16.優しい怪物と少年[レイク・ドノバン編①]
師匠語録で、最後の最後に我らが導師が残した言葉は、
“結局、闘う人間を衝き動かすのは誰かを護りたいとか、助けたいとかの強い気持ちだ”
それが有る限り、お前達は何処までも強くなっていける……というものだった。
(女神様だ……)
「ほらぁ、よく見てごらんっ、お姉ちゃんの顔にだって毛穴があるでしょっ」
「全然っ!」(顔が近い、顔が近いよっ)
「そんな筈ないっ、小鼻の横とかよく見て、口だって普通に生臭いから!」
「……いい匂い」、女神様の唇からは花の香りがした。
「んもぅ、君がベッドの下に隠してあるエッチな本に出てるのだって、かつての私だよ、悪い男に騙されて色んなことしてたのを償うために、巡礼の旅に出たんだからっ!」
やっぱりそうなのか、ヨゼフ兄ちゃんが王都ってところでお土産に買ってきたって手渡されたエッチな本には、裸の女の人が沢山写っていたけど、一番に魅せられたのは、勇者チームの剣帝様で、ドロシーって女の人だった。
遊び友達のいない僕の面倒を何かと見てくれたけど、冒険者になったヨゼフ兄ちゃんは、この間、ダンジョン攻略に失敗して所属パーティごと全滅したって、村の皆んなが噂してたんだ……もう会えないのかな?
てっ、えぇっ、なんで隠してる本のこと知ってるの?
「年頃の坊やが誰を想ってオナニーするのも自由だけど、できればあの本は捨てて欲しいかな、お姉さんとしては……」
「その代わり、しばらくお世話になってる間に、狩りの仕方とか、剣の使い方とか、伝授してあげるよ、君が一人でもこれから先、ちゃんと生きていけるように」
僕はドロシー女神様の、明け透けなおっしゃりようにしどろもどろに固まって、目を白黒させるばかりだった。顔全体真っ赤になって俯く僕を、ドロシー女神様は幾分怪訝そうに見守っていらっしゃる。
僕は、本物の女神様を身近に感じた昨晩、昂ってしまった気持ちを沈めるのにこっそりと自涜行為で慰めたのを知られ、酷くショックを受けていた。
もう、死んでしまいたい。
「あっ、ごめん、全然デリカシー無かったね、でも恥じなくてもいいよ、ごく普通のことだからさ、結構お姉ちゃんだってオッパイやあそこ見られてると思うと恥ずかしかったんだからねっ」
女神様、それ、何の励ましにもなってません。
「ご飯よぉっ」、背の高い黒髪の女神様が外の井戸で顔を洗っている僕達を呼びに来た。
二人暮らしだった我が家から、お母さんが出ていったのは一ヶ月前だった。
“新しい恋に生きるので探さないでください”という簡単な書置きを残して家出してしまった。
村長さんは、僕は捨てられたんだという。なんでも流れ者のヤクザな男に引っ掛かって子供を捨てるなんて、よくある話らしい。
この間、西の峠の断崖から身元不明の惨殺死体が発見されたのが、年恰好がお母さんに似ていたらしいけど、身ぐるみ剥がされた女性の死体は顔が潰されていて誰とは分からなくなっていた。
そう、村の人達から聞かされた。
見たことも無いご馳走が、我が家の食卓に山盛りになっていた。
昨晩のバ、バーベキューとかいうご馳走に続いて、僕の生涯では食べたことの無いものばかりだ。
「君がひもじい思いをしなくて済むように、狩りを教える、野菜の栽培を教える、職業のスキルが何かあるか見てあげるよ」
「昨日も言ったように、君のことを心配していたマクホランさんとの約束があるからね」
「炊事が出来るよう料理も教えてあげる、でも今日のところは一緒に朝ご飯を食べよう」
言われて食卓に着くと食事の前のお祈りが始まったので、僕も倣って聖句を唱えた。
見たことも無い透き通ったガラスのコップに注がれたフレッシュジュースは、飲んだことも無いほど冷たくて美味しかった。
「クネッケっていう薄いライ麦パンのオープンサンドだよ、色々な具材があるから試してみて、これはフォアグラのペーストと生ハム、トマトとオイルサーディンだね」
女神様が、僕の分のプレートに取り分けてくださる。
「はいっ、召し上がれ」
「スープは、今朝はオマール海老や馬頭鯛の魚介をふんだんに使ったブイヤベースにしたから温かいうちに食べてね」、髪を後ろで結んだ胸の大きな女神様、ステラさんが僕に勧めてくれる。
