19.ジャミアス降臨[レイク・ドノバン編④]
人は生まれながらに不平等かもしれない。でも世の中を恨む前に、どうしたら今より幸せになれるか考えた方がいい。
人には優しくしなさい。人を憎んだり、妬んだりすれば、それだけ心がすさむ。
商売でも、魔物狩りでもいい。何か人の役に立つことを一番に考えなさい……マクダネル君に教える民主主義の第一歩だった。
マクダネル君に歯磨き粉の合成方法や、歯ブラシの植毛の方法を教え終わった。新しい生活様式の嗜みにもそろそろ慣れたと思う。
今朝方は験担ぎという訳ではないが、ウインナー・シュニッツェルという仔牛のカツレツの調理法を伝授した。これまで教え込んだ料理の数々、バターやチーズの作り方、オリーブオイルの絞り方も含め、食文化のほんの一端は示せたのではないかと思っている。
う−−んっ、でも考えてみると、豚カツと勝つを掛けるのは、師匠と蕎麦を食べに行ったニホンと言う国のマイナーなジンクスだったような……
遠くへ商いや食材の買い出しに行けるよう、メンテナンス・フリーにしたトライアル・スピーダーを貸し与えた。マクダネル君以外が乗れないように、ハンドル・グリップに指紋認証が付けてある。車体の大きさを調整しようと思ったが、ここ何ヶ月かの修行で少しだけ背の伸びたマクダネル君はなんとか乗りこなせそうだった。
マクダネル君が作るエリクサー軟膏やポーションを定期的に買い上げるよう、ホテル・ナンシーのアーケード街運営担当の仕入れマネージャーに、定期的に訪れる旨の契約書を交わさせた。
ホテルが営業中じゃなくても、在庫としてストックする。
納入商品の品質は決して落とさぬように厳命した。至れり尽くせりの彼への優遇処置だったが、商売は信用で成り立つという厳しい一面も教えておかねばと思ったのだ。
…………因みに、このプロパティ・マネージャーをはじめ、ホテルのスタッフは全員、実体ホログラムという技術で投影され、作り出されている。
触れるし、息遣いも感じられ、整髪料やコロンの匂いさえ分かるのに、それは映像と同じように映し出される生きた虚像だった。
サーブもできるし、荷物も運べる、割り当てられたアイデンテティに沿ってマニュアル通りの受け答えもできるばかりか、不測の事態に対処して客の身の安全を謀り、状況判断するだけの必要充分な知性と実力も兼ね備えている。
実に有能なスタッフ達だった。
農耕の方は、チコリ、ラディッキョ、ビーツ、西洋牛蒡などの寒冷地野菜と一緒に寒冷地向けのオリーブの樹も植えてみた。もともと温暖な地方を好むオリーブが、ここハイランドに根付くかどうかは神のみぞ知るだ。
ただ、マクダネル君と鍛冶仕事で一緒に打った鋤鍬には、幸運の加護が付与されている。
……もう、別れの時も近い。
実はナンシーの地上攻撃装置には、極焦点式中性子砲などの剣呑な殺戮手段は幾らもあって、一発で息の根を止める方法なら簡単に選択できた。
そういう訳にはいかないので、迷っていたのだ。
ドノバン湖に流れ込む渓流の比較的大きな一本、アレイモア川の河口近くに古ぼけ打ち捨てられた修道院の廃墟があった。かつての春秋派修道会系の栄華盛衰の名残りのようだ。
ここも祭壇のあった本堂は、以前の名をマクガヴァン修道教会といい、ハイランドに多いマック姓の傍流のようであった。
マクダネル君の家は自動物理結界に守られてはいるが、あまり攻撃対象に晒したく無かった。
仮りの攻略作戦本部を、この修道院跡の建物に置くことにした。
魔物も少なく、長閑な場所だった。
短い夏の薫風に蝶や、天道虫に似た羽虫の類いが飛んでさえいる。
放牧されたブラックフェイス種という、粗飼いに耐える黒い顔の羊がのんびりと草を喰んでいた。牧童は避難しただろうか?
