08.エリスが人間をやめた日
いい戦士になる条件はただひとつ、形振り構わず生き延びる気概を持てるかどうかだと、師匠は言う。
潔く諦める奴ほど早死にする。卑怯、狡猾上等。意地汚く足掻き、誹られるのも歯牙にも掛けず最後まで生き延びた者が、結局は勝ちを得る。
そう諭す師匠は、今日も今日とてやめられない喫煙と深酒の悪癖を顧みず、健康管理を声高に強要するのだった。
師に依ると、元々この魔境のような異世界は高度な文明社会だったらしい。しかし同時に進化の袋小路に行き詰まってもいた。
資源は枯渇し、社会の維持運営に必要なエネルギーは幾ら再資源として循環させても、僅かながらの熱エントロピーの損失は無くならない。思想的先導者だった大魔導師が亡くなって、社会は“あるがままの自然を受け入れる”運動派が大勢を占めるようになっていった。今までの摩天楼の林立する都市を捨て、陸海空の交通網と物流を捨て、洗練された医療体制を捨て、高尚な哲学や価値観や芸術を捨て、先人の培った便利な道具や通信手段を次々と捨て、人々は敢えて不便を受け入れる原初の杜へと還って行った。
ここに一人の異端児が登場する。嘗ての大指導者だった偉大なる魔術師の一番弟子を標榜する者だ。
大魔術師の目指した理想は、何と自分達の手で世界を救うオンリー・ワン、全能者を生み出すことだ、と騙って寸断され侘しく共同生活を営む総てのコミューンを言葉巧みに纏め上げ出した。
一番弟子の唱えたのは淘汰の理論だった。
「つまり、より能力の高い者が勝ち抜くことに依って、神へと至る進化を促そうとしたんだ、禁術指定されていた変身紋まで解放してな……」
「バカげた話さ、社会構造まで捨てて正邪もつかぬ至高神に辿り着こうとした」
「種としての全体存続より、唯一の何かを生み出すことを優先する価値観が、この狂った世界を作り出した」
日が暮れ、辺りが薄暗くなるにつれて変転する植生も幾分動きが鈍くなったようだった。初めての異世界の夕暮れ、何処に危険が潜んでいるのか相変わらず弟子の自主独立を尊重する師匠は、こう言った場面では口を出さない。
私達は装備を整え直すと共に、小休止を取る為に、ストレージから予備のキャンプセットを取り出していた。
昼間の移動に際しては第一種行軍兵装を着装していた。
目立たぬ艶消しケミカル素材の防弾ヘルメットとHMDゴーグル、デュランダル軽合金製ライトアーマーの下に着込んだ迷彩柄のレンジャー野戦装備、それとストラップ付きサスペンダーで吊ったウエストベルトがあるので(戦闘魔道具や武器をホールドする)、それらは脱装した。
ハイカロリーのバランス・クッキーと、ナッツとドライクランベリーを小袋にした行動食を分け合った。火を使わず、幾つかの保温キャンティーンから紅茶や珈琲など、各々好みの飲み物を補給する。
ジタバタ暴れる捕虜の子は、近くの木に結わえ付けてあるが、木が変身して仕舞わないように、木には石化の術を掛けてある。
捕虜の子が縄抜けして仕舞わないよう、後ろ手にした両の親指の付け根を、念の為呪いで変質を封じた強化シリコンゴムのチューブでバインドした(正可無機物までこの星の影響を受けるとも思えなかったが、転ばぬ先の杖だ)。
人道的にはアウトかなと思うが、獣人の子は指が鬱血する様子も無く、変わらずジタバタ元気に暴れていた。
「変身することに依り、強い想念が、より強い肉体を生み、強い肉体に、より強い意志が宿ると考えた」
