43.真夏の夜の聖痕[スティグマ]
乙女達はその花を“戯れの恋の花”と呼んでいる。
その花の汁を絞って眠っている瞼の上に注ぐと、男でも女でも、目を覚ましたその時に、最初に見るものを夢中で恋するようになる。
……その効果を卑怯な下種勇者の“魅了催淫”の如き禍々しさと思ってしまうのは、私達が不幸な当事者だからなのだろうか?
「ドロシー様、上、上を飛んでいきましょうよ!」
真夏のジャングルを重装備で身を包み、トライアル・スピーダーを駆っていました。多機能戦闘スーツの温度調整機能や代謝コントロールシステムはオフになっています。
肉声は伝わらない猛スピードで疾走しているので、意思伝達は特殊な言霊です。
「あぁ、うっさいなっ、楽したら訓練にならないだろっ」
「せめて、結界かシールド使いませんかっ、虫が多くて!」
「何度も言わせるなっ、お前達が大概の防御シールドや結界陣を失ったとき、それでも生き残るための大事な訓練だって言ってるのに、虫ぐらい何だっ!」
「ううぅぅっ、虫っ、嫌いなんですうぅぅぅ!」
すでに装備も何も彼も、熱帯地域の凶悪な昆虫や伐採するブッシュの残滓でドロドロです。ヘルメット・バイザーのワイパー機能を初めて使いました。
酸性の毒を含む樹液や最悪の病原菌を媒介する虻などならまだ良いのですが、気配察知の苦手な愚鈍な魔獣なども時折行手を塞ぐものですから、堪ったものではありません。
新陳代謝を操って高温多湿の影響下を極力カットして、滲む発汗を抑え、体温上昇を制御していますが、結界術の類いは使用を禁止されています。周囲の気温に、ハンドルを握る手がじっとり汗ばんでいますし、ヘルメットの中は蒸し風呂状態です。
北半球は冬だと言うのに、ここ魔族領は“パンデラニュウムの杜”は広範囲に常夏の呪が掛かっており、行軍訓練には最悪の環境(ドロシー様に言わせると最適の)でした。しかも南下するに従って、確実に赤道直下に近付きつつあります。
トライアル・スピーダーにはオートクルーズ用の高性能衝突回避装置TCASが搭載されていますが、訓練のためにスウィッチを切るように言われているので、400km近いスピードで直にハンドリングし、障害物を避けると言った、一種狂気染みた突進行です。
私達は反射神経と動体視力他のアビリティを限界ギリギリまでバフ掛けしていますが、とてもじゃないけれど追い付きません。
上下左右真っ直ぐのルートを選べるわけもなく、しかも蔦やブッシュや、着床植物が繁茂する空隙を突き進んでいるので、前方を切り開くソニック・ブレードを常に放ちながらの突貫という、如何な胆の太い地獄の羅刹でさえ裸足で逃げ出すスリリングなチキンラン……デュシャンと私は、先頭を走らされていました。
数奇な運命に翻弄され、おいたわしくも嘗ての想い人を自らの手で殺めたブリュンヒルデ様、その覚悟の程は私達にもひしひしと伝わりました。ドロシー様が魂だけでも保存する方法もあると提案されましたが、ヒルデ様はキッパリとお断りしていらっしゃいました。
十万年以上をただセルダンの駒として望まぬ生を生きざるを得なかったジークフリート様……ヒルデ様は、手に掛けた愛しい人の魂に別れを告げ、屈託無く安らかに眠れと、お見送りしました。
しんがりを走るブリュンヒルデ様……
「誰を恨むではないが、この筋書きを書いたかも知れぬセルダンにだけは事の真偽を確かめねばならぬ」……そうおっしゃって、今回の月面侵攻作戦に寡黙に付き従っておられます。
きっと、ご自分とジークフリート様のご無念を晴らされる覚悟と思われました。
ゴゴ・ゴンドワナ大陸の南部魔族領の中に、失われたハイエルフの王国、ピクシムが存在していたとされる、そして嘗てのハイエルフ達の聖地たる神代世界樹が在ると言う“グルントワッサー大樹海林”を目指していました。
実はこの世界樹の存在、ドロシー様方はナンシー様が世界情勢を解析された折に報告があったので随分以前から知っては居られたらしいのです。
私達は月面基地Nancy9000を強襲するにあたり、退路を断つ意味で地表側の転移門を密かに封印する作戦に打って出ました。
別に隠密作戦とは言え、スキッドブラドニールのステルスモードはおいそれと露見するほどちゃちなものではありません。
だというのに、何を血迷われたかドロシー様は地を這うようにして密林の中を高速行軍する特攻電撃作戦を決行されました。
主な目的は、野戦におけるサバイバル訓練という名目の私達へのシゴキ……いえ、ステップアップの為だそうです。
「うっぎゃあああっ」
隣を並走するデュシャンが遂に発狂しました。人とも思えぬ奇声を発し、前方に巨大な無詠唱消滅魔法を撃ってしまいます。
何処までも続くナイフの上を疾走するような未曾有のストレスに、遂に耐え切れなくなったようです。