暖流の影響か、まだ季節に早いヒースの花が紫色の絨毯を作っていた。一般にはジャノメエリカは秋咲きだ。
これから世紀の怪獣大決戦が始まるとは到底思えない程に、静かで平和だった。
礼拝堂を整理し、出撃基地を兼ねたリージョナル・デポに改装するのに半日程度、費やしてしまった。こんなに面倒なら、今度からはハンガー・ガレージごと転送して貰うことにしよう。
建物の裏で不要な廃材などを分子分解処分していると、マクダネル君がやってきた。
「ドロシー様、昨夜はあんなに取り乱してしまって申し訳ありませんでした」
泣き腫らした痕も、今はそれと分からない。
「いいや、恥じることはない、君の感情はごく当たり前のことだ、我慢させているあたし達の方が薄情なのはよく分かっている、君の想いの方が遥かに尊く……失ってはいけないものだ」
「あたし達は心が堅牢になった分、それだけ繊細な機微に疎くなった、困ったものさ」
昨日、細やかな墓石を建てて埋葬し直した少年の母親の弔いを、私達だけで済ませていた。
「行こう、作戦を説明するよ」
ナンシーの手持ちの汎用潜水艇から単座の多脚機動の物を三機、用意して貰った。
360度見渡せる、透明な球形キャノピーに包まれたキャビンは操縦席下部の機関部を除いて、全方位に視野を確保できるものだった。
艇本体の下部に10本の多関節式マニュピレーターを持ち、歩行やレーザー・トーチ溶断などの工作作業や、振動掘削機能の他、各種の攻撃用砲門も兼ねていた。
フォルム的には蛸に似ているかもしれない。
格納庫の一角に置いたテーブルに湖の海図を広げ(実際はナンシーに貰った超薄型のフレキシブルモニターだったが)、オロチの睡る場所と今回の潜水ポイントを差し示す。
モニターなので、示した位置のライブカメラ映像がポップアップした別窓で開いた。オロチのポイントは、水中の様子が映し出される。
「地上からの思念波他のアクセスに一切反応は無かった、直接側まで行って語り掛けるのに君が必要だ、ドロシー機はタンデム乗りに座席を改造して貰った、君はあたしの機体に乗り込む」
「今朝ほどの対Gシュミレーターでは軽く目を回していたけど、もう大丈夫なの?」
ステラ姉がマクダネル君を気遣った。
頷くマクダネル君は少々自信が無さそうだ。
「シュミレーターと違って本機は慣性緩和機構が働くし、マスクには吐瀉物吸引装置もついている」
「でも、駄目そうなときは駄目って言うんだよ?」
「誰だって最初から何もかも上手くできる訳じゃない、尾籠な話だが、あたしなんか鬼の教官の特訓でウンコさえ漏らした、女の尊厳なんかとっくのとうに失くしたあたしでさえ、あれは相当のトラウマだった……でも、だからこそ今のあたしがいる、それだけは自信を持って言える」
「君はもっと自分を誇っていい、君が期待以上にやれているのはお姉ちゃん達が保証するよ」
多少強張っていた彼の顔に、平常心が戻ってきた。
「よしっ、いい顔だ、男の顔だよ……きっと将来、惚れる女達で引く手数多だろうね」
「念の為、全員耐圧仕様のパイロットスーツを着用する、シュミレーションには実装しなかった本番装備だ、被弾して艇が浸水する状況対策に酸素マスクも着ける、君にもこれから使い方を説明する」
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「全員、搭乗完了した?」
「大丈夫よ」「イエス、マム」
ステラ機、エリス機より返事が返ってくる。
「よっし、これより状況を開始する、全機ガントリー脱装っ」
