いざとなれば、我が全部凍らせてやろう
リコリスは、楽し気に獣人の女性と話をしている主人を窺いながら、ブラキカムの方へと向き直す。
「肝が据わってるな。この状況であれだけハメ外せるのは大したモンだ」
「耳が痛いのう」
「いいや、あんたと違って分かりやすくて良い」
ブラキカムは一枚の紙を取り出すと、リコリス達に見える様に机の上へと置いた。
「これは?」
「先日、西区で事件があってな。チンピラが数人暴行を加えられたと。襲われた連中は口を開かねえが、大方強引にナンパでもして返り討ちにあったんだろう。
どいつもこいつも前科持ちだしな、口籠る様な態度してりゃ碌な事していないと言ってるようなモンだ。ま、そんな話は良くあることなんだが」
笑いながら、ブラキカムはグラスに残っていた酒を飲み干す。
「良くあるんですか……」
「小競り合い程度はな。問題は、その犯人である狐人なんだが――どうやら、門を潜ってねえんだ」
「ほう?」
「門って、あの大きな門ですよね?」
「入口は南区と北区に設置された門の二カ所のみ。少し調べりゃその日通った奴は直ぐに分かる。だが、狐人はあんた以外通ってねえ」
「不正に侵入したという事か」
ブラキカムは頷くと、葉巻を咥える。
傍に控えていた長髪の男性が火を付けた後、喫った煙を上へと吹き出す。
「壁の上から入ってきたんですかね」
「そしたらすぐに分かる。死体が落ちてくるか、迎撃の魔法を防げても轟音が鳴り響くだろう。夜中だとしても誰かに気づかれず侵入するのは不可能だろうさ」
とすれば、門衛を欺いて門から入ったか。
しかし、アウレアだとしたらそんな小細工が出来たとも思えない。曲がりなりにも自分の娘であるので、リコリスは直ぐにその考えに至る。
「問題は、狐人以外にも侵入してる奴がいるかもしれないってこったな。誰が、いつから、どの様にどんな目的でラフィルに侵入したのか」
「そこまで行くと、お主では無く衛兵の管轄だろう」
「まぁそうなんだがな。こちとら西区でぼちぼちとやってる身だ、あらぬ疑いを掛けられたらたまったもんじゃない。昨日聞いた話だと、俺が狐人を飼ってるなんて噂も流れてやがる」
煙を吐きながら、勘弁してくれとブラキカムは嘆息した。
「噂とは勝手に独り歩きして、気がつけばとんでもない事になっているからのう」
「ああ。せめて侵入口を見つけて衛兵に伝えてやりゃあ、俺は無関係だと否定できるんだがな。ついでに狐人を突き出せれば、猶の事安心だな」
まぁ、それが出来れば苦労しねえ。と、ブラキカムは笑いながら答える。
「とは言っても、侵入経路なんてそんな簡単に見つかるとは思えませんけど……」
「いいや、そうでもないぞ」
そう不敵に笑い、ブラキカムは視線を落とす。
「そっち嬢ちゃんなら知ってるはずだ。なぁ」
「……知りゃにゃ、知らないでし、です」
「ルーファさん……」
目が泳いで口が回っていない所を見ると、どうやら心当たりがある様だ。
リコリスはそっと、ルーファの頭を自分の体へと寄せる。
「正直に話せ。何があっても、我が守ってやる」
「……おばあちゃん」
「ここが嫌なら、宿へ戻ってからでも良い。じゃが、この話は捨て置けぬからな」
「ああ。侵入者がいるのは事実だ。だとすれば、他にも街中に、例えば外で屯してる賊が入っていてもおかしくねえ。被害が出るのも時間の問題だ」
ルーファは躊躇う様子を見せるが、直ぐにリコリスから頭を離すと、顔を上げる。
「数日前に、狐のお姉さんと一緒にラフィルへ入ったです」
「ルーファさん、無理はしなくても大丈夫ですよ?」
「平気です!」
ルーファは声を大にして宣言する。
半ば空元気の様にも見えたが、ケイカは大人しくルーファの話を聞く。
「ラフィルの壁に、穴が開いてるですよ」
「穴?」
「そんなもん何処にあったんだ。衛兵が見回ってる筈だが」
「西区の外側です」
「誰か、地図持ってねえか」
「ルーファよ、当日の状況を教えてはくれぬか?」
「分かったですよ。最初から話すです」
それからルーファは、狐人と外で出会い、一緒に壁下の抜け道を通った事、西区であった事件の顛末を語る。
地図――ラフィルの上面図から、丁度西区側の壁中央辺りに抜け道がある事が分かった。
「なるほどねぇ。こんな単純な話だったとはな。いや、真実なんて得てしてそんな物か」
「親父、直ぐ確認した方が良いんじゃねえか?」
