27.白猪竜(バイズーロン)と黑猪竜(ヘイズーロン):前編
家憑きの妖精シルキーは、絹の服を好んで着るので近くを通るとシュルシュルと絹のすれるような音を立てる。
なので、“絹の服を着る人”と呼ばれ、有能で真面目、大概が美貌の持ち主でもあり、炊事洗濯はもとより、掃除片付け、果ては暖炉の火入れや屋敷の見回りを行い、望まれざる侵入者を防ぐ。
特に家のシルキーは家政婦としての伝説を作ると思う。
古来からの伝承による東洋系、漢民族系の寓話に9本の尻尾を持つ千年狐狸精の話がある。
青丘山の中程に巣食う牝の妖狐は九尾狐と呼ばれ、ふさふさの雪のように白い尾が9本もあり、瑞獣として崇められていた。
牡が浮気をしていると思い込んで、試してみることにした。
死んだ振りをして動かなくなると、牡は自分の穴蔵に引き篭もってしまった。
古狐が死んだと知れ渡ると後釜に座りたいと望む獣が、何匹も嫁入りにと訪れた。
最初の求婚者は、鑿歯といって寿華の野に棲み、長さ5尺の鑿のように長い牙を持っていたが、尻尾が1本しかないことを理由に追い返された。
それからも四霊が一角の応竜や、窮奇、饕餮などの求婚者がやってはきたが、いずれも2本、3本の尻尾なので追い返された。
最後にやってきたのが嘗ての伴侶と同じ白い幻獣で、9本の尾があった。
牡は牝を受け入れ、妻帯する気になった。
いざ結婚式を執り行う段になって死んだ筈の女狐が動き出し、牡を巣穴から叩き出してしまった。
牡は黒い猪竜だった。
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「半端じゃねえっ、通り過ぎた後には蕺草すら生えない、こんな完璧な大量殺戮は話にも聞いたことはねえなっ!」
見届け役として同道した“金獅子クルセイダーズ”のリーダーは、驀進する魔物討伐の模様を伝えるに曰く、あまりにも真剣一途で真っ直ぐなその戦い振りは、脇目も振らずにただ一心不乱、魔を屠る阿修羅の両眼には冷徹ながら狂気の如き強い意志の光が見て取れた。情け容赦は無く、滅すると決めたら唯ひたすら無慈悲に滅し尽くす。滅却の跡には何も残らない。
ここから始まるあまりにもあまりな暴虐振りは、リーダーの協会への報告と共に後の世に言い伝えを残すことになる。すなわち褪めたる忿怒神、“一心不乱の狂戦士”と。
「違うよ、良く見て、ステラ様の持ってるスタッフ……あれは、ユグドラシルの根のひとつ、ウルズの泉に至る一本から削り出されたとされる伝説の“ウルザブルン”、最強最高の浄化と癒し、至高の加護を齎らす……学生だった頃、魔術原典で見たことがある、多分この地を再生するために、一度全てを無に帰してるんだと思う」
「ど、どうでもいいけど、この従魔、乗り手を選ぶわ、ちょっと気を抜いたら振り落とされそうよ!」
ライカンスロープの女が悲鳴を上げていた。
私達の進軍速度について来れない彼等のために、成獣となったジャンピング・スパイダー“フリィ”、私ドロシーの従魔となった韋駄天の如く駆け抜ける移動特化の疾走獣、影に棲まう眷属の多足昆虫系獣魔を貸し出していた。
彼等4人を背に乗せて充分に余裕がある。
シャグランダムールの冒険者ギルド帝国中央協会長、ハバネラ・バーンスタインの願いを聞き届け、西ゴート帝国は北東山稜に連なるインターザクセン区のプリッツヴァルト三山にあるとされる、“クミホの北壁”を目指していた。
結局、勝敗の行方は有耶無耶になってしまったが、私の出色の出来だった怪演が齎らした明確なビジョンは、何人かの冒険者達が今の貞操観念を見つめ直す……と言えば口幅ったいのだが、それぞれ自分達の生き方を見つめ直すきっかけぐらいにはなっただろうか?