師匠は、噛み付かれないよう下からきつく掴んだ獣人の子の顎を上向かせ、胸の辺りの肌を示した。
そこに浮き出ているのは、非常に緻密に刻まれた紋だった。
「これが変身紋だ、思想的指導者だった大魔術師が編み出した禁術にして、この世界が常に変転している元凶だ」
「生物体系全体……およそ、草履虫や蚤の類い、草木の一本に至るまで生けとし生けるもの総てに、遺伝子レベルで刷込まれている」
強力な個体であればあるほど、この出鱈目な不思議を持つ変身紋は大きく、また緻密で複雑になっていくらしい。
進化の淘汰と言えるかどうか、今私達の訪れたこのエリアに、この惑星、この世界の頂点たる個体達が群集していると言う。
そして、ことある毎にライバルを蹴落とそうと虎視眈々、互いが互いを牽制し合い鎬を削っているのだとか……
ここで登場してくるのが単体としては生き残れるほどの能力を持たないヒエラルキー最下層の存在達だった。
進化の実験場から弾き出され、消えていかねばならない運命の彼らにも生き残りたい、と言う生命体としての本能が、至極当然のようにある。
嘗てこの星の人類があれほど発展した群れとしての共生社会の在り方が、ここにも適応された結果、生まれたのが共棲複合体ともいうべき進化の忌み児だった。
捨てた筈のテクノロジーの根本原理である、共有という考え方が偶然にも発揮された結果、頂点進化とは別系統の“群体”と言う共棲複合体が出来上がるに至った。
つまり弱い個体が集まって、大きく強力な一匹の個体に変身することに依り、弱者達が生き残ろうとしたのだ。誰が、それを責められよう。
一方、個としての能力を進化させてきた筈の強化種が、この複合体と競り合う場面もあり、一時は均衡を保っていたが、やがて逆転現象でこの仮にユニセルラーとも呼ぶべき複合体が、モノセルラー種に勝る場面が増えていった。
進化の頂点に、嘗て実験場を作り出した者達の意図を超え、弱者達の集合体が取り替わろうとしていた。
「なにせ、大勢での合体が可能なユニセルラー達は、柔軟にその構成個体数を増やせるが、モノセルラーは他者と合体する能力自体が欠けている」
「斯くして、“アレックスの壺”と呼ばれるこの世界の淘汰は、誰も予想しなかった形で、新たなる神擬きを産み出そうとしている」
「共棲体が進化の勝者になろうとしているんだが……そろそろ、来るぞっ」
えっ? 何が、と思っている間に一天俄かに掻き曇り、落雷を伴うスコールが地面と言わず、密林とサバンナの樹々を、雨粒と言うには剰りにも凄まじい勢いで嘘みたいに叩き出すが、
いや、もうこれ、暴風雨でしょっ!?
加速モードで瞬時にタープ類を撤収、獣人の女の子を確保すると、次の行動指示に身構えるが、不穏な地鳴りに10時方向を見やると、あろうことか平地なのに鉄砲水が押し寄せてくるのが、分かった。
「何ですか、これっ! 誰かの魔術ですよねっ!」、膨大な魔力を感知した土壇場のピンチに、声を限りに導師に訴えるのが精一杯、次の瞬間にはあっと言う間に暴力的な水の畝りに呑み込まれて仕舞う。
結界シールドを泡のように展開し、手放さなかった獣人の女の子が恐怖からか跳ねるように暴れるのを後ろ手に極めて、両足で下半身をホールドする。
天地の見境も付かぬままグルグル転げるように、圧倒的な量の奔流に揉み苦茶に流されるが、何だこれ!?
