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黒板消し

作者: 風都

黒板消しは『黒板を消すクリーナー』と『黒板を消す行為』の2つの意味を兼ね備えています。

 

 私のクラスの担任は、やけに黒板消しの音がうるさい。


 友達との部活帰りに、ふと忘れ物を思い出して教室へ向かった。緑の非常灯が照らす道中、先生の黒板消しの音は廊下に響いていた。


 ガンッガンッという、先生が黒板に黒板消しを打ち付ける音。

 さっきから歩きスマホしていた友達は、音に気付いて顔を上げた。


「もしかして、笹島先生?」

 私は苦笑しながら頷く。

「有名だもんね、笹島先生の黒板消す音。毎晩めっちゃガンガンなってるって後輩達が言ってたもん」

 そりゃそうだ。廊下にまで響き渡るほどの音だもの、噂になっても仕方ない。

 でも……。

「あ、笹島先生といえばこの間お見合いしたらしいよ!あの隣町の桜祭りで!ゴールデンウィークに!まぁ、ノリコの話だと断られたらしいね」

 でも、と言いかけた瞬間にマキは笹島先生の別の噂をまくし立てた。

 今言いかけた事は別に特に重要な事じゃないから、そのままにしておく。

 あの笹島先生だしね、と早口で言いたい事を言い終えたマキは噂話を締めくくるように大爆笑していた。

 廊下に響く、マキの笑い声。まずい、もしかしたら先生に聞こえてしまっているかもしれない。

 小心者の私はぎこちない笑みで、恐る恐るマキに同調する。

 ああ、心の中で黒い感情が踊る。

 人の失恋を笑う薄情な人が、私の友達だなんて。

 けれど、マキに合わせて少し笑ってみせる私の方が最低な人なのだ。



「早く行ってきて。ここで待ってるから」

 暗い廊下でただ1つ、灯りがついている教室の前でマキは壁に寄りかかりスマホをいじった。

 校舎内でスマホをいじるのは禁止だ。校則で決められているのに。

 しかし、いちいち注意していたらこちらの身がもたない。相手に白目で見られるのも、チクリ野郎と罵られるのも御免だ。

 スマホの画面から漏れる光がマキの白い顔を照らしていた。


「あー、サヤ、ごめん。やっぱ先帰るわ」

 画面を見つめていたマキが、急にソワソワしだす。

『待ってるから』と言われてから『先帰るわ』と言われた、その間僅か15秒。

 誰かとチャットしてる、みたい。さっきから忙しなく指を動かしている。

 私と話す間ももどかしそうだけれど、これだけは聞いておきたい。

「長野くん?」

「そー。待たせるとあいつ怒るから。じゃ、バイバーイ」

「ばいばい」


 廊下に響くマキの声の余韻がなくなるまで、そしてマキの足音がなくなるまで、私はずっとマキの後ろ姿を見ていた。

 駆け足のリズミカルな軽い音が、私の心をトクトクと刺激している気がした。

 ……あいつ、かぁ。

 マキの帰り際の嬉しそうな顔が、私に追い討ちをかけている。

 私って、なんて小さい事に気を取られてしまうんだろう!



 疑問に思うことがたくさんある。

 まずは長野くんから。

 なんで長野くん、今日に限ってマキの誘いを受けちゃったんだろう?というか、長野くんってマキの事好きなのかな?

 帰りに会えないのも、2人の部活の終了時間が合わないからだ。

 長野くんはサッカー部だから、9時まで活動してる。

 吹奏楽部で9時と言ったら、コンクール前とか定期演奏会前しかないから、都合が合うって中々無い。



 そして、マキ。

 なんで、マキの奴、私を放っておいて帰っちゃったんだろう?というか、マキって長野くんの事好きなのかな?

 最近、「今日1人で帰るね!」って言うのが多かったけど、本当は1人じゃなかったのかな?

 いつも長野くんと一緒に帰っていたのかな?

 この疑問を浮かべてしまった私を笑い飛ばしたくて、さっき「長野くん?」と聞いちゃったのだ。できれば「親が迎えに来ちゃってー」って言って欲しかったな。



「先生、お疲れさまです」

 気を取り直して教室に入ると、案の定先生が丹念に黒板を掃除していた。

「あ、ご苦労様です」

 先生は一旦作業の手を止めて、私の方を振り返った。ガンッという音が消えた。

「こんな遅くにどうしたの?」

「今さっき部活が終わったので、帰ろうとしたんですけど、クリアファイル忘れてたのに気付いて取りに来たんです」

「そうか」

 会話が続かない。笹島先生は明らかに女子を苦手としている態度をとっているのだ。

 40代も折り返し時点に差し掛かった、冴えない国語教師。お見合いでしか出会いを得られないほど、女性に関しては奥手で硬派なのだ。


 ーーいっその事、教え子に手を伸ばしちゃえばいいんじゃないか?

