14.ケルベロス・ドラゴン出陣す
トラップ島戦役、それは私達勇者チームが参戦していればここまで敗退する戦場ではなかったと、軍事評論家が言及している。
結果として人類は辛勝したが、それは運とか天の采配とか危殆なものに左右されたものだった。だが確かなものがあった……失われた人々の命や破壊された街や村の被害が歴史的にも上から数えた方が早い、そんな惨劇だったことだ。
公爵領首都オールド・シャルマーニュを取り囲む巨大な城壁の何ヶ所かに付設された物見の望楼のひとつに陣取って、首都全体を監視していた。星の瞬く夜空と月明かりもあり、真っ暗闇ではないが、もう夜も更けて燈を灯す建物も少ない。
「狙い通り動き出したよ、揺さぶりを掛ければ予定を早めると踏んだのは、こちらの目論見通りだね」
「問題は、私達に阻止された処女の生贄をどうやって入手するかですね」、都を見下ろす愁いを掃いたステラ姉の頬に、夜風が後れ毛を靡かせていた。
「人間性に絶望した未熟な者が、どう動くか予断を許しません」
「封印の器は、まだ安置されたまま」
エリスが千里眼で、まだ“トレヴァーンの木蔭”に仮設された遺跡発掘の研究棟に保管されたままの封印器を見張っていた。
「ねぇ、やっぱり封印の器とやらを破壊しちゃった方が手っ取り早くない?」
短慮かもしれないが、危険を放置しておくことが不安だった。
「駄目ですよ、手段を失い血迷った彼女らが何を仕出かすか分かりませんし、破壊そのものが魔神を解き放って仕舞います」
「擬似ブラックホールで圧縮しちゃうとか、ダメかな?」
「……あっ、出るよ、小隊規模だね」
私はシベール達の動きを中心に監視していた。
騎馬で成り振り構わず夜駆けをするようだ。夜目の利くアングロピルスナー種を使っている。この速度に特化した馬種なら、彼女等は不整地でも一刻程で渓谷に着くだろう。
「私達も出ましょ……」、ステラが愛用のスタッフのひとつ、“マーリンの神羅万象”を手に立ち上がる。
「転移で行く? それとも……」
こちらの準備は既に万端だ。雷神の加護を溜めるブラスナックルが仕込まれたグローブの馴染み具合を確かめるよう、拳を握り締めた。
「天翔で行きましょうか、あまり早く着き過ぎても」
「例のものは?」、仮設された研究棟の夜間警備は、併設した隊舎に駐屯するうちの団で請け負っていた。好都合極まりない。
「問題ありません」、守備のメンバーに案内させた収蔵庫保管室のガラスケースの中に、それは息づいていた。ロイド・デントンら領主一派は、未だにこれが只の聖遺物だと思い込んでいる。
ケースの開錠紋は主任研究員の物を予め複写してある。
当初の計画ではこの渓谷で復活させた魔神を領主の居るオールド・シャルマーニュに団員で誘導し、浮き足立つ領都を制圧して一気に占拠する段取りだった。
腹案があった。
プランBでは、首都オールド・シャルマーニュを掻き回す陽動に魔神ガレオンを復活させるのは首都の片隅と決めていた。
やはり持ち帰るか? 今なら夜明け前に取って返すことも可能。
オールド・シャルマーニュの中心街、凱旋門広場の戦勝記念噴水に来ていた。ここなら襲撃ポイントの何処からも、等分に離れていて具合がいい。ミルク配達や、街灯の消灯人などの早起きの者らが入り込まないよう、広場を封鎖する。
今、占拠した広場に私の他は人影も無く、白む朝靄に咽喉を潤す土鳩らが意匠を凝らした大型の噴水に群れているばかりだ。
朝の静けさの中に鳩が鳴き交わす声がヤケに煩かった。
私が居なくなっても、革命が成就出来るよう後を託す腹心の部下達に段取りを言い含めた。切羽詰まった事情から(出しゃばりの女供が介入してきた所為だ)、星の巡りに従った決行日を2日ほど早めたが、大筋の行動計画は変わらない。
「皆、後を頼むぞ……」、登る朝日の中、古文書で調べ上げた儀式に従い、古びた銅鐸の形状をした封印器の上で、汎用の解呪スクロールを燃やす。
シベールには誰にも言っていない秘密があった。自己治癒能力……セルフ・ヒーリングの完全な上位互換、自身の肉体再生というスキルだ。養成校の頃、閨房術の実践講義で散々傷付いた後に、それは目覚めた。
剣奴の訓練で脱臼したり、裂傷を負っても、シベールだけ矢鱈と治りが早くて怪しまれたものだ。