「マクダネル君、こっちも食べるといい、ポークビーンズとエッグベネディクトだ、粉チーズは沢山振った方が好きかい?」
そういうと、赤いポークビーンズとかの上にチーズを削りだすエリス女神様、小柄なのに本に写っていた裸はとっても綺麗で大きなオッパイだった。
エリス様だけ何故か体操服という上下をお召しになっているのは、僕の目の毒になるからということだった。
赤いのはチリパウダーというものらしい。食べてみて分かったが、とっても辛い。
「そういうスケベな視線で、お姉さん達を見るのはあまり感心しないな……将来が心配だよ、いいかい、マクダネル君、押しなべて世の中の女なんてものは大抵が腹黒い、これから先悪い女に引っ掛からないように……」
「ハイハイ、食事中は食べることに集中する、エリスも子供相手にお説教しない、君もオッパイのことばかり考えていないのっ」
指摘されて、思わず顔が赤くなるのを僕は感じていた。3人の女神様方は、どういう訳か、僕が今何を考えているのか総て分かってしまうらしい。
紅茶を注いでくれるドロシー女神様にお礼をいいつつ、僕の家には無かった食器やテーブルクロス、ランチョンマット、朝から灯した銀の燭台などを眺めていた。
素敵に高価そうな茶器やスープ皿、様々なプレートはお貴族様が使うような豪華で緻密な紋様の入ったものだった。スプーンやフォークも銀みたいだ。
「君の家は少し食器が少ないな、余分があるから置いていくよ、あと鍋やフライパンも要るかな、あぁ、使ってない薪のアーガマがあったかな?」
「そうだっ、どうせなら君の住まいをリフォームしてあげよう、剣の稽古は明日からだ」
女神様達は、朝ご飯を食べ終えて後片付けを済ますと、家の中を見て回り、どこを修繕するか、造り替えるか相談していた。
お母さんと長く住んだ家だったが、特に楽しい思い出も無かったので女神様達が思う通りにしてくれて構わないです、と承諾した。
曇りひとつ無い、天上の衛士が身に着けているような白金色の鎧を外されると、作業着に着替えた女神様達は、何故か皆さんが頭にタオルを巻いていた。
それは何ですかと訊いてみると、気合いを入れるための鉢巻だとおっしゃった。
「建材は足りてるかな?、ナンシーに言って免震金具を送って貰ってぇ……」
「エリス、発電機のガソリンってある?」
「ドロシー、ベタ基礎にしたいのでナンシーからパワーショベルや削岩機みたいな建機送って貰っていいかな?」
女神様達の大工仕事が始まった。
カーペンターのギルドの人達とは使う道具が全然違う。唸る何かの機械に、コードというロープを繋げると、丸い鋸が凄い勢いで回り出した。
余分なものや傷んだ梁や桁を切り取る。女神様達の仕事は尋常じゃなく速かった。
ステラ女神様は、水平に動く電鋸というものや、鑿や金槌、槍鉋で建材を切り出していく。
作業する手許を見ていたら、あまりの速さに霞んで見えた。
釿を降りかざすステラ様は、まるでゴブニュ神の生まれ変わりのように、百本の手を持っているかに見受けられた。
整形された角材などは魔術で浮遊し、まるで生きているように組み込まれるべき場所に、自ら赴いていた。
ぐり石や粘板岩で補強された外壁は、風合いが美しいとそのまま残すことになって、増築分の石材が足りないので魔術で複製したそれらも、宙を浮いては自らが落ち着くべき場所に収まっていった。
後で強度を上げるために、隙間に超強化剤として無色透明な速乾性特殊ガラス繊維樹脂っていうのを充填していくそうです。
建て増しすると言って、新たな土台や礎石を埋め込んで、魔術で固めているエリス女神様は、怪物みたいな機械に乗って地面を掘り返したりしてらした。
そして水平器とかいうのや、他にも何種類かの複雑な計測機で何度も測り直して、大きなフネという盥に灰色の泥を融いては流し入れ、魔法で泥を増やしては、慣らしていかれたのでした。
仕上げに硬化や強化の魔術を掛けて、これで大丈夫と満足そうに笑われる絶世の美女、エリス様の汚れ無き笑顔は、まるで天上の天使のように愛らしいです。
