[挿話04].生きる権利があろうとなかろうと、陽はまた昇る
千早翔一が私達の、私の痴態を写した動画は関係者に送り付けられただけだったが、海外に売り飛ばされる前に撮られた陵辱輪姦の模様は裏サイトとは言えネットにアップされて仕舞った。
私の顔など覚えている者も居ないかもしれないが、私は街に出るのが凄く怖かった……いつ指を差されて蔑まれるかもしれないと言う強迫観念を拭い去ることが出来なかったからだ。
園内にマンドリンのトレモロのような音がリフレインしていた。
見ると、分譲販売する大きな墓苑の片隅に区画割りされた翔一の墓がある辺りに真新しい仏花が添えられ、線香の煙の名残りがあった。
多分、母親の朝子さんが今日も先に来ていたのだろう。
閼伽桶と数珠を手に、まだ股関節に後遺症を残した私は、ゆっくりと進む。
この埼玉にある巨大な霊園は緩く長い坂道を歩いて来ないと辿り着かない。私はここに来る度に、乙女坂と名付けられたそのだらだらとした長い坂を一歩一歩、贖罪の心算で踏み締めた。
今日は翔一の月命日だ。あれから、リハビリを頑張ってどうにか外出出来るまでに回復した私は来れる月には翔一の墓を訪れるようにしている。
“拉致被害者の会”の援助金のお世話になっているが、最近ようやっと自活の目途が付きそうだった。
正直生きているのが辛かった。
生きていて御免なさいと言う気持ちで、いっぱいだ。
薬漬けになってラオスの売春宿で発見されたときは廃人同様だったそうだ。どうにか理性が戻って来ても、その頃の記憶は断片的にしか思い出せない。
外国に売られて行くときは貨物船で何日も揺られた記憶があるのだが、帰国するときは飛行機だったようだ。錯乱状態だった私は、その辺の記憶も曖昧だ。
空港から警察病院に緊急搬送された私は、マスコミも一切シャットアウトされた環境で治療に専念出来たのは有り難かった。
正直、今でも過去の生き地獄の体験がフラッシュバックすると発作を起こすし、白昼夢のような幻覚に悩ませられる。
だからだろうか、人氣のない墓地に黒いパンツスーツを着た外国人の女性が座ってマンドリンらしき楽器を爪弾いているのを見て、幻かと勘違いして仕舞ったのも無理からぬ話ではないだろうか?
見事なブロンドをハーフアップにした外国映画の女優さんのように綺麗なその人は、弾くのをやめると立ち上がって私に近付いて来た。
思い出した……多分、さっきの曲はロシアの作曲家、ボロディンのダッタン人の踊りのうちの、“乙女達の踊り”だと思う。
「はじめまして、こちらの世界で戸籍を得た名前は、ジェシカ・ラングレー・藤宮と申します」
黄色味掛かった金髪を揺らしながら流暢な日本語で挨拶されるのに、ホッテントットのような突出した胸が目に入り釘付けになった。いや、ホッテントットって言うのは差別用語だって習ったような気がする。
高級そうな女性用のスーツが随分と窮屈そうだった。
「貴女を陰ながらサポートするように、言い付かっています」
ど、どちら様なんでしょう?
国際的な売春組織関係の方でしょうか? もう関わり合いになるのは真っ平なんですが……咄嗟に身構えた私は、恐怖から相手を睨んで仕舞う。
「ですから、貴女のガーディアンになるよう命ぜられた者です」
「あちらの世界で勇者“トーキョウ・トキオ”をボコして、誅殺したのは私です」
「こちらの世界では千早翔一と言う名前でした」
なっ、何を言っているのだろう、この人は?
翔一は私のお母さんに刺されて死んだ。お蔭で母は情状酌量があったとはいえ、今は塀の中だ。起訴拘留中に父が保釈請求をしても、スピード判決で懲役が決まっても、罪に服する気だったお母さんは黙したまま刑罰に甘んじた。
お父さんが雇った弁護士さんにも、控訴の意志が無いことを告げ、今も女子刑務所で生活をしている。
面会に行けるまで回復した私が行ったときに、お母さんは憑き物が落ちたように訥々と話してくれたが、何度も何度も私に繰り返し、涙ながらに詫びるばかりだった。
「お母様は、貴女の本当の姿に気付いてやれなかった親として、自分を罰したかったんだと思いますよ」
私は息を呑んだ。この人はさっきから、私の考えていることに返答しているんだと気付いたからだ。
何故? なんでこの人は私の考えてることが分るんだろう?
