名無しの弦楽四重奏団さん、“韃靼人の踊り”を弾いてください
………「師匠、初めからすべて知っていましたね?」
「………ある程度、予測は付いていた、ドロシー、お前が特別な血筋を引いた、特別な宿命の許にあることは知っていたからな」
矢っ張りか、この喰わせもの師匠め、簡単にゲロしやがって!
「ヒュペリオンの遺物を調べているうちに分かったのは、信奉するニンリルという女神の容貌が、異常にお前に似ていることだった」
「内緒で、月一の血液検査から、お前の遺伝子情報を解析して確信した」
何、シレッと人の血筋を暴いて呉れてんのかなっ!
「偶然の産物かもしれないが、お前なら、もしかしてこいつ――黄金の御座船をコントロール下におけるかもしれないと思った」
「俺が課せられている任務のひとつに、文明を滅ぼすかもしれない過ぎたオーバーテクノロジー、即ち扱い難い技術の封印……と言うのがある、もし俺が直感を違えて当てが外れたら、こいつは破壊する積もりだった」
途方もなさ過ぎて理解が追い付かない。
「この出逢いも、また、お前の宿命のひとつだ」
「宿命を知ったからと言って、何も変わらない、あたしはあたし以上のものにはなれないっ!」、私は動揺する気持ちを抑えられずにいた。ともすると四方に飛び去って仕舞いそうな小さな自我を、必死で繋ぎ止めた。
「宿命を知り宿命に従うのも道なら、宿命を知り宿命に抗って見せるのもまたひとつの道だ、総てはお前の覚悟と、これからの生き方次第だ」
「強くなれよ、ドロシー、手に入れた力に相応しくなれ」
「お前が折れればこの船は確実に暴走する、お前は俺が育てたエージェント候補の中ではまず歴代最強だ、万能の抑止戦闘力、守って良し、攻めて良し、攻防一体の戦い方のスペシャリストだ」
「ケルベロス・ドラゴンのプリ、蟲喰いのジャミアス、そして“ニンリルの翼”を手に入れたお前が判断を間違えれば、この世界は再生不可能なレベルにまで叩きのめされる……輝く金剛石のような強い心臓を持て、どんなに撓んでも心が折れないよう嫋やかに、己れを鍛えることだ」
「罷り間違っても、心の檻に逃げようなどとするな!」
「勝手ですよ……そんなっ、そんな力なんて欲しくないのに」
「それが宿命だ……調べていくうちに分かった、これだけの火力特化の船だ、中央AIがサポートしても最終の判断を下すのは人間、およそ戦闘時に合議制も多数決も有り得ない、コマンド・オフィサーという火器管制指揮官が、ある意味、戦闘艦内でのトップだった、その血筋は遺伝子操作と徹底的な教練で叩きあげられる、お前はな、200万年に渡って引き継がれた、そんな血筋なんだ」
「猿が人に進化する間に、そんな訳の分からない血なんか薄まって、無いに等しいに決まってます!」
「だがお前の顔は生き写しだったぞっ、嘗てコマンド・オフィサーの家系で最強と謳われたらしいニンリル一族の長は、ニンリルの中のニンリルと呼ばれて、文字通り女神扱いも同然に君臨した」
「ニンリルはな、母系家族なんだ」
遠い祖先に、ニンリルの民の血が混ざったのだろうか? 今となっては真実を確認することも出来ないが、私は一体何者なのだろう?