そうであることを願う。
歌わない器楽のみのライブ・メッセージだが、淡々とした軽やかな旋律から滲む狂おしいまでに深く果てない悲しみと決意を、聴く者の魂に伝えることができただろうか?
身の程知らずかも知れないが、そうであったら良いなと思う。
義憤の復讐神、断罪の女神ネメシスは何故私達を断頭台に送らなかったのだろうか?
魅了催淫の術中から醒める醒めないは別にして、行き着く先はどちらも筆舌に尽くし難い悲劇だった。
醒めれば現実との落差で気が狂いそうになり、醒めなかった場合は一生嬲られる姿を世間に晒し続ける羽目になる。
あの時、勇者に見染められなければ、勇者に付き従って村を出なければなどと思ってみても全ては後の祭り、詮無きことだ。
弱かった。呆気なく下劣な罠に落ちる程に、あまりにも私達の魂と自我は弱かった。
リセットのしようが無い間違いだらけの人生を後悔する切なさと、愛しているのに身を引くしか道の思い浮かばない運命、実らぬ初恋というにはあまりにも過酷で惨過ぎる不義密通、そんなことは金輪際あり得ないが、例えソランが許したとしても、悪夢から醒めれば正気の沙汰とも思えない悪逆非道この上ない裏切りを犯した自分達を自分達自身が許せないことへのジレンマ、これから歩む贖罪の冥府魔道、それら総てへの想いを音にして演奏した。
それは祈りであり、覚悟の断末魔であり、伝説の終焉かも知れなかったし、あるいは決死行を生き残った者が再び突き落とされる悲劇かも知れなかった。
それは迷いではなく、哀れみでもなく、余分な夾雑物を全て削ぎ落とし、研ぎ澄まされ、蒸留され純化された悲しみそのものだった。
吹き終わった瞬間に私はひとりの女に、戦神でも阿修羅でも、死神でもない、ただの女に戻れていた。
人心掌握がしたい訳ではなかった。ただ、少しは心動かされて欲しいものだった。
饒舌なのも押し付けがましいのも好きではないが、何かのきっかけ程度には誰かの背中を押せたら良いなと思った。
一期一会の接点かも知れなかった。それでも聴く者の魂魄に刻み込む、受け入れ難い完全なる破局に叩き落とされた真っ暗闇の奈落の底と、無様に足掻いてそこから這い上がり一筋の希望に縋らんとする私達の心からの叫び……それが、伝わることを願った。
独りよがりの身贔屓だったが、私のアルト・サックスにはそれだけの価値があると思いたかった。
ハバネラは最初から敵うとは思っていなかったらしく、何も言わずに無条件で副賞の栗羊羹一年分を約束してくれた。ただ貰うのも気が引けたので、代わりにギルドのお蔵入り焦げ付き案件をひとつ引き受けると共に、道すがらの魔族と魔物の討伐をしていた。
歌姫ハバネラは大変に恐縮していたが、引っ掻き回すだけ引っ掻き回して立ち去るのは外聞が悪いので、快く引き受けたのだ。
水楢と銀ポプラ、橅の森が、いつしか白檜曽を中心とした針葉樹林帯に変わった。徐々に山陵へと分け入るが、進行速度は落とさない。
「このコミュニティに人間の捕虜の影は無い、焼き尽くすぞ!」
私の影に棲む従属魔の“火喰い魔鳥ガルーダ”20頭、全てを呼び出して、渓流沿いに認めた天然の懸崖要塞、オーガの大集落を丸焼きにし、消し炭と変えるのにものの数分と要しない。完全にオーバーキルだった。
山肌が溶けていた。川は干上がり、谷は熱気の上昇気流が止まない。だが長年の瘴気は一瞬にして浄化する。
例え来世があったとしても、何度生まれ変わったとしても、心が卑しい私は不殺生戒を守れそうもない。
私にできるのは殺して、殺して、殺して、殺しまくるだけだ。
殺しに禁忌を持ってはいけない。躊躇わず断固として圧倒的に殺し切れ……そう教わっている。
ただし殺しを楽しんではいけない、そうも教わっている。
この身はすでに修羅神と共にある。
「人間領に有って二百頭近い巣は、そこそこでかいか……まずまずだな、人質を気にしなくていいのが良い、ゴブリンなどの巣穴はともすると子袋として攫われてきた痛ましい女達が居たりするからな」