もしかして、心を読んでいる!
「貴女を守ると言った筈ですが……私はそれだけの能力を認められて、送り込まれているのですよ?」
「あっ、貴女は何者なんですか!」
「そうですね、前の世界では反王政派抵抗運動の暗殺者でした」
「あぁ、良ければその時の通り名……こちらの世界の英語に直すと“エイプリル・カムシー・ウィル”と言うんですが、そう呼んで頂けると幸いです」
「復讐の女神の加護は失ってしまいましたが、色々と便利な魔術が使えます、神殿系の治癒スキルがありますから、貴女の心と身体を直して差上げるのに役立ちます」
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翔一が流した私とタカシ兄ちゃんの動画ファイルは父の職場にも送りつけられたから、必然的に父は仕事を辞めることになった。
……事件を思い出す為にショック療法で当時の流失動画を見せられたのは辛かったが、全てが彼の断罪の仕打ちと思い出すまでは、暫く掛かった。
失跡した娘の事件性のあるマニアックなケダモノ交尾動画なんかが流失したのだから、父への心象が悪くなるのは当たり前だった。私はそんな可能性も考えずに変態交尾に溺れていた自分を責めた。
父母の愛を忘れて色に狂った我が身が、情けなくもあり、悍ましくもあった。私が苦しんでいるのは当然の結果と呻吟しても、今は過去の自分を罵倒してやりたい気分だ。
両親が、特にお腹を痛めて産んでくれたお母さんは……我が子が、自分の娘が卑猥に哭き叫ぶ姿、蕩けるような痴呆顔で“頭がおかしくなるまで犯して欲しい”とか、自らを“ド変態のド淫乱メスブタ”だと吠える痴態を晒すのに、どんな気持ちで見ていたのか想像すると心の底から胸が締め付けられる思いだった。
もし自分に娘が居たら、絶対に見たくない姿だ。
手塩に掛けて育てた娘が、私のように“もっと肛門ほじって”と泣き叫ぶのを目にしたら、きっと私は気が狂ってしまう。
本当に父にも、母にも申し訳ないことをした。家庭は崩壊し、生活も立ち行かなくなる両親は、それでも必死に私の捜索に奔走してくれていた。
ローンの残る家を売り払って捜索資金を捻出し、自分達はアパートに引っ越してまで私を探そうとしてくれた。
諦めずに、生きていると信じて。
何処とも知れず、言葉も通じない国で薬中にされて身体を売らされる惨めな生活が続いたが、奇跡的に死なずに日本に帰って来れたのは本当に運が良かったと感謝はしているが、これで罪が清算されたとは到底思えなかった。
私は大きな罪を犯した、だから償わなければならなかった。
この時点では記憶をブロックされていたので、その相手の顔は黒く塗り潰されたようになっていて、思い出せなかった。
無理に思い出そうとすると頭が割れるように痛くなった。
特に両親には迷惑を掛けた。
朦朧とする頭の中で、発着ゲートの空港ロビーをストレッチャーで運ばれる私に縋り付いた父と母の暖かさは、薬で壊れてしまった記憶だが、今でも鮮明に覚えている。
精神科の主治医の先生は……私の記憶が何者かに依って(翔一しか居なかったが)、改竄あるいは封印されてしまっている可能性を突き止めた入院先のスタッフの方が師匠筋でもある大学病院の権威だった第一人者に相談した結果、私の治療を買って出た人だった。
先生は、「あまり何かに依存し過ぎてはいけない」と諭された。
人はひとりでは生きられない。皆んな頼り合い、協力し合って生きている。ただ誰かに頼り過ぎるのは、間違いのもとになると……だから、バランスを考えなさいと、そう繰り返し言い聞かされた。
入院生活も長くなったが後は通院で様子を見ることにして、更に根気強く治療を続けること半年近く、ようやっと私はあったであろう事実の全容を思い出すに至った。真っ黒な事件性があったが、医師は警察にも守秘義務を通した。
よせばいいのに、私は両親に問われるまま翔一君とのことを話してしまった。両親はショックを受けていた。
それからひと月もしない内に、母が翔一君を刺すという、あの悲劇が起こった。翔一君は……千早君は大学生になっていた。
後で聞いた話だが、警視庁は広域特捜班を組んで千早君の身辺を洗っていたそうだ。婦女暴行や組織的な人身売買の嫌疑が掛かっていて内々に調査が進められていた。
もう過去のこととして聴かされても心は動かなかったが、飛び込み自殺で亡くなっていた私が溺れたタカシ兄ちゃん、真田孝志は丸ノ内線の四谷駅で電車に飛び込んで自殺したことになっていたが、どうもノイローゼ気味になっていたそうだ。責任を取らされて親戚筋からは絶縁状態だったらしい。
内緒だがと前置きし、これが他殺ではなかったかという疑いもあった、と刑事さんが漏らしていた。
千早君が関与していたらしい。
だとすれば、私を憎む以上に、千早君は私の異常な性交渉の相手である真田孝志を憎んでいたのだろうか?