船のコマンド・オフィサーだと言うが、それの意味するところは全くの謎だ。
私は、何処から来て、何処へ行くのだろう? 額のこれが何なのか、師匠に問うてもおそらく答えては呉れないのだろう。
そんな気がする。
私は……、私は、愛欲と悦楽に溺れて愛を育むべき相手に唾を吐き掛け、穢い言葉で罵り、殴る蹴るの暴行で貶めて、将来を誓った筈の相手を無慈悲極まりない仕打ちで裏切った最低の女。
もう、戻りたくても戻れない、帰りたくても帰れない、大切な忘れてはいけない思い出の日々を自ら捨て去り、顧みなかった、救いようの無い馬鹿女。
私は、道徳的にも、人間的にも、それ以下は無いというところまで一度は堕ちて踠いた……そして今も償えない罪に踠き続ける女。
犯して呉れる男になら誰にでも剥き出しの尻を無節操に振っていた、快楽に溺れた挙げ句の果てに誰の種かも判らぬ児を孕み、その度ごとに何度も堕胎した浅ましく沙門しい過去を悔い続ける女。
正気に還ってみれば、何が現実で、何が操られた末の所業なのかグチャグチャで境界も分からなくなっていた………
それでも執着して、何かに縋って生きている、どうしようもない女なのだ。
ときどき、どうしようもなく捨てられない恩讐とドス黒い妄想に滾り、嘗て狂ったように懇願する私の求めに応じて私を乱暴に抱いた男達、私の身体を通り過ぎて行った許せない筈の男達を皆殺しにすれば、ほんの少しは救われるんじゃないかって……考えて仕舞うような女なのだ。
クズ勇者が死んだあの晩、ステラは私の咽喉に刃先を突き入れ、エリスはステラを、私はエリスに突き入れて死んで詫びようとしたが、どうしてもそれ以上突き込むことが出来なかった。
何度か力を込めようとしたが、出来なかった。
錯乱した果てに諍いを起こした嘗て親しい知己だった筈の私達は、互いに憎いと思った相手、一番罪を償わせるのに相応しいと思える相手を選んで、互いに突いて死のうとしたが、結局、悪いのは自分だと知っていたから、出来なかったのだ。
銘々、自分が一番罪深いと思っていた。
取っ組み合った争いと罵り合いの末、醜く腫れあがった顔、醜く腫れあがった瞼から涙が溢れて止まらなかった。
私は衝動的に自分で自分の脇腹に短剣を突き入れていた。肉が収縮する焼けるような強張りで、それ以上、何も出来なかった。
自分が自害も出来ない情けない胆力しか持たない、見掛け倒しのただの能無しの女だと知った瞬間だった。
熱く噴き出す薄汚れた静脈血で、辺りを濡らし、ごめんね、ごめんね、と啜り泣きながら謝り続けるステラ姉とエリスの声を、何処か遠くに聞いていたのが、今も思い出される。
情報共有により、艦内構造に熟知した私の先導で艦内を見てみることにした。
真空地帯でも船外活動する為に航宙仕様密閉ハッチは特殊な二重構造になっていて、少し外側に迫り出すようにシームが切れると、シュッと負圧の減圧室に空気が流れ込む独特の音がした。
中扉が開くと同時に、眩いばかりに白々とした不思議な感じの照明が低反発クッションに覆われた通路に灯る。
空調の抗菌コンディショナーが、殆ど無音に近いが微かな音を立てていた……おそらく200万年振りに稼働を再開しているのだろう。
一番近いライナーリフトの乗車ステーションへ向かう。艦内交通網では一番普及している水平移動手段だ。
何処も彼処も、見たことも無い程に清潔だった。
「塵ひとつ落ちておじゃりませぬなあ、本当にこれが200万年前の遺物だとは、到底信じられませぬ」
今は師匠に抱きかかえられたシラセが、誰にともなく呟いた。
やがてリニア駆動の筒型車両に乗り込むと、静か過ぎる猛烈なスピードであっという間に、リフト専用の昇降機まで着いた。
車内に取り付けられている不思議な表示が刻々と変化し、一部は宙に浮き現れては消える。液晶モニターですらない、唯の表示なのに輝度を感じるそれらは、今は私だけが理解出来る。
中枢ユニットがコンタクトして来たときに一緒に送られた、ヒュペリオンの共通言語体系の所為だろう。