「お前は、辛抱すると言うことを知らんのかああああああっ!」
すかさずドロシー様が自分のスピーダーを蹴って、曲芸染みた体術で後ろから迫ります。3回転捻りのキックがお見舞いされます。
跳び迫ったままデュシャンの背中を、ど突き回します。ゲシゲシと遠慮会釈も無く足蹴にするので洒落になりません。
「ご免んさいっ、ご免なさいっ、ご免なさいっ、すいません、すいません、すいませんっ、すびまぜんんんんんんん!」
以前の似たような訓練で、これをやられるとトライアル・スピーダーごと明後日の方向にすっ飛んでいたものですが、慣れと言うのは恐ろしいもので必死で謝罪するデュシャンは危なげなくスピーダーをコントロールしています。
ドロシー様の折檻を一身に受けて、泣き出しそうなデュシャン、
あぁ、なんて羨ましい……
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スコールが熱帯雨林地帯を見舞って、土砂降りの雨がこれでもかと降り注いでいます。
作戦を一気加勢に遂げるため、夜を徹しての進攻ながら暫しの休息を得ていました。天の水瓶をひっくり返したような水量に、巨大な樹冠の下、真っ裸になって汗を流していました。クールダウンした火照る身体が、正に生き返るようです。
スーツとスピーダーには便利なセルフ・クリーニング機能があるのですが、ドロシー様が手ずからクリーナブルの魔法を使われました。汗みどろ、潰れこびり付いた虫の塊、汚れ等が雲散霧消と消えて無くなります。
ただのクリーンの上位互換魔法の筈なのに、ドロシー様のそれは尋常ではありません。
以前、加減を知らないドロシー様が私達の人体にもクリーナブルを使われたところ、小皺は疎か小さな疣や肝斑、開いた毛穴、歯並び、幼い頃に負った傷痕、尾籠な話、お尻の穴やオシッコの穴……、そのぅ、だっ、大陰唇のですね、色素沈着まで綺麗さっぱりしてしまったことがあって、以来私共はドロシー様のクリーナブルは遠慮差し上げている次第です。
そうそう、この時、苦労してやっと手に入れたドロシー様の隷属紋も無くなってしまったのには吃驚して、途方に暮れたものです。
この人の為に生きて、この人の為に死ぬと定めて残りの命を捧げ尽くす覚悟を余りにも切々と問うものだから、根負けしたドロシー様が渋々下賜してくださった大切な大切な隷属紋が消えてしまい、茫然自失した私が泣き叫ぶので、すぐに「悪かった」と言って新しく紋を下げ渡してくださいました。
今も、私の胸に染め抜かれた決して消えない、決してドロシー様を裏切らない印がありますが、もう二度と消えないように特殊な呪を掛けて頂きました。
「そんなにあたしに心酔してどうするんだ……お前、怖いよ」とか言われましたが、私は負けません。やれサイコだ、残念臭だと言われても、断固、初志貫徹です。
皆様方も惜しげなく裸体を晒していますが、ステラ様、リリィ様、ブリュンヒルデ様がオッパイの大きさでは覇を争っていらっしゃいます。リリィ様の素っ裸に仮面だけ着けたお姿が、なんかエッチです。
またキキ様の膨らみかけたお胸も、これはこれで唆られます。
んっ、んふふっ、おっと涎が、ジュルル……
一方、少しは慣れましたがエリス様の体表を蠢く真層呪装印は、やはり人知の理解を超えて妖しくて、神秘的で、何度見ても魅入られてしまいます。
「どうしたエリス、沈んだ顔をして……自分のルーツを暴き出されるのは、そんなに苦々しいか?」
「……私は自分じゃない何かになりたかったんじゃなくて、きっと自分じゃない誰かになりたかったんだって、この間気がついた」
滝のような雨粒の中で、尊い迄の一際美しい肢体を誇るドロシー様が問い掛けるのに、エリス様は上を振り仰いで答えられました。
「電霊カンファレンスに使う魔導ヴァーチャル空間でのリアル・アバターで色々試してみて分かった、きっと私は、ドロシー、貴女になりたかったんだと思う……」
「私達がこんなになる前、ソランと相思相愛だったドロシーのことが正直羨望の対象だった、友人として祝福しなきゃいけないのは分かってるのに、私はソランと両想いになることだけを夢想していた」
「肉欲に狂った歳月と、ソランを裏切ったという事実は決して覆らない……だが今がすべてとは思いたくない、人の心は移ろうもの、それでも……」
「心変わりと裏切りは違う……私達のは正真正銘の裏切りだ、ソランへの理不尽な悲劇は間違いなく私達の仕打ち、でも、だからこそ、多分一番恨まれているだろうドロシー、私は貴女が羨ましい」
「勿論、ドロシーの為に生きて死ぬ盾と剣の誓いに変わりは無いけれど、ソランの一番に成れる貴女のことが、多分どこか、妬ましいんだと思う」
それは、エリス様の告解でした……私達が聴いていて良いものでしょうか?