各種の充填チューブやエネルギーケーブル、電子機器診断調整コネクターなどが自動的に抜かれていく。
「出撃っ!」
微かな駆動音で反重力機関が作動すると、機体は宙に浮き、正面の前室ごと取っ払った扉口に設けた開口部より、物凄い勢いで飛び出していく。
まるで爆発のように撓んだ離陸は慣性も空気抵抗も無視して、傍目に見れば、放熱もしていないのに空気が陽炎のように揺らぐ程だ。
やがて湖面に飛沫を上げながら滑空した機体は散開し、各機の入水ポイントに到着する。
「各種センサーに変化無し、全機潜航開始っ!」
「ラジャーッ」「潜航開始っ」
ステラ姉とエリスが通話モニターの小さな画面から、ヘルメットのバイザーを跳ね上げて、合図を送ってくる。
ズブリッと水面を割った機体は、進行方向へ発生させた引力に向かってグングン推力を上げていく。透明度の高い水中は藻に混じって、鱸の仲間のパーチや川梭子魚のパイクなどだろう淡水魚が、群れになって逃げて行くのが見て取れた。
自動追尾式のサーチ・ライトが周囲を順繰り照らしていく。
前方や周囲の拡大映像や情報データのウィンドウが、空中ディスプレイとしてキャノピーの下側に次々と開いていく。
それは、半分湖底に埋もれて、甲虫の甲殻というよりは玄武岩の岩盤のような様相で、延々と何処までも続いているようだった。
「ダメだな、致死量級の思念波にもうんともすんとも言わない」
普通なら割れ鐘のように響くだろう思念の放射は、何かのシールドに阻まれて相手に届かない。強思念波をニードル銃の如く細く絞って尖らせて、雨霰のように浴びせてみても、錐揉み状にドリル攻撃してみても、結果は変わらなかった。
精神感応、他心通他全て試してみる。
「何か、思念が漏れ出すのを必死で抑制しているようだ、このままでは埒が明かない、仕方ない、少し穴を穿ってみるか」
「ステラ姉、エリスっ、耐衝撃姿勢!」
「ナンシーっ、このままじゃマクダネル君の声さえ届かない、装備火器のインパクト次元砲は何処まで照射可能?」
「コマンド・オフィサー、この生物の外皮は堅い、レベル07なら貫通しますが、思念を遮断しているシールド強度はいまのところ計測不能です」
船内の音声装置でナンシーが返してくる。
艇を掃射態勢にバランス調整し、火器管制用の操作グリップで照準を決めると10本のマニュピレーターが収斂して、ピンポイントの次元重力子射出の砲門を形づくる。
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街道沿いに山を越え、村の住人を避難させるのに一昼夜を要した。着の身着のままの村民をなかば強制的に、追い立てるようにしてここまで来た。
多分あの大きさで暴れまわられては絶対安全とは言えないが、湖の畔よりは幾分かましだろう。
女子供を擁しての野営を覚悟したが、辿り着いた先にコテージが用意されていた。昨晩の宿屋の系列店だという。
夜も更けていたが、“カントリーハウス・ナンシー”の看板が見て取れた。
ロッジ風の山小屋は、これも高層建築の広大なもので、村民達全員を収容してまだ余りあった。
緊急避難なので、パッケージングされた暖かいディナーと、ポットに入れた具沢山のスープや、丸い田舎パンなどが配給された。ドルチェと称する甘い菓子のパックも配られたが、村人にすれば初めて口にする贅沢だったろう。
我々も昨晩に引き続き、有り難いことに食いっぱぐれることなく、相伴に与かった。