「今更、急いでも仕方ねえだろ。後で拝みに行けばいいさ」
「私達もギルドへと伝えた方が良さそうですね」
明日、劇を見に行く前にギルドに寄って伝える事をケイカは提案する。
「私、捕まっちゃうですか?」
「平気じゃ。いざとなれば、我が全部凍らせてやろう」
「それはやめて下サイ」
冗談のつもりだったが、ルーファをみすみす手放す様な真似はしないと、リコリスは言った。
「なんだったら、俺等が発見した事にすりゃ良い。西区なら違和感も無いしな。それに、嬢ちゃんが侵入した痕跡もねえんだ、元々ラフィルの住人だと言えば誰も気づきゃしねえよ」
「良いのか?」
「構わんさ。むしろ、俺等の手柄にしてくれた方が助かるってもんだ。そっちが良けりゃ、喜んで引き受けよう」
ブラキカムはにこやかに言うと、葉巻の灰を落とした。
「そういや、あんたの主人は話を聞かなくて良いのか? ついでに話す内容ではなかったと思うが」
そう言って、横目でリコリスの主人――ハナを見る。
「にしし、私もリンカお姉さんみたいに美人になりたいなぁ」
「もう、ハナちゃんみたいな子に言われてもお世辞にしか聞こえないわ。どうやったらそんな髪がサラサラになるのかしら」
「髪質もそうですけど、出来るだけ痛まない様に心掛けてますね! リンカお姉さんは髪が硬めだから、髪洗った後は乾かす時に温め過ぎないようにして――」
牛人の嬢にべったりとくっ付きながら、それはそれは楽しそうに話をしている。
余りにもだらしない顔に、リコリスはほうっと声を出して溜息をついた。
「なんとまあ、みっともない……。あれは気にするな、我が後で言っておく。まぁ、興味も無いだろうが」
「はは、ある意味大物かもな」
一応、店に入る前は警戒心があったものの、既にそんな物はどこへと捨て去り、お楽しみである。
顔を赤くしながら、宿へ戻ったら説教だとリコリスは息巻いた。
それから直ぐに、ハナ達は店を後にする。
ハナがもう少しだけとごねているのを、リコリスが強引に連れ出していくのを見ながらブラキカムは呟いた。
「愉快な連中だ。こうして相手する分には気楽で良いが」
「親父、良かったのか? 内情をペラペラ喋っちまって」
「構わねえさ。きっちりケジメつけて、あのリコリスと上手くパイプを繋げたかった。あれは堅物だが、主人が俗人的なのが良い」
何本目かになる葉巻を催促すると、隣の男がパチン、と葉巻の吸い口を作る。
「だがそれ故に、スイッチが入ると何をするか分からねえ。カカオの奴が気に入られた様だからな、明日また挨拶へ向かわせる」
「オ、オヤジ……勘弁してくれ」
ふらふらと歩きながら、なんとかと言った様子でカカオがブラキカムの元へとやってくる。
「随分お楽しみだったじゃねえか。カカオ、あの娘はどうだった」
「どうだったも何もとんでもねえ。周りの女共を囃し立てて、高ェ酒開けさせやがって! お陰でこっちは素寒貧だっつの!」
「おお……そうか。そりゃご愁傷さまだな。さっきも言ったが、明日はお前、あいつ等の元へ行って上手く取り入ってきてくれ」
「……マジすか」
げんなりしているカカオへ、長髪の男が話しかける。
「お前が一番気に入られてるだろうからな、上手くやれよ」
「取り入るったってな。大体あいつ等に何を期待してんだ?」
「ここの所、どうも物騒だからな。腕の立つ冒険者のコネが欲しいと思っていたところだ。多少の伝手があるとはいえ、あれ程の冒険者は中々巡り合えるもんじゃねえ。実際にやり合ったお前なら分かるだろう」
「……まぁ、そうだけどよ」
ハナに振り回されて疲れ切っているのか、何処か苦い顔でカカオは答える。
「その分、他の仕事はナシだ。休みだと思って羽を伸ばしてくりゃいい」
「いつも以上に疲れそうだが」
「そう言うなよ。なんだったら、またアイツを連れてここで飲んだくれても良いんだぞ?」
「やめてくれ……」
揶揄われているだけとは言え、カカオは冗談じゃないと即座に否定した。
「さて、そろそろお暇するか。例の抜け道とやらも確認しないといけないしな。カカオ、お前はもう帰って良いぞ」
「明日は羽目を外さない様にな」
「そんな体力残ってねえよ……」
そう揶揄ってきた男へ、絞り出すように返答する。
今日は散々な一日だったと、カカオは頭を掻きながら先に店を出て行った。
明日は更に大変な一日となる事も知らずに――