ただの小屋みたいだった粗末な僕の家は、天井材、床材、壁材も全て新しい頑丈なものに置き換えられ、取り壊された屋根の上に信じられないことに2階が出来た。僕は生まれて初めて、階段というものを登った。
屋根には、ピカピカ光る瓦というものが載せられた。何でも、セント・マリナという地方では釉薬とかいうガラス質の粉を掛けて焼く瓦が主流なんだとか……僕達の村では、ほとんどスレート葺きなので、これも初めて見るものだった。
何処から出すのか、次から次に丈夫な風合いの建材が運び込まれ、出された廃材は、瞬きする間に消え失せていた。
あっという間に壁や窓が組み上がり、レンガやタイルや、珪藻土という漆喰みたいなものを塗ったり貼ったり、玄関は御影石の三和土になった。
居間には薪ストーブが新しくなり、見たことも無い球形で頑丈な鋳物製の暖炉は、周りを円形にカーブしたベンチが囲んでいて、大勢で温まることができるようになっていた。そして何と僕の家にお風呂が出来た。
「燃料の補給は見込めないから、湯沸かしは魔石でやるか?」
「配管は、設計図を送って絶対腐食しないチタン合金か何かで、ナンシーに一体加工して貰おう」
台所もお風呂も、お湯が、じゃ、蛇口?ってところから自然に出てくるらしい。
お風呂といえば、僕らの村にはブリキの金盥の湯桶がある家はお金持ちだったけど、女神様達の作られたお風呂は石で出来ていた。
大理石というらしい。
後で知ったけど、湯気で一杯になるお風呂は専用の部屋になっていて、台所や納屋に風呂桶を置いているのが普通だった僕の村の常識では不思議だったけど、実際に濛々と篭った湯気を目の当たりにして、なるほどなと思った。
壁紙もあっという間に貼り終える。見たこともないゴージャスな壁紙だった。
「密閉と快適の魔法を掛けて完成、そうだ、セントラルヒーティングの護符も貼っておこう、あとは食器棚やキャビネット、ダイニングの家具を新しくして……いっそ、家具は総入れ替えしようか?」
「水洗トイレの使い方は、後で教えてあげる」
「台所は、そうだな……ハルチアって精霊を置いていこう、竈門を守ってくれるよ」
「あぁ、そうか! ランプの方が質素でいいかって思ってたけど、油代も勿体無いね、自家発電も魔石でやろう、照明器具はどんな感じかな? 田舎風なランプシェードで、ビンテージ・レトロモダンな感じ……ブラケットも増やそうか?」
僕の家はもう、ランプのオリーブ油も心許無かった。
配線とかをやられるというので、せっかく出来上がった内装をもう一回引っ剥がしたりしておられました。思い付いたように剥がした壁紙の下に、何枚かの魔法陣のお札を貼られ、貼るたびに片手印で何かを唱えているので、何ですかとお訊きすると、それぞれに厄除け、魔物除け、泥棒除け、虫除け、火除けなどの結界を張る効果があるそうです。
僕の家は、夜でも昼間のように明るくなりました。
そして夏でも冷たい飲み物が保存できる冷蔵庫と、生肉を凍らせて保存できる冷凍庫というものを台所に付けて頂いたのでした。
女神様達のお師匠様という人に、沢山頂戴したからといってレトルトというお湯で温めるだけの食べ物を分けて頂いたりもしました。
何でも特例検疫で殺菌済みだから、絶対安心ということです。
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私の中に棲まう複数の意識、ナンシーとの邂逅の際にダウンロードされた過去のニンリル達が時々相談相手になってくれる。
彼女達の知識は共有されているので、彼女達がどんなに凄絶な生涯を生きたかはよく知っている。
それに比べれば、私なぞの想い悩みなどは取るに足らないことなのかもしれないが、不幸な星の巡り会わせというか、運命の糸に弄ばれてしまった侍女長イリア・コーネリアスのことを考えて、他に何かできることが無かったのか思考がぐるぐると堂々巡りを始めてしまうのを見兼ねた彼女達が、助言してくれているのだった。
(ドロシー、貴女達はできるだけのことをした、何が彼女にとって一番良かったのかは誰にも決められない、振り切れとは言わないけれど、これからのことにも目を向けてちょうだい)