事実、幾つかのゴブリンの巣で救出した女達は著しく健康を害しているというか、乱雑に扱われて肉体を損傷している者がほとんどだったが、部位欠損だろうが何だろうが健常体への修復と健康・体力回復は問題なくスムーズに行えるのだが、心のケアにはちょっと時間が足りなかった。
信用できる精神施術院に面倒を見てくれるよう伝言を託し、水銀魔術で造り出したマンティコアとスケルトンを護衛に、ハバネラの許に送り届けた。
ほんのちょっとだけカウンセリングしたが、修道女だったり、異種族の元冒険者だったり、農家の奥さんだったりと色々の立場があったが、幸いかどうかは別として最初の相手がゴブリンではなかったが、命を繋いだ分強く生きて貰いたい。
実際、すでに事切れて生体復活しようにも、どうにも手の施しようが無い死体も沢山あった。
大体、自ら望んで身体を開いていない分、私等よりは数等倍増しな筈だ。その一点に於いて、彼女等は女の尊厳を立派に守り通したと言えるだろう。
心は病んでいたが、死んで花実は咲くものかと諭し、保険に直通のホットラインを持たせた。
ステラ姉が陰陽術の生霊口寄せの秘跡を護符に封じたものだ。どうしようもなく辛くなった時に、私達を呼べと言ってある。
カウンセリング上、多弁による慰めはマイナスだ。必要なときに必要なだけ手を差し伸べるのが最も望ましい。
折角拾った大切な命、無闇と散らして欲しくはなかった。
「次に行くぞっ、西に60キロでトロールの部落がある!」
「……ドロシー、もう陽も暮れるし、明日は目的地に着くわ、今日はほどほどにしておきましょうよ」
「あぁ、悪い、ステラ姉、熱くなり過ぎた、アドレナリン増幅のスイッチを切り忘れていたかも……」
冷静なつもりだが、魔族殲滅にのめり込み過ぎてしまったようだ。ステラ姉の状況判断が、この場合正しい。
夢中になると他が目に入らなくなるのは、悪い癖だ。
我等は不眠不休、夜間を通してぶっ通しで進軍できるがキキには休みが必要だし、何より見届け役として同道したA級ライセンスは如何な冒険者とは言え普通の人間だった。
是非、後学のためと随伴を押し付けられた形だったがギルド協会からは今後の活動のためにと冒険者ギルドのライセンスまで熨斗付きで進呈されてしまった……まっ、役に立つからいいんだけど最高位のライセンスはSSSの特選級身分保証であり、黒い聖魔道錬金術カードはそれ自体が貴重な聖呪具で、野蛮な我等には過ぎたるものだった。
「よし、少し早いが野営にしよう」
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「お母さん達は鍛えてるから、どんなに寒空でも雪解けの岩清水でもへっちゃらなんだって」
「へぇええっ、お嬢ちゃんは?」
長いクエスト縦走だと、身体の清拭がままならない。渓谷の川筋にキャンプ地を定めたが、人様より頑健な身体だがさすがに今の季節に水浴をする自信は無い。
遣って遣れないことはないが、覚悟が要る。
私達の魔術の精度では入浴と同程度のクリーンは得られなかった。
我慢出来ないほどじゃないが、旅の度に毎回悩ましい。
私はピアッシング・ローリー、仲間内ではピアスと呼ばれるライカンスロープの冒険者だ。ライカンスロープの体臭は、分泌に獣脂が混ざる分、人より臭い易い。
男によっては生臭くてイヤらしい匂いだという奴もいるが、私はあまり好きでは無い。
「あたしはまだ身体強化は習いだしたばかりだから無理、この間ようやっとゲノム解析や意思に依る体細胞再生メカニズムの体現に成功したばかり」
「……???、なっ、何、それ?」
「自分の身体を修復する能力を学んでるところなの……あぁ、でもあたしは冷たいお水も、一瞬にして沸騰させることもできるから、やろうと思えば川をお風呂にすることもできるよ」
「うっ、嘘だよね……」
「……ほんとだよ、やって見せる?」