今となっては分からない。
でも、打ちのめされたまま残された私達はこれからどうして生きて行けばいいのだろう……母は私の為に犯罪者になってしまった。
済まないと言う気持ちがあるので千早君の菩提を弔って余生を過ごしたかったが、すっかり我が家を狂わされてしまった両親の手前、それは言い出せなかった。
父と相談して、巡礼に身を窶し四国お遍路の旅に出ようかと計画している。その後、私は修道院にでも入ろうかと漠然と考えている。罪深い私でも敬虔な信仰の場にかしずく気持ちがあれば、拒まれはしないだろう。
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翔一君が亡くなってしまったので、もう謝りに行けないんだと知って、私はすごく落ち込んだ。
だって、そうでしょう?
彼が二度と日の目を見られないと言った生き地獄から、死に掛けとは言え見事生還して仕舞って、罰として苦しみ続ける筈の自分が、今こうして自我を取り戻してしまったのだから……
合わせる顔も、彼の前に再び立つ自信も無かった私は、会いにいくのも躊躇われ、暫く逡巡していた。例え私が死ぬような目に遭ってきたとしても、この世の地獄を彷徨ったとしても、私は彼を恨めない、恨むべきじゃない。
それは私自身が招いた災厄なんだと、そんな気がしていた。
そして私の母が事件を起こし、千早翔一は還らぬ人となった。
彼が死んでから初めて気が付いたが、私は千早君の家のことを何にも知らなかった。本人が話したがらなかったし、複雑な家庭事情がありそうだと察してはいたが、それ以上追求せずに後回しにしたのは私が不誠実だったからかもしれない。
加害者の家族として亡くなられた方の供養をしたいと警察に願い出て、お墓の場所を教えて貰った。翔一君の両親は離婚していて、父親と言う男は遺体の引き取りを拒否したらしい。
ニュースで初めて息子の死を知った失跡した母親という人が埼玉にいて、亡骸を引き取ったと訊き、父と二人で会いに行った。
検挙されることも無く被疑者が逝ってしまったので、ことの真相は報道されることもなかったが、総てではないが当局から聞かされていたのか、旧姓宮川朝子さんは加害者の親族である私達を罵倒することも無く迎えてくれた。
今は独り身で住み込みの寮母をしていると言う女性は、儚げな和服の似合う女性だったが、何処となく着崩れている感じがあった。
父に言わせると、水商売の匂いがするとのことだった。
「あの子があんなになったのは、私のせいなんです」
親として最低だったと自分を責める朝子さんは、幼少の頃の千早君にしてしまった仕打ちと、考えが足らなかった母親としての責務放棄の罪を語った。
それは違う……いや、崖っ淵を歩いていたのが朝子さんのせいだとしても、その崖っ淵から突き落としたのは、きっと私だ。
「女なんか、皆んなヤリマンだっ!」
翔一君に、怒鳴るように、吐き捨てられるように責められているような気がしてならなかった。
翔一君にとっては、私は自分を騙した性悪で尻軽のクソ女なのだ。
事実、その通りだった。
好きという気持ちを受け取りながら、その実私は最初から翔一君を裏切り続けていた最低の女だ。
たらればは、死者に対して失礼になるかもしれないが、もし翔一君の付き合った相手が弾劾の対象になるような私でなければ……もっと真面な女性でありさえすれば、きっとこんな結果にはならなかったんだと思う。
案内された翔一君のお墓に、多くの女性を不幸にしてしまった、復讐に凝り固まった孤独な魂の冥福を祈った。
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「小豆を上手に炊くコツは、最初の渋抜きを面倒がらずにキッチリ正確にやること」
「何事も思い切りが大事です、さっと茹でて、素早く惜しみなく煮汁を捨てる」
母への差し入れに、好物だった粒餡のおはぎを手作りしようと思い立った。