(救える命は全て救うのでしょう? イリアさんのことは残念だったけど、イリアさんのためにも未来の救えるべき人達のことを考えて欲しいの)
(勇者の居館に居た女達のメンテナンスに5ヶ月も掛けたのよ、充分ではなかったと貴女は思っているかもしれないけれど、旅は続けなければ)
湖の畔に佇んで、物思いに耽る私が、ふと立ち返ると沈む夕日が湖面を照らしていた。
ご亭主と二人きりで絵画の中に棲み、何百年も、何千年も、話し相手はご亭主だけで、例え夫婦喧嘩をしても、とどの詰まりは相手を許さざる負えない二人きりの世界で、永遠の刻を生きる道を選んだイリアさん……本当にそれが彼女の幸せなのか、どうなのか、今の私には分からなかったし、彼女の意思決定を覆えすだけの権利もなければ、これが正しいと言える根拠も持ち合わせてはいなかった。
あの日、彼女に別れを告げたあの刹那の瞬間が、護摩木の白膠木と香木の燃える匂いと共に思い出される。
ハーレムに人生を狂わされた女の一人の最後を看取った際、臨終に言い残された願いを叶えるため、ロック・マックィーンという村にやってきた。
下種勇者の館では古株の侍女だったローラ・マクホランは、見つけた時には末期の性病で死にかけていた。
身体の疼きと劣情に負けて享楽街に身を沈めた一人だったが、深く自分の所業を恥じて、このまま死なせてくれというのが彼女の選択肢だった。
故郷にも帰らず、性病避けのまじないさえしていなかった彼女は、最初から自暴自棄だったようだ。
繰り返し説得したが、彼女の頑なな気持ちを説きほぐすことは叶わなかった。
結局、売春宿で朽ちることを望んだ、性依存症になってしまった娘達を更生させる道は見い出せぬままだった。
カウンセリングでは対処療法で、根本的な解決にはならない。
本人がセックスの快楽を捨てられない以上、もう人格を造り変えるしかないのだが、果たしてそれが救いといえるかどうかは、私達には判断が付かなかった。
いつか、一人のクズ勇者にここまでの横暴を許して顧みなかった現王室には、それなりの報いを受けて貰わなければならない。
せめて娘の一人が気掛かりにしていた故郷の怪異と、娘の実家の近所に住むという少年の身の上を確認しに来たのだった。
手分けして、湖沼が点在するハイランド地方でも比較的大きく、村の伝説では怪異がひそむというレイク・ドノバンを調査していた。
「確かに、何か棲んでいるっぽいね……」
「ところで、パーラメント・マクダネル君っていう子の家は、あれかしら?」
ステラ姉が、幾多の魔石に彩られたスタッフ、九鈷杵ヴァジュラで指し示す彼方に、朽ち果てた廃屋にも見える石積みの家があった。
近づいていくと、もう陽も暮れると言うのに外で小柄な男の子が斧で薪割りをしていた。12、3歳ぐらいだろうか、癖毛のブルネットのちょっと可愛い子だ。
大きくなったら、モテるかもしれない。
「今晩わ、貴方がマクダネル君?」、まだ遠かったが、大きな声で呼び掛けると、初めてこちらに気が付き、吃驚した素振りで固まっていた。
「そう警戒しないで、私達は村を出ていったマクホランさんに頼まれて、君の様子を見に来た者だ」
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その晩は、少年の家の庭でバーベキュー大会をした。
ストックしてあった雉肉、兎肉、ここに来るまでの間に狩ったミノタウロスも捌いてグリルする。
「ほら、遠慮しないで食べたまえ、育ち盛りの子供は腹一杯、肉を頬張るのに遠慮しちゃいけない」
何故かエリスが、お姉さんかぜを吹かせていた。
メスキットパンに切り分けた肉を山盛りにして、少年に差し出す。
村は貧しく、つい最近母親が出ていった少年の家には恵んで貰ったジャガイモなどが僅かに残っているばかりだった。相当ひもじい思いをしているようだ。
庭にランタンを幾つか吊るし、灯かりを確保した私達は、少年のために料理の腕を振るった。アウトドア用のキッチンセットやスタンドバーナー、バーベキューグリルを出し、コッヘルや鋳物のダッジオーブン、スキレットを駆使して少年をご馳走攻めにした。
「缶詰だけど、このクリームマッシュルームスープは絶品よ、食べれば病みつき間違いなし……はい、スプーン、熱いかもしれないから気を付けてね」
