【三五《楽しい文化祭》】:一
【楽しい文化祭】
教室の出入り口脇に机と椅子を一組置いて、俺は椅子の上に座り頬杖を突く。目に映る廊下の風景は、廊下に座っているからか、いつもと違って見えた。
私服姿の若い男女や親子連れ、その中には刻季の制服を着た男女も交ざり、異空間の雰囲気を感じる。
今日は刻季高校文化祭の日。そう考えれば、色んな人が入り乱れて訳が分からなくなっているこの状況にも、ある一定の理解は出来る。しかし、その一定以上のものには理解出来ない。
「受付なんていらないだろ」
俺の所属させられているクラスは、自主制作映画の展示なのだが、クラス連中の大半は教室に残っていない。そいつ等は今頃、文化祭を自由気ままに満喫しているだろう。
クラス連中が楽しく文化祭を満喫していること自体には、勝手にすればいいとしか思っていない。しかし、クラス展示を放置して行くことには多分に思うところがある。が、それを口にしたところで何の意味もない。
俺がこの椅子に受付として座ってから随分経つが、客は人っ子一人来ない。この状況で俺が必要だとは到底思えない。
そもそも経費がほとんど掛かってないのに一回五〇〇円は高い。
しかも映画の内容も仲間内でしか盛り上がらない内容だし、仮に見た人が居ても金返せと怒鳴られるのが関の山だ。
「かーずとっ!」
「凛恋!? 一人で来たのか?」
「ううん、希も居るよ。でも、あっちはあっちで二人きりにしてあげないと」
突然前に現れた凛恋がパチっと俺にウインクをする。今日はちょっと肌寒いこともあり露出は控えめだが、それでもスカートの裾から伸びる足は綺麗な生足だ。
「凡人は受付係?」
「まあな。客は来ないが」
「そりゃあ、一回五〇〇円は高いからでしょ」
「委員長が経費もほとんど掛かってないし、観覧無料にしたらどうかって提案してたけど一蹴されてた」
自主制作映画を中心になって制作していた連中が、あんなに苦労したんだから利益が無いとやってられないとぶつくさ文句を言い始め、それに呆れた委員長が諦めた結果がこれだ。
たった一〇分程度の素人映画に五〇〇円も払う奇特な人が居るわけない。
いったいどんな幸せ設計の脳ミソなら金を取れると思えるのだろう。
「あら、八戸さんこんにちは」
「鷹島さんこんにちは」
教室から出てきた委員長が凛恋の姿を見つけて互いに挨拶を交わす。そのやり取りを眺めていると、委員長が教室のドアに貼っていた『一回五〇〇円』という紙を剥がし、代わりに『観覧無料』と書かれた紙を貼った。
「いいのか? 勝手にやって」
「いいのよ。自分達の展示を放って遊んでる方が悪いわ」
委員長の言い分は全く持ってその通りだ。
「多野くん、もう受付の必要は無いから、八戸さんと文化祭を回ってきたらどうかしら?」
「ありがとう鷹島さん! ほらっ! 凡人、お言葉に甘えて行こう!」
「委員長、気を遣ってもらってありがとう」
「いいえ、今日まで文化祭準備を頑張ってくれたのだから当然よ」
廊下に置いてあった椅子と机を運び入れると、凛恋が手を引っ張って廊下に出て行く。そして、文化祭の冊子を取り出して広げた。
「凡人! これ行こう!」
「ん? ゲーム対決屋? 何だこれ」
各クラスの出し物一覧が書かれているところに、一年のクラスでテレビゲームの対決をして勝利すると景品が貰える、という出し物が書かれていた。
文化祭デート一発目がゲームで良いのか分からないが、凛恋がいいと言うのだからいいのだろう。
「えっ?」
「ん?」
歩き出してすぐに、俺は凛恋の手を握る。その直後に凛恋に「えっ?」という言葉と共に困惑の表情を向けられた。その凛恋の困惑の理由が分からず、俺も疑問を返してしまう。
凛恋は繋いだ手を見て、真っ赤な顔をしながら周りをキョロキョロと見渡した。
「学校の人に見られて恥ずかしくない?」
「凛恋と手を繋いで恥ずかしいとは思わない。それに凛恋と違って茶化してくる友達も居ないしな」
「この前はごめんね。私は……手、放しちゃって」
「まだ気にしてたのか? 凛恋の立場なら溝辺さん達にからかわれる。それが恥ずかしかったんだろう?」
「ありがと凡人。やっぱ、凡人は私のことを分かってくれてる!」
ニコッと笑う凛恋の顔が見られて、長い間座っていた体の気だるさも一気に吹き飛んだ。
ゲーム対決屋をやっている教室に行くと、ワッとした声が上がる。その声の理由は、すぐに分かった。
「いらっしゃい! さあ座って座って!」
入った瞬間、だらけて座っていた男子生徒達が勢い良く椅子から立ち上がって、俺と手を繋いでいる凛恋に椅子を勧める。