「……だと言うのに、今更行き成り王族の血筋だと知らされても、戸惑いしかない、どんなに辛くても、例え誰かになりたかったとしても、私の人生はドロシー、貴女の為にだけある、他に選択肢はあり得ない」
「まるで深い水底で踠いているような気分だ……けど、何度確かめても、自問自答してみても、答えは否だ、お姫様なんて柄じゃない、私は私だ、これまでも、これからも罪を償い続けるだろうし、幸せを望んでる訳じゃない」
葬られたジークフリート様が今際のきわに言い残した“姫様”の一言が指し示すエルフの至宝とも呼べる女性……それが仕えたレイナ・オルガナ・バレンタインという大昔の王女様だというのは、彼の意識が薄れいく中で私達にもイメージとして読み取れました。
今の時代とは違う装束は一目見て王族と分かる煌びやかなものでしたが、その顔はエリス様と瓜二つでした。
エルフの歴史を紐解く研究者の多くが、忽然と姿を消すピクシム王国の逸話の中に登場するパラノイア姫と蔑称される悲劇のヒロインに言及している。
文献が少なく、謎に包まれた伝説の種族エルフの斜陽の過去に知られる最大勢力ピクシムの国に在ったレイナ・オルガナ・バレンタイン第二王女は、それなりに王族として聡明であり、ある意味その美貌はエルフ族の象徴だった。
だが、ある時期を境に精神の均衡を崩してしまう。
いつの間にかエルフの里に取り入ったヘドロック・セルダンと言うヒト族は信頼のおける隣人というには、何を考えているのか分からないようなところがあり、彼の取り巻き達も何処か不気味だった。
だと言うのに、王帝である父上を初め王家の一族、国の政務を預かる一族もセルダンの術中に取り込まれてしまっている。懐疑派は少数に過ぎない。
一計を案じた私は、物狂いの振りをすることにした。このままでは火を見るより明らかに、王族主流派としてセルダンの支配下に甘んじることになりそうだった。
それだけは避けねばならない。
近習の誰に相談することも無く、私は強迫観念に怯える哀れな気狂い女の芝居を始めた。迫真の演技は上手く嵌り、私はピクシム王家の中枢から遠ざけられた。厄介払いとばかりに南ユグドラシルの離宮に追いやられた。
離宮ヒュッポリテは妖精の舞う館だったが、付き従う側仕えも少なく事を構えるには若干心許無かった。王宮近衛の懐刀、ジークフリートだけが私の頼りだったが、大陸救済協会の別働隊ワルキューレと争いグルントワッサー地下水脈にあるラビュリントスの転移門ディミトリアスで他大陸へ遠征していく日々だった。
このことが示すように、ジークフリートだけは頭が真面でセルダンを毛嫌いしていたのがせめてもの救いだった。
だが頼みの綱のジークフリートは、詫び状を一通だけ残して逝ってしまう。
一年を通じて全て夏至の日という呪いが掛かった南ユグドラシルの麓に、アテナイ公シーシアスとヒュッポリテの墓があり、妖精王オベロンが墓守をしている。ごく一部の選ばれたハイエルフが霊体に昇華して亜神になる。亜神が聖地を守る。
気の触れた芝居をしているが、これ以上、オベロン様の目は誤魔化せない。セルダンの口車に乗る国は、早晩道を誤る。何とかして落ち延びる方法はないか、私は模索し始めていた。
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晴れ上がった“グルントワッサー樹海林”に虹が掛かっていた。
前方に巨大な真正神世の世界樹、世界に2本しかないうちの1本、壮大な南ユグドラシルが望める。ちょっとした高山の急峻な山脈ほどもある。上は空気も薄く、気温も低かろう。
棚引く雲に悠然と飛ぶ巨大な鳥の群れが確認できるが、始祖鳥か何かの類いか?