ほぼ無休で撤退作戦を敢行していたので有難かったが、我々兵士にはレーションという行動食が配られた。
想像通り、作戦中に口にするには豪華過ぎるものだった。
交代で仮眠をとる他は、ロッジが用意してくれた篝火のもと、ほぼ徹宵で警戒にあたったが何事も無く夜を明かした。
もっと離れた方がいいのか隊員と検討したが、ロッジの総支配人という男が建物に物理結界を張ったので、しばし滞留されたいと申し出てきた。
隊員達に村人の警護を託し、私とゴメスは二騎で街道の峠まで引き返してみた。もう陽も高く、昨日手に入れた懐中時計を見てみると、すでに2時半を回っていた。
遠見のテレスコープ(千里鏡)を、取り出そうとしたとき大地の鳴動と共に湖が盛り上がった。
ドーンッという轟音で地面が大きく横滑りし、馬が横倒しになる。
湖の中程からか見るからに大きな水柱が天に昇るのが垣間見えたが、次の瞬間には空から濁流が降ってきた。
咄嗟のことゆえ判断が追いつかないまま圧死しなかったのは単なる僥倖に過ぎなかったが、あまりの衝撃と水量に押し流されないよう樹の幹に必死にしがみつけば、それが居た。
「大きいっ!」
本物を目の前にして、否まだ相手は数十キロも離れているのに近寄ることさえ憚られる災厄として立ち塞がっている。
その目で見ることさえ、我等には危険が伴う。
「キャプテン! こりゃいけませんっ、如何な百戦錬磨の私等でもこの天災級人外魔境にゃあ流石に適いっこありません、ノスフェラトゥの魔神や吸血鬼を相手にするのと訳が違います、退きましょう!」
さしもの怖いもの知らずのゴメスでさえが、逃げの一択を進言してくる。
這う這うの体でコテージまで逃げ帰った。
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オロチは狂気に囚われていた。
湖底から引き剥がされた躯体は、立ち上がると湖面から天を突きさすが如き異様さだ。
「麻痺光線が全然効かないっ、巨大ドラゴンでさえ抑え込める威力なのにっ!」
すでにステラ機、エリス機共に空中戦を闘っている。
次元重力子のピンポイント照射で、表層甲殻に罅を入れたがこちらの声は全く届かなかった。
逆に溢れ出してくるのは、見事なまでに真っ黒に染まった、純粋な破壊衝動の奔流だった。
寝た子を起こしてしまったのか、暴虐に取りつかれた大百足と呼ぶにはあまりにも巨体過ぎるそれは、胴回りだけでも優に100メートルはありそうだった。
「マクダネル君は、あきらめずに話し掛けてっ、トモダチ君が正気に戻れるかどうかの瀬戸際、正念場だよ!」
「はいっ、やりますっ!」
操縦席の前に一段低くなったサブシートの少年が、的確に思念増幅の術式を組み上げるのを見守った。
「ステラ姉は最大級の牽引魔法をお願いっ」
「わかったっ」
「エリス、お願いがあるのっ、ニョロちゃん連れてるよね?」
普段、エリスの眷属たる蛟の精霊女王は脇の下から首筋に掛けて巻き付いているが、ほぼ透明化しているので私達の目には留まらない。
“竜の顎門”でエリスの最初の眷属になった精霊で、エリスに憑依することで竜化変身を遂げる。
「二重変身のウロボロスか何かで、こいつを抑え込める?」
「ニョロちゃんて呼ばないで、本人が気にする」
僚機が交差していくとき、エリスが耐圧戦闘服の磁力ファスナーのシームを解除していくのが、肉眼で見て取れた。
「ナンシー、リモートパイロット任せた、……天界モード憑依変身アンッフィスバエナああぁっ!」
