24.弾丸列車に乗ってディーバに絡まれる
大陸の東へと物資を運ぶ大動脈流、アルメリアン鉄道の路線に、富豪や高級官僚、王侯貴族を乗せて運ぶシャグランダムール急行が走っている。
17両編成で、食堂車は3箇所もあり、びっくりしたことに、食後にアルコールを嗜むバー・カーも含めドレスコードがある。
炭鉱の街や貴族の高原避暑地などを経由して、アルメリアン鉄道はツンドラ地帯を貫き、西ゴート帝国を東へとごく緩く爆走していた。
帝立鉄道御自慢の二連蒸気機関車だが、所詮鉄道会社が言ってるだけで速度的には大したことはない。
西ゴートはシルベスタン・ジルベールの“イフリート拝火教”を一掃し(悪いが、何のために信仰しているのか全く分からなかったが)、後顧の憂いを取り除き切ったと判断した私達は、一路東を目指すことにした。
2万年もの間、伴侶を寝取られた恨みで魔王を滅ぼそうと生き長らえたイフリート……その心意気に応えてやれなくて済まなかったが、復活すればしたで間違いなく悲惨な傍迷惑になるので、御霊には永遠に眠って頂いた。
途中の村々をつぶさに見て歩こうかとも思ったが、シルベスタンを下山すると、有名なアルメリア・西ゴート帝国鉄道の西の起点、ボンバルエ・コロナ駅があった。
私達もまだ、鉄道列車の旅というのを経験したことは無かったが、伴う一粒種のキキに、一度は御大臣旅を経験させてあげたかった。
動力機関は大したことなくても、客車の車軸と板バネ機構には摩擦係数を操作し緩衝する魔術が施されているという。
さぞや乗り心地は良いのだろうと思いきや、いざ乗って見ると然程のことはなかった。
私達と旅をするということは、平民で一般の学童達が学校に通うような生活は望めないということだ。
当然そこで体験できる、友達との交際を通じて学ぶ情操教育面で不安が残る。
学業の面では、何処だろうとお構いなしに毎日決まった時間に出張してくるナンシーという超優秀な家庭教師がいるのだが、友達を作るといった環境を与えようもないという点において、この子が少し不憫だった。
元より旅の露と消える覚悟の私達だが、この子の行末を見定める迄は死ねなくなった。先のことは分からないが、この先、旅の潮目が変わることはあるのだろうか?
車窓に流れる景色に、眼下に渓流を望む峡谷や糸杉の美しい田園地帯を走る分にはキキも興奮して齧り付いていたが、ツンドラの平原が延々と続く車中泊3日目の昼には飽きてしまった。
子供は飽き易い。ボンバルエ駅構内のキオスクで購入したモノクロの絵葉書や歌留多などにもすぐ飽きてしまい、ホテル・ナンシーで買い与えたぬいぐるみやフルカラーの図鑑、お伽話の絵本などで一緒に遊んだり、読んで聞かせたりして過ごす時間が増えていった。
子供は散らかす。ルーメット・タイプ(可変式寝台車両)のコンパートメントのテーブルの上には食べ散らかした袋菓子のスナックや、ジュースの瓶、ゲーム機や、さっきまでテレビ番組を見ていたタブレット、読み掛けの絵本などが、所狭しと散乱している。
「キキ、少しは片付けなさい、片付けたら一緒にトランプしてあげるから」
「えっ、本当? やったあっ」
こういうのは、本人が自発的に動くようにしないと駄目だ。
トランプに釣られたキキは、現金にもいそいそとテーブルの上を片付け始めた。
ホテル・ナンシーの売店で購入して私達も初めて知ったが、このトランプという異世界のカードゲームは、私達の世界のものに比べて遥かに奥が深い。
数字という概念、抽象化という概念で完成されている分、多用途なカード遊技が開発されている。
最もポピュラーなのは、オールド・メイドといって、互いにジョーカーと呼ばれるワイルドカードを押し付け合う遊びだが、眼の良いキキが私達の瞳に映ったカードを読み取るのに対抗して、逆に幻影を見せたりと、本来のカードテクニックとは関係ないところで高度な心理戦を展開していた。
因みに週一で通う要塞戦艦ナンシーに用意された実験訓練施設で、最近目覚めた透視能力さえも、この子は駆使してくる。