“鉄の乙女旅団”に配属されてからも、頭角を表すのに役に立った。
やがて旅団長に叙任されると、只相手の性欲を満たすだけに身体を与える伽の勤めが嫌になって、股間に焼き鏝を当てた。
歯を喰い縛る為に噛んだ樫の小枝を噛み砕く程の激痛だったが、気を失わずにどうにか耐えた。肉体再生のスキルあってこその荒技だったが、自主報告に怒り、ケロイドになった部分を見据えたカンタベーラは司教冠を投げ捨て、痴れ者呼ばわりと共に錫杖で打ち据えた。
この時に額に受けた疵痕が、“向疵”の二つ名として知れ渡った。
自分で自分の女の印を焼いた豪胆さは、以降触れる者が居ない迄に一目置かれるようになった。
以来、伽の声が掛かることは無くなり、放逐もされることなく団を率いているのだが、額に残った傷だけは再生の固有スキルを隠す為に、完全には治癒せず残す必要があったのだ。
いわば、館の男共に身体を与えることを免除された代わりに罰の象徴としての傷痕を残しておく必要があった。雇主達の趣味で縦ロールにされた髪型も、このときにバッサリ短髪に切り落とした。
賭けだった。男を知らぬ、汚れなき生娘の純潔な魂が必要なのか。それとも、再生された偽物でも、未通の肉体が必要なのか。
「願わくば、娘らが泣かなくて済む世の中を、女共が身体を売らずに済む世の中を……」、昨晩の別動任務装備のままなので、身に帯びたスローイングナイフを引き抜き、頸動脈に充てがった。
「しまっ、シベールは処女膜を再生している! ステラ姉、先に住民の避難を!」
「承知!」、返事を確認しながら、噴水前の儀式の場に転移し、私は事切れようとするシベールを抱きかかえると、その場から一瞬で退去した。同時に心眼で見ると、リビルトされた処女の血潮が派手に巻き散らかり、浴びた封印器は罅割れて、不気味な何かを解き放とうとして禍々しく蠕動している。
「エリス、ガレオンを抑えて!」
(任せて……)、エリスが念話で返答してくる。
シベールの遺体を抱えて、首都郊外に転移してくると、やがて首都の住民が続々とステラ姉の選択転移で運ばれてくる。
敬虔な国教徒は朝日に祈りを捧げている時間なのだが、ここシャルマーニュの大多数の領都民は惰眠を貪っていたらしく、ほとんどの者が寝床から運ばれてきたが、中にはトイレ中だったり、風呂に入っていた者、ベッドで愛し合っていた者もいた。大多数の者が裸で就寝する慣習に従って、亜麻布の下着か下穿きもないままの裸体だった。
所々で悲鳴が上がっているようだったが、死んじゃうよりはマシと思って我慢して欲しい。
「迂闊だったよ、まさかこんな隠し球があったなんて……」
心せよ、充分に熟慮したつもりでも、必ず不測の事態は起きる……師匠に言われて、耳に胼胝だった言葉が思い出される。
すぐに死者蘇生の術式に入る。黄泉の国に旅立とうとするシベールの魂魄の糸を手繰り、引き寄せ、繋ぎ止める術句を紡ぎ、リザレクションの魔法陣を展開する。いつの間にか、首都民と共に転移させられてきたシベールの部下達が、周りを取り囲んでいた。
中には跪き、合掌して祈りを捧げている娘もいるようだ。
「リザレクション!」、発動結印の終句を唱えた。
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復活したガレオンは、おそらく災厄を振り撒くだけに造られた兵器のようなものなのかもしれない。他心通や魔心感応で意思疎通を試みるも、意味ある思考の流れは読み取れず、ただただプログラムされた破壊衝動に従っているような気配だった。
発動を未遂に終わらせる策謀の筈が、痛恨のミスだ。
復活の儀に朦々と立ち込める、一瞬の爆炎に倍した異臭を伴う黒煙を割って出現したそれは、黒山羊の頭と灰色熊のような上半身、鱗に覆われた下半身に鵺のような蛇の尾を持ったキメラ体とおぼしき巨体で、二足歩行に立ち上がると悠に20メーターは凌駕し、凱旋門広場を取り囲む高級アパルトマンや貴族達のための高層多目的宴会ホールよりも高かった。
都民はステラ姉が強制退去させている筈だったが、被害を最小限に抑えるため、周囲に固定の魔力障壁を張りまくった。空を見上げると濃密な黒煙が陽を遮るように立ち登り、広がっていた。
