静謐で近寄りがたい美を感じる
今は衛兵も巡回しておらず、誰一人いる筈の無い寂然たるリールイ森林。
その入口に、顔の半分を仮面で隠した一人の男が、木の上から草原を眺めている。
その男は弩を構えたまま懸刀に指を掛け、まるで銅像の如く動かない。ただ唯一、眼球のみが遥か遠方の獲物を捉えていた。
片面の弩手が指を引いた瞬間、木々がさざめく程の振動を発して、矢が放たれた。静々しい発射音であったが、強い光を纏った大きな矢が、高速で目標に向け飛び出した。
幾秒の後。その矢が叩き落とされたのを見て、男は初めて息をついた。
「飛距離、威力共に申し分無しであるな」
『しかし撃墜まで至らず』
「矢が悪い」
『然り、矢が悪い』
まるで二人で会話しているかの如く独りごちる。遣損の原因を擦り付けた矢を手に取り、弩へ番える。
先程と寸分違わぬ構えで、再び矢を放とうとした。
『待たれ、軌道上にビーラカウィム殿がいる』
「纏めて射抜けばよかろう」
『然り』
其の儘、懸刀を引こうとした時、弩手の仮面から覗いた眼が薄らと光る。
『殺気』
言葉と同時に体も動いた。弩手は急襲された事を直ぐに理解すると、その場から離れ地へと飛ぶ。
元居た場所に目を見遣れば、木に大きな風穴が空いていた。大木が体を支えられず、べきべきと音を立て真っ二つに折れ倒れる。
倒れた木の上に、真っ白な鎧を来た背丈の小さい騎士――セントレアが立っていた。
槍を一振りして土煙を飛ばし、弩手へ向けて口を開く。
「そこの者。ここで何をしていたのでしか? この森で獣狩りは出来ないはずでしが」
勧告にしては殺気が濃い。有無を言わさず取り押さえる、と言う気迫を感じた。
既に何をしていたか理解しているというていで、弩手は答える。
「何を言うか。今の今まで、貴様の方でさんざ獣を狩っていたであろう」
「やっぱ関係者でしか。あの黒い魔物は貴方の仕業でしか?」
「答える必要はあるまい」
「じゃあ、ふんじばって吐かせるでし」
「乱暴者であるな」
木から飛び降り、セントレアは威嚇するように槍を向けた。
『ああ、お主、知っておる。知っておるぞ』
「ん? ……何がでしか?」
セントレアはまるで別人が喋っているかの様な違和感を覚えながらも、疑問を口にした。
『純白の騎士セントレア。ストレチア王国内で五指に入る実力の槍騎士。ルコ殿が要注意人物と仰られていた』
「ふむ、この様なおみなごが。某は聞かされた覚えなど無いが」
『記憶しようと努力しておらぬでな。曰く、あやつと拙僧とでは相性が悪い』
「そうか、そうか。楽な仕事だと高を括っておったが、貧乏籤を引かされたという訳だ」
こいつ一人で何言ってんだ……と言う様な、微妙な表情でセントレアは弩手を観察していた。
印象的なのは大き目の弩に、片側を隠す様な仮面。姿は人間とそう変わりなく、老壮の様な喋り方とは裏腹に見た目は若い。
『ふむ。ビーラカウィム殿が《光輝》と対峙。残りは母体の元へ向かっておる』
「あの不佞な騎士め。大方、強者との果たし合いがしたいだけであろう。全く、やりたい放題であるな。某を見習うべきだ」
『……』
「これでは某が仕損じたみたいに思われるではないか。ルコ殿は試験的な運用と仰られていたが、【アポロス】を服用した狼の母体をやられては拙い」
『拙僧よ、純白の騎士に筒抜けである』
ぶつぶつと独り言を言っているようにしか見えないが、気になる言葉を耳にした。母体――先程殲滅した黒い魔物の親玉かもしれない。しかし、姿は確認出来なかった。一体どこにいたのか。
それに『光輝』というのは、セントレアが良く知った人物の二つ名であった。
もしやあの厄介者、ルビア魔導元帥がこちらに来ているのではないか……と、嫌な事を考えながら、まずは目の前の男を拘束せねばとセントレアは再び思考を戻す。
「脳内会議は後にして、武器を下に置いて投降しなさい」
「ふむ。事実とも分からぬ状態でいきなりひっ捕らえるとは。そのような横暴がまかり通るのか、この国は」
「武器持ちながら独り言をブツクサ言ってる時点で物騒でし。第一、貴方が矢を放ってる事は確認してるでしな」
「やれやれ、偏見で物を語るとは。少し仕置きが必要か、おみなごよ」
男は、弩をセントレアへ向ける。
「衛兵にそれを向けるとは、どういう事か分かっているでしな?」
「仕掛けたのはそちらが先だ。貴様が悪い」
「責任転嫁の権化みたいなヤツでし」
セントレアは駆け出した。いくらあの射程、あの威力が出せようとも、二の矢を番えるのに時間が掛かる弩。この状況でそんな時間を与える筈も無い。
直ぐに終わらせ、さっさとルマリへ救援に向かう気でいたセントレアであったが、その考えを改めなければならなかった。
『拙僧が視る』
仮面から覗く眼が薄らと光る。それを見てしまったセントレアの動きが止まった。体がピクリとも動かない。
どういう原理かと考える前に、危機が迫っていると眼前の敵を見る。
「なっ――」
「某が射つ」
「にィっ!!」
放たれた矢が、セントレアへ向かう。
先程より威力も速度も無いが、動けないセントレアには致命傷になりかねぬ物であった。
