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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

【Reality or lie】

作者: бездна

※これはフィクションです。恐らく多分きっと現実とは関係ないのかも知れません。


―これは、起きてしまって否定したくても否定し難い物で、俺自身が何よりも悔いの有無でさえ解らないままで居る。


本当に些細な事で俺の人生は、狂い乱れて瓦解してまた積み直しては乱れて瓦解しての繰り返しで、自分自身が何をしたいのか、何が出来ていたのかすら儘ならない物となっていた。


誰かに同情されたい訳でも無く、誰かに話して許しを請うなんて事は無い。只々俺は、常々同じ問を自身に課していた「お前は死んだ方が良い」「お前は生きていい人間じゃない」「生きてて楽しいと感じた事は、あるのかい?」「お前は、何も出来ない」「お前は、無能だ」「お前は嘘つきだ「何も出来ない何もしない生きた死体だ」「お前は必要とすらされていない」「お前は単なる数合わせでしかない」「誰もお前を好きになったりしない」


幻聴に近い程鮮明に聴こえて全て返す「死んでいい人間は居ない」「人の生き死にを決めるのは人自身には無い」「生きてても楽しい事は必ずしも1つじゃない」「何も出来ないのは否定しない」「無能でも構わない」「嘘をついて悪いとは思わない」「何も出来なくて何もしないのも否定しない」「俺は必要とされなくても構わない」「数合わせでも構わない」「それはそうだろう、こんなゴミ以下みたいな人間を誰が好きになる?」


自虐で返せば返すほど自分が残念で惨めで情けなくて涙が出てしまう事は、もうなかった。ただ、信じた人に裏切られたり、弄ばれてしまったら泣いてしまうのは、自身が嫌な程理解して理解し難くて納得が出来ない。


言える事と言えば恐らく俺は、とっくに狂っていて一般的に見るのならば頭のネジがかなり抜けていて見えるに違いない、自身ではそう納得すらしていた。


さて―俺自身の事を知って貰う為に少し昔の話をしようか。


俺は幼少期、まぁ2歳頃喋れるようになって歩いたりしてたらしい、俺自身はもう記憶が無いのでな。

父親と母親にはよく甘えて男なのに白熊の人形を強請ったりして、困らせてるのは覚えてる。

だけどそれより鮮明に覚えてる事があった。幼少期と言っても5歳の頃だな、粉薬が苦くて飲めなくて親を困らせていた事があった。父親は困惑してたが、父親が居ない時に母親が俺を縄で俺を縛って無理やり薬を飲ませようとしてた事を覚えてる。俺が薬が嫌いで吐き出すと母親は決まってベルトの留め具の部分で俺に叩き付けていた。


その次に覚えてるのはゴキジェットを悪戯に使って酔っている父親にゴキジェットを取り上げられて、俺の顔に吹き付けて来たのも覚えてる。その時になんて怒られたかすら覚えてない。


これは、俺自身覚えてない事だが、保育園の時に他所の子供に顔を引っかかれたらしくて、母親がもう保育園には通わせないと言う話だ。


ここからが本題に入る、小学校の頃の俺だ。

小学校1年生の頃は明るくて元気があって勉強を頑張る意思があり笑う事が出来ていた―前期までは。

原因は牛乳パックに付いていた、番号を俺自身が番付けしてたらしい、その時に学校中の女子生徒を敵に回していた。―余談だが男子生徒から入学してから嫌われていた。そして虐められてる事すら自覚してなかった。

女子生徒とは、話しかけよう物なら「気持ち悪い」「話しかけないで」「菌が移る」等言われてたがこの時の俺は、本当に無垢で虐め等の知識や良し悪しなんて区別が付いていなかった。馬鹿だよなほんと。

そして上級生と一緒に帰る事があったのだが、そこからが俺の6年間に渡るちょっとした呪いに近い出来事だった。

その上級生と帰ってる途中で俺は尿意を感じて、トイレに行きたかった。コンビニでトイレを貸して貰おうと思ったが、上級生が言った事は流石の俺でも引いた。「そこに人の家の物陰があるだろ?そこで立ちションしろよ」ありえんな・・・そう思っていた。急いで帰ろうとしたら「待てよ!」って追いかけられて押し倒されて顔の半分が道路に擦られて少し痛々しい傷跡が出来ていた。上級生はそれを見て逃げてしまい。俺は、泣きながら痛い気持ちを抑えていた。

