「580」 BATTLE FOR L'ARC DE TRIOMPHE ⅩⅤ
本心としては、今すぐにでも蹴り飛ばしてやりたいところだが、そんなことをしてしまっては動物虐待にしか受け取られない。
前世の時から、競馬そのものが動物虐待であると一部では言われ続けており、その中で騎手による馬への暴力沙汰などがあった日には匿名掲示板にて叩かれる。
SNSでも散々の言われようだったりするわけで。中には、そういった非難を浴び続けて心労によって自殺してしまう人も居るほど。
自分が馬主さんの意向によって乗せてもらっている馬をぞんざいに扱う行為、他にも競馬業界のイメージを失墜させるような言動を行った事への因果報応、自業自得とも言えるが………流石に外野がそこまで追い詰める理由がない。
自分が同じ立場になった時、外野から喚き立てる奴等の中で「あの時は自分も散々非難していたんだ。明日は我が身とはこういうことか」と受け入れた奴は私は見たことない。
惨めったらしく命乞いや助けを乞う。そういう奴等しか多いこと、多いこと。
やらなきゃ言われないという意見はご尤もだ。
ただ、自分が言われる側に回った時に「やらなきゃ言われない」という言葉を投げ掛けられたら、その言葉をしっかりと受け止められるということなんでしょうね?
他人にやれと言って自分は出来ないなんていう戯れ言は許されない。
本当に落ちるところまで落ちるのは、果たしてどちらなのか。自分の背中に何があるのかをもう一度振り返って考え直してみましょう。
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「おっ」
溜息のような小さな声を出しながら、徐に立ち上がる優里。背中に付いている芝を体を震わせて落とす。
実績不明のサラブレッドが、ここまでの自由奔放を見せ付けると、更に人気が下がりそうな気がしてならない。
いや、人気が上がろうが下がろうが私達には何も関係が無いのだが。
オッズの変動と今回の遠征の内容は何も絡んでこない。遠征全体の過程で見れば、この凱旋門賞は下準備程度のもの。
相手の出方を伺うためだけの道具としか私は認識していない。優里と齏懿蕐も同じような考えてはいると話しているが、優里の場合はその限りではない。
口ではどうでもいいと言いながらも、何かと細かいところ一つ一つまで拘るあたり、情報収集するための道具の一つと完全に割り切っているわけではないのは分かっている。
拘っている挙げ句の果てが、この振る舞いに至る理由が一切読めない。段取りしっかりと組んでおきながら、いざ始まるとなった現段階で遊ぶな。
振り回される私の身にもなってみろ。齏懿蕐を見習って大人しくパドック周回していろ。
立ち上がった優里の手綱を強めに引っ張り、齏懿蕐の前に再び付けて歩かせる。齏懿蕐は鳴き声一つ上げることなく、当たりを見渡しながら私達の後ろをしっかりと付いていく。
優里もふざけると思っていた齏懿蕐が、ここまで大人しいということすらも、優里の先程の行動で異様な物に思えてくる。
大人しくしてくれる事に越したことはないのは分かってはいても、心の奥底にある違和感は残り続けたままであって··········。




