47.ソランは箱庭を出て、冒険者飯を喰う
ソラン・アンダーソンが最初に口にしたのは、「冒険者の飯は旨いのか、それとも不味いのか?」と言う、よく分からない問い掛けだった……質問の意味を捉えあぐねたこの身は、自分で食べてご覧なさいよ、とだけ答えた。
心も身体も怒りと呪いで出来ていた。
きっと血管を切ると吹き出すのは“復讐”と言う名の瘴気だと思う。
近道が欲しい訳じゃない。
だが、日に々々つのるドス黒くも狂おしい焦燥感が身と心を焼き尽くそうとする。
俺がジグモント・ルーシェの街に来たのが、時祷カレンダーで衝立座の月の丁度朔の日だった。もう、一ヶ月近く経つ。
「王都に行ってみてえ……」
俺は郊外の野営地で、夜明け前から新しく手に入れた両手剣での素振りと、ネメシスに教わった型を使っていた。足元には汗の滴で出来た幾つかの滲みがあった。
(もう何度も説明したであろう、王都の軍隊とその戦力、魔道士の遊撃隊もある、“恩恵”に守られし勇者に肉薄するは、未だ手に入れられぬ“転移”のスキルを持ってしても難しかろう)
「顔を見てみてえんだ」
俺は一週間前に手に入れた“擬似空間収納”の引き出しから、汗拭き用のタオルを取り出した。何も無い空中に、幾つかの引き出しの四角い輪郭が浮かぶが、何を何処にしまったのかは覚えてなくちゃならないので結構コツがいる。
貴族相手の高級用品店で手に入れた綿のタオルは、真っ白くて好い肌触りだ。
(顔を見ねば保てぬ程、お前の恨みはヤワなのか?)
もう何度目かの問答だったが、眠らない俺は夜を徹してのスキルと体術、剣術の習熟の手応えだけでは、捩子切れるように逸る心を、抑えられなくなっていた。まぁ、期待しちゃいないが、このやりとりは儀式みたいなもんだ。おはようの挨拶と何も違わない。
そう言えば、あの日から俺は、一度たりとも女神教の朝の祈祷をしちゃあいない。信じる者が救われるなら、俺の身の上にあんな悲劇は起こらなかった筈だし、祈りは苦しみを和らげてくれるだけで、根本的に解決はしてくれない……だから俺は祈るのをやめた。
俺は神に背いても、復讐は遣り遂げる。
(それより風呂じゃ、ここは街から遠い、朝風呂は吾の唯一の楽しみ、早うせい)
嘘吐け、肉体に憑依することに因って得られる五感の感覚に飢えていたこいつは、相当喰い意地も張っているのを俺は知っている。
「なぁ、なんなら湯女を抱いてやろうか……肉体の快感を渇望してるってんなら、まぐわいの絶頂感は最たるもんだろう」
(そっ、それは……要らぬ!)
前に訊いたときもそうだったが、明らかに動揺する気配がある。
「何百万年も生きて……生きてって言えるかどうか分からないが、まさか未通女って訳でもないんだろう?」
(うっ、うるさいわっ、吾の恥部に触れるでないっ!)
どうやら我が儘女王で、悪徳の根元を標榜している筈の復讐の女神ネメシスにとって、この話題は禁句のようだった。
普通に恥ずかしがるのが、何故なのか不思議でしょうがない。
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泊まる場所も、飯を喰う場所も転々と渡り歩いて痕跡を残さないようにしている。場合によっては昨晩のように野宿だ。
正直、宿も食堂も当たり外れはあるが、今日立ち寄った、朝の飯屋はまあまあだった。
七面鳥の干し肉入りクリームシチューに、太いスープ・ヌードルが入っていて、食べ終わった俺は鍋のような深皿を舐め回したい衝動を必死で堪えた。
(意地汚いのお、匙を咥えて物欲しそうにしてるなぞ、まるで餓鬼のようじゃ)
「人のこと言えた義理かよ?」
俺の味覚を通じて、ネメシスが食事を堪能してるのを俺は感じれるようになっていた。例えば、四六時中俺に取り憑いているこいつは、俺が放尿する感覚でさえ共有しているような素振りがあった。
精神エーテル体だかアストラル体だか、何だか知らんが、人の排泄感を味わいたいとか?