正々堂々とルールを守れとは教えていない。
外法、禁術何でもあり、卑怯な手を使ってもいいから、何が何でも生き残れという教えに反しないよう、ズルはありだった。
キキは、シルベスタン一帯の少数民族に残された伝統の民族衣装、色鮮やかな刺繍のある前掛けと背帯が特徴的な服を、ここのところ好んで着ていた。
彼女なりに、自分のルーツへの想いがあるのだろう。
地元の女神教西ゴート派の大司教は、“3人の御使い”を迎えるにあたり、緊張のあまり聖職者帽を取り落としたらしいので却って気の毒なことをしたが、この子の来歴を調べた結果、実際の歳が7歳と分かり、シルベスタンの風習に従って“紐解き”の神事を、聖マーガレット礼拝堂で祝福して貰った。
以来、このときに仕立て屋を呼んで誂えた、父親の出身だったユンガ族の衣装を着ることが多くなる。
エリスの希望通り髪を伸ばしたキキは、良く私達に強請って編み込んで貰うことも多くなったが、サイド編みなどにするのは主にステラ姉の役だった。
「あぁっ、ステラ母さん、ズルい」
「うふふっ、キキは動体視力のフェイントに弱いわねぇ」
「ぷうーっ」
引く方、引かせる方、共に一瞬の目眩しと寸動と言う技法でカード札を押し付けたり、すり替えたり虚々実々の駆け引きをしているのだが、子供相手でも手を抜かない無慈悲な私達に掛かっては、どうもキキに部が悪い。
だが、こてんぱんに遣り込められても、懲りずに立ち向かってくるところは、この子の美点だ。
「さあさあ、今日の夕飯は食堂車を8時に予約した、そろそろ支度して」
「はぁ〜いっ」
キキは素直に自分の荷物を腕輪の異空間収納の予備区画に仕舞うと(食べ掛けのドライフルーツやピスタチオナッツは密封シールの袋に入れ替えさせて)、蔓草の磨り硝子模様と沈金で縁取られた工芸硝子の嵌まったドアに手をかけた。
この採光用のドア、夜間就寝時はシェードのような折り畳みのガラリ鎧戸を下ろすと廊下コーチからの目隠しになる。
最初の内は、ホテル・ナンシーのケータリングサービスの店、デリカテッセンやグローサリーから、スープ、デザート付きのディナーパックやランチパックを取り寄せていたが、それも飽きて車内ダイニングを利用し出した。
実は、大陸横断弾丸列車、シャグランダムール急行の三等車両は乗客の煮炊きが許されているらしい。
しかし、私達が選んだのは洗面とシャワー室付きの特等コンパートメント、車掌に内緒でガソリンコンロを使っていたら、後で注意されてしまった。
次からはまやかしの魔術で誤魔化すことにしたが、さすがに高級コンパートメントで料理までするのは憚られた。せいぜいカップ麺のお湯を沸かすぐらいだ。
時折回ってくるワゴンの車内販売は、パスタランチやパンとコーヒー程度は売ってくれるが、いずれも味は期待できない。
その代わり私達の世界にはジャンクフードは無く、キキに与える乾燥ナッツ類やクッキーなどの焼き菓子に有害な添加物は混入されていないので、安心して購入できた。
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糊の利いた清潔なテーブルクロスが折り目正しく斜交いに二重に掛けられた、少々狭いが四人用のテーブルに案内された。もう陽は落ちている。
テーブルごとにセッティングされた真鍮製の卓上ランプは、どうやら瓦斯燈のようだが高価な意匠だった。
「あ〜ら、奥様、この頃の帝都ではアンゴラ猫をペットにするのがステータスになってますのよ、ご存知でした?」
(ほら、こうだよ、こう、フォークの背を上にして、エレガントに口まで運ぶ、角度はやや上向きで、あぁ、そんなに大きく切ったら、口に入らないってば……)
「こちらの鱒のムニエル、上品なお味ですこと、西ゴート鉄道はペトレン湖産のものを仕入れてるって聞きましたわ」
(キキちゃん、エリス母さんのを見て真似してみて、他人の動きを盗み取るトレースの仕方は昨日教えたでしょ?)