「がふっ!?」
強い衝撃がセントレアを襲う。
心臓へ向けられた矢は鎧に阻まれた物の、セントレアを数十メートル程吹っ飛ばした。
木々を薙ぎ払い、大きな土煙を上げて衝撃をモロに食らった。あれならば戦闘不能だろうと、弩手は構えを解くが――
『浅い』
「何?」
普通であれば、弩の威力に耐えきれず鎧を貫通する筈が、矢が鎧に負け、大きく拉げている。
あの鎧は何かある。と、弩手が感じたのも束の間、土煙から、小さな影が飛び出す。
『上方感知。大きく後方へ飛べ』
「チッ」
舌打ちをした弩手が、咄嗟に後ろへと飛ぶ。
先程まで自分の頭があった場所に、赤黒い槍空を切り、地に突き刺さった。地が割れ、クレーターを作る程の衝撃が、リールイ森林に響き渡る。
その孔の中央にいる白い鎧の騎士が胸を抑えつつ、槍を抜き取る。
「あれで死なぬか。小癪」
「貴方の狙い方がショボイからでし」
「いいや、矢が悪い。大体、なんだその鎧は。我が弩が貫けない鎧など――」
と、言葉を続ける前にセントレアが仕掛ける。弩手の前に躍り出ると、頭部へ向けて槍を突く。
その直前『屈め』と呟いた男は、言葉通りに身を屈めて槍を凌ぎ、接射を試みる。セントレアは槍を挟み、その矢を直に受け止める。
「……貴様、会話の途中だぞ。卑怯者め」
「異常なまでの反射神経でし。加えてあの奇妙な術。厄介極まりないでし」
男の話を無視しつつ、セントレアは先程起こった事象を考える。
弩手を前に体が動かせなくなるのは致命的。しかし、今のを見る限り使用に条件、又は回数がある筈だ。
あの状況で男が出来ることは、相手を視る事だけ。視ただけで、相手を拘束する魔法など聞いた事が無いが――そう仮定して動くしかない。
「おい、聞いたか某。こやつ、某を無視したぞ。有り得ぬ」
『然――いや、たぶん拙僧でも同じ事をする……』
「な、なにゆえ」
この一人芝居を含め、眼前の敵にどう対応すれば良いか――セントレアは、痛む胸部を抑えながら勘考していた。
ルビアに赤騎士を任せ、俺達は黒い魔物の出現場所へと辿り着いた。
既にセントレアはいない。まさかと思い辺りを探したが、姿が見えない。
「セントレア子爵、大丈夫かな」
「あの人はそんなヤワじゃないし、危なそうなら逃げるイメージだけど」
ダイナの言う通り、あれは必死こいて戦ってるイメージがわかない。ここら一体の魔物を殲滅して、移動したのだろう。
ぶつ切りになってるレクスが至る所に置き去りにされている。血の匂いが辺り一帯に広がり、不快さが胃をどついてくる。普通の美少女だったらグロッキーになっていたな。
「ハナ、大丈夫か?」
顔を顰めていたのが気になったのか、ダイナが気を使い声をかけてくる。
「はい。少し気分が悪いですが、問題無いです」
「辛かったら、空を眺めると良い。女の子がこの光景を見るのは、酷」
ガーベラも優しく気を使ってくれているが、自分も女の子だろうに。人に気を使う余裕がある程には場慣れしている。
他のメンツも、そこまでショックを受けていない。転生者疑惑があるダイナや黒龍のシーラはともかく、オクナとガーベラはまだ子供だと言うのに凄いな。
「そんで、どーすんだ副ギルドマスター」
「まあまあ、待ちたまえ。今から探査するから。ユーリくん、降りるよ」
リナリアはユーリから降りると、魔法を行使する。
静かだが、何となく魔力が動いているのが分かる。探査って言ってたけど、何か感知する様な魔法なのだろうか。そんな便利な魔法あったら俺も欲しい。
(探査魔法はありますよ。しかし、これも先天性のスキルなので、後から手に入れるという事は難しいかもしれません)
(チートで何とかならんのか)
(そう都合良くいきませんよ)
残念だ。有ったら絶対便利なのにな。危険が迫ってもすぐ逃げれるし。
それに今のリナリアはどこか神秘的だ。いつもの軽いイメージとはまた違う、エルフ特有の美しさというのだろうか。静謐で近寄りがたい美を感じる。
(現代に例えるとえっちな巫女さんみたい)
(一気に低俗になっていませんか? 巫女さんに失礼ですし)
(体のライン見える服着たねーちゃんが祈祷する姿見せるのが悪い。ふしだら)
(ふしだらなのはハナ様では)
余計な事を考えている間に、リナリアが探査の魔法を終えたようだ。少し疲れている様で、息が乱れている。
リナリアは、少し急ぐように話す。
「うん、ちょっとまずいかも」
「いきなりなんだ」
「何かわかったのですか?」
シーラとオクナが頭にハテナを浮かべている。
見た所結構ヤバそうな雰囲気だが、何かあったのだろうか。
「近くにね、巨大な生物の反応がある」
「巨大な、って言っても何も見当たらないぞ」
「上か? でも、鳥すらいないしな」
「気を引き締めて。既にいる。ダイナくんもガーベラちゃんも剣を抜いて。ハナちゃんは絶対にユーリくんから離れないで」
リナリアの一声で、突如緊迫した状況に陥る。俺も見回したが、何もいる気配はない。
しかし、リナリアが冗談を言っている様には見えない。
(セピア、ユーリ。何かわかるか?)