青山に大きなキッチンスタジオを構えるエイプリルさんが、一度遊びにいらっしゃいと言うので、お言葉に甘えておはぎの作り方を習いに来た。
来てみて驚いたことに、立派な調理学校で生徒さんも沢山居らっしゃるご様子を見る限り、大変な盛況だ。
こんなに大きな学校を経営しているのに、エイプリルさんは、事あるごとに“蔭からお守りする”と言って、私達親子の周りに出没して居たのは不思議だ。何処にそんな余裕があるのだろうか?
父が今の警備会社の仕事ではなく、夜勤の無い働き口は無いかとハローワークに通っているのを見て、エイプリルさんは親子で入居できるマンションの管理人の仕事を見つけてきた。なんだかあまりにも好条件過ぎて怖いぐらいだった。
以前に住んでいた家ほどではないが、今のアパートには比べられない程広くて清潔な、デザイナーズマンションの管理人専用居住スペースだった。
入居者には富裕層の人が多かったので、引っ越した方々が置いて行った高価な家具とか家電類が余っていたのでただで譲って頂いた。オーディオなどはバング・アンド・オルフセンとか言う、庶民は聞いたことも無いメーカーだった。
エイプリルさんは、私が何もしていないのは良くないと、色々習い事を勧めたり、興味がありそうな資格認定の案内パンフレットを持ってきたり、高認……高等学校卒業程度認定試験だけでも取って置いたらどうだと、勉強を見てくれたりした。志望していたような大学に行く気は失せていたが、すっかり遅れて仕舞った勉強が取り戻せたようで、少し嬉しかった。
「歩き遍路、いいですね! 私もご一緒しましょう」
調理器具の鍋やバットなどを洗いながら、四国遍路の話に興味を示すエイプリルさんが自分も付いて行くと言い出した。
「いえ、いえ、いえっ、だってエイプリルさん、お仕事があるじゃないですか!」
「何をおっしゃるウサギさん、私がこちらの世界に来たのは貴女をお守りするのが本当の目的なんです、学校経営なんてただの身過ぎ世過ぎにすぎません、何なら今日を限りに優秀な後任に経営権を譲ってしまっても問題ありません」
不思議な力を持っているエイプリルさんにはすっかりお世話になってしまった。最先端技術の現代医療でも、完全な治癒は不可能だと告げられた私の身体だったが、エイプリルさんはただの一度で、変形した股関節や体幹の歪み、潰れた小指や、様々な裂傷の傷痕、様々な性病に依る爛れ、皮膚移植しなければ駄目だと言われた背中やあちこちの刺青除去、怪し気な堕胎薬なんかで滅茶苦茶になってしまった臓器などを完治して仕舞われた。
ばかりか、薬物依存の影響を抑えるにはまだ数年は掛かると言われた、これまた完治はあり得ないと心理療法の先生が言い切った神経症状も綺麗さっぱり、頭の中は澄み渡っていた。十年来こんなにクリアだったときは無いんじゃないだろうか……そう思える程だった。
何か生まれ変わったように頗る体調が好いように思えた。無限に活力が湧いてくる……そう言ったら大袈裟かもしれないが、自然に背筋が伸びるような気がした。
気がしたのだが、何故か前屈みになった。
健常体は有難くて涙が出る程だったので、文句を言える筋合いじゃないのは重々承知しているけれど、気のせいではなく心做しか胸が大きくなっていた。胸が重いと感じる不思議な感覚だった。
事実、このときは下着が合わなくなって胸がパンパンに締め付けられ、息が苦しくなった。
「オマケです、大体日本の女性は胸が慎ましやか過ぎます、もっとオッパイが主張してていい」
「大きなオッパイこそ、正義だ……私の尊敬する先輩は、そう宣言しています」
その後、手持ちのブラジャーが合わなくなるのに気が付いた私を連れてエイプリルさんは高級下着店で、可愛いのを沢山プレゼントして呉れました。
「基礎代謝や抗体関係も含めて“身体能力2倍”を付与しました、通院はもうお終いにした方が良いでしょう……血液検査などされると面倒なので」
ええぇっ、聞いてないよぉっ、なんか大変なことになってました。
