42.恋するホムンクルス
ガルガハイム魔導帝国もどうやら一枚岩ではなさそうだと、以前キャスパル・レオン・カッシーナと会ったときに感じてはいた。
だが、魔導教会ですら与党と野党が入り乱れ、更にマッドティー・パーティとか称する非公式政党を初め怪しげな秘密政治結社が大手を振るっているとは、実際に訪都してみるまでは思ってもみなかった。
「エリスゥ、毎回違うアバターで来るのはやめろよっ、ややこしいだろ!」
「やだっ、好きにしていいって言ったもん」
「私とマルセルは体力や肉体年齢が下り坂になるので、ジャミアス様に不老不死のスキルを頂いてます……これで、もしかしたら56億7000万年まで行けるかもしれませんね」
「あたしも大概長生きだと思ったが……ほんと、お前ら、絶対頭おかしいだろ?」
「だからって、なんで毎度々々誰かのそっくりさんの必要があるんだよっ!」
「妾の尻とオッパイも揉むがよい」
「ヒルデちゃん、あそこの第四楽章なんだけど……」
「タイダルのお姉ちゃんって、オッパイ大きいよねぇ」
「ステラ殿、出来ればヒルデちゃんはやめて頂けまいか」
「ジャミアスは黙ってて!」
「“竜の顎門”以来だな、ご老公……この者は吾の以前の婢妾でな、最近縒りを戻した」
「ガラティア殿のセックスアピールっぷりには、遠く及ばん」
「ケルベロスの、久しいな、主人のステラには神代魔法の真髄を全て伝承し終わったでな、何か儂にも役目が貰えるらしい」
「私はエロくありません……のです!」
「うちの宿六がお世話になっております、シャルと申します、以後お見知りおきを……」
「だあぁぁぁぁ――――っ、お前ら、いい加減にしろよっ!」
「何のために集まってると、思ってるんだっ」
第四回眷属者連絡会議が催されていましたが、各自がてんでんばらばらにお喋りするものですから、招集したドロシー様が癇癪を起していました。
ドロシー様はエリス様にだけは甘くて、基本リアル・アバターで電脳魔界空間にアップ・ローディングしてくるお約束なのですが、前回から好きなアバターを使いたいというエリス様の我が儘を容認してしまったものですから、混乱に余計拍車が掛かってしまいました。
前回はガラティア様そっくりのセクシー・アバター、そして今日は何とドロシー様と瓜二つのアバターで参加しておられます。
あの素敵な、プラチナブロンドに所々亜麻色が刺すように混ざる独特の髪質までそっくりです。
一体、この人は何がしたいのでしょう?
「ヒュペリオン文明が滅ぶと共に月面に放棄された開発橋頭堡たるムーン・ベース“Nancy9000”は補給を断たれ、自活の道を余儀なくされた」
「当時から月面の資源開発は、惑星移民施策の有力な一環だったらしい……間違いないな?」
「はい、迂闊でした、地表の情報を集めるのに腐心するあまり、大気圏外より離れたエリアを範疇に入れていませんでした、確かに植民惑星の衛星改造フォーミングはセット化されていましたが、資源調査の結果、計画は打ち切られたと認識していました、その後再開されたと言う痕跡は地表には残っていなかったのです」
「ムーン・ベースを運営するセントラル・ユニット、Nancy9000型は私の子機として開発されています、正常に動作していれば私にコンタクトしてこない筈はありません」
「生命が死に絶えて休止モードに移行したか、あるいはブリュンヒルデ様のときのようにサブ・ウェアを噛まされてコントロール権を完全に奪われてしまったのか……」
「気になるのは微弱な電波も感じられないことです、これはウィスパーECMで隠れている可能性があります」
「世界を滅ぼすオー・パーツ、賢者の臓腑“ギゲル”のような宇宙創成の魔器を創り出しながら、意外にもセルダン一党には月へと渡る手段が無かった」
「転移の技術には超加速化されたメビウス素子の恒常的な供給が必要だったが、このプラントはセルダンの技術をもってしても失われた設備無くしては一朝一夕にはいかなかったようだ……スペースシャトル程の技術なら、簡単に実現できそうだったが、オリジナル・セルダンはもっと安直な方法を選んだ」
「リリィ、説明してくれ」
「……当時、古代エルフの王国、ピクシムは魔族領の中に飛び地として存在していた、神代魔法の使い手もここに多く集まっていた」
「座標を固定すれば転移門を開ける技術は、ハイエルフだからこそ可能だった、あまり知られちゃいないがピクシム王国を初め、多くのエルフはセルダン一党と共に月に渡ったんだ」
「今、この星に残っているのは逸れエルフや森エルフ、ダークエルフ達の子孫だ、集落も散り散りになってる筈だ」
「おそらく、エリス殿もそんな血筋かと思うが、私が知ってるハイエルフの王族の面影もあるような気がする……よく分からん」
「ナンシーの感知波、変位加圧素子検知波、極超探波パルスは何十光年と伸ばせるが、同系列の科学テクノロジーの延長上にある技術では擬態で防がれてしまう可能性がある、高性能探査機を飛ばしても良かったが、思った通りステラ姉の“ミュージィ”の音叉は真空空間など物ともせず、月まで届いた」
「“ミュージィの音叉”とは?」
「ん? あぁ、ヒルデはまだ見たことが無かったか……巻き髭師匠の“ビッグ・バンド”に、その威力も潜在能力も勝るとお墨付きを頂いた唯一無二にして最強最適解の頂点、ステラ姉の取って置きだ」
「ヘドロック・セルダンは生きている、自身の身体をサイバネティクス化し、最早、当初のアイデンティティは欠いている状態だが、見事に200万年を生き抜いたようだ、流石に耄碌しているようだが、ある意味歴史の生き証人かもしれぬ」
「月へと去ったエルフ達は、繁栄とはいかないまでも自給自足の拠点を築いたようだ……転移門は、ここ何百年と開かれていない」
「知っての通りスキッドブラドニールは航宙艦だ、このまま強襲してもいいが、事情を知ってそうな残った側のエルフを見つけた」
(タイダルのお姉ちゃんはどのぐらい生きてるの?)
(あたしは仲間内でも後期型の開発だったから、ざっと80万年ぐらいかな?)