濁流は魔力と生命のマナと、支離滅裂なまでに大量で濃密なエレメンタルが溶け込んだ百花繚乱の様相だった。
流される水の中に、有りと有らゆる生命進化の枝に連なる何かの大型獣とおぼしき個体達が、常にその姿を変転し、時に合体し、まるで溶着するように溶け合うかと思えば、さながらアメーバの細胞分裂のように違う形態にと分かれていく。
ときには巨大な群体となって、水面から躍り出たかと思えば、次の瞬間にはばらけて水面を叩く。
生命の爆発、ブーストされ、加速された忌み児達に依る、さながら生命進化の暴虐的なイリュージョンだった。
その目紛るしく変転するパレードは、次から次に押し寄せては流れていき留まることを知らなかった。しかもそれら大小のイモータルっぽい怪物供が濁流の中から絶えず崩壊や侵食、振動分解などの多彩な魔術で攻撃してくる。
どうやって、自分ら以外の排除対象を識別しているのか判然としなかったが、おそらく違相次元結界などの防御法を持たない者には一溜まりも無いだろう。
可成り流されて、いい加減何処かも分からないまま、取り敢えず濁流を脱出しようと、錐揉みで真上に強化瞬動を掛ける。
突き当たる何かの障害物をすべて押し退けて、水面を割り、上空に飛び出た。
下、地表は可成りの幅で流された熱帯雨林帯とサバンナの草原が蹂躙され、水没した甚大な洪水被害となって横たわっていた。
「ドロシーっ!」、エリスがちょっと離れたところに独りで滞空していた。
飛空術で滑空し、近付きながら安否を確認する。
「エリスは何ともない? 師匠達は?」
「私は大丈夫、師匠達とは逸れたっぽい……」
私達はズブ濡れの身体をドライとクリーンの魔術で清めた。気が付くと抑え込んでいた女の子が、知らずに首締めの力が入っていたらしく、白目を剥いている。
気付けの魔術で息を吹き返させ、なるべく優しく感応念話で“暴れないでね”と伝える……そろそろ言語学習スキルが、言葉が通じない相手にも意思の疎通を可能にしてくれる筈なんだけど。
(イチバン、イ、イチバン……)、言語ではなく思念だったが、女の子が何か意味のあることを訴えてくる。
“一番”とはオンリー・ワンを求める淘汰のことだろうか?
(ストーム、ストーム!)
どうやら、この現象は彼女らの中ではストームという認識らしい。
⦅何処だっ?⦆、割れ鐘のようなけたたましい感度で導師が呼び掛けてくる。
「結構流されました、途中濁流がくねってるので良く分かりませんが、大まかに東南東だと思います、距離は……10から20kmぐらいかと」
⦅これが、アルファ・ワンと呼ばれるユニセルラー種最強個体の排他方法だ、300万の群体を誇る彼らは、この方法でモノ属のみを選択して倒してきた⦆
⦅勝敗は決しつつあるが、俺達が求めるものは別にある、そこからなら西に、このエリアの中心がある、高く上がってみろ、ピラミッド状の構造物が望めたら、そこが俺達の目指している場所だ⦆
⦅ステラは俺と一緒にいる、先に行ってるから遅れずに来いよ、女の子を忘れるな……降霊術に必要だから⦆
「降霊術って言ったよね?」
エリスは聞き違いじゃないことを確認してきた。
「うん、確かに言った……」、「単純に御霊おろしの依代ならいいけど、何か人身御供とか、儀式魔術の生贄とかだとヤダなぁ、可哀想じゃない」
「あれで、人でなしの鬼畜上等冷血漢、猟奇サイコパスみたいな冷酷非常なところあるからなぁ、うち等の外道師匠は……」
事実、倫理観よりも生き残る方を選べと口が酸っぱくなるほど諭されている。
私とエリスは、見定めた方向目指して、低空を移動していた。
陽は疾うに沈んで、初めて迎える魔境の夜に夜行性でもないのに嗅ぎ付けてくる怪獣共は特別な感覚器官を持っているようだった。油断は出来ない。
ゴーグルは夜間モードにスウィッチしていた。
どうやらこの星には月となる衛星が、四つも五つもあるので、結構な月明かりが有り難かった。
途中、遭遇するこの世界の淘汰を戦う中型クラスは、何度か師匠に強請って譲り受けた、次元と空間を引き裂く“無明丸”で切り刻んだ。