状況を開始する前に、エリスが影に棲むシャドウ・ウルフを斥候に出したので、小休止を兼ね、疲弊したマルセルとデュシャンをねぎらってカイザーシュマーレンという卵たっぷりのパンケーキを振る舞った。シロップ漬けの季と桜桃を奢った。高火力に改造したSOTOのフォールディング・シングルバーナーで焼き上げ、香り付けのキリュシュワッサーでフランベする。
ここまで味気ないチューブの作戦携行食だったので、二人共喜んでぱくついた。
お前ら、欠食児童かっ?
「もしかするとパラノイア姫と呼ばれたのも、周到な計算の上だった……とも思える」
「ジークフリートの後ろ盾と言うか、実際の実行力を失ったレイナ姫は、どうやら野に下った……おそらくヒト族に、その血筋を残したのではないか?」
「如何な長命族のエルフと言えど、10万年の歳月には擦り切れてしまったようだ、他の個体より長生きだったジークフリートの方が、おそらく特異例だろう」
「それが私の、プーチ・バレンタイン家の血脈だって言うの?」
「それ以外考えられないだろう、エリスも見たろう? ジークフリートの脳裏にあった面影は、髪の色と言い、瞳の色と言い、あんたにそっくりだった……ついでに、絶世の美女っぷりもな」
「自分が知らない自分の正体を知っておくことは決して悪いことじゃ無いさ、あたしはエリスが下手を打たないことは知ってるけれど、常在戦場……殺すべきものは無慈悲に迷わず殺せ、それが師匠から教わった闘う者の心構えと作法、常道だ……だが心に憂懼あれば躊躇いが出るかも知れぬ、躊躇いが重なれば油断が生じる」
「……どうやらナンシーの観測通り、ほんの僅かながら生き残りが居るみたい……私の眷属が確認した、ヒュッポリテと言う宮殿にグルントワッサー地下水脈へ繋がる入口が有るのも間違いなさそう」
「ナンシーの言う通り今も、幽体になったハイエルフ、妖精王オベロンと言う者の支配下にある」
「よしっ、転移門はピクシム王宮と離宮ヒュッポリテを地下で繋ぐラビリンス、グルントワッサー地下水脈にある、その名も人呼んで“ディミトリアス”」
「攻略作戦に変更はない、降下ポイントに向かうぞ!」
愚図々々するマルセル達をせかして煮炊きの後片付けをし、降下地点であるミッドサマー・ナイトもしくは“ワルプルギスの夜”と呼ばれる湖を目指した。
辿り着いた北側の水際で各自、スピーダーを亜空間イベントリ・ガレージに収納し、それぞれが替わって戦闘機体専用のストレージから地中ボーリング降下用のムーブアーマー“モール・ポッド”を取り出した。あらかじめ出撃の整備済みだ。装備をパイロットスーツに換装し直す。
闘う楽団、アンサンブル・デラシネのフルメンバー、タイダル・リリィ、ブリュンヒルデ、マルセル、デュシャン、私達三人とプラスキキで8機、一人乗り単座の小型ポッドが湖畔に並んだ。
超甲殻外装の球体ボディは、超高硬度のクリスタル綱の分子結合を解きゲル化した耐衝撃吸収剤を混ぜ込んで再び硬質化した合金を超圧縮した最強の装甲を持つ。搭乗ハッチのみでキャノピーは無い。
周囲のモニタリングは無レンズの全方位映像取得装置で行う。
「エリス母さん、大丈夫?」
沈んだ様子のエリスを気遣って、キキが心配そうに声を掛ける。
「……気遣わせちゃって、ご免ね」
「皆んなも聴いて……私の遠い先祖が誰であろうと、今の私は……私は、罪を償う苦しみも、悲しみも、戦いの勝利も、総てをドロシーの為に捧げている、56億7000万年のその先まで、私はドロシーに付き従い、ドロシーを守る」
凛として言い放つが、何だかこそばゆいな……見守る皆んなの視線も何故か生暖かい。
「今更だな、エリス殿、自分らはドロシーが好きだから、その元に集っている、行くさ、56億7000万年……」
メンバーを代表してブリュンヒルデが揶揄い気味に返答するが、いいのか、お前ら、転石苔むさずとただ澱まぬ為に突き進む考え無し、こんな出来損ないについて来て……こんな筈じゃなかったって後悔しても知らないぞ。
「行くよ!」
照れ隠しに、努めて無表情で短めに指揮する。
