火龍の加護を受けた町
数百年前。まだ存在していない現在のストレチア王国北部に位置する場所に、大きな峡谷があった。資源は豊富、水源もあり、人々は幾度となく開拓を試みた。
しかし、截然たる谷を進むには転落の危険を伴い、美しい渓流には魔物が跋扈する。一度入れば開拓どころか、生き残る事すら困難であった。
そんな峡谷に、一匹の火龍が現れる。
その火龍は魔物を悉く焼き払うと、そのまま峡谷へと居つき始めた。今まで暴れていた魔物は火龍を恐れ、峡谷の奥地へと逃げていった。
いつ火龍が街を襲うか分からない。恐れと不安を抱いた人々は火龍の討伐を決め、峡谷へと攻め入った。
自国の為、刺し違えても討ち果たすという気概で向かうも、断崖絶壁を越え、川を渡り、遂に火龍の元へ着いた時には既に体力を消耗していた。それでも剣を持ち、杖を構え、祖国の安寧の為に火龍と対峙する。
火龍はそんな人々の様子を見ると、背を向けて峡谷の奥へと引っ込んでいく。
何処へ行った。まさか逃げたのか。と呆気にとられた人々の前に、再び火龍が現れたかと思えば
「この宝玉を差し出す代りに、ここに住まわせて欲しい」
と、赤く光る宝玉を差し出し、火龍は頭を下げた。
最初は罠では無いかと訝しんだが、時間の経過と共に、人々は火龍と打ち解けていった。
火龍は凶暴な魔物を抑える代りに、豊富な食料と安住の場を手に入れた。人々は峡谷の開拓を始め、町が興り、何十年もかけて栄えていった。
その町は『ヴィルポート』と名付けられ、火龍の加護を受けた町と歴史に刻まれている。
「とまぁ、こんな感じかなぁ。わかったかい? モルセラ」
「つまり、火竜と提携して栄えた町なのですね」
「そうそう、まぁ実際の火竜はこんな威厳無いけどねぇ」
煌びやかな馬車の中で、穏やかな陽気につられて欠伸交じりの声で話すカルミア。
同乗していたモルセラに、『ヴィルポート』の成り立ちを話し終えた所であった。
「実際に見た事があるのですか?」
「見た事あるっていうか普通に知人……もとい、知龍だよ。まさか殺されるとは思わなかったけど。あの黒龍と違って人畜無害だしねぇ」
カルミアはほうっと息をついて、既に見えている大きな峡谷を見下ろす。
「まぁ、それはいいや。今回は別件だし」
「軽いですね」
「もう百年近く会って無かったし。もう他人だよ他人。いや、他龍か」
笑いながら、王都から持ってきた菓子を口に入れて咀嚼する。
「今回はねぇ、ルコに会うために来たのさ」
「ヴィルポートに居られるのですか?」
「うん、やっと動くんだって」
「……そうですか」
モルセラは何処か憂慮した雰囲気で返事をする。
また面倒事が始まると愚痴をこぼしたくなるのを我慢して、カルミアと会話を続ける。
「では、カルミア様もついに働くのですね」
「待って待ってなんだい人を無職みたいに。僕一応爵位持ちだよ? エルフの里の領主だよ?」
「ほったらかしですし、何一つ領主らしい事をしていませんよね?」
「そうだねぇ。50年くらいは帰って無いな。そろそろ里帰りしてやるかなぁ」
話している内に、ヴィルポートの入り口へと到着する。
相変わらず無駄に派手な門だ。と、いつもの余計な一言を口にして馬車から降りる。
「ここまでで良いよ、御者さん。中々快適だった。ご苦労様」
チップと言うには量の多い金貨を、袋に詰めて御者に渡す。
御者は困惑しながらも、ほくほくとした顔で礼を言いその場を離れていく。
「また雑にお金を扱って。後で足りなくなったらどうするのですか」
「僕はいつでも稼げるからねぇ」
「……ここで騒ぎは起こさないで下さい。王都と違って融通が利きません。それに、冒険者ギルドや国内の有力者の出入りが――」
「大丈夫だって。僕も有力者だからねぇ。このカルミア・シリルを知らない奴なんてこの国にはいないのさ」
モルセラのお小言を遮るように言うと、カルミアは門へと歩き出す。
門の前は王都と変わりない人の多さだが、人々の顔はどこか寂しく、哀感を感じる。ヴィルポートの主が殺されたから……と言うよりは、それにより魔物の動きが活発になった事が原因だろう。動揺と不安が見て取れる。
まぁ、僕には関係ないけどね。と、カルミアは笑顔で若い守衛へと話しかける。
「やぁ、領主の所へ案内して貰える?」
「ん? なんだ子供か。ボク、横入りしちゃダメだよ。向こうにいってちゃんと並んで来なさい」
「は?」
「くふっ……い゛っ!?」
守衛の反応に、モルセラは必死に笑いを堪えるが、バレてカルミアにお尻を抓られた。
「フッ、これくらいで怒る僕じゃないさ。君、あんまり人を見た目で判断してはいけないよ。僕はエルフだからね。こう見えても君より年上なんだ」
「え?」
「ついでに言うと僕は貴族だからね。相手によっちゃ文字通り首が飛ぶから気を付けた方が良いねぇ」