「何々、こっちはトコブシと松茸の贅沢リゾットよ、はい、たんと召し上がれ」
次から次にと、突き付けられる暖かく食欲を唆る料理に、少年は目を白黒させていた。
貧しい地方の農村のこと、普段は碌に身体も拭けないに違いない。少年の顔は薄汚れていた。後でお風呂に入れてあげよう。
「君の家に冷蔵庫を置ければ乾燥肉じゃなくて、食料を置いていけるんだがなぁ、せめて乾物類やインスタント食品でもいいかい?」
「お母さんが居なくなったから、君は一人で生きていかなくちゃいけないようだ、明日から自給自足できるように農耕や狩猟の技術を教えよう……」
引っ込み思案なのか、私達と目を合わせようとしない少年は、チラチラと上目遣いで私の顔を窺っていた。
「ん? どうした少年、何か問題でもあるかな?」
「……い、いえ、女神様達がなんで僕なんかの家にと思っていたものですから……」、最後の方は口籠って言葉にならなかった。
「だからさっきから言ってるじゃん、あたし達は御大層な女神様なんかじゃない、ゲップもするし、ウンコもする!」
「ドロシー、下品よっ」、ステラ姉には注意されたが、少年に幻想を抱かせたままなのは嫌だった。
夜、少年の家の居間で寝袋にくるまっていると、少年の部屋でゴソゴソと気配がするので透過で覗いてみると、なんと少年は何かの本を見ながら自慰行為をしていた。
問題なのは見ている本が、私達の乱交をすっぱ抜いた局部無修正のポルノ雑誌だったことだ。
こんなところでも、私達の過去が追い掛けてくると知った私は、あまりのことに軽く眩暈を覚えていた。
あんな幼気な少年が、無言のまま息遣いも荒く頬を染め、自分のものをその……しているのはショックだった。
おそらく少年は私達の淫らな行為をオカズに、幾晩も放出を繰り返してきたのだろう。
人のプライベートを覗くのは良くないし、私達の過去の行いも褒められたものではないのだが……何だろう? 裏切られたというのとも違うし、男の子の本能に思い至らず、純心を勝手に思い描いたこちらの落ち度でもあって、あぁ、もう訳わかんない!
「……許してあげましょう、年頃の男の子だから、性的なことに興味があるのは仕方の無いことよ」
ステラ姉は寛大だった。いや、私より男の子の生理について詳しかっただけかもしれない。私は、少年のオナニーの対象にされて、気持ち悪いのか、誇らしいのか、よく分からない迷走する複雑な気持ちのまま眠りについた。
(なんか、生々しくて嫌だな……)
あの本に写っているのは、私達が複数の男を受け入れる恥晒しな姿だった筈だ。
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家のリフォームっていうのが終わった翌日からの剣の手ほどきは、体力作りが8割、基本動作と型や体捌きの稽古が2割だった。
朝、夜明けの太陽に向かって敬虔なお祈りを捧げるのが、女神様達の習慣なので、僕も一緒に祈った。ベールを被り、ロザリオに念じる朝の祈祷の姿は、本当に信心深い信徒そのもので、村でも見かけないひた向きさと思う。
朝の祈りの後すぐに、その日の修練が始まる。
女神様達の稽古は厳しかった。時折、拳法といって素手での格闘術が混ざった。
「拳ダコが適正にできれば合格だが、この修練は毎日欠かさずやるように」
「……女神様達の手はお綺麗ですね?」
「そうなんだよ、毎日、亀の湯で膝や踵の角質を落とすものだから、さっぱりタコができなくて……そんなことはどうでもいいから、続けてっ!」
午後は読み書きと算数、算数は主にアバカスという算術器具を使った計算で、僕らの国での商取引には欠かせないものらしい、その他に教養も叩き込まれた。
行儀作法とかテーブルマナー、果ては王室典礼などの雅な冠婚葬祭での仕来たりに至るまで解説されて、大変だった。
「今は必要ないと思えても、将来きっと役に立つからね、頑張るんだよ」
絶対、僕には生涯縁が無いと思うけど、女神様がそうおっしゃるのなら頑張ってみよう。