「いや、いや、いや、疑ってごめん、うんっ、信じたから」
ギルド協会長ハバネラ様直々に、“クミホの北壁”に眠る九尾の白狐を鎮めんと赴く“3人の御使い”様の、名誉ある見届け役とお手伝いを仰せつかった。
手伝いと言っても、ドロシー様方の高ステータスチームの中にあっては、何か手出し出来る余地は全くと言っていい程皆無だった。
御使い様の進軍にはAランカーの私達はおろか、おそらく特Sランクのパーティでも足手纏いにしかならない。
にもかかわらず、ドロシー様方は何くれとなく細々としたことにお心を砕いてくださった。
初日に、私達のテント設営をご覧になったステラ様が、予備があるからと異世界製のテントを譲ってくださった。
シュラフと呼ばれる寝具やフォームパッドという敷き物……野宿当たり前の私達にしてみれば、過ぎた贅沢だったが、燃料供給が難しいだろうからと焚火用の丈夫なスキレットやコッヘル類、等々あれやこれや大量に夜営道具を貰ってしまった。
その上私達のメンバーに収納魔術の容量が不足しているのを見抜かれたステラ様は、さらに収納力無尽蔵かと思える貴重なアーティファクトだろう異空間ポーチを気前良く下げ渡されたが、それは噂に聞くホテル・ナンシーの武具店で扱っている品だとおっしゃった。
快適な軽い布地の天幕は、丈夫で機能的で清潔そうだったが、組み立てるのにちょっとコツが要る。物覚えの悪い私達が、数回やっても上手くいかない。
キキと名乗る御使い様と一緒にいる女の子に、毎回手伝って貰っている。
「このペグっていう楔、物凄い神力を感じるんだけど、ほんとに聖遺物じゃないの?」
「うんっ、お母さん達が造ったの」
女の子が手持ちの小型ハンマーで打ち込むたびに、地面に複雑な魔法陣が浮き出ては土の中に浸透していった。
「ドロシー様は、見ている間にも次から次に極大爆炎魔術や殲滅級雷撃魔術を雨霰のように連発されていた、しかも良く判らないが闇系の吸引魔法、聖属性の溶融魔法と超高等魔術を同時に複数発現されていた、あれらは本来ならかなり長い詠唱を必要とする、不思議だ、一体どうやっているんだ?」
うちの旦那のコナンが、色々と規格外の御使い様達への疑問を口にする。うちらのパーティ全員が思っていたことだ。
「キキ、知らなかったけどね、お母さん達のは超高速詠唱って技術で、長~い長韻詠唱を、一音に詰めることが出来るんだって、普通にやってたから、お母さん達しか出来ないって知らなかった」
「君も凄いね、ドロシー様方の移動速度に短距離転位で付いていけてる、あの転移は見たことのないものだけど……」
「あぁ、あれはテレポーテーションって言って、キキしか出来ないの、超能力っていうんだよ」
「天から君を守るように降ってくる奇っ怪な光線も、その超能力って奴なの?」
「それはキキのリストバンドの守護神機能だよ、地表から2000kmの低軌道を自由落下や離心率に影響されず周回しているステルス型人工衛星」
「なっ、何なの、それ?」
この子のいうことは、所々理解が追い付かない。
「う~ん、簡単にいうとお星様かな? この間、どんなになってるのか知りたくて初めて見に行ったんだけど、すんごく大きくて複雑な機械なの、お城のように大きいんだよっ!」
「でも8割方は永久動力機関と2次、3次の緊急動力炉や無限蓄電槽、自動修復機構なんだって……」
「それよりピアスお姉さん、あったかい温水シャワーのキットあるよ、使うなら準備するけど?」
「いえっ、いいよ、悪いから……」
「風呂か? 風呂に入りたいのか?」
「い、いえ、我慢できないほどではありません、要らぬ愚痴を申しました」、いつの間にか背後にドロシー様が佇んで居られた。
「ホテル・ナンシーは別のところで営業中だし、簡易浴槽を準備出来ないことも無いが……いっそのこと家に来るか?」
「ふぇっ? ……えっええええええええっ!!!!!」
御使い様達のお宅ですかあああっ!