搭乗し起動したポッドは瞬時に浮遊し、湖面を滑って深度を示す濃紺の湖中央にあっという間に到達する。反重力エンジンが水面を泡立て、粒子化した水分が靄となって立ち昇る。
「垂直降下開始っ」、号令一下、私達は水圧など物ともせず水面を割り、真っ直ぐに150kmの速度で降りていく。
ポッド表面に展開した消滅フィールドが、一瞬で進行方向の水流を飲み込んでいく。やがて湖底に辿り着くが、止まらずそのまま土中に突入、岩盤を掘削し、目的地まで掘り抜いた。
そこは大きな空洞と地底湖を持つ洞窟だったが、突き崩した瓦礫と上のミッドサマー・ナイト湖の水圧で噴き出す大量の土砂と剛体と化した湖水が見事なまでに蹂躙し尽くす。
「ブリュンヒルデ機、前方2時方向、目標確認っ」
ヒルデがポッドの通信機能で知らせてくる。指し示す方向のモニターを見ると確かに、高台になった台地に巨大な神殿らしき構造物が在った。逆巻く水流が地下水脈の水位を上げる中、飲み込まれもせずに聳えている。
妖精の棲まう地の恵みか、周囲はほんのりと青い薄明かりに照らされていた。
「全機目標照準、一斉射っ、灼熱誘導弾!」
実弾ミサイルの代わりに、固体化された凝縮プラズマを打ち出す兵器が矢衾となって構造体の外観を轟音と共に削っていく。
「目標に接近し、降車後、警戒班と制圧班に別れる、ゴーッ、ゴーッ、ゴォーッ!」
最早瓦礫と化して燃え盛る神殿前に、素早く支持架を出してポッドを接地、爆発するようなハッチ解錠と共に飛び出す。全員、連射可能な加速プラズマレールガンタイプの突撃ライフルを携行している。
各個、ブリーフィング通りに展開して、私を先頭に制圧班は瓦礫に突入する。
瓦礫に埋もれて、その巨大なトンネル状の装置“ディミトリアス”は在った。
「間違いない、今から封印作業を始める、各自持ち場について封鎖結界を展開、邪魔が入らぬよう周囲警戒を怠るなっ!」
時間凍結用に調整した封印のペグを転移門装置を囲むよう、六芒星の位置に打ち込んでいく。最後の1本を打ち込むと同時に、巨大な時間停止の結界魔法陣が浮き上がった。
「作戦終了だ、撤収する」
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地上に帰還し、ポッドの飛行でそのまま南ユグドラシルの根元まで来た。巡航速度でも然程時間は要しなかった。
途中、人影の絶えた離宮が有ったが見事なまでに荒れ果てていた。住み着いたエルフが細々と生活しているようだ。
遥か上空、世界樹の天辺より高く6000メートル辺りに、妖精王と妖精達を牽制する役目を担って、神代竜ワイズ・ワースが滞空している。
天体の動きを欺いて無理矢理捻じ曲げた、一年が全て夏至という特殊な環境から、ここの日照時間は非常に長い。
だが、巨大樹の麓はすでに日暮れどきだった。
ポッドを降りると、光り輝く小さな妖精達が何千何万と巨大樹を取り巻いて飛び交い、上へ上へと登っていく、目が離せなくなるような不思議で幻想的な光景が見られた。知る限りではおそらく、この星広しと言えども、ここでしか拝めないものだろう。
本来、着床植物ではないのに世界樹の幹にはオックスリップやエグランタインなどが咲き乱れて、月明かりの饗宴を彩っている。
「綺麗だね……」
「よく見ておきなさい、滅多に見れないものだから、そしてこの感動を皆んなで共有したことを良く覚えておいて」
ステラ姉がキキの手を握って微笑むと、一緒に妖精達の乱舞を見上げた。
大きな大樹の根本を、一際、妖精達が集まっている方を目指して巡っていくと、1時間程も歩いたろうか、異様な風態の墓守が居た。墓自体は小さなものだった。
ミッドナイトブルーのローブに身を包み、見事な角のある箆鹿の頭骨を仮面にして顔を隠した男だ。幽体の割りには透けることも無く、ハッキリしている。
「お前がオベロンを名乗る者か?」
聞こえているのか聞こえていないのか、男の返事は無い。
「何故、ウィリアム・シェークスピアに傾倒する?」
白骨の仮面を被った男が、身を震わせたのが分かった。