(ふぅ―ん、その割に賢くならなかったんだね)
(………………)
「そこ、私語は慎むように!」
「目的のハイエルフは今、ガルガハイム魔導帝国で要職の地位にある、しかもガラティアのご託宣に依れば我々の封印対象のオー・パーツを所持しているらしい」
「我々はガルガハイムに潜入する」
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英才教育の特別クラスを設けた国立魔術学院は児童学級も抱えていて、生徒達のための給食センターが隣接していました。
「それで、それで? ブリュンヒルデのお姉さんはジークフリートって人とどうして別れたの?」
「……勘弁してくれ、キキ殿、ヒルデの姉貴の秘密をペラペラしゃべる訳にはいかねえ、それに……」
「えぇぇっ、いいじゃん、マルセルも訊きたいよねっ!」
遮音と人払いの結界で隠遁しながら、職員食堂コーナーの片隅で一休みしていましたが、キキ様がまた調子こいて脱線しています。
リリィ様の口調は相変わらずべらんめえで、聞き苦しいのですが、何故かその声音は見め麗しい妙齢の女性のものなので違和感が半端ありません。
潜入捜査で持続性のある認識疎外を使っていますが、リリィ様は念のためとマスクを外されてます。くぅ-っ、これがまた美少女顔で溜め息ものです。
お仕着せの作業着とワンセットの前掛けがよく似合っています。
隣接する児童達のための長い大机の連なるメインホールと同じく、重厚な石造りのテーブルとベンチは座り心地こそ最悪ですが、過去から帝国内に伝わる逸話だか寓話を題材にした見事な意匠の彫刻が要所に刻まれていました。
昼時には少し早いのですが、広大な学園の敷地にもかかわらず、ご近所の荘園裁判所の国選判事や裁判官、足場屋さんの魔術作業員などがやってきます。
お値段高めの割りには結構、繁盛してます。私等職員は給料天引きですが、職員割引が利くとのことです。
特に学外の利用を規制している訳ではないようなので、学院施設内へも結構自由に出入りしているようです。
荘園裁判所と言うのは、所謂民事訴訟などを主に取り扱う司法機関のようです。
所変わればで無窮に続く古い都ゆえ、建物が煤けるのを魔力で洗浄したり、漆喰の補修や構造の傷みを直すのに足場屋という商売が成り立っているようです。
丈夫な木材のパーツを魔術で硬化して組んでいく足場は、よく街中で見かけます。
先週までは、大気圏外活動訓練でナンシー様の築かれた宇宙ステーションに連れて行かれ、スペース・スーツ無しの船外活動などを学んでいましたが、今はIDカードを偽造して帝国の誇る学園都市随一の最大学府、エリート養成全課程一貫の魔導アカデミィアの初等部にもぐり込んでいました。
ドロシー様に言わせると、以前は真面に伝手を頼んで身分証明書を発行して貰っていたそうですが、ナンシー様が偽造と言うか本物を複写出来て、尚且つ保証する履歴情報も必要なお役所に差し込めることが分かると、もっぱらこちらの手っ取り早い方式を採用するようになったそうです。
「えっ、えへへ、きょっ、興味が無いかと言われると、そ、そんなこともないですけどぉ」
「……マルセル、挙動不審、涎垂れてるし」
「よっ、涎なんか垂れてませんっ、キキ様こそ先週の宙域戦闘訓練でオシッコ漏らしそうになってたじゃないですかぁ!」
「あっ、あれはたまたま無常力状態での新陳代謝コントロールに失敗したからで、オシッコちびった訳じゃないからね!」
「それに比べてブリュンヒルデ様はカッコ良かったですぅ」
“カバルナ・マジカ”と名付けられた、多くの巨大な多目的汎用モジュールが連結された宇宙ステーションは、可変式高性能太陽電池パドルに取り囲まれた荘厳な姿でしたが、姿勢制御の反重力エンジンを備えた架台は硬度無限大のプラチナ同位元素製のトラスが中心となり、地表約400km上空の熱圏界面を秒速8kmほどで飛行していました。
最初、慣れないうちは広大無辺な真空の星空が恐ろし気に思えたのですが、ナンシー様の環境順応プログラムは良く考えられていて、すぐに馴染むことが出来ました。
オービター型高速補給船で運ばれるとき、高度が上がるに従って私達の住んでる星が、本当に丸いのが分かる得難い体験をしました。
すでにナンシー様の教則課程に従って得た知識で、恒星系とか惑星と言った概念は知ってはいましたが、見ると聞くでは大違いです。
「ヒルデの姉貴とあたし等ワルキューレシリーズは、宙域戦闘もこなす性能スペックで開発されている、独力で月まで行く推進力は無いが、ヒルデの姉貴なら単独で大気圏外脱出までなら可能な筈だ」
「それより、ここの飯、不味くはないが、スキッドブラドニールの賄いに慣れちまったからか、実に大味で物足らんと思わんか?」
「仕方ないですよ、ドロシー様方の監修するご飯は、一番素材の味を引き出すように考えられていますから」
およそ魔導帝国の生活概念は、魔女の惚れ薬とか、人の身体を一時的にぐにゃぐにゃのスライムみたいに変える薬とか、玉蜀黍をカナブンに変える薬とか、何の役に立つかも分からないレシピの開発に奔走した挙句、食べ物の味にこだわるなどは愚の骨頂、みたいな飽食排斥の風潮が蔓延しているようです。
事実、ここの給食センターの食糧貯蔵庫、酒蔵、厨房を仕切っている家宰と言う人物は、調理に対して何の情熱も持っていません。
料理人の仕事は豚肉、牛肉、羊肉、家禽を、大昔さながらに串刺しにして炙るか、大鍋で煮込むかの原始的な調理が中心になります。
私達は大きな穴あきスプーンで、大鍋を掻き回す仕事に、住み込みで雇われていました。
鶏肉をペーストにしてアーモンドミルクで煮た米を混ぜ合わせ、とろりとするまで煮込んだものに、揚げアーモンドとアニスが添えられたものとか、モートリュと言う魚を摺り身にし、麺麭粉、ブイヨン、卵を混ぜてから軽く茹でたもの、魚や肉を詰めたパイなどもよく作られましたが、いずれもが一時代前の料理法でした。
飲み物は香辛料入りのワインや、ベルジュースと呼ばれる熟し切っていない葡萄の汁です。
かたや、シルキー達が自分で持っていた調理法もあることにはありますが、艦やドロシー様方のご自宅での調理スタイルは、ほぼ100パーセント近くドロシー様の指導が入るか、ドロシー様が自ら定めた調理手順です。
最適の旬の食材を、最適のタイミングで、最適の捌き方で、最適の調理を加える。火加減、鍋の大きさ、材質、厚さ迄細かく定められてますし、匂いが付かないよう金気のある調理器具の使い回し迄固く禁じられています。
今でも時々、思いつかれて手順が変更されているらしく、また蕎麦粉は石臼で挽くべきと、たまにですが手ずから粉挽きをされるらしいです。
「来たよ、あれが初等部の校長を兼務する帝立“ウィザード・アカデミィア”の総理事長、紋章院総裁の要職にあるハイエルフ、ツヴォルク・ハッキネン、その人だ」
キキ様が促すまでもなく、初老のというか大分皺深い容貌ながら、背筋正しく歩むその姿は、何年生きているのか、永遠に近い寿命と噂されるハイエルフの重厚な来し方が見て取れました。
と、どうもリリィ様の気配が尋常ではありません。
「ジーク、ジークフリートだ……老いさらばえてはいるが、間違いない」
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ワルキューレ・シリーズ筆頭として、セルダンの命じるままエインヘリャル作戦を遂行していた私は、ハイエルフの戦士と相まみえた。
多くの荒ぶる戦士達の魂を、つまり精神エネルギーを集めて事を為そうとしていた偽神オーディンの計画は途中で頓挫したと、旧交を温めたリリィに聞いたが、このときの私には知る由も無い。
その者は、何事にも執着がないハイエルフの民には珍しく、悠久の時を生き抜いた歴戦の英傑だった。強大な魔力を駆使する魔導剣士だった。
後にユフレシア大陸と名を変える地にて、邂逅した私達は激しく剣を交えた。
この戦いで、私は愛馬、グラーネを失う。
本気を出して武装展開すれば、相手は一溜まりもないだろうが、何故か私はこの相手に対してだけは、己れの膂力と剣技だけで立ち向かいたかった。
その後も何度も出会い、そのたびに試合ったが、何故か私は彼を殺せなかった。
大概な私もいけなかったが、相手はこれを度し難い侮辱と受け取ったようだ。
何度目かの命の盗り合いで、相手は遮二無二突っ込んできた。
「命を懸けた戦いに手心とは、馬鹿にするにも程があろう、故有って死ぬ訳にはいかぬ身だが我慢がならぬ」
私は自分の心に気が付いていた。ジークフリート、この男を好いている。
目の前のエメラルドグリーンの瞳は怒りに燃えていた。愛しい男の息遣いが顔に掛かるのさえ、胸が高鳴る。
衝動の赴くまま、私はジークフリートを投げ打って、組み伏せた。
「無粋な真似で済まないが、一度でいいから情けを呉れぬか?」
そう言って、ジークフリートの唇を奪った。男が昂ぶるように調合した即効性の興奮剤と媚薬を口腔内で生成し、流し込んだ。私には次世代出産機能としての、セクサロイドの装備も実装されている。