擬似亜空間に畳まれていた膨大な汎用区画ユニットが、活動再開に必要な部分を刻々と再展開している模様を、車内用の一般ヴィジュアル・アナウンスが知らせている……それが私には理解出来た。
つまり、この船はまだ膨らんで、本来の大きさを取り戻そうとしている。
慣性を殺す装置が働いている車両に座席は無く、部分部分に握りバーがあるだけだったが、簡素かと言うとそうではなく、運転装置でも制御卓でもない、よく用途の分からない物でリフトの車体は溢れていた。
乗車したまま、今度は階層を移動する。横方向の慣性が、上下に変わったのを感じた。また、暫くして横に走り出す。
空中要塞の中枢区画まで、それでも20分と掛からなかった。
メインサーバー中央制御コントロール付近は、複雑な構造で通路らしい通路が無く、キャットウォークのようなラダーを伝わっていく。巨大な集積回路のようなものが、ひっきりなしに明滅し、縦横無尽に張り巡らされたチューブ類に、何かが走っていくのが可視化されていた。
この区画は、自動メンテナンス・ガジェットしか入らず、人が訪うようには出来ていない。
師匠の図書館で、異世界の建築構造も学んでいたが、およそ人類の常識とは掛け離れた複雑で異様なメイズのような区画を抜け、分厚い隔壁の自動シールドドアを幾つかくぐり、辿り着いた装置は、絶えず変転する巨大な球体だった。
部分的な何かのパーツが尖ったり、引っ込んだり、宙に浮く筐体やキューブ状の装置が、その場所を入れ替えたりと、まるで立体パズルのように動いている。
(ようこそ、長い間、新しいオーナーを待っていました)、どうやら目の前のものが、この船のすべてを制御するメイン・セントラルユニットらしかった。
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ヨシエは、ミツコに嫉妬していた。
そんな素振りは、おくびにも出さないが、幼い頃から何かと比べられるミツコに対しては、密かに思うところがあった。
憎からず思っていたホンゴウが、どうやらミツコと恋仲らしいと知ったときには嫉妬で気が狂いそうだった。
本家の跡取り娘というだけで、周りからは必要以上にチヤホヤされるばかりか、悔しいことに、昔から何でもよく熟した。
漁に出れば、他人より多く真珠貝を獲ってくるし、伝統芸能の神前の舞いでは誰よりも可憐だったし、ボビンを使ったアンティークレース織りは、大人も適わない緻密な出来栄えだった。
何故、ミツコだけが何もかも持って生まれたのか分からなかった。
才能も、魅力的な姿態と容貌も、周囲を引き付ける魅力も、同世代の中では飛び抜けて一番だった。祝女の家柄に生まれて、やがて祝女を引き継ぐ。
ヨシエだとて人並み以上に器量良しで才気煥発、器用に何でも出来ると自惚れている。だが、何も彼もがミツコには劣っているのが明白だった。
何とかしてミツコを貶めることが出来ないか、日々腐心するのが、いつの頃からかヨシエの拠り所だった。
月の綺麗な晩だった。浜辺に出ると打ち寄せる静かな潮騒の音が、ツマラナイ、ツマラナイと囁いているようだった。
ミツコが攫われたときは、これでようやく自分にも運が巡ってきたと小躍りするような気持ちだったのに、あの変な奴等が助け出して仕舞った。
おまけに妙竹林な、空飛ぶ大きな船に乗っかって、奇跡的に無事に戻ってきて仕舞った。お陰で、またもや私は予備軍のその他多勢に逆戻りだ。
椰子の木陰に近い浅瀬で、これからの策略と妄執に捕らわれていると、気が付かないうちに、誰かに近寄られていた。何かが首筋に、耳の後ろ辺りに噛み付いたようなチクリとした痛みを感じると、気が遠くなっていた。
「娘、お前は今から我らの傀儡だ、まず知ってることを総て吐いて貰う」
怪しげな男と女の二人組だった。見たことも無いぴったりフィットした黒い装束に、あっちこっちスリングがついたハーネスを纏っていた。
