭角な切妻を見せて何百世帯と並んではいるが、はっきり言ってうらぶれている。
ボウズ達の村、“トラップウエスト”に足を踏み入れた日、偶然にも逸れたか、単騎の斥候なのかは知れなかったが、腐って骨の浮き出たような醜いジャッカルに似た姿の妖物が子供に襲い掛かろうとしてるのを感知した。
短距離転移の魔術で飛んで間一髪妖怪を斥けボウズを救い出した俺は、母親のアルマリットさんに抱き付かれて、その猫臭い匂いとボリュミーで肉感的な肢体には辟易したが、以来ロレンツォって名前のボウズに、おじさん、おじさんと慕われている。
「ルイーゼのお姉ちゃんを助けてあげて!」
俺の胴衣の裾を握って見上げるロレンツォは、ウルウル猫目を潤ませて何かを必死に訴えようとしていた。
「んんん――――誰だ、そいつ?」
「イーストの街に住んでるお姉ちゃんで、夏の間は僕に優しくしてくれる人」
「んん、どうして夏の間なんだ?」
「夏の間だけ、ウエストに来るの……でも今年はまだ」
要領を得ないロレンツォの話を訊き出すのは暫く掛かったが、要約するとこうだ。
表海岸側、交易都市の“トラップイースト”に住まう貴族だか豪商の家のお嬢様が夏の間、ウエストの村落に近い避暑地用の別荘に滞在するのだが、村の外れにあるボウズ達の家屋にもほど近く、散策するお嬢様とやらと知り合いになったそうだ。
夏でも寒いこの地域に避暑用の別荘ってのはどうかと思うが、まあ金持ちのステータスなんだろう。
仲良くなったお嬢さんとやらは、差別主義に染まった大人とは違ってボウズにとても良くしてくれたそうだ。召使いが用意してくれた菓子などを持って、ボウズに会いに来た。
何の気紛れか、小さな子供には余分な先入観が無いと言うことなのだろうか?
そのお嬢さんとやらも罪なことをするもんだ、幾ら善意で接してもボウズが黒猫族である限り、友情? 親交? そんなものを育む余地は爪の垢ほどもねえ。
それなのにボウズは、そのお嬢様の安否を気遣って魔族侵攻の魔の手から守って欲しいと願う。
「約束は出来ねえぜ、ついでだ、ついでなら見てきてやる」
「おっ、おじさん有難う」
現実世界に絶対は無い。安請け合いは出来ねえが、ボウズの願いを無碍にするのも違うと思った。
それは尊さですら無いのかもしれねえが、顔をクシャクシャにして喜ぶボウズの願いは、俺の薄汚い復讐心とは真逆のものだからだ。
(で、どうする?)
(魔族の軍勢を下見に行くかえ、既に自軍には小競り合いで被害が出ておるようじゃがの)
ネメシスの勧めに従い、俺には全く関心のねえ魔族共の面を拝みに行くことにしてロレンツォを母親の元に送り届けた後、村の漁場を望む岬の崖に来た。
機動力重視で、プロテクターを変形する為だ。
メシアズ・アーマーの空中戦闘機動フォルムは幾つかあるが、教官を着座させるガンナー・キャビンを持つタイプは絞られる。
「ソラン、この間のことは忘れてくれ……どうかしていた」
「この身は過去の過ちを繰り返したい訳でも、決して劣情のままお前と関係が持ちたい訳でもないと言うのに……」
力なく項垂れるビヨンド教官がすっかり意気消沈した風情で、心底悔いているようだが安心は出来ない。
平気で前言撤回する変節漢の何処が信用出来るというのか?
「永く生きて物事に執着しなくなった分、この身はもっとドライな性格かと思っていた……どうも、ままならぬな」
「上手に強請れば、お前も男だからその気になるかと下衆なことを考えていた、済まなかった」
あれを上手と言うのかな、教官の感性が良く分からんな?
「ただ、この身は人が信じれなくなったお前のことが歯痒くてならないのだ、この身を頼って欲しい、もっとこう、胸襟を開いては貰えないのだろうか?」
踏み入ろうとするのは、余計なお世話だぜ。
「教官のことは尊敬もしているし、感謝もしている、ただ……変態の女は好きじゃねえ」
「特に教官みてえな超変態女はドン引きだぜ、あり得ねえ」
面と向かって言い放つ俺に、ビヨンド教官は心底傷付いたような表情を見せた。だが、俺には相手を気遣ってやんわりと言い含めるような芸当は出来ねえ。
諦めて貰うには、はっきり言うしかねえ。
自分自身を“誓い”のスキルで縛った教官は、躊躇わずに命を投げ出すには男と女の関係になりてえって迫った。俺は、俺の気持ちをはっきり伝えず、それを拒絶し続けてきた。
「教官のことは嫌いじゃねえ、ただ俺はどうも淫靡なものに拒否反応が先立つ……ただ、それだけだ」
「所帯を持っていたこと、前に話したことがあるであろう?」
「若い頃は無節操に性の享楽を謳歌していたものだが……この身にはそれが相応しかろうと思っていたのだ」
「犯した過去の禁忌の内訳話だったら、俺は聞きたく……」
「いいから、聴いてくれっ!」
相変わらず、他人の都合を考えない自分勝手さがいつもの教官だった。こう言うところは何百年生きても変わらねえんだろうな………
「99歳の成人の儀を待たずして里を捨てた、母はウエルネス西北部の森エルフ、“アールブ”の民を率いる王族の家系であった」
「父の顔は知らないが、実は母が父と情を通じたとき、母は別に王族同士の夫と婚姻関係にあった……つまりこの身は、母親の不義密通の結果として授かった命という訳だ」
んんっ? そいつは初耳だな……確か、仕来りで一族以外の伴侶は忌避されていたってのは聞いたが、お袋さんが既に婚姻してたってのは聞いてねえ、流石に言いづらかったか?
教官の唇が小刻みに震えて辛そうだった。
伏し目勝ちだった瞳は揺れて所在なさげだったが、今は真っ直ぐ俺を見詰めている。青い瞳はこうして見ると、少し灰色掛かって神秘的ですらあるな。
「長じるまでこの身は自分の素性を知らなかったのだが、口さが無い身の回りの世話をする係の者に真相を聞かされた、父親は当然追い払われたが、母も正夫とは別れさせられ、長い間半ば幽閉の身の上だったそうだ、この身も薄っすらと憶えている」
「幾ら愛し合っているとは言え、この身は母親の浮気で産まれた、罪深い……托卵の娘という訳だ」
「母を恨んださ、だが、それでもこの身にとってはたった一人の母親だ、罵倒することは出来なかった」
人それぞれに何らかの事情ってもんはあるもんだ。
生きる悲しみも……だが、教官、それは教官の抱える悲しみで、俺の悲しみじゃねえぜ。
「この身は生まれながらに汚れている、そう思えば変態願望に溺れるのに何の抵抗も無かった、乳首ピアスも何もかも……理性を失い、狂ったように腰を振り、男のザーメンでマーキングされるのが至福ですらあった」
「気にならない筈だった……50人と言うのは相手の顔を覚えていた者達だ、正直に告白すると半分意識が消えていた……媚薬でトリップしてる間にさえ多くの男や女と交わった、無軌道で淫乱で、ガチ逝きする剣士なんて気持ち悪いよな?」
「ウッ、ウッ、凄くスケベな顔を晒して、みっともないよな?」
「悶え顔は、二目と見られぬほど非道くドスケベで不仕鱈な形相だった……女として、みっともないよな?」
教官は、嗚咽し、顔を歪めた。俺の前で取り繕ってるのは虚勢で、本来はこれが教官の素顔なのかも知れないな。
「ウウゥッ、抱いて、抱かれて……ひりつく下腹部の昂りを我慢出来なかった自分が今でも恨めしい」
「グスッ、実のところ、自ら堕ちたこの身は勇者ハーレムを謗れる筈もなく、アザレア嬢を嗤う資格も無い……ヒッグ、ズズゥ」
あぁ、鼻啜るなよ、ほんと、黙っていれば怜悧な美人なのに今は見る影もない程グシャグシャだ。
一見何でもないことのように呆気らかんとして見えても、教官のかかえた心の闇は、意外な程に教官の魂にへばり付いているようだ。
「何百回、何千回とわなないて……肉欲に正直なのは血筋かもしれないと思った、父親は冒険者だったそうだ」
女の肉体の疼きってやつがどれ程のものかは知らねえが、気持ちの方が大事だって、そういう風には思えねえのかな?
「自分でも吃驚するほど嬲られる遊びのセックスが大好きだったから、転げ落ちるのは簡単だった……女と言うのは愚かな者で、一度転げ落ちて仕舞えば快楽の為には何でもするようになる」
「一時は冒険者をしながら、流れの風俗嬢のようなことさえしていた、どちらが本業か分からないくらいだった」
この時の教官は、何処までも自虐的に過去の罪を白状して止まらなかった。嘗ては“告解の魔女”とまで呼ばれた女が自らの罪過を告白するなんて、洒落にもならねえ。
「あの人はそんなこの身の過去を受け入れられなかった」
「夫婦であったとき、誓ってこの身は夫を……あの人を裏切ってはいない、だがそれ以前の問題だった、徹頭徹尾姦濫の限りを尽くしたこの身をあの人は拒絶した」
「然もありなん、長生きな分、この身は普通以上に邪婬にまみれていた……この身がもし夫であったなら、共白髪と誓った相手がそんな淫売と知れれば死にたくなるほど絶望するだろう、気が狂ってしまうかもしれない、いや、きっと狂うだろう」
正体を隠したまま一緒になり、そして愛しているが故に過去の淫らな遍歴を告白してしまった……あの人には本当に済まないことをしたと教官は懺悔した。
「結婚したのは過去の罪過を洗い流したかったからかもしれない、だが結果は散々だった、結局寝屋を別にしたまま夫との暮らしは終わった、打ちのめされて以来、人と身体を触れ合うことは避けて来た」
「得手して意識を失う程の馬鹿快楽にはいつも後ろめたさが付き纏ったものだ、この身にはそれが少し疎ましくも憂鬱だった、だがセックスに依存しない関係が未だに分からない……ソラン、お前のことを守りたい、救いたいという気持ちに嘘は無い、男と女の関係でなくとも良い、お前の側に居させてくれ、今はそれだけで充分だ」
快楽に溺れたのはこの人の自業自得のような気もするが、矢張りこの人も不幸なんだろうな、多分………
自分の生い立ちから、不幸を背負ったっと勘違いした。そして少しずつ歪み、壊れた。おそらく過去の罪の記憶を反芻するように、拡大再生産しているんだろう。
口では幾ら無頓着に振舞っていても、取り返しが付かない過ちと自ら認めて仕舞っているが故に、愛のある交合でそれらの汚らしい間違いを上書きして欲しいと、まるで無意識に、そう願っているようですらある。
「……エロ猿と、詰ってくれてよいぞ」
ポツリとひとこと、教官は呟いた。
正直、俺の為に命を掛ける、教官だけは俺を裏切らないと言って貰えて救われたような気がしていた。
誰も信じられなくなっていた俺は、それだけで頑なに凍てつき凝り固まった心が、幾分かでも温まるように思えたのだ。
俺に依存することで傷が癒されるのなら、俺はそれでも構わない。
それが例え何かの代償行為だとしても、構わない。
ただ、俺は多分、それに応えることが出来ない。
何より女を信用出来ない以前に、快楽と愛は別もんだって思ってる俺には相容れない。
(0101:変形フォルム選択Type∅⫸⫸⫸∅、シュア?)