「この環境を創ったのはお前だろう? ワイズ・ワースに訊いたところ、遥か昔は、転移門に“ディミトリアス”と言った名前は付いていなかった……以前、異世界からの転生者に興味を持って全世界をサーチングし直したことがある」
「引っ掛かったうちの一人がお前だ、前世の名前はロビン・グッドフェロウ、奇しくも戯曲“真夏の夜の夢”に登場する悪戯好きの妖精、パックの別名だ」
近付いて行くに従って、妖精王オベロンを名乗る男が動揺しているのが伺えた。転生者だからか、この男の心を読もうとしても3D擬似効果を二次元展開にしたものみたいに微妙に多重映しになって、はっきりしない。
「転移門の機能は一時的に封鎖した、お前はセルダンサイドか? だとしたら生かしてはおけぬが……どうやら違うようだな」
「さて、何から話したものか……まず、転移門の現物を確認したのはワイズ・ワースから聴いた作動原理を検証する為だ、仲間がガルガハイムで手に入れた文献とも合致したし、如何にして創造されたかも知れた」
「ハイエルフの亜神が本来どんな役割を担っていたかも、そしてその墓が実はお前の伴侶、ティターニアの名を与えた女性のものだとも知れている」
「コツコツと時間を掛けて妖精達の国を築き上げた、地方ごと一年中夏至の日にする呪法は“限界超越”と“成長無限”のスキルか? ……まぁいい、敵対しない以上はこちらとしても何もする気は無い、好きにしてくれていい」
「奥方を失くした悲運も、この際興味は無い」
「で、用件は別にある……エリス」
エリスに前に出て、顔を見せるように促した。
「この者が誰か分かるか?」「よく見てくれ」
「……姫、まさかレイナ姫なのかっ!」、初めて白骨仮面が重い口を開いた。
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生来、妖精が跳梁する国だから“ピクシム”と言うそうだ。
人間が原始人から進化したように、エルフは妖精から進化したと考えられている。
今は昔、知行地が1000を数えるまでに隆盛を窮め、万紫千紅の時代があったらしい。
しかしセルダンが国の施策に口出しする頃には、妖精の数が極端に減って国力は衰退し切っていた。
ある種の神代魔法は、妖精力に依存する部分が多分にある。
産業の多くを神代魔導に頼っていたピクシム王国は、大きな方向転換を迫られていた。
そこに登場するのが怪しげな予言者、セルダンだ。セルダンの説く末法思想はたちまちのうちに、懐疑的な思考力を持たない、長生きの割りには騙され易いハイエルフ達の間で蔓延って行った。
騙されるのは騙される方が悪い、と言うのは詐欺師側の論理だが、国を相手取った稀代の詐欺師、ヘドロック・セルダンはまんまと月に渡るという自らの目的を遂げた。
当時すでに亜神と化していた妖精王オベロンを名乗った男には、別の目論見があった。妖精の国に、妖精が居なくなることを憂えた男には時間が無限にある。地道に魔力を注ぎ続けて、減ってしまった妖精達を呼び戻した。
ところがこの男は永く生き過ぎた。肉体を失ってしまった影響もあるかもしれないが、昔のことを忘れてしまい、前世に愛読していたシェークスピアの“真夏の夜の夢”に準ずる舞台を、我知らず妖精の国に設えて仕舞う。
自分が愛した妻のことも、地下水脈のエレメンタル力を世界樹に流し込んで、息吹をシャワーのように降り注ぐ方法を如何にして構築してきたかも、記憶の断片として覚えているに過ぎない。
「都合のいい話で済まんが、この娘がレイナ・オルガナ・バレンタイン姫の子孫だと示す確かな証拠は……判別するに足る指標は何かないか?」
「嘗て親王公家の末席で、国璽尚書の位にあった儂にもあるが、王族の血筋にだけ引き継がれる統治紋、必ず身体の何処かに聖痕がある筈だ……これと同じものだ」
そう言って、オベロンを名乗る男は仮面を脱ぐと、素顔を晒した。
意外と若々しい容貌だが、指し示す額には光り輝く五瓣の花びらを模した紋が認められた。
嘗ての知己、レイナ姫の面影をエリスに見て触発されたか、当時の記憶を鮮明に思い出しているようだ。
「いや、私の身体にはそんなものは見たことが無いな、あれば気が付かない筈がない」、そうエリスは申告した。