午後の授業は日替わりだった。ある日は仕掛け罠の作り方、仕掛け方だったり。火起こし、飲み水の確保、野宿の知識だったり、山道の歩き方、裁縫だったり、料理だったり、あるいは掃除洗濯などの家事全般だったりした。
家事については、皆さん一家言があるらしく、少しでも雑だったりすると容赦無いまでに辛辣だった。
空模様の見方、鳥寄せの術、星読み、方位術、畑の耕し方、鶏の飼い方、天候の予想、虫除けの薬の作り方、薬草の知識、採取と乾燥方法、薬研の使い方、怪我の応急処置、病気の見立て、とにかくありとあらゆる生きていくための知識だった。
やがてそれは薬師としての知識、石鹸や火薬の作り方、汎用ポーションの精製など簡単な錬金術の手解きにまで及んだ。
歯磨きの仕方まで教わった。
女神様方は凄い、とにかく何でもできてしまう、やってしまう。
あるときから、農耕と狩猟は実地主体の訓練になった。
実際に畑の畝を造り、種から苗を造り、生育から収穫までの早い蕪やピーマンで学んだ。そしてまた歯磨きだ。
今まで真面に歯磨きなんかしてこなかったから、僕には馴染みの無い習慣だった。
「歯は大事だよっ、若いからって杜撰にしちゃいけないわ、んん? 君、まだ乳歯が残ってるね……ちょっと抜いておこうか?」
黒髪をひっつめにしているステラ様が、僕の口の中を覗きながらおっしゃった。
「ドロシー、ねぇドロシー、ナンシーに言って、無痛デンタルキットを送って貰っていいかな?」
見たこともない清潔な、椅子ような寝台というか、寝台のような椅子に仰向けにされ、サイズの大きな兜のようなものを被せられると、一瞬で僕の歯は矯正されていた。
狩猟の道具にと鋭利な山刀と、クロスボウという見たことも無い機械仕掛けの弓矢を譲って頂き、正しい扱い方、研ぎ方や手入れの仕方などを教わった。
ボルトと呼ばれる短い矢は、木箱に五箱も頂いたが、なるべく回収するように言われた。
実際の獣の動き、穴ウサギは背後からでも敏感に反応するから遠くから狙うとか、冬眠前の胎の大きなメスは気が立っているから気を付けろとか、足跡の見方、糞の見分け方、テリトリーやマーキングなどの習性諸々だ。
解体や保存の仕方、獲物ごとの調理の仕方も教わった。
実践で、猪を初めて仕留めたときは女神様達も、我がことのように喜んで頂けた。
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初夏の青空は抜けるように澄んでいて、マクダネル君を伴って辺りを巡回しがてらトライアル・スピーダーの試運転をしていた。
最近、ナンシーの技術から、かつてのヒュペリオン人達が移動に使っていたであろう色々の乗り物から一人乗り用単座の汎用マシンを見つけ、魔物狩り用に高性能高出力に改造して貰ったのだ。
異世界のロンドンやトーキョウで見た、オートバイっていうのにちょっと似ている。違うのは回転系の内燃機関を持たないことだ。
その分駆動音も静かで、排気も無いから環境に優しい。宙に浮くので、タイヤのような接地面も無く、法面や崖だろうが水面だろうがどんな不整地もへっちゃらだった。
「ほら、しっかり掴まってないと落ちちゃうよっ」
遠慮がちに私の腰に手を回す少年に、もっとしっかりしがみ付くように促す。
此処のところ、産土神や土地神を沈める地鎮法、鎮宅法による土地鎮めの儀を、方位を読んで納めていたが、あまり捗々しい効果は得られていなかった。
一方、この山域一帯に巣食うゴブリンやリュカオンなどの猥雑種の魔物は、ほぼ狩り尽くしていた。
ちょっと地脈の流れを見て回っているのだが、どうも良く分からない部分がある。
夕方の湖に出て、最近始めたサックスの練習をした。
ナンシーの上に我が家を建てる前、師匠に伴って2030年代のロンドンを訪れた際、家電製品も沢山買い占めたのだが、ハイエンドオーディオの馬鹿高い機材を幾つか仕入れた。
マッキントッシュとかいうところの真空管アンプや、オラクルというメーカーの最高級CDプレイヤーなどだ。払ったのは師匠だ。
巻き髭師匠には高い餞別になってしまった。
ナンシーの私の部屋に、壁一面のCDと共に鎮座在しましている。
異世界では2030年代の音楽事情は、すでにウェブ・コンテンツになっていた。しかしながら、私達の世界には残念なことにインターネットが無い。