(ほれほれ、メシアーズが換装変形の了解を求めておるぞ、いつまでもいちゃついておらんと、早うせんか)
「いちゃついてねーわっ!」
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ルイーゼ・チッコリーナ・ロマノフは図書室兼家族の団欒の場であるシッティング・ルームよりも大広間の一角にある、この居間コーナーですごすのがお気に入りだった。
春の遅いトラップ島では、雪柳が満開になるのは糸車座の月、5月頃だったが、どういう訳かお父様の大切になさっていたファサードから続く並木道を飾る雪柳の生垣が、今年は芽吹く気配も無いままに夏になった。
さぞや気落ちされていらっしゃるかと思ったが、どうやら当のお父様は目前に迫る魔族の脅威に、遂にトラップ島を捨てる覚悟を決められたようだった。
わたくしにも最低限の身の回りのものを荷造りするように仰って、漁協から持ち出さなければならないものがあると、港に向かわれた。
ここのところ領主様の館では、王都の軍隊と言わず、国中の国境警備兵の団や巡視隊のお歴々が集まって連日の軍事会合が開かれている仕儀で……さながら領主様のお屋敷は、臨時の参謀本部に接収されたが如き様相でありました。
恐怖に眠れない夜を過ごす日が続き、遅い朝に小間使いのチルデが淹れてくれた温かいモーニング・チョコレートを嗜んでいました。
朝に喫する一杯のチョコレートが、すっかり血の気の失せてしまったわたくしに活力を与えてくれているのが分かります。
受け皿と一体になったマンセリーナと呼ばれるカップは交易港マーデン・マーデンの扱う輸入雑貨の主力商品のひとつ、高級磁器はセント・マリナ共和国のビーチャム窯のものです。繊細な花柄の絵付けが人気で、特に山椿を描いたものに定評があります。
吹き抜けの丸天井から外光を取り入れる広間の一画に設けられた、ドローイング・ルーム――家族の居間で寛いでおりました。
昨シーズンは紳士淑女の社交場であったロング・ギャラリーを隔てた先にある、水晶宮を模して造園された温室には、今も変わらずペラルゴニウムやストレリチア、マッソニアなどが咲き誇っていました。
喫茶用のテーブル周りにも、色取り取りの薔薇や百合を盛り花にした花器が幾つか飾られています。
蘭の強い匂いが、人気の無い広間に寂しげに漂っておりました。
いつもなら社交界の季節で、領主様の館で春先に催されるデビュタントを皮切りに様々な夜会が、ここ王都から遠い地方貴族の間でも、最近では王宮に出向く代わりにフォーマルな場が設けられている。
わたくしの社交界デビューは3年前で、その時に薄琥珀で仕立てたモスグリーンのボールガウンとオペラグローブは従妹殿に着て貰う筈でお譲りしたのに、どうやらそれも叶わなくなりそうです。
社交界のような気鬱な場を、本来のわたくしは好まない。
だが、それでも上流階級の人々が容姿端麗、語学に堪能な若い才能を世に問う社交界の雰囲気と役割を全否定する訳ではありません。
魔族がこの地を攻め落そうと参集してきて、トラップ島の生活は一変し、風前の灯かもしれない今こそ、インテリ層は対応策を示すべきだとわたくしは考えています。
でなければ、高貴な血筋だなどと嘯き、唯謂れも無いブルジョワの境遇に胡坐を掻いているだけの能無しと誹られても致し方ないのではないでしょうか?
国中から正規軍や外人部隊の兵隊さん達が集まって来て防備を固めて呉れてはおりましたが、お父様達のお話しを聴く限り、シェスタ防衛軍は劣勢だとのことです。
館の中から出ることを禁じられて、夏の間に滞在するウエストへも行けませんが、あの黒猫族の坊やは無事でいてくれるのでしょうか?
最初、空になったチョコレートのカップが、カタカタと振動するので異変に気が付きました。
キーンと言う耳鳴りに顔を上げると、ドローイング・コーナーの書棚の当たりに奇怪な七色の靄と言うか影と言うか、なんとも表現のしようがない歪みが見え、思わず淑女にあるまじき悲鳴を上げて仕舞いそうになりました。
口を吐く叫びを呑み込む間もなく、歪みは広がり怪異はやがてジグソーパズルのピースのように剥がれ落ち、現実に見えているものがキラキラ輝く結晶となり、粒子となって消えていき、向う側の世界が顔を出した……とでも言うような有様でした。
やがてその向こう側から、巨大な怪鳥、いえ船、いいえ複雑精緻な何かを纏った飛行船のようなものが現れました。
魔族……のような嫌な感じはしないのですが、兎に角それは見ている間にもボコボコと姿を変えると言った不気味さです。
取り乱すまいと必死で口を押さえるのですが、咄嗟に立ち上がったまま膝はカタカタと震えていました。
気をしっかり保っていても、わたくしはあまりの恐怖に気が狂って仕舞いそうでした。
ただ、その異様な塊は、生き物のようであるのに、機械のようにも思えます。
以前、王都の学友達と夏季休暇中に見聞を広める為、西ゴートの産業革命都市を視察の為に研修旅行したことがありました。
そこで目にした様々な工業機械、蒸気機関車、時計塔のからくりに何処か通じる質感があるのです……もっと複雑精緻ではありますが。
「うぉ、悪い、本棚の蔵書滅茶苦茶にしちまったな、まあ、大した本じゃねえだろう」
突然、大きく響き渡る声は聴き取り難い悪声でしたが、確かに人間のもののようでした。
「おい、おい、姉ちゃん、あんたがルイーゼか?」
「ロレンツォの遊び友達ってえから、もっと小せえ女の子かと思ってたが、もう充分な大人じゃねえかっ!」
良く分からないながら巨鳥のような姿は消え、そこに在るのは人型の、ただ同じように流体の如く変形し続ける白日夢の存在でした。
その人の凛々しいお顔は、半分が奇妙な仮面に覆われてはおりましたが、その精悍で鋭い眼付きが猛禽類を思わせ、整ったお顔立ちが垣間見られ、幻想的なまでに研ぎ澄まされているのが分かりました。
もしかしたら、この方が噂の勇者様なのだろうか?
いえ、何処か悲しみを纏っているような雰囲気がわたくしにさえ分かります。こんな悲しみと怒りに彩られた方が、暴虐非道と噂される召喚勇者様の筈はありません。
その片方しかない瞳は、見たことも無い程の深い哀愁の色に染まって、あまりの悲哀に見詰められるだけで身体が凍り付きそうです。
震えの止まらぬ身体と、千々に乱れる思考の中で、わたくしはひとつの真実を引き当てていました。
この方こそが、未曽有の魔族侵攻からわたくし共をお救い下さる真の勇者様ではないかと言う真実です。
シェスタの王室が招いた、女を侍らせるしか能の無い外道勇者とは違う、真の勇者様です。
この時、わたくしは天啓を得たと思いました。
***************************
(んで、ロレンツォの友達とか言う娘っ子の素性は知れたか?)
(多分これであろうよ、イーストの漁業協同組合の網本にして、港湾労働者達の元締めを兼任している豪商、マーデン・マーデンのロマノフ家、そこの第一令嬢であろう)
サーチングしたトラップ・イーストの名家から、ルイーゼという娘が居る邸宅を絞り込んで貰った。
ネメシスが地方豪族や貴族の名鑑を探して、遠隔で領主の館の税務担当文証官の書類を写し取った。すぐにそれと知れた。
(爵位はなくとも、ここの領主とは懇意にしておる、領主の屋敷の隣りに鰊御殿と呼ばれる立派な館がある……なんでも、昔ニシン漁が盛んじゃった頃に、贅を尽くして建造されたものじゃそうな)
(ほれ、あそこに見えておろう、豊漁景気に隆盛を極めた居館の名残が……ただのお、娘の歳なんじゃが)
ネメシスが誘導する方向に、北国の日差しだと言うのに確かに煌びやかに映える御殿が連なっている。大した敷地だった。
(下手な考え休むに似たり……突っ込むぞ、ネメシスッ、娘の居場所を特定しろ)
(教官は館の使用人や警護の者を牽制してくれ!)
(キャノピー・ポッドを多脚メカに換装する、操作は思考波インターフェイスにするから、リンクを確認してくれ)
「??……分かったわ」
「良く分からないけど、取り敢えず分かった」
(ここじゃ、母屋の中程に賓客用の大ホールがある、令嬢は午前中はここの一画ですごす、今も在宅じゃ)
メシアズ・アーマーのヘッドアップ・ディスプレィ映像にネメシスがポイントを示す。そこ目掛けて座標を移動、透明化、遮音シールドを解くと同時に、位相裏次元の亜空間からリアル次元に実体を結ぶ。
おおっと、なんか本棚の場所を壊しちまったみてえだぞ。
貴重かどうかは分からねえが、ロマノフ家の蔵書の一部が次元門に溶けて、時空の狭間に塵になって消えちまった。
飛行戦闘モードを解除して、機体に沿って伸展体勢を取っていたのをプロテクターに戻しつつ、教官が着座するキャビンを単座行動型のコンバット・アーマーに変形して射出するよう、メシアーズの意志にアクセプトする。
「うぉ、悪い、本棚の蔵書滅茶苦茶にしちまったな、まあ、大した本じゃねえだろう」
ポッド型多脚戦車に搭乗するビヨンド教官のコンタクトは専用回線があるが、俺はうっかり外部拡声装置をオンにしちまった。
見るとこの家の令嬢らしき妙齢の女と、側仕えの小間使いらしい女中姿の人影が3名あるばかり、女の子は見当たらない。
おい、おい、ってことはこの娘がもしかしてロレンツォの友達ってことかあ? 聞いてる話と違うぜ、おいっ!
「おい、おい、姉ちゃん、あんたがルイーゼか?」
「ロレンツォの遊び友達ってえから、もっと小せえ女の子かと思ってたが、もう充分な大人じゃねえかっ!」
ひょっとしてあれか、小さな男の子を誑かして性的興味の対象になんて、よこしまな遊びに引き摺り込もうって算段じゃあるめえな?