「………自分では見えないところにあるんだろう」
「脱げって言うの?」
「ふっ、そうじゃない、こういうことだ」
警戒するエリスを捕り押さえ、華奢な顎に手をやると軽く上向かせた。覆い被さるように上から顔を近づけて覗き込む私を見て、エリスは息を飲む。
「在るぞ、お前の瞳の奥に、五瓣の花びらの紋、ご先祖様の残された聖痕が確かに在る」
「観念しろエリス、兎にも角にも、お前は確かにハイエルフの王族の血を継いでいる」
それが何を意味するのかはこれからの話だったが、この瞬間がエリスの宿命に新たな1ページを付け加える岐路になった。
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「運命の節目を記念して一曲奏でることにする、オベロンと眷属の妖精達も聴いてくれ、お前達のための曲目だ、メンデルスゾーン作品61、“真夏の夜の夢”、特別にティンパニーとホルンを足す」
……楽器の準備をする間も、なんだかんだと愚図っていたマルセルは後でお仕置きだ。練習不足を言い訳にするなど、100万年早い。
どうもこいつは、よっぽど私のお説教が好きらしい。
私が200人程も分化分身すれば、フルオーケストラもコーラス隊も可能だが、メンバーの頑張りを無碍にしたくない。この場合は、ティンパニーと低音域担当と高音担当の2本のホルン分だけ応援することにする。
重さよりも音色を優先したプラチナ製のフルートを操るキキは、Gisクローズ式のコンサート・フルートに、オフセットキー配列を更に改造、工夫をしている。まだ子供の肩幅で演奏に集中するため、運指に余計な負担が掛からないように考えたらしい。
私達の世界では馴染みがないが、ウエディング・マーチに好く使われる、所謂結婚行進曲は“真夏の夜の夢”、後半の一曲だ。
アンサンブル・デラシネの生演奏には、力が宿っている。妖精の飛び交うその夜の南ユグドラシルは嘗てないまでに、幽玄で耽美な生命力に溢れていた。
前世を思い出しでもしたのか、はたまた奥方との失われた婚姻の記憶が甦りでもしたか、妖精達の王、オベロンを名乗る男はさめざめと泣いていた。
こうしてあっちこっちで感動の押し売りをして回れば、私達の罪も軽くなったりするのかな?
そうだといいな………
妖精といえばパック、パックといえば“真夏の夜の夢”というように連想していきました
次話はいよいよ月面侵攻作戦です、セルダンとの決着は如何に?
カイザーシュマーレン=オーストリアの最も有名なデザートのひとつであり、オーストリア・ハンガリー帝国の時代から人気がある
薄いパンケーキで、小麦粉、卵、砂糖、塩、および牛乳を混ぜ合わせた甘い生地をバターで焼いて作る/カイザーシュマーレンの調理には様々な方法があり卵白と卵黄を分け、卵白を固くつのが立つまで泡立ててから、小麦粉、砂糖と混ぜた卵黄、その他の材料〈ナッツ、サクランボ、スモモ、林檎ジャムや小さく切った林檎、キャラメルをまぶした干し葡萄、アーモンド片〉を加える
キルシュワッサー=蒸留酒の一種で種子ごと潰したサクランボ〈ドイツ語: Kirsche〉を醗酵させ、6週間前後寝かせた後に蒸留した無色透明のスピリッツである/主にドイツ南部からオーストリア、スイスにかけた地域で生産され、とくにドイツ・シュヴァルツヴァルト地方の名産品として知られている
オックスリップ=株元の真ん中から花茎が一本伸びて一番上に数輪の薄黄色い花がまとまって咲く、英名オックスリップはサクラソウ科プリムラのこと
エグランタイン=イングリッシュローズのひとつで、ソフトピンクの花はかなり大きめで気品がある/咲き初めは花びらの縁が反り返り、小さい花びらがぎっしり詰まった浅い受け皿のようになる
開いていくにつれて花びらはさらにカーブを描き僅かにドーム型になり、中丈のよく茂る理想的な樹形で飛びぬけて耐寒性が強いのも魅力/デリケートなオールドローズ系の甘い香り
