魔王
しんとした屋敷の廊。普段は使用人が足音が忙しなく聞こえるその廊も、今は時が止まっているかの様な静寂が支配している。
その静寂を破り、二人の人影が廊を進む。
重く森閑とした空気とは裏腹に、一人は軽快に歩み、一人はその後を続いていく。
二人は一言も発さずに、扉の前へと辿り着く。
扉に手を掛けると、そのまま勢いよく開いた。
「……」
「……アレ?」
その扉の向こうには自身の志に共感し、この屋敷に集った同士達が――いなかった。
部屋内は、誰かに荒らされた様な痕跡が残っている。壁に大きな穴が空き、窓ガラスが床へ散り、空き巣が入ったかの如く荒れ放題であった。
「これはアレか、ドッキリって奴か? アウレア」
「知らないわよ。あのチクチク眉毛が、この部屋だって言ってたの」
「おかしい……きっとハメられたんだ。カルミア辺りが一枚かんでいるに違いない」
「あの陰湿なクズでも流石に無いでしょ……アンタが呼んだんだから」
後ろで呆れた表情をするアウレアに、目の前で一人悔しがっている男……ルコは、部屋に入ると上へ手を翳す。
「……ああ、一つ上の階に集まってるみたいだ。アウレア、魔力を機敏に感じ取れる君なら分かっていたんだろう? ちゃんと案内してくれよ」
「私の所為じゃないわ。叩くわよ?」
「もう叩いてるじゃないか」
がすっと頭を叩かれつつも、アウレアの方を向く。
「叩いたところで痛くなんかないでしょ。そんな体じゃ――」
「心が痛むんだ」
「バカが」
「せめてもうちょっと嫌悪感を抑えてくれないかな?」
冷たい視線を受け流し、その荒れた部屋から上の階へと向かう。
「アウレア、部屋を間違えた事は言わないでくれよ? 恥ずかしいから」
「子供か。と言うか、間違えて無いわ。恐らく誰か暴れて部屋が使い物にならなくなっただけでしょ」
「リブラコアくん辺りがやったのかなぁ。修理費を出すのは私になるんだから、もうちょっと抑えて欲しいな」
隣の従魔を見ながらそう愚痴ると、アウレアはさっと目を逸らす。
「仕方ないわ。この屋敷が脆いのが悪いのよ」
「そんなキュールシャックみたいな事言って」
「あんな痛い仮面野郎と一緒にしないで」
心底嫌そうな表情をして、アウレアはぱきぱきと指を鳴らしている。
その喧嘩っ早い所をなんとかして欲しいと言ったのに。と、ルコは口に出さず心に仕舞い話を続ける。
「さて、急ごうか。遅れてしまったからね、誰か痺れを切らして帰ってしまうかもしれない」
「アンタがギリギリまで実験してたからでしょうが」
「行けるところまで行きたくなってしまうんだ。せめて、キリが良い所までやらないと気になって仕方ないじゃないか」
「これだから学究肌は」
ルコは急ごうと口で言いつつも、ゆったりと上の階へと向かって行く。
そんなルコの後を、アウレアは急かす様に後ろからどついて進むのだった。
部屋を移ったカルミアは、椅子に座るなりヴィルポート伯へと尋ねる。
「で、まだなの? 僕こう見えても忙しいんだけど」
「所用が済んだとの事で、直ぐにこちらへ来ますよ」
「所用て。私事の自己満足な研究だろう?」
「まぁ、有り体に言えばそうなるでしょうか」
「やれやれ」
モルセラに紅茶のおかわりを注いでもらおうとしたその時、部屋の扉が開かれた。
その瞬間、全ての――いや、数名を除いて、部屋にいた者は警戒態勢に入る。
その扉を開けた男。白衣に身を包んでおり、全身が青白く、至る所に刺青の様な模様が施されている。カルミアが感じたのはその異常な外見だけでなく、ピースコール以上の魔力を扉を開いた途端に感じた。