帰ったら姉と母親が憤怒してその上級生の家に怒鳴り込んだ。だが、子供達の事だから喧嘩両成敗と事となって無かったことになった。

学校では、俺が道路で転んで怪我した事になって居た。数ヶ月して治った頃には、俺の心は少しばかり曇りが出来ていた。その時通学路に車が脇見運転で走って来た事なぞ俺には、気付かなかった。

そして轢かれてしまい飛ばされて、上手くランドセルがクッションになって大事には至らなかった。―恐らく

その時感じた痛みは、無かった。既に小学校1年の頃に諦めていた、―死んでも良いと

日常的に父親はギャンブル通いにお酒やタバコでストレスを解消していた。母親なんかは、服や靴など似合いもしない物を買っては、痛い出費を繰り返していた。

2人とも外面では、仲のいい夫婦を演じていた。決して外では口喧嘩等せず何時も自慢の姉の話をしていた。

この頃俺は、姉に嫉妬してどっちが大切か問いただした事がある。その時の回答が余りにも受け入れ難くて俺の心に闇が巣くった切っ掛けでもある。「―お前なんか産まなければ良かった。」そんな言葉を言われるなんて思ってなかった。―心に亀裂が出来た気がした


そして、小学校2年生の頃だ。この時には、俺の心はボロボロで余裕なんて無かった。―誰かに必要されたい。そんな淡い気持ちを抱いていた。

この時は、まだ虐めや嘘等の良し悪しを教えてくれる人は、居なかった。それを知ったのは、中学校の1年生の時に引き籠りになってネットゲームにどっぷり浸かってた時だ。

まぁその話は、後にするにして小学校2年生の頃は掛け算が始まり俺は、苦戦していたのを覚えている。

主に疑問に思ってたのは倍の数は何処から来てるのだろう?だった。足し算なら納得出来ていたが、倍の数は無から来てるのなら納得が出来ない。そんな阿保な脳味噌のままだった。―因みに少しずつ男女生徒から嫌われて行って虐めや疎外されて勉学の疑問に答える人はこの時1人も居なかった。―こうして俺は取り残されたまま半年が過ぎた頃、また怪我をしたんだが次は確か、外反母趾なる所を自転車のタイヤに挟まって潰れて治るまで満足に歩く事すら出来なかったんだっけか、周りから本当は態と怪我をしてるように見えるかも知れんが、誰が好き好んで将来に支障来すような怪我をするものか。

そうして、掛け算を碌に扱えないまま小学3年生になった。―実はこの時、掛け算に頭を悩ませて自分で納得できる答えを探してたが見つからなくて。漢字も疎かになってしまい、点数を大幅に落とす。


小学校3年生の頃は掛け算が碌に出来なくて教えてくれる人すら居なくてそんな自分の身の上話なんて聴く人間なんて居なかった、寧ろ教員からも煙たがられてた気もする。

そうして怪我の方は大きくなるばかりだった。―そして、愚かにも俺は事故を起こすことになった。

最初は、とある同級生同士で遊んでた時の帰りに後ろに視線を感じて振り返ると、俺の住んでる場所とは反対の奴が面白がって追いかけて来ていた。俺は、それが気持ちが悪くて耐え難くて振り払うかの様に逃げようとした、だけど、それは間違いだった。その事故が原因で俺は、大きな罪悪感と共に次に同じ事故が起きたら片足を切除するかも知れない、そう言われた。

俺には、その男子生徒を恨む権利も糾弾する権利も無く殆ど心が閉鎖的になってよく遊ぶ人としか遊ばなくなり自身の首を絞めてる事なんて分かる筈も無く。この年で2回目の怪我をするはめになる。

少し遠い公園で2人で遠心力でスピードが上がる回る遊具があった。姉とその友人が遊んでる時に迂闊にも俺は近づき頭を激しく強く打っていた。気を失っても可笑しくない痛みだったが、俺は思わず()()()()()こんなにも間抜けな事があるのかと、その時に殆ど痛みを感じず笑っている事なんてどうでも良くて、自分が自分じゃない感覚になってるのには気付いてなかった。

それを切っ掛けに俺は明るく元気な性格が反転して不真面目でやる気がなく息を吸うように嘘をつくようになっていた。そしてまだ気付いてなかったのだが、この時に既に1~7歳までの記憶が殆ど朧気になって居た。物事の良し悪いを教える人間が居たら少しは違ったのだろうか?