ナンシーに操縦を譲り、キャノピーから飛び出していく直前のエリスの声が伝わってくる。
こと竜種への変身に関しては、エリスの肌に刻まれた“魔法印真層呪装”の力と女王蛟の能力が合わされば、更に強力な相乗効果を生める。神々も照覧して欲しいほどの強さだ。
オロチと同等の巨大な双頭の蛇が出現していた。出現と同時にずるりとオロチに巻き付いて、ギシギシ音がするほど締め上げだす。
湖面に没した半身を振って、盛大に藻掻こうとするオロチだが、アンフィスバエナの固縛がそれを許さない。
「Ω!」「Ω!」「Ω!」
高速詠唱の単韻を連発した。
異常状態解除と聖霊浄化光術、深層第七位階までの神聖解呪術の同時発動だ。
「なっ、効いていない!」
全くとは言わないが、これだけやって目に見える効果が得られないとなれば、余程の抵抗力もあるだろうが、考えられる可能性はそれほど多くない。
センスエビルの魔眼を発動して、暴れるオロチの全体をサーチングしてみる。
「……聞いて、呪いの源というか、こいつを狂気に走らせている原初の魔王に植え付けられた毒の芽は、発動と同時に体内を血液のように循環しだす、解呪などの波動に反応しては効果範囲外に逃げてしまう、おまけに神聖魔術に対する抗体まで持っているようだ」
「こいつの沸騰しそうな体液は、今では信じられないぐらい物凄い速度で体内を巡っている」
「原初の魔王は、更に狡賢いことに解呪に暗号キーを用いているようだ、これを解読している間にはこの辺の山容は蹂躙され尽くして一変してしまう」
「体内を循環する呪いを選択的に照準して焼き切るしかない」
「今から時間停滞魔法を使う、オロチの生体活動を10億分の1まで制限する」
「じゃく、うん、ばん、こく、グレイター・クロノス!」
Ku Wo OOooooooonn!! OOooooooonn!!!
突如、耳をつん裂くような高音の雄叫びが大気を揺るがす。
天地をどよもす大咆哮だ!
「しくじった! トラップだっ、時間魔法に反応してオロチは限度を超えて活性化する、このままだと生命エネルギーを燃やし尽くす」
「どうするのっ? 固縛結界は限界値まで展開したけど、これ以上はエリスも持たないわっ、石化魔法を使う? 二次災害に備えて湖の水を抜く?」
原初の魔王の用意周到さを侮った報いに切歯扼腕しながら、距離をとるステラ姉と、オロチを直接抑えているエリスの様子を確認し、最後の手段を取るべきかどうか迷っていた。
「仕方ない、最後の精霊頼み、ジャミアス、出番よ!」
師匠の魔宮図書館にあった一本のスクロールから、何故か私の額の眉間緋毫に引っ越して居着いた、自称ありとあらゆるスクロールを統べる精霊王“蟲喰いのジャミアス”は、その誇大妄想狂染みた言動は全て真実であり、森羅万象己が如しであった。
少々天然で、ポンコツで、残念美女の部分もあるにはあったが、便利で頼りになる存在だ。
呼び掛けに応じ、額に戴く菱形の小さな宝石が輝きを一瞬広めるやキャビンを満たすと、ジャミアスが降臨していた。
「小僧には初見参であったな、わらわはジャミアス、小僧がまだ童貞なら、わらわが男にして進ぜようか?」
「なんでぇ、マクダネル君の膝に乗ってるのぉ! このドスケベ変態精霊っ」
「君も真面に相手しなくていいからね、ジャミアスはエッチな格好してないでこっちに来なさい!」
ジャミアスはいつもの通りオリエンタルな肌を出した薄物衣装で、いくら妖精サイズとはいえ、マクダネル君には目の毒だ。
こら、しなを作って股間に近付こうとするんじゃない!