隣でエリスが見本を示す。どうもこの子は、テーブル・マナーというか行儀作法が身に付かない。
周囲には認識疎外で田舎者の貴婦人達の旅に見せ掛けているが、内心では魚料理の段になって、かちゃかちゃ音を立てるキキに気が気ではなかった。
最近、ようやっとスープは音を立てずに啜れる、いや服めるようになった。
子供は興味の無いことは中々身に付かないとは、よく言った。
手の掛からなかったマクダネル君と違って、この子の行儀の躾には苦労しそうだ。
帝都シャグランダムールに着くまでに、女の子のカーテシィを形だけでもと思っていたが、無理っぽいな……
(ドロシー……)
(うん、気が付いてる……ステラ姉)
暫く前に給水塔のある転轍所に仮停車すると、炭水車に補給する間に一両の軍用車両が連結され、アルメリアン鉄道“極北の流星”号は僅かに揺れた。
何か車内で臨検が始まっている気配だが、軍隊ではない。
やがて食堂車にも入ってきたのは、制服姿の警邏隊ではなく沙門のような修行僧の格好の二人、混濁色に染められた粗末な法衣を纏ってはいるが明らかに筋骨隆々たる無手の僧兵を二人従えた、見目麗しい三十絡みの女性だった。
良く熟成した麦の穂のような明るい茶色の髪に、トパーズのような淡褐色の瞳をしている。少しだけ黄色人種の血が混ざったような肌の色で、全体的に色素の薄い顔付きだが、却ってそれが神秘的だった。
彫りの深い造作をしている。
ひとつひとつテーブルを回る女性は、深緑に豪華な錦糸の縫い取りのあるフード付きローブを羽織っており、中は何か異国の巫女装束のような格好で金蘭格子模様の幅広の帯を締め、孔雀柄のゆったりしたシャルバーのようなシルエットで足首で結ばれる光沢あるトラウザーズを穿いていた。
あの鞣革で裏打ちされた天鵞絨のローブは確か冒険者ギルド連合の高位者が身に付けるもの、とすれば、大陸に数名しかいない歌唱魔法の使い手、歌姫ハバネラ・バーンスタイン、その人である可能性が高かった。
何故なら、彼の人は西ゴート冒険者ギルド協会の協会長を兼ねていたからだ。
私達の世界でいうディーバとは、単なる歌い手ではない。
歌詞に言霊を乗せて、強力な超常現象を発現する特殊な魔術師のことだ。極めてその存在は少なく、貴重な詠唱魔法の使い手、担い手だった。
そして大抵のディーバの操る魔術は、破格な程の威力があった。
「うちの家長様ったら、領地運営に忙しくって、とんと子作りには疎いんですのよ、もう嫌になってしまいますわ」
「あらあら、それはいけませんねぇ、大事な跡取りを授かるのも領主の務め、今度良い精力剤をお教えしましょう」
(ちょっと、話題選んでよっ、ステラ姉!)
彼女らが近付いて来るのに、適当にかしましくお喋りに興じている風を装い、不自然にならぬようトーンダウンする。
やがて一行は私達のテーブルの前に立ち、一部の新聞を示した。
「お食事中のところ、お邪魔して申し訳ありません、ちょっと人を探しておりましてご協力をお願いします、私達はシャグランダムール冒険者ギルド協会の者です」
示されたのは、デイリー・ツーリストの“魔王城陥落特集号”だった。ちょっと、まだこんな古い新聞、出回ってるのかよ?
で、それがどうした? 私達の反応を見ているのか?
「“3人の御使い”と称する女性の三人組について、何かご存知ありませんか?」
「……いいえ、存じ上げませんけど、犯罪者か何かですか?」
歌姫は、質問しながらも私達に向けて探査の魔術の糸をそれとなく挿れて来るが、残念ながら完璧な偽装を拵えている私達の認識疎外は並大抵なことでは見破れない。人格、生い立ち、全てのものを用意している。
薄々歌姫の正体を感じ取っている表層心理まで演じて見せた。
逆に探査の糸を手繰って相手の心を読み取るが、バレないよう微弱に抑えたので、“3人の御使い”に対する漠然とした対抗心があるとだけしか、分からなかった。
「いえ、犯罪者ではありませんが、重要参考人です……お手間を取らせました」、余程自らの感知探査技術に自信があるのか、欺かれていることも知らず、通り一辺倒で離れて行こうとした。
「ピロリンッ」と、最悪なタイミングで間抜けな効果音が鳴った。
おそらくキキが、ポータブル・ゲームの電源を入れっ放しにしてレベルアップか何かやっていたのだろう。
案の定、歌姫達は振り向いていた。
「食事中は、スイッチを切って置きなさいって言ったでしょう?」
「ご、御免なさい……」
ステラ姉が母親役を代表して、やんわり注意を与えていた。
言わずもがな、この世界にポータブル・ゲーム機などあり得ない。
ホテル・ナンシーの宿泊客が買っていったとしても、イレギュラー中のイレギュラーだろう。
忘却の魔術で、この場は遣り過ごせるかもしれないが、さてどうするか?
