上等だテメェ全部弾き飛ばす
草原に一人佇む白い影。辺り一面、黒い血液で草木を染め上げているのにも関わらず、その鎧だけは染み一つなく、混じりけの無い純白であった。
本来であれば直ぐにルマリへ戻るべきだろう。このおびただしい量の死体は、後で部下と一緒に回収すれば良い。
しかし、セントレアはレクスと戦っている最中、ある事に気づいた。
(この群れは、リールイ森林の方角から向かってきている)
群れと言うよりは、1匹1匹を逐次投入しているかの様な違和感があった。
そのどれもが、同じ方向から向かってくるのだ。これだけの数、どこに隠れていた? 自然発生でない事は確かである。
(調査は冒険者に任せてさっさとルマリに戻るべきでしが……さて)
その違和感が拭えず、セントレアは一人草原で考えていた。
この程度の強さであれば、部下だけでも十分守り切れる。しかし、何百……何千といるとなると話が変わってくる。どれだけ強い人間がいても限界が来るだろう。あのリコリスと言う幻獣でも、体力が尽きるだろう。
リールイ森林に偵察を出すのも危険だ。斥候に長けた部下もいるが、レクスは鼻が利く。それに、少数で魔物の大群に突っ込めと言う指示など出来る訳がなかった。
セントレアは選択を誤ったと口を結ぶ。ここを離れ、自身も一緒にルマリへ戻るべきだった。
(ま、後悔先に立たず、でしな。衛兵の本分は領民を守る事でし。やはりここはルマリへ戻って――)
と、考えが纏まった所で、リールイ森林の方角が強く光った。その光が、ディゼノの方角へと向けて勢い良く放たれる。
魔法……では無さそうだ。しかし、あの光が危険である事は一目瞭然であった。
(何でこう、帰ろうとした矢先に厄介事が起きるのでしか)
王都での出来事を思い出し、嘆息するセントレア。
仮にあれが超遠距離からの攻撃だとしたら、ルマリも射程内である。むしろ、外壁がないルマリの方が危険であった。直ぐに落とさなければならない。
攻撃に間隔はあるのか、命中精度はどうなのか。頭の中で想定しながら、セントレアはリールイ森林へと駆けていた。
リコリスはルマリの門前でイルヴィラと別れた後、再び人に変化する。幻獣の状態だといらぬ警戒を与えてしまいかねない。まずはレイに話を……と、門を抜けた所でレイに会う。普段から門の近くで剣を振っていたので、都合良く出会う事が出来た。
レイは、普段一人で外へ出ないリコリスを見て、不思議に思いつつも声を掛ける。
「リコリスさん、どうしたんですか?」
「小僧。直ぐに家へ戻れ」
「……何かあったんですか?」
「ウム。ここからディゼノへ向かう途中の草原に、黒い魔物が現れた」
レイは驚いた。普段から自分も使い、通る道だったからだ。
今まで魔物などほとんど見なかったのに、どうしてとレイは考えこんでいる。
「ハナちゃんは?」
「無事じゃ。何、お主が心配する事は無い。我もいるからな。ここは危険じゃ、家に戻るが良い」
「僕も何か――」
「ならぬ。直ぐに戻れ」
レイは予想していたが、強い否定だった。
それ程の魔物なのだろうか? しかし、今まで幾度もただ見ている事しか出来なかったレイは、歯痒い気持ちであった。
リコリスは少し強引かと思いつつも、レイを説得しようと試みる。
「そう思い詰めるな。まだ、お主には早いというだけじゃ」
「でもハナちゃんは……」
「主は主じゃ。人と比べる事ではない。お主なら分かる筈じゃ」
そう言って、レイの頭を撫でる。
何か言いたげな表情であったが、レイは聡明な子供だ。リコリスの言う事は理解できるのだろう。
レイの悔しそうな顔が、いつかの自分の娘と重なって見えてしまった。今は余計な事を考える時ではないと、頭を振って切り替える。
「万が一という事もある。お主は家で爺やを守ってやれ」
「……そうだね。僕が爺ちゃんを守るよ」
「ウム」
今後はレイの修行も見てやろうかとリコリスは考えつつも、再びルマリの外へと顔を向ける。今この間にも、レクスがやってくるかもしれない。自分の帰る家もある以上、傷一つ付けさせる気はない。
レイが急いで家へ戻るのを見送って、リコリスは再び門の外へと出た。
普段、ルマリの門は全開にされている。中へ入るのも門番が一人、検問とも言えない緩い聴取をするのみである。
しかし、今は門を閉ざされていた。以前、龍が空を通過した時に閉じて以来、数十年ぶりであった。
「リコリス殿、ご助力感謝します」
「良い、我の住まう場所を守っておるだけじゃ。話は済ませたか?」
「ええ、貴方のおかげで住民の避難は間に合いそうです」
アーキスはレクスを迎え撃つべく、部下を数十人連れてルマリから少し離れた場所で待機している。
ディゼノと違い、柵で隔たりを作っているルマリは、門前で守る利が薄い。
それと、村に近いとリコリスの能力に不都合があると、ルマリから離れた場所で布陣した。
「ご心配なく。ルマリにも当然兵は残しています」
「心配などしておらぬよ。それよりも――」