……折角設営した夜営の準備は、早々と撤収することになった。
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夢を見ていると思った。
転送陣で連れてこられたのは、“3人の御使い”様達の空前絶後の規模を誇る居城だった。
限界を超えた衝撃は人を茫然自失させる。私達4人は、等しく開いた口が塞がらなかった。
夜間照明に照らされた壮麗な都は何処までも果て無く摩天楼が林立するかに思われ、星空に彩られた建物全てが白金色に輝いていた。
何処の王城広場や皇宮天壇も及ばない広壮な、微動だにしない大地と見紛う程の石塊ひとつ無い広場は、驚くことに空に浮かぶ巨大な船の甲板だという。
その城塞都市は信じられないことに、高度10000から14000メートルを保って対空しているのだとも説明された。
明滅し、サーチライトがゆっくりと交差する夜間照明に照らし出されたランドスケープは巨大な構造体を持ち、想像を絶する大きさと広がりで、確かに夜の雲海の上を幻想的に漂っているのが、舷側近くを通る時に見て取れた。
「ようこそ、我が家へ」
瀟酒なマイホームと呼ばわれる割には大きな館に思われたが、暖かめの色にライトアップされた前庭を抜け、ご自宅の玄関ポーチに案内されると、エリス様がドアを開けて招き入れられた。
複雑な意匠の黒いアイアン飾りに鎧われたドアは、チリンチリンと鳴るドアベルに迎えられて、いらっしゃいませといざなわれているかのようだった。
無人のようだが眩しいまでに煌々と照明された玄関ホールには、大きな腰高の金襴手の壺に薔薇、百合、霞草、カラーなどがこんもりと生けられていた。
誰が手入れされているのか不思議に思ったが、ノッケン属のシルキーがハウスキーピングを補佐してもいるが、根本は留守の間は時間が凍結されるとのことだった。
私はティア・イスライール、今はリンティアと名乗り、Aランクパーティ“金獅子クルセイダーズ”の魔法職のポストを担当している。
先日の4人のドロシー様の手になる演奏に深く感銘していた。そして深く打ちのめされた。
あれから思うところがあり、私は私の半生を見つめ直している。
誇れる性癖でもなかったが、初めて私はあさましい己れの貞操観念を恥じた。
「ゲストルームに案内する、装備は鎧掛けかバゲージラックを使って……あと部屋にあるものは自由に使って良いから」
「荷を解いたらお風呂に連れて行ってあげるけど、男女は別々、好意で泊めてあげるんだから私達の家でスケベ丸出しだったり、サカったりしたらお仕置きだよ」
エリス様が硬い表情のまま、苦虫を噛み潰すが如き塩対応で釘を刺すようなことを告げられた。
「そう目くじらを立てるな、風呂好きに悪人は居ないし、所詮この世は火宅、若い身空で煩悩を捨てろというのは無理があるだろう……とは言え、彼等だって礼節は守るさ」
ドロシー様が取り成してくださった。
「滅相もありません、いつぞやは恥多き過去をお訊きかせしましたが、お供をしている間は劣情を……いえ夫婦ごとを控えようと仲間とも相談いたしました」
エリス様は無表情のまま頷かれると、手振りで示して私達を珈琲テーブルに座らせた。
見事な螺鈿細工と、金漆、黒い漆のツートーンで仕上げられた異国風の工芸品然とした卓は、見たこともないほど豪奢なものだった。
畏れ多いことにドロシー様が手ずから珈琲碗を運ばれてきた。
「カプチーノといって、異世界のコーヒーだ、家のは業務用エスプレッソ・マシーンで淹れてるから、本格的なアロマを味わえる」
「このフロランタンという菓子は、クッキーにアーモンドスライスを嫌ってほど敷き詰めてキャラメルフィリングをコーティングしたのを再び焼き上げたものだ、あたしのお手製だが、良かったら口を付けてくれ」
お風呂を借りに来た筈なのに、私達のような端々の者には過ぎた、文字通り雲の上のような持て成しだった。
決して大袈裟ではなく、ただの一杯の珈琲の筈なのに、生まれて初めて味わうような至福が有った。