(チッ、迷う程でもないか、仕方ないな……)
(ドロシー、キキの前で舌打ちはやめて頂戴)
(わ、わかってるよ、ステラ姉……、キキ、良い子は絶対真似しちゃ駄目だよ)
歌姫一行三名を選択して認識疎外を解放した。彼女達だけには真の姿を曝け出す。彼女達は身動きできない迄に、衝撃を受けていた。
その他大勢の垢抜けない田舎者丸出しの貴族夫人達だった筈が、一瞬で多大なオーラを発する偉丈夫も顔負けな戦神に変身していたのだから、然もありなん。
相手を竦ませるのに、ほんのちょっとだけ本気を出した。
(何故手前共をお探しなのか、とんと見当も付かぬが、あたし達はただの旅行者に過ぎぬ、巡礼の真似事をしている流浪の民に等しい)
(すまないが、ハバネラ・バーンスタイン殿とお見受けする……間違いありませぬかな? だとすれば、帝都シャグランダムールに到着次第、必ずや冒険者ギルド協会本部に出頭すると約定するゆえ、ここは退いては貰えまいか?)
(狭い客車で面倒を起こしたくないだけで、逃げも隠れもしない、戦士に二言はない……金打しても良いが、鍔鳴りする差し料を持たぬゆえ、許されよ)
敵意が無いことを示すため、両手をテーブルの上に揃えた。
(退いては貰えまいか?)
意識的に威圧を放射すると、ディーバは感電したように細かく痙攣していた。見開かれた両眼は眼球が飛び出しそうだった。明らかに平常を失って、オロオロと顔面蒼白になる。
だが、腐っても西ゴート冒険者ギルド協会を代表する者、かろうじて返答だけはした。
「しょ、承知しました、本部でお待ちしましょう、こちらの委細はその際に……」
「不意打ちのようで申し訳なかった……無礼の段、お詫びする」
謝意のつもりに軽く彼女達に黙礼した。
ハバネラ一行は、見るも気の毒なほど萎れて、こちらの気当たりに意気消沈し、すごすごと引き揚げていった。
気のせいか彼女の顳顬に、ひとしずく冷や汗が流れているようにさえ思えた。
時を止めてのやり取りは、文字通り一瞬だった。
田舎の貴婦人連は、しょうもないお喋りを再開する。
「ところで奥様、先程の精力剤ですけど、膃肭臍の睾丸の良いところをお分けできましてよ」
(あっちゃぁ、何この話題続けてんのぉっ、あたしのバカ、墓穴掘ってどうすんのよ!)
(それはそれとして、キキはスイッチを切っておかなかったペナルティとして部屋に戻ったらカーテシィの特訓を開始)
(えぇっ!、あたし、挨拶は普通のお辞儀がいいな……)
(この世界の儀礼は、女性はカーテシィと決まっている、普段からする必要はないが、何処に出しても恥ずかしくない礼儀作法を覚えて貰わなければ、亡くなった君のご両親に代わり君を養育するあたし達の、責任が果たせない)
(礼儀とは、相手を敬う心映えを形にしたもの……食事は、美味しく頂くため、恵みに感謝して頂戴する、それを形にしたものが作法であり、マナーだ)
(信仰にも通じるが、普段の暮らしの中にあって親を敬い、先祖の霊を敬い、女神様を崇め、日々の糧に万謝する)
(君には、それが少し足りない)
いつになく忌憚のない意見に、キキは少々面食らっているようだ。
貧しく荒んだ窃盗団での虐げられた暮らしを経て、やっと手に入れた屈託ない子供に相応しい笑顔……本当はそれさえあれば、他に何も要らなかった。
想像を絶するといった言葉さえ生温く響く、最早陰惨といっても過言ではない人でなしの師の仕打ちを生き残り、人を酷たらしく殺める試金石にさえ、生涯を戦場で駆け抜ける職業軍人の何倍をも手に掛けた私達だからこそ、分かっていて当たり前……歳幼くして過酷な運命を生き抜いたこの子には、癒され、愛される権利がある。
その伝でいくと死神と同義な血塗られた私達と一緒に居るのは、果たしてこの子にとっていいことなのか、どうか……せめて唄って踊れる、心優しい死神のつもりではいる。
いずれにしても、こうして旅に出れば今のように人との関わり合いは避けられない。
ましてや、私等の贖いの旅に追従すれば、何処で高貴な方々と対面しなければならない場面に遭遇するやも知れず、品の良い淑女のカーテシィが出来なければ嗤われるかもしれない。
(キキ、ドロシー母さんはね、あなたの良い母親になろうとして必死なのよ、以前に比べれば人前でお尻を掻いたり、鼻糞をほじることも随分少なくなったわ)
(スッ、スッテラ姉ええぇぇぇぇっ、それ、庇ってないから! 褒めてないからぁ!)