どんだけだよ――――!
蜂蜜酒のミードの空いた器を下げに来たタヴァン付きの女性に、声を掛けた。酒場じゃないので物堅そうな婦人だった。
金の刺繍入りタンブレット(被り物)と、赤いベールを後ろに流したシャプロン(頭巾)でお洒落をした若い姉さんだった。
色の白い別嬪さんだ。
「煙草を吸ってもいいかな?」
「あぁ、それと薬草茶があったら一杯貰えないか、カモミール茶かローズヒップがいい」
俺はなるべくならお行儀のいい旅人か小市民を装っていたかった。別に悪党に見られることを恐れている訳じゃないが、無関係な他人に俺の真っ黒な瘴気を曝したくはない。
姉さんの言う代金より多めに支払ったら、何故か流し目で手を握られてしまった。
そう言えば、今擬態しているのは優男風な、一見女にはモテそうな面だった。
(鼻の下を伸ばしておるのか?)
「なんだよ、俺がモテればあんたも嬉しいのかと思えば、そうでもなさそうだな?」
「何たって、連れションする程一心同体なのにさあ」
俺は腰に着けた買ったばかりのサコッシュ(小物入れ)から、紙巻き煙草の道具を取り出しながら揶揄い気味に問うてみた。
(んっ! 今夜は素振り10000回じゃあっ!)
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“模倣”のスキルを手に入れた俺は、野試合とか剣術道場とか、兎に角見取り修行のできる所を駆けずり回った。
なかなか勉強になったが、剣術に飽き足りなくなった俺は、其の内に仕立て屋とか調理人とか瀉血や外科手術の職人の仕事場に、バレないよう“隠行”のスキルで透明化しては、忍び込むようになった。
この辺は生来の性分というか、復讐とはなんの関係も無いかもしれないが、単純に出来ることが増えていくのは嬉しい。
裁ち鋏とか針と糸、鍋や肉切り包丁やフライパンなどの調理道具、手術道具なんかを彼等の仕事場から失敬したが、過分な金銭を代わりに置いてきたのでその辺は勘弁して欲しい。まぁ、その金ですら何処かからクスねてきたものではあったが……
金と言えば、この街での最高級の装備を手に入れるのに金を貯めろとネメシスが宣う。
仰せのままに、なるべく阿漕な商売をしているらしい高利貸しを探し出して、ローバーの下位互換、スティールで金庫室の金を根刮ぎ奪った。ものはついでと、泣きをみてるかもしれない借用者達の証文を奪って焼き捨てた。
交易都市ジグモント・ルーシェの金融業界に大打撃を与える、幾つかの金貸しの倒産は俺の仕業だった。
(この街の主だったスキルは粗方喰い尽くした、他の街に行くもよし、他国を攻めてみるもよし、ただ王都はまだ早い)
「あんたが指南してくれるのは有り難いが、俺はもっと身近に師事できる先達に、魔術も剣術も教わってみてえ」
正直、ネメシスの教え方は高度過ぎて、全てにおいて駆け出しの俺向きじゃないような気がしている。
大体、剣術の高度な技も未だ習得出来ない高位の武技も、俺の肉体の操縦権を明け渡したネメシスなら操れる。それこそどんな剣豪も、剣聖ですらも敵わないと思える程に……
魔術に於いては尚更だ。未だ教わった呪文を上手く唱えられない俺は、生活魔術が少し使える程度だった。
折角、魔力も無尽蔵に奪えるばかりか、魔素を操る気功も練度を上げたし、精霊魔術の為には最適の“エレメンタル召喚”のスキルを手に入れたにもかかわらずだ。
片や、ネメシスが操るのは破滅級の魔術だった。威力を見せる為にわざわざ設けた異空間での発現だったが、もう、これ一発で勇者や王都も殲滅出来るんじゃねえか?