やがて通された客間だろうか、深紅のキルティング天鵞絨に覆われた天蓋付き寝台が2箇所にある部屋は単なる寝室ではなく、居間があり、書架があり、カードゲームやチェスのための遊戯台、良く判らないピカピカと忙しなく多彩に光るおかしな物……後で訊くとジュークボックス、ピンボールマシーンとやらいう物だったが、異国のサルタンでさえ所蔵出来ないと思える程の、緻密な段通やシルクカバーのクッション、毛皮のラグが幾重にも敷き詰められていた。
この部屋を私とピアスが使って良いという。
「一番近いトイレと洗面所は廊下の突き当たり、洗面所の歯ブラシやドライヤー、乳液や洗顔石鹸は自由に使って良いって、後で水洗トイレの使い方なんかを教えてあげるね」
キキと呼ばれる少女が、何くれとなく面倒を見てくれる。
「えっとぉ、この音声端末がハンズフリーのホームコントローラーね……テレビ」
壁に掛かった大きくて四角い魔導鏡が、何の前触れもなく突然何かを映し出す。見たことも無い現実味を帯びた映像は、手で触れるかと錯覚する程リアルで、くっきりしていた。
「見たい番組を言えば、テレビの方で勝手にチャンネルをサーチングしてくれるから試してみて」
おぉ、 そうか! これが噂に聞くテレビという奴か! 眉唾の与太話かと思っていたが、本当にあったんだ!
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「俺は、戦士はストイックであるべきだと思っている」
先に風呂に案内されたソーンダイクと俺は、ジャクジーと呼ばれる大きな浴槽に浸かっている。
青を基調とした微細な彩陶タイルに覆われ、観葉植物の噎せるような緑の匂いに覆われた浴室は、立ち昇る湯気が天井の換気口に吸い込まれ、見上げる天窓の星空を霞ませることはない。何処の王族ですらこれほど贅沢な風呂は持っていないだろう。
「究極のアバロン島に殿堂入りするほど鍛えれば、武人の肉欲はなくなると思うか?」
「……分からん、分からんが御使い様方にしてみれば、交尾に狂う俺達なぞウジ虫程度に思われているのではないか? どうも、そんな気がしてならない」
ソーンダイクは自虐的な苦笑いと共に、そう洩らした。
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寛げるようにと貸し与えられたニット地のような部屋着に、シルクのガウンが豪勢過ぎてどうにも落ち着かない。
キッチンの横に連なるガラスでできたダイニングテーブルで晩餐を囲む御使い様達のお相伴に預かっていた。2つほど豪華な銀の燭台が灯され、高価そうな蝋燭の炎が静かに凪いでいる。
吊るされた照明も何の明かりか分からないが、食事のプレートを照らすように計算されているらしい。
ごくざっかけないモノしか出せぬとおっしゃられる割には、王侯貴族も口にしないであろう数々の料理が出され、ドロシー様手ずからの調理により手際良く供される皿に恐縮していると、今日は招かれた主賓なのだから気にせずとも良いと窘められた。
「あたしはね、生まれ変わったら料理人になるのが夢なんだ」
そう言われるドロシー様の手になる料理の数々は天上人の口にするかと思われる金銀宝石にも等しい味わいで、決して大袈裟ではなく私達は行儀作法などそっちのけで端たなくも、大口を開けて下品にがっついてしまった。
海亀のスープは、ホテル・ナンシーの主たるダイニングで出されるもののオリジナルだという。
アンティパスタは山海の珍味に、タリアテッレに唐墨という鰡の卵巣をほぐしたものを絡めたもの、鶉肉や雉子肉のロースト、河豚とかいう魚の唐揚げ、すっぽんとかいうものと松茸というきのこを炊き合わせた清し汁は漆塗りのカップで出された。
本来、箸というカトラリーで食べるものだが使えないだろうと小さめのフォークが添えられた。スープは直接カップに口を付けて飲んで良いらしい。