やめでええぇぇっ、幾ら訓練でウンコ漏らしたあたしだからって、一応譲れない矜持と母親の威厳を保ちたいっていう面子はあるんだよおおぉぉぉっ。
(……あたし、ドロシーお母様のように強くなりたいの、カーテシィや行儀見習いが必要なら、頑張ります)
(!……)
どうした心境の変化だったろうか、もっと子供らしく我儘で良かったし、反抗期で親に逆らっても良かったが、キキは真剣な眼差しで、自らの宿命と摂理について覚悟を決めているかのような、直向きな顔付きだった。
(どんなスパルタでもいいです、強くなれるんだったら……もし、あたしがカーテシィを上手にできるようになったら、その代わりにあたしを鍛えてください)
まだ幼く、その不幸な生い立ちから母親の愛に飢えていた。
歳の割には充分過ぎるほど汚いものも見てきた筈だ。
この子は生涯を掛ける生き方をこれと決めるには、まだ余りにも小さ過ぎ、幼な過ぎる。
来し方、行く末、決めるのはもう少し先でいい。
所詮、私は山出しの田舎娘が出自だ。人様のエチケット云々を批判できる器でも、柄でもない。
気負い過ぎだ。焦らなくていい。もっと肩の力が抜けてていい。
(粗忽者でガサツなお母さんでご免よ……でも、カーテシィだけは教えを乞うた人にお墨付きを頂いている、あの人は婦女子の心得に一家言を持った立派な教師だった)
(優雅なマナーの指導には、あたしはちょっとばかり煩いよ)
この子がやる気になっているのなら、応えねばなるまい。
(まず、好き嫌いを克服しようか? 残した人参のグラッセは全部食べよう)
「えっえぇっ、…………はぁい」
いきなりしょんぼりしてしまう辺りは、歳相応の子供だった。
付け合わせの野菜のソテーから皿の端に除けてあった人参に、渋々フォークを入れる。
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シューシュー燃える瓦斯の常夜灯が、心地好く瞬いていた。
寝台夜行列車は静かに、規則的に揺れている。
コンパートメントに帰ってから、夜遅くまでマナーの初級講座に挑んでいた愛娘は、今は穏やかな寝息を立てている。
ブランケットを首許まで引き上げてやり、細く柔らかい猫っ毛を撫でつけて、寝顔を窺っていた。
私にとっては、天使だった。
お腹を痛めた子ではないけれど、大切な大切な我が子だ。
「気付いてる、ドロシー? この子は貴女に憧れているわ……」
「えっ? ……そうなのか」
私に見い出され、危機一髪のところを救出に至り、その後の市の重役連を牛耳っての対応、伝説の魔神イフリートを封じ込めた獅子奮迅の活躍に、どうやらかなり強力にインプリンティングされているらしい。
ステラ姉の語るところによれば、どうやらこの子の中では無敵の女ヒーローというのが私のポジショニングだ。
子は親の背中を見て育つという。何か、益々母親として、いや父親かな? ことの重責をひしひしと感じて、もうハズい行いは金輪際、控えようと思った。
そんなに、私ってケツ掻いたり、鼻ほじったりしてるかなあ?