「ロレンツォのボウズに、おかしな恋慕をしてるんじゃねえだろうな? そんなんだったら、ただじゃ措かねえぜ」
メイン・アプローチや吹き抜けの上階部分を取り巻く回廊から、常駐警備を命ぜられたと思しき正規軍の衛士が、すわ何事かと駆け付けてくるのを、教官が足止めする。
「動かないで、麻痺波動射出はあるけど、この身も扱うのは初めてだから命の保証は出来ない」
ビヨンド教官は独立分離した、“救世主の鎧”の多脚戦車で威嚇行動に出た。
流石に教官は経験豊富だ。こう言った場合の恫喝の声音も堂に入ってる……感心する間も無く、広間正面の一段に可視光ビームを浴びせて、一団を立ったまま気絶させた。
残された警備兵が口々に勝手なことをほざくので、煩い。
早々と遮音結界を張った。
「……勇者様、まことの勇者様ですよね?」
ルイーゼの姉ちゃん、まぁ、其れなりに育ちの良さそうな教養のありそうな娘だ。聡明な美人と言ってもいい。
白磁のような肌に、頬はほんのり桃色に染まって、まるでお人形さんみたいだ。
だが、口を吐いて出たのは寝言もいいとこだぜ?
「なんだって……俺をあんなクソ野郎と勘違いするなんて、笑えない冗談だぜ?」
意識しちゃいないが、俺の威圧が一気に高まるのが分かる。
「ヒッ……おっ、お許しください、違います、王国の偽勇者のことでは御座いません、わたくし達をお救いくださる真正の勇者様です」
俺の威圧に周りの小間使いが卒倒するのに、この小娘は大した精神力だった。
「女神様の啓示を得ました」
「よく分かりませんが、ロレンツォ君が取り持って呉れたのだとしたらこれは運命のお導きなのかもしれません」
何言ってるんだ、こいつ、頭おかしかねえか?
***************************
昔、餓鬼だった頃、“藁稭大臣”ってお伽話を絵本で読んだ。
ドロシーの奴は散々馬鹿にしたもんだが、俺は素直に感心した。
そいつは藁しべで縛った虻を蜜柑と交換することに始まる連鎖の出世物語で、最後は屋敷と裕福な暮らしを手に入れて目出度し、目出度しって話なんだが………
ロレンツォのボウズの願いを聞き、ルイーゼってお嬢さんを助けに来た積もりが、今度はわたくし達をお救いくださいと来たもんだ。
それを素直に聞き届ける存外な俺もどうかと思うが、やっぱり膨れ上がる“藁稭大臣”の話は碌なもんじゃなかったってことかな?
少なくとも大切に取ってあったあの絵本は、あの日に燃やした。
人間らしい感情は捨てる。
罪悪感も、苦悩も、俺には必要ない。
憎しみ以外の喜怒哀楽に蓋をした。
憎んで、憎んで、憎んで……復讐の為に強さを求めた。
だが救うべきを見捨てるは、俺が勇者と同じところまで堕ちる。
逆にそれは度し難い嫌悪で虫唾が走る。
だから俺は、“藁稭ボランティア”染みた人助けのお人好しってスタンスが気に入らないながらも、仕方がないかなって思ってる。
“救世主の鎧”の自動ファクトリー機構は、ミニポッド“ワーム”を最小単位で生み出し、これを鰊御殿の防御として配した。
んで、今度は完全武装の迎撃戦闘マシーンに換装して魔族の布陣を見に来てみれば、これがまた半端じゃねえ……妖力から見て大部隊なのは分かっちゃいたが、可成り高度を稼いだのに水平線が見切れねえほど海洋は魔族と魔物で埋め尽くされていた。
1500万てのは嘘じゃなさそうだ。
武者震いがした……思えば随分、剛毅になったもんだ。
対するシェスタ混成部隊は、トラップ島に集結仕切れない師団は未だ本土に残留している。マーデン・マーデンの港の前面に舳先を並べる軍船は大型駆逐艦クラスは700隻に遠く及ばない。
魔族軍の威容に比べれば、その他のフリゲート、クリッパークラスなど笹舟も同然だ。シェスタ海軍は完全に戦力差を見誤っている。
いや、見えてはいるんだろう……だが、どうにもならない。
寧ろ逃げ出さない水兵達は、褒められて然るべきかもしれねえな。
(どうやら、魔族サイドは今回は本気のようじゃな、八大魔将が一席、ベルゼブブが来ておる……とすれば率いているのは、彼の者の精鋭軍団“エクロン”であろう)
(……強えのか?)
「何を馬鹿な! 一説に拠れば魔王よりも実力は上かもしれぬと目されている、退くべきだ、ソラン!」
教官が久々、大人な警告をする。至極真っ当だ。
昔のドロシーがそうだった。俺が何か無茶をしそうになると、必ず正論で戒める。
そのたんびに天邪鬼の俺は特攻して……そして案の定撃沈する。
いつも、いつも、いつも、
いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、
いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、
いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、
俺は変わらず、いつも、いつも、超えられねえ。
俺は変わった筈だ、必ずや成し遂げると己れに誓った!
過去の俺は死んだ、同時に人としての感情も失った。
だから俺は、今も変わらず!
(俺の覚悟は、こんなもんでへこたれねえっ!)
(ヒット・アンド・アウェイで何も彼も奪い尽くす……“イリュージョン・インセクト”最大展開、アナザー・ディメンジョンより会敵し、各個撃破!)
“救世主の鎧”の指揮中枢にオーダーを出す。既に俺を装着者に選んだ時点から、メシアーズと言う中枢はナノマシーンのストックを格納次元に貯蔵し続けている。今ある資源で可能な限りのインセクトを不可視領域に展開する。
まず、守らなけりゃならないのはトラップ島だ。その他大勢はどうでもいいが、ボウズの親父さん、トラップウエストの獣人族の村から従軍してるだろう男衆は守らなけりゃならねえ!
(目指すは敵の本陣だあっ、突貫する!)
(唱えろ! 復讐するは、我にあり!)
回避のトップスピード維持の為、モビル・ファイター内の自分の位置を移動する。今度は教官のコックピットの真下で仰向けだ。
実際そうだが、この体勢だと爪先から突っ込んでいくような感覚がある。
フィッティングするプロテクター時ほどではないが、メカニズム内で俺の身体は僅かなレバー操作などの隙間を残しほぼ密着しているに等しい。だが機体表面が俺の皮膚のように感じられるので、特に息苦しさはない。
視覚を含め必要な五感インフォメーションの供給は、俺の肉体に打ち込まれている無数のプルーブに直接、非接触型コネクティングで行われる。
ジグザグ飛行で左右上下、アトランダムにスキル・バイトとローバーを駆使し捲った。魔力も闇の生命力も、人類には無いスキルも、固有魔法も、何もかも奪い尽くす。
遅延発火式の中性子ナパームをばら撒いて行く。アンデッド系には通用しないが、透過性を高めた致命的な放射線障害に如何な魔族と言えども、生命である限りそれは抗えない致死量だ。
(くっふっふっふっ、いいぞお、ソランンッ、昂ぶるわっ!!)
(復讐するは吾にあり、吾これに報いんっ!)
「あぁ、もう、仕方ねえっ……この身は心も身体もお前に捧げ尽くすと、既に決めている」
「復讐するはぁ、我にありいっ!」
空を埋め尽くす飛翔系魔族が邪魔だ。
何千、何万頭と雲霞の如く居やがる。
翼竜の上位クラス、あのでかい奴等は百頭竜ラドンか? 従えてるのは長い首と真っ黒な爬虫類顔のギータ、いずれも堅く頑丈な巨躯を駆って空を飛ぶ。
だが、“救世主の鎧”の機動力の前ではいずれも止まって見える。
直接視覚中枢に送られる360度の映像は、メシアーズのサポートにより俺の動体視力以上に戦場を俯瞰して見せている。
心眼スキルでは“竜の息吹”以外さしたる脅威も無い。単なる視界の遮蔽物なら撃ち落とすまで………
衝撃波パルスにした貫通加速ビームを矢襖にして四方にバラ撒く。
(自動多照準速射無限レールガン制圧開始!)
4門の砲塔それぞれから、1分間1000発の連射可能なレールガンが火を吹き、正確無比に標的を撃ち抜く。
無駄弾は無い……静音設計のこいつが唸るような独特の轟音を上げる時、それの威力はもはや最高潮だ。
100km先の針の穴をも射貫けるメシアーズの照準精度は動体に対しても百発百中、ドラゴン程度の図体なら外す道理もない。
次々と頭部を爆散させて墜ちて行く。
視界を防ぐ手前が消えて、その次と、間断無く予測弾道で撃ち出される爆散型劣化ウラン弾にさしもの魔族空挺部隊もバラバラと墜ちていく。効率を上げるため別銃座の曲射エネルギー弾を併用し出す。
竜種以外の有象無象、ジュランやグリフォンは消滅打突ビームの弾幕が蹴散らす。
こちらの剛性を伴った攻撃音、それを上回る怪物共の絶命の藻掻きが大気をビリビリと震わせて渦を巻き、さながらこの世の終わりが遣って来たかの如しだ。
軍船の蝟集する手前に、海棲魔族が厚く陣容を固めている。
巨大頭足類は、悪魔級クラーケン、島の如き体躯は海亀に似たアスピドケロンだろう……確か教わった範囲じゃ天候操作のスキルを持っていた筈だが、しかしでけえ!
こんなのが大挙して遣って来てるのに、人間様の戦艦なんざ屁のつっぱりにもなりそうもねえなあ!
(暗黒系重力子魔法、ダーク・グラヴィティ!)
天から降ってくる不可視の鉄槌が半径10km四方を、海水ごと抉り、掘削し、押し潰す。
海は割れ、海底に陥没した暗渠目掛けて何も彼もがなだれをを打って渦となり、吸い込まれて消えて行く。
次々に連続して発動する極大魔法の連射は、その他様々な海妖、巨大蟹のザラタンや巨鯨ハーヴグーヴァに混じる半馬半魚のヒッポカムポス、それ程の大きさがないのでおそらく本体の古代海魔リヴァイアサンの劣等亜種レヴィアタンの群れ、海棲魔ダゴン、マーマンが、半分肉塊と化しながら断末魔の雄叫びと共に呑み込まれていく。
響き渡る怒号は、この世に大量の狂気の思念を残しそうだった。
こんな妖魔の残留思念が積もれば、空間が歪みそうですらある。
(光属性溶融雷撃、メルティング・ボルト!)
ギャウギャウ、ミャウミャウ間断無く叫ぶ海獣を掻き分けて、軍船から大型種のワイバーンが大挙して離陸してくるのが見て取れる。
背には柄付きフレイルやハールバードを手にする牛頭鬼兵、狗頭鬼兵を乗せている。
魔族側の竜騎兵部隊と言うことか?