様子見をしてる猶予は無い。私はエリス、その肌に妖艶無窮、変転する魔的呪装を刻んだ女。白い緞子の巡礼マントを脱ぎ去り、空間収納にしまうと、その下は肌を露出したビキニ・アーマーだ。
……「変身憑依、最大級ベヒモスっ!」
魔神ガレオンに等しき巨体、麒麟の頭に水牛の角、麻痺の鱗粉を振り撒く分厚い蝶の羽、虎のような縞の胴を持った魔獣の姿に自身を変えて、鋼鉄のオベリスクをもへし折る魔呪の触手で、厄災の魔神の捕縛を試みる。
音の振動だけで周囲を破壊する雄叫びと共に、ガレオンが抗うように繰り出す千本貫手染みた拳の速射を触手で捌きながら、突然引き摺られる膂力に脚を踏み締め、四股立ちに耐えると、ベキバキと足下の石畳が陥没する。
瞬時に展開したバトル結界も破壊され、ガレオンの縮地に引っ張られて東に三キロほど一瞬で移動した。黒山羊のギロギロと剥き出しにされた眼球は血管が浮き出て狂気に染まり、ギシギシと噛み締められた黄色い歯並びからは何か反吐のような汚らしいものを垂れ流し、触れたものを腐らせる瘴気の息吹を吐き続けていた。
拙い、街中が破壊されちゃう!
遅ればせながら、周囲の建造物に強化と空間固定、不壊属性の魔法を重ね掛けする。人はステラ姉が発生源を中心に順次、強制的に避難させている筈。
凍結魔法と石化魔法を連発するが、ガレオンの抵抗スキルが強大で30秒も保たない。
「何やってるの、エリス!」、ドロシーがすぐ側に浮かんで、駆け付けて来ていた。
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少し前、首都郊外の開けた調整地は次第に転移させられてくる人々で溢れ返っていた。朝の練兵にはまだ早く、何処の兵力も着の身着の儘の状態で、武装している者は夜警などの一部の警邏隊を除けば、皆無に近かった。
事態の収拾に誰かが乗り出すには今少し掛かる状況に、密集する裸体や良くても寝巻き姿の十数万もの領都民は、遠方に望む自分達の領都が得体の知れぬ何かに蹂躙される煙と、ここまで届く怪獣の魂消るような雄叫びに、ただ震え上がるだけだった。
「なっ、何故、私を助ける……」、噎せるようにして、蘇生されたシベールが問い掛けてくる。
仰臥したシベールを見下ろしながら、失血した分の血液を補充し、首の切り口を補修していく。
「恨まれたまま死なれるのは、後味が悪いんでね……、基本、私達は救える者は全て救う、そう決めたんだ」
彼女を団長と慕う娘騎士達が、取り縋り咽び泣いている。
「もう武装蜂起は諦めてくれるだろうけど、私達があれを始末するまで動かないで貰うよ」、彼女達、旅団員を選択して敵対行動を執ろうとした瞬間に発動する固縛魔術を掛ける。
「何もしなければ、自由に動けるからね」
去り際、シベールが一筋の涙を流していた。憑き物から解放された安堵感なのか、それとも初志を成就できなかった不甲斐無さを嘆くものなのかは分からなかった。
いずれにしても、これからの時代で女性達の解放を願って、自分の命を犠牲にするような真似は、私にはできないものだった。
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(“プリ”、来れる!?)、盟約の眷属にのみ通じる遅滞の無い遠話で問い掛けた。
(盟約により、いつ如何なる時も、即座に主人の命に従う、我、参上せん……)
打てば響くように返ってくる復命の許、猛烈な地鳴りが始まり、路面が隆起したかと思う間もなく、周囲の市庁舎や音楽堂、証券取引所などの貴重な建物を崩して、闇の神殿が土中から姿を現した。
プリの棲家、“常闇の祠”だ。
「なっ、なんてことするのよおぉっ、肝心の護るべき街を壊してどうするのよおぉっ!」
私は、頭を抱えて絶叫すると、傍若無人な私の眷属、ケルベロス・ドラゴンのプリを呼び寄せたことに、すでに後悔し始めていた。
神殿から三つの頭を出していたプリは、まったく悪びれておらず、何処か暢気そうだった。
(主人よ、細かいことに気を病むな、禿げてしまうぞ、大体翔んでくると不服そうなので、これでも控えめな登場の仕方を選んだのだ)
プリの風圧は森を薙ぎ倒し、野山を押し潰すので、以前に本気の神速を禁止していた。
(要は、その山羊頭を滅ぼせばよいのであろう?)