(いえ、私は感じません)
(う~ん……ちょっと良いか?)
(どうした?)
ユーリが何か気づいたようだ。
万が一に備え、しっかりユーリの蔦を掴みつつ話を聞く。
(植物が騒いでる)
(黒い魔物が現れた時もそう言ってたな)
(うんにゃ、さっきとは違う。見えない何かに踏まれてるって)
(見えない何かって……)
まさか……姿を消せるのか? あれか、隠密スキルとかそういう奴か? いるって気づかない限り姿が見えない的な?
(場所はわかるか?)
(聞いてみるわ)
ユーリはそう言って息を思い切り吸うと、勢い良く咆哮した。
「グルルオオォォォォォォッッ!!!!」
「い゛っ!?」
「うおっ!?」
突然の咆哮に、一同が驚いた。俺も驚いた。このアホユーリ、近距離で大声出しおって、びっくりするだろ。
「みっけた」
一言、そう言うとユーリは蔦で何もない場所を攻撃した。
本来であればからぶる筈の蔦が、何かに当たり弾かれる。
「あそこだ。リナリア、あそこに魔法撃って」
「ナイスだユーリくん。――【サイクロン】」
リナリアは風魔法でユーリの指し示す場所を攻撃する。あれ、ケイカが使っていた魔法だな。本当にサイクロンって名前だったのか……。と、余計な事を考えている場合ではない。
何もない筈の場所から、ユーリよりも大きい黒い狼が姿を現した。
「うお、で、デカすぎないか」
「6、7メートルはあるな」
「シーラより……大きい……」
大型トラックよりも一回り大きい狼が、そこにいた。ずっとこっちを見ていたのか? こんなのがすぐ近くにいたとは、リナリアが焦るのも無理はない。
黒き大狼はゆっくりとこちらに向けて一歩踏み出し、目を細めたと思ったら、ユーリの咆哮よりも更に大きい遠吠えをした。
耳を破壊されそうなくらいボリュームが大きい遠吠えについ耳を塞いでしまう。
(ぐおっ!? うるっせぇぇぇ!!)
(ハナ様!! ユーリさんから手を放さないで下さい!!)
(なっ!?)
俺の目の前に大狼がいた。速過ぎる。こいついつの間に――
「――【ノトロクロウ】」
俺と大狼の間に入ったダイナが、大狼へ向けて剣を振り下ろす。ダイナが持っている剣では届かない筈の位置から、大狼の顔面を斬りつけた。
大狼の動きが一瞬止まる。そのスキに、ユーリは逃げる様に大狼から離れた。
(あっぶねェェェェェ!! 油断すんなよハナ! もう少しでオイラが餌になる所だったぞ!)
(しゃーないだろ。うるさかったんだし)
(もうちょっと危機感持ちなさい!!)
ペットに叱られつつ、大狼の様子を見る。
ダイナに思い切り斬りつけられたにも関わらず、動じていない様子だ。顔面には傷一つついていない。
「マジか。結構力入れたんだけどな」
「ダイナで傷一つ入れられないなら、私じゃ無理。遊撃に回る」
「頼むガーベラ」
「また消えられたらまずい。皆、絶対に逃がしちゃダメだよ」
ダイナとガーベラ。そしてシーラが大狼と対峙する。
その顔には恐怖が微塵も感じられない。いや、マジですげえと思う。
「剣による攻撃が通り辛いなら、魔法でいくしかないよね。ダイナくんとシーラ、敵の攻撃を受け持ってくれるかい?」
「わかりました」
「受け持つだけでいいのかぁ?」
「うん、私とオクナちゃんでやってみるよ」
「はい!! が、頑張りますっ!!」
「頼むね。これだけ大きいと魔法が効くか分からないけど」
「不安になる様な事言わんで下さい」
俺達は、突如として現れた黒い大狼との戦闘に入った。