「久し振りに呼ばれて出て来たにつれないのぉ、大体主等の用事は大概にして欲しいもんじゃが、やれ大工のスキルを寄越せとか、カウンセラーのスキルを寄越せとかつまらぬものばかりじゃ……せっかく天秤の宿業の者に取り憑いて退屈せぬと思ったに、期待外れもいいとこ……」
「御託は、い、い、か、らっ、急ぐの!」
「精霊使いが荒いのお、あの百足モドキの命を奪わず、動きを止めればいいのであろう? 結晶化の強力なやつがあった筈じゃ、ほれ」
何の気負いも無く、ジャミアスの解放した術式は、見る間にオロチを赤い結晶と化していく。
パキパキ音を立てて、オロチが巨大な彫像と化すのにものの数分も要しなかった。湖面から佇立し、天を突くように聳り立つ異様なモニュメント……それが原初の魔王の遺物、何千年を生きた時限式殲滅兵器の最後の姿だった。
私は、ゆっくりと呪いのコアを全て焼き尽くした。
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(迷惑を掛けたわね、次の惑星配列はもっと先だと思っていたから急な発動でお前に警鐘を与える暇も無かった……)
(こうして、魔王の呪縛から解放された今は、何の気兼ねも無くお前を見守ることができる)
トモダチが帰って来た。嬉しかった。
ドロシー様達の惜しまぬ尽力のお陰で、僕の一番親しいトモダチを失わずに済んだ。小さな頃から、悲しいとき、嬉しいとき、僕を励まし、共に喜んでくれた掛け替えのないトモダチ……こんなに大きな姿だって、初めて知ったけど、本当に良かった。
昨日の女神様達の奮闘には、感謝しても仕切れない。
「なんだ、トモダチ君って言うからてっきり男かと思ってたけど、君のお母さん代わりみたいじゃないか」
(ドロシー殿と申されたか、この度は大変お世話になりました、返し切れない御恩ばかりか、この子もこんなに立派に育てて頂いて、何か万分の一でもお礼が出来ればいいのですが……)
「気にしなくていい、貴方がこれからこの地を見守り続けてくれれば、それだけでいい、もう意に反する殲滅兵器としての呪いは無くなったのだから……」
(それに、原初の魔王と、原初の頃の魔王軍の情報は、全て抜かり無くナンシーが読み取っている)
そう呟いて、心の中で舌を出されるドロシー様のイメージが伝わってきた。おそらく僕にだけ見せておられるのだろう。商売人は転んでもただで起きるな、と戒められているような気がした。
(それにしても、底の知れないお強さでした、原初の頃の魔将軍が束になってもおそらく敵わないでしょう……今も無意識に魔力をセーブしていらっしゃるのでしょう?)
「買い被りだよ、運が良かっただけさ」
そうだろうか? さっき辺境巡視隊の騎士さん達が挨拶に見えていたけど、髭の騎士さんなんか、手放しで褒めちぎっていたけど?
「さて、そろそろ本当に行くよ、元気でね」
「修行は続けるのよ、ステラお姉さんはいつでも見てるからね」
「さっ、さっぱりした別れが男らしいよ、マクダネル君」
そう言うエリス様はすでに涙ぐまれていた。
「……厳しい訓練の途上、あたしがウンチを漏らしたって話はしたよね」
「脱糞したあたしに師匠は言った、そんなことで無くなる女の価値なら最初から無かったのと同じことだと……あたしはそこから這い上がって戦士になった、まだまだ半人前だが良くも悪くも他に道は残されていなかったから」
「女の身体に興味を持つなとは言わない、ただ人間が生きていくのに大切なことは他にも一杯ある、あたし達との苦しかった精進の日々を決して忘れないでくれ」
「……ふふっ、偉そうなこと言ってるけど、お医者さんごっこを一番最初にしたのはドロシーお姉ちゃんだからね」
「はっ、はたくよ、ステラ姉っ! せっかくあたしが人生訓を語ってるのに台無しじゃん」
迫るドロシー様をかわして、僕の後ろに逃げ込まれたステラ様は、隠れるように僕の身体を盾にすると、両肩に手を置かれ、頬を寄せて耳許で囁かれた。