(うぅむ、一度村に戻ってみるか?)
(田舎で一度、冒険者登録してみよ……出会いがある筈じゃ、吾の辻占の卦に出ておる)
(冒険者になれば日銭は稼げるし、経験も積める、魔族領に行ける迄になれば重畳……高位の魔族には、人間が持たぬスキルを有する者もおるゆえな)
「おぉ、それ好いな」
言われて急に里心が降って湧いた。
頭に血が上って、怒りの赴くまま村を飛び出して来たが、これから年老いて独りになる父親の行く末も気に掛かるし、ドロシーの家も、ステラの家も一人娘があんなになって心配だ。
正可に、これから貴方達の娘さんを殺しますと許しを乞うことも出来まいが、何か力に成ってやれることは無いだろうか?
「善は急げだ、早速発つか?」
(いやいや、この街でのもうひとつの目的、装備の強化が先じゃ)
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ジグモントで一番の武具屋と言えば、誰もがここだと口を揃えるらしいが、田舎者の俺は今まで無縁だったから勿論知らない。
その店は凱旋門があるプランタン地区の目抜き通り、挽き肉コーラック通りの終着点、フランソワ・ディアソム広場に面していた。
左岸地区、所謂交易者ギルド地区の一等地だ。
だそうだ……全てはネメシスの受け売りだ。
こいつは大賢者並みに、何でもよく知っている。
その店、“イシュタルの聖杯”は幾つもの列柱に取り囲まれた古代神殿のような威風堂々たる建物だった。
俺のような田舎者が入って良いところなのか……なんか場違いじゃあねえか?
案の定一見さんお断りの、紹介状が無ければ入店さえ出来ない敷居の高さだったが、ネメシスがズルをしたので俺は主席番頭マネージャーの案内で、最奥の伝説級武具の間に来ていた。
照明を絞ったその部屋は他と違って、まるで博物館か何かの展示場のように高価な硝子ケースに陳列された武具が、間隔を置いて展覧されていた。
(そいつを貰え……値段の割りに価値がある)
幾つかの伝説級の武器を順番に見たが、皆何で此処に在るのか首を傾げる程、神話の世界の一品だった。
ネメシスに言わせると、嘗ての英雄や宝物探索者達が古代遺跡やダンジョンで発掘やゲットした物が、本人が死んだり売却したりするので市場にも出回るんだそうだ。
で、ネメシスの進めるのは添えられてる来歴に依ると、ミスリルとオリハルコンの合金で出来たライトアーマーで胸と背、肩、胴の装甲から成り、付属のグリーブとガントレットも同じ材質だった。
物理攻撃、魔術攻撃を防ぐ加護があり、合金の特性から魔力を付与しやすくなってるそうだ……つまり何らかのエンチャント魔術を掛け易い、と解説されていた。
魔導帝国ガルガハイムの魔女組合が、他大陸の霊廟から持ち帰った物らしいが仔細は不明らしい。
値段を見て更に吃驚だ。
俺の目がおかしくなってなけりゃあ、何と3000万ガルバスと読める。俺は物の価値にあまり詳しかねえが、城のひとつやふたつも買えるんじゃねえか!