ただ、私は好いた男に心の底から犯されたかった。抱かれて痙攣する程の絶頂をしたかったのだ。
装甲を外し、インナースーツを脱ぎ捨てると、私は男の怒張に跨っていった。
気付けば私は獣のようなエゲツない善がり声で雄叫んでいた。太くて硬い男性器の名称と、淫乱に濡れそぼる自分の女性器の名称を交互に叫んでいた。
身も蓋もなく下品に堕ちていく自分に、陶酔した。
エルフという種族は長寿な分出生率が低く、子種も少ないと聞いていたが、ジークフリートのそれは熱く、量も多かった。
後にも先にも、情を通じたのはジークフリート唯一人だった。
戦場で出会い、戦場で愛し合い、戦場で分かれた、そんな関係だったが、私を好いてくれているのかは見当もつかなかったが、ジークフリートは執拗に私に挑んできた。
私に打ち負かされるたびに、ジークフリートは唯々諾々と私に貪られた。
そんな関係が続くうちに、ジークフリートは私に討たれる振りをして自ら命を断った。
「こんな関係は終わりにしよう、愛してくれるのは構わないが、私の矜持が耐えられぬ、どうか死なせてくれ」
そう言って、ジークフリートは歪んだ私達の淫らな関係に終止符を打った。
すまない、お前をここまで追い込んでいたのに気が付かなくて……私は生まれて初めて、声を限りに泣き続けた。
好いた男の精を胎に受け、逝き狂うことにのみ夢中になった大馬鹿者は、相手の気持などついぞ考えてはいなかったことに、初めて気が付いた。
彼の亡骸は誰も引き取りに来る様子もなく、私が持ち帰った。
丁度、救済協会の目的に疑問を抱き始めていた私は、組織の主計係や資材部の管理ユニットをハッキングして物資を調達し、秘密のセーフハウスを作り上げていた。
再生の可能性に欠けて、遺体はそこに冷凍保存した。
セルダンの延命研究は厳重にブロックされていたが、あの施設と機材なら必ずや死人を蘇生させる技術が可能な筈だった。
だが、事を焦った私の行動は組織の知るところとなり、造反を許さぬセルダンの手で幽閉されてしまう。当初から安全装置として仕込まれていたサブ・ウェアが、私の自由を奪い、強制休止モードに移行された私は、やがて現れるセルダンの宿敵となる“天秤の女神”なる存在への、ブービートラップとして残された。
覚醒しているのか、微睡んでいるのか分からない朦朧とした意識の中、不甲斐無く生命蘇生の目論見に失敗した自分を責める言葉と、ジークフリートに謝り続ける言葉を繰り返し呟き続けた。
私は、恋に狂ったホムンクルス、戦闘用アンドロイドが女になろうとしてはいけなかったのかもしれない……
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「ツヴォルク・ハッキネンと言う人物について教えて貰いたい」
帝室行政府直属の魔術研究機関の大学院、その名も“宵闇のウォーロック”学院の教授総長の執務室は、上層階の午後の日差しに温んで心地良く、まったくの話、すごく過ごし易そうだったが、私の訪問でおそらくぶち壊しになるだろう。
「ガルガハイムには、ハッキネンも冠する“魔導の極み”という名誉称号があるそうだな?」
黒い総髪を細い皮のヘアバンドで抑えているキャスパル・レオン卿は、妹よりも面長で厳めしく浅黒い、その苦み走った顔付を驚愕の表情に凍り付かせて、身じろぎも出来ずに固まっていた。何処からともなく現れた、有り得ない侵入者に唖然としていた。
“宵の明星”の二つ名を持つこの男は、この国の元老院首席宰相の役職にあり、絶対制帝室正統の皇帝を除けば事実上のトップに近いポジションに居る。全世界の魔術師同盟、魔導士ギルド、錬金術組合への影響も大きい。
「……あぁ、行き成りですまんな、一瞥以来だが健勝そうで何よりだ、ブリュンヒルデ捜索の折りは大層世話になった、案内も請わずに済まぬが、ちょっと大っぴらに出来ぬ訳がある、礼を欠くのはいつものことゆえ許せ」
「先にご連絡を頂ければ、余人を交えぬ席をご用意いたしましたものを……妹の、イングリットの命の恩人を粗略に出来る筈もありませぬ、妹に成り代わって厚く礼を申し上げます」
「しかし解せませぬな、ここ教授棟は幾重にも変動位相結界に取り囲まれていますのに難無く入って来られるとは……」
冒険者達の街、ピューリンゲン・ノローナで情報屋をやっているイングリット・カッシーナがヤクシャス・シティの騒動で一度死んだのを、時を巻き戻して生き返らせた。
ところが、こいつの出自がガルガハイムの大家で、代々魔導帝国を支配する家系だったものだから、実の兄が帝国の盛衰を決定する要職にあったりする。
「位相結界は極短波に近い周波数で揺れている、この揺れ幅に同期して少しずつ意識を細切れに、小刻みに通していくんだ、真面にやってると日が暮れるから、この場合は超加速を使う……さすれば、斯くの如くだ」
「やはり貴女には、凡庸な我等の常識は通用しませぬな……お茶でよろしいかな?」
レオンは影のような使い魔を呼んで、茶を供しようとしてくれる。
「しかしなんだな、お前のところの禁書庫塔の主とやらはチョロいな……不味そうなトライフルを喰ってたんで、うちのホテルのデザート専門店に連れて行ったんだが、涙を流して喜んでいたぞ」
「その日の内に親切にも、懇切丁寧なまでに禁書庫を案内して貰った……あの者も“魔導の極み”だって言うから笑える」
「なんとっ、“邪眼のアンジェリーナ”をもう篭絡なされたか!」
「今日からは、うちのステラが代わって禁書庫を調査する、ついこの間、神代魔法免許総伝の認可を貰って、今は神代魔法のエキスパートだ……エルフの秘法、“転移門”を探している」
「総伝?、総伝とおっしゃると……」
「あぁ、知らぬか? ユフレシア大陸の“竜の顎門”に居た古代竜で、白髭ワイズ・ワースってのが伝承してくれた……あたしも随分前に“折り紙”は貰った」
「ワイズッ、ワイズ・ワースですと! 我が国の神代魔法系統では神とも崇める存在ですぞ、求心派では信仰の対象ですらあります」
「いや、今は普通にあたし等の身内のひとり、ステラ姉の眷属になってるけどな……如何か?」
「いえ、いけなくはありませんが……そうですか、求心派には由々しき事態でしょうな」
「それより、先に見せて貰ったが、隣の星読みの天球儀室、なかなかのものだな、丁度造りたいと思っていたから参考になった」
レオン卿は、天体観測寮の長も歴任しているらしかった。
ぶっちゃけ、魔導帝国に連綿と蓄積された魔術師達、精霊術師、錬金術師、召喚術師の知識、兎に角有りと有らゆる類いの密儀と不思議を、何も彼も全て洗い浚い盗んでいく、又と無い絶好の機会には違いない。
「花壇の蛍光ユーフォルビアは奥方の手入れかな? 今が盛りのようだが」
中庭を見下ろしながら、世間話をしてみる。それとなく異分子の気配が無いか探っているのだ。
「ご安心ください、ここを探ろうとする不埒な者は帝国にはおりません……家内は花の精霊と相性が良いようです」
「……昔々、ピクシムというエルフの王国が忽然と消えた、大陸救済協会の名は知らぬと思うが、我等がオー・パーツの回収と封印をして回っているのは知ってるだろう?」
「この八割方の元凶がサー・ヘドロック・セルダンという男だ、奴の主宰した協会の目的は、この世を混沌と化し“天秤の女神”に敵対することだという……馬鹿げた話だがな」
「いずれにせよ、十何万年も前の話だが、大方のエルフはセルダンと共に月に渡った、セルダンとは決着を付けねばならないが、我等も月は初めてだ……情報が欲しい、生き証人の情報がな」
「ハッキネンが仔細を承知していると?」
「そう、踏んでいる」
「……にしても、月とはっ、あの空に浮かぶ月ですかな?」
「あぁ、その月だ、月にもここと同じような大地がある、もっとも空気は無いがな……人はエレメンタルや五元素を吸って生きている訳ではない、人が吸っているのは酸素だ」
「息が出来なければ、人は生きていけますまい」
「だからテラフォーミングという技術がある、酸素を造り出しているんだ……この星には名前が無いからテラフォーミングとは呼べないがな」
「今、うちの手の者が手分けしてガルガハイム学園都市にもぐり込んでいる、ハッキネンが居る“ウィザード・アカデミィア”初等部にも張り付いた」
「あぁ、あの老エルフは、帝立アカデミー全体の理事長のくせに、若く才能に溢れた逸材を自分で見つけるのが好きで、初等部の兼務校長に収まった変わり者です、ガルガハイム建国の前から生きていると思われるあの物の履歴の巻物は後でご用意しますが、本人に会われますか?」
「今探らせている、遭遇した途端、戦闘になれば幾ら何でも伝統あるガルガハイムも無傷とはいかないだろう、老獪なエルフが闘い巧者で捕縛しそこなう可能性もある……なるべく迷惑は掛けたくない」
「それに奴は、我々が回収するべき危険なオー・パーツを所持していると、うちのオッパイ時空神から託宣があった」
「ところで求心派とか言う不穏分子は、粛清しても構わないか……言質は要らぬ、少し騒がせることにはなるが、気に入らぬのでいずれにせよ行動には移す」