「そんなことを考えていたのか、あたし等をどう見ているか知らないが、普通に性欲ぐらいあるさ」
リーダーの不躾な質問に、料理の手を止めてドロシー様が答えられた。陣取った機能的なキッチンは、何も彼もご自分で設計されたと説明されていた。
「食事の後にカルバドスを出してあげるから、その時にね」
そう言われると、またドロシー様は鍋の火加減に向き直られた。
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「そうか、割と有名な話かと思っていたがシェスタ王国から外にはあまり伝わっていないのだな」
食後の濃い珈琲や強めの食後酒を喫する部屋に移って、ゲスト用に用意された葉巻やパイプを嗜む亭主共へ、ドロシー様は身の上を語られるのだった。
シェスタ王国の召喚勇者が死んだ話は伝わっていたが、従者達が肉欲ハーレムの虜になっていたのは知らなかった。
御使い様方は5年の月日をド外道セックスに捉われて、故郷に置いてきた幼馴染みを捨てて恥知らずな情欲に狂った挙句、誰の子種とも知らぬ妊娠に堕胎した悲惨な過去を等しく持たれているのだと、知らされた。
「あたしはね、故郷の蜜柑農家でソランと一緒になって一生を終えられればそれで良かった、それ以上は望んではいなかったんだ……」
クズ勇者に人生を狂わされ、クズの死後、喪失した加護故に王宮を放逐され、何処に行っても石礫に歓迎される王国を逃げ惑った。
ターニングポイントになる鬼師匠との出会いがあり、性欲のコントロールを学ぶ、と言うより度を越したシゴキに身体が疼く前に悲鳴を上げていたらしい。
実際、悦楽の絶頂よりも死戦を超えた先の頂点で視る景色の方が何倍も感動的だったのだとか……
因果とか、宿業とか、何か訳の分からない血筋でこの要塞戦艦を手に入れ、魑魅魍魎の類いの眷属に取り憑かれ、おそらく現勢力では異世界へと去った自分達の師匠を除けば、驕ってはいないが世界最強だろうと豪語された。
数日の殺戮振りを見せられた後では素直に納得した。
だが、裏切ってしまった幼馴染みに会う勇気が出ないでいる。
そんな悩める感受性を持つ、一人の罪深い姦通女が私の本質なのだと、ドロシー様は告白されるのだった。
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中華歴紀元前1100年頃、イン王朝末期に最後の皇帝の寵妃だった妲己が姜子牙、後に太公望呂尚として知られるシュウの軍事顧問に斬首されてからも、私は三代に渡って主家に仕えた。
シュウの歴史改竄は過酷を極めた。周辺諸国をまとめるため、討ち取ったインを悪役にしておけば懐柔し易いという理由からだけ、我が主家は貶められた。
沙丘において酒をそそいで池とし、肉を掛けて林とし、男女を裸にして互いに追いかけさせ、長夜の飲をなした……という事実はない。
すべて後世の作り話であり、シュウの情報操作だった。
また油を塗り熱せられた金属の丸太を渡らせる炮烙の刑、人体を切り刻み細切れにして塩漬けにし、血縁に食させる晡醢の刑を施行したのは商王であり、妲己は一言も助言していない。
蘇妲己と主従の契約を結んだのは、彼女がまだ有蘇氏で嫁入り前の行儀見習いをしている頃だった。
まだ幼い彼女を乗せて、よく野山を駆け巡ったものだ。
私の毛並みが好きだと彼女は言ってくれた。
当時、古代ヒュペリオンの生き残りから派生した人類親和派の異能獣梁山泊を統べていた女媧の命を受け野に下った私と、私の番いの黑猪竜はちょっとした諍いから袂を分かっていた。
猪竜は雌雄一対で、初めて真価を発揮する。陽の気と、陰の気が互いを干渉し合って無限の力を引き出す。
しかし女媧の託宣によれば、真に仕えるべき“御使い”は、悠久の果てに巡り合うという。私は、ただ座して待つのは嫌だった。
当代で、ヒュペリオンの指導者の血を濃く引き継ぐものであれば、仕えてみようと思うのはいけないことだろうか?
