臙脂色のジャージを修行着と称して渡されたが、ダサい服だと知ったのは随分あとになってからだった
赤道を越え、南ヒュペリオン海のアベイラ群島近くにやって来ていた。すっかり南国の陽気だが、ミツコ、……救出した人魚の名前だ、の住み暮らしていたジュール諸島もここにある。
「師匠、言ってることと、やってること違くないですか? 近代戦は船首のラム・アタックなんて使い物にならん、ぐらいにクソ味噌に批判してたのに」
「ドロシー、男はな、ときに戦果より浪漫を優先する!」
それが、巻き髭導師の譲れない生き方らしかった。
夜のうちに空を進む魔導推進のガレー船で移動し、夜明けと共に巡航速度に切り替えていた。はっきり言って、謎の推進機関だ。
登った旭日に向かって、私達は毎朝の祈りを捧げる。まるで忘れて仕舞った敬虔さを取り戻そうとするように頭にベールを被り、額突き、真剣に祈る。何処にいても変わらない。
「「「天にまします我らが大女神様、罪深き仔羊に、今日も生きることをお許し頂き、感謝いたします、バハ・スウィーン」」」
続いて、短い聖歌を和す。
今日は、オールドフィールド公国正教の賛美歌12番だ。村にいた頃、エリスが聖歌隊でよく謡っていた。
甲板に組み立てた簡易プールの中でミツコは息を吹き返し、昨晩眠りに付くまでの間、私やステラ姉、エリスと語らった。
私達は師匠の訓練を受けているので、例え未知の言語でもなんでも高速学習することが出来る。3人共既に、日常会話に不便は感じないレベルまで達していた。
上部デッキの船尾楼に艦内厨房があったので、皆で簡単な朝ごはんを拵える。
“蛮族の鉄槌号”とやらは、外見と打って変わって、衛生面に配慮されたアメニティは随分と清潔で近未来的だった。
調理室にはステンレス製の業務用冷蔵庫があり、生鮮食品が満載されている。保存食材と穀類、乾物や缶詰は専用の保管庫があった。全自動炊事施設が烹炊所仕様なので残念ながらどれも大き過ぎて、こればかりは私達が普段使っている鍋釜を収納空間のイベントリから取り出して使った。
ミツコの部族は、どうやら辮髪民族の風習を色濃く残しているらしく、いや、確かあれは髷といったか……今でも倭の国の荘園文化の血と伝統を引き継ぎ、ほぼライスが主食だという。
水中生活も長いので魚の生食や、海藻を中心の食生活のようだが、陸上生活が可能な男達が僅かながら稲作をやるらしい。
それまで米と言う穀物に殆ど馴染みが無かったのに、師匠直伝のカレー料理を試行錯誤した私達は当然ながら飯炊きも超絶得意だ。
今では専用の炊飯土鍋も幾つか所持している。
導師の図書館には料理本も腐るほどあったから、副菜の東洋風レシピもちょっとした料理人並みには得意だ。
配膳部で食器を探してみたら、実用的なメスキットのような樹脂プレートが大半だったけれど、本来カフェオレ用のボウルかと思われる、具合の良いセラミックのカップを見つけたのと、カトラリーの中に、硬い、黒檀かと思えるチョップスティックがあった。
一緒に食べられるようプールの側に食卓を据えた。金目鯛の塩焼きと炊き立ての白米に、生卵(……鑑定で調べたが、鮮度は不思議なほど折り紙付きで大丈夫だった)、味噌スープの具は茄子に吸い口として溶き辛子と茗荷を散らしてある。
残念ながら糧秣備蓄に鰹節は無かったので、代わりにお手軽インスタントの顆粒魚出汁を使っている。
