【三四《感傷》】:一
【感傷】
駆け込むようなスピードで庭を抜けて、凛恋は俺の部屋に入る。そして、ペタンとフローリングの上に座り込んだ。
俺は鞄を部屋の端に適当に放り投げ、凛恋の体を抱き抱えてベッドの上に座らせる。
「飲み物、取ってくる」
「行かないで」
凛恋の側を離れようとした俺の制服を掴み、凛恋は俺を引き止める。踏み出そうとした足を戻して、俺は凛恋の隣に腰を下ろした。
「…………」
「…………」
お互い何も話さないまま、静かな部屋の中で真正面にある壁を見詰める。いや……凛恋は壁ではなく、フローリングを見ていた。
「何で、こうなっちゃうかな……こんなはずじゃなかったのに」
凛恋の声が細く痛々しい。俯いた顔は、直視出来なかった。
視線をフローリングに落として、握っている凛恋の手を握り返そうとした。でも、握り返せずにただ触れているしかなかった。
『お前は八戸に相応しくない。分相応の相手と付き合えよ』
その言葉は、石川に言われたそれは……事実だ。それを自分でも認めた。
俺は凛恋に相応しくない。凛恋にはもっと相応しい男が居る。
社交的で空気が読めて、誰からも文句を言われないようなイケメンリア充。でも俺は、人付き合いが苦手で空気なんて読めなくて、圧倒的多数の人間から嫌われるスクールカースト最下位。
それが分かっていながら俺が凛恋と付き合っている。
それは、凛恋が好きだからだ。
俺が凛恋を好きで、凛恋が俺を好きで居てくれるから、それに甘えて俺は凛恋の彼氏で居る。凛恋に相応しくないと分かっていながら。
何で、俺は刻雨に行ったんだろう。いや、凛恋に来てほしいと言われたら断る訳がない。
何で、俺は石川に突っ掛かられたんだろう。それは……客観的に見られて、俺が凛恋に相応しくないから……。
だけど、でも、俺は、石川に頭を下げて、場を収めようとしたじゃないか。いや……そんなことをしても、結果は最悪だった。
希さんを泣かせてしまい、溝辺さん達を怒らせ、雰囲気を悪くした。それは石川が原因だ。だけど、俺が俺じゃなかったら、凛恋の彼氏が俺じゃなかったら、石川は突っ掛かることはなかった。
何度考えても、行き着く先は俺しかない。俺が全部招いたことだ。俺のせいで凛恋の学校生活を……壊した。
凛恋は楽しい学校生活を送っている。沢山の友達が居て、文化祭も俺とは違ってクラスの中心に居て楽しもうとしていた。俺はそれを壊した。
「凡人を呼んで、作ったお菓子と料理を味見してもらって……それでメイド服着て凡人を驚かせようって……思って……」
凛恋の泣き声が聞こえる。
「凛恋……ごめん」
「凡人は悪くない! 全部、石川が悪いんじゃん! 田丸さんと一緒に住むことも田丸さんのためだし、私にちゃんと相談してくれたじゃん! 凡人はいつだって男らしい! ペアリングを落とした私とペアリングも凡人が見付けてくれた! 希のためにブルドーザー女を追い払ってくれた!」
凛恋が慰めてくれる。凛恋が励ましてくれる。でも、慰めるのも励ますのも、俺が凛恋にやらなきゃいけないことだ。それを辛く傷付いた凛恋にやらせてしまっている。
「…………俺は、凛恋に相応しくない」
「かず、と……凡人! 違う! そんなことないっ!」
「ごめん、凛恋……俺が凛恋に相応しい男だったら。あいつも……俺に文句なんて言わなかった……」
「あいつには関係ないじゃん! 私と凡人のことに石川が口出し出来る権利なんてないじゃん!」
「でも……そのせいで俺は、親友の希さんと大好きな凛恋を泣かせた」
そうだ。俺は親友と大好きな人を傷付けたんだ。守らなきゃいけないその存在を守ることが出来ず。目の前でただ傷付けられるのを見てることしか出来なかった。