周囲を見渡してみると、教室の中に女子は居ない。どうやら、このクラスはクラス展示を男子に押し付――……任せているタイプのクラスのようだ。
そんな女子が一人も居ない教室の中に、可愛い凛恋が入ってくればそりゃあ色めき立つに決まっている。しかし彼氏の俺としては、その反応は気に食わない。
「ゲームは得意なの?」
「彼氏とよくやりますけど、得意じゃないですねー」
男子生徒と話す凛恋の声を聞いて、俺は眉をひそめる。凛恋の声がいつもより大分高い。そして、何だか甘ったるい。……凛恋は何故か猫を被る気らしい。
「そうなんだ! じゃあ一緒にやろうよ。タダで良いからさ!」
猫を被った凛恋にニコニコと笑顔を向ける男子生徒に案内される凛恋の背中から、黒板に書かれている文字に目を向ける。
黒板には『ゲーム対決一回五〇円。勝ったらお菓子プレゼント』と書かれている。
ゲーム代をタダにされた凛恋は、コントローラーを持って椅子に座る。その隣に座った男子生徒が、僅かに自分の椅子を持ち上げた。
「イタッ!」
俺は男子生徒と凛恋の間に体を割り込ませて立つ。椅子を持っていた男子生徒は俺にぶつかって軽く声を上げた。そう世の中甘くはない。
彼氏の俺の目の前で、凛恋に密着して座らせるなんて許す訳があるか。
男子生徒がゲーム機の電源を入れて、机の上に置かれたモニターには見慣れたゲーム画面が映った。凛恋とよく遊ぶ格闘ゲームの画面だ。
「あっ、これよくやります!」
「そうなんだ! 俺、このゲーム強いよー!」
「えー、ちょっとは手加減して下さいねー」
未だに、何故、凛恋が猫を被った喋り方をしているのか理由が分からない。
モニターでは既に対戦が開始されていて、男子生徒の使うキャラクターがボコボコに殴り飛ばされている様子が映っていた。
「やったー!」
「じゃあ次は本気出すよー」
格闘ゲームは基本的に三ラウンド戦って、取ったラウンドの多い方が勝ちになる。その三ラウンドのうち一ラウンド目を凛恋が取って、両手を上げて大げさに喜ぶ。
喜ぶ凛恋を見る男子生徒はニコニコ笑いながら次のラウンドを開始した。おそらく、凛恋を喜ばせるために大分手を抜いたのだろう
二ラウンド目が開始した直後はニコニコとした笑顔を保っていた男子生徒も、徐々にその顔を曇らせていく。
それは、さっきと変わらず男子生徒の使うキャラクターが、凛恋の使うキャラクターにボコボコにタコ殴りされているからだ。
「いえーい!」
危なげなく男子生徒を倒した凛恋は俺に手を挙げる。俺はその凛恋の手に応えて俺の手を出してハイタッチをした。
男子生徒は何故か座り直して俺の方に視線を向けた。
「その制服、うちの生徒だな。もしかしてこの子の――」
「そうでーす! この人は私の彼氏!」
ニパッと笑う凛恋は、可愛い。可愛いのだが、やっぱりいつも通りの凛恋の方が俺は好きだ。
凛恋は椅子から立ち上がって、俺を無理矢理座らせる。
「凛恋はもういいのかよ」
「だって凡人より弱いしつまんない」
凛恋が人の悪そうな笑みを浮かべて言う。そして、隣に座っている男子生徒が明らかに怒った顔で睨み付けている。……何故か俺を。
「お前! 俺が勝ったらその子のアドレス教えろ!」
「なんでそうな――」
「いいですよー」
俺が否定しようとすると、隣に立っている凛恋がニコッと笑ってそう言う。俺は凛恋に視線を返し、小さくため息を吐きながら聞き返した。
「凛恋? なんで見ず知らずの男に連絡先を教える約束なんてするんだ」
「大丈夫だって、凡人が負けたらだし!」
グッと親指を立てて、パチっとウインクをする。この野郎……めちゃくちゃ可愛いじゃないか。
「ぜってー勝つ!」
反対側では顔を真っ赤にした男子生徒がキャラクター選択を終え、手の指をポキポキと鳴らしながら画面を睨み付けていた。
俺は凛恋から受け取ったコントローラーを操作してキャラクターを選ぶ。俺がゲームが開始するのを待っていると、凛恋がスッと顔を近付けて耳打ちをしてきた。
「負けなかったら、何でも言うこと聞いてあげる」
小さく耳打ちされたその言葉に、俺はやる気を一気に増し、男子生徒とゲーム対決を始めた。
ゲーム対決屋を出た瞬間、凛恋はクスクスと笑って俺の方に視線を向けた。
「あの男子、最後の方は顔真っ赤だったね」
「そりゃあ、自分で自分のことを強いって言ってたし、自信があったんじゃないか?」
「凡人って罪な男ねー」
「大体は凛恋のせいだろ」
男子生徒との対決は、何度も男子生徒が泣きの一回を繰り返して、結局一〇戦やることになった。しかし、俺は男子生徒に一ラウンドも取られることなく完封勝利した。