急にミツコが泣き出した。
「ど、どうしたの? 何か辛いものとかあった?」
「ううぅんっ、懐かしい味だったので……合わせ味噌の味が亡くなったお祖母ちゃんのお汁に似ている」
「……ほっ、ほら、この削り節を掛けた茹でホウレン草も食べてみて、私が作ったのよ」、取り繕うようにステラ姉が自分の自信作を勧めていたが、明らかにショイソースの掛け過ぎだった。
エリスはエリスで自分が炙った海苔を突き出している。
師匠はそんな私達の遣り取りを眺めながら、朝からスタウトビールを呷って、金色の髭に付いた泡を拭い、自分で煎ったバターピーナッツを摘んでいた。
食後に緑茶と、甘蔗から研いで製糖した干菓子を出したが、ミツコも初めて口にしたらしいが気に入って貰えた。
皆んなでニコニコ笑って、落雁を食べた。
大体、和三盆糖があるのに鰹節が無いとか、どういう品揃えだよと思うが、扉を閉じると同時に時間停止の魔術が掛かるこれらの食糧庫は、師と一緒に幾多の異世界を旅している所為か、私達が見たことも聞いたことも無い食材ですら混ざっていた。出汁用乾燥昆布や乾燥若布、鱶鰭や鮑の干物、香辛料やハーブもちゃんとホールであるし、麦味噌や米麹、カピ、パラなんかの発酵食品、寒作里や柚子胡椒なんてのさえある。
だと言うのに本節だけが無いと言うのは、納得いかないぞ、師匠っ。
異世界の物も含めて、スクロールを読む為に、凡ゆる言語に精通しなければならず、師匠の言語学の座学は、発音も含めて苛烈を極めた。
多くの食材の中にはそんな私達でさえ何が書いてあるのか全然読めない、物珍しい未知のパッケージもある。
そんな時は鑑定眼の出番だ。スキルの習熟度が上がり、未知の物が何であるか教えてくれる。見て“山査子のスナック”って何だ? と思ったら、サンザシとは落葉低木の果実で、ドライフルーツで食されること多く、生薬として健胃、整腸、消化吸収の効果がある……と色々なことが分かる。
下の階層にシャワー室があると言うので確認しに行ったら、申し訳程度だが、船内仕様のバスタブがあった。ミツコもお風呂に入るかなと思って、甲板に戻って訊いてみると入ると言う。
いやじゃないと言うのでブラジャーだけはして貰っているが、どうも乳房を隠すと言う風習は無いようだ。
彼女を抱っこして船倉の階段を幾つか下り、船内昇降機を使う。
私もあまり慣れていないが、私以上にミツコは吃驚していた。
ミツコの髪の毛は、ちょっと椿油の香りがした。いい匂いだ。
中央管制室や指令室、武器格納庫、戦闘ツールの格納デッキなどもあるのだが、見ると心臓に悪いかなと思って、確認していない。
「ねぇ、何で……何でこんなに親切にしてくれるの?」、大人しく抱かれているミツコが、問い掛けてくる。
「師匠はトレジャー・ハントにミツコが必要だって言うけれど……ついでだよ、怯えている女の子をそれこそ放っておけなかったって言うか、」
「私達はね、昔、とんでもないしくじりをして大勢の人に迷惑を掛けた、今は修行中だけど、これから償いの旅に出るの」
「だからって訳じゃないけど、他人には、なるべくなら親切にしたいんだ」
バスタブに併設した洗い場で背中を流しっこしながら、身の上話などした。
ミツコは、どういう心肺機能をしているのか素潜りで水深300メートルは行けると言う。そんな深海の水圧って、どれ程のものなんだろうか?