卿は、握り拳に親指を立て、親指を下に向けた。ここいらの風習でギルティのサインだった。
「……そうか」
「あぁ、そうだ……こいつは手土産だ、今度ホテル・ナンシーのブランドで売り出す海亀のスープの缶詰だ、贈答箱だと嵩張るから業務用の梱包だが、見た目が悪いのは勘弁な、味は保証するよ」
収納から取り出して、レオン卿の執務机の上と言わず脇にもうず高く積み上げた。
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「では“魔導の極み”と言う称号を得るためには、その七つの試練とやらに挑まなければならない訳ですか?」
「そうよ、試練に挑戦すること自体が非常に名誉なことで、ガルガハイム魔術師連盟の代表5名以上の推薦が要るし、試練の内容も例えば72柱の悪魔が支配するブラックデーモン山で“石の花”を採ってこい、と言ったとても難易度の高いものになっているわ」
「……なんだか、めんど臭そうですね」
「めっ、めんど臭いっ、めんど臭いとはなんだっ、“魔導の極み”を名乗る魔導士は世界に何人も居ないのだぞ!」
「ドロシーがご馳走したのに油断して、容易く魔催眠に掛かってしまったのでしょう? うちのメンバーなら、こんな子供騙しの手管には絶対引っ掛からないレベルですよ?」
「うっ、うぅ煩い、煩いっ、心の隙間に付け込んで操ろうなんて、狡すっからい真似は卑怯だろう!」
黒いローブをたくし上げて階段を先導する、オレンジのような明るい赤毛の細面の娘は、言われるがまま逆らえない己が境遇に心の底から怒りを覚えても、その怒りさえもが持続しないよう制御されてしまっています。
気の強そうな眦を吊り上げるのも僅かに一瞬で、すぐに操り人形に戻ってしまいます。
禁書庫塔の中は、内側と外側の螺旋階段が果てしなく上の階まで伸びているようです。書架は階段に沿って、これまた何処までも何処までも続いています。
私も師匠の下で速読術を学んだ身、実際に本を開かずとも、階段を登りながらこれはと言う内容を取捨選択し、次々に完全記憶に収めていきます。
十八代目と言う禁書庫番のアンジェリーナさんは、三十路という割には落ち着きがない、好く言うと粗忽で、悪く言うとポンコツな人みたいです。
若手ナンバーワンで将来を嘱望されていると自己申告していましたが、こんな程度で将来、魔道大国を背負って立つかと思うと少し心配です。
「大体、お前は何なんだ、ドロシーとやらが掛けた術で逆らえなくなっているのに乗じてガルガハイムの知的財産、世界に冠たる禁書庫を荒らそうなどとは不届き極まりない!」
「ドロシーに頼まれたのですよ、神代魔術は私の方が詳しいだろうからと……最近、免許総伝を頂きましたので」
「そっ、総伝っ、今総伝と言ったのか? いったい誰がどうやって認可したんだ?」
「それは、現在は唯一の伝承者になった我が老師、白髭ワイズ・ワースに決まっています、他に認可を授けてくれる権威ある方はいらっしゃらないかと……」
「嘘を吐けえっ、ワイズ・ワース様は我等の神にも等しい存在、お前などが目通り出来る訳がないっ!」
人族の間では廃たれてしまった歴史の語り部にして神の如き叡智の託宣者、失われた神代魔法の伝承者は、白い髭、白い鱗で、三本の大きな山羊角を持つ神代竜でした。神と崇める信奉者が居てもおかしくはありません。
「嘘も何も、認可印は最高位のものですけど……」
両手の甲に、普段は隠れている、神代魔法に必要不可欠な発動印を浮かび上がらせて示します。それは現代の魔法士には絶対再現不可能な呪の掛かった古代古式ルーン文字が刻まれる特殊な魔法印で、しかも総伝を許されたものにのみ許されるそれは、一目見れば分かる最高位者のものです。
これは、もしかしなくても老師が私の眷属だ、などとは言わない方が良さそうですね。
「……本当なのかっ? だとしたら……汝、仲間にならぬか? 我々求心派ガルガハイム解放戦線は汝を魔法宗主の位で受け入れる、今、求心派はやがて降臨する“天秤の女神”とことを構える準備をしている真っ最中だ! 強力な戦力は喉から手が出るほど欲している」
何かに憑り付かれたように、一転掻き口説き出したアンジェリーナさんでしたが……
「あれ? ドロシーは何も話さなかったんですか? ドロシーこそが紛れも無く“天秤の女神”ですよ」
アンジェリーナさんの顔は、みるみる蒼褪めていきました。
あぁ、この人は本当にポンコツのようです。“邪眼”とやらは余っ程の節穴なんでしょう。先が思い遣られました。
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「ブロス魔素の質量ギャップ問題は、トリスメギストスの定理で証明されてるよ……随分、難しい問題やるんだね」
「えっとねぇ、ここの構文はね、子音の省略と女神の名前を象形に置き換えることによって半分以下に簡素化できるよ……しかも効果は変わらない、エンチャント・オールアビリティなんかにも応用出来るから試してみて」
「神働術は、古典だけどアポロニウス伝が詳しいかな?」
「あ、有難う……貴女、何処のクラス?」
教科書を覗き込む見知らぬ子に、話し掛けられていました。
「えっ、あたしはここの給食センターの住み込みだよ?」
「嘘でしょ!」
「嘘じゃないよ、毎日朝から鍋を掻き回すのがあたしの仕事だよ」
「ねぇ、学校って楽しい?」
「……楽しいって言うより、魔術を学ぶことに喜びを感じているってところかな、毎日大変なんだけどね」
「それより貴女の魔術の知識は誰から学んだの? すごく詳しいけれど……」
「ステラ母さんが一番多いかな? 剣術と武芸十八般、マーシャル・アーツはドロシー母さん、フル・モビルスーツでの機甲格闘術はエリス母さんから学んでる」
「でも、なかなか心を鍛えるのは難しい……」
「「「えっ?」」」
授業の予習が追い付かないので、昼休みに共同食堂で何人かで魔術理論と魔法史の教科書を開いていると、あまり見かけない子が覗き込んできたのです。
制服は着ていないけれど、何年生だろうと思っていると、ここの生徒じゃないとのことです。
言われてみれば、生徒とも思えない貧しい身なりでしたが、大きなブルーの瞳が愛らしく、編み込まれたアッシュブロンドが素敵な女の子でした。
二、三、質問をしてみましたが、彼女の魔術に関する知識は本物です。
ひょっとすると座学の先生方より詳しいかもしれません。
「私はアンネリーゼ・フィーネ・シャルロッテ、シャルロッテ伯爵家の傍流、鍵屋の屋号を持つフィーネ家の次女です、初等科6年“杏と黒狐”組よ、女子寮はパンドラ・デルタ」
「私はクリスティーナ・ビアンカ、ビアンカ商会の跡取りです、平民の出自ながら、ハッキネン校長に見い出され、栄誉ある“ウィザード・アカデミィア”への入学が叶いました、アンネリーゼ様と同じクラスです」
「実家は、粉屋の商号を許された鑑札御用商人です」
「僕は、エルビン・アルベルト・カッシーナ、魔導帝国の正統、カッシーナ家に連なるものだ、屋号は金魚屋だ」
エルビンはまた、自分の血筋を鼻に掛けています。
「カッシーナ? もしかして“宵の明星”の親戚かな……あっ、答えなくていいや、あんまり興味無いし、皆んな名前が長くて吃驚だよ、ご免ね……まだまだ続きそうだから、本当に悪いけど途中で端折らせて貰うね、貴方達が何者なのかは大体心を読んで分かった……心を読むのは、息をするように普通に得意だから」
「あたしはキキ、孤児なんで家名は無い、学校に行ったことがないんで学び舎で友達とお喋りしたりするのに憧れがあった、んで、その正体は俗に言う不審者だね」
「今ここは“無関心”の結界で包んである、あたし達が何を話しているかは周りには伝わらない……教えて欲しいことがある、ハッキネン校長が何者なのか知ってることがあったら頭に思い浮かべて欲しい」
「言葉に出さずとも、頭の中を直接覗くから口にしなくてもいい」
ニコニコと無邪気に笑う給食センターの下働きだと言う愛らしくも小さな子は、害の無さそうな見た目と違い、私達が授業でさえ習ったことも無い不気味で何か得体の知れない怪物でした。
気が付くと私達は恐れおののくことも忘れて、この子の言われるまま知ってることを次から次に頭の中に思い浮かべていたのです。
「う――んっ、ジークフリートは、どうやら生涯独身を貫いたようだね」
「宵の明星は独りで輝くって言うけれど……孤立を恐れない、レオン卿と似たようなタイプかな?」
「やはり、どうやって復活したかは本人に当たってみないと分からないか?」
おそらく刹那の間に全てを読み取られ、哀れ捕食されるだけの餌食と化した私達は苦痛を感じる間もなく、いつの間にか解放されていたようです。
「色々嫌な思いをさせてご免ね、忘却の魔術で記憶を消してもいいけど、折角知り合いに成れた人達にあまり無体はしたくない、その代わりこのことについて第三者には話せない特殊な時限付きの呪いを掛けさせて貰った……安全措置だと思って許してください」