その風体はとても堅気には見えず、事実、ヨシエには分からなかったが、両脇の下にナイフのホルスターが下がっていた。
男も女も酷薄そうな瞳に、月明かりに照らされたヨシエの顔を映していた。
知ってることと言われても、分家の小娘に分かることは少ない。
一度、人売りに誘拐されたミツコが何故か素性の知れない四人組に付き添われて帰郷したこと、四人組は何故か村の秘密の“黄金の沈没船”を探していること、見たことも無い大きな空を漕ぐ船がミツコとミツコの母親のシラセの案内で沈没船の海域を目指したことなどだ。
「女、この村は何だ?」、月明かりを背に、良く表情の見えない女の方が、女らしからぬ野太い声で問うてきた。
ヨシエは、種族の固い鉄の掟として、故買屋などの余所者に対しては決して明かさなかった、村の来歴の秘密の部分を喋って仕舞った。
どうせ逆らいようもないのなら仕方が無いと、ボンヤリ紗が掛かったような意識で思っていた。
「沈んだ大陸の“黄金の沈没船”か、面白い、人魚の捕獲チームは何故これを見逃したのか?」、しかし男と女の二人組の暗殺者は、こうして次々と自分達の操り人形を作り出し、情報を得ていた。
依頼を受けていた他のメンバーの調査力は、遠く及ぶまい。
「女、お前に巣喰わせた寄生虫は我等が黑漂客が秘術、“闇の左手と右手”が産み出したもの、我が妻の胎内に宿りし児が操る」
「貴様はこれより我等の命ずるまま、己の肉体の限界を超えて、誰かを殺すことになっても逆らえない」
それはおよそ、手を出してはならない悍ましい禁術だった。
同時に、暗殺者らしい卑怯な外法の技だった。
どうせ殺すなら、邪魔なミツコを殺すことになればいいな、と薄ボンヤリとした意識の許、ヨシエは願うのだった。
「お別れだね、ドロシー、私は貴方が例え何者でも、ずっと大切な友達だと思っている……それはこの先も変わらない」
「ドロシーがいなければ、私は今頃、何処かに売り飛ばされ、ラグーンに帰ってくることは出来なかった、貴方は私の命の恩人、あらためて言わせて欲しい」
「私を救い出してくれて、本当にありがとう!」
「貴方はきっと女神様の生まれ変わりで、受肉された女神様は私を見事に助けてくださったのだから……」
(そんなこと思ってたの? 買い被りだってぇっ!)
「ミツコも元気でね、この村での思い出も、あたしには大切な宝物だよ」
ミツコを助けたのは偶々で、私達の目的に必要だったからで、別に恩に着るものではないことを何度も散々説明したのだが、ミツコは何故かその度にニコニコ笑って聞き流すだけだった。
「亡くなったお祖母ちゃんのお味噌汁、意外と作り方は簡単だったでしょ?」
「鰹節はあるんだよね、あとは精進するだけ」
……偉そうなこと言ってゴメン、本当は私も炊事の腕が上がったのは、この一年ぐらいなんだった。
あの後、ミツコには私達の、私の過去の失敗を包み隠さず話した。
到底人の子なれば、許容出来る範囲の過ちでは無い。拒絶されて当然の、度し難く薄汚い過去だったが、このまま隠し通して去るのは嫌だったのだ。
折角出来た友達を失うようなことになっても、私が一体どんな女だったのかは告げておきたかった。
ミツコは親身になって、泣いて呉れた。
「ホンゴウ、ミツコを泣かせたら、何処に居ても私が天罰を下す」
「エ、エリスさん、勘弁してくださいよう、本当にカミナリでも落とされたりしたら、村が燃えちゃいますよう」
「ステラ殿、お点前方に一緒することが如何に大変か、今回の同行でよっく分かりましておじゃります、矢張りわちきらは先祖伝来、自分等の分を守って、ここで暮らすが良きことなり、そう悟りまして、おじゃります」
シラセは、それまで意気込んだ素振りは無かったが、矢張り部族の将来を計る立場からか、何処か気負っていたのだろう。
今は吹っ切れたような笑顔が眩しかった。
「いえ、いえ、ちょっとした差ですよ、私なんかも師匠の修行で未だに、目を回しますし、気を失いますっ!」
何か、微妙にフォローになっていない気がする。