若くしてミツコは、既に腕利きの盗掘屋らしかった。
しかし、彼女達の集落に商取引の才がある者が代々致命的に少なく、折角発掘した貴重な遺物も定期的に訪れる故買屋達に買い叩かれ、部落が潤わないのが、彼女達の長年の悩みらしい。
彼女達の部落は、総勢800人程、ニンリルと言う、あまり聞かない女神を信奉しているらしかった。
一族を守る処女神ニンリルの話をするとき、ミツコの視線が妙に熱っぽかった。
私の顔をじっと見つめながら、豊穣と海の恵みの守護女神、ニンリルが如何に慈悲深いかを問い聞かせるのだった。
年頃の女の子、というか他人と仲良くなれたのは随分と久し振りなので、くすぐったいというか、優しい気持ちになれているのが自分でも分った。
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鎮守府オケアノスから遠く離れた、大陸中央に紅巾党の流れを酌む巨大黑社會“百八黒後家蜘蛛”の中枢、七賢人の談合が行われる“頭取会”の本部がある。
オケアノスの娼館街や、彼等の出先機関である商工倶楽部、端末支部、秘密の暗殺者ギルドなどの多くが一夜にして壊滅した、と言う一種信じ難い悲報は組織の末端から中枢まで電撃となって駆け抜けた。
青天の霹靂のごとき大打撃である。
七賢人は、事実確認と報復の任を、組織子飼いのアサシン専門の者らに任じた。裏社会では舐められたままでは、組織の存続自体が脅かされる。
ただ……今、彼等の矛先が決して向けてはならない相手に対して向けられて仕舞ったのを、神の身ならぬ彼等には知る由もなかった。
多くのプロの暗殺者が、オケアノスを守護する謎の水銀髑髏の軍団に呆気なく葬られたが、ただ一組だけが、レセプションホールを破壊し、組織の資金を持ちさったらしい何者かが、夜半に外洋に向けて飛び去ったらしい痕跡を探り当てた。
彼等は夫婦者の二人組で、別々の闇保漂養成機関で幼少期を生き残り、出会って夫婦になった。幻術、妖術、神仙術をこなし、禁断のジョブ職“悪魔のアサシン”を何処からか手に入れ、その身に憑依させた。一緒になって以来、ユニット名を“ベガ&アルタイル”、所謂彦星と織姫と名乗り、超一流まで伸し上がった。
その二人が主犯格の何者かの形跡を追って、アベイラ群島を目指したのは、惨劇と強奪事件発生から一週間と立っていなかった。
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ミツコの住むジュール諸島の中心部落、グリーン・ラグーンにやって来ていた。地元の者は略して、単にラグーンと呼ぶらしい。
大きいとは聞いていたが、地元民の信仰する女神ニンリルの像が、島の集落を見守るように屹立していた。背に翼と光背を持ち、アルカイックスマイルの優しいお顔をした女神像だ。
どことなく、誰かに似ているような気がする。誰だろう?
「師匠、拙いですよっ、こんな威嚇するような船で近づいたら」
「俺達は、誘拐された部族長の娘を助けてきたんだ、何も怪しまれる筋合いはない、堂々としてればいいさ」
導師の愛艦が怪し過ぎるから、心配なんじゃないですか!
実際、3段櫂のガレー船が宙に浮いていて、舷側に大小様々な不気味な砲門を持っていて、ざっと私が目測しただけでも全長400メートル越え、総トン数30万を下らない代物で、おまけにおどろおどろしい龍の似姿を写し撮ったラムを此れ見よがしに突き出しているなんて、異世界からの侵略を一番に疑うのが、真っ当な神経だと思う。
現に、下では大変な騒ぎになっているらしかった。
やがて、師匠は最初から予定していたのか、ミツコの姿を大きく、凄く大きく、空に投影し、ミツコの声を拡声して、下に居る家族に向かって届けた。
不思議な人達に助け出され、帰って来ることが出来たこと。
親切な人達に送って貰って、感謝していること。
捕らえられても、商品扱いで、貞操は無事だったこと、など掻い摘んで、ミツコは部落の同族に訴えた。
最後のは、多分幼馴染みの婚約者が居ると言っていたから、おそらくその者に向けたメッセージなのだろう。
貞操を守れなかったどころか、快楽に溺れ、孕んで、堕胎までした情けないド畜生駄目女の馬鹿な過去を持つ私、ステラ姉、エリスにとっては、徹頭徹尾自業自得なのだが、何か羨ましくもあり、ちょっとだけ妬ましかった。
巨大なニンリルの女神像の足許に、へばり付くようにしてある神殿前の、鎮魂広場に降りて来ていた。
マングローブの幹と板根にすっかり覆われた石造りの神殿は、苔むし、過ぎ去った星霜の月日を思わせ、漂う線香の煙と多くの燈明や、堂内近くの幾つかの篝火が無ければ、擦り減った石段といい、まるでただの廃墟のようだった。
初めて知ったが、彼ら彼女らの種族は、メールとフィメールで凄く形態が違う。女性は、ミツコのようにマーメイドの姿態なのだが、男性は、何だろう、半魚人という程でもないけど、体表の多くが銀色めいた魚鱗で包まれていた。
南洋の土着民が赤銅色に陽焼けしたイメージを想像していたので、その点は、ちょっとしたギャップだった。
頭は脱色したような灰色の髪をチョン髷に結っている。鼻は低く、眼球が盛り上がっているというか、両目の間隔が開いていて、所謂、魚顔だ。大変不躾で失礼な話だが、愛嬌があるというか、まっ、……間抜け面に見えてしまうのは、私だけだろうか? (ゴメンなさい!)