俺は、凛恋という彼女が出来て、希さんという親友が出来て、いい気になっていたのだ。
明るい場所に居る、みんなの輪の中に居るような二人と仲良くなれただけで、自分も同じようになれた気でいた。
自分の学校では、教室の隅で目立たさないように生活しているのに。
「……別れるとか言ったら、引っぱたくから」
「言うわけない! 俺は凛恋が好きで! 俺は……凛恋と一緒に居たい」
「じゃあ、そんな悲しそうな顔しないで……」
凛恋の言葉が嬉しくて、でも心に染みて痛い。また、俺が言葉を掛けないといけないのに、凛恋に掛けてもらうしかなかった。
「凡人は何でも自分のせいにし過ぎよ! 今日のことは全部石川が悪いじゃん! 石川が頭のおかしいこと言って凡人と希を傷付けたんじゃん! それなのに何で凡人が悪いのよ! 絶対に違うから! 凡人は、希を傷付けたり私を傷付けたりしない! 絶対にそんなことしない!」
凛恋は俺の両肩を揺すってそう叫ぶ。凛恋の信頼が嬉しくて、やっぱり心に染みて痛かった。
凛恋は右手で襟に付けたリボンを外し、フローリングの上に投げる。リボンの紐を止めるスナップボタンがフローリングに当たり、カチッという小さく軽い音を立てる。更に、凛恋はブレザーも脱ぎ捨てて、ブラウスのボタンを三つ外す。綺麗な凛恋の胸元が見えて、凛恋はその胸元を見せるようにブラウスの襟を開いた。
凛恋は俺の学ランのボタンを外し、ワイシャツの上から俺の胸に手を重ねる。そして、ワイシャツを握り締め俺の体を自分に引き寄せた。
「彼女のわがまま聞いて。今日は……激しくしてほしい」
「もしもしママ? 今日、ちょっと遅くなる。うん、二二時までには帰るから。大丈夫、凡人が送ってくれるから」
スマートフォンで電話をした凛恋は、届いていたメールをチェックして俺に視線を向ける。しかし、何も言うことはなく、スマートフォンをテーブルの上に置く。
「凡人、今日遅くなるから」
「分かった」
布団の中で俺を抱き締める凛恋の肌がピッタリと貼り付く。互いに汗ばんでいるが、気持ち悪さは一切感じない。むしろ、触れ合っていることに幸福を感じる。
「俺は……自分勝手で都合の良い奴だ。凛恋と抱き合うだけで、凛恋と一緒に居られる幸せで、それに甘えて――」
「何でそれがダメなの? 私だって凡人とエッチしたら幸せで、嫌なこととか辛いこととかどうでも良くなるし。今日だって、私が凡人としたかったから、わがまま聞いてもらった」
「俺は凛恋を守れなかった。凛恋の学校生活を壊してしまった」
「壊れても良い。あんな奴との関わりなんか、凡人の存在と比べる価値もないわよ。…………希からのメールに書いてた。凡人は私のためにあいつに謝ってたって、全然悪くない凡人が謝るのを見て、希は我慢出来なくなったって。…………凡人、ごめん。こんなことになるなら、凡人も希も一緒に家庭科室に連れて行けば良かった」
凛恋はキュッと口を結んで閉じる。それを解くようにキスをする。でも、本当はただ凛恋が欲しくなっただけだ。凛恋を欲しがる俺の気持ちが抑えきれなくて、それでキスという行動が起きた。
啄み貪るようなキスを終えて、互いに息を整えていると、凛恋は俺の体を力強く抱き寄せる。
「あいつ……石川は、よく私達のグループに話し掛けてきた。でも、私達は迷惑してたの。しつこく遊びに誘ってくるし、話をいっつも下ネタに持っていくし。よく里奈とキモいって話してた。だから、丁度良かったの。もうあいつと関わらなくて良いと思うと清々するわ」
「でも、他のクラスメイトも居ただろ」