他にも身の丈50メーターは越えようかと言う巨人魔族、獣毛に覆われたグレンデル、三面の顔を持ち火を吹くカークス、独眼の巨人サイクロプスと言った軍団が、巨艦から海面にザブザブと飛び降りると高い大波は畝る津波となって、陸地に打ち寄せる。
トラップ島の防備に就いたインセクトの展開する堅牢な物理シールドが、津波の浸入を阻む。
雷雲は十里四方を覆い、シャワーのように激しい雷撃を途切れることなく降り注いだ。触れるもの総てを溶かし尽くす、悪夢のような怒りの厳霊だ。
大型ワイバーンによる空からの揚陸部隊も、巨人族の戦列も、溶融して海を汚染する。
荒れる戦線が拡散しないよう、大量に創出したインセクトの内、別ユニット群が威嚇フォーメーションを敷き、滞空した高度5000メートルより地表目掛けて、大規模高出力レーザーをカーテン状にして放射する。軍団の端を固める軍用ジャイアント・エイプを初め、最前線の魔獣兵が削られていく。
左右に戦列が流れないよう牽制するだけが、焼かれる魔族は死の瞬間も、種としての闘争本能剥き出しに凄まじい吼え声を口々に上げては燃え上がり、沸き上がる海水の蒸気の中、焼け焦げ、崩れて溶けて消えた。
この幾千幾万、幾十万の、餌食となった魔獣達の終焉の瞬間の狂える闘争本能は残留思念となりてこの場に留まり、後々悪意為す霊障となりそうだった。
(まずいな、何をしてもこいつらの死体が瘴気を巻き散らす、破壊した地形は再生のスキルで復活出来ても、生命環境を元に戻すには数年は掛かる、量が量だ、その影響は計り知れねえ)
(海域が死滅すれば生命活動は枯渇し、海の恵みは当分期待出来なくなる……交易航路さえ役立たずになるかもしれねえ!)
数年も漁場が死滅したままだと、ウエストの漁村は死活問題だ。
「暗黒結界とか、何か吸引するような魔法は無いのっ?」
(俺も今考えてる、ブラックホールのような空間操作の魔法は結局周囲ごと巻き込んじまう、かといって俺は聖職者のような浄化魔法は持ってねえ……)
当然俺も考えている環境ダメージを最低限に抑える方法がないかについて、教官の問いに答える……質量分解魔法でも瘴気のエーテルは周囲に毒を撒き散らすだろうし、取り敢えず石化魔法かなんかで無害化するか、それとも凍結コンプレスで圧縮はどうか?
(ネメシスはなんか考えはねえのか?)
(……無いことは無いが……まずはエクロン親衛旅団とベルゼブブの攻略をするとしよう、あれらが持てる固有スキルは、まず間違いなく極めて強力にして稀なるものの筈じゃ)
(前方右方向に五色の瘴気が立ち昇るのが見えておろう、あそこがベルゼブブが本陣じゃ)
示された方向には、確かに天に立ち昇るドドメ色の瘴気の柱が見て取れる。すげえ魔力だ。
全ての魔族が牙を剥く、この世の終わりかと思える、目にするもの皆異常なまでの暴虐で異形の地獄の中にあってさえ、そこは特別な磁場を放って見えた。
他の雑魚を捨てて、あそこの一団のスキルと暗黒魔術の類いを簒奪すると定め、寄り道をやめて一直線に翔ぶ。
迷いがないと言えば嘘になるが、躊躇すれば手遅れになるかもしれねえと思えば身体が勝手に動く。
俺はこれからも絶対に間違えねえと言えるほど、頭が良くはねえ。
ただ、殺したいから殺すのと同じように、守りたいから守る……今の俺の最善手は、少しでも前に進める可能性を掴むだけだ。
例え外道に成り果てようと、復讐への渇求、悲願は身体が覚えている。頭で考えている訳じゃねえ本能が、俺を前にと押し進める。
勝った負けたですら問題じゃねえ。
こんなところで停滞してるようじゃ、到底復讐は成し遂げられねえと……そう覚悟を決めている。
凄い……大した圧力だ。
ドラゴンも斯くやと言う巨体にこの異形、正しくこの軍団を率いている者だろう。
それは醜い巨大な蠅の頭を持っていた。
色が変転する不気味な複眼は何処を見ているのか、巨大な二対の触角は揺れ動き、この世をどんな形で感じているのだろう?
改めて魔族が見ているこの世の現実や法則が、俺達が感じているものとは全く違う異質なものだろうと、理解する。
真っ黒い獣毛は油か何かに濡れそぼったようにテラテラと照り映えて、羽虫の翅に似た二対四枚の黄金虫色に光るそれは重なるように、何処か不潔で汚らしい昆虫とも腐った四足獣とも判別が付かない体側を包んでいた。こんなに巨大な物が翅と呼べるかは分からない。
その王冠は俺の見間違いじゃなけりゃ炎で出来ていた。
何処が頭頂と呼べるかは判然としないながら……複眼の間に、炎の王冠を戴くそいつが、蠅の王、ベルゼブブだった。
確かにこいつは、以前に対峙した八大魔将と同列である訳がねえ。
(総ての奪われ行く力に祝福を、スキル・バイトッ!)
二重、三重、四重、五重に展開する複合結界防御で相手側の攻撃を斥けつつ、遂に本命とその親衛隊とも言うべき剛毅なる精鋭の化け物達から、ローバーのスキルも、オーバー・イートのスキルも駆使して何もかも奪い尽くす。
生命力さえ一滴残らず奪い取って、相手を衰弱死させる。
(異な力だ、人間、このベルゼビュートが暗黒の生命力を吸い盗ろうとは酔狂な………)
まったく異質で禍々しい意識が流れ込んでくる。
確かにこのおどろおどろしい生命力は、ヒトとは相容れないもの、奪えば奪うほど醜く蠕動する魔の鼓動に魅入られて、染まって、戻って来れなくなるような気さえする。
(おい、ネメシス、こいつ、ランダム次元転移でアタックしてるのに攻撃してるのが俺だって見えてるのか?)
(ゆめゆめ舐めて掛かるな、相手は魔族戦闘群を束ねる八大魔将が筆頭……ベルゼブブには魔真眼のスキルがある!)
(んんっ、女連れか? 物見遊山にでも来たか?)
(うるせえよっ、ハエ頭、黙って俺の踏み台になれっ!)
(クプックプックプックプックプックプックプックプッ)
蠅の笑い声とすぐには気付かなかったが、悍ましい意識に何かを面白がっている気配があった。
それは理解出来るのが不思議な程の、全く人類とは懸け離れた思考方法を持つ意識だった。
(面白いことを言う、人間……)
(ベルゼビュートが黒き命を吸うと言うことが、どう言うことか分かっておらぬ、そは単なる邪気にあらず、深淵が混沌を溶かしたベルゼビュートが血潮と生霊をとっくりと味わうがよい)
だから何だと言う……俺も最初はそう思った。
初めは鼻血が出る時みたいな上気せた感覚があった。
だが俺こそが甘かった。間断ない嘔吐きが俺を襲う。
嘘ではない証拠に、暗示に掛かった訳でもないのに気分が悪くなるのが俺にも分かる。確かにそれは、他の魔族から吸い尽くした魔力や精神力とは全く性質を異にしていた。
(ベルゼビュートが眷属、エクロンの使徒もみな同じ黒き生命力が流れておる、気が付かぬか人間よ)
奴の眷属は、幻獣スコルを初めとし、流石に雑兵ではない。
気分が悪い。
さっきから絶え間ない悪寒に囚われていた。
脂汗が止まらない。
口の中に大量の蛆虫を流し込まれているような嫌悪感にまみれた錯覚、少しずつ少しずつ狂気に蝕まれていくような最悪の心象……やがてそれは、目、口、鼻、耳から蠢く蛆虫を溢れさせているような悪夢のビジョンとして脳裏に浮かぶ。
俺は半分以上気がおかしくなって、覚醒している筈なのに意識を保っていられなくなった。
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夢を見ていた。
幼い頃の夢だ。
学校だった。隣接する中等部の調理実習で姉貴が、アーモンド・ケーキ……アーモンド・ピューレのタルトレットやパイを焼いたとかで余った材料を譲って貰い、放課後、俺達のクラスを訪ねてきたことがあった。
当時、女の子はお菓子作りに興味津々だった。
そういう年齢だ。
アーモンドプードルに砂糖、卵を加えてフィリングのクリームを作る。俺は生地作りの薄力粉を篩に掛ける役をやらされていた。
「ソラン、鏡見てみなよぉ、鼻の頭に粉が付いちゃってるよ」
「アッハハハ、おっかし」
幼年クラスでは、女の子の方が身体の成長が早い。気が強く女の癖にガキ大将気質のドロシーと、何かと言うと俺を揶揄って遊ぶエリスが囃し立てる。同い歳なのに、二人より俺の方が背が低かった。
俺はいつも二人の後をくっついて回るモヤシみたいにひょろっとした子供だった。いや、陽には焼けていたから牛蒡か何かだ。
「いいんだよ、ソランきゅんはドジっ子さんぐらいが丁度いいの」
姉貴は、俺に対して不自然なほど過保護だった。
つい先だってまで、俺の頭を洗髪するためと言い訳し、一緒に風呂に入っていた程だ。
「ええぇっ、ステラ姉さん、ソランに甘過ぎいい!」
「ソランはもっと男らしくならないと、将来女にモテない……」
そして同級生の女の子二人に反感を買うのが、この頃の定番の図式だった。ステラ姉が止めるのも聞かず、この後パイ生地を練り上げるのに男らしさを見せろと、子供にとっては結構な力作業を課せられた……硬いバターを練り込むのも、延ばした生地を折り畳んで再び延ばす作業を何度も繰り返すのも、非力な俺には大変だった。
思えば、俺の身体がどんどん頑健になって行ったのは、この頃からかもしれねえ。
幼年学級には調理実習用のオーブンは無く、用務員室裏にある焼却炉と併用した石窯で焼き上げた。
丁度、初等部では春の遠足の季節で、近くの街のオールドフィールド公国教会への遠出を計画した枝折が大量に配布された。
そのときのゴミだろう謄写版印刷の残骸、蝋紙や藁半紙の類いが燃やされた焼却炉はすごくインク臭かった。
インクの移り香があるアーモンド・ガレットは、それでも俺達にとってはご馳走だった。
食いしん坊のエリスなどは、両手に持って頬張っていた程だ。
だが、こんな微笑ましい思い出は全て嘘っぱちだ。
多くの放課後の買い食いも、冒険者ごっこも、心地良い午睡も、夏休みの水遊びや花火大会、冬休みの雪合戦や女神様の生誕祭、お医者さんごっこと称してブレーを脱がされた思い出も、何から何まで嘘っぱちだ。
肉欲に負けたこいつらは、裏切りたいという明確な意思で俺を裏切り、姉貴も含めて勇者の肉便器に自ら進んで身を堕とす。
アーモンド・ガレットを食べる女共の様子がおかしい。
見る間に、その姿が崩れて行く。
艶があり溌溂とした子供のあどけなさが消え、皮膚はどす黒くくすんで弛み、顔を皺が覆ったかと思うと頬は痩け、肉が溶けて眼窩は窪み、さながら狂乱に叫ぶバンシーか、腐った腐乱死体のような食屍鬼の姿になった。
食べているのは人の手足か、腐った猫の頭のように見えた。
幻覚にしては妙にハッキリしている。
現実のような、気持ちの悪い悪夢だった。
だが、この姿こそが穢らしい思い出に相応しい。
俺を裏切る女達との思い出は、今となってはどれもこれも反吐にまみれている。掛け替えの無かった筈の思い出は、今は俺を責め苛む苦痛でしかねえ!