CDという音楽メディアに関心のあった私は、師匠を口説いて店ごと買い占めた。田舎者が爆買いするのは、お店の人にとっては良い迷惑だったと思う。
失敗したのは携帯プレイヤーを買ったはいいが、音楽ファイルに変換するパソコンを失念していたことだ。考えあぐねた末、私はナンシーに一縷の希望を託した。
ナンシーの未知の技術だったら、難無くデータ変換できるのではないか……という期待に見事に答えて、CDとメディアプレイヤーをちょっと見ただけで何の機器も介さず、直接メディアファイルをインストールしてくれた。
以来、高級モデルの携帯メディアプレイヤーとお気に入りの高音質ダイナミック・イヤフォンは私の標準装備になった。
壊れないように隅々まで慎重に不壊属性化してある。
今、私のマイブームはジャズのアルトサックスだ。テイク・ファイブという曲を好んで聴いている。様々のバンドがカバーリング演奏している名曲だ。
好きが高じて自分で演奏して見たくなった私は、ステラ姉がレッスンで使っていたお古を譲って貰った。
由緒あるものではないが、それなりの名器で、セルマーというメーカーの最高級シリーズ、ジュビリーの逸品だ。
水抜きや、リードの削り方、簡単な運指の説明の後、ステラ姉がごく初歩の手解きをしてくれたけれど、それからは独学だ。
最初のうちは力一杯吹くので、私の強化呼気に耐えられるよう、ネックも朝顔菅もU字も、メタルマウスピースも、リードも、何も彼も強化魔術で耐性を上げた。
常識外れの肺活量を誇る私が吹くと、とても人間技とは思えないまでの音量が出たが、作曲者と言われるポール・デスモンドのオリジナルセッションでの気負わない、クール・ジャズというのだろうか、抑えた音が目標なので段々と力の抜けた弾き方を覚えていった。
私は今、ハーレムの亡くなっていった女達に……カウンセリングでは説得できなかった女達のために、“生きてりゃ、いいことあるさ”という気持ちを音に籠めて吹いている。
例え塗り潰せない薄汚い過去を持っていたとしても、お天道様は生きることを許してくださる筈だ。
いい思い出なんか無くても、人は今を生きていける筈なのだ。
あたら見目麗しく生まれついてしまったがために、たったそれだけのために、人生を狂わされてしまった女達が哀れでならなかった。
僕は、サキソフォンという不思議な楽器を力強く吹かれるドロシー様の傍らで、その湖面に響き渡る大きな音色に圧倒されながら、聴き惚れていた。
何故かドロシー様は、とても悲しそうに演奏されている。
ドロシー様が以前おっしゃられていた話を、思い出していた。
私達もおぼこ娘じゃないので君と同じに、身体が疼くときはある。でも、私達のために死んでしまった者達、私達のせいで親を失ってしまった者達のことを考えるとそれどころではないのだと……
真っ直ぐに生きる指標として、命の恩人たる師匠に頂いた額の印には呪が掛かっており、清く正しく美しく生きることを守り通すため、厳しく戒められている。
師の教えと命に従い巡礼の旅を始めたばかりだが、朋輩のローラ・マクホランさんの最後の願いを聞き届け、僕のところに来た。
僕が小さかった頃、何くれとなく面倒を見てくれた村長の娘さん、ローラさんが、亡くなるその瞬間まで僕のことをとても心配してくれていたこと、
僕がドロシー様達の裸を見て手淫しているのを知って、恥ずかしいやら、情け無いやら、大いに取り乱し戸惑い、落ち込んだこと、
男の子の生理だからするなとは言わないが、もうちょっとこう、健全な対象がいいんじゃないか、とおっしゃられたことを考えていた。
「罪深い話だけれど、クズ勇者のハーレムで私達は、妊娠してしまった女達の堕胎も請け負っていた、マクホランさんも誰の子とも知れない胎児を水に流した一人だ……だから、君のことを余計に気に病んでいたようだ」
「もしかすると産めなかった子のことを考えて、故郷の君に重ねていたのかも知れない」
そう聞かされたローラさんが、親切に色々してくれた懐かしい思い出も、今は昔になってしまうのが、切なかった。
今度、村長の家にお悔やみに行った方がいいのかな?