まぁ、自覚はなんとなくあるけれど。
「ニンリルは母系家族って、前に聞いたわね……これは、貴女の血筋の為せる業なのかもしれない」
「それは、もしかすると強烈な家族愛かもしれないし、庇護すべき者を得た守護神としての慈愛かもしれない」
「確かなことは、この子は貴女を親とも師とも慕い、心酔し始めていること……責任は、重大よ」
傍らでは、何か寝言を呟きながら寝返りを打つ娘、小さな子相応に寝相は悪い。足で蹴飛ばしたブランケットを再び直してやりながら、口許の涎を拭いてあげる。
これは良い機会かもしれない。親は子のために強くあろうとする。
自信過剰にはなれない。巻き髭の師匠という超えられない壁があるからだ。
これまでも必死だった私は、いつ如何なる時でも等身大、それ以上でもなければそれ以下でもない。常在戦場の心構えと共に、通常運転こそが私たる人間の真骨頂……そう思っていた。
だが、私の背中を追って来るというのなら、おいそれと追いつかれてやるわけにはいかない。
後の世に“一心不乱のドロシー”という二つ名を残す狂戦士が覚醒したのは、おそらくこの日だった。
かつて髭の導師に拾われて生きる活路を見出した。師と出会わなければ、おそらく裏切ってしまった幼馴染みが望んだかもしれない哀れな姦通女としての惨めな末路を迎えていたことだろう。だが一念発起した私は、過剰に、異常に、必要以上に強くなり過ぎてしまう。
そして今また、放っては置けない浮浪児同然の孤児を拾うことによって、母親として滅多なことでは負けられない訳ができた。
私は、この日を境に、目的のためには脇目も振らず立ち塞がる全てを叩きのめす殺戮者として恐れ慄かれるようになっていく。
どう逆立ちしても、渇望して足掻いても、私は慈愛溢れる天女や聖母にはなれそうもない。
だとすれば、母親として見せてやれる背中は、すべての悪を討ち滅ぼす阿修羅の姿だった。
「この子が、キキを名乗ると決めた日から運命の歯車は回り出しているのかもしれない」
そういうと、ステラ姉は胸元まではだけたブランケットを引き揚げながら、この子の首に掛けられた小さなロケットペンダントを襟元に収めた。
彼女の二親の生前の姿を写し撮った写真を持たせている。
シルベスタン・ジルベールを旅立つ前日に、この子の両親を見に行ったときに……名前はキキのままで良いと、この子は言った。
「さて、明日からは旅の空だが、普段の私達の生活は倹しい……テント泊になるし、魔物の繁殖する地域は討伐しながらの旅になる」
「朝は夜明け前に起きて、日の出とともに祈りを捧げる毎日だ」
私達の出身、シェスタ王国の主流派だったオールドフィールド公国正教の教会もシルベスタンには幾つかあり、司祭に祝別されたチュールとロザリオを、この子のために入手した。
華美なものは必要ないので、シンプルなものを選ばせたがマラカイト(孔雀石)の珠がいいと本人がいうので、それにした。
宗旨を押し付ける心算は無いが私達と暮らすなら、私達の祈りのスタイルに合わせて貰った方がいい。
「朝のお通じも野外になるし、高地育ちの君が下界に降りれば酸素酔いの可能性もある、ここのところ体力は付いてきたが、山歩きはまた別だ」
この子のための子供用歯ブラシも用意した。
「最後に大切な話だ、故郷を後にする君の気持ち次第だが……実は私達は、ほんの少しだが時を遡ることができる、だが過去に起きたことを改竄することは許されていない、見るだけだ」
「君が何者なのか、君自身が知っておくのは悪いことではないと思っている」
「君自身に決めさせるのはひどく情け知らずと思うかもしれないが君の意思は尊重されなければならない、選ぶのは君だ、もしやすると却って辛くなるだけかもしれないし、後悔もするかもしれないが……君のご両親を見ておきたいかい?」
小さな子に選ばせるには随分酷で、難しい判断かもしれない。
だが、私達はこの子の気持ちを大切にしたかった。
私は、魔導クロノメーターを手にじっと待ち続けた。
やがてキキは俯いたまま、コクリと首肯くのだった。
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シルベスタンの都から程近く、エドモン鉱山という小さな炭鉱の裏手にその村落があった。寒冷で乾燥した気候と強い紫外線のわりには酪農と農作が盛んな地方だ。おそらくここでも、封印されたイフリートの恩恵が少なからず影響しているのだろう。
「あのニゲルの花に囲まれた古びた家で君は生まれた」