ここまでくると、実際に使用するより転売目的とか、担保に融資を引き出す業者のターゲットにされるらしく、実際に装備しようとする俺なんぞは余っ程良心的かもしれない。
買う意思を示すと、商談の部屋に案内されたが面倒臭いので信用調査とか人物紹介とか素っ飛ばして、現生を積んだ。来店する前に、あらかじめ収納空間から取り出してある。
さっさと売買契約にサインして所有権を獲得したが、署名したのは偽名だ。ここから足が付くのは防がなけりゃならない。
対応した商談係に案内させて試着室で装備を交換すると、今迄の装備は空間収納に仕舞った。貧乏性だな、俺って……
それにしても、こんなピカピカ派手に光る装備は目立ってしょうがない。どうしたものか悩んだ。
(この間レベルアップした擬態スキルを使ってみよ)
おぉっ、ナイスアイディア、少し前にレベルアップしていた擬態スキルは俺自身の姿形を変えるだけではなく、無機物を対象に見た目を誤魔化せるようになっていた。
早速、高価な伝説級装備に使ってみると、3000万ガルバスのピカピカ装甲はただの燻んだ鉄錆の軽鎧に化けた。
店を出るときに、主席マネージャー他、勢揃いした店員一同に見送られて仕舞った。ほんのサービスだと言って装備を覆う黒いマントを貰ったので、身に纏う。
後でネメシスに訊いたら、これ自体にも斬撃系の攻撃をレジストする加護が付与されていると言うことだった。
人生で最初で最後の散財だと思う(盗んだ金だけどな)。
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峠を越えた辺りで夜営にした。
行きと違って恐れる要素は皆無に等しいので、夜を徹して歩いても良いんじゃねえかとも思えたが、慣習なので泊まることにした。
乾した無花果を齧りながら、肉屋で買い込んだ塩漬けの猪の腿肉を薄切りにし、最初に牛酪で軽く炒め揚げ、葡萄酒を加えてフランベしてディルや胡椒の香辛料をまぶし、最後に固形チーズを削り入れた。
“模倣”のスキルで取得した調理技術だが、割と重宝している。
これにはネメシスも満足しているようだ。
焚き火を前に煙草を一服付けて、出稼ぎの一ヶ月を振り返って感慨に耽る。トータル50人ぐらいからスキルを奪ったろうか?
つまり50人ぐらいの人生を俺の手で駄目にした。
中には死んだ方がぜってえ良いような悪党も居たし、半数ぐらいはスキルを持ってるがゆえに煙たがられるような悪辣で傍迷惑な野郎だったが、矢張り俺の遣ってることは決して褒められたことじゃない。
(デオドラントとクリーンの魔法を使うのじゃ、吾は臭ったり、身体が痒かったり、脂ぎっているのは好かぬ)
こいつはいつもマイペースでいいな……
風呂に入れないとなると、途端にこいつは俺の身体を清潔に保てと言い出した。どうやら取り憑いた俺の体が不潔なのは、女として許容し難いらしい。最初は我慢してたってことか?
俺の身体なのに、口煩くていい迷惑だ。
手に入れたスキルはざっと90程も有った。
擬似空間収納、身体能力向上、鑑定眼、上級回復術、加速、盾型結界術、魔術反射、状態異常破棄、魔力吸収、エレメンタル召喚、剣技に見切り、中には呪いとか死神召喚とか恐ろしげなものもあったし、祈りとか断罪と言ったよく分からないものもあった。
理由は明かさなかったが、ネメシスは“祈り”のスキルは大切にしろと言った。
俺は金輪際、神に祈ることはやめる覚悟だったが、スキル・バイトと言う罪深い力を行使し続けるだろう己れの冒瀆に対して、許しを請う為に祈った。
収納から硝子のタンブラーと、西洋柏槇の果実を乾燥させたものでフレーバーを付けた強い蒸留酒の瓶を取り出した。
日課である夜中の鍛錬に埋没する前の、一杯だ。
ネメシスは、この酒の旨さが分かっているんだろうか?