「真夏の夜の夢」=ウィリアム・シェイクスピア作の喜劇、アテネ近郊の森に足を踏み入れた貴族や職人、森に住む妖精たちが登場する/人間の男女は結婚に関する問題を抱えており、妖精の王と女王は養子を巡りけんかをしているが、妖精の王の画策や妖精のひとりパックの活躍によって最終的には円満な結末を迎える
[以下主要登場人物]
*ディミトリアス:イジーアスが決めたハーミアの許嫁、ハーミアに思いを寄せる
*シーシアス:アテネ〈古名アテナイ〉の公爵、ギリシア神話ではアテーナイ王テセウスとして知られる
*ヒュッポリテ:アマゾン国の女王
*オベロン:妖精の王で花の汁から媚薬を作ったり、パックを使い画策を練る、ティターニアの夫
*ティターニア:妖精の女王、とりかえ子を手元に置こうとしてオベロンと喧嘩をする
[あらすじ]
アテネ公シーシアスとアマゾン国のヒュッポリテとの結婚式が間近に迫っておりその御前から舞台は始まる、ハーミアとライサンダーは恋仲であるが、ハーミアの父イジーアスはディミトリアスという若者とハーミアを結婚させようとする、ハーミアは聞き入れないためイジーアスは「父の言いつけに背く娘は死刑とする」という古い法律に則ってシーシアスに娘ハーミアを死刑にすることを願い出る、シーシアスは悩むものの、自らの結婚式までの4日を猶予としてハーミアへ与えディミトリアスと結婚するか死刑かを選ばせる
森では妖精王オベロンと女王ティターニアが「とりかえ子」を巡って喧嘩をし仲違いしていた、機嫌を損ねたオベロンはパックを使ってティターニアのまぶたに花の汁から作った媚薬をぬらせることにする
キューピッドの矢の魔法から生まれたこの媚薬は目を覚まして最初に見たものに恋してしまう作用があり、パックが森で眠っていたライサンダーたちにもこの媚薬を塗ってしまうことでライサンダーとディミトリアスがヘレナを愛するようになり、4人の関係があべこべになってしまう
ワルプルギスの夜=古代ケルトにはバルティナあるいはケートハブンと呼ばれる春の祭りが5月1日にあり、この祭りの前夜がワルプルギスの夜などと呼ばれ魔女たちがサバトを開き跋扈するなどと伝えられていた
ケルト人たちは1年を暖季と寒季の2つに分け、暖季を迎えるこの日を寒季の訪れる11月1日のサァオインあるいはハロウマスの祭り〈ハロウィンの由来になった行事〉とともに季節の変わり目として大切にしていた
英語の midsummer は「盛夏」または「夏至」〈6月21日頃〉を意味し、Midsummer Night は聖ヨハネ祭が祝われる6月24日の前夜を指す/ヨーロッパではキリスト教以前の冬至の祭りがクリスマスに吸収されたように夏至の祭りも聖ヨハネ祭に移行した/この前夜〈ワルプルギスの夜〉には妖精や魔女が地上に現れる、男女が森に入って恋を語るのが黙認される、無礼講の乱痴気騒ぎをする等、様々な俗信や風習があった、劇の表題と内容はこれに一致する
国璽尚書=エドワード懺悔王によって採用されたと言われる国璽は当初は大法官にその管理を託されていた、だがトマス・ベケットの頃から大法官の仕事の重要性も増し、大法官は聖職者でありながら司教区の仕事だけではなく時にはイングランド領の外に出張するようにもなった、このためこの場合の国璽はその時々の「大法官代理」もしくは「尚書」が保管するようになった
オフセットキー=ベーム式フルートのキー配列は大別して「インライン」と「オフセット」の二種類があり、インラインは胴部管上側面のキーが全て一直線に並んでいるタイプ、オフセットは左手の薬指キーが外側〈左腕に近い方〉に少しずれていて薬指が届き易いよう配慮したタイプであり、ベームが製作した楽器はすべてオフセットであった
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私、漢字が苦手なもので誤字脱字報告もありましたらお願いします
別口でエッセイも載せましたので、ご興味のある方は一度ひやかしてみてください
短めですのでスマホで読むには最適かと……是非、通勤・通学のお供にどうぞ、一応R15です
https://ncode.syosetu.com/n9580he/