のそりと棲家を出たプリは、その巨大で頑丈な皮膜でできた蝙蝠のような漆黒の翼を展げると、相手の体高に合わせて自らの体躯を更に巨大化させた。
グッ、グッと盛り上がる巨躯は、今更ながら通常の生命体の範疇を超えて、空恐ろしいのだが、もうこれ以上、派手に暴れないでと祈るばかりだった。
私はせめて、破壊されてしまった街並みを修復しようと、破壊された物達の残留思念を仔細に読み取り、煉瓦のひとつひとつ、漆喰のひとつひとつ、風化されるに至った由縁まで遡り、モノの記憶を寸分違わず再現して回った。
記憶転写、復元、記憶転写、復元を繰り返していく。
(どれ、小娘、その気色悪い触手を解いて、相手を変われ)
(プリのくせに、生意気……)
(主人の朋輩だからと一目置いているのに、今度、お仕置きせんと如何な)
渋々、がっぷり四つの組み手を解いて引き下がる巨大ベヒモスのエリスを尻目に、プリが対峙するや、三つの口から放たれる目映いばかりの紅蓮の炎が、緋色から転じて真っ黒い炎へと変わりガレオンの巨体を包む。
すると、どうだあれほど耐久性を誇った黒山羊顔のキメラが嘘のように崩壊していく。
(ガレオン乙型だな、随分以前に開発された量産型の攻城兵器だ、暴走対策に自壊コードが組み込まれている)
……お前達は、世の理のほんの一部しか知らない、己れを知って謙虚になれよ。
師の言葉が思い出された。
こうして、領都を騒がせた“鉄の乙女旅団蜂起事件”は、あっさりと終幕したのだった。
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ある程度の修復は完了したが、後は領都の行政機関に引き継ぐことにした。
少なからずプリが壊した分もあるので、少し後ろめたい。
ステラ姉が、選民主義撤廃のためにロイド・デントン・シャルマーニュとカンタベーラ三世の一派を捕らえてきた。どう逆らいようも無い傀儡政権として、以降、世のため人のため機能するよう解除不能の呪術で縛る。
「その荊の冠は隷属魔術の証し、命ある限り我らの意に背くこと叶わぬと知れ、もしおかしなことをすれば、それはお前達の命を容赦なく削る!」
「今後、お前達には善政を布いて貰う、まず溜め込んだ浄財はすべて復旧と今後の社会福祉に供出させる」
「剣奴は勿論のこと、全ての奴隷制度の撤廃、教会付属の剣闘士養成校は廃止、過去の戦役で焼け出された者達を救う格安の医療機関の特設、衣食住を確保する制度を含んだ住宅の敷設、なにより孤児に職業選択の自由を約束する各種訓練校の設立をやって貰う」
「お前達の悪業を裁かぬのは情けではない、ただ、ただ、お前達の利用価値のために生かされているに過ぎないと知れ!」
ステラ姉の断罪は、苛烈を極めた。教会、王室、ギルド連合、何処の権力が介入してこようとも、ステラ姉の荊の冠は解除もできず、最初に下された施策が曲げられることはないだろう。シェスタ王家中央にも干渉できないような、完璧な司法制度で固めてしまう。
何しろ、これに逆らう者には天罰が降るのだから、誰にも邪魔はできない。
棘の冠を戴いた者達が存命のうちだけという、時間制約つきだが、この南バイエルン州を改革するには充分だろう。
さらに中央政権には州法の自主独立を犯させない布石も打った。