「あと、これをお渡ししておきます」
そう言って、エイプリルさんは一本の傷薬を呉れた。
「“エリクサー軟膏”と言って、私のもと居た世界では命を落とす機会の多い冒険者などには必須のアイテムです、大抵の重篤なダメージも治癒して仕舞う効果があります……その代わり、費用的に割高なんですけどね」
「最近、ホテル・ナンシー系列でチューブタイプを供給し始めました、美由紀さんはもうそんな心配も要らないと思いますが、念のためお持ちください」
「それより、新しい身体はそれなりに燃費を喰う筈です、お腹が空きませんか? ……焼き肉レストランを予約しています」
エイプリルさんの自家用車は、見たことも無いピカピカのスポーツカーなのですが、私は良く知らない六本木の有名店には瞬く間に着いて仕舞いました。
なんか低い車体の寝そべるようなシートが怖かったです。エンブレムを見ると、ブ、ブガッチとか読めますが良く分かりません。
A5黒毛和牛のシェフおまかせコースで、塩カルビ、黒タン、シャトーブリアンや白肉シャブなど初めて口にするものばかりでしたが、お肉料理18品目をペロリと平らげてしまって、お腹はくちくなったのですが、何だか食い意地が張ってるようで申し訳なくなりました。
「時間の許す限り、食事はご一緒しましょう、じゃないとあなたの家のエンゲル係数は鰻上りになってしまう、晩餐はお父様もお呼びしてください」
丁重に辞退したのですが、なんだかんだと搦め手から今もご馳走になり続けていますし、必要ないからと逃げ回っているのにエステとか美容サロンに連れて行かれます。
その後も会うたびに何くれとなく、お洒落なものをプレゼントして呉れるので、身なりに気を使わなくなった私には猫に小判のようで、大変申し訳ない気持ちで一杯です。なのに幾ら固辞しても全然攻勢は変わりません。
今日も調理学校の近所のセレクトショップなどで、春物のサンダルや高価なアクセサリー、腕時計などを沢山頂戴して仕舞いました。
腕時計などは、TPOで使い分けなさいと宝石店でスイス製の宝飾時計を数本頂いて仕舞った。この間まで高校生だった小娘に、一体何処にしていけと言うのだろう?
「ところで受刑者には食べ物の差し入れは出来ませんよ?」
「えっ、本当ですか?」
「あぁ、やっぱり何処かで面会のルールを聞き逃していますね、いいでしょう、私が一緒に付いて行ってあげます」
そうか、そうだよね、雑居房で集団生活してるんだから、食事は皆んな一律公平の筈だ。そんなことにも気が付かないなんて、なんて馬鹿なんだろう、私………
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「バレちゃいます、バレちゃいますって、エイプリルさんっ!」
同席するエイプリルさんは、吃驚したことに本物の弁護士資格があります。
母の公判には全然かかわっていなかったのに、刑期確定後に最初に付き添った面会時にはすでに接見の手続きを済ませていました。
おはぎを母に食べさせる方法があると言うので、何か法規的抜け道があるのかと思ったら、単に魔法でズルをすると言います。
「人払いの結界を張ってありますから、当分の間、誰も入って来ませんよ、監視カメラはループ映像を送り込みました」
「大丈夫ですよ、いざとなったら世界中を敵に回しても、このエイプリル・カムシー・ウィルは貴女方を守り抜きます、それだけの自信がありますのでご心配には及びません」
ちょっと何言ってるのか分かりません、もう既に私は涙目です。
お母さんにおはぎを食べて貰いたかった……ただそれだけで、世界を敵に回すような大それた野望みたいになっています。
立ち会いの刑務官は彼女が何かをしたのでしょう、立ったまま気絶してました。
自分の戦闘力を見せて安心させる意図か魂胆かは分かりませんが、エイプリルさん、魔法の収納空間から見るからに凶悪そうな銃器を取り出すのはやめてください!
