アポロス
魔力が増幅している。アウレアの血まみれだった体がみるみるうちに再生していく。あの黒い丸薬の力か?
先程癇癪を起こしていたのが嘘だったかのように、アウレアはスッキリとした表情で空を見上げている。
「アウレア、お主一体何を」
「何をしようと私の勝手でしょう? はぁ~。この幸福感、いつになっても慣れないわね」
舌なめずりをすると、我の方を見てにやりと笑う。余程の自信があると見える。
異常なまでの再生力……であれば、凍らせて心停止させるか、或いは即死させる他あるまい。我は先程生成した氷槍を更に固く、巨大化させる。もはや、問答は無用。この一撃で終わらせる。
「先に眠っておれ。直ぐに我も行く」
「だから、つまらない冗談はやめろっての!」
たった一回の跳躍。それだけで、我の元まで辿り着く勢いでアウレアは飛んだ。身体能力も飛躍して上がっておるか。
我もまた、勢いよく大氷槍を投擲する。巨大な氷槍は音を立てながら、一直線にアウレアへと向かう。
「バカがッ! そんなものが当たる訳――ッ!?」
その直後、アウレアを囲むように氷の網を張り巡らせる。これだけなら直ぐに溶かされるであろうが、一時でも足が止まれば良い。大氷槍は既にアウレアの目の前まで迫って来ている。あの大きさの氷槍であれば、どれだけ高温でも一瞬で蒸発させる事など出来はせぬ。
幾ら魔力が多かろうが、瞬時に傷が癒えようが依然我の優位は変わらぬ。これで、終わりだ。
「――クク、あはははっ!」
笑いながら、アウレアは臆する事なく氷槍の真正面に立つ。
どうしようもない状況に瀕して、ついにとち狂うたかと錯覚した。だが、奴はそのまま氷槍に向かって――蹴りを放った。
重物同士が衝突するような鈍い音が振動と共に伝わる。
一瞬、時が止まったように大氷槍が停止すると、ピシリと言う音とを立て、氷に亀裂が走る。その亀裂から溢れんばかりの炎が迸り巨大な氷槍が無残にも砕け散った。
あり得ぬ……あの大氷槍を、蹴りのみで止めるとは。以前、ストレチアを襲った悪竜ですらまともに受けるのは避けたと言うに。
「あー、痛たたた。骨まで響いたわ。アポロスを取り入れてこれだもの。アンタ、やっぱ殺しておかなきゃダメだわ」
「アポロス?」
察するに、あの黒い丸薬の名前か? アウレアめ、何処であの様な物を手に入れたのだ。
考える間もなくアウレアは、何をせずとも氷の檻を溶かし尽くし崩れ行く氷槍の中を突き進んで来る。
こうなれば、氷葬結界も意味を成さぬか。あれほどの熱気には耐えられまい。魔力の無駄遣いであるな。
参るな。氷葬結界は信頼の置けた我が鉄壁の守りであると言うに。それが崩れただけで打つ手が絞られるとは。まだまだ、我も未熟である。
「アッハッハ!! ここまで近づかれたら、妙な小細工も使えないでしょう?」
「ならば、直に氷漬けにすれば良いだけの話じゃ」
「アハハッ、スイカでも冷やしてろってのッ!」
楽しげに、上機嫌で答えるアウレアは続けざまに蹴りを放つ。先程の蹴りよりも更に疾く、鋭く、熱い。正に、溶けるような熱気。少し時期が遅ければ、とっくに雪崩が始まっておるわ。
ぐうっ、掌底を打ち込むスキも無い。寧ろ……避けきれぬ!!