どれひとつとっても思い出したくもねえ、記憶から消してしまいたい……そんなこともあったなと許容出来る要素が何ひとつねえ、重荷へと成り下がっちまった。
お前達がした……お前がした、ドロシー!
ドロシイイイイイイイイイイイイイイィッ!
絶ってえに許さねえ! 絶ってえに見つけ出してブチ殺してやる!
俺を裏切ったこと、俺を足蹴にしたこと、俺に唾を吐き掛け見下したこと、何より俺の目の前で勇者の精液を股から垂らしてニタニタ嗤ったこと、絶ってえに後悔させてやる!
泣こうが喚こうが、死ぬまで切り刻んで、ご自慢の綺麗な顔が二目と見られなくなる迄痛めつけて、生きていることに絶望させてやる。
絶ってえだ! 絶ってえに逃さねえ!
地獄の底まで追い詰めても、探し出して報いを受けさせてやる!
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(向精神薬投与、010000000、010000000)
(0101010101、スピリチュアル除細動ショック・パルス照射)
(ソラン、気をしっかり持て、メシアーズが装着者の異常状態に対向しておる、己れの怒りに同期するなっ!)
(通常、魔族の黒い想念を呑み込んでも、此処までの過敏な反応は無い筈じゃった……お前の過剰なまでの怒りの想念が、順化するお前自身を虜にしておる、今お前が見ている心象風景はお前自身が生み出している)
(ベルゼビュート、ベルゼブブの腐臭を放つ暗黒の魂がお前に共鳴しておるのだ)
誰かが必死に話し掛けるのが分かったが、何を言ってるのか分からない、俺は今、何処で何をしてるんだ?
(戻って来んかっ、復讐を成し遂げるのであろう?)
(復讐は……お前自身の望みはなんだ!)
意識は研ぎ澄まされていても、何かが噛み合っていない。
(ええぃ、最後の手段と思うたが、この事態には是非も無いっ、ビヨンド、この男の為に命も投げ出せると言うたは誠かあ!)
「嘘じゃないっ、同情している訳でも、絆されている訳でもない、命を懸けてもソランを守る」
(母親から託された一族の秘宝、加護が宿りしジャンビーヤを今も携えておろう、あれをこの男の為に捨てられるか?)
(えっ……あれは、ゾモロドネガル、先祖代々の魂を奉りしもの)
(じゃから一族伝来の至宝に象徴されし矜恃と歴史的伝来と、価値ありしもの一切合切と、この者を天秤に賭ける覚悟があるかと訊いておる……あのジャンビーヤには神代時代のギフトが眠っておる)
(今この窮地を打破するには、あれが要る)
「………分かった、命より大事な物だけど、一族を捨てたこの身には惜しくもない、それでソランが救われるなら喜んで差し出す!」
(よくぞ申したっ、ぬしが気っ風は末代までも語り継がれんこと、このネメシスが保証する!)
(宝刀ゾモロドネガルを鞘より抜いて眉間に掲げよ、吾が霊力を以ってして転輪聖王ダルマがギフト、“無限浄化”のスキルをソランに強制定着させる)
(左手に堕天が聖典、右手には闇の枢機卿がレガリア、此処に大いなる混沌の冥界神は降臨し、すでに紋章が領域は我が支配なり)
(ネメシスの名において命ずる、闇より蒼く、冥府より涌きいでる獄卒が魂より尚凍てついて、魔に君臨する根源の覇王が威を示せ!)
(デフロスト!)
俺の中に、今迄感じたことも無いような清浄なる何かが膨らんでくるのが分かった。俺の中を汚泥のように犯していたものが、これに押さえ込まれていく。
明瞭で、尚且つ真っ当な、そして正常な、慣れ親しんだ精神状態が復活してくる。
(ふぃぃ、助かったぜ、正可に自分の悪想念に吞まれるとは思わなかったぜ……奴等はどうなった?)
(ベルゼビュートも、精鋭親衛隊エクロンも最早抜け殻よ……しかし焦ったわ、あまりにも魔に同調し易いお前の波動、今後気を付けぬと如何かもしれぬ)
(なんか魔族の禍々しい気の領域を、“無限浄化”のスキルが包んで押さえ込んでいる……そんな気配だ)
(それと教官、申し訳ねえな、俺の為に大切なものを失っちまってよ、この大恩にどうやって報いたらいいのか今は分からねえが、俺に出来ることがあったら何でも言ってくれ)
「お前を失うことに比べれば、何程のことも無い、ウッ、ウゥッ、本当に良かった」
(もしかして、また泣いてんのか……最近の教官は涙脆いよな、心配すんなよ、勇者達を殺す迄は俺は絶対に死なない)
***************************
戦場を縦横無尽に飛び回っていた。
海洋汚染をせずに敵軍殲滅の目途が付いた。
オーバー・イートのスキルで、取り敢えず奪えるものを闇雲に奪って回っている。ほとんどの魔族軍は死体も同然と化していた。
俺を自爆の危機から救った教官が母親より託された、古の森エルフ“アールブ”の一族が護り続けた宝剣“ゾモロドネガル”。
ネメシスだけはその真価を見抜いていたが、ひっそりとその刃の中には神代と呼ばれる人類の魔法文明黎明期に確立され、そして失われた超絶のスキルが、ギフトと言う形で眠っていた。
(方法がないかと問うていたな……これが答えだ)
(無限浄化のスキルは、総ての魔族、魔獣、魔物を光の粒子に変えて天へと還す……一握りの瘴気も残さず、)
(昇華し、消し去る)
(オーバー・イートのスキルは、次の高みへと至っておる)
(1500万体の魔力も精神力も、負の生命力も何も彼もを、苦もなく奪いされるであろう……そしてそれだけの魔力があれば、この軍団の全てを純化し無に帰すことも、また可能)
分かったとばかりに、最終段階の仕上げに掛かっていた。
こんなもんだろう……俺は充分な手応えを確認すると、無限浄化スキルの最上位版を発動した。
(……“燉天”!)
見渡す限りの空に次々と現れる精巧緻密な魔法陣は、金色に輝き、幾千、幾十万と荘厳な威光で覆い尽くした。
やがてその魔法陣から音も無く降りて来る“顔の無い天使”……それは白い翼と白いトーガのような装束で金色に光り輝き、だが認識阻害のように顔だけが判然としない天使達だった。
降りて来る天使の後ろに続くように、間断なく天使が降りて来る。
……だが、それを“天使の雨”と呼ぶには、あまりにも現実離れした光景だった。
降ってくる天使が魔族に到達すると、魔族だけを浄化して光の粒へと変えた。静寂の中での滅び……それは、そうとしか形容出来ないような劇的で不条理な末世だった。
「すごいわ……」
700年生きた教官も、これには言葉も無いようだった。
(うむ、吾も初めて見る光景かもしれぬの)
……どうやら、100万年の悠久の中でもこの奇跡のような浄化は未体験らしい。
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後始末をするのに、可成りの海域を東奔西走、再生スキルで復旧して回った。環境に影響が無いか、わざわざ海底まで潜ってみた。
俺って、実は好い奴かもしれねえ。
一方、目撃されたことを正直に報告されると少々面倒かなと思い、大多数の軍属とトラップ島住民へは大規模な記憶改竄を行った。
ネメシスの行使する大規模広域精神干渉魔法は、ハルマゲドンのような大戦の痕跡を奪った。
熟練のネメシスの工作を見破る手立ては、今のところは皆無と言うから多分大丈夫だろう。
無限浄化“燉天”の秘蹟はあまねく空を覆い尽くす大いなる輝きとなって、相当内陸でも、その神々しい光は目撃されているようだ。
後で知ったが、空を埋め尽くした浄化の光は遥か遠く、大ヒュペリオン洋を隔てた中央大陸の対岸でも微かに望めたらしい……そんな威容がアルメリア大陸内部で垣間見られない筈は無かった。
結局、作戦としてはこうだ……俺達の姿を見たものは少ないだろうし、今回侵攻してきた魔族の陣容を正確に把握していた軍部関係者も多くはない。
俺達が従軍してくる前にも、ちょっとした小競り合いがあったようだから、今回の魔族との会戦はそれで終わったと言う解釈で、それぞれがそれぞれに都合の良い帰結を真実だと思い込ませるように仕向けた……これで多数派の思い込みが、記録として残るだろう。
つまり全ては有耶無耶に、真実は闇の中だ。
1500万の魔族軍が忽然と消えたことも、筆頭八大魔将ベルゼブブが人知れず滅びたことも、記録には残らない。
実際の現場に居た軍人達が口を揃えて報告すれば、内陸でトラップ島での異変を見たなんて話しは黙殺される。
オーバーイートで無限浄化のスキルを最大限駆使出来る俺は、事実上魔族に対して無敵になった訳だが、そんなことを教えてやる義理はこれっぱかりもねえ。
「おじさん、僕達の村を守ってくれて有り難う」
「あぁ、ボウズ、立派な漁師になんな、お袋さん達を大事にな」
徴用された村の男衆も帰村して来た。
ボウズんちの親父さんも無事に帰ってきたが、従軍の俸給は雀の涙だったようだ。
まぁ、戦死もせずに帰って来れただけでも良しとして欲しい。
どうも黒猫族の容姿は良く分からねえ……旦那さんの雄々しい顔付きに惚れたと、アルマリットの御上さんは言ってたが、正直見分けが付かねえんだけど?