ヒッイイィィッ!
シャコンッとか鳴らすの止めてください! 恐いですっ、恐いですからああっ!
多分、ショットガンとか言うんでしょうか……これを握った エイプリルさんから発散する雰囲気? 殺気?
尋常じゃないんですけど!
「はっ、早く仕舞ってください、早くっ、早くっ!」
私は、卒倒一歩手前です!
「えっ? あぁ、おはぎでしたね……そんなに急がなくても、おはぎは逃げませんよ」
おはぎを急かしてる訳じゃないですっ!
(折角ボスに頂いた“万能のショットガン”の威力を説明しようと思いましたのに……残念です)
何かブツブツ言ってます。
ようやっと銃を仕舞ってくれたエイプリルさんは、今度は別の空間の引き出しを開けるようにしておはぎを詰めたタッパーを、ごそごそと探しています。
持ち物検査をされると拙いので、ストレージと言うそうですが、収納の魔法で隠し持ったおはぎとポットのお湯、お茶道具を取り出しながらお母さんに促しました。
面会室に仕切られた二重の透明アクリルに、しなやかで綺麗な指先を触れると受け渡しができるような穴が開きました。
魔法使いのエイプリルさんが付き添ってきたのは、これが初めてじゃないので、不思議な人だとはお母さんも了解していたが、余りのことにポカンと口を開けたままだ。
「それより、美由紀さんのおはぎは房には持ち帰れません、今此処で食べて仕舞ってください」
てきぱきと盛り付けた菓子皿を渡し、あらかじめ温めてあった急須で注ぐ煎茶の香ばしいかおりが馥郁と漂うと、ようやっと私も少し落ち着いてきました。
「ところで、この間のお話、考えて頂けました?」
話と言うのは他でもない。女性の為の性犯罪被害者支援のNPO法人を立ち上げないかという計画だ。抜け目ない彼女は、既に資金援助は取り付けたそうだ。
なんだか夢物語みたいなプロジェクトなんだけど、エイプリルさんなら遣ってしまいそうだ。この話にはしっかり母も関与するポストが組み込まれている。
「あと3年待ってください、上手く合法的に貴女をここから出してみせます」
「刑期短縮の法改正を、特例として認めさせるよう動いています」
「……あの、貴女は何故わたくし達にここまで良くしてくださるのですか?」
「……お聞き苦しい話をしますと、私は別の世界に行った千早翔一を暗殺する為、色仕掛けで近付きました、貴女の娘さん、美由紀さんは同じ男に犯された……下世話な呼び方ですと竿姉妹とでも申しますか、他人のような気がしないのですよ」
「……答えになっているか、どうか?」
エイプリルさんは、何処か悪戯っぽい表情で微笑んでいました。
「大切なものは分かりにくく、そして手の平で掬ったそれが指の隙間から零れていくのは一瞬」
「下種勇者トーキョウ・トキオこと、千早翔一が今際のきわの末期に残した言葉と聞いています、美由紀さんは確かに不心得を犯しました、でも生きてさえいれば遣り直すことも可能かもしれません」
「美由紀さんが……貴女の娘さんが丹精込めて作りました、そのおはぎはよく味わって食べてくださいね」
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それからは立ち止まれないような目まぐるしさだった。
合宿免許の施設に放り込まれたと思ったら、英会話教室に缶詰になってTOEIC800点以上を課せられた。更に本当に必要なのか疑問符だったが、ショベルローダーやクレーン車を初めとする重機・建機の資格を取りに行かされ、第一種電気工事士と電験三種の講座に通わされ、国家試験の一発合格を目指して寝るまも惜しむ毎日だった。極め付けは体力作りの為とアメリカはミズーリ州の陸軍士官学校のサマーキャンプに体験入学させられたことだ……“身体能力2倍”があるのでどうにか耐え凌ぎましたが、死ぬかと思いました。
千代田区三番町の皇居を望む一等地に居抜きのビルを一棟買いしたとかで、独立NPO法人“ネメシス”は本稼働前の試験運用を開始していた。
丁度千鳥ヶ淵の桜が綺麗な季節だったが、こちとらそれどころではなかった。
準備段階でボランティアの手が足りず、私もお父さんも夜を徹して東奔西走していた。ロビー活動のイロハから、情報開示は何処を突けばいいのか、学ばなければならないことは幾らでもある。
エイプリルさんに言わせると、場合に依っては諜報活動もしなければならないらしい。
……嘘だよね?