「ガァァッ!?」
右腕に裂くような痛みが走る。こやつめ、傷を負った右腕を執拗に狙っておるな。
腕が燃えるように熱い。直ぐに冷やしたい所であるが、その暇すら貰えぬか。
「その腕じゃ、もう槍も投げれないでしょう?」
やれやれ、やたら饒舌になりおって。その通り、これでは投げることは疎か持つこともかなわぬ。しかし、この程度ではまだ終わらぬよ。
ここで負ければ、あの小娘も死ぬ。勝手に連れてきた手前、無傷で返さねば後で何を言われるかわからぬからのう。
気を良くしたアウレアが、更に追い打ちをかける。突くような蹴りが、右腕を直撃した。激痛が全身を駆け巡る。だが、ここで藻掻く真似はしない。この状況で、奴を倒す算段がついた。
もう片方の掌をアウレアへと向ける。当然、アウレアも避ける動作を見せるが、遅い。既に射程に入っている。
美しい煌めきを放つ細雪がアウレアへ飛沫する。
瑣末事と切り捨てそのまま次の動作へ移行しようとするアウレアに、異常が起こる。
「ぎっ……ガァァァァァッ!!」
突如悶え苦しむ様に目を抑える。まるで目に針を刺されたかの如き痛みに、堪らずアウレアは体勢を崩した。
氷の棘を直接眼球へと飛ばす。目と鼻の先、超近距離でもなければ直ぐに溶けてしまうだろう。
アウレア自身も高熱で氷など即座に溶けてしまう。痛みも直に引く。だが、今はこの一瞬さえ稼げれば問題ない。
そのまま左手で、アウレアの首を掴む。じゅうじゅうと熱い鉄板に触れたような音が聞こえ、掴んだ手から煙が上がる。
暴れるアウレアを地面へと押し倒した。抑えつけながら、痛みと熱さに震える手に力を入れる。少しずつ、アウレアの首元が凍り始めた。
「かはっ!! やめろ、貴様ァ!!」
「もう逃れられぬ。例え炎獄に包まれようとも、決して手は離さぬよ」
「グウウ……所詮、氷。こんなもの、直ぐに溶かして――」
炎を帯びた手で抵抗するも、冷気の侵食は止まらない。炎と氷が鬩ぎ合うかのように、大量の蒸気が発生し辺りを包む。
徐々に、アウレアの体温が引き始める。
「アウレア。今度こそ終わりじゃ。最期に、お主を誑かした者の名を吐いてもらうぞ」
「……」
抑えようとした手も凍り付き、その冷気は顔にまで及び始める。
この様な状況にも関わらず、アウレアは薄く笑う。
「そのよく喋る口が凍りつく前に答えよ。一体何がお主をそこまで」
「……誑かした、なんて酷い事言うわね。私は、自分の意志でついていっただけ。そう、ルコの理想にね」
ルコ。其奴がアウレアを……理想とは一体何なのか。
「何者だ、其奴は」
「ルコはね、この世界を救おうとしているの。平和だと勘違いして停滞してるあんた達とは違うのよ。常に未来を見ている」
「何を、言っている?」
「可哀想な奴なのよ。誰が何を言っても信じてもらえず、ずっと孤独に戦ってきたの。そんなルコに、私は惹かれたのよ」
要領を得ない。わざと逸らしているような、そんな言い方である。
「世迷い言を……あの丸薬も其奴が絡んでいるのか?」
「絡んでる? それどころか、『アポロス』はルコ一人で生み出した物よ。あいつはね、天才なのよ」
「あれ程の過剰な魔力供給、生半可な生物では身体が耐えきれるはずも無し。無闇に扱えば身を滅ぼすぞ」
「だから実験してんじゃない。今、巷で噂の黒い魔物……って、世情に疎いアンタは知らないか」
「……?」
黒き魔物。アポロスの影響を受けた魔物が各地で暴れている? ハナからもっと話を聞くべきであったか。
話がここまで大きくなっているとは。そのルコという人物……危険、と言う言葉では済まされぬかもしれぬな。……まさか、アウレアも実験体と言う訳か?
我の考えを察したのか、今度はアウレアから口を開く。
「勘違いしないで。これはね、私の意志で服用したのよ。寧ろ、ルコは極力使うなとすら言ってくれたわ」
「そんな不完全な物を手渡した時点で、お主が使うのも全て織り込み済みであろう」
「ッ……あんたに、何がわかるって言うのよ。好きに暴れても守護獣だと持て囃されて、何をしても正しいと思われるアンタに、ルコの苦しみは分からないわ」
目を歪ませ、憎しみの表情を作るアウレア。
なぜ、そこまで感情的になる。それほどまでに、アウレアの中でルコという者はそれほど大きい存在なのか。母である、この我よりも。
それとも、そのアポロスという薬の影響で感情が昂ぶっておるのか。いずれにせよ、碌な物では無いな。
「お主とて、それを飲めばただでは済むまい。魔力が暴走して、理性を保てなくなるぞ」
「それくらい耐えられなきゃルコについて行けないじゃない。それに――」
アウレアは先程の憎悪の表情から一変し、凶悪なまでの笑みを浮かべる。
これは、まさか。
「やっと、体が馴染んてきたわッ!!」
パキパキと音を立て、アウレアを覆っていた氷が割れる。まだ、これほどの魔力が残っていようとは……迂闊だった。
火山噴火の如く熱り立つ炎に為す術もなく、全身が炎に包まれた。