こうして小学校3年生後期になって俺は、算数の時には別の教室で基礎を教わる筈が担当が不味かった。

俺が掛け算の疑問を考えてると「お前は、この期に及んで遊びの事を考えてるのか?」とか「真面目に勉強しろよ」って強い口調で言われてたのは覚えてる。教員が教える以前に数学の教科書をみて殆ど教えもせずに「早くしろよ、時間無駄に過ぎるぞ~」と挑発口調に行ったのも覚えてる。

何よりこれが俺の原点でもあり、俺が勉学を幾らやろうと思っても筆が運ばなくなりそして、それを思い出して文字が変な感じになる―そして、学ぶ事が出来なくなった。

例え0+1は1になるのが一般でも俺からしてみれば0が俺で+1が勉学を幾ら足してもやがては、0になる摩訶不思議な現象が起きていた。

そして、語られる事もないが本当に家では、摩訶不思議な現象が起きていた。

とある夜、俺が目を覚ましてタンスに違和感を覚えて見てると蛙の絵が浮き出て、動き始めて―跳ねていた。俺は、何とも言い難い恐怖感に煽られ情けない悲鳴を上げて絵の具で塗り潰した。―身内もその蛙の絵を見た筈なのに次の日には俺が悪戯で塗っただけって話になっていた。

そうして、日々の別教室のストレスも相まって俺は、大きく性格が拗れる事になる。


こうして俺は、脳の成長が破綻し小学校4年生になり嘘を平気でついて良し悪し関係なしに悪意だけをばら撒いていた。

ただ残念な事にそれでも怪我をする事には、変わらなかった。―この時俺は、6年間これが続くのか?と内心恐怖していた。

この年の怪我は友人宅の犬と遊ぼうとボールを持って投げたが反応しなかったため、もう一度取って犬に確認しようとそのボールを近づけたのだが、犬には面白くなかったようで右手を強く噛まれて黒い血が出て手が悲鳴を上げてるのに感覚が鈍くなっていた。

友人宅から謝られたがそれは、俺が悪いと思ってる。―この時に俺は、動物のみる世界と云う物を必死に考えていた。


次の怪我がエアガンの暴発で偶然瞼を閉じたので大事は無かったが、目に至近距離でエアガンの暴発弾が当たったのだ。暫く片目が使え無かったが問題は無かった。治る確信があったからだ。

だが、暴発させた本人は「何でもするから許して」と言われた。暴発させたのは、友人の妹だった。別段「なんでもする」と言われたからって要求する程俺は、厳しくなかった処か未だにまだ人を信じようとする心があった事が今では驚きだった。

こうして、俺は毎年怪我する阿保で間抜けなトラブルメーカーとなって居た。

4~6年の担任は凄く居心地が良い先生だった、だが俺の性根が染みついた以上変わる事は無かった。

5、6年では突き指のみの怪我だったので別段話す必要もないだろう。


1~6年間学校での他の生徒と疎外感を感じながらも性格が捻じれたまま過ごして、普通なら辛くなって自殺しても可笑しくない程だろうとすら思ってる。


こうして俺が中学校で目指したのは唯一無二の最底辺だった。誰からも嫌われて決して関わる事なんて無い駄目な人間で見下されて居ようと。

そうして、中学校1年の前期からその願いが叶った。俺がインフルエンザで休んだ時に体力測定を出来なくて保険体育の時間で別口でやる事になるんだが、その時保険体育の3年間使う教科書を貰わずに3年間過ごすのだった。教員からも「家で無くしたんじゃないの?」とか「貰ってない筈がない」って言われて凄く変だが嬉しかった。主に教員のミスを俺だけが知っていてゾクゾクして溜まらなくその快感が好きになって居た。

―絶対にミスなんてありえない?ならミスをした貴方は、なんですか?そう問いかけたい気持ちを抑えた。人間に完璧や絶対なんて物が存在しない証明でもあるのは、俺はその身で体験し探求心に駆られた

そうして、俺は学校では9割方居場所なんて無くて友人も1人は引っ越しもう1人とは、俺の行動のせいで敬遠する事になる。そして小学校の頃遊んでた友人からは何時の間にか裏切り者認定。これ程クズでゴミで最底辺で視るに堪え無くて煮え滾る怒りを覚える人間は普通に過ごせば類をみないだろうと思う。