なんか分からないけど、今迄感じたことの無い充実感があった。
誰かの役に立ちたい。誰かを救ってあげられるかもしれない。私みたいに人生に絶望して立ち直れなくなっている人に、大丈夫だよって言ってあげられるかもしれない。
そう思うと、無性に前に進みたくなった。
これからも、私は翔一君の墓参りを続けるだろう。
彼への懺悔の気持ちは一生無くならないかもしれない。寧ろ、忘れてはならないんだと思う。
でも、それから先があるのだとしたら、私はエイプリルさんが差し出してくれた手を取ろうと思う。
増設した屋上のペントハウスに引っ越した私達父子は、階下にある多くの弁護士スタッフを抱えた法律相談所の奥の理事室でいつ寝ているんだかも分からない多忙を極めたエイプリルさんを訪ねていた。
父と共に任された、関係省庁との折衝の途中経過を報告しようと思ったのだけれど、エイプリルさんは暢気にマンドリンを弾いていた。どうやら“禁じられた遊び”を弾いていたようだ。
モニターアームに支えられた4台のパソコンに取り囲まれた重厚な執務机の向こうで、大柄なエイプリルさんが埋もれるようにして本革のプレジデントチェアに腰掛けている。
「……あの、エイプリルさんは何故、マンドリンを嗜むようになったんですか?」
日頃の気安さから、前々から疑問に思っていたことを尋ねてみた。
一瞬、キョトンとした素振りのエイプリルさんは、何故そんな当たり前のことを訊くんだとでも言いた気な感じを滲ませた。
「余りにも大前提過ぎるので忘れてましたね」
相変わらず胸がはち切れそうなテーラーメイドの春物のオーダースーツに身を包んだエイプリルさんは、含羞むように微笑むとそう言い訳しました。
「私達のボスは……“万能のドロシー”様は、配下の者に皆、楽器の習得をお命じになります」
オマケです
救いようの無い現実こそがハード・ボイルドだと言うのなら、そんなものは糞喰らえです
ご都合主義結構、ハッピーエンド上等、救済措置があるからこその物語だというのが自分のスタンスです
マンドリン=一般的にみられるのは17世紀中頃に登場したナポリ型マンドリンから発展したもので弦はスチール製の8弦4コース、調弦はヴァイオリンと同じく低い方からG-D-A-Eだが、ただしヴァイオリンと違って指板にはフレットがあり、弓ではなくピックを使って演奏する
トレモロ=単一の高さの音を連続して小刻みに演奏する技法、ならびに複数の高さの音を交互に小刻みに演奏する技法/マンドリンなどの撥弦楽器や打楽器のように音が非常に早く減衰する楽器では、長く延ばす音の代用として多用される
閼伽桶=浄水を井泉から汲んでくるために用いられる小型の手桶/墓石を清めたり、手向けの花を活けるのに水を汲む
月命日=命日は、通常は死亡した月を指す祥月と組み合わせて一周忌以後の当月の命日である祥月命日を指すことが多いがこれに対し、祥月に関わらない月ごとの命日を月命日という
バング&オルフセン=〈Bang & Olufsen……B&O〉は、1925年にデンマークで創業した高級オーディオ・ビジュアルブランド/オーディオにおけるインダストリアル・デザインの代表的存在として高く評価されており、これまでに18製品がMoMAのパーマネントコレクションに選ばれている
ブガッティ=1987年にイタリア人実業家ロマーノ・アルティオーリがブガッティの商標を手に入れ、イタリアのモデナにブガッティ・アウトモビリ〈Bugatti Automobili SpA 〉を設立/1989年、ついにその復活プランが発表され、1991年にはEB110GTを発表し、1993年にはEB112とよばれるセダン型のプロトタイプも発表/EB110は3500ccV型12気筒エンジンにクアッド〈4基〉の仕様で、350キロのスピードを出すことができ0–100キロ加速は3.5秒という数値である/石川島播磨重工業製ターボチャージャーを装備し、ドライブトレインをフルタイム4WDとしたスーパーカーであった/またEB112はジウジアーロによるデザインで、ジウジアーロは、後に3台のコンセプトカー〈EB112・EB218およびEB18/3 シロン 〉のデザインも行っている