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「いっ、生きてたのかっ、おりゃあてっきり世を儚んで……」
「自棄を起こすなよ、人間生きてりゃいいこともあるさ」
「他に誰か、好い嫁さんを紹介しようかっ!」
帰ってきた俺の顔を見て、顔見知りの奴等が次々に勝手なことをほざくのが、有り難かった。皆んな頓珍漢なことを言ってるようだが、心底俺のことを心配してくれているのが伝わってくる。
好い村だな……俺はもう留まれないかもしれないが、例え俺がお尋ね者になっても、この村は何とかして守って遣りてえ。
親父は一ヶ月見ない内に、見事に老け込んだ。
悲しみは人を肉体的に苛む。
俺が居ない分、牛や羊の放牧も堪えているのかもしれない。
俺は残ってる金の全額を親父に預けた。盗んだ金だが、金は金だ。
高い買い物をした残りだったが、俺がこの先、この家を支えれなくなる分の稼ぎとしては充分お釣りがくる額だった。
何だったら、ベンジャミンやバレンタインの家が困ったときには融通して遣ってくれと言い添える。ドロシー達の実家だ。
あまり長居は出来ないかもしれないが、親父を置いて出ていく最後の親孝行と家の補修などをすることにした。
“模倣”のスキルで取得した技前には大工仕事や経師屋などの内装の仕事もある。
俺は二週間掛けて、俺と親父の家を改装した。製材用鋸、割斧、切斧、小割斧、長台鉋、小口鉋、スポークシェーブ、柄付きの大型錐、ギムレット、弦掛け鋸、胴付き鋸、槌、鑿、トゥワイビル、ハンドル錐、舞錐、弓錐、細々としたものまでほとんどの大工道具を俺は準備している。
眠らない俺は昼夜途切れなく作業に没頭も出来るが、親父の眠りを妨げるのは本末転倒なので、夜は夜で俺は自分の修行をした。
夜中に抜け出す俺を親父は怪しんだが、特に追求することはなかった。腫れ物に触ると言う風ではないから、俺は俺なのだと、自主独立性を尊重すると言うことだろう。
俺の目を見て、親父は薄々察したようで、口数少なく問い詰めるようなことは無かった。俺の目は既に非情な人殺しの目だったのかもしれない。
悪いな親父、俺はこの先、復讐に生きるよ。
滞在する内には、事件があった噴水広場にも行く機会があったが、あまり長い時間、そこに留まることは出来なかった。異様な場面が思い出されて、動悸が激しくなるのが分かったからだ。
その内に視界がグルグル回り出して気分が悪くなった。矢張りここは鬼門だな……挫けそうなときに気持ちを奮い立たせるには良いかもしれないが、自我を失うほど壊れてしまう可能性がある。
(忘れまじ、復讐者としてのお前の原点だ)
ネメシスはそう言った。
ドロシーのご両親に会いに行った。
あの明るかった小父さんと小母さんが見る影もなかったが、俺に誠心誠意謝罪する態度は痛まし過ぎて、それが心からのものと分かるだけに忍びなかった。
何でこんな良いご両親から、あんな奴が……そう思わずにはいられなかった。
「私達も忘れるから、娘のことは忘れて欲しい……どうかこれからも強く生きて頂戴、私達に出来ることは何でもするから、あんな娘に育てて仕舞った責任を取らせて欲しいの」
小母さん、お願いだからそんな沈痛な顔をしないでくれ……でも忘れられる程、ドロシーの非道な仕打ちは、俺にとって生易しいもんじゃなかったんだ。
「……小母さん達は何も悪くありません、だから気にする必要はありません、心配しないでください」
「そうは言っても君のことは息子同然だと思っていたから、辛いかもしれんがちょくちょく顔を見せてくれると嬉しいんだが……」
小父さんの言い分も分かるが、この家に居ると昔を思い出す。
ドロシーと背比べをした柱の疵とかな……
「……将来のことは分かりませんが、冒険者になってみようと思います、甘ったれていた自分をちょっと鍛え直してみたい」