そうと言ったら顰蹙を買うかと思って言い出せねえ。
しっかし、ボウズの前だってのに御上さんと来たら手放しで熱々振りを見せるもんだから、こっちの方が恥ずかしくなるぜ。
「この機械があれば、ウエストの村は魔族を遠ざけることが出来るのですか、勇者様?」
「その名で呼ぶのはやめてくれねえか……ルイーゼの姉ちゃん」
「勇者って聞くだけでキレそうになる」
豪商ロマノフ家の令嬢は、俺達がトラップウエストに滞在してるのを知ると、神経が病んでとか適当に理由を付けてウエストの別邸にやって来た。信頼出来る供周りの者のみ引き連れてボウズんちにも挨拶に来たが、恐れ多いと戸惑う御上さん達は只管恐縮しまくりだった。
積極的に魔族の撃退を喧伝はしなかったが、俺達の怪しい動きを知る者達には禁句のスキルで他言を封じてある。
悪いが、今俺達の存在を知られる訳にはいかねえ。
だが、せめてもの置き土産に高水準の魔族魔物忌避装置をボウズの村に置いていくことにした。
効果範囲を広げて、村の衆の漁場までエリアに指定してある。
これでウエスト村は、未来永劫、魔族に脅かされることはない。
部外者に見つからないよう、間もなくこいつは異相次元化する……そこに存在していても、見ることも、触ることも出来なくなる。
「も、申し訳御座いません、ですが、なんとお呼びすれば宜しいのでしょうか?」
「おい、とか、お前、とか幾らでもあんだろ」
「それは流石に、島をお救い下さいました英雄様に対して、あまりにも不敬になるかと………」
「……ソランだ、俺の名前はただソランとだけ覚えておけばいい、シェスタの王家が召喚した下種勇者に姉と幼馴染、そして婚約者を寝取られた者だ、勇者と三人の女に復讐すると誓っている」
「ジョブは木樵、冒険者のランクはE、最底辺の蒼鉛クラスだ」
俺の一筋縄ではいかない身の上に、ルイーゼ嬢は絶句した。
ネメシスにこの娘の心情を探らせたところ、危惧したような少年愛の嗜癖は無く、ただただ誠実にボウズと親交を深めたいだけのようだった。先のことは分からねえが当面、差別主義が緩和出来るいい方向に進むことを願うばかりだ。
ずっと一緒に居て遣れる訳もねえボウズの将来を、今から心配しても仕方ねえ。
「あっ、あの、わたくしは、その額の蠅、すごく綺麗で、すっ、素敵だなって思います!」
お姫様ロールアップのナチュラル・ブラウンの髪を結い上げて、後ろで束ねた赤い繻子の髪留めリボンが揺れた。
そんなに必死で喰いつく程かよ?
髪と同じブラウンの瞳を潤ませてる……この娘、本当に面白いな、そんなに無理して褒めるところじゃなくねえか?
内に抱えた渦巻く暗黒の生命力はどうにか押さえ込めているが、なんの因果か額に精巧な刺青ともペインティングとも判別付かない、精密画のような蠅が一回り大きく描かれていた。
無論、自分で描いたんじゃない。
顔半面を覆うメシアーズの仮面で少なくなった額に、誰がすき好んで蠅を戴くと言うのか?
復讐に狂ってる俺も、流石にそこまで酔狂じゃない……いつの間にか気が付けば、蝿の紋はそこに在った。
(フフフフ、属性てんこ盛りじゃのお、見た目も人間を捨てる日はそう遠くなかろうて)
ネメシスの見たところ、この額の印は蠅の王ベルゼブブの残留思念を押さえる一種の封印だと言う。俺は夜も眠らねえが、ブツブツ呟く奴の思念をちょっとした瞬間に感じることがある。
(うるせえぞブス! お前が嫌がるオナニーし捲るぞ!)
(やっ、やめよっ、吾は男の射精感は好かぬ!)
(はっ、話せば分かる、のっ、のっ、のっ!)
俺に憑依すること長くなったネメシスは、俺からアストラル体を分離してもパスは繋がったままだと言う。ふとした会話の切れ端から、こいつが過去の憑依した男の体験で蒙った、ちょっとしたトラウマを抱えていることを掴んだ。五感共有しているこいつにとって、男の性的放出感には死にたくなる程の嫌悪感があるらしい。
(だっ、駄目っ、ソランの愛に満ち溢れたザーメンは全てこの身に出して貰わねば!)
森エルフ王族に伝えられし秘宝だった“ゾモロドネガル”のジャンビーヤ……先祖伝来の宝剣をただのガラクタにして仕舞った手前、なんでも言うことを聞くと許容したら、ビヨンド教官はまたまたどストレートに恋人セックスをせがんで来た。
あのままでは俺は戻って来れなかったろうから、文字通り九死に一生なんだが、それとこれとは話が別だろうと、のらりくらりと躱してはいる。お蔭で一向にエロな攻勢がやむ気配は無い。
(………チッ)
(ソラン、今、“チッ”って言った、“チッ”って言ったよね?)
「ルイーゼのお嬢さん、あんたがいつまでも敬虔で純潔な乙女であらんことを切に祈っているよ、ボウズを頼むぜ」
……そう、心から願っている。
腐った連中との碌でもない心の会話を切り上げて、俺は汚れない澄んだ魂の娘にボウズの今後を託して、別れの挨拶とした。
「おっさんらも、プリマヴェーラ辺りであんまり羽目をはずし過ぎないようにな……もっとも口が軽くなっても、禁句のスキルで縛られてるから喋りたくっても喋れないけどな」
モーガンのおっさんらも、口々に別れと礼の挨拶をしていった。
幾ら狡すっからくても、義理は欠かさねえ本当に冒険者らしい冒険者達だった。セルジュには戻らねえって言ってたから、もう会うこともねえかもな。
結局、戦線が引くまで待てど暮らせど勇者パーティがトラップ島の戦地に姿を現すことはなかった。
随分後になって知ったが、勇者ハーレムの館のメンバーはフットマンから馬丁、家政婦長、パーラーメイドに至るまで、勇者の有力なパトロンの面々と共に一堂に会し、真夏のバカンスと称して避暑地の湖でヌーディスト・ビーチならぬ乱交ビーチに興じていたのだ。
王命が出ているにもかかわらず、これを無視して馬鹿騒ぎをして、その癖何故か、不敬罪に問われることも無かった。
俺達のカウンター・アタックの前に仕掛けられた魔族軍の先制攻撃で、トラップ島の民間人は3000人が亡くなった。
従軍していた者は、およそその倍ぐらいは死んだ。
王命を無視してバカンスと洒落込んだのは、ドロシーと言うハーレムの女が「寒いところに行くのは嫌だ」と言ったからだと聞いた。
俺の幼馴染を名乗った下種オンナに純情を踏み躙られて、3年目の夏が過ぎようとしていた。
無自覚で国を救ったお話でした
賢明な読者さんは勇者パーティが参戦しなかったトラップ島の悲劇を覚えておいででしょうか?
ソランSideから見た真実のトラップ島戦役を描いてみました
クレインクイン=クロスボウはボルトもしくはクォレルと呼ばれる短い矢を板弾機の力で発射する武器だが、初期には台尻の腹当てを腹にあてて体重を使いながら手で弦を引っ張ったり、先端にとりつけたあぶみに足を掛けたりする方式だった
やがてゴーツフットというレバーで弦の掛け金を梃子の原理で引く方式や梃子の原理でレバーを押す方式、後部のハンドルを螺子のように回すことでハンドルが後ろへ下がり弦が引かれるスクリューアンドハンドル方式、後々にはウィンドラスという後部に付ける大きな両手回し式のハンドルを回して弦に繋がる滑車を巻き上げる方式などが工夫された
クレインクインは下部や側部に付ける足掛け不要な片手回し式ハンドルを回して歯車と歯竿で弦を引く〈ラック・アンド・ピニオン〉方式のもので、このハンドルは取り外しが出来、戦闘時以外は別に腰にぶら下げたりしていた
オクトン/リブリー=共に戦衣という戦闘用コートで、領主や為政者達が自軍の勢力、戦場での武勲を誇る為に同行する兵士に着せて自分の勢力の活躍が口伝えに喧伝されることを前提に配給された
従ってかなりの資産を費やすことが多く、高価な布地と高価な刺繍で作られ、所属を示す紋章が描かれている
ルバーブ=蓼科ダイオウ属の中の食用とされている栽培品種、地面から伸びる多肉質の葉柄を食用とし、生ではセロリのようなパリッとした食感と強い酸味がある/一般的な調理法は果物に近く、甘味をつけてパイやクランブルなどのデザートに用いることが多く、菜蕗に似た多肉質の茎〈正しくは葉柄〉を食用にするが杏子のような香りと酸味は果物に乏しい北国で珍重されてきた/ジャムやパイ、プリン、砂糖煮などのデザートに用いるのが一般的だが塩味の料理やピクルスにも用いられる/砂糖煮にコーンスターチか小麦粉を加えて瀞みをつけたものをパイやタルト、クランブルのフィリングとするが、パイに次いで一般的なのはルバーブソース〈アップルソースに似た砂糖煮〉やジャム、形を崩さないように調理したコンポートやオーブン焼きである
サレット/バシネット=全身を覆うプレート・アーマーが普及すると顔全体を覆うグレート・ヘルムやアーメット、所謂視界をスリットや跳ね上げ式のバイザーで確保するクローズド・ヘルムが登場するが、軽便な防具としてはバケツ型、砲弾型など様々な形態はあれど、半球形の帽子タイプ……つまり現在のヘルメットに近いものがあった/世界大戦時のドイツ軍ヘルメットに似て、襟首を防護する庇のあるものがサレットと呼ばれた
ダブレット=プールポワンとも呼ばれ多様な形態が見られるが、詰め物・キルティングが施されたこと、袖つきであることが共通する/主に絹、天鵞絨、ウール、紫繻子、金銀糸織、寄せ布などの素材で作られ、スラッシュ 、ペンド、リボン、レースなどで装飾されることもあった/初期のダブレットは鎖帷子の下もしくは上、鎧の下に着る胴衣で表布と裏布の間に麻屑などを詰めて刺し縫いし、防寒と防護の用とするものだった……下級兵士は鎧無しでプールポワンのみとすることもあった
ブレー=初期のブレーは麻製のゆったりした長ズボンでウェストには穴があけられ、そこに紐を通し絞って使用した/裾は革のゲートルを巻いて絞るか、紐で括るか、あるいはホースを上から履いてその上端を紐の靴下留めで支えるかした/13世紀から14世紀になると素材に皮革製のものが現れ、また布製の場合は裾丈が膝下から足首のものまで様々なものが作られた/ブレーの上端は革製のベルトでウェストに支えられ、丈の短い上衣が現れるとゆったりしたブレーはバランス上、丈が短くなり、逆にホースの丈が長くなっていった/15世紀にはホースの丈が腰を包むほどに伸び、その結果ブレーは腰まわりを覆うだけの肌着〈ズボン下〉と化した/ブレーという名称は、15世紀後半からプティ・ドラという名称に取って代わられ、プティ・ドラは腿のあたりまで丈のある麻製もしくは絹製のズボン下であり、オー・ド・ショースをその上に穿いた
ホース=中世西欧の主に男子が用いた脚衣でホーズ、またはショースとも呼ぶ/中世初期の時点では、ホースは爪先から膝下程度まで丈がある緩やかな靴下状だった/素材は主に麻製で、白・赤・黄などの色が見られる