師匠が髭剃りに使っていた折り畳みの剃刀だ。その切れ味はおよそ切り裂けないものなど有り得ないと思える程で、貰い受ける際も半分冗談だったのだが、どう言う訳か気前よく師匠は譲ってくれた。
本当のところ、まるで子供に鉛筆削りの切り出しナイフを渡すぐらいのリアクションだったのが逆に怖かった。ひょっとすると師匠のコレクションには、星を切り割る菜っ切り包丁とか、因果を断つ鼻毛切りとか、碌でもない業物が他にも幾つかあるのかも知れない。
途中、巨大獣の一匹に出遭って仕舞ったときは、思わず豪爆隕石爆弾を召喚して仕舞ったが、剰りの派手さ加減に、それ以降は無色透明無味無臭で気配絶ちするウィスパーモードに移行した。
「……ドロシー」、すぐ横を飛ぶエリスの姿はウィスパーモードで今は視認出来ないが、音声の遣り取りは可能だった。
「何? 、まだピラミッドまでは暫く掛かるよ」
「そのぅ、今更だけどさ……折角授かったのに私が水に還した貴女の赤ちゃん達のこと、当然恨んでるよね?」
「いくらクズ勇者の子種だからと言って、ドロシーの血肉を分けた赤ん坊を殺して仕舞った訳だから……」
「……考えても詮無きことだよ、私も中絶を進んで受け入れた、2回目以降の懐妊は、実際は誰の子種だかも正直分からなかったし」
「ステラ姉もエリスも自分の子供を堕ろした、一緒だよ……」
女にしか分からない、この気持ちは、この痛みは彼女達も一緒の筈だった。
暫く黙り込んだエリスが、意を決したように言い放つのは血を吐くような彼女の壮絶な覚悟だった。
「私はドロシーに罪の償いをしたい! 例えこの身が人間でなくなっても、心が石になっても、私は、ドロシー、貴女を守る剣と盾になるよ!」
互いに姿を消しているので顔を見ることは叶わなかったが、おそらくそこにはボンレフ村で神童と謳われた幼き頃のエリスの、紛れもなく誇り高いエルフの毅然たる笑顔がある筈だった。
「気持ちは嬉しいけど、私は今のままのエリスでいて欲しいな……友達の姿、形が変わっちゃうのは嫌だ」
この異世界に渡ってきた目的、エリスの変身願望に付いて考えていた。
そして私の罪、進んでハーレムの女達に催淫剤やセックスドラッグを与え、キメセクに依り変態的な奉仕を強要し、派手に末世的な背徳乱交を誘導し、淫婦の宴を企画・演出した私の罪がエリス達より軽いとは思えなかった。
私自身、日に何度も身体の芯から焼き切れて意識が飛ぶような絶頂に狂った。
昼夜の乱交パーティにまるで獣のように痴語を叫びヨガリ狂った姿……離宮内に響き渡る魂消るような嬌声が、今でも脳裏に焼き付いている。
正体を失い、ベロを突き出して喘ぎ抜いたその先……残ったのは肉欲の亡者共の爪痕、深く抉られて変形し爛れた両の股間とピアスと汚らわしい刺青にまみれた身体、そして私はと言えば取り返しのつかない恥情を数限りなく繰り返した異常性欲を持て余す、空前絶後のイカれたニンフォマニアそのものだった。
結局、女神教の教えにあるような人として当たり前の、女として、妻として、母としての最低限の倫理と戒律を全て犯した……必要充分過ぎる程に。
洗脳されていたとは言え、真っ当な人としての心を自ら望んで手放したのは、知らぬ間に芽生えて仕舞った罪深い欲望の所為なのだろう。
人はそれを自業自得と言う。
げに醜きは、“魅了・催淫”などではなく、己が心の奥底に望む肉欲願望と知れてみれば、塗炭の苦しみが如き修業が却って有り難かった……これでは未だ々々足りない、相応しくはないと思へども、罰を受けているような気になれたからだ。
……何故私は村を出て仕舞ったのだろう?
私は……私達は、何を間違えて仕舞ったのだろう?
母にも見せた、父にも見せた、粉屋のスミノ夫婦、鍛冶職人で研師のカタリナ小父さん、幼年学級の時の先生達、お隣りだったランダン一家、村の皆んな、親しい人も、親しくない人も居たが嬌笑のうちに嬲らせる様を見せ付けて、悪徳の交合に昂った……何よりソランに、“お前のよりこっちの方が気持ち好い”と嘯き貶めながら、濡れそぼる部分を目の前に押し付けて盛り続けた……最低だった!