「それにしても、何で猫を被ったんだ?」
「凡人のことを無視したでしょ。だからムカついたの。で、油断させておいてコテンパンにしようと思って。でも油断させる必要なかったかも、めちゃくちゃ弱かったし」
ペロッと舌を出した凛恋が俺の手を握る。そして、少し顔を赤らめてニコッと笑った。
「いつも何気なく繋げてるのに、凡人の学校だって思ったらチョー緊張する」
周囲を見渡す凛恋に釣られて周りに目を向けると、賑やかに廊下を歩く人達は俺達に目をくれることなく、それぞれ自分の楽しいものに目を向けて、それぞれ一緒に居て楽しい人と一緒に居る。
文化祭というだけで、いつも居る学校が全く違う場所に見える。でもそれはやっぱり、隣に凛恋が居るからだ。
「次は何処か行きたいところあるのか?」
「そろそろ希と合流する時間なの。栄次くんの劇が体育館であるらしくて」
「ああ、そういえば劇やるって言ってたな」
俺の居るクラスは元々演劇を希望していたが、限られた演劇枠の抽選に外れた。栄次のクラスはその抽選に当たり、演劇をするらしい。
俺は試しの映画撮影でも戸惑ったのに、実際に体育館のステージで、人が沢山見ている前で演技するなんて正気の沙汰じゃない。
「希と合流しないと」
凛恋がスマホを取り出して希さんと連絡を取り始める。凛恋の隣でボケッと廊下の奥を眺めていると、廊下の向こうから見慣れた女の子が歩いてきた。
「凡人さーん!」
「優愛ちゃん、こんなところで何を?」
「やだなー、凡人さんに会いに来たに決まって――」
「優愛ッ! なんで来てるのよっ!」
私服姿で近寄って来た優愛ちゃんと会話をしていると、希さんと連絡を終えた凛恋が、目を釣り上げて優愛ちゃんを上から睨み付ける。
しかし、そんな凛恋の睨みが利いていないのか、優愛ちゃんはニヤッと笑う。
「凡人さんに会いに行くのに、お姉ちゃんの許可なんていらないし」
「いるに決まってるでしょうがっ! 凡人は私の彼氏よ!」
キリッと鋭く尖った視線を優愛ちゃんに視線を向ける凛恋。その凛恋にビシッと指をさされていると、俺まで怒られている気分になる。
「で? 何しに来たのよ」
ムッとした表情の凛恋が優愛ちゃんに尋ねると、優愛ちゃんは平然とした顔で答えた。
「お姉ちゃんが絶対に来るなって言ったか――イタタッ! お姉ちゃん痛いッ!」
凛恋は右手で優愛ちゃんの左頬を摘んで引っ張る。
「来るなって言われて来るって、良い度胸してるわね」
優愛ちゃんの頬から手を離した凛恋は、両手を腰に置いて優愛ちゃんを見下ろす。見下された優愛ちゃんは、わざとらしく俺に駆け寄って来て俺の後ろに隠れた。
「凡人さん、お姉ちゃんがいじめる~」
「はぁ? いじめてないでしょ!」
俺を挟んで睨み合う八戸姉妹。しかし、ここでこのまま揉めているわけにもいかない。こんな人の多い廊下で揉めていたら目立つし、何より希さんを待たせてしまう。
「凛恋、希さんを待たせちゃ悪いだろ。せっかく優愛ちゃんも来てくれたんだし、一緒に行けばいいじゃないか」
「凡人は優愛に甘過ぎっ!」
「じゃあ、さっきのゲーム対決屋で、負けなかったら何でも言うことを聞くって言っただろ。それを使う」
「ちょっ! そういうことに普通使う?」
「とにかく約束は約束だ」
多分、凛恋は一度来るなと言った手前、素直に優愛ちゃんを連れて行けないだけだ。だったら、そのきっかけを作ってやればいい。
視線を優愛ちゃんに向けて、大きくため息を吐いた凛恋は、両腕を組んで優愛ちゃんを見下ろした。
「凡人に感謝しなさい」
「凡人さん、ありがとう!」
ニコッと笑う優愛ちゃんに笑顔を返していると、凛恋に腕を引っ張られる。すぐ近くに凛恋の顔が来て、その凛恋の顔は唇を尖らせて不満げな表情だった。
「一つ、私の言うこと何でも聞いてね」
「…………何でそうなる」
「彼女の愛情をしょーもないことに使ったからよ。…………毎回ごめんね。優愛のわがまま聞いてもらって」
「謝るなよ。凛恋に加えて優愛ちゃんと一緒に文化祭を回るのは楽しいと思う。それにこの後は希さんも一緒なんだ。別に凛恋が謝ることなんて何も無いだろ」
「うん、ありがと」
凛恋がさり気なく俺の手を取り、指を組んで握る。そして、俺と視線を合わせて小さくはにかむ。
「ほらほら二人とも! いちゃいちゃしてないで、希ちゃんと合流するんでしょ?」
「優愛! そっち逆!」
俺達をからかった優愛ちゃんが廊下を駆けていく。その優愛ちゃんを凛恋が呆れた表情で追いかけて行った。
廊下に取り残された俺は、頭を掻きながら走っていく凛恋の背中を追いかけた。