悪いが小父さん、小母さん、俺はドロシー達を殺すと決めているんだ。もう、ここには来れないよ。
エリスの家でも似たような遣り取りがあった。
ただ村で唯一の医療機関というか、溜池の畔にある村医者の“プーチ総合クリニック”はいつも慌ただしくて、あまりゆっくり話は出来なかった。
母親のベルナデッタ小母さんは、仕事着の白い前掛けと髪を覆う白いボネットのまま俺の手を取って潸々と泣いた。何故、残された肉親がここまで悲歎に暮れなければならないのか、哀れでならなかった。
彼女らご両親にとっては、一人娘が居なくなるのと同じこと……それも普通じゃない罪を犯した背徳者同然となれば、村人に対しても申し訳が立たない。風当たりは相当強いんだろう。
尊敬を集めるべき医者の家としては、寧ろ蜜柑農家のベンジャミンの家より打撃は大きいかもしれない。
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ボンレフ村には当然、冒険者ギルドなどありはしない。
ただ同じ農業開発特区の隣村、ビターオレンジ系の栽培が盛んな、シャルル・カルソンヌのセルジュ村に小さな出張所がある筈だった。
俺は目の玉の飛び出る高価なライトアーマーを、以前の革鎧の装備と交換して一路隣村を目指していた。隣村と言っても70kmほど離れている。
秋口も近く、ジグモントの怪しげな古着屋で買った、コイフというか、肩まで覆うカプライ頭巾を被っていた。
神話級の装備は、見る者が見れば、幾ら偽装してあっても真価がバレてしまうらしい。まぁ、インチキ無しでイチから鍛え上げたい俺にとっちゃ、そっちの方が得策だろうから願ってもねえが……
最短で強くなって早くあいつらをブッチめて、生きたまま一寸刻みにミンチにして、文字通り犬の餌にしてやりたいのは山々だが、何しろ俺は一ヶ月とちょっと前までは、ありふれた農民として生きていたし、これからもその心算だった。
戦のいの字も知らねえ。
ジグモントでスキルの掻っ剥ぎを遣ってみて、矢張り冒険者って奴等は他と比べて身構えも違うし、手強い連中が多かった。中には術理だけの業前で圧倒する技術の持ち主も居た。
兎に角俺は致命的に地力が足りてねえ。
何年も経験を積み重ねてきた玄人には敵わないんだ。こんなもんじゃあ、まだ勇者の足許には遠く及ばないって言うんなら、もっと自分を鍛えて強くなるしかない。
そしてもっと強力なスキルを手に入れる。
(一時代前、もう10年ぐらい前になるか、“箱庭理論”と言うのが流行ってのお……)
「箱庭、何だそりゃ?」
(シェスタの冒険者の思想と言うか、運動みたいなもんじゃった)
(この世は箱庭のようなもので、真の自由を勝ち取る為には冒険者になるしかない、と言った趣旨が根底に流れておる)
(今も、この思想は反王政主義者の抵抗運動組織に拠って連綿と受け継がれておる)
「ふうぅん、そんな組織があるのか、知らなかったな……で、その話、今の俺と何の関係があるんだ?」
(これから訪れるカルソンヌの冒険者ギルド出張所で、ギルドマスター代理をやっておるのが、この運動の提唱者、嘗て疾風迅雷と異名されたエイブラハム・キャリコじゃ)
往時にはクラン県西部地方にその人ありと畏れられた剣神にして達人、“疾風迅雷のエイブラハム”の二つ名を持った英雄だったが、魔族の大規模討伐“グルーミング戦役”で、副将だった唯一無二の恋女房を失い、失意の内に隠居したのがおよそ20年前。
一粒種の息子を育てる環境として、農業開発特区のセルジュ村を選び、小規模な出張所に過ぎない冒険者ギルドの末端機関のギルマス代理という職務を得た。
やがて母親の才能を引き継いだ息子は精霊術のエキスパートとして育つが、争いを好まない性格から文官の道を目指して、見事、王都の財務局主計官見習いに就職したのが10年前。