 ふと思いついた自分の考えを、自分自身で即否定した。

 それは、ダメだ。もし担任が同じクラスの子と付き合っていたとわかったら、吐き気がするほど気持ち悪いと思ってしまうもの。

 笹島先生なら、尚更だ。真面目で優しい先生だからこそ、教え子に手を出すような不純な教師でいて欲しくない。



「今の今まで部活だったのか……大変だな」

「コンクールが近いので」

「そうか」

 先生は目線を上にして、話題を探している、と思う。

 私はクラスの女子の中でもおとなしい方だ。先生に積極的に話しかけに行くことはない。

 授業や連絡事項で分からないことがない限り、先生と話す事などなかった。


「先生ってマメですね」

 先生だと、なんだか沈黙が落ち着かない。いや、ちょっと違う。誰といても沈黙は落ち着かないが、先生の時は私が困るというよりも、先生の方がこの沈黙に困ってしまっていると感じちゃうからかもしれない。

 だって、わかりやすく行動に出ているんだもの。まゆが下がり、目がキョロキョロして、黒板消しを持ったり置いたりしているし。

 それを見たら、誰だって申し訳なく思ってしまうはずだ。


 それにしても、沈黙が苦にならない関係ってどう作るんだろう?


「そ、そうかな?ありがとう」

 先生は黒板消しを持ったり置いたりを繰り返す。顔が伏せられているのは、私が急に先生の事を褒めたから困ったのかもしれない。またしても申し訳ない。

「毎晩黒板を綺麗にしてから帰るのは先生くらいですよ」

「そんなに、うるさかったかな?」

 へ?

 予想外すぎて間抜けな声が出た。

「ちょっと聞こえちゃってて……さっきの山田さんの話。俺、力入りすぎちゃってるから、いつも黒板に打ち付けちゃうんだよね」

「あー、そうですね……」

 やばい、さっきの話聞かれてたのか。まぁ、マキの笑い声大きかったしなぁ。

 ということはお見合い云々は絶対聞かれてるな。

 先生の事傷つけちゃったかもしれない。

 声が聞こえちゃう可能性に気付いていながら、マキをたしなめることすらできなかった。

 友達なのに、何を怖がっているんだろう。

 先生と話をしている間に、私の机の中にあったクリアファイルを回収する。

 後は帰るだけ、そう、帰るだけなのだ。

 何をもやもやしているんだろう。



「私は先生の黒板消しは嫌ではないです」

 できるだけ、自然に。

 無理やり言わされている感を出さずに。

 マキに言いかけて、止めた言葉を引っ張り出した。


 やっぱり言いたいことは言うに限る。勇気を出した後は、気持ちいいものだしね!


「確かに廊下にまで響いてるけど、毎晩先生が綺麗にしてくれるおかげで、1時限目受けるとき、なんだか気持ちいい感じがします。

 それに、先生に悪気はなくて、悪気がないどころか、丁寧なので、少なくとも私は先生の黒板消しが、好きです」

 語尾をすぼめて、なんとか言い切った。

 ポカンとした顔で黙ってきていた先生は、みるみるうちに顔を赤くした。そして、へらっと笑った。

 語尾を小さくモゴモゴ言ってしまったのは、最後告白っぽいじゃないか!と言いながら気付いて恥ずかしくなったからだ。触ってはいないけど、今の私の顔は先生より絶対熱くなっている。