法と秩序を守らせるために、宗教の自由こそ認めたものの、集団改宗さえ辞さない姿勢を示したのだ。
裏の事情を知る者には、口外無用の呪術を広範に掛けた。
例え話したくても、家族にすら漏らすことは出来なくなる……そんなロビイストや政・財・官の職員達には犠牲になって貰った。
芝居として、悪政を深く反省した地方の為政者達が、これを境と突然善政に目覚め、自戒の意を込めて頭に荊の冠を戴く格好での、領都民に謝罪するパフォーマンスを演じさせる。
このときの念写を王都の新聞局各社に声明付きで送りつけた。
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戦災孤児達の暮らす、元の剣闘士養成機関のひとつを訪れていた。
身体が癒えれば、元旅団長のシベールが各地方の州立職業訓練施設を束ねる半政府機関の理事に就任する予定だ。領都の療養所を見舞ったときは、終始頭を下げられて閉口したが、貸しイチとして再開を約した。
シベール、浅慮だったかもしれないが、女が慟哭しなくていい世の中を望んで反旗を翻したストイックな指揮官、私は結構嫌いじゃなかった。
自らの膜を再生するなんて、目から鱗だったけど……
「伝説のケルベロス・ドラゴンが本当に居るとは思わなかった、ましてやそれを従えた者がいるなどと想像もできない」
「貴女に命を拾われたとき、貴女はおそらくすべてのベールを取り去っていた、正直打ち震えた、その美しさと何物にも屈しない圧倒的な凛々しさは戦女神そのものだった」
「最初から、貴女には敵うはずもなかったな……」、別れ際のシベールの言葉だ。
実態はステラ姉が把握していたが、かつての訓練を仕切っていた輩は残して置ける訳もないので、全員鉱山送りにさせた。生涯を重労働で償わせる。
今は、真面な女神教修道士協会から一時的に営繕メンバーを派遣して貰っている。
教会階位で保育士資格を持つ者も何名か居る気配だった。
後で、復興と環境改善に必要な物資をナンシーから提供させようと思う。
孤児達は、年長者は仮設の教室で読み書きを習い、幼年の者は外で自由に遊んでいるようだ。
早々と職業訓練施設の基礎打ちが始まっていた。
私達は強くなった、御飾りとして勇者パーティに居た頃とはまるで比較にならない程に。
でもそれが、過去の大罪を帳消しにする都合の良い免罪符になる訳もない。
「すみませんっ! 私達のせいで……」、ステラ姉も忸怩たる思いに顔を曇らせている。
私達のせいで戦争孤児になった子供達……償っても償いきれない罪に、傍に寄ることもせず、出来ず、貴方達の親を奪ったのは私なんだよ、と心の中で謝り続けた。
「ごめんなさい……」、今はこんなことしかできないけれど。
すると5、6歳ぐらいだろうか、女神教の修道女服を着た保母役の女性に連れられて赤い癖毛の可愛い幼子が、私達の前に立った。訓練所の貫頭衣ではなく、奉仕協会が支給した古着を纏っていた。
「お姉さんっ、お姉さん達が、ミミ達を助けてくれた救世主様?」
(((………!)))
「……違うよ、お姉ちゃん達は、ただのビッチだよ!」
いたいけな幼女に真実を伝えて傷つけるのは忍びない、貴方のご両親が亡くなったのは、私達が駄目女だったからなんだよ!