息子は未だ王宮勤めにあるらしい。
この頃にエイブラハムが著したのが、“箱庭理論”だった。
当初、本人はこれから冒険者を目指す者達に向けた心得と言うか、指南書見たいなものを考えていたらしいのだが、書いていく内にどうしてもシェスタ王家とか古い封建主義に支配され、飼い慣らされた民衆の現状に我慢がならなくなって、つい……“生温い現状を捨てよ! 志しある者は箱庭を出て、冒険者を目指せ!”、と謳ってしまったのだとか……以来、エイブラハムに教えを請おうと押し寄せる冒険者や冒険者予備軍が後を絶たなかったのだが、頑として直弟子は取らない方針を貫いて今に至るらしい。
「面白え、俺も箱庭を出て解放されてみるか……」
「冒険者の飯が旨いか、不味いか、この目で確かめてやる」
辿り着いたのは、ジグモント・ルーシェなんかの冒険者ギルドとは似ても似つかないような見窄らしい掘っ建て小屋だった。
これなら俺ん家の方が数等倍、マシなような気がする。
しかし確かに看板には“セルジュ村冒険者ギルド出張所”とある。
俺は回れ右したくなるような気持ちをグッと抑えて、建て付けの悪そうなドアに手を掛けた。
ドアを開けた途端、後悔した。
外観と同じく、中身も相当ボロかった。
閑古鳥が鳴いていると言う以前に、人っ子一人居ない。
いや、正面の腐り掛けたカウンターらしきところに受付嬢らしい制服を着た背の高い女が居た。
「いらっしゃいませええ、本日はどう言ったご用件ですかあ?」
「クエストをお探しですか、それともエリクサー軟膏や回復ポーションのお求めでしょうかあ?」
「当店は協会割引でとってもお得になってますうぅ、装備のメンテナンスも腕利きの職人が待機してますので今なら翌日お引き渡しで承りまっす、セルジュ村ギルド協会出張所はお客様に万全のサービスをお約束しますうっ」
立て板に水のように、消魂しくもよく喋る女だった。
どっから声を出してるんだよってぐらい、裏声で可愛子振ってるんだか何だか知らんが、年相応ってのを知らないのかよ、この女……
テカテカ光る繻子地のカマーベストに蝶ネクタイといった出で立ちは、手足が長いのかよく様になっている。瓜実顔に肩より長く垂らしたダークブロンドの髪は軽くウェーブしていて、フェミニンな感じが万人に好まれる印象だ。
だが、その女はニコニコと不気味な営業スマイルで笑い続けた。
多分何週間か、何ヶ月振りかで訪れた客に必死で媚を売っている。
部屋の暗さも相まって、軽くサイコホラーだ。
最悪とまでは言わないが、それが生涯に渡って腐れ縁となる相方、スザンナ・ビヨンドとの出会いだった。
ローバーで魔力と魔術は奪えるが、呪文が上手く使えないので高位魔術はまだ物に出来ていない
“エレメンタル召喚”は手に入れたが、精霊魔術はまだ修行にも辿り着いていない……そんな中、経験値不足が分かってきたソランが、ネメシスの勧めもあり、冒険者となって闘いの師を得ようとする
……そんな話でした
湯女=北欧や東欧のキリスト教圏でも見られたが、基本中世西欧の公衆浴場は混浴で木桶に微温湯、食事に楽師の伴奏と娯楽の場であり娼婦も付随していたのでそういう行為の場でもあった
綱紀粛正と性病の蔓延撲滅で廃れるまで、娼婦も社会秩序を安定させるための必要悪と教会側は認めていた
タヴァン=語源的には古代フランス語の“タベルナ”(taberna)から来ているもので、もともとの意味は“小屋”とか“宿”だった/ローマ時代のタヴァンは主に人々の飲食の場であり、例えば近隣の町や村の住人が集まって、食事を楽しんだと考えられる
カモミール=キク科シカギク属の耐寒性一年草でヨーロッパではハーブとして使われてきた/古代バビロニアやヨーロッパ各地で伝統的に薬用植物の一つとして広く使われており、精油は主に薬用にされ、化粧水にも利用されている/民間では花を乾燥させたものを煎じて消炎や発汗の民間薬として服用されたり、入浴剤やポプリにも使われる