アルティオーリは1993年にロータスをゼネラルモーターズから買収するなど過大な投資のために財政が破綻、1995年に倒産した/それに伴いEB110の生産も終了、総生産台数は154台であった/その後ブガッティの技術者たちはパガーニ・アウトモビリを設立、1999年にパガーニ・ゾンダを発売している
近年最も有名なのはブガッティ・ヴェイロン〈Veyron16.4〉と言い、ブガッティ・オトモビルが2005年から2015年にかけて製造していたハイパーカーである/フォルクスワーゲングループによって設立された新生ブガッティブランド初の市販車であり、同グループのフラグシップともなっている
正式車名の「16.4」はV8気筒×2のW16気筒+4ターボチャージャーであることを表しており、フォルクスワーゲン・パサートに載せられたW型8気筒エンジンを2つ組み合わせる形で誕生した8.0Lの排気量を持つW型16気筒エンジンは4基のターボチャージャーにより過給され、1001PSを発生する
エンジンがミッドシップにレイアウトされているハルデックス製四輪駆動で、発進から100km/hまで2.5秒で加速し、200km/hまでは7.5秒、300km/hまでは16.7秒、0-200mは6.6秒、0-400mは9.95秒、そして最高速度は407km/hに達するとメーカーより発表されている
シャトーブリアンステーキ=牛のヒレ肉〈テンダーロイン〉の中で中央部の最も太い部分のこと/牛1頭からとれるヒレ肉およそ4kgから600g程しか取れない
TOEIC=国際コミュニケーション英語能力テスト〈Test of English for International Communication 〉、通称トーイックとは英語によるコミュニケーションとビジネス能力を検定するための試験のことで満点は990点/試験の開発、運営、評価は、非営利団体である教育試験サービス〈ETS〉が行っている
合否判定はなく、受験時におけるスコアを認定する制度を採用している……つまり実力測定試験であり、資格や免許ではない/受験後には公式認定証〈Official Score Certificate〉が発行される
ペントハウスアパートメント=集合住宅の最上階の区画であり単にペントハウス〈penthouse〉と呼ばれることが多いが、建築学上はペントハウスという用語はビルの屋上に設けられた、外壁よりも後退した構造物を指し〈こうした後退をセットバックと呼ぶ 〉、高層ビルにおいてはエレベーター装置等を収容するメカニカルフロアをメカニカルペントハウスと呼ぶことがある
一般的な集合住宅区画にはない特徴にはプライベートエントランス、プライベートエレベーター、高い天井、ドーム天井などがあり、同じビルの他の区画がひとつの階のみを使用している中でペントハウスアパートメントだけが複数階を使用している例も多く、テラス、暖炉、より広いフロアエリア、特大の窓、隠れ家やオフィス用スペース、ジャグジーなどを備えるペントハウスアパートメントもある/ステンレス製器具、みかげ石のカウンタートップ、ブレックファストバーなどを備えた豪華なキッチンがあることも多い
応援して頂ける、気に入ったという方は是非★とブックマークをお願いします
感想や批判もお待ちしております
私、漢字が苦手なもので誤字脱字報告もありましたらお願いします
別口でエッセイも載せましたので、ご興味のある方は一度ひやかしてみてください
短めですのでスマホで読むには最適かと……是非、通勤・通学のお供にどうぞ、一応R15です
https://ncode.syosetu.com/n9580he/