「非道い扱いをしてしまったけど、また会えたらいいね」
「話が出来て嬉しかったよ……怖がらせちゃって悪かったけど」
そう言って、実はかなりの高位魔術の使い手だった不思議な少女は立ち去りました。何故か、天真爛漫そうにニッコリ笑う少女の笑顔は心からのように思えて、いつ迄もいつ迄も強く印象に残りました。
一見幼そうなこの子が想像を絶する高みに居るような気がして、ただ茫然と自分達の非力さを思い知って見送るしかありませんでした。
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手前がセルダンの工房で目覚めると、既に半ば洗脳状態だった。
ブリュンヒルデとの爛れた関係を清算するために、手前は相手の剣に斃れることによって自らの命を断った。
セルダンの大陸救済協会が我等、ピクシム王国の上層部に働き掛けていることを苦々しく思ってはいたが、正可に我が身が彼の者の傀儡と化すとは思ってもみなかった。
ブリュンヒルデは死んだと聞かされた。
真偽のほどは分からなかったが、手前が死から呼び戻された時点で救済協会の陣営に彼女の姿は無かった。
手前が愛した女……どんなに願っても、その高みに手前の手は届かなかった武に愛された女、共に快楽に溺れ、獣のような抽送を貪った女、いつしか手前は彼女との逢瀬に魅せられていく自分が許せなくなった。
いびつに歪んだ愛憎は、終わらせなければならない。
自分は生涯許されることの無い過ちを犯した。
駆逐すべき敵に通じるどころか、敵との肉体関係に嵌まった。
お仕えする悲劇の妃殿下をないがしろに、己が愛欲に奔るは忠義に悖る……移ろわぬ心根は尊いが、所詮色香に惑いし自分は不動心などとは程遠く、下種の極みだった。死んで不忠を詫びようと思った。
最後までお守りできなかった姫君は、信頼できる臣下に託し、長いお暇を頂く不義を書状にしたためた。
レイナ姫は、同盟を結ぶ隣国はピオリム王国の第二皇子との婚約が破棄になってから様子がおかしくなった。
偏執病のように、強迫観念でありもしない襲撃者の影に怯え、妄想の果てに急に悲鳴を上げて走り出したり、あるいは頻発する発作に過呼吸で蹲るようになった。
あれだけ美しく、気高く、優し気だった姫様の姿が見られなくなって、自分を初め、多くのお慕いした者達の心は深く沈んだ。
エルフの中にあっても濃いエメラルド色の神秘的な瞳を持つ絶世の美女だっただけに、おいたわしい。
大多数のエルフが生涯、菜食主義者を守り通すのに、魚を丸呑みにしたり、生肉の叩きを好んだりと奇矯な行いが目立つようになった。
過度の妄想性パーソナリティ障害と診断されたが、ハイエルフの高位治癒術師にしても、心の病を快癒させるのは中々に難しかった。
パラノイア姫と呼ばれるようになる妃殿下を哀れに思った当時の王室は、自分と言う護衛と付き従う侍従達を付けて、レイナ姫を療養保養の離宮へと静養に出した。
離宮は後のゴゴ・ゴンドワナ大陸の中心、エルフの聖地たる神代世界樹の麓にあった。
手前は“帝王の刃”と見做され、姫の幼き頃より近衛の束ね役として帝室に出入りしていた身……姫様にはとても懇意にして頂いた。
だというのに、一生を姫様に捧げる覚悟がいとも容易く崩れ去り、敵と情を通じてしまった。もう顔向けできないと死んだこの身が、再び塗炭の世に呼び戻されるのは何の因果だろう。
レイナ姫様は、今はいずこにおわすのか?
存命なのか、それとも悲運の果てに亡くなられたのか?
操り人形と化した手前には、やがて月へと去ったセルダンに指令を与えられて、幾分かは自由行動を許された今になっても、救済協会の中にあったときでさえ、知り得る方法が無かったのが悔やまれた。
やがて幾星霜、手前は魔導帝国ガルガハイムの要職にあった。
ここに辿り着くまで幾つかの国が興り、幾つかの国が滅んだ。話す言葉も変われば、文化もすっかり様変わりした。
皮肉なことに、下種の極みの筈が、“魔導の極み”なぞという称号まで頂いて、後進の指導にあたることに生き甲斐を見い出していた。
そう言えば、どう言う原理か皆目見当もつかなかったが、つい先日に全世界に向けたメッセージが有った。
ここガルガハイムでも一時期、タイダル・リリィとは何者なのだと言う話題で持ち切りになったことがある。
何十万年も経てば、さしもの勇名を馳せたワルキューレが一角も忘れ去られてしまったようだ。私自身も、何度か面識がある筈なのに、仮面をしていたせいか彼女の顔を思い出そうとすると朧に霞んでしまう。
だが、どうやら彼のホムンクルスは生きているのだな……ブリュンヒルデの同僚だと言っていた……火宅に呼び戻されてからは会うこともなかったが。
姫様は、よく天上にある星の河の話をされていた。エルフの神話では、結婚と母性、貞節を司る大女神が奸計に眠らされている間に、自身の母乳を盗まれるという目に遭うが、目覚めた女神が驚いた拍子に巻き散らした母乳が天の川になったと言う。
気鬱の病に犯された後も星河の話をお付きの者に繰り返しておられた姫様は、きっとセルダンの第二次エクソダス計画に魅せられていてもおかしくはない。
だとすればレイナ姫は、ピクシム王家、兵士、城の役目の者や雑役夫、国民、一族郎党と共に月へと渡った可能性が大きいが、今の私には確かめる術がない。
生きているのか、死んでいるのか、未だ術に縛られている身では本気の捜索が出来ずにいたが、生き返ったこの身が改めてけじめを付けるためには逢わなければならない……主筋に当たる、レイナ・オルガナ・バレンタイン妃と、手前が唯一愛した女、ワルキューレ筆頭、ブリュンヒルデ、この二人を探す機会が訪れるのを、今は唯、静かに待っていた。
手前は仮初の命を使い潰して、永劫に近い長い間、待ち続けた。
耐えて忍ぶのも今ではもう惰性のようになってしまった。結局手前は、姫様をお守りする大切な役目をまっとう出来ずに逃げ出し、愛に溺れる惰弱な己れを矯正する道も見出せずに女からも逃げ出した、ただの変節漢かもしれない。
罰を受けて、苦しんで苦しんで、苦しみ抜いて死ぬのが相応しい。
要するに、手前は永く生き過ぎた。
愛しい女の面影を胸に、セルダンとの約定に操られ、悠久のときを生き過ぎた。
託されたオー・パーツ、“太陽の転移門”は肌身離さず持ち歩いているが、これを使う前にせめて、生きてあるのなら我が親愛なるマイロード……カヴァリエールと呼ばれるエルフの騎士格として宣誓した身でありながら、不肖の臣僕となって辞去せざるを得なかった主君、レイナ姫に一目お会いしたかった。
どうもここ数日、見張られている視線を感じる。
気のせいでないとしたら、おそらく相手は相当の隠形と認識阻害の術巧者だ。
そう言えば、市井で見つけた魔力量の異常に多かったクリスティーナ・ビアンカ君が、何か言いたそうにこちらをじっと見詰めていたことがあった。視線を合わせると、そそくさと立ち去ってしまったのが怪しくもあった。
何かが秘密裏に動いている、そんな気がした。
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騎乗する足が欲しいと言ったら、ナンシー殿が大型のトライアル・スピーダ―を用意してくれた。
チョッパーハンドルとかいうスタイルにして、足回りも装甲を強化したカスタマイズ・モデルだ。無骨な印象だが、貰った愛車の乗り心地は上々だった。
嘗て失ってしまった愛馬、グラーネの名を冠した。
ホテル・ナンシーの地下にあるスピーダー・バイク専門のパーツ販売武具店で、オフロード用眼鏡タイプのゴーグルと、アダマンタイトの鋲と手甲に覆われたごついグローブを手に入れた。
スキッドブラドニールに貰った専用ガレージで、普段のメンテナンスをしている。自分のパートのファゴットの練習も良くここでする。
外殻変更機能もあるので、スパイ活動も遣って出来ないこともないが、本来不得手である。
跨った愛機ごとステルスモードにして、ガルガハイムの要所を遠巻きに探っていた。
ところ変わればだが、ガルガハイムには幾つかの特権を保障され独立機構となった魔女組合が所々にあって、驚いたことに未だに箒に乗って空を飛ぶウィッチ共が跋扈していた。
こう言うのを時代錯誤というのかは分からぬが、空は思った以上に混み合っていて、用心して高度を保たないと思わぬニアミスに遭遇しそうだった。
魔女の仕事は様々で、財務府長官と助祭長に従って献金の護衛をしたり、御料林憲章に定める帝室領林の密猟を取締る官職、林務省直属の主任森番と共に巡視したりと、結構重宝がられているようだ。
潜入捜査をするうちに懇意になった情報屋ギルドの立ち飲み屋の常連に聞いた話では、細い棒に跨る魔女達は股関節脱臼とか、普通は老齢に発症する骨盤臓器脱で子宮や膀胱が垂れ下がるなどの症状に悩む者も少なくないのだとか……そんな弊害があるのに、頑なに箒スタイルを踏襲してきたガルガハイムは、懐古趣味の度し難い馬鹿者共の集まりと言えなくもない。
(ヒルデの姉貴、私だ、タイダルだ!)