手指の間には柔軟な水掻きがあって、銛や突きん棒、農耕のときの鍬を握るのに不便じゃないかと思ったが、そうでもないらしい。
何より、二足歩行が出来る。
南洋諸島の気候では着の身着のまま、殆どの男共が褌姿だったが、異様に発達した足鰭でぺたぺた歩く様は、色々な獣人、亜人の集落や疎開地を見知ってる私達にもちょっと珍しくて、目が離せなくなる違和感があった。
「頭を上げてください! そんなに大したことしてませんから」
実際にはミツコを助けるついでに、大きな街ひとつ蹂躙し捲ったのだが、あまりにも畏ったミツコの一族郎党に、ちょっとどころか大いに辟易していた。
私達は人に頭を下げられる程、上等なものじゃない。
アル中だったステラ姉の酒代を稼ぐ為に、多くの不潔な男共に抱かれて乱暴に突かれる性欲の塊りに際限無く喘いだのも、ついこの間のことだ。
本当は誰にでも股を開く、とんだ淫乱女なのだ。
島暮らしの海洋民族らしく、葦船のようなカヌーで外洋に漕ぎ出し、投網漁も小舟でこなす。何故なら水中でも呼吸出来る彼等は溺れるということが無いからで、おかげで漁船の船舶技術は発達しなかったらしい。
半農半漁の彼等は汽水域に暮らし、村中の生活域には至るところ縦横無尽に運河や水溝が這わされ、白漆喰や板塀の質素な家屋の中まで引き込まれていた。それぞれの古民家には魔除けの朱瓦が葺かれた農家らしい母屋の他に、穀物を保存する高倉や、家畜の為の納屋、家族が集う屋根付きの団欒用の池まであって、それらが重厚な石灰岩の石垣に囲まれている。
多くの水路も石灰岩で出来ていて、女達はここを行き来していた。
月に三度の安息日には、部族総出で水路の清掃にあたるのが、島での昔からの慣習らしかった。
分家、宗家、別家、本家と一族が参集すると、ほぼ集落の者全員が集まってるのでは、と思える程の人数なのだが、女性は広場の真ん中にあり水路が集まる湧水の御手洗池に集まっている。部族の集会所だ。
ミツコは母親や、近しい親戚の女達と再開の抱擁を交わしていた。
「むっ、村が襲われ、攫われた娘を探そうにも、よっ、世捨て人同然の我等には何の伝手とて無く、なかば諦めておりました」、部族を統率し代表する長が声を詰まらせ、噎び泣きながらも謝意を表そうと感極まっていた。
ミツコの父親、タカサゴ・ナナイチロウならびに親戚一同が、娘であり、一族の巫女役たるミツコの恩人に礼を尽くそうとするのは分かるのだが、揃って地べたに正座するのはやめて欲しい。
その晩は、村総出で歓待の宴になり、豚を何頭か潰したらしいのだが、却って申し訳なかった。
清酒を勧められたが、使われている酒器……貧乏徳利もぐい吞みも見事な白磁製で、惚れ々々するほど素晴らしかった。
土も釉薬も地元で採れるらしく、少し山の中に幾つか窯元があるらしい。
宴会料理は素朴ながら、バナナの葉に盛られたココナッツミルクで煮込んだ魚介のカレー料理や、牛骨スープにパクチーを散らした米の麺料理などで、もっと出汁文化の繊細な料理を想像していたが、思ったより南国風だった。
海蛇の燻製を昆布や豆腐と煮たものや、豚の耳を蒸した料理も物珍しく、美味しく堪能させて頂いた。
「それにしてもドロシー様は、我らの女神ニンリルに面影が似ておられる、初めて拝顔した折は、女神様が降臨したと、震えがきましたぞ……」
「えっ、あたし? あたしはそんな大層なもんじゃないよっ」
「いえいえ、言い伝えによりますと我らが女神ニンリルは、収蔵の神ハイアと、大麦の女神ヌンバルシェグヌの娘にして、瑠璃色の瞳と透明感のある金髪で、鼻筋通り、小さな顎の美女……ドロシー様、貴女様に生き写しです」