前方から先程感じた魔物の気配がした。ついにレクスがこちらまで近づいてきたのだろう。
しかし、それだけではない。レクスとは比べ物にならない程の気配を感じた。
アーキスもそれを感じ取ったのか、兵達に一層気を引き締める様に鼓舞をする。
数分経って、レクスの群れを視認する。その中に、ひと際大きな獣と、その獣を、手足の様に操り跨っている一人の人間がいた。
「ほう、魔族か」
「あれが、魔族?」
アーキスや、他の衛兵たちは魔族を見るのは初めてだった。近づくにつれ、その姿が露わになっていく。
肌や背丈、風貌は人間とそう変わらない。しかし、一般の兵士ですらも感じられるほどの魔力量の高さが、衛兵たちに緊張を生む。レクスの数倍大きな獣、通常の物よりも数が多いレクスの群れ。兵士達は唾を飲み込み、一様に冷や汗を流している。
「お主ら、レクス程度は相手できよう。あの魔族は我に任せよ。巻き込まれぬように注意しておけ」
「いえ、貴方が力ある幻獣だとしても、我らが守るべきストレチア王国の民だ。ここは私が――」
「やめておけ。あれはお主の手に余るぞ。お主は飼い犬の相手でもしておれ」
言い合う暇もなく、レクスの群れは刻一刻とこちらへ近づいてくる。
アーキスは仕方が無いと、兵達へ向け指示を飛ばす。
「敵は黒い魔物だ。魔族はリコリス殿が相手取り、私はあのデカブツをやる。邪魔にならぬ様……いいや、巻き込まれぬ様に突出するなッ!!」
普段の穏やかな様子は鳴りを潜め、副衛兵長としてアーキスは威厳を含めた声で檄を飛ばした。
衛兵たちも、応、と気合を入れ直す様に呼応する。槍を構え、目の前の敵に集中する。
リコリスは先だって、魔族の元へ向かう。
大きな狼に乗った女性はリコリスが現れるの見て、『止まれ』と小さく呟く。レクスの群れは、その言葉に呼応してピタリと進撃を止めた。
「不躾ながら……貴方はリコリス様、で宜しいでしょうか?」
魔族の女は狼から降りて、丁寧にリコリスへ尋ねた。
「我を知っているのか、娘。ならば話は早い。早々にこの黒い魔物を退かせよ」
「拒否します」
「ほう、このままルマリを侵略すると? 魔族が田舎の村を襲って何になる。魔王が復活でもしたのか?」
「……私が魔族であろうが無かろうが関係ありません」
魔族は魔王に絶対服従。それはこの世界に住む者なら誰でも知っている事であった。
しかし、この女は関係ないと言った。リコリスの中で、更に謎が深まる。
「ウム。では、生け捕りにして吐かせるしかあるまい。余り手は抜けぬぞ、娘」
「貴方が相手だとデータが取れないので困るのですが。それと、私の名は――」
言いかけた所で、リコリスの飛ばした氷塊を躱す。群れは一斉に飛び出し、リコリスから離れる様に散開する。
「――歳を取ると短気でいけませんね」
「お主の名など興味は無い。直ぐに片を付けてやろう」
「退いて頂きたかったのですが、仕方ありませんね。では、胸をお借りします」
魔族の女から魔力の高まりを感じる。
リコリスは寒気を身に纏うと、そこを中心に辺りが吹雪いていく。
暖かな日差しが差していた陽気の良い草原は、寒々しい氷獄へと様変わりしていた。
ディゼノから黒い魔物の出現地へ向かう討伐組は、度々群れと出会い、そして瞬く間に殲滅していく。
これなら全部倒して回った方が早かったのではと思うが、流石にリナリアの魔力がもたないらしい。
「そろそろ着きます」
「セントレアさん、無事だと良いんですけど」
オクナがセントレアの身を案じていた。知り合いだったとは、世界とは案外狭いのかもしれない……というか、未だに世界地図見た事ないな。
でも、あの雰囲気からしてあいつまだピンピンしてそうだけど。
「あいつなら平気だろ。それよりも、まずは根源を探さねばな。リナリア、頼むぞ」
「エルフ使い荒すぎないかい? そろそろ魔力を節約しないと追っつかないよ」
「そうか。じゃあ次は私が――ん?」
ルビアと同時に、俺も前方から違和感を感じた。
丁度向かっているリールイ森林の方角から、小さい輝きが見える。何の光だと思った矢先、ルビアが咄嗟に魔法を撃つ。
「――【クルス】」
その直後、大きな衝撃音が鳴り響く。十字架を模った光の盾が、先程の小さな光と衝突した音だ。
一瞬の出来事で俺は困惑しつつも、ユーリは足を止めることなく前へと進む。
「何だ今の」
「攻撃されたな。それもかなり遠くから」
浮遊球で移動しつつも器用に飛んできた物を拾い上げる。鉄の棒……らしきものが飛んできたようだ。
ほとんど粉々になっていたが、先端にある鏃の様なものがひしゃげている。
「矢だな」
「おいおい、まさかその矢」
「恐らくあの森からここを狙い撃ちにしていたようだ。今の軌道なら……私が狙いか?」
「え? 弓ってそんな届きますか? リールイ森林からここまでかなり離れて――」
と、言い終える前に次の光が見えた。あのヤバい威力の矢がまた来るッ!!