健胃・発汗・消炎作用があるとして婦人病などに用いられ、風邪、頭痛、下痢などにハーブティーに用いられる程よく知られた薬効植物である
ローズヒップ=バラ科バラ属の植物の果実で、野生のローズヒップは特にビタミンCが豊富であり、100gあたり426mg含まれている/ローズヒップオイルは食用油として、ジャム、ジェリー、マーマレードにも用いられる他、スキンケアにも用いられ、民間薬として用いられることも、ハーブティとして飲用されることもある
瀉血=人体の血液を外部に排出させることで症状の改善を求める治療法のひとつで、古くは中世ヨーロッパ、更に近代のヨーロッパやアメリカ合衆国の医師たちに熱心に信じられ盛んに行われた/体内に溜まった不要物や有害物を血液と共に外部に排出させることで健康を回復できるという考えによるもので、西洋医学でさかんに行われた療法である
初期には創傷などによって皮下に溜まった膿を排出させるため、一度癒着した創傷部を切開したことに由来するといわれている
1162年、ローマ法王が瀉血を禁止すると床屋が瀉血用の小刀が付属したツールナイフを開発して瀉血を引き継いだので、現代の床屋の看板「サインポール」の元である「赤・青・白の縞模様」はもともと「赤・白の縞模様」であり、赤は血、白は止血帯を表し、ポール自体の形は瀉血の際に用いた血の流れを良くするために患者に握らせた棒を表しているという
フランベ=酒をフライパンの中に落とし、一気にアルコール分を飛ばす調理法で、肉や魚などの素材をフライパンなどで焼いたり炒めたりする際、最後の香り付けのために使用される
ディル=古くからヨーロッパで愛されてきたハーブで、肉料理の他にスモークサーモンや鰊などの魚料理との相性が良く“魚のハーブ”の異名をもち、キャラウェイに似た香りと鋭い辛味は香辛料として、葉や種子がスープやシチュー、サラダ、ピクルス、ケーキなど料理に幅広く利用される
セイヨウネズ=ヒノキ科ビャクシン属の針葉樹で、英語でジュニパーベリー(Juniper berry)としてジンの香りの元として有名
トゥライング・プレーン=長い部材を平滑に仕上げ切削するための鉋
マイター・プレーン=接合面を切削するための鉋
スポークシェーブ=南京鉋とも呼ばれ、両端の柄を握って使用する曲面切削に向いた鉋
オーガー=深くて大きな穴を穿つための、回転軸に対しT字型の握りが付随した錐
ギムレット=有名なカクテルの名称にもなったが、その味の突き刺すような鋭いイメージから命名されたという“錐”の意である
フレットソウ=複雑な曲線を加工するための鋸
テノンソウ=枘などの接合部の精巧な加工をするための鋸
トゥワイビル=大型部材に穴を穿つときに使用されたツルハシに似た掘削、また切削の道具
ハンドル錐=クランク機構の柄を単方向回転させて穴を穿つ錐
舞錐=独楽のような重石を付けて、紐状の部材を主軸に巻き付け上下に動かすことで回転運動を得る錐
弓錐=上記より更に原始的な原理で、弓に張った弦を主軸に巻き付け、前後に動かして回転させた錐
コイフ=耳までぴったり包む頭巾のような帽子で肩の手前までかぶるものから顎紐などで止めるタイプなど様々な形があったが、現在では修道女がベールの下に被る以外はあまり用いられていない
応援して頂ける、気に入ったという方は是非★とブックマークをお願いします
感想や批判もお待ちしております
私、漢字が苦手なもので誤字脱字報告もありましたらお願いします
別口でエッセイも載せましたので、ご興味のある方は一度ひやかしてみてください
短めですのでスマホで読むには最適かと……是非、通勤・通学のお供にどうぞ、一応R15です
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