当時の男子は中心的脚衣だったブレーの上にショースを穿き、その上端を紐の靴下留めで支え、靴を履いたのだが、この形式は10世紀頃まで続いた/技術の進歩と共にホースは爪先まで入念に仕立てられ脚全体にフィットするようになり、また長さを増してブレーを覆い、そのベルトに紐で結び留めるようになった/素材は麻や絹が使われ、色無地・縞物・縁取などデザイン性を増し、特に僧侶のホースは紋織・錦織など高価なものだった/13世紀のホースは既に一見、現代のタイツ状に見える/軍服の影響で短い上衣が流行すると、ホースの丈は14世紀半ばに腿上まで、後半には腰まで届くほど上がった結果、ホースが靴下兼ズボンとして男子服の中心的下体衣に昇格し、逆にブレーが単なる腰周りの肌着となった
ホースは体型を誇示するため極めてぴったりした形に縫製され、上端についた金具つきの紐をダブレットの裾の小穴に通して支えるようになり、素材は麻・絹・毛織物が使われ、無地物・幾何学模様など色調は様々だったが、紋章の発展の影響で左右色違いのショースも現われ、これは16世紀以降も従僕などのお仕着せや、俳優・芸人などの衣装に見られる/16世紀になるとショースはオー・ド・ショース〈短ズボン〉とバ・ド・ショース〈靴下〉の上下に分離するようになったが、後者はニット製が一般であり時代が下り現代のストッキングとなった
コッドピース=もともとはラッツと呼ばれ、中世ドイツの農民の間で股間を保護するために考案されたが、当時下半身を覆うホースは長靴下のように左右別々に履くもので、上衣に紐などで6箇所ないしそれ以上で結びつけて身に着けていたが、活動しやすくする為に股間を覆う布が必要だった/上衣はブリオーと呼ばれるシンプルなチュニックの一種やコタルディとよばれる細身の前開きの服で、裾は股間を覆い隠すのには十分な丈があったのでラッツはあくまで陰部を保護するための実用的な役割にとどめられていた
しかし、15世紀頃から軽快な服装に人気が集まり、衣服の丈は短くなり始めたので、この頃、もともと鎧の下に着る防弾衣だったキルティングを施したダブレットと呼ばれる衣装が日常着となった/従って、ホースは尻が縫われるようになり、体にぴったりと密着するようになった……しかしホースの前は用便のために縫われないままであった為、コッドピースは必需品となる/ぴったりとしたホースに取り付けられたコッドピースは男性達が己れの魅力を競い合う為のものとなって、色鮮やかなリボンやレースなどで飾られるようになった
ファスチアン=もともとは2セットの綿の横糸、つまり詰め物を亜麻の縦糸に織り込んだもので、中世ヨーロッパに人気があった布生地/厚手の綿生地のクラスを表すようになり、その一部にはモレスキン、 別珍、そしてコーデュロイなどのパイル表面がある
ブリガンディーン=何度も登場している防具だが、キャンバス地の布や革などをベスト状に仕立て裏地に長方形の金属片をリベットで打ちつけることで強度を高めたもの/高価なベルベットや金箔などで外装に美しい装飾を施した高級品もあった/12世紀末頃まで主流を占めていたコート・オブ・プレートに似るが、ブリガンディーンはその発展形といえるものであり、相違点としてはコート・オブ・プレートに比べて使われる金属片が小さく、またスケイルアーマーともしばしば混同されるが、ブリガンディーンとは金属片を打ち付ける面が表裏逆である
ほぼ全身を強固に防護するプレートアーマーが作られた後も、騎馬による移動を行わない歩兵や軽装を好む騎士などは依然としてブリガンディーンを愛用していた
シャムシール=中近東に見られる緩やかにカーブしている曲剣で、西洋ではシミターと呼ばれ、西洋のサーベルなどに影響を与えたといわれる
ハンジャル=一般的にはジャンビーヤと呼ばれるダガーのペルシャ語名で、カーブした、あるいはS字に湾曲した短剣であり、非常に華麗な装飾が施されていることが多い
ジャマダハル=主に北インドで使われていたもので、ブンディ・ダガーとも呼ばれる/切るよりも刺し、突くことに特化した形状を持つ武器であり、その特徴は通常の短剣の柄とは大きく異なったその握りにある/この握りは「H」型をしており、刀身とは垂直に鍔とは平行になっており、手に持つと丁度拳の先に刀身が来る様な造りになっている……従って、あたかも拳で殴りつけるように腕を真っ直ぐ突き出せば、それだけで相手を刺すことが出来る/そのため力を入れ易くなっており、他の短剣に比べて鎧を貫通しやすいとされる
刀身及び柄には凝った装飾が施されているものが多く、儀礼用としても用いられ、ラージプートの戦士は虎狩りにおいて一対のジャマダハルのみで虎を仕留めることにより勇気と戦技の象徴とした/ラージャスターン州のブンディでは18世紀から19世紀にかけて、金箔をふんだんに使って豪奢に装飾したものが作られ、1851年にロンドンで開催された万国博覧会でも「ブンディ・ダガー」の名称で展示された/刀身は通常は幅の広い両刃の“ダガー”形状であるが、フランベルジェやクリスのように波打った刀身を持つものや、二叉もしくは三叉の刀身を持つものがあり、直剣ではなく湾曲した刀身を持つものも存在し、少数ながら現存している
ブロードソード=形状はサーベルに似ており、刀身は刀剣の中では広くはないが、レイピア全盛の時代においては幅広い剣であったことからこう呼ばれる/全長は70~80cm、重量は1.1~1.4kgで、手を守る為にヒルトに工夫がなされている/19世紀には騎兵用の剣として用いられるようになるが、サーベルのように突撃に使用されるのでなく、切り合ったりすれ違いざまに攻撃するのに用いられた
バスケット・ヒルト=針のように細く鋭い剣身が特徴的なレイピアで最も印象的と思われるが、中世後期からルネサンス期にかけてヨーロッパ全域で広く普及する剣の柄の仕様で、握った手首を保護する籠状の鐔/様々な発展をするが、スコットランドのクレイモアなどが有名
ツヴァイハンダー=全長1.4~1.7メートル、刀身は1.0~1.3メートル、2~5kgほどの重量を有していた/刀身の根元には“リカッソ”と呼ばれる、刃を付けていない〈しばしば革で覆われた〉部分があり、その部分を持って剣を振るうこともでき、これによりポールウェポンのように、より高い破壊力を発揮する形で振り回すことができた/16世紀 、神聖ローマ帝国のマクシミリアン1世の時代、 ランツクネヒトが使用する剣として有名になった……パイクを持った槍兵が並んで騎兵の突撃を防ぐために作り上げた壁に対して、ランツクネヒトはこの剣で槍の柄を切り払って活路を開いたと言われている
歩兵用である為に2m以上のものは実戦使用されなかったと考えられるが、小さい両手剣と大きい片手半剣の差や、大型の実用両手剣と小型の儀礼剣、装飾つきの実用剣と簡素な儀礼剣の差異は無いに等しいために、現存する剣のどれが実用でどれが儀礼用か専門家でもはっきりしていない/両手剣は槍襖を食い破るための武器として非常に効果的だったと認識されており、ハルバードも同様の目的で使用されたがランツクネヒトは槍襖を食い破る目的においては両手剣を優先した
ジャック=中世のイギリスで広く用いられた,皮革と金属を要所につけて防護性を強めたウエスト丈の上着/今日のジャケットの語源と考えられている
マンセリーナ=スペインのマンセリーナ公爵がペルーの提督をしていた時に、パーティの席である女性が誤ってカップからチョコレートを溢してしまったのを目撃して仕舞った公爵は、リマの銀細工職人に依頼して、中央に立ち襟状輪を付けた受け皿を作らせた/これにチョコレートカップを嵌め込んで滑らないようにしたもので、マイセンなどの磁器製品が有名
カメリア=ツバキ〈椿、海柘榴〉またはヤブツバキ〈藪椿、学名:Camellia japonica〉は、ツバキ科ツバキ属の常緑樹で照葉樹林の代表的な樹木
サルーン=語源を辿ればホールと同じく広間を意味するが、多くの賓客を招いての宴会は舞踏会の間として活用された/18~19世紀に掛けて玄関ホールに続き、しばしば円筒形で階上まで吹き抜けた広間が造られ、サルーンと呼ばれた
ドローイング・ルーム=エリザベス朝以来、ホールやサルーン、一般にステイト・ルームと呼ばれる改まった余所行きの場から退出してほっと一息入れる、小さいけれど居心地の良い部屋をウィズドローイング・ルームと呼んでいたが、これが短くなった呼称で、所謂「応接間」とは異なる
ロング・ギャラリー=長い裾のドレスを着ていた貴婦人達が天候の悪い冬の間、戸外の散策の代わりにここを行き来したのが始まりと言われる/エリザベス朝時代には紳士淑女が集う社交場であり、18世紀以降はコレクションした美術品の展示場、あるいは広い壁面を利用した図書室に改造された例もある
ペラルゴニウム=テンジクアオイ属〈天竺葵属、Pelargonium〉 とはフウロソウ科に属する植物の属/ギリシャ語の「こうのとり〈pelargo〉」に由来し、果実に錐状の突起があり、鸛の嘴に似ているためである/園芸種の一属がゼラニューム
ストレリチア=極楽鳥花属〈学名:Strelitzia〉は単子葉植物ゴクラクチョウカ科の属のひとつで、園芸では学名のカタカナ表記そのままストレリチアやストレチア属ということも多い/南アフリカを中心に5種程度が分布し、花は鳥の頭のような形をしているものがある/葉が美しく観葉植物として栽培され、バード・オブ・パラダイス、とも言う/学名の「ストレリチア」は、植物愛好家であったジョージ3世の王妃シャーロットの旧姓に由来している
マッソニア=ヒアシンス科に属して原産地が南アフリカ/名称の由来は実はアフリカではなくイギリスの人の名前から命名されている……当時、ロンドン植物園のプラントハンターをしていたフランシス・マッソンという人物から取られている/ひとつの球根につき葉は2枚だけ出し、成長がピークを迎える頃になると葉の中心から白い花柱を無数に出した不思議な形状の花を咲かせるが、それはさながら白い磯巾着のように見える
調べたら冬季に咲く花と言うことでしたが、まっ、異世界ということでご容赦を………
デビュタント=西洋文化において初めて正式に社交界にデビューする若い女性とそれを祝う場のことであり、それらは通常、プロムやコティヨン〈en:Cotillion〉などと同様に男女のペアで式典や舞踏会に出場するが、その場では女性の方がデビュタントと呼ばれる主役であり、片や男性の方は「エスコート」〈escort:護衛〉と呼ばれる脇役となる/デビュタントの起源は1600年代のイギリスで始まったコンセプトであり、当時のデビュタントボールはパーティーのようなものではなく、英国君主への正式な紹介である厳正な式典であった……裕福で高貴な家族の若い女性は新しい大人として社交する為に宮廷に出廷し、同時に可能な限り最も有望な夫を見つけようとした
