追跡・罠、そして失意……
「木の上の子達、降りてらっしゃいー! もう狙わないからー!」
夕が木の上にいる2人の男に向けて叫んだ。
下の様子を伺って、本当に信用していいのか、2人は顔を見合わせていた。
下の3人組が大人しくしている様子を見たのか、負けを認めたのか、亘には分かりかねたが、木からスルスルと降りて来た。
「さー行こう行こう! 吉田さんのところへ!」
夕は妙に上機嫌だ。亘には夕の心理が理解しかねたが、緊張が解けてリラックスしているのだろうな、と思った。
「三枝さん、弓道もやっていたの?」
「おじさんこそ、剣道か何かやってたの?」
質問に質問で返されてしまった。
亘は、あまりそのことには触れられたくないという思いがあったが、上機嫌の夕につられて、つい素直に答えた。
「昔ね、親父に精神力を鍛えろ! って言われてさ。それでね……。人を叩くとか最初怖かったんだけどね。」
親父たちは元気にしているのだろうか? 小さくなってしまった今の自分の姿を見てどう思うんだろうか、と亘は両親に思いを馳せた。
「あー、わかる! 私も体が弱かったから空手でもやってらっしゃい、って言われてね。飛んでくる拳とか怖くて逃げ回ってたなあ。」
今じゃこんなに元気なのに、昔体が弱かったという夕の話が信じられない亘だったが、人それぞれ色々あるもんな、と考えるのを止めた。
男たち5人に先導させて、亘と夕は歩いていた。
「三枝さん、この道は? さっきみたいにまたぐるぐる回らされているなんてことはない?」
「うん。大丈夫。だって、さっき怖い思いしたもんねー?」
夕がにこやかに清々しく言い放つのが、亘には恐ろしかった。
それは先導をしている男たちも同じだろう。
「あとどれくらいで着くんだ?」
亘が尋ねると、男の1人があともうちょっと、と重い口を開いた。
吉田に合わせる顔がないのか、それとも吉田に脅されてでもいるのだろうか。
しばらく歩くと、男たちが顔を見合わせているのに亘は気づいた。そして夕の手を取り、歩みを止めた。
男たちは突然走り出した。それも5人が別々の方向へ走り去る。
夕が追いかけようとするのを、亘は掴んでいた夕の手をさらに強く引っ張り、止めた。
「ちょっと、何するの! 早く追いかけないと、逃げられちゃう!」
「待って、多分、この先にも罠があるんだ。吉田のことだ、彼らがすんなり俺たちを倒せるとは思ってないだろう。」
亘がそう告げると、夕も納得したのか手を引っ張る力を緩める。
「……ところで、もう手を離してくださらない? すけべおじさん。」
「なっ!」
亘は、夕の手を強く握ったままだった事に気がつき、慌てて手を離した。
夕の顔が心なしか赤くなっている、ような気がした。
亘は、妙な空気を振り払うように「さて、これからどうするかな?」と独り言のように言った。
「え?! 何も考えてなかったの?」
「え、だって、そんな罠が次々あるなんて想定してなかったし……。逃げ出すのはなんとなくわかっただけだし……。」
「もー、考えなし!」
夕がずんずんと前に進む。
その肩を亘は掴んだ。
「また、すけべおじさん辞めてよ、もう!」
その時、地面から乾いた音が聞こえてきた。
夕の前の地面に大きな穴が突然口を開いた。落とし穴の深さは結構ありそうだ。おそらく、アリの巣か、元からあった何かの穴に覆いを被せて、土を軽く振りかけて偽装しておいたのだろう。
「こんな小細工よく考えつくよな。」
夕の顔が青ざめている。落ちていたら、怪我ですんだろうか、と亘は穴を覗き込んで、夕が落ちなくって本当に良かったと思った。
「これからも、こんな罠があるかもしれないから、慎重に行こう。」
亘がそういうと、夕は素直に頷いた。しおらしい夕の姿はあまり見ないな、と亘は思った。
亘が、刀で前方の地面を軽く小突きながら進む。夕には上をよく見ていて欲しい、と頼んである。
「で、どこに向かってるの?」
夕が尋ねる。亘は、慎重に前を見ながら答えた。
「逃げ出した男の中で一番背の高い男がいたよね、多分彼がリーダーなんじゃないかな、と思って、そっちの方向へ歩いています。」
「多分、なんだ……。」