ヨゼフ兄ちゃんも死んだ。お母さんの生死は不明だけど、多分もう二度と会えないんだと思う。しばらく会っていなかったローラお姉ちゃんも、僕の知らないうちに死んでしまった。人は皆んな、死んでしまうんだなぁ……
あの時の続きのようにして、自分達が如何に淫らで、愚かで、罪深かったか訥々として語られるドロシー様だった。
「だからね、こんな薄汚れた女神様なんているわけないだろう?
私達を聖女崇拝するような目で見るのはいい加減、考え直してくれないかな?」
吹くのを切り上げたドロシー様は、僕に懇願するような口振りでおっしゃった。
「ところでマクダネル君は、ドノバン湖に棲むという怪物のことは何処まで知ってるの?」、吹き終えて楽器をケースに仕舞われるドロシー様が、続けて問われた。
思い描いていた女神様と寸分違わぬ優しさと慈愛と、そして厳しさを示される僕の女神様は、本当にあの本の通りに沢山の男達と性行為をされたのだろうか?
お母さんと同じように、男を取っ替え引っ換えしたのだろうか?
こうして現実に女神様を目の前にしている今は、想像するとちょっと嫌な気分だった。
「面白いことに、いや面白がっちゃいけないな……君には感知のスキルが備わっているようだ」
「ドノバン湖にひそむという怪異は、村の秘密なのは知っている、けれど君も知っているマクホランさんに息を引き取る今際で、頼まれたことなんだ」
僕は物心がついた頃から、感じているトモダチのことを思い浮かべていた。
村では友達の少なかった僕に、昔から良くしてくれた優しい怪物。
結局、怪物は出てきていません、タイトルに一致してないって怒られそうか?
次話で回収できるのかな? ショタをやっておこうと思ったら、禁断のオナニー談義になってしまいました
微エロ? 微エロでいいですよね?
遂に運営様の指導を頂きましたので、一部改稿いたしました 2021.01.08
クネッケ=クリスプ・ブレッド〈英語:crisp bread〉は、平たく乾いた北欧のクラッカー状のパン/スウェーデン語ではクネッケブレード〈knäckebröd〉ノルウェー語でクネッケブレー〈knekkebrød〉という、古来より耐寒性の強いライ麦から作られるクリスプ・ブレッドは一度に大量に作って長期間保存できるため、北欧の民の主食とされ貧民の常食であるとも考えられていたが、全粒穀物から作られたクリスプ・ブレッドはカロリーが低く食物繊維が豊富で栄養価が高いため、近年になり北欧諸国やその他の欧米諸国ではクリスプ・ブレッドに対し健康食としての新たな認識が生まれてきている
ブイヤベース=南フランスのプロヴァンス地方は地中海沿岸地域の代表的な海鮮料理で地元の魚貝類を香味野菜で煮込む寄せ鍋料理、薬膳鍋といった趣もあり世界三大スープのひとつとしてあげられることがある
ポークビーンズ=豚肉と豆を主な材料としたトマト味の煮込み料理、アメリカの代表的な家庭料理であり豚肉のかわりにベーコンが使われることも多い
エッグベネディクト=イングリッシュ・マフィンの半分にハム、ベーコンまたはサーモン等やポーチドエッグ、オランデーズソースを乗せて作る料理
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