「それで私と関わらないようにする人が出てもそれで良いわよ。そういう人が一人でも減ったら楽だし。本当に仲の良い人だけで楽しめれば良い。里奈と萌夏からメールが来てた。もうあいつのグループとは関わらないようにしようって。他のグループの子達は分かんないけど、私の友達はみんな私と同じ考えだから。だから、凡人と希が傷付いたこと以外は良いことなの。でも……二人が傷付いたことは、絶対に許せない」
そう言う凛恋は、すぐにニコッと笑う。
「でも、凡人のおかげで全部楽になった。だからありがとう」
凛恋が抱き締めていた体を少し離そうとする。
それは、疲れで腕の力が弱くなっているから仕方のないことだった。でも、凛恋が離れることが寂しくて、俺は凛恋が背中に手を回して凛恋の体を抱き寄せて支える。
「凡人にギュッてされるの幸せ」
「凛恋……」
「まだ悲しそうな顔してる。エッチしてる時はそんな顔してなかったのに」
「りっ、凛恋……からかうな」
「凛恋、凛恋って必死に名前呼んで抱き締めてくれたじゃん。激しくしてって言ったのに、凡人は優しくしてたし」
「仕方ないだろ。加減が分からないんだから」
「あっ……」
俺が凛恋の体を解き放つように腕の力を緩めると、今度は凛恋が必死に体を抱き寄せてしがみつく。しかし、腕の力が抜けて凛恋はベッドの上に下りた。
「……ホント、迷惑。何で私と凡人のことを他人にとやかく言われないといけないのよ」
体は離れてしまっても、凛恋の手だけは変わらず俺の体に回されている。
凛恋は多分、分かっているんだと思う。石川が凛恋に好意を抱いていることに。その好意の表現方法は、お世辞にも好ましいものじゃない。陰でコソコソと誰かを排除しようなんて、思考が湾曲している。
凛恋は可愛い。可愛いから凛恋は広く人から好かれる。でもそれも、顔が可愛いだけじゃなくて、気の良い性格もあってのことだ。だから、人に好かれることは不思議じゃない。それが、どんな相手だろうと。
「客観的に見たら、俺は凛恋に釣り合わないからな」
「まだそれ言うつもり? 私に釣り合う、私に相応しい男は私が決めるの。石川なんかに決められたくないし、凡人にも決定権なんて無いから」
凛恋はテーブルの上からスマートフォンを手に取って時間を確認する。凛恋はスマートフォンをテーブルに戻して俺の顔を見てニコッと笑った。
「まだ一七時になったばっかり。あと五時間は一緒に居られる」
「やっぱり、あまり遅くなるのは――」
「わがまま聞いてって言ったじゃん」
「でも、それは――」
「今日はわがまま聞いて」
「分かった」
凛恋にそうお願いされると断ることも出来ず、俺はそう言って頷くしかなかった。
ベッドの中で抱き合ったままボーッとしていると、部屋のドアがノックされる音が聞こえた。
「凡人くん? ただいま。今、お爺さんから電話があって、今日帰りが遅くなるから、また夕飯二人――」
「ちょっ、凡人。激しいって!」
「ふぐぅっ!?」
ドアの向こう側から田丸先輩の声が聞こえた直後、凛恋が張った声でそう言った。
その声は張っているものの、艶やかさのある声で、まるで俺が凛恋にそんな声を出させるようなことをしているかのようだった。しかし、俺は凛恋に何もしてないし、口を押さえられて発言を止められてもいる。
「やぁっ……凡人、田丸さんに聞こえちゃうっ!」
俺の口を手で押さえたまま、凛恋がベッドの上で激しく体を動かして、ベッドの軋む音を立てる。その音の隙間から、庭を駆けていく足音が聞こえた。
足音が聞こえなくなると、目の前に居る凛恋がジーッと俺の目を見てきた。