「いやいやいやっ、本っとおぉぉっに、あたしなんかを引き合いに出しちゃ、罰が当たりますって、屑だし、ほら、雑でしょ!」、ステラ姉とエリスが普通の娘らしく横座りしてるのに、私だけ胡坐をかいているのを示す。
「言い伝えによりますと、聖典に記されているニンリル様も野趣溢れる男勝りのお方だったとか……」
もう、それ以上、純朴そうな初対面の人には私達クズ女の正体を明かす勇気も無く、黙って、白い顎髭を扱く族長の満足そうな笑顔を見ているしかなかった。
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彼らが所蔵し、嘗てここいら一帯の覇者として君臨したときの名残り、深海探査艇が曳航された地底のドックにやって来ていた。
神殿の中に、高床式の本宮があり松明に照らされていた。
裏手に回ると、南洋を縄張りにしていたアベイラ水軍の出自から秘匿された、耐圧式の深海潜航艇2隻の停まる地下埠頭に繋がる。
自然の洞窟を下へと降りて行くと、そのまま島の下をくぐって外海へと出れる鍾乳洞の地底湖になっていた。
ドックには補修用の架台やクレーンも併設されていて、良くメンテナンス技術が踏襲されているようだったが、如何せん耐圧ハニカム構造の特殊鋼板などは入手不可能になっていて、残念ながら以前のフル装備状態は段々と維持出来なくなっているということだった。
「何と! “黄金の舟”伝説が御所望ですか?」
「あぁ、ニンリルの加護に守られた、眠れる“黄金の御船”は確実にここ、アベイラ群島の海域に沈んでいる」
導師は発条の様に丸まった髭を弄りながら自分達の本来の目的を告げる。
「嘗て栄えた先史文明、偉大なるヒュペリオン大聖国の守護神なるモノは、ここより南西に900マイル以内に悠久の年月を眠っている、やはりあなた方の地を訪れて正解だった、今ならほぼ正確にあなた方の生まれ故郷から引き継がれた伝承も再現出来るだろう」
導師には、人の記憶や物の記憶、地霊の記憶を読み取り遡り、ごく僅かなヒントでも、殆ど真実に近い推測を立てる能力がある。
師匠が、所属機関の特殊任務に必要だからと、自ら研鑽し鍛え上げられた推理能力はほぼ100パーセント正鵠を射抜き、間違わない。
「訊かせてくれるか? タコサゴ一族に伝わる伝承を」
「……よろしいでしょう、幾世の真実を見抜くお方、ニンリル神の生まれ変わりとも思われるドロシー様と出会えたことも、何かの縁、我らが水棲肢体になってまで、何を守り通してきたのか、お聴かせしましょう」
昔々、渡ってきた移民船が丸い大地に降り立ち、栄えた。今からおよそ200万年前の話だ。人々は産まれ、広がり、やがて彼等の国を創る。
ヒュペリオンを名乗る人々は、文明社会の隆盛を極め、ニンリルという女神を崇めて理想国家を築いていった。
いつからか自然回帰派とテクノロジー信奉派が主導権を争う政争が長い間続いたが、結論は出ないまま、激しい地軸変動の影響で、突然何の前触れも無く、彼等の大地は一晩で海中に没した。
ごく僅かに逃げおおせた者は、退化して、今の人類の礎になり、逃げ出した使役獣は魔族へと進化した。
崩れ行く大陸のごく狭量な部分が隆起し、島として新たな陸地を形成した。
各地方都市の大神殿に建立された女神像の一体が、自ら天変地異を凌ぎ切り、救い出せた人々と島に流れ着いた。救われた人々は、自然回帰派が中心となり、後のアベイラ水軍の祖先として海洋民族の人生を生きた。
女神像は、人々を見守るが、真の主が失われていく長い歴史の中で、いつしか自ら眠りについた。
直系の子孫は過酷で文明の利器が失われて行く環境に合わせて、水中生活が出来る迄に進化して行った。