私達を育てて呉れた既知の人々の前で舐めさせ舐め回し、ハメ狂った。
性には開放的な村だったが、無論婚姻外性交は認められていない。況してや公衆の面前での乱交や輪姦などは余りにも馬鹿げていて取り締まる法令とて無いが、当然教義の戒律で教会からは罰せられる。
歯止めが効かないまでに、変態スケベが炸裂していた。
クズ勇者が昔の恋人に寝取られたのを見せて悔しがらせようとの思惑に、いちもにも無く頷いて、初めて村に帰郷したときの無体振りだ。
普通の衆人環視の露出姦にも飽いた頃、生まれ故郷の昔の知り合いに見られながら犯される快楽に歓喜して、嘗てない迄に身悶えた……今思い出しても、恥ずかしさと情け無さで吐き気がして気が狂いそうだ。
死ぬほど後悔しても、為足りない。
それはドロドロの粘液のような真っ黒い自己嫌悪………
地べたに這い蹲って詫びることで許して貰えるなんて思ってはいない……口先だけの覚悟の無い謝罪なんかに、なんの意味も無いからだ。
あれ以来、ところ構わず何度も繰り返し失禁絶頂の無様を晒した故郷には、償っても償い切れない負い目が刻まれている。だから、帰りたくても帰れない。
母さんはあの時、あまりのことに失神していた。
……好きという気持ちに直向きだったあの頃に戻れるなら戻りたい。
真面目に恋愛していたたったひとつの思い出だったのに。
華やかな王都への憧れ、まだ見ぬ未知の冒険なんて、あやふやで漠然としたものに心躍らせて余所見をして仕舞った……馬鹿みたいだ。
「……ドロシー、貴女は嫌じゃないの? 貴女と肌を重ね、互いに身体をまさぐり合った、おっ、女同士でキスし合った相手が一緒に居るのは気持ち悪くない? エリスが一緒に居ても生理的や情緒的や、気分的に大丈夫?」
そんなことを考えていたのか、エリス、本当に良い仲間で友達だ。こうして、自分より私のことを一番に考えて呉れる。
「心配しなくても、私はエリスのプニプニした綺麗なオッパイとか好きだよ」
エリスが怯んでいるのが、なんとなく気配で察せられた。
「うふふっ、冗談だよ、この先、どんなに寂しくて人恋しいことがあっても、友達には指一本触れないって誓える、周りにも自分自身にも恥ずかしくない生き方をしようって決めたから」
「あたし一人の命じゃ大罪は贖えない、当然村の皆んなや親達、ソランに合わせる顔が無い、だからせめてこれ以上顔向け出来ないことはしないって誓ったの」
「だから嫌悪なんかしていない、本当だよ、エリスとステラ姉は私と同じ傷を負った仲間だから……だからこそ一緒に生きていける」
「ガサツで、駄目なところや、嫌なところも一杯あるこんなあたしに、二人は良くして呉れる、感謝してるよ」
「それより私は貴女が心配、あんまり思い詰めないで、もっと自分を大切にして、お願いだから……」
それから、私達はまた暫く飛んで、目的地のピラミッドの袂へ降りた。
「人間でいるか、辞めるかは然したる問題じゃない……大切なのは何を想って生きるかだと思う」、エリスは最後にそう呟いた。
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師匠とステラ姉が、ピラミッド中段辺りの入り口に居るのを認め、側へと寄る。暴れなくなった獣人の女の子は、もう拘束していない。
(アレックス、アレックスのしんでん!)、女の子にとってもここは侵すべからざる神聖な場所のようであった。
「変身紋は付与された個体の死と共に回収される、進化という蟲毒の壺の中で練り上げられた変身紋はより強力なそれへとスパイラルアップして、再びの生命の誕生と共に付与される」
「大魔術師アレックスの意思を継いだとされる一番弟子は、実はこの変身紋を産み出すのと引き換えに身罷った哀れな女師匠を思慕するだけの、痴れ者だった」