灌漑の影響でできた谷地を超えた高台にこの子の生家があった。
高山独特の低木の茂みに隠れながら、私、ステラ姉、エリスに伴われ近づいて行った。
透明化と気配断ちのウィスパーモードを発生させて、家の中に忍び込む。
台所で授乳する母親がいた。陽に灼けた健康そうな女性だ。
鼻筋がこの子によく似ている。
平日だというのに男親も傍らで見守っている。この子の髪の色はどうも父親譲りらしい。
「ご覧、あれが君だ……今日は君の1歳の誕生日だ」
止めはしなかったが、キキはこの親子に近づくと息が掛かるほど顔を近づけてかつての自分を覗き込んだ。そして母と父だという二人を交互に見上げる。
「君の父親はユンガ族出身の解放農奴だった、念願叶って自分の土地を手に入れたばかりだ、姓はアルティプラニシエ、名はカインという」
「母親は狩猟採集を生業とする漂泊民族たるエスニック集団、山窩の出だったが見染めたカインと一緒になるために一族を抜けた」
私は、以前医務室で語って聴かせた内容を繰り返していた。
選択性のある音声は過去の親子には届かない。
「母の名前はシンティー、ツィゴイナー族の出身にして流浪民族に伝わる独特の合気術ロマーナ・クンストの遣い手だったとされる、少しだけ山鼠人の血が混ざっている」
「この子はローザ……ローザ・アルティプラニシエというのが君の本当の名前だ」
「あと一年後、一家は“イフリート拝火教”の天啓と称するプロパガンダの犠牲になるが、君だけはシルベスタン・ジルベールに連れ帰られ地下納骨所に放置された、君が生き残ったのは、君に生まれつき備わった強い超能力のお陰だろう、飢える前に君は無意識に何処からか栄養価を吸い寄せた」
「君は以降、この本名を名乗っても良いし、今まで通り“キキ”でも良い……今すぐ決めなくともいいが、どうする?」
ジッと親子を見詰めていたキキは、踵を返すと私達の元へと走り戻り、主に私に縋り付いた。身体は瘧のように震えている。
「キキです! あたいは、あ、あたしはキキのままでいいっ、孤児のキキでいいっ!」
そう言って、この子は泣き噦った。
仲睦まじい親子の姿を何枚かコンパクト・カメラに収めた。この子に両親の在りし日の姿を持たせるためだ。すでにロケットペンダントを用意してある。
私はふと思い立って、窓辺から望める咲き誇るニゲルの花を写し込んだアングルを一枚撮った。
ヘレボレス・ニゲルの花言葉は“私を忘れないで”だ。
オリエント急行みたいな舞台が面白いかなと思ったワンアイディアでしたが、意外と盛り上がりませんでした
結局ディーバは難癖つけてきた訳ではなく、逆に威嚇されてしまいました
ところでババ抜きって“オールド・メイド”って、言うんですって、奥様知ってらっしゃいました?
キオスク=現在のヨーロッパ、ロシア、アメリカなどでは、キオスクとは仮設小屋の一種で一方の壁面に大きく開いた窓があるものを指すが、キオスクを使う商人も多く、道路や公園などにキオスクを設置して新聞、雑誌、地図、ライター、タバコ、菓子など安いものを売っており、新聞スタンド・雑貨屋・駄菓子屋の機能を果たしている
日本では駅売店がキヨスクと呼ばれている
カロッタ=聖職者が被る円形の平べったい帽子、教会では教皇は白、枢機卿が緋色、大司教、司教及び大修道院長が深紅色のものを被る、また司祭も黒色のカロッタを被る事もある
グローサリー=中食主体の食料品・生活雑貨・日用品などを総称する言葉、また転じて食料雑貨店のこと/食料雑貨、食品雑貨などと訳す
ポワソン=魚料理の総称で一般的にはスープの次に出される料理/フランス料理では一般の魚に加えて、甲殼貝類、蛙、カタツムリなどまで出される
沙門=古代インド社会に於いて生じた仏教・ジャイナ教などヴェーダの宗教ではない新しい思想運動における男性修行者を指す/「つとめる人」の意で桑門、勤息、貧道とも言う
シャルバー =トルコ民族衣装にして伝統的なズボン、通常様々なスタイルと長さの上着と一緒に着用されるシャルバーはだぶだぶで足首に集まっている
金打=きんちょう(する)とは堅い約束をすること、武人の類が約束を守ることを示すため、各々の刀の刃と鍔を打ち合わせたことに由来する
グラッセ=主にフランス料理で焼き色をつける、つやをつけて煮る、糖衣をかける、凍らせるなどの調理を施したもの
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私、漢字が苦手なもので誤字脱字報告もありましたらお願いします