「他に手がかりないしね。それにさっき落とし穴があったでしょ? あれがあったってことはこの方向で間違いなく近づいているってことじゃないかな?」
「へぇー、そっか。関係ない方向に落とし穴は仕掛けないか。確かに。おじさん結構考えてるんだね。」
まるで考えなしみたいに言われて、亘は心外だったが、まぁ、無能呼ばわりは今に始まったことじゃないから、慣れてるさ、と心の中でうそぶく。
「森が拓けてきたね。ここ陽当たりが厳しいね。」
と夕が辺りの変化を敏感に察した。
「何かを焼く匂いがする。あっちの方向から!」
夕は鼻も聞くようだ。亘には、そう言われれば微かにそんな気もする、程度の匂いだった。
夕は気が急いているようだが、慎重に行こう、と改めて亘は告げると、素直に夕は従い、今まで通りのペースで匂いの方向へ歩いていく。
森がさらに拓けていた場所で、おばあちゃんが何かを焼いている姿が見えた。
夕が走り出しそうなのを、亘は止めて、小声で「まだ罠があるかもしれない」と告げると夕が少し怒ったような調子で言い返してきた。
「でも、あそこにいるのおばあちゃん1人だよ。大丈夫だよ!」
「それが逆に不自然じゃないか? 三枝さん、ちょっと落ち着いて。」
だが、夕はおばあちゃんのところへ走り出した。亘も夕が心配で、辺りに気を配りながら、おばあちゃんのところへ歩き出す。
おばあちゃんのところへたどり着いた夕は、抱きついて、泣いている。
亘は、おばあちゃんのところへ着くなり、訊いた。
「吉田さん、どこへ行きましたか?」
「ああ、吉田さんね、どっかへ行ってしまいましたよ。」
「いつから? どこへ?」
「さあ、いつからでしょうね。どこへ行ったのでしょうね。」
亘は違和感を覚えた。
なんだか、のらりくらりとかわされている、そんな気持ちになった。
「三枝さん、ちょっとこっちへきて。」
抱きついて泣いている夕に声をかけたが、泣き続けて、おばあちゃんを抱きしめている夕を、亘は無理に引き剥がした。
亘は夕の肩に両手を置いて、夕の顔を覗き込む。夕はまだ泣いているようだ。
「三枝さん、おばあちゃん、なんか変だ。」
「変じゃないよ。いつものやさしいおばあちゃんだよ。」
涙声で時々声を詰まらせながら、夕はなんとか返答してくれた。
「おばあちゃん、お名前は? 俺、まだ訊いてなかったんで。教えていただけますか?」
「あらあ、そうでしたか。圭子ですよ。」
「いや……。名字が知りたいなって。」
「……吉田です。」
亘は違和感の正体を確信へと変えた。
「旦那さん、どちらへ行ったんですか?」
「旦那さん? おじさん、何言ってるの? 今、そんなこと訊いて……。」
夕にはまだわからなかったようだ。おばあちゃん、いや、吉田圭子さんの旦那は吉田だってことに。
「あの人なら、沢渡さんと新しい畑をつくりに行ってますよ。あなたが来てから、自由がなくなったってブツブツ言いながらねえ。私たちは、今のこの生活に満足してるんですよ。沢渡さんもね。」
吉田圭子の告白に、亘は衝撃を受けた。
俺がこの人たちの、穏やかな生活を壊していた? そんなこと言われても、と動揺した。
「おじさん、大丈夫? 顔青いよ?」
亘は夕の問いかけに、何も答えられなかった。夕も今の生活に満足していて、奴隷もそのままで、元の生活に戻りたいなんて、考えてもいなかったら……。
俺1人なのか--そうだとしたら。
「よ、吉田さんたちは今までの生活でいいんですね。満足してらっしゃるんですね。」
「ええ、元の大きさの生活に戻っても、たいして変わるものじゃなし。それにここの生活は自由ですよ。物は少ないけど、手作りすればいいですしね。」
そうですか、と亘は答えるのがやっとだった。
打ちのめされた、と亘は頭を抱えた。
人それぞれ、考えが違うに決まってるじゃないか。それを押し付けるようなことを言っていた、お山の大将は吉田じゃなくて、俺だったんだ……。
吉田が怒って、俺を奴隷の1人にしようとした、言われたくないことを言われた、という彼の行動に怒りを覚えていた。
だが、吉田の言動には吉田なりの哲学があったんだ。
亘は、頭を抱えていた腕の力をほどき、吉田圭子の元から離れ、1人歩き出した。
「おじさん、どこ行くのー?」
亘は夕の問いかけに、何も答えずただ歩き続けた。