「ドロシー様、それは……」、付き添った保育係の修道女が当惑するのを目で制する。
「ただのびっち? ただのびっちって何?」
「そ、それは子供が知らなくてもいいこと……んんうん、ピエロ、お姉ちゃん達は、悲しいこと、辛いことがあるときに笑いを振り撒く旅の道化師、ピエロなんだ」
「飴をあげるねっ」、手持ちが無かった私は、瞬時に棒付きキャンディを生成していた。
「ほら、耳を澄ましてみて、小人たちのパレードが始まるよ」
土霊を呼び出す即興のイリュージョンマジックで、何処からか繰り出す森の小人妖精リリパット達がわらわらと楽隊を組んで、すぐ横をマーチと共に行進していく、続くは小さな曲芸団の一座だ。
「わあぁっ、何これ? すごいっ、すごいの!」
ブラスバンドに鼓笛隊、小さな南瓜の馬車に、様々な山車やカーニバルの旗持ちなどが、辺りをジグザグに進んでは小さな爆竹を振り撒いている。
興奮して喜ぶ少女が愛おしくて、泣けてきた。
「ミミちゃん、幸せになってね」、私は汚れない女の子の癖毛を優しく撫でつけると、幾つかの地霊に、この子を生涯に渡って見守るようにお願いした。
やはり私達が仕出かした所業は、確実に人を不幸にしている。現実を目の当たりにすると、暗澹たる思いが募るばかりだった。
その後、広場で即席に炊き出しの大鍋やらを幾つか吊るし、師匠直伝のカレーライスを子供達に振る舞った。加減したつもりが、それでも子供達には少し辛かったのか、ヒーヒーいいながらだがすごく美味しそうに食べてくれた。
今までの剣奴の身分からは解放できたけれど、親無し子達の将来も含め、総てはこれからだ。
丘の上から見下ろす孤児達の集うコロニーに、ステラ姉が祈る。
「この子らの生涯に多くの幸あらんことを願います……バハ・スウィーン」
五体投地の儀式祈祷だ。
雲間から射す幾筋もの霊妙な光が、福音となって降り注ぐ。
約束された確実な真に力ある福音は、あらゆる魑魅魍魎や厄災を防ぐばかりか、幸運の精霊の力が乗る。
こうして、私達は戦渦の傷跡たる孤児達の許を去ったのだった。
エリスが後ろ髪を引かれるように、何度も立ち止まっては振り向いていた。
「……エリス?」
「分かっているよ、ドロシー、未来永劫私達が許されることは決して無い、それでも前に進む道を、私達は選んだんだから」、そう言ってエリスは寂しげに笑うのだった。
我等の罪は到底許し難きものなれど、今一度生き様を見て欲しい、巡礼に生涯を捧げる覚悟を見て欲しい、誠心誠意心の底から詫びている……私は心の中で、そう呟いた。
その晩、私達はまた、手酷く足蹴にしてしまった幼馴染みのソランに宛てて手紙をしたためた。
随分と手前勝手だったけれど、この一件で、私達の罪深さを改めて知り、旅の目的を想った私達の今の気持ちを、知って欲しかった。
それは、私達の罪と償いを紡ぐ最初の一頁かもしれない。
かつて王都へ上京して以来、手紙など出したこともなく、勇者の魅了に堕ちた挙句、血涙を流す程の裏切りで見捨ててきたソラン……さぞ、恨んでいることだろう。
ソランには、この贖罪の旅を始めるにあたって、意を決するように詫びの手紙を出していた。長く音信不通で済まなかったこと、顔を合わせて謝らねければならないところ今少し善行を積まなければ恥ずかしくて会いにも行けないこと、殺されても仕方ない私達だが出来れば生き続けて許されたいと思っていることを、書き綴ったものだ。
式神の燕が燃え消えたのを知ったので、無事に手許に届いたのは分かったが、読んでいて貰えたらいいのだが……
最悪です、会社で書いてるのがお局さまに見つかってしまいました
しばらくサンデーライターかな?
どこにでも意地悪ババアっていますよね
剣奴=もしくは剣闘士、古代ローマにおいて見世物として闘技会で戦った剣士で、名前の由来は剣闘士の一部がローマ軍団の主要な武器でもあったグラディウスと呼ばれる剣を使用していたことから来ている
ローマ帝国の多くの都市にはアンフィテアトルム〈円形闘技場〉が存在しており、そこで剣闘士同士、あるいは剣闘士と猛獣などとの戦いが繰り広げられた
また人工池などを用いて模擬海戦が行なわれることもあったが、闘技会に批判的なキリスト教の影響によって衰退し、404年に西ローマ皇帝ホノリウスの命令で闘技場が閉鎖されたが、その後も各地で続けられていたようであり、681年に公式に禁止されて消滅した
剣闘士養成所では闘技を指導する元剣闘士の訓練士〈ドクトレ〉や教練士〈マギステル〉、高度な技術を持つ医師そしてマッサージ師〈ウーンクトル〉などが働き、剣闘士の養成を行った
五体投地=五体すなわち両手・両膝・額を地面に投げ伏して仏や高僧などを礼拝することであり、仏教において最も丁寧な礼拝方法の一つとされ対象への絶対的な帰依を表す
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