(どうしたリリィ? 非常時以外、物理回線での連絡は禁じられている筈だ)
(姉貴っ、驚かないで聴いてくれっ!)
電子的な秘話回線は、スクランブルが掛かった上に周波数的に暗号化されていたが、スキル的な連絡手段に比べると密閉性に弱いという理由で普段は使用を禁じられていた。
何を血迷ったのか、慌てふためいたリリィが直接コンタクトしてきた。だがリリィの話す内容は私にとっても、心臓が早鐘を打つようなショッキングな出来事に違いなかった。
「………なんだって? 生きているのか、ジークフリートが?」
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「エリスの出自が? ……本当なのか?」
(はい、ハッキネン校長の評価値が異常に高いのでフリズスキャルブ2の出力をピンポイントで上げて見たところ、偽りの内側を覗くことができました)
「……ジークフリートが生きていたのは、キキからも報告を受けているが、残念ながら長くセルダンの洗脳下にあるという、明らかにあたしへの布石と言うか、嫌がらせだろうな」
(ブリュンヒルデ様は直接対決を望んでおられます、如何なされるのですか?)
「……如何も何も、余人が介入すべきでは無い、恋の決着は当人同士がつけるべきだろう」
「ハッキネン、いや、ジークフリートの持つと言うオー・パーツの発動原理はガラティアの託宣で知れた、回収もブリュンヒルデに任せようと思う」
(よろしいのですか? 初めての恋が十万年のときを経て、またもや悲恋で終わるかも知れぬのですよ……こう言ってはなんですが、ブリュンヒルデ様はスレておられません、酷に過ぎるのでは?)
「……あたしがソランと対決するとしたら、やはりどうなってしまうかわからない、だが他人に手出しはして欲しく無いと思う筈だ」
「見守るしかない」
スキッドブラドニールの高度情報作戦計画プラットで、コマンド・オフィサーにのみ通じる秘話回線でナンシーからの極秘の報告を受けていた。
私の興味本位で眠りから叩き起こしてしまったブリュンヒルデの恋の行く末に、多少なりとも苦い責任を感じていた。
ジークフリートの洗脳を解いて遣り直させる方法もあるが、訊いてる限りの人となりでは、人生の大半を費やした悲願ともいえる目的を曲げるのを潔しとせぬかもしれない。だが、その悲願はセルダンに植え付けられた悲願だ。
……どう見ても、散る運命なのか?
その時、ブリュンヒルデはどうするのだろう?
戦士として生まれついた身が、好いた男と仲睦まじく暮らす夢を抱いてはいけないのだろうか?
ホムンクルスの恋は、実らぬままに終わるのか?
オー・パーツの安全装置ロック解除の呪文は古代エルフ語で記述され、確かこんな風だ……黄昏に君臨するものの名を“死”と言い、セルダンこれを支配する、太陽が満ち溢れるとき百年の恋も終わりを遂げん……と。
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いつも以上に周囲に気を付け乍ら校内を巡回していた。
ここ何日間か、見られていると感じる視線が複数に増えているような気がしてならない。目的は何だ?
矢張りセルダン絡みか? しかし、もう何十万年も前の話に誰が興味を持つ?
考えられるのは“天秤の女神”か、もしくはその手の者しか居なかった。
空に気配があって見上げると、何かが空気を押し退けて結構な勢いで降りてきた。奇妙な鉄の馬……にしては低い乗り物に乗った、女にしては怒り肩の白っぽいフルプレイト・メイルに既視感があった。
つい目と鼻の先、5メートルほども離れた場所に風を巻いて降り立った人物のシルエットに、懐かしい面影を見た気がした。
豊かに波打つ明るい金髪に、何か予感めいたものを感じた。
眼鏡のようなゴーグルを外すと、十数万年恋焦がれた変転する神秘な瞳があった。
「生きていると聞いて、ここ何日間かお前の様子を窺っていた……老けたな」
悠久の時を経て、変わらぬ声音を耳にして泣けてきた。
「汝は変わらぬな……行方も分からず、死んだと聞かされていた、どうしていたのだ?」
「こうして言葉を交わせば、もっと感極まって動揺するものと思っていたが、存外冷静でいられるものだな、嘗て死なせてしまった想い人を蘇らせたくて足掻いた末に、セルダンに幽閉された……ついこの間、眠りから醒めてこの世に舞い戻って来たばかりだ」
「永い眠りの中で、お前に謝り続けたよ、男を愛するということが分からなかった人造生命の自分のせいで、人生を狂わされてしまったお前に詫び続けた」
「正可に生きて再び相見えるとは思っていなかっただけに、心躍ったものだが……」
色合いが変転する愁いを刷いた瞳を伏せて、ブリュンヒルデは言葉を一旦途切らせた。
唇を噛み締めて、何か言い淀み、言い渋る素振りを見せた。
「我等……我等の仲間に、自分達など考えも及ばない悲惨な生い立ちの者が居る……幼い頃に飢えて蛆虫や、あるいは毒草、毒虫の類いも口にしたそうだ、お蔭で毒の耐性が付いたそうだが」
「この者が人の心を読むを、得手としている」
「今のお前がセルダンの洗脳下にあるのは、知れている……もし我等の力でセルダンの強力な呪縛を反故に出来ると言ったら、お前はどうする?」
そうか……もしやすると、そういうことか、
「皆迄言うな、汝は今、女神サイドということだろう? 十万年の時を経て、汝と手前は矢張り仇同士ということか、因果なものだな」
「因果と思っているなら、敵たるセルダンとの密命、捨つるべきであろう?」
「……十何万年を、セルダンの駒として過ごした、“天秤の女神”が現臨するまでの“草”としての宿命、例え望まぬものであっても、このような永きにに渡れば己れの存在理由になってしまう、捨てられる筈もなかろう?」
「だとすれば、自分の手でお前に引導を渡すまでっ!」
言った側から溢れ出す重圧はまるで暴風のようで、嘗て過去に相対した激突など、ただの遊びだったと言わんばかりに荒れ狂った。
だが手前も安穏と十万年を過ごした訳ではない。練りに練った魔力量とテクニックは以前の比ではない。
「今こそ、因縁の闘いに決着をつけんっ! 力で捻じ伏せられると思うてくれるなよ!」
旧懐を喜び合う暇も無く、会えば打ち合いになるのは昔と毛程も変わらぬ。
だが違うのは手前の地力だ。千年に渡り蓄積した魔力の塊を呼び覚まし、即座に活性すると、核融合結束魔法を放った。
巨大な全てを蒸発させるエネルギー火球が、手前とブリュンヒルデを中心に辺り一帯を、眼を灼く光で包んだ。
一瞬、爆散する筈の核反応が斬られて消えた。抜く手は見えなかったが、確かに斬られたのが分かった。
いつの間にかブリュンヒルデが構えていたのは、何処から取り出したのか両手でホールドする肉厚で巨大な片刃の大剣……およそ斬るための機能とも思えぬ複雑な形状をしていたが、嘗ての競り合いでは一度も見たことが無いものだった。これこそがブリュンヒルデの愛刀、抗魔の利剣、バルムンクか?