「幾世の因縁を見通す聖者殿、貴方の言われた通りだった、我等の女神像は復活なさった、これからの繁栄と防衛を約束してくださりましたわっ!」
ミツコの父、部族の長老頭のナナイチロウは、白い顎髭を揺らしてニカっと笑うと、前歯が欠けていて虚になっていた。
これでシラセの亭主だというのだから、よくよく夫と妻の釣り合いが取れていないのは、この種族の宿命なのかもしれない。
“ニンリルの翼”の復活と共に、昔から村にあった大きな女神像は端末認識され、エネルギー炉に無線充填された村の守護神として再起動を果たしていた。
ナナイチロウの願いと、村の現状を分析したインフラ建築マシーンは、自分の最適解を出すべく、プランを捻出しているところだった。
今、沖に停泊する“ニンリルの翼”は、ひょっとするとジュール諸島全域ぐらいの大きさがあるかもしれなかった。
ここグリーン・ラグーンからも、プラチナ色に輝く舳先のニンリル像が望めた。壮絶な景色だ。あまりにも巨大過ぎて、遠近感がおかしくなる。
静かに、島のように、陸地のように、横たわるそれは、現世の状況を把握する為に今、世界の隅々まで探査の網を広げている筈だった。
ナンシーが来て呉れと言うので……離れていても、脳内で会話が出来るのは、私と眷属の盟約を結んでいるプリと一緒だったが、師匠を伴い4人で行ってみた。
見知らぬ男女の二人組が捕らえられていた。
堅く口を噤んだ様子とその風体から、とても素人には見えない。
「何処の馬鹿だ、これが何かも知らず乗り込むなんて……」
「魔術の類いも、他の能力も、全てをナンシーの超科学に封じ込められた筈だ、気が付かなかったのか?」
「しかもこんな南洋の最果てまで、見たところ中央大陸の顔付きだが?」
「いや、いや、待て待て……」、師匠は男の方の襟刳に指を入れると、薄めに編まれたチェーンメイルを、刃物も使わず切り裂いていた。
男は、無言ながら慌てふためき、直ぐ様肌を隠そうと激しく抵抗する。
「俺が伝え聞くところによると、ハンドレッドエイト・ブラックウィドウの暗殺部隊は、蜘蛛の白粉彫りをしてるってことだ」
男の髪を掴んで無理矢理仰向かせる。
(ドロシー、女の方にプローブを挿れてみろ……)、師匠の念話の呼び掛けに、いつか習った他人の思考と記憶を読み取る術の蔓をソロリと射し込んでみた。女の考えていることが、流れ込んでくる。
どうやら、オケアノスの組織をぶっ潰したのが気に入らない誰かさん達の肝入りで、こんなところまで追い掛けて来たらしい。
それなりに修羅場をくぐってきたようだが、刺客として生き残るには心が弱過ぎたようだ。残忍さの虜になって心がドス黒い思いで塗り潰されて仕舞っている。女の、いやこの二人組の過去の仕事を見ると、その嗜虐的な遣り方は病んでいるとしか思えなかった。
暗殺のプロと言うよりは、性格破綻者、殺しを楽しむ異常者のウエイトの方が遥かに大きいかもしれない。
獲物を目指す猟犬か狂犬のように、驀地にここまで来たと……
その任務に懸ける情念も性格破綻者ゆえだと思える。
ん?、ここに来る前にラグーンの集落で昨晩、秘密裏に何か良からぬものを仕込んでいるようだ。
……寄生虫? あのヨシエという娘、ミツコへの妬みを付け込まれたか?
嫉妬は夜叉を生むと言うが、人の心が斯くも醜く歪んで仕舞うのは人の世の儚さを見せつけられるようで心が痛む。
それにしても悍ましい。寄生虫のホスト側が闇呪詛の禁術で孕んだ胎児だとは、人はここまで堕ちたくないものだ。
無表情を保てず思わず顰める顔に、まだまだ修行が足りないと反省した。
幸いなことに術の最終効力は、まだ発動していない。
しかし自分達の常識の範疇で挑んだ時点で、この者らの敗北は決定した。
何故なら……未だ熟知している訳ではないが、ナンシーの強力なセキュリティと感知を誤魔化せる侵入者はまず居ない。
そして、如何なる魔術、妖術、精霊術の類いも無効化する超科学技術を掻い潜れる者は、更に少ないからだ。