始祖の時代、移住して来るときの移民船の大多数は失われて仕舞ったが、大地が瓦解して仕舞う前まで、嘗て長き旅の間に船団を率いた“黄金の御座船”なる稀有な存在は、国のシンボル、偉大なる祖先の偉業を讃える慰霊碑として、大いなる祝福を約束されたヒュペリオン大聖国の象徴として大切に保管されていたが、国が沈むのと一緒に、大地と共に海に呑み込まれた。
以来、行方は杳として知れなかった。
「タカサゴの本家が伝承を引き継いでいく習わしになっておりますが、儂の曾々祖父さんの代に、見つけましたのじゃ……」
「黄金に光り輝き、要塞と見紛うばかりの巨体を誇ったとされる、超弩級戦艦“ニンリルの翼”、それと思われる水没した遺構を」
それは、不思議な邂逅だったらしい。目覚めの時を待つ大いなる遺産が、大聖国民族の血を色濃く引く者を呼び寄せるのだろうか?
魚影を追って嘗て無い迄に遠出をして仕舞った漁の途中で、嵐に晒された島の若者が迷い海に嵌って抜け出せなくなった。
その場所は海図に無く、潮流が打つかり合う狭間、複雑な渦が発生して遭難して仕舞う。そんな海域だった。
大洋漁師だけでなく、大抵の船乗りにとっての鬼門、魔の迷い海に捕らわれた若い漁師は、呼び寄せられるようにしてその地点に行き、呼び寄せられるようにして潜り、そして沈んでいる何かを見つけた。
まだ使用可能だった高性能潜水服を持ってしても、到底耐えられない深度だったにもかかわらずだ。
「あまりにも巨体過ぎる船は、我等の力では到底サルベージも叶わず、見ての通り、我等の潜航艇は遠洋航海が出来る状態ではありませぬ、道案内は出来るでしょうが、今は深海にお連れする手段が御座いません」
「……問題無い、あなた達の内、誰かが付いて来て呉れれば……場所さえ教えて貰えれば、後は何とかなる」
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グリーン・ラグーンは数日、喧々諤々と揺れていた。
先祖の宝、先祖の魂が眠るかもしれない聖域を何処の誰かも分からぬ部外者に公開してもいいものか?
長老会議が終日行われるが、結局纏まらないので、私達は空に停泊したガレー船で体術の稽古などをしていた。
身体が鈍らないよう、沖で水術をやってみたが、途中からミツコ達と素潜りの競争をするようになった。
身体強化と、要は周りの水圧と自分の体内圧が同じになるよう調節してやればよい。後は瞬動、天駆、理力推進、なんでも御座れで、より早く潜水出来る方法を探していく。エリスが一番早かった。
次に、私、ステラ姉だ。あまり夢中になって、軽く潜水病になり掛けた。
いつの間にか庇を貸して、母屋を取られた形のミツコ達が雪辱するというので、数日そんな日が続いた。
「もう、すっかり適わなくなったね、私と、従妹のヨシエが、この村じゃ一番の潜り手だったのに……」
今日は、宴のあった日に紹介されたミツコの婚約者、ホンゴウも一緒だ。
ホンゴウは、例の潜水艇の修繕ドックで、主任メカニックの助手をしている。
非番の日は、こうやって泳ぎに来るのだとか……、娯楽の少ない島の生活にも、こうした若者の楽しみ方はあるらしかった。
まだ若いホンゴウの髪の毛は、強い陽射しに因る傷みも少なく濃い灰色で銀杏髷に結髪されていた。おそらくは、これがいなせなのだろう。魚顔は変わらないけれど、少しだけ精悍な顔付きだ。きっと彼等の中ではハンサムなのだろう。
ミツコ、男は誠実なのが一番、顔なんて二の次だよって、心の中で呼び掛けてみるけれど、実際のところはどうなのか、怖くて訊いてみることが出来ない。
彼の誠実さはミツコが攫われた後、逆上して一人で身柄を取り戻しに行くと息巻いたことからも、察することが出来る。
結局、それは叶わなかったけれど、三日三晩泣き通したらしい。