我ながらよく最底辺を貫いたと思ってる。俺以外の生徒は、着実にこいつみたいになりたくないという気持ちが根付いたのか成績を伸ばしてる生徒も居たのは間違いじゃなかったする。


こうして俺の学校生活は終わりを告げてネットゲームを楽しむ筈が俺の墓穴のせいでそのゲームには居られなくなって、遠ざかって現実を突きつけられて死にたくなる気持ちがあったが、「自殺するんじゃないぞw」と面白がって揶揄われてる自分を思い出した。

―どうせ死ぬのなら好きな人に絞め殺されたい。

歪んだ感情が俺の動力源となりバイトをしてお金を稼いでデスクトップPCに憧れPCパーツを着実に揃えて初見で組み立てて少しずつ俺なりの感情に気付いた。

正しい事なんてこの世界の何処にも無いんだと。

良し悪しも育つ環境が違えば逆の事になるだろうし、優し過ぎれば時には悪意を通り越してより苛烈な事が起きるかもしれない。それのどちらも俺が体験して、今では少しばかり納得してる部分がある。

悪意に満ちた生活をすれば平穏を求めたり、優し過ぎれば悪意に疎くなり身の危険が降りかかっても気付かないだろう。

どちらも俺が引き籠りをして姉が連れて来た元彼氏達の事をよく見て観察して普通そうな男性とは違う匂いを嗅ぎ分けて「こいつは、危ない」「こいつは危なくなさそうだ」だって言うのが俺の楽しみだったりする。そして、俺がその関係を搔き乱してその男の本性が浮き彫りに出来てたのが俺に出来た俺の家族に対する最後の償いでもあった。

その彼氏達の多くが麻薬や暴力沙汰やかなりの浮気性だったり、例外なくその友人も関わってたりしていた。中学校の2年生の頃警察が家に来てその一人が警官が来て「捜索願が出されている」とそのまま連行されたらしい。


今でも俺は童貞のままで一生相手なんて見つかる筈もなく終えれば俺としては大団円だったりする。

何故かって?責任感が無くて甲斐性も無いオマケに性格が不安定で難があって真面な環境で育ってない奴誰が好きになるかって話。

それならいっその事、好きな事して一生の時間を使い潰して楽しんで楽じゃない時もあるだろうけど、それが人生で、それが花でもあり終えた後の達成感は人間関係を弄ぶより楽しくて何より生きてる実感が大きかった。

だけど一つ許されるのなら酒が飲みたかった。俺は、小さい頃生れてから瀕死だったみたいで聴いた時は、生きてて良かったと思った。だがそのせいか、体が弱かった。

運動をするにも体力が平均より大幅に体力が無く、動くにしても使う体力が無駄に多かったりする。


余談だが俺は、愛されて何時かは愛想尽かされて捨てられるのが死ぬほど怖い。例え何気ない友人関係でもネットで知り合って話すだけの関係でも変わらずそれが怖かった。

時には、相手に試すような事を言って何度も確認して安心はするが、人間関係そうはならず「―めんどくさい」「―気持ち悪い」まぁ俺でも思う、何度確認しても気持ちが悪い。だけど好意が大きくなればなる程、余計に辛くなるばかりだった。


今でもストレスや強い不安を感じると悪夢をみて現実と間違う程の痛みを錯覚して不眠な時は、少なくない。

「本当に頭が潰れると同時に痛みが走って暫くその感覚は体に残るのだうか」「落下死すると衝撃で骨や血管に臓器が潰れる感覚は本当にあるのだろうか」「電車に轢かれると四肢が痺れる程の感覚に骨や血管が裂ける感覚があるのは本当だろうか」「―愛されてる相手に殺されると安心するのだろうか」

等色んな夢をみて知らない情報でも自然と()()()()()感覚になる。

本当に俺は誰なのだろう?と疑問に思う事もあるが、全部をひっ包めて俺である。

恐らくその夢は、もしかしたらの起きうる自身の未来でもあり現在でもあるかも知れない。だが、実夢でみた刺殺や誘拐に放火が現実に似たような光景が起こると「本当に現実なのか?」と疑問にすら思う。

予知夢に近いが決して万全な予知夢じゃなくあらゆる可能性を詰め込んだ未来が俺のみる夢であり未来でもあると最近思ってる。


さて―俺の身の上話はここまでだ。

面白かっただろうか?ハハッさて―俺は嘘つきだこの話に嘘を紛れ込ませたそれは()()だろうな?

時間に余裕がありましたら考察して読んで下さい。

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