ボールガウン=西洋文化におけるオペラボールなどの舞踏会や公式の晩餐会などで着用される女性用の礼服であり、女性の最も正式な正装であるイブニングドレスの一種として夜会服に用いられることが多い/多くは肩や腕を露出させたノースリーブもしくはストラップレスドレスであり、ふっくらとした長いスカートを合わせており、このようなガウンは通常、コートの代わりに肘上まである長い手袋とヴィンテージジュエリーまたは、ケープまたはマントを併せて着用し、既婚女性はティアラを冠する
オペラグローブ=イブニングドレスやウェディングドレスなどの女性用礼服として着用される長手袋「イブニンググローブ」の一種であり、その中でも特に長く肘を越え上腕もしくはそれ以上〈脇~肩付近〉まで至る長い手袋のこと/西洋の礼服の多くはキリスト教における儀礼用の衣装に由来しており、特に、戒律に厳しく儀式が重んじられるカトリック教会では肌の露出を抑えることが求められたので、その流れを受け欧米諸国では公式行事や上流階級の社交界においても夜礼服などの半袖もしくは袖のないホルターネックやノースリーブのドレスは肘上まである長い手袋が着用されるようになった
タフタ=表面が平滑で光沢のある平織地の絹織物の一種で、名称はペルシア語で「紡ぐ」あるいは「撚糸で織った」を意味する“taftah”に由来する/先練りにした生糸のうち、細いものを経糸に太いものを緯糸にして織りだすもので、経糸は緯糸より本数が多く2倍ほどになる/この太い横糸がごく細い粗い畝を表面に浮き出させている/地には張りがあり、軽く薄い布地の割には固さを感じる
ラドン=ギリシア神話に登場するヘスペリデスとともに黄金の林檎を守っていた100の頭を持つドラゴンで、テューポーンとエキドナないしガイアとの間の、またはポルキュースとケートーの間の子であるといわれる/百の頭があるため常に眠らずに黄金の林檎を守っていた
ギータ=名前は「足を蹴り上げているラバ」を意味しているが、口から火炎を噴き出す恐ろしい生き物として現代まで語り伝えられてきた/祭りのパレードに登場するギータの人形は巨大な緑色の身体、非常に長い首と真っ黒な顔、大きな牙とずる賢そうな輝く目を持つ、蛇に似た形状のドラゴンとして表現される
レールガン=物体を電磁気力〈ローレンツ力〉により加速して撃ち出す装置で、電磁気力に基づく投射様式全般の呼称として電磁投射砲やEML、電磁加速砲などがある
劣化ウラン弾=弾体として劣化ウランを主原料とする合金を使用した弾丸全般を指すが、劣化ウランの比重は約19と大きく、鉄の2.5倍、鉛の1.7倍である/そのため合金化して砲弾に用いると同サイズ、同速度でより大きな運動エネルギーを得られるため、主に対戦車用の砲弾・弾頭として使用される/劣化ウランはウラン鉱石を精製した後の純粋ウランからウラン濃縮を行い核燃料としての低濃縮ウラン燃料を得た後に残る残渣であり、目標物を貫通する事を目的とした銃砲弾の弾芯の素材に適している
グリフォン=鷲〈あるいは鷹〉の翼と上半身、ライオンの下半身をもつ伝説上の生物で鷲の部分は金色、ライオンの部分はキリストの人性を表した白であるとも……コーカサス山中に住み、鋭い鈎爪で牛や馬をまとめて数頭掴んで飛べたという/紋章学では、グリフォンは黄金を発見し守るという言い伝えから「知識」を象徴する図像として用いられ、また鳥の王・獣の王が合体しているため、「王家」の象徴としてももてはやされた
グリフォンと雌馬の間に生まれた、鷹の上半身に馬の下半身をもつ生物は、ヒッポグリフ〈hippogriff〉と呼ばれる
クラーケン=近世ノルウェーに伝わっていた海の怪物で巨大蛸とみなすことが通念となっている/まるで島のようで、周りに魚群が集まるので着地して漁労をおこなえるとか、吐き戻したもので撒き餌のように魚群を集めて養い、摂食期になるとこれを食らって、長時間かけて消化する
アスピドケロン=巨大な海亀や魚のような姿をしており、背中に苔をはやし、浮島のように移動するといわれる/中世のヨーロッパでは海のただ中に浮かんでいたアスピドケロンを島と誤認して上陸した船乗り達が焚き火を始めたところ、アスピドケロンが目を覚まして海中に沈み、船乗り達は脱出が間に合わず溺死したりした、という噂が信じられていたという
ザラタン=巨大な蟹であり、船乗り達が草木が茂る島と思いザラタンに上陸するも焚火の熱でザラタンが目を覚ましたという逸話が紹介されている
ハーヴグーヴァ=北洋の海域にいたという伝説上の巨鯨種、巨魚、あるいはシーモンスターで、浮上した部分は島と見まごうと言われ、アイスランド付近〈グリーンランド海〉で見られたと記述されているが、更には伝説的サガの後期本では北アメリカの海域で見られた
ヒッポカムポス=ギリシア神話に登場する半馬半魚の海馬であり、前半分は馬の姿であるが鬣が数本に割れて鰭状になり、また前脚に水掻きがついていて胴体の後半分が魚の尾になっている/ノルウェーとイギリスの間の海に棲んでいてギリシア神話に登場する……ポセイドンの乗る戦車を牽くことでも有名
リヴァイアサン=旧約聖書に登場する海中の聖獣で悪魔と見られることもある/「ねじれた」「渦を巻いた」という意味のヘブライ語が語源で原義から転じて、単に大きな怪物や生き物を意味する言葉でもある/神が天地創造の5日目に造りだした存在で、同じく神に造られたベヒモスと二頭一対〈ジズも含めれば三頭一鼎〉を成すとされている……リヴァイアサンが海、ベヒモスが陸、ジズが空を意味する/ベヒモスが最高の生物と記されるに対し、リヴァイアサンは最強の生物とされて、その硬い鱗と巨大さから如何なる武器も通用しないとされ、その姿は伝統的には巨大な鯨や魚、鰐などの水陸両生の爬虫類で描かれるが、後世には海蛇や竜などといった形でも描かれている
ダゴン=古代メソポタミアおよび古代カナンの神で下半身が魚の形の海神と考えられた/ダゴンの語源を「魚」とする説は、19世紀から20世紀初期の学会で受け入れられていたが、この説はさらにアッシリアやフェニキアの「人魚」像や、ベロッソスの述べているバビロニアの半魚神オアンネスとも結びついた
マーマン=体の一部が魚で残りの部分が人間という特徴を持つ半獣人の一種で、英語ではマーフォーク〈merfolk〉といい、男性の場合マーマン〈merman〉と称され、マーとはラテン語のmare〈海〉を指す/半魚人の図像や伝承は古代から世界各地に見られる
ワイバーン=一般的にはドラゴンの頭、コウモリの翼、一対のワシの脚、蛇の尾に、尾の先端には矢尻のようなトゲを具えた空を飛ぶ竜とされ、その口からは時に赤い舌が伸び、また炎を吐いていることもある
フレイル=連接棍もしくは、連接棍棒と訳され、柄の先に鎖などで打撃部を接合した打撃武器の一種/元々は農具で穀物の脱穀に使われていた穀竿が原型となっている/柄となる長い棍棒と穀物と呼ばれる打撃部分、それらを接合する継手から構成される/継手には鎖や金属環が使われるが皮や紐を使用したものもある
ミノタウロス=ギリシア神話に登場する牛頭人身の怪物で、クレタ島のミノス王の妻パシパエの子でラビュリントスに閉じ込められていた
グレンデル=外見は恐ろしく、醜い姿をしており、性格も残忍で荒野、沼地、砦の周りなどをうろつき、住処は湖か沼地の中だという/一説にはカインの末裔であるとされる
カークス=ローマ神話に登場する巨人の怪物で火神ウゥルカーヌスの息子、カーカの兄、三つの頭を持ち、炎を吐く
サイクロプス=ギリシア神話に登場する卓越した鍛冶技術を持つ単眼の巨人であり、下級神の一族である
ベルゼブブ=旧約聖書「列王記」に登場する、ペリシテ人の町であるエクロンの神バアル・ゼブルが前身とされる/新約聖書「マタイ福音書」などではベルゼブル〈Beelzebul〉の名であらわれるが、この名はヘブライ語で「蠅の王」を意味する/近世ヨーロッパのグリモワールではフランス語形ベルゼビュート〈Belzébuth〉の名でもあらわれる/彼は大悪魔で魔神の君主、あるいは魔界の君主とされるようになったが、地獄においてサタンに次いで罪深く、強大なもの、権力と邪悪さでサタンに次ぐと言われ、実力ではサタンを凌ぐとも言われる魔王である/ベルゼブブは神託をもたらす悪魔と言われ、この悪魔を怒らせると炎を吐き、狼のように吼えるとされる
スコル=北欧神話に登場する狼で、魔狼フェンリルと鉄の森の女巨人との間の子/その名前は古ノルド語で「嘲るもの」「高笑い」を意味する
レガリア=王権などを象徴し、それを持つことによって正統な王、君主であると認めさせる象徴となる物品:西欧諸国においては王冠・王笏・宝珠の3種がよく見られる
タルタロス=ギリシア神話における奈落の神であり、奈落そのものとされる/冥界の最奥にあることから牢獄として扱われたが、原初の神カオスの次に生まれた原初の神々の一柱にして、兄弟姉妹関係にある大地の女神ガイアを配偶神とし、彼女との間に怪物テューポーン、エキドナをもうけた
フットマン=男性家事使用人〈召使い〉をいう、従僕とも……その名称は貴族の馬車の横、または後を随走する役割を持っていたことに由来し、多くはその身体的能力によって選ばれた/彼らは主人の馬車が溝や木の根によって転覆することがないようその横を伴走し、また主人の目的地への到着の準備をする
フットマンを持つことはひとつの贅沢であったので、召使を雇う階級のステータスシンボルでもあり、フットマンの担う役割はコックやメイドのようには不可欠なものでなく、最も大きなお屋敷にしかいなかった/フットマンは「使う」対象であるとともに「見せる」ための存在でもあり、背の高いフットマンは低い者より優遇され、外見の良さ、特に脚の形が良いことが重視された
パーラーメイド=給仕と来客の取次ぎ、接客を専門職とする客間女中/ハウスキーパー〈家政婦長〉の管理下にあり、接客担当であったため容姿の良い者が採用され、制服も専用のデザインであることが多かった
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私、漢字が苦手なもので誤字脱字報告もありましたらお願いします
別口でエッセイも載せましたので、ご興味のある方は一度ひやかしてみてください
短めですのでスマホで読むには最適かと……是非、通勤・通学のお供にどうぞ、一応R15です
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