その男は、部屋へ一歩踏み入れると、部屋にいた者を一人ずつ見回し始める。
数名のうちの一人。ピースコールは、その者が入るやいなやその場で跪いた。
「……君、もしかして、ルコかい?」
嫌な緊張を全身に感じながら、それを顔に出さない様に、カルミアはその男に聞いた。
その様子を、モルセラは目を丸くして見ている。このような主人の反応は初めて見たからだ。顔には出ていない物の、普段から主人の姿を見ていたモルセラなら、カルミアがいつもの調子ではない事を理解できた。
「……ああ、カルミア。久しぶり。相変わらず小さいままなんだね」
その刺青の男――ルコは、にこやかにカルミアへと返事をする。
「君は……随分変わったねぇ。まるで――」
「まるで、別人みたい?」
「……ああ。今も疑ってるよ。この部屋にいる皆もそうだろうさ」
カルミアが知るルコとは、姿も違えば魔力の量も違った。
しかし、後ろから見知った狐耳の女性が現れると、次第に警戒を解いていく。
「フン、どいつもこいつも嫌疑な目ね。ルコ、アンタやっぱナメられてんのよ」
「君は直ぐそうやってマイナス方向に考えて……そりゃ知らない人が入ってきたら警戒するだろうさ」
笑いながら、狐の耳と尾が特徴的な女性――アウレアを引き連れ、ルコはヴィルポート伯の元へと向かう。
「シヴァ。君がさっき言ってた部屋が半壊してるんだけど?」
「これは失礼致しました。勘違いから、死霊術師殿とキュールシャック殿が少し揉めましてね。部屋が滅茶苦茶になってしまったので、移動をしたのですよ」
ルコは、ローブの人物――死霊術師に目を移す。死霊術師は肩を竦め、反応を示した。
「ですが、アウレア様がいらっしゃれば問題ないかと思いまして」
「勝手に余計な仕事増やすんじゃねえよ、クソ眉毛野郎が」
アウレアがガンを飛ばすと、ヴィルポート伯は重ね重ね申し訳ありませんでしたと、頭を下げる。
「まあまあ、良いじゃないか。遅れたのは私の所為だからね」
「つきましては、後ほど修理代の請求をさせ」
「みんな! よく来てくれた! 直接会った事ない人もいるし、そもそも姿形が以前と違うから、軽く自己紹介しようか。……ピースコール。君も楽にしていいよ」
「はい、承知しました」
ヴィルポート伯の言葉を遮り、ルコは辺りを見回す。
声を掛けた者が全員集まっている事を確認しつつ、紹介を始める。
「初めましての人は初めまして。他は、久しぶりだね。僕がルコだ。正式な名前は――いいか、興味も無いだろうし。まずは、そうだな。この姿を説明しなきゃいけないね」
さっぱりとした紹介から始まり、ルコは話を続ける。
「端的に言うと、これはね。魔王の体を頂いたんだ」
「……何?」
リブラコアが、鋭い視線をルコへと向けた。他の者も、一様にルコへの懐疑心を強めた。
その様子に、アウレアが顔を顰めた。
「リブラコアくんが警戒するのも無理はない。君は教会の人間だからね。魔王とは最も敵対してる勢力だろう?」
「まぁな。魔王が発生したら、率先して対処に当たるのが教会だ。第一、魔王ってのは人類の敵だ。教会所属であろうが無かろうが、俺なら必ずぶっ殺しに行く。それが、例えお前でもな」
「はあ? テメェなんかがルコに勝てる訳無いだろうが」
アウレアが、リブラコアへと啖呵を切る。
一方のリブラコアは、先程カルミアと喧嘩した時とは裏腹に、冷静にアウレアを見ている。
「アウレア。話してるのは私だ。挑発するのはやめてくれ」
「……チッ」
アウレアを宥めると、ルコは再びリブラコアの方へと向く。