そんな彼の、ミツコが戻ったときの喜びは想像に余りあるが、現にホンゴウは、私達の足に取り縋って感謝しようとした程だった。
薄めのポリマー・ネオプレーンのウェットスーツを着込んで素肌を隠したエリスが、無遠慮に二人に話し掛ける。
刺青のような全身の呪紋は流石に見られたくないらしい。
「ここの風習が婚前交渉を認めているかは知らないけれど、貴方達には健全なお付き合いをして欲しい、晴れて一緒になれたら、病める時富める時、互いに相手を裏切ることなく、末永くお互いの愛を育んで欲しい」、何か親戚の口煩い叔母さんみたいなことを言いだす。
無表情で話し掛けるエリスに、二人はそれと分かる程、赤くなっていた。
多分、この二人なら大丈夫だろう。私達のように運命に翻弄されること無く、平凡でもいいから、掛け替えのない人生を生きて欲しい。
心から、そう願うばかりだ。
私達のように、10年以上を一緒に過ごした相手を取り返しの付かない遣り方で裏切り、絶望の淵に沈めて仕舞うことの無いよう。
あぁ、ソラン、貴方は挫けて立ち上がれなくなってはいないだろうか?
人間不信になって閉じ籠ったりしていないだろうか?
それだけ非道い仕打ちを受けたら、私ならおかしくならずにいられただろうか?
今でも思い出すと、狂おしくて胸を掻き毟りたくなる。
もし、ソランが私を殺して別の幸せを手に入れたいと願うなら、私はソランの手で殺されることを迷わず選ぶだろう、彼に対してはそれだけの手酷い裏切りをしたのだから……こんな、こんな思いは、知り合って間もないミツコにも、他の誰かにも、して欲しくはなかった。
千日会議の様相を呈してきた長老会は、ラグーンだけではなく近隣の島々からも各々の代表がやって来ていた。
埒が明かないので、師匠が直接説得するため乗り込むという。
物凄く心配なので付いて行くことにした。
「いいことを教えよう、ここグリーン・ラグーンにある大きなニンリル像、あれは今は休止状態だが実態は巨大な環境改善システムのインフラ建築マシーンだ、しかも知能を持っている」
爆弾発言に、眉唾な長老達を翻弄し、いつものようにオーラを伴う威を振り撒きながら尊大に振舞う師匠の語る有り得ない内容は、強力な言霊となっていつものように沢山の人々を引き付ける。
「いわば巨大な建機のようなもの、しかも自ら意思決定し、自ら何が正しいか判断しようとする高度AIを持っている」
「これを目覚めさせることが出来れば、あなた方の村にちょっとした産業革命をもたらすことが出来る、しかも完全なエネルギー循環型のエコロジカルなタイプでだ……、そればかりか、あなた方、タカサゴ一族の係累に繋がるものを守護し、治安と外敵からの防御も担うだろう」
「実質的な、女神の加護だ」
「……それが、本当なら喜ばしい限りですが、本来、私共はニンリルを崇め奉る存在、多くは望んでおりません、ただニンリル様のご意思に包まれて生きることが出来るのなら、正に僥倖」、言うと部族長ナナイチロウは、私の方を伏し拝むような所作をした。
それまで気が付かなかった他の集落の長老達が必然的に、私の存在に注目する。私の容貌に釘付けになる。
「ウオオオオォォォーーーッ、女神様の再来じゃああああっ!」、そこに居るニンリル神への信仰篤き者達すべてが一同に、怒号のような震えを以って驚嘆し、一瞬にして平伏し、祈りを捧げ出す。
こうなることを前以って予測出来なかった間抜けな私を罵りつつ、どうしたらこの場から逃げ出せるか、どうしたら他人の空似と理解して貰えるのか、そんなことばかりがグルグルと頭の中を駆け巡っていた。
明日(もう、今日ですね)も仕事です
今、会社でISO外部審査の準備をしているので大変です
明日こそマネジメントレビューをまとめないと!