ブリュンヒルデの本気、これほどのものか!
手前の全力の攻撃が、いとも易々と打ち消された。
二の手、三の手と繰り出す攻撃もことごとく相殺されてしまう。
空間振動、圧縮結界と言った究極技が難無く防がれる。
逸早く駆けつけてきた、手前が国防総省組織内に設けた秘密結社、反女神行動党のメンバーが遠巻きに見守っている。
と、見る間にブリュンヒルデの見た目が変わって行く。背中から生えている何本もの円筒は何かの砲身か? その他放電葉のようなもの、鋭い羽のような構造体、良く分からないが所々の割れ目に複雑精緻な機械が垣間見られた。
これが戦闘用アンドロイド随一と謳われたワルキューレ頭目格の、真実の姿なのか!
「自分は本来、惑星間弾道殲滅兵器として造られている」
「黙っていて悪かったが、例え柔らかそうに見えたとしても白兵戦で自分を傷付けるのは絶対不可能だ」
ブリュンヒルデは、自嘲的に苦笑いをしていた。
「だとしても、実体ある対象に暗黒系殲滅魔法の効かぬ道理はあるまい!」
両手の平を上にして、消滅闇魔法の小さな黒い球を無声詠唱で生み出して、高速で打ち出す。だが、形あるものなら何であれキャトルミューティレーション並みに消滅させる攻撃は届かなかった。
「殲滅戦の砲台として重要なことは、相手方の強力な砲撃に曝されても耐え切ることだ……無理なんだ、絶対に傷付かない、きっとお前はここから月がどのぐらい離れているのか知らないだろうが、自分の超長距離次元分解砲、プラネットバースト・ビームはこの地表から月を射抜ける」
「月を完膚無きまでに粉微塵に破壊できるのだ、あの質量では確実に地上に影響が出てしまうのでやらぬがな……」
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眩い光と轟音が響き渡り、教室の窓ガラスが粉々に砕け散って降り注ぎ、同級生の何人かは血を流していました。
騒然となって、クラスはこの世の終わりのようなパニックです。
叫び声や悲鳴、怒号や呻き声が木霊して、耳鳴りのようにうわんうわん畝っています。
気丈にも自らを奮い立たせた治癒魔術の得意な者達は、傷付いたクラスメイトの手当てを始めています。
何人かは防御結界魔術の呪文を唱えていました。
私とシャルロッテ様は何事が起ったのかと、恐々と学園校舎の中央広場に出てみて唖然としました。
中央広場はすっかり焼け爛れ、見るも無残な有様です。そこいら中が溶けて流れて沸き立ち、物凄い熱気と異臭で息もできません。一際高い中等部本校舎の時計塔が半分ほど溶け崩れてしまっています。
輻射熱で火傷する気がして、思わず顔を覆ってしまいました。
「危険だから、下がって」
誰かに呼び止められて、気が付くと給食センターの下働きだと名乗った、あの子が居ました。私達を庇うように前に進み出ると、信じられない程強力な結界を幾重にも展開し、何かとは分からない恐怖の元凶から私達を隔絶しました。見る見るうちに周囲の温度が下がっていきます。地獄の溶岩のようだった溶けたもの達が冷えて行きます……これも何かの魔法のようです。
「ジークフリートとブリュンヒルデが闘っている、多分貴方達の校長は命を落とすと思う……十万年を見事に生きた歴戦のエルフだったが、彼我の差は明らか」
女の子は、悲しそうに事実だけを告げているようでした。
言われて闘いの中心を見遣ると、確かに校長が、あのお優しかった校長が、髪を振り乱し、いつもきちんとした身なりなのに服もボロボロで、何かに取り憑かれたような形相で体格のいい女の人と対峙しています。
何人かの学校の教職員と、不思議なことに国防総省の徽章入り軍服を着込んだ軍人さん達が、遠巻きに見守っていますが、少なくない人数です。
闘いの様子も心配ですが、私達を守ってくれた女の子の姿形が変わっているのに驚きました。
いつぞやに、奇怪な目に遭って以来、食堂で偶に見かける女の子は愛らしい目許で可愛いのですが、割と平凡な印象で目立たないようにしていました。どうして気付かなかったのか、今思えば、あれは認識阻害以外の何物でもありません。
なんて高度な技術なんでしょう、本物はこんなにも気高く美しいというのに!
今の姿は、煮汁の染みが付いた薄汚れた厨房作業着ではありませんでした。
身体にぴったりとした黒い衣装に、ライト・アーマーと言うのだと思いますが、見たこともないような、あり得ない程に厳かに光る軽鎧を身に着けています。
「取り囲んでいるのは、武闘派反女神行動党とかいう組織内秘密結社の極右過激団体の連中で、ジークフリートの信奉者達だ、だが勝負の邪魔はさせない、あたし達が牽制する」
気が付くと、女の子の仲間なんでしょうか、真っ黒い鎧に黒い仮面をした女の人と、鏡のように滑らかな銀色の鎧で栗色の変な髪型の女の人が静かに佇んで、でもしっかりと相手の軍人さん達を威嚇していました。
傍から見ても物凄い威圧で、本人達は微動だにしていないのに徐々に膨らむオーラのようなものが軍人さん達を後退りさせていました。
「男と女が真剣勝負をしている、譲れぬ宿命に命を懸ける逢瀬に水を差す無粋は、このマルセルが……許しません」
悪鬼羅刹か、はたまた般若か、横顔しか見れませんでしたが直向きな怒りが栗色の髪の女性から放たれました。怖いのですが、目が離せなくなるほど綺麗な人でした。
膠着に耐えられなかった軍人さんの一人が無理矢理に前に出ようとしたのですが、般若の如き女性に一刀のもとに斬り伏せられていました。遠目ですが、凄い血飛沫が吹き上がっていました。
人が斬られて死ぬのを見たのは初めてでした。
隣で身動きする急な気配に振り向くと、友達だった筈のエルビンがシャルロッテ様を羽交い絞めにしています。エルビンの手には鈍く光る軍用ナイフが握られていました。
「ジークフリート様を害する者は、例え誰であろうと許せん!」
「無関係なものが死にゆく様を見たくなければ、僕達行動党を解放しろ!」
エルビンは、あの子に向かって要求しているようです。もう何がなんだか、分かりません。エルビンはどうしてしまったのでしょう?
「その汚い手を離して……お前が反女神行動党の細胞なのは知れている、寧ろバレていないと思っている方が不思議でしょうがない、馬鹿なのか?」
憂鬱そうな溜め息混じりで、こちらを見遣る女の子は随分離れているのに光る剣を無造作に振るってエルビン君をやっつけました。
女の子の剣は、鋼ではなく刀身が伸び縮みする光そのもので出来ていました。
エルビン君の頭が、首から離れて落ちるのを非現実的な駒落としの映像を見てるような感覚で眺めていました。
吹き上がる血潮が辺りを真っ赤に染め、私達の顔にも生温かいそれが掛かりました。
私とシャルロッテ様は、声を限りに叫び続けました。
この世は私達が思っているより、ずっと残酷なんだと知った瞬間でした。
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「させんっ!」
ジークフリートが懐中からオー・パーツを取り出す仕草に、間髪入れずカッター・ウェーブを放つ。あやまたず手首ごと切り離した剣呑なオー・パーツを牽引ビームで引き寄せる。
手の平に握り込む寸前、発生させた局部的な時限振動でオー・パーツとジークフリートの右手首を消し去った。
このオー・パーツは、転移門技術の応用で、その焦点を太陽の中心に固定している。繋がった途端、中心核の想像を絶する重気圧の熱核融合エネルギーが噴き出し、この星を致命的なまでに蹂躙する。
堪ったものではない。
「お前と出会えて良かったと思っている、さらばだ……」
別れの言葉と共に、絶対避け得ようもない面攻撃のビーム弾幕を放った。
穴だらけになったジークフリートがゆっくりと仰向けに倒れて行った。
悠久のときを経て、折角巡り合えたというのに碌に話も出来なかったばかりか、互いに抱擁することもなく殺し合った。
こんなものが恋と呼べるのかは、私には分からなかった。
気が付くと空の上に、移動用ワープ位相次元より姿を現したスキッドブラドニールの雄姿があった。ゆっくり降りて来る巨船のメイン、フォア、ミズンそれぞれのマストの大きいセールには、闘う“3人の御使い”のシンボル、竜とケルベロスと盾と乙女の紋章が掲げられていた。
科学の申し子のような自分には良く分からぬが、高位の魔導士であればあるほど、その船が信じられぬ迄に抗い難い、神の軍船であることに気付くと言う。
(今これより、ガルガハイムに巣食う不穏分子を捕縛する、逆らう者にはそれ相応の対応をすると……知るがいい)
それが船から降り注いだ神の御言葉だった。ドロシー……この傍若無人さは正しく神だな。
次々とドロシー配下の、空挺旅団の僚船が転移してきた。
「矢張り恋などするものではないな、奇態にも好いた男を二度手に掛けた……」
奇跡的にまだ息があるジークフリートを抱き起して、血で汚れた顔を拭ってやる。二度も最期を看取ることになるとは思ってもみなかった。
こうして腕の中に抱いてみると、昔と比べて意外なほど痩せたのが分かる。
ふふっ、お前、歳とって食が細くなりでもしたか?