「予測不能の事態が起きなくとも、実は最強の何かは神になぞ至らない、すべては弟子の詐欺みたいなものだからな……」
「一番弟子の狙いは、懸想した大魔術師アレックス、自分の師匠の復活だった」
師匠は説明しながら、どんどん奥へと進む。特に邪魔するものとてなく、壁や天井、あるいは床が仄かに輝いて、暗過ぎず明る過ぎない視覚を確保していた。
閑散として動くものの気配とてないが、目にする古びた調度や遺構は、見たこともない異文化、異教徒の壁画や石像だった。
「力を得た変身紋の集合体は、真に奇跡を起こす呪装となって纏う者の願いを叶える、弟子は呪装の神域に耐えられず死んだが、己の命を代価に見事、大魔術師の復活に成功した……惜しむらくは、それが半分だけだったことだ」
この世界の成り立ちとその大いなる秘密に触れているのに、師の声は実に淡々としたものだった。
「魂だけが現世に引き戻され、彼女が存在しているのはアストラル体としてだけだった、どう言う訳かアストラル体との交信は叶わず、彼女と語らう為にはその都度必ず形代が必要だった」
辿り着いた先は、一際天井の高くなった円形ホールだったが、雲霞のような虫かと思う何かがウワンウワンッと不気味に唸り、気味悪く渦巻く部屋だった。
「見ろっ、これこそが回収された変身紋の群体だ、これが唯ひとつに凝縮されたとき、“真層呪装”は現出する」
“真層呪装”と言う言葉には、何か好くない予感がした。
師匠は、おもむろに獣人の女の子を前に押しやると、まるで誰かに語り掛けるように言い放った。
「アレックス、聞いてるか? この子が最後の形代だ、この子は順当な輪廻転生の中でやっと生まれた、ミーシャ・アレックス、お前の生まれ変わりだ」
「魂だけの存在とは別の、もうひとりのお前だ」
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「懐かしいな、ミーシャ……ミーシャ・アレックス、“3度目の崩壊点”の危機を収拾する任務後の一瞥以来、200年程にもなるか?」
自らの生まれ変わりの獣人の女の子に憑依したアストラル体は、二重の魂の融合からか、まるで光の女神の如き様相だった。
かしこみ敬う、神が降臨していた。
何故、師匠はこの復活した大魔法使いの魂と知己なのか、どのようにして輪廻転生の輪の中で同じ魂を持つ、この女の子を見つけ、誤たず捕獲出来たのか、色々と問い質したいところだが、どうやら後回しになりそうだ。
「貴方はいつ見ても、変わりなく壮健そうですね、所属する統括機関からはまだ放逐されていませんか?」、鈴を転がすような声音が幻想的に響いて返された。
「……ほっとけよ、俺が我が儘なのは今に始まったことじゃない」
「俺は、俺の信ずるところに従って行動する、それだけだ」
「ところで今日来たのは、他でもない、約束を果たして貰いに参上した」
「すべての変身紋を回収して、最強の“真層呪装”を頂いていく」
変身紋を総て回収すると言うことは、この世界の終焉を意味するらしい。
「この狂った世界は終わりを告げ、もう一度今の生き残りが正常進化を始めるだろう、それはお前にとっても望むべき姿の筈だ、一人の馬鹿な弟子の妄執が生んでしまった悪行が終わる」
どうやら、この淘汰の世界はミーシャさんの望んだ結果ではないらしい。
四つん這いになったエリスが、苦悶に耐える姿が痛々しく、近寄り難く、私とステラ姉には、唯見守ることしか出来なかった。
蝟集する変身紋が寄り固まり、師匠曰く最強の変身呪装となったそれは、エリスへと乗り移っていった。
エリスが、人間を辞めた瞬間だった。
儀式を始める前に師匠が全てを説明した。
この狂った世界を終わらせる前に、アレックスと交わした約定。
いつかアレックスが唾棄すべき弟子の仕出かした馬鹿な罪を清算する為に、錬成された変身紋全てを無に帰するとき、それが集約された変身呪装を差し出す。