守衛の顔がサーっと青くなっていく。
その後ろから、急ぎ足で年配の守衛がこちらへと向かってきた。
「も、申し訳ありませんでした! 人手が足りず、まだ経験不足な若兵を配置し――」
「あー、いいよいいよ。別に処罰とかするつもりないし。面倒だからさっさと中入りたいんだけど。モルセラ、なんか証明出来る物あるかい?」
年配守衛の言葉を遮り、カルミアはモルセラの尻を抓りながら聞いた。
「カッ……ルミア様……痛いです、痛いですから」
「主人を笑うのが悪いよねぇ。ほら、さっさと出す」
「ぐう……で、では、領主の印がある手紙を……」
手紙をカルミアに渡し手がふさがると、さっと後ろに下がり痛む尻を抑える。
「これで証明できるだろ? 僕はカルミア。カルミア・シリルだ」
「は、はい! この手紙、間違いなく領主が招聘するべく出された物です!」
「うんうん、わかってくれたかい?」
カルミアは朗らかに笑い、渡した手紙を再度受け取った。
一方守衛は、緊張しながらも怒りを買わなくてよかったと安堵の表情である。
「大変申し訳ありませんでした。直ぐに案内をさせますので」
「いや、君らも忙しそうだし、二人で行く事にするよ」
「ですが……」
「何、別に怒っている訳じゃないさ。単に気が変わっただけ。自分で言うのもなんだけど、僕は気分屋だからねぇ」
んじゃ、頑張ってねぇと手をひらひらさせ、カルミアはぎこちない動きのモルセラを引っ張りヴィルポートへと入っていった。
「ッ! ……」
不愉快な魔力を感じる。あの小賢しいカルミアがここへやってきたのだろう。
いつもであれば怒りを感じて喧嘩を売りに行くが、今は……いや、ここ最近、そんな気分にならなかった。
「おや、珍しいですね。こんな所でお会いするとは」
ヴィルポートの中央に位置する領主の屋敷。
そこへ音も無く現れたのは、ストレチア西方の要……ディゼノへと向かっていた魔族、ピースコールであった。
肩に乗せていた二体のアルラウネを気にしつつ、私に礼儀正しく頭を下げてきた。
「なに? 私が外に出ちゃいけないワケ?」
「いいえ、そう言ったつもりはありませんが。ヴィルポートにいる時は常にルコ様の隣にいるイメージでしたもので」
「……まぁ、確かにそうよね」
そう言うと、ピースコールは不思議な様子で私を見る。
「何か、変な物でも食べましたか?」
「はあ? 何よ急に」
「いえ、いつもなら余計なお世話だと突っかかってきたので」
「どいつもこいつも、私を何だと思ってんのよ」
『癇癪狐だべ』
「ああ?」
余計な事を口走るアルラウネのヴェガをきつく睨む。
ヴェガはびくりとはねて、ピースコールに体を寄せる。
「あまりこの子たちを脅さないで欲しいですね。悪気はあっても敵意は無いのですから」
「悪気はあるんかい」
「言葉が理解できないと思ってつい口に出てしまうだけなのです。どうか穏便に」
『姉さまをいじめるんじゃねえべさ、この癇癪狐』
「……」
「この子はちょっと色々ありまして……お気にせずに」
ヴェガの方はともかく、もう片方のアルラウネ、ラスラはどう見ても敵意むき出しだが、気にせずに話を続ける。
「あんたがいるって事は他のも戻ってきてるのかしら?」
「ええ、母体は置いてきてしまいましたが。それでも、ヴェガの寄生は上手くいきましたので、概ね、成功と言っていいかと」
「そう」
素っ気なく返すと、私はルコの元へと戻るべく屋敷へと歩き出す。
そんな私に、ピースコールは問いかけた。
「本日、沢山の同士が来るとの事ですが、貴方はどうするのです? また単身どこかへ向かわれるのですか?」
「ルコの隣にいるわよ」
「そうですか。では、また後ほど。アウレアさん」
にこりと笑い。ピースコールは姿を消した。
身体能力はそうでもないが、あの有り余る魔力量が、転移の魔法を容易く使用可能にさせている。
そんな彼女が、何故自分を気にかけているのか分からない。
そして、分からないと言えば、あいつだ。あのチビでいけ好かない、ちっぽけな癖に私を打倒したあの少女。
あいつの事が頭から離れず、最近こうして夢遊病の様に外をほっつき歩いている。
怒りとはまた違う、自分でも良く分からない感情が私を埋め尽くしていた。
「……はあ」
考え疲れると、こうしてルコの元へと戻る。そんな日がもう何日も続いている。ルコも暫く自由にしていてくれと言うし、何をするべきなのかも分からない。
ピースコールが言っていた。今日はルコが声を掛けた者達がここに集まってくると。
幸い、今の調子じゃ怒りも沸いてこない。ルコに迷惑もかけないし、好都合ではあるが……どこか、ぽっかりと胸に穴が空いたような、そんな気持ちになる。
そんな虚ろな意識のまま、私――アウレアは、主人の元へと戻っていった。