いやあ、この頃の私は右も左も分からず日常の雑感を書き綴ることが多かったですね……読者の皆様にはどうでもいい内容が多くて、反省してます(2024年01月)
吸い口=汁物料理に用いられるつけあわせ、薬味のことで香頭とも呼ばれる/香りと風味を与え生臭い匂いを消す作用や見た目を美しくすることによって食欲をそそる働きがある/また木の芽のような葉物を浮かべることで、熱い汁物を一気に飲むことで火傷をしないようにする効用もあり、一般に木の芽や柚子皮等
落雁=米や豆、蕎麦、栗などから作った澱粉質の粉に水飴や砂糖を混ぜて着色し、型に押して固めて乾燥させた“打ちもの”と呼ばれる干菓子
和三盆糖=主に香川県や徳島県で伝統的に生産されている砂糖の一種で和菓子などによく使用され、産地や製法によってその見た目や風味が大きく異なり、その差は和三盆糖に含まれる糖蜜の量による/産業化以前にはたいへん貴重であった美麗な色、細やかな粒子、口溶けの良さや後に引かないすっきりとした甘さが特徴的である/讃岐和三盆と阿波和三盆ではその工程数や製法などの違いから、それぞれ和三盆糖に含まれる糖蜜の抜け具合が異なっており、それは見た目の白さや口にした際の糖蜜の風味などに違いが現れている/5回以上「研ぎ」と「分蜜」を行うことでより白くしていると言われるが、讃岐和三盆は、「讃岐三白」と呼ばれる香川の特産品のひとつとなっている/こうして出来上がった和三盆糖は粉砂糖に近いきめ細やかさを持ち、甘さがくどくなく後味がよいため、和菓子の高級材料として使用される/また口溶けのよさと風味のよい甘さから、和三盆そのものを固めただけの菓子が存在し、干菓子の代表格となるほどである
寒作里=唐辛子味噌の一種で調味料や薬味として使われる辛味調味料のひとつ/唐辛子の別名から南蛮味噌とも呼ばれる/かんずりとして知られる調味料は主に新潟県で秋に塩漬けされた唐辛子を雪上に撒いて晒し、塩抜き・灰汁抜きを行う/この工程で尖った辛みが抜け甘みが増すので、回収し井戸水で洗浄し、元仕込みの工程に入る/雪に晒した唐辛子・黄柚子・米糀・塩を混ぜ合わせ熟成・醗酵期間に入る
貧乏徳利=長めの口をつけた円筒形の陶器の徳利で 酒屋で1升以下の酒を売るときに用いた、 備前産よりも粗製である備後徳利からの称ともいう
マングローブ=熱帯および亜熱帯地域の河口汽水域の塩性湿地にて植物群落や森林を形成する常緑の高木や低木の総称/漢訳した日本語で「紅樹」といった場合、オヒルギまたは、オヒルギなどヒルギ科の常緑樹あるいはマングローブの構成種全般を指す
銀杏髷=月代を剃り、髻を作って頭頂部に向けて折り返しその先を銀杏の葉のように広げたもので身分や職業によって結い方に特徴がある
ウェットスーツ=スクーバダイビング、スキンダイビング、スノーケリング、サーフィン、ウィンドサーフィン 、ヨット、水上オートバイ などのウォータースポーツ、あるいは水中土木、レスキュー・サルベージ、海上建築物上での作業などの職業的な水中・水上活動において着用される保護スーツのうちスーツ内部に水が浸入するタイプのものをいう/内部に気泡を含むクロロプレンゴム製の生地から出来ている身体に密着する衣服であり、生地の厚みは通常2〜7mmで厚いものほど保温性に優れるが、その反面運動性は制限され、かつ浮力が大きくなってダイビングにおいてはより多量のウェイトが必要となる
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