「そうか、ありがとう彩さん」

 自分のクラスの男子には既に下の名前で呼んでいるのに、女子にはいつも苗字プラスさん付けで呼んでいる先生が、初めて私の事を下の名前で呼んだ。

 なんだか、先生の特別になってしまった気分。

 先生のクシャクシャな笑顔が、やけに胸に迫ってくる気がしたけれど、私は先生のことなんか、絶対好きになりませんよ。

 絶対に絶対。年の差なんてありえない。

 教え子との恋愛なんて、気持ち悪いだけだ。



「佐々木さんは?」

「帰っちゃいました」

「あれ?そうなのか?」

 惚けた顔しないでくださいよ。先生、絶対聞こえてたでしょうよ。

「今頃は元カレと一緒に楽しく帰っている事でしょうね」

「え、ええええ!お前、真也と、ええ!」

「やっぱり聞こえてたんじゃないですか……」

 恋愛下手な先生に意地悪した。

 普段の私だったら、マキを貶めるような事は言わないようにしている。

 でも、よくよく考えたら、私に内緒でいい関係になってるなんて、ちょっと酷いと思う。元カノに報告義務なんてないけど、さ。友達に一言、さ。

 素直に言ってくれたら、祝福したんだけど、な。

 あれ?違うかも。普段の私だったらぎこちなくても笑って祝福できたけど、今は出来なさそう。

 なんかマキにイラっとする。

 友達なのに。

 あーもう!全部先生のせいにしよう!


「……先生のせいですよ」

「えっ?急にどうしたの?」

「暗い廊下は1人で怖いから、マキについてきてもらったのに、マキのやつ帰っちゃったんですよ」

「なんで?」

「……諸事情です」

 なんだか、先生と打ち解けてしまったらしい。

 あの告白っぽいやつ(告白ではない)をしてから私の中で何か吹っ切れてしまった。

 いっか、担任なんだし。打ち解けて何が悪い。

「……というわけで、家まで車で送ってくださいよ」

「そ、そんな事できないよ!それに俺はまだ仕事残ってるし!」

 気弱な先生は、さっきまでおとなしいと思っていた生徒に急にグイグイこられて困っていた。それを見て自然に笑顔になる。

 いつの間にか私は、おとなしい生徒から困らせ生徒にジョブチェンジしちゃっていた。

 普段は感じるであろう罪悪感が、怖いほど無かった。

 今は、先生の困り顔が楽しい。

 そんな私って、やっぱり最低。

「親に連絡してみたらどう?」

「そうですね。そうします」

 当たり前のように鞄からスマホを取り出した時、ハッとして先生を見た。

 さっきまで心の中で非難してたくせに、その非難が丸ごと自分に返ってきてしまった。

 先生は私の顔を見てクスッと笑った。笑顔が可愛いと思ってしまうくらいには、私はもう先生から逃げられない。

「ここでかけていいよ」

「……すみません」

 そそくさと母に電話をかけ、迎えに来てもらう約束を取り付けて電話を切った。

 ……なんか一気に冷静になった。母の声が私をグイグイ系生徒からおとなしい系生徒に戻らせてくれた。

 やっぱりおとなしい方が落ち着く。

 でも、言いたい事がズバズバ言えて相手を容易く困らせちゃうのも、偶には私に必要なのだと、思った。



「……一緒に玄関まで行こうか?」

 先生の唐突な提案に、私は戸惑った。

「暗い廊下を1人で歩くのは、怖いだろう?」

 ニコッと笑った先生に少しムッとした。

「先生は怖くないんですか?」

 子どもっぽい反抗だなぁと我ながら思う。でも、私は高校生だ。子どもで何が悪い。

 私の突っかかりに笑顔で返す先生が、なんか無性に憎い。

「ああ、毎日遅くまで残業してるから、慣れたよ」

「相変わらず教師ってブラックですね」

 強引な私はいなくなったのに、先生と私の距離は近くなったまま。

「お見合い相手にもフられちゃうし、仕事は多いし、生徒と保護者は面倒くさいし、やになっちゃいますね」

「ちょ、そこまで言ってないよ!そんな面倒ごと丸ごと望んで教師になったんだから……ってお見合い⁉︎なんで知ってるんだ?」

「先生、さてはどMですね」

「おい、待て!それは誰情報だ!?」


 先生をからかって面白がるのも、私。

 おとなしく友達と一緒にいるのも、私。

 ーー私は色んな面でできているらしい。

 暗い廊下を歩きながら、意味深な事を考えた。


 女性慣れしていない先生の歩幅が、大きすぎる。

 小走りして必死に追いかけながら、ふと考えた。

(笹島先生の恋人が、私だったら)

 すぐに仮説を取り消した。

 馬鹿馬鹿しい。気持ち悪い。

 ちょっといいかも、と思ってしまった私に気付いて、思わず先生がきていたグレーのジャケットの端を思い切り引っ張った。



お読みくださりありがとうございました!

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