この点に於いて、私のパートナーは考えを異にしていた。仕えるべき主人を見誤って、二心を持つなというのが彼の者の価値観だった。
血気に逸る私は、聴く耳を持たなかった。
早く誰かに仕えたかった。
放浪の末に、ニンリルの系譜に連なる妲己という少女を見つけた時は、もう限界だった。命を受け女媧の許を去って、300年の月日が過ぎていた。
私は白い猪竜、神獣としてこの世に生を受け、主人と共に世を平定する運命に生きるもの……9本の尾を持つが故に、九尾狐と呼び習わされた。
早くもスランプです 生意気にも筆が進みません
最近は一話10000字前後になってしまってますが、ここまで遣っても何故か話に盛り上がりを作れません
ただダラダラとしょうもない拙文を綴ってしまいます
本当はジェットコースターのような目まぐるしい展開を目指しているのに、とんでも荒唐無稽なお話にリアリティーを演出したくて枝葉を肉付けした結果、淡々とした印象になってしまいました
鑿歯=中国に伝わる伝説上の怪物で寿華の野〈古代中国南方の湿原地帯〉に棲んでいたといわれる/寿華の地で次々に人を襲っていたが、堯の命を受けた羿〈げい〉によって退治された
応竜=中国の古書「山海経」の中にあらわれる怪物、竜であり、四霊の一種とされる/帝王である黄帝に直属していた竜で4本足で蝙蝠ないし鷹のような翼があり、足には3本の指がある、天地を行き来することができ、また水を蓄えて雨を降らせる能力があり、黄帝と蚩尤が争った時は嵐を起こして黄帝の軍の応援をした
「述異記」には、「泥水で育った蝮は五百年にして蛟〈雨竜〉となり、蛟は千年にして竜となり、竜は五百年にして角竜となり、角竜は千年にして応竜になり、年老いた応竜は黄竜と呼ばれる」とある
窮奇=中国最古の地理書「山海経」では「西山経」四の巻で、ハリネズミの毛が生えた牛で、邽山〈けいざん〉という山に住み、イヌのような鳴き声をあげ人間を食べるものと説明しているが、「海内北経」では人食いの翼をもった虎で、人間を頭から食べると説明している/五帝の一人である少昊の不肖の息子の霊が邽山に留まってこの怪物になったともいう
善人を害するという伝承がある反面、宮廷でおこなわれた大儺〈たいな〉の行事に登場する十二獣〈災厄などを食べてくれる12匹の野獣……十二神とも呼ばれる〉の中にも窮奇という名の獣がおり、悪を喰い亡ぼす存在として語られている
饕餮=体は牛か羊で曲がった角、虎の牙、人の爪、人の顔などを持つが、饕餮の「饕」は財産を貪る、「餮」は食物を貪るの意である……何でも食べる猛獣というイメージから転じて、魔を喰らう、という考えが生まれ後代には魔除けの意味を持つようになった/殷代から周代にかけて饕餮文〈とうてつもん〉と呼ばれる模様が青銅器や玉器の修飾に部分的に用いられるたが、この頃の王は神の意思を人間に伝える者として君臨していたので、その地位を広く知らしめ神を畏敬させることで民を従わせる為に、祭事の道具であるこのような器具に饕餮文を入れたものとされる/良渚文化の玉琮には、饕餮文のすぐ下に王の顔が彫られたものも出土している
猪竜=初期の竜の造形物には「猪竜/玉猪竜〈zhūlóng〉」と呼ばれるデザインが見られたが、後年にシルクロードの開拓に伴ってギリシャ神話におけるケートスの伝承が東洋に伝わり、竜やマカラのデザインに影響を受けたという意見もある/中国の竜は伝統的に、水、降雨、台風、洪水を制御する、強力で縁起の良い力を象徴しており、
9の数は中国で天の数とされ、中国の竜は頻繁に9の数に関連づけられる、例えば中国の竜は通常、9つの特徴から説明され、9つの形態を持ち、竜生九子をもうけた理由でもある
中国には「九龍」と呼ばれる場所が数多くあり、最も有名なのは香港の九龍であり、ベトナムではメコン川の一部が Cửu Long〈クーロン〉として知られ、これも同じ意味である
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