ガルガハイム中央帝都は、未曽有の暴挙に見舞われていた。ドロシーの眷属たるスケルトン・ディビジョンと呼ばれる水銀製の髑髏空挺部隊が電光石火、都市を戒厳令下に置いたようだ。四個師団クラスの規模に、然しものガルガハイムも抵抗は出来ない。
同時に破壊された学園が修復されていくのが分かった。ドロシーが時を巻き戻しているのだろう。
タイダルやキキ殿が、どうやら気絶寸前の女子生徒達を介抱しているようだ。噦り上げがひどくて過呼吸を起こしてしまっている。
マルセルは、心配そうに傍らから私達を見守っている。
「知らない方が良かったかもしれないけれど、真実を知っておいた方が貴女達にとっても良いことだと思ったの……でも、また怖がらせちゃってご免ね」
キキ殿が女生徒に話し掛けているのを、遠くに聞いていた。
黙っていれば丸く納まる瑕疵を見過ごせない損な性格と言ってしまえばそれまでだが、同年代の学友や同性の友達に憧れてはいても、キキ殿の場合、厳しい生き方を選んでしまった分、気軽に打ち解けるのは難しいかもしれない。
でも、その点は自分もまったく一緒だ。
誰がすき好んで愛する男の命を奪いたいと思うだろう、だが愚かなまでに筋を通すことに拘った大馬鹿者で不器用な自分には、他の方法を選ぶことが出来なかった。
「ダーリン、まだそう呼んでもいいか? 今度生まれてくるときは平和で穏やかな時代が好いな……お前もそう思うだろう?」
聞こえているのかいないのか、ジークフリートを抱き締めると耳元で繰り言を囁いた。そうして長い間、腕の中の相手に話し掛けていたような気がする。
風前の灯のくせして、永きに生きたエルフの生命力は、なかなかにしぶといようだ。
マルセルが気遣ってくれるのか、ハミングで“乙女達の踊り”を歌ってくれた。キキ殿とタイダルも続いて和してくれる。繰り返されるハミングはいつしかスキャットになって、天に召されるジークフリートを讃えた。
私は歯を食いしばって忍び泣いた。
何故普通に生きて、何故普通に死ぬことが許されないのか? 自分が人造生命のホムンクルスだからなのか? 自分が人を好きになってはいけなかったのだろうか? 笑いながら暮らす畢生を望んでいけなかったのか?
殺めた自分を、お前は恨むだろうな?
あの世に行っても、許さないだろうか?
……許してくれるだろうか?
……許さないだろうか?
……許してくれるだろうか?
……許さないだろうか?
……許してくれるだろうか?
自分の啜り哭く様が、お前にも伝わるといいな……
「大丈夫か?」、いつの間にかドロシーが身近に来て我等を見下ろしていた。
「………あぁ、このまま死なせてやってくれ、これ以上人生を遣り直させるのは耐え難い」
「ドロシー、恋というのは、つらく苦しいものだな、何の為に自分は眠り続け、何の為に再びこの世に舞い戻ったのか……露ほども、分からなくなった」
「……一途ないい奴だったじゃないか、少なくともお前を十万年以上想い続けてた、十万年だぞ……切なかろうと途方に暮れようと、恋をするのは女だ、造り物の人形や機械じゃない、お前は確かに女なんだ、確かに恋をした」
「運命の悪戯さえなければ、幸せな未来もあったかもしれん」
それで慰めているつもりか、ドロシー? お前も大概に不器用だな、底無しの世渡り下手は自分以上だ。幾ら平静を装っても、声が震えているのが……バレバレだ。
「ジークフリート、敵ながら節を曲げない見上げた奴だった」
と、エリス殿の声がした途端、燃え尽きる蠟燭の芯が一瞬燃え盛るように、ジークフリートの眼が、かっと見開かれた。
エリス殿を認めると、今際のきわにたった一言いい残す。
「姫様………」
それは、“姫殿下”を意味する古代エルフ語だった。
ブリュンヒルデの恋物語の顛末を一度きちっとやっておくべきかと思ったのと、ファンタジー物で月世界への侵攻と言ったダイナミックな展開の導入部を考えていました
最近、自分の物語に没頭するあまり他作が読めません
似たようなプロットの作品が無いか、とっても気になります……どなたか似たような作品をご存じでしたら、ご連絡ください
オービター=ロケットであり宇宙船であり飛行機でもある有翼の"スペースプレーン"/地球を周回する軌道へ乗員と貨物を輸送し大気圏を滑空機のように飛行して帰還する
セネシャル=カロリング朝時代に王の食膳と下僕の統率に責任をもつ内官の長であった
軍務伯〈アール・マーシャル〉=中世以来のイギリスの官職にして国務大官のひとつ/式部長官、紋章院総裁、紋章局長官、警備長官など様々に訳される
国王政庁の秩序維持に責任を負ったために徐々にその地位が向上したが、やがて典礼・紋章院の統括を職務とするようになり後には軍事的要素が減ってそういった儀礼面が主任務となっていった
トライフル=カスタードやスポンジケーキ、フルーツなどを器のなかで層状に重ねたデザートで、「トライフル」という名称が、砂糖、生姜、ローズウォーターで風味付けされた固いクリームに対して初めて使われたのはトーマス・ドーソンにより、1596年、英国で出版された「The Good Housewife's Jewel 〈良き主婦の宝石〉」という本で紹介されたレシピである
60年後、卵を加えることとアルコールに浸したスポンジケーキの上にカスタードを乗せるようにレシピが改良された
ユーフォルビア=トウダイグサ属〈Euphorbia〉はトウダイグサ科に属する一群の植物で園芸植物などについては学名の英語風読みのユーフォルビアで呼ばれることが多い
観賞用に栽培するポインセチア、ショウジョウソウ、ハツユキソウ、ハナキリン、ミルクブッシュなどがある
ヘルメス・トリスメギストス=神秘思想・錬金術の文脈に登場する神人であり伝説的な錬金術師である/錬金術師の祖とされ、錬金術は「ヘルメスの術」とも呼ばれる
ファゴット=ダブルリード〈複簧〉族の木管楽器の1つでありバスーンとも呼ばれる/ヘ音記号音域とテナー記号音域、時にはト音記号音域で演奏する
ファゴットは19世紀に現代的な形で登場しオーケストラやコンサートバンド、室内楽作品で重要な位置を占める、その独特の音色、幅広い音域、多彩な個性、俊敏さで知られている
低音から中音部を担当し、低音域でも立ち上がりが速く、歯切れのよい持続音を出すことができる
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感想や批判もお待ちしております
私、漢字が苦手なもので誤字脱字報告もありましたらお願いします
別口でエッセイも載せましたので、ご興味のある方は一度ひやかしてみてください
短めですのでスマホで読むには最適かと……是非、通勤・通学のお供にどうぞ、一応R15です
https://ncode.syosetu.com/n9580he/