私は禁術の赤子から繋がった糸を手繰って、ヨシエに巣食った寄生虫を焼いた。
あまり人の心を弄るのは好きじゃないが、ミツコが悲しむのは嫌なので、手を汚すのを厭わず支配されていた間の記憶と殺意と共に、ヨシエの妬みの感情を綺麗さっぱり消し去った。
「白粉彫りは死んだあと、体温が下がると初めて絵柄が浮き上がる、ちょっと試しに死んでみろよ……」、軽く男の首を捻ると、骨の折れる嫌な音がして、男は訳も分からないうちに息絶えた。
酷薄そうな面構えだったが、総髪を後ろで結った、ちょっと苦味走った渋い顔が今はだらしなく弛緩して見る影もない。
出会って5分も経っていなかった。
「あががああっ!」、連れの女が獣のように怒号する。
拘束されたまま仰向けにひっくり返る男の胸には、黒い蜘蛛が浮き出ていた。
「夫婦で暗殺者って、酔狂な奴等だな、相手を見捨てなけりゃならないときはどうする積もりだったんだ?」
「覚悟は出来てるってか? ベガ&アルタイルなんて青臭いロマンチックなコンビ名じゃあ、その辺も怪しいな?」
頭の中を覗かれていると悟った女は、裏稼業の伴侶を失ったショックよりも、的確に言い当てる師匠の方に愕然となる。
「おっ、白粉彫りの意味を知っているか? 我々、“百八黒後家蜘蛛”を敵に回すという恐怖を倒した相手に伝える為さっ!」、女が悪足掻きの恫喝をする。
「……女、生きたいか? 胎に子供がいるな?」
「お前、子供を殺したことはあるか?」
「……無い」
妊娠の事実を言い当てられて辟易ろぐ女が苦し紛れに、嘘を吐く。
「嘘だな、俺はお前の心を覗いてるんだぞ、なぜ偽れる、何故バレないと思う? 組織に命ぜられれば親をも殺す、血も涙もない生粋の人殺しだ、矢張り生かしておく価値も理由も無い」
「人の子を平気で殺せるお前が母親になるって、どう取り繕ってもおかしくはないか? 殺しを楽しめる奴はな、如何に腕利きだろうと……カスだ」
「悪党が楽に死ねると思うなよ……今度生まれてくるときは、真っ当に生きれるといいな、生まれてこれたらだが」
師匠は、バインドの術で声も出せず、身動きも出来ないように女を固縛すると、おもむろに女の頭を鷲掴みにし、身籠った女と男の遺体も、纏めて白い高熱の炎でゆっくりと燃やしだした。
声にならぬ悲鳴も含めて、全てが灼かれていく。
なるべく苦痛が長引くようにゆっくりとだ。二人の因果と輪廻転生ごと燃やし尽くした。魂まで焼き尽くし、おそらく二度と生まれ変われることは無い。
汚れた命でも、命は命、人間誰しも生まれつきの悪党などいない、などというキレイごとは、この苛烈で非情な人の前では通用しなかった。
組織の優秀な暗殺者だったのだろうが、跡形も無く灰になり、二人と胎児はゴミのように死んだ。
「気が変わった、皆殺しだ……一個師団を送り込む」
「しっ、師匠、また言ってることと、やることが違う!」
「そんなに大量粛清したら、本当に経済破壊になっちゃうじゃないですか!」
「好き放題のさばれると思ってる奴等には、身の程を知って貰う必要がある、遣り方は幾らでもあるさ」
邪悪に微笑む師匠の方が、余っ程血も涙もない鬼に見えた。
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再びグリーン・ラグーンに戻り、今度こそミツコ達と別れを告げた私達は、望んだ訳ではなかったが、私の指揮下に入った天災レベルの威力を持つ幾多の超絶級破壊兵器と共に帰還していた。
ヨシエのことは敢えて黙っていた方がいいだろうと思い、ミツコには何も告げなかった。秘すれば、あのまま仲の良い従妹同士でいられると思う。
今、私はニンリルの加護と共にある。
私の中にダウンロードされた記録の中には、初代からのコマンド・オフィサー達の意識がある。彼女達が生きろと言って呉れている。
辛酸を舐めた者程強くなれると諭す彼女達の許しを得て、私はこの先の長い道程を歩いて行こうと思う。