その代わり、アレックスはこの世界の行く末を永遠に見守る守護神として、自分が編み出した変身紋の所為で徹底的に痛め付けられた生命進化を、最初から遣り直す長い過程に寄り添う……と言う願いを叶える。
それは願いというよりは、寧ろ罰のように私達には思えて仕舞う。
「いいか、これを纏えば、お前は何にでもなれる、有りと有らゆる存在に成り代われるが……但しだ、全能神とか、創造主とか、自分より格の高いものに変身した場合、帰って来れなくなる可能性が90パーセント以上はある」、最後にエリスの意思を確かめる師匠に、全てを振り切り覚悟を決めた表情が清々しい迄に美しく、真っ直ぐなエメラルド色の瞳を返して頷いたエリスだった。
やがてミーシャ・アレックスの憑依体は、この世界の生けとし生けるもの全てから膨大な変身紋を奪って、回収し始めた。
何も知らぬモノセルラーもユニ群体も、変身を封じられ奪われた時の姿のまま一生を生きねばならない。
それは、彼らに与えられた理不尽な不幸かも知れなかったし、或いは知性を捨て相手を蹴落とすことばかりに邁進した、長い間のツケかも知れなかった。
いずれにせよ、彼らは振り出しから遣り直すことになるだろう。
集まってくる変身紋は渦巻いていた雲霞の群れに溶け込んで、更に濃密になり、凝縮されると、複雑精緻な多層構造の立体魔法陣を形成していく。
「跪け、エリス!、“真層呪装”がお前の肌へと食い込む!」
声にならない叫びと共に、呻吟するエリスは這い蹲り、苦悶の表情のまま、フラッシュバックのように生命進化の過程で登場したであろう様々な生命体に姿を変えて、まるで幻影のように刹那的な変身を繰り返していた。
皮肉なことに、何にでも変われる万能の変身能力を手に入れることに依って、エリスは確固たる自我を確立せざる負えなくなる。
自分を見失うことは、ただの怪物に堕して仕舞うからだ。
エリスの全身には万能の“魔法印真層呪装”が刻まれていた。
それは変転する緻密な魔法印にして、真に力ある呪装、じっと見つめていると精神に支障をきたす……全身の肌に蠢く微細なイレズミ、皮膚の上に宿り、踊る、神と悪魔と混沌の御業、そんなものだった。
ショックだった。
そんなに迄して自分を変えたいと思い詰めたエリスが哀れだった。
変わったからと言って私達の罪が許される筈もなく、目を背けるような、どうしようもなく淫らな不始末が消えて無くなる訳もない。
大罪を犯した身なれば、ソランの人生に関われる筈もないし、関わっちゃいけない、資格も無い。せめて謝罪をと思えど、逢って詫びる自信も無いし、私達が故郷でした仕打ちを考えれば村総出で袋叩きに遭ったとてなんら不思議はない。
筆舌に尽くし難い裏切りは、愛想を尽かされ縁を切られるなんて生易しい報いで終わる筈もない……屹度私達は存在そのものが憎しみと復讐の対象として、異端審問に糾弾される“魔女”に認定されるぐらいがお似合いだ。
どんなに改心しようと、私達の過去は頭も身体も自らの手でグチャグチャに壊して仕舞った淫乱で変態の雌豚だ。もうダメ人間なんてレベルじゃない、人間を罷めて仕舞った最低最悪の雌穴肉便所だ。悪魔に魂を売った魔女と同じ穴の狢だ。
魔女の最期は火炙りの刑と決まっている。
屹度、今の私達に取って“許して欲しい”と“殺して欲しい”は同じ言葉だ。
だと言うのにエリスは、それでも己れの変身願望に殉じた。
私を守らんが為に。
……エリスの強い願いと想いは、この呪装の神力に耐えた。
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やがて、肌を見せたくないと誓っていたエリスが、“真層呪装”の力を開放する戦闘スタイルの為に、肌の8割方を露出するビキニ・アーマーを装備するようになるのは随分皮肉な話だった。
土日に投稿する分が書けてません、どうしよう?