「オナニーは、ほどほどにね……」、ステラ様は本当に小さな声でそう呟かれた。
ステラ様の良い匂いと首筋に掛かる吐息に、ドキドキし、僕は真っ赤になってしまう。
「やれやれ、しょうがないな」
呆れたように腕組みをするドロシー様の視線が冷たかった。
「さっき皆んなで撮った写真てやつだ、たまに眺めて、あたし達のことを思い出して頑張んなさい、一筆書き添えておくから」
ペンで端っこの方に何かを書き込まれた写真というものを、ドロシー様に手渡され、そのメッセージを一目見た途端、僕は固まってしまった。
そんな僕の頭をクシャクシャと撫で回すと、ドロシー様はニッコリと微笑まれた。
「このところ、過去の不義の罪を悔い改めるのに、遅過ぎるということはない……と思えるようになった、ようやっとだ」
「少年も、魂を鍛えることだ……何より元気で過ごせることを祈っている、バハ・スウィーン」
印を切られるとそのまま、僕の家に突然来たときと同じように、ゆっくりと歩いて、ドロシー様、ステラ様、エリス様は去られた。
僕と、湖の中程に聳え立つ巨大な柱となったトモダチは、いつまでもいつまでも御三方の後ろ姿を見送った。
右も左も分からない僕に、生きる術と、知恵と、道を示してくださった御三方の教えを僕は生涯守り通す。
(さよなら、僕の女神様……)
ドノバン湖の畔に居を構え、一代にして領主代理にまで登り詰めた男は、国の度重なる地方長官としての官位、廃絶された辺境伯綬爵の打診を頑なに毎回固辞し続け、生涯を平民で通した。
男は地方長官として、辺境第一巡視隊本部があったかつての辺境伯が居館、ビターソルト城に執務室を構え、誰に恥ずることなく公平な裁きと善政を行った。
その根底にあるのは、3人の女神に叩き込まれたデモクラシーの思想だった。
不思議な鉄の天馬に跨り、巡視隊と共に自領の魔物を討伐して回ったのは伝説になっている。
政務を執るようになってからも住処を替えることなく、ビターソルト城には風のように飛ぶ鉄の天馬を駆って、マックィーン村の自宅から通った。
ドノバン湖には赤く結晶化した、それはそれは小山のように巨大な彫像が湖面から佇立しているのだが、地元の人間は誰もそれについて触れようとはせず、中央からの調査の手も何故か拒まれていた。
領主代理の執務机には一枚の似姿絵が飾られていた。彼の年少の頃と、それを取り囲む天上の女神のように美しい3人の女達が写っている。何か宗教的な装飾だろうか、女達の額には揃いの赤い印が付いている。
やがて彼の妻となる事務次官が、似姿絵の端に添えられた言葉の意味を尋ねてみたことがある。
代理はただ笑って、何も答えようとはしなかった。
添えられた文字は、「ほどほどにね……」と、書かれていた。
レイク・ドノバン編が思ったより長くなっちゃいました
行き当たりばったりでやってるのバレバレですね、漠然とした設計図はあるんですがその間を埋めていくエピソードを捻出するのに結構悩みます
まあ、好き放題やってるので楽しいですけどね
ウインナー・シュニッツェル=北イタリアを起源として15~16世紀ごろにウィーンに伝わったとされる
薄く切った肉をさらにミートハンマーで叩いて薄くし、小麦粉をたっぷりつけ溶き卵に潜らせてパン粉をつける、パン粉を挽き立ての黒胡椒で味付けしておくこともある/これをやや多めのバターかラードで揚げ焼きしたもので、日本の豚カツのように多量の油を使用する揚げ物ではない
サルシファイ=見た目は牛蒡に似ているが牛蒡のような強い独特の香りはなく、セロリに似たさわやかな香りで、食感はアスパラに似ている/バターで炒めると牡蠣のような風味がでることから「オイスタープラント」とも呼ばれる
ブラックフェイス種=またはスコットランドブラックフェイスはイギリスの羊の一種で、イギリスで最も一般的な羊の品種/ウールは非常に粗く、主に肉用に飼育される
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