今はまだ見えないが、犯した罪も、拭い切れない過去も、何も彼もが許される、そんな日が来ることを信じて。
師匠が内緒で話して呉れたが、遠い星系の天体、異世界ではメイオール銀河と呼ばれる方面からの知識生命体のコンタクトが幾つかの並行世界で確認された、と言う報告が多数残されていたらしい。
実際ヒュペリオン文明の忘れ去られた記憶媒体規格は、師匠の属する次元管理局でも貴重なサンプルになる筈だった。
師匠の推測に依ると、おそらく移民団はメイオール銀河方面から渡って来たのだろうと言うことだった
筈だったというのは、師匠が握り潰して、報告しなかったからだ。
バレたら、相当やばいことになるらしかった。
私がその媒体規格のコードを誦じて見せると、ギョッとした顔付きの導師は、一生知らぬ存ぜぬで秘密は墓場まで持っていけと厳命した。
師匠の推測は概ね当たっていたのだが、それは後でナンシーにも確認した。
故郷の星を捨てざる負えなかった異星の民は、巨大な箱舟で渡ってきたが、力尽きてほぼ絶滅、ナンシーの統括する、この金ピカで、途方も無く巨大な護衛戦闘艦と移民船の残り少ない数隻だけが何とか不時着し、無事にと言うか役目を終えた“ニンリルの翼”号は、長い眠りについたらしい。
こうして風の古代女神ニンリルの加護を受けた超弩級戦艦、甲板は35海里にも及び(しかも戦闘態勢に依ればその倍になる)、そんじょそこいらの城塞都市よりも余っ程威容を放つ、天翔ける神の御座を手に入れたのだった。
大小幾多の砲門に武装された戦闘砲艦は、その主砲及び縮小ジェネレーターなどの特殊殲滅兵器で星団をも消滅させると言う。プラチナ色に照り映える船体は、あまりの質量に周囲の空気を巻き込みながら進むので、地表に近い低空を飛ぶと環境破壊になりかねない。
中央指令区画に収まる、例の超高度なメイン制御コアの名前から、私達はこの船を“ナンシー”と呼ぶことにした。
甲板の上は特殊なエアカーテンの結界に覆われて、周囲の天候や船の速度に影響されず、四六時中温暖で快適良好な環境を維持しているようだった。さすがに嵐の日に採光は射さないが、突風が吹き込むようなことはなかった。
やがて、命の恩人とも言える巻き髭のスパルタ導師と別れなければならなくなった後だが、ナンシーの許しを得て、甲板の隅にアンティーク調の応接間やリビングを備えた瀟洒な居宅を拵えた。
世界中に身の置きどころの無くなった私達の隠れ家だ。
世界中何処に居ようとも、ナンシーの技術だったら転移位相で瞬時にこの要塞に戻って来れるし、必要な建築資材やガーデニングの為の植栽の生成や供給も、お茶の子さいさいだったし、実は完成した後も家造りが楽しくなって頻繁に増改築を繰り返した。
全くの手造りという訳ではないが、経師や左官、屋根葺き、造園、他ビルダー系のスキルをジャミアスに言って必要なスクロールから取得した。
中庭に面して扇形のヴォールト回廊を配したり、切妻屋根にドーマー窓を付けてみたり、パティオには睡蓮の浮かぶ四角い池を作ったりと、好き放題した結果ほぼ出鱈目だったが、不思議とアンバランスさが心地好かった。
私達の拠点、ホームだ………贖罪と巡礼の旅、一生根無し草の放浪の旅に生涯を終える覚悟だったが、私達に戻ってくる場所が出来たのだった。
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暫く後の話だが、軍港オケアノスの性風俗歓楽街“ママの焼菓子”の一等地を占有する大施療院に、付属の看護師養成専門学校が開校した。
そこの第一期生に、色黒のジュリエッタという娘がいた。本人の希望を入れて呉れた謎の互助会が、潤沢な奨学金を約束して呉れたと言う。
一方、百八黒後家蜘蛛と言う犯罪結社は、人知れず消滅していた。
以上で序章は終了です
次回から本編が始まる予定です、寝取られて奮起する幼馴染み側の話はだいぶ先になります
しかもザマァできるかどうかは定かではありません?