HMD=ヘッドマウントディスプレイ、つまり頭部に装着するディスプレイ装置のこと/両眼・単眼に大別され、目を完全に覆う「非透過型」や「透過型」といったタイプがあり3D2Dにも分類できる/通常、目の疲労を抑えるためになるべく遠くに結像した像を形成するようにするが、これによって眼精疲労を抑えることができる/左右の目に違う映像を映し出すことも可能であるため、左右の映像を微妙に変えることにより立体的な画像にすることもでき、眼球の輻輳角と焦点距離に差が出るためこの場合も眼精疲労の原因となる/アメリカ軍など一部の軍では戦闘機で使用するヘッドアップディスプレイ〈HUD〉の代替として実用化がされている〈JHMCSなど〉がヘルメットの重量増加によるパイロットへの負担が懸念されている〈戦闘機は激しいマニューバを行うためヘルメットの重量増加がパイロットに与える影響は大きく、例えばヘルメットの重量が100g増加した状態で9Gの旋回を行った場合、パイロットへの負担は900g分増加する事になる〉
レンジャー=主に撹乱や偵察を行う軽歩兵部隊・特殊部隊の部隊名・特技名として用いられるが、「徘徊する者」という意味がある/陸上自衛隊においてリペリング、少人数による潜入などの特技名、また同課程・教育を修了した隊員
サスペンダー=この場合のサスペンダーはズボン吊りではない、Dリング及び装具用ベルトが付属した重装備用軍隊備品
弾薬盒や銃剣など様々な装備を装着したウエストベルトを吊る装具
戦闘服としては他にケブラー繊維製のボディアーマー〈戦闘用防弾ベスト〉やタクティカルベストもあるが、嵩張るのでドロシー達は好まない/タクティカルベストは弾薬ポーチやホルスターなど、各種装備を収納するポーチが多数取り付けられているベストで、世界中の軍隊、警察、その他の法執行機関の特殊部隊で使われている/素材はナイロンメッシュ布で、主に防弾チョッキの上から着用する/近年のタクティカルベストにはPALSウェビングが縫い付けられている事が多く、このシステムは自分の任意の位置・数のアクセサリーポーチを装着する事ができる/狙撃手用、ライフルマン用、SAW手用と複数のベストを揃える必要がなく、ポーチを付け替えれば一つのベストで済むため自由度が向上した
ポーチ・アタッチメント・ラダー・システム:PALSは米軍ネイティック兵士センターによって開発された装備品の取り付けシステムで、タクティカルベストやバックパックといったプラットフォームに弾倉用ポーチや各種アクセサリーを容易かつ頑丈に取り付けることができる/アクセサリーポーチは弾倉や手榴弾、無線機、GPS、ナイフシース、衛生キット、ガスマスク、書類、警棒、水筒、コンパス、スマートフォン、汎用など多くのメーカーから多様な収納物に対応したものが登場している
サバンナ=乾季と雨季のある熱帯に分布する疎林と低木を交えた熱帯長草草原地帯/年間降水量が600mm以下で夏に雨季があり、その他の季節に長い乾季をもつ地域に分布する/イネ科の草本を主体とする草原に樹木がまばらに生え、草本は雨季に葉をつけて繁茂するが乾季に地上部は枯れる/アフリカではバオバブ樹などが見られ、大型の草食動物が群れを成して多く生息をしている
ストーム=自然現象・気象のひとつで強い雨を伴う暴風のことを指す/なお、正式な気象学の用語ではない
日本などで発達する温帯低気圧などによる暴風で地震や津波のような気象学的要因以外の自然災害には用いない/嵐に伴う季節特有の付随現象として、冬における降雪、夏における雷がある
ビキニアーマー=史実上ではビキニアーマーのように露出度の高い装備の女戦士が実戦で活躍したという記録は見つかっていないが、ローマ時代に作られたビキニのボトムだけを身に着けたような半裸の女性のブロンズ像がハンブルク博物館に所蔵されていて像は勝鬨を上げる女剣闘士を模っている、つまり剣闘士の女は半裸で戦っていたという説も存在する
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感想や批判もお待ちしております
私、漢字が苦手なもので誤字脱字報告もありましたらお願いします
別口でエッセイも載せましたので、ご興味のある方は一度ひやかしてみてください
短めですのでスマホで読むには最適かと……是非、通勤・通学のお供にどうぞ、一応R15です
https://ncode.syosetu.com/n9580he/
運営様のご指摘により改稿中です 2021.01.10
全編改稿作業で修正 2024.09.18