「安心して欲しい。と言って、はい安心しましたとはならないだろうけど。まぁ、少なくとも人類の敵にはならない……いや、違うな。元々今の人類に敵対するべくここにいるんじゃないかな? 君もそうだろう? リブラコア・フラッタ」
「……」
その一言だけで、リブラコアは言葉を詰まらせる。
ルコはリブラコアだけでなく、ここにいる全ての者に、優しく語り掛ける。
「元々ね。今の世界が気に入らない、必要無いと。傷嘆、慨嘆、愁嘆、悲嘆。失望し絶望した者が集っているんだ。今更、魔王が云々なんて些細な事だ」
演説するかの如く言葉をまくし立てるルコ。
「そう思わないか? 『三眠』のクーヤマーヤ。人の限界を感じたのだろう? 『汪騎士』サントリナ・コットン。この呪われた世界を必ず変えて見せると言ったじゃないか。『占術師』ブローディア」
まるで意思の確認をする様に、一人一人語り掛ける。
「シヴァ・ディーゴ・ヴィルポート。君はクールなスマイルの似合う素敵な貴公子であり、堅実に領を治める才もある有能な領主だが――その心の奥底で煮えたぎる怒りは、出会ってからもずっと絶やさずにいるね」
「……ルコ様」
ヴィルポート伯は信奉した様な表情でルコを見ている。
「インカ。後悔し続けるのは疲れただろう? 今こそ、その悔恨を打ち破る時ではないのか?」
「ああ。既に覚悟は決まっている」
「君は単純明快で気持ちが良いね。いや、誉め言葉だよこれは」
インカは視線を少し逸らすも、そのギラギラとした眼でルコを見定める。
「ああ。まさか君が来てくれるとは」
「――」
「そうだね。この状況を一番に渇望したのは君だ。『死霊術師』――」
そこまで言うと、死霊術師はルコの会話を遮るように手を前に出し、首を振る。
「そうかい。まだ、決心がつかないんだね。大丈夫だ、時間はたっぷり……とは言えないが、君が考える時間くらいはあるだろう」
「――」
「それと。アウレアを助けてくれてありがとう」
「……フン」
そう言って、ルコは死霊術師に頭を下げる。
アウレア当人はと言うと、鼻を鳴らしてそっぽを向いている。
「はは、ははは!」
突如笑い出したのは、その様子を見ていたカルミアであった。
「どうしたんだい? カルミア」
「いやいや、相変わらず扇動が上手だねぇ」
「扇動ではないさ。皆、自分の意思でここにいるんだ」
「そうなる様に煽るのが扇動だろう? ま、彼らはそれを理解してここにいるんだろうけど」
挑発する様にカルミアは喋くる。
また始まった……! と、モルセラは諦めの表情でカルミアの話を聞いている。
「カルミア・シリル。君は――」
「やめとけよ。僕と君は対等だろ? 僕には消したい物も無ければ、為したい事も無い」
「そうだね。君は、既に自分で全て消したい物は消して、為すべき事は為したからね」
「はは、そゆこと。僕はただの傍観者さ」
肘をつき支えていた顔を上げ、不敵な笑みを見せる。
「では、親友よ。私の為す事を見届けてくれ」
「いちいち仰々しいんだよね、君。素直に世界征服しまーすって言えば良いのに」
揶揄う様に、悪戯な言葉をルコへとぶつける。
ルコはくつくつと笑いながら、カルミアへと返答した。
「征服とはちょっと違うかな。私はね、この世界を一新させたいんだ。余りに未熟で、不甲斐ないこの世界をね。だから、まず始めにその第一歩として。世界の理を弄ってみた」
息をふっと吐いて、ルコは天を仰ぐ。
「定期的に出現する魔王――その魔王の因果を断ち切り。強制的に現界させる。その結果が、今の私だよ」