「へえー、昨日は二人っきりで仲良くご飯食べたんだー」
「別々に食べるのもおかしいだろ。それに一緒に食べないと遠慮してご飯食べない気だったんだ」
「そういうことなら仕方ないわね。凡人、今日――」
「凛恋、出前をとるから晩飯、食べて行けよ」
「うん、ありがと。さーて田丸さんも帰って来ちゃったし、とりあえず起きないとね」
肩まで布団を被っていた凛恋が、ベッドの上に上体を起こして座る。起き上がったことで、肩まで掛けていた布団は当然、凛恋の体を滑り落ちる。
俺はとっさに布団の中で背を向けて両目を閉じる。一糸纏わぬ姿の凛恋を見てしまうところだった。そんな姿の凛恋をマジマジと見るのは気が引ける。
「何で背中向けるのよ」
「裸だろ」
「凡人には見てほしいんだけどなー」
凛恋にはそう言われ、さり気なく顔を凛恋の方に向ける。
ベッドの下に脱ぎ捨てられた白いブラウスを拾い上げた凛恋はブラもキャミソールも着ずに、シワの寄ったブラウスを直接素肌の上から着ている。あの状態じゃ、肌が透けてしまう。
凛恋は赤チェックのプリーツスカートを拾い上げて布団の中で器用に穿いた後、ブレザーとリボンを持ち上げて首を傾げた。
「あれ? パンツが無い」
「はぁ!?」
凛恋の言葉に思わずそんな抜けた声を上げてしまう。そして、凛恋は俺の目を見て軽く首を傾げた。
「凡人、パンツ返して」
「何で俺が持ってることになってるんだ!」
「だって、この部屋には私と凡人しか居ないし」
「俺は持ってない。布団の中で脱いだんなら、布団の中に埋まってるんじゃないのか?」
俺は布団を持ち上げて、薄暗いベッドの中に顔を突っ込む。彼女のパンツを探すなんて、何の精神修行だ。
布団の中で捜索を始めてすぐ、アイシクルピンクのパンツが薄暗闇の奥に見える。シェルピンクよりも鮮やかな色をしている。手を伸ばしてアイシクルピンクのパンツを手に取る。これが凛恋のパンツじゃなかったら大問題だ。
「凛恋、あったぞ」
「あ! ありがと」
顔を逸らしながら凛恋に手渡すと、凛恋のクスクス笑う声が聞こえる。
「凡人、顔真っ赤」
「仕方ないだろ」
「チョー可愛い!」
「からかうなって」
横でガサゴソ動く音を聞いていると、凛恋が着替えを済ませてベッドから出る。そして、俺を見下ろしながら俺の制服を俺に放り投げる。
「ほら、さっさと着替える着替える!」
着替えを済ませて、凛恋と手を繋ぎながら母屋の居間に向かう。居間に行くと、田丸先輩が座布団の上に正座して座っている姿が目に入った。
「田丸さん、すみません。今日は私もご飯ご馳走になります」
「私に断らなくても大丈夫だよ」
「本当は凡人に何か作ってあげたいんですけど、ちょっと疲れてて」
「そっか。私、お風呂入れてくるね」
田丸先輩が立ち上がり、風呂場の方へ歩いて行く。その田丸さんの後ろ姿を見送ると、俺は隣に立つ凛恋に視線を向ける。
「凛恋……もうちょっと制服をちゃんと着てくれ」
凛恋は下半身はパンツとスカートだけ、そして上半身はブラジャーもキャミソールも着ていない、ブラウスを着ただけの姿。更にブラウスの上のボタン二つは開けられていて、ブラウスの裾も外に出されている。
人によってはだらしないと言われるだろうが、俺にはどうしても色っぽくしか見えない。そんな姿で真横に立たれたら、ドキドキして落ち着かない。
「えー、ついさっきまで世界一格好良い彼氏とエッチしてて疲れ切った、幸せいっぱいの彼女の姿、をアピールしてみたんだけど?」
「……何のアピールだよ」
「もちろん田丸さんを牽制するために決まってるじゃん。幸せいっぱいでラブラブな姿を見せとかないと」