姦通しちゃった女の方が遥かに強くなってしまったからです
ヴィオラ=同じヴァイオリン属のヴァイオリンとほぼ同じ構造で、同様に顎に挟んで演奏する/ヴァイオリンに比べ音域を五度下げ低音を出す必要から全体が大きくなっていて、厚みが増している/大きさはヴァイオリンに比べ胴長が50 mmほど大きいといわれるが、ヴィオラの大きさは390 mmほどから420mmを超えるものまでばらつきがある
チェロ=西洋音楽で使われるヴァイオリン属の弦楽器の一種で西洋のクラシック音楽における重要な楽器のひとつ/オーケストラによる合奏や弦楽四重奏、弦楽五重奏、ピアノ三重奏といった重奏の中では低音部を受け持つ/また、独奏楽器としても重要であり、多くのチェロ協奏曲〈チェロ・コンチェルト〉やチェロソナタが書かれている
コントラバス=オーケストラなどで最低声部を受け持つ弦楽器でクラシック音楽では主に弓を使って演奏するが、ポピュラー音楽では一般的に指を使って演奏する〈ピッツィカート奏法〉/類似する低音弦楽器であるチェロがヴァイオリン属の楽器であるのに対して、コントラバスに見られるなで肩の形状、平らな裏板、4度調弦、弓の持ち方〈ジャーマン式〉といった特徴はヴィオラ・ダ・ガンバ属に由来する/共鳴胴は瓢箪型で棹が付いていて、形により「ガンバ型」「バイオリン型」「ブゼット型」などのバリエーションがあり、中央のくびれは古い擦弦楽器において弓を使うのに邪魔にならないような形状にした名残でヴァイオリン属にもヴィオラ・ダ・ガンバ属にも共通するものである/ヴァイオリン同様表板と裏板は独立しており、表板は湾曲している/ただし湾曲した裏板を持つラウンドバック、平面の裏板を持つフラットバックと呼ばれるふたつの構造が存在する/フラットバック裏板内側面には、ラウンドバックには無い力木〈ブレイス〉が接着されている/ヴァイオリンやヴィオラ、チェロと違いなで肩であるが、これはヴィオラ・ダ・ガンバ属のなごりであり、これによってハイポジションでの演奏が容易になっている/駒は弓で特定の弦をこするのに適すよう弦の当たる位置が湾曲しているが、形の比率は他のヴァイオリン属に比べて背が高い/尾部にはエンドピンを備えており、これを床に刺して演奏する
キャットウォークー=大きな体育館や劇場の舞台などでは高所に設置した照明や緞帳などの調整や点検のため、天井から吊るした器具で通路を造る……こうした通路をキャットウォークと呼ぶ/また工事現場で組む作業用の仮設足場や吊り橋を架ける際のケーブルを作るために空中に引かれる通路も、キャットウォークと呼ばれる
ボビン=ボビンレースは組み紐に似た織りの技法を用いたレースで、通常糸をボビンと呼ばれる糸巻きに巻き、織り台の上に固定した型紙の上に、ピンで固定し始点とする/ボビンを両手で持ち、左右に交差させ交差をピンで固定しながら平織り、綾織り、重ね綾織りの3種類で様々な模様を織り上げてゆく/ボビンは長細い棒状の形態をしており、ヨーロッパ各国では地域性のある形状をし、材質も様々で、装飾がほどこされているものが多い/アンティークボビンは代々受け継がれて使用されることが多く、市場に出回ることは稀である/大きさは織り上げる糸の種類によって様々で、ヨーロッパの博物館等で展示されているのを見ることができる/イギリス式ボビン〈ミッドランドスタイル〉は大陸で使われているボビンとは形が異なり、美しい装飾も施されている/通常の長さはスパングルと呼ばれるビーズの装飾部分を除いて9〜10センチ程度である
白粉彫り=血行が盛んになると浮き出ると言われている彫り物だが実際は創作上のもので都市伝説
現実には不可能であり、蛍光塗料を用いてブラックライトに浮かび上がる入れ墨は存在するが通常の状態でも絵は見える
ヴォールト回廊=アーチを平行に押し出したかまぼこ型の形を特徴とする天井様式および建築構造をヴォールトと呼び、広い空間を柱の数を少なく支えることができる/アーチ同様、小さな部材同士の圧縮軸力で構造が成り立つ性質をもつからで、引張強度の小さい石材などで構成するのに適した構造のひとつである
ドーマー窓=屋根に小さな空間を設けて取り付ける窓のこと/ヨーロッパ建築によくみられ、屋根裏や吹き抜けへの明かり採り・外気導入を目的としている/一般の天窓が屋根の一部をなし水平か斜面に配されるのに対して、ドーマーはほとんどの場合、小さな切妻屋根の張り出し窓を垂直に設置して、雨水の侵入がないように考慮されている
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