「次が来るな。おい、全員【クルス】の範囲内に固まれ。完全に位置が捉えられている」
またも、光の盾が矢を弾き飛ばす。二回とも難なく防げてはいるが、ルビアは苦い顔をしている。
「面倒だな。たかが一矢、魔法で防ぐのは効率が悪い。おいシーラ、お前何とか出来ないのか」
「俺を狙ったならともかく、あの速さじゃ間に合わねえよ。と言うか、ここまで離れているのにこんな威力が出せる物なのか? どんな絡繰りだ」
「遮蔽物が無いのもタチが悪い。どうしたものかな」
ルビアが考えている間にも、第三射が放たれた。これではジリ貧だと言いつつも、ルビアは魔法を行使する。
しかし、【クルス】を使用した後、矢の軌道に変化が起こる。
盾にぶつかる直前、矢が盾を沿うように軌道を変えた。
「ああ? なんだそりゃッ!?」
ルビアが驚愕する間もなく、矢がこちらへと飛来する……って、俺かよ!!?
(うおおい!!? ハナ! 何とかしてくれ!!)
(いやお前の蔦で何とかしろって!?)
(エルフのねーちゃん乗っけてて防げる程の蔦が出せん!)
クソ、矢は見えるが手が動かん。もう少し遅ければ魔糸で繋いで止めてやるんだが――!!
「ボタンッ!!」
叫ぶようにボタンを呼ぶと、いつもののっそりとした動きではなく、俊敏な動きで俺の前に出る。
ボタンは人間の腕の様に体を変化させると、思い切り矢を腕で弾いた。
体の柔らかいボタンであるが、スピードと力はそこそこある。矢を粉砕までとはいかずとも、逸らして弾くくらいなら出来ると踏んだが、きっちりやってくれたようだ。
「よーしよし、さっすがボタン。帰ったらご褒美をやるぞ」
「んふ」
喜ぶように体を伸ばしつつ、再び俺の傍へと戻る。
「ふう、焦ったぞ。まさかそんな隠し玉があったとはな」
「私も初めてみたよ。ギルドに来た時には見なかったね」
「そいつはスライムか? しかも黒い――」
シーラが龍の状態で俺を睨んでくる。洒落にならない厳つさである。そもそもおめーも黒いだろ。
暫く俺を見ていたが、状況が状況なので直ぐに前へ向き直る。
「おい、お前の魔法盾、場所が読まれてんぞ。もっとしっかり守れ」
「喧しい! なんだあの軌道は、イカサマだろあんなの」
「言ってる場合か、こうなった以上、来た矢を片っ端から弾いていくしかねえだろ」
次の一矢はシーラへと向かってくる。
狙いがバラバラだ。誰を狙う、とかではなくこの集団を狙っているのかもしれない。
「ハッ、そんなガラクタが俺に効くか!!」
「大丈夫かシーラ」
「任せなッ!!」
ダイナが剣を取り出すが、シーラは必要無いと爪で矢を叩き落とす。直後、1本の矢と衝突したとは思えない様な衝撃音が鳴る。
「いっっっっ……たくねェェーー!! 大した事ねーな!!」
(痛かったのか……)
前へ進むのを止める事無く、シーラは手をふるふるさせながら虚勢を張っている。それを見ているルビアの顔から、心の声が聞こえてくるようだ。
更にもう一発、矢が狙いを定めて飛んでくる。狙いは――またもシーラだった。
「なんでだよっ!! チィィッ!!」
更にもう一発、爪で弾く。今度は左腕だった。ガキリと音が鳴り、地面を砕くような速度で叩き落とす。
「お前狙われてるぞ、痛がってんのが見えてんじゃないか? 無理すんなよ」
「ああ? 無理なんかしてねえよ。スライムに出来て俺が出来ない訳ねえだろ、いくらでも来いって――」
言い終える前に、森から小さい光が迫ってくる。狙いは――シーラだった。
両手を組んで思い切り振り下ろし、矢を叩き落とす。今までで一番の勢いだったかもしれない……。
「よーし分かった喧嘩売ってんな? 喧嘩売ってんだな? 上等だテメェ全部弾き飛ばす」
「待った待った! シーラ、俺がやる!!」
「いらねえよ! 振り落とすぞ!」
「シーラ、落ち着いて。私達にも余力がある、任せて。今シーラが怪我したら相手の思うツボ」
「ぐっ……」
シーラがヤケになるのを、ダイナとガーベラが宥めている。
まずいな、相手はこれが見えてるのか? 途中から明らかにシーラを狙いだしたぞ。
俺達は、超遠距離からの攻撃を対応するのに難渋していた。




