【二五《甜い一日》】:一
【甜い一日】
俺は目の前に座っている栄次から、栄次の隣に座る赤城さんに視線を向ける。
赤城さんはキュッと口を結んで、自分の正面に視線を向けていた。そして、赤城さんの視線を辿って俺が隣に視線を向けると、シュンとした顔で俯く凛恋が縮こまって座っていた。
「多野くんから連絡もらって、学校のみんなにも凛恋の家にも連絡した。それに色んな所を探し回りながらずっと凛恋のスマホに電話を掛けてたんだよ」
「……本当にごめんなさい」
凛恋はついさっき、家や学校の友達に電話を掛けて心配掛けたことを謝ったばかりだった。
特に、凛恋のお母さんからはかなりコッテリと絞られたようだ。その後で赤城さんの笑顔でのお説教だ。それはそれは精神的に辛いだろう。
「それで? ちゃんと多野くんにお話し出来たの?」
「……まだです」
「そっか。ちゃんと話さないとダメだからね。多野くん?」
「は、はい!」
急に話を振られて、俺は背筋を伸ばして返事をする。俺に顔を向けた赤城さんはニッコリと笑い掛ける。
いつもなら優しそうに見える笑顔も、今この状況で見ると怖い……めちゃくちゃ怖い。
赤城さんはニコッと笑っただけで何も言わず、凛恋へ視線を戻した。
「でも……本当に無事で良かった」
「……ごめん」
「うん……」
赤城さんの笑顔がくにゃっと歪み、目を手の甲でゴシゴシと擦った。
「ああ、安心したら腹減った……」
「私も……」
俺は凛恋と会うまで昼飯を食べる気は起きなかった。
凛恋も俺と同じだったようで、ホッとして気が抜けた瞬間に、自分が空腹であることに気付いたのだ。
「凛恋は何食べるんだ?」
「うーん、唐揚げ定食?」
「何で俺に聞くんだ」
「凡人と被ってなかったら、おかず交換出来るじゃん」
「で? 凛恋は唐揚げ定食と何で迷ったんだよ」
「えっ!?」
「おかず交換したいってことは迷ったやつがあるんだろ?」
「え、えっと、豚の生姜焼き定食、かな?」
「じゃあ、唐揚げ定食と豚の生姜焼き定食な。二人は何か食べるか?」
俺が視線を栄次と赤城さんに向けると、栄次も赤城さんもニコニコとしている。
「ありがとう、私は何もいらないよ。それにしても二人とも、前より仲良くなってる気がする」
「俺も大丈夫だ。二人の仲は、希の言う通り前より良くなったな」
二人がからかう気なのは分かっているから、大した反応は返さない。こういう時に反応すればまたそれでからかわれるのだから。
俺が店員さんに注文を済ませてソファーの背もたれに背中を付けると、赤城さんが凛恋の左手を見て微笑んだ。
「でも、ペアリングが見付かって良かったね」
「うん。落として見失った瞬間は、頭真っ白になった」
「私も気を付けよう」
赤城さんが胸に下げたペンダントを握りながら言う。
そのペンダントは、凛恋がペアリングを作ったとみんなに自慢した時、赤城さんが羨ましがって栄次にねだった物だ。もちろん、栄次も同じ物を下げている。
「でも、ホントに凄かったの。凡人が手を握ってくれて、一緒に探したらすぐ見付かって」
「多野くんの指輪と凛恋の指輪が惹かれ合ったんだね」
「そ、そうかな?」
優しく笑い掛けて言う赤城さんの言葉に、凛恋は左手の薬指にはめた指輪を見てはにかむ。
土で汚れていた手は綺麗に洗われ、よく見ていた綺麗で細くしなやかな指が印象的な、いつもの凛恋の手に早変わりしている。
凛恋がファミレスの硬めのソファーに右手を置くと、テーブルの陰で凛恋の左手を握って指を組んだ。凛恋は僅かに体をピクリとさせた後、ギュッと手を握り返す。
また凛恋の手を握れる嬉しさが心に溢れる。凛恋が隣に居る日常がまた送れる喜びに満たされる。本当に、良かった。
唐揚げ定食と豚生姜焼き定食が運ばれてきて、お互いのおかずを半分ずつ交換していると、栄次が思い出したように手を叩いた。
「ところでカズ、今度うちに泊まりに来ないか? 八戸さんも一緒――」
「断る」
「ほら、言っただろ?」
俺が栄次の誘いを言い切る前に断ると、栄次が隣に座る赤城さんに笑みを浮かべながら言う。
「カズはそういう所は真面目だから、絶対に泊まりとかはしないって」
「とりあえず、その話の経緯を話してみろ」
俺が凛恋から貰った唐揚げを食べながら聞くと、栄次が穏やかな声で話し始めた。
「今度、うちの親が一週間海外に行くことになったんだ。まあ、いわゆる結婚記念旅行ってのなんだけど。それで、やっぱり夫婦水入らずが良いと思って俺は残ることにしたんだ」
「なるほど、それで親の居ぬ間に彼女を連れ込もうってわけか」
「それが先手打たれちゃって。希を連れて来るのは、カズも一緒に来るなら良いって言ってるんだ」
「なるほどな。要するに俺は監視役ってことか」
高校生の男女が一つ屋根の下に泊まれば、そりゃあやることやるに決まってる。実際、泊まらんでもやることはやるのだが。それを防ぐために俺もということだろう。
「ちなみに、親はカズに彼女が居ることは知らない。黙ってたわけじゃなくて、聞かれなかったから言ってないだけだ」
ニッと笑う栄次に、俺は大きなため息を吐く。
「別に親が旅行行った後に赤城さんを呼べば良いだろ?」
栄次の親と栄次本人、どっちの味方かと言われれば、迷うことなく俺は栄次の味方だ。
それに何処の誰とも知らない男ならまだしも、栄次は真面目な奴だ。
たとえやることやるにしても、赤城さんを悲しませるようなことはしないだろ。
「そうなんだけど、カズも八戸さんとお泊まり会したくないか?」
「したいかしたくないかで言われればしたい。だけど、友達の家に遊びに行くのと泊まるのでは問題が別過ぎるだろ。それに、そもそも凛恋と赤城さんの両親が許すはずな――」
「私は栄次と二人きりじゃないなら大丈夫だって言ってた」
ニコッと笑う赤城さんを見て頭を押さえる。二人きりじゃないというのはそこまで強い説得力を持っているなんて知らなかった。
「赤城さんが良くても凛恋は絶対にダメだ。ただでさえ今日のことで親に心配を掛けてるのに泊まりな――」
「もしもしママ? あのね、希と希の彼氏が、今度希の彼氏の家でお泊まり会しようって言ってくれたの。……迷惑を掛けちゃったけど、本当に良かったって言ってくれてて。それで、せっかくだからみんなで楽しいことしようって言ってくれてるの。希も希の彼氏も大切な友達だし……マジ? やった! ありがとうママ! マジ大好き! じゃあ、うん……うん、分かった」
電話を切った凛恋は、右手でVサインをしてニッと笑う。ものは言いようとは言うが、この短時間でよくもまあ、あんなにペラペラと出てくるものだ。
「さて、どうするカズ。このままだと、八戸さんがカズ以外の男の家に泊まることになるぞ?」
「栄次の家なら安心だ」
「友達三人が自分が居ない所で楽しい思い出作ってて悔しくないのか?」
「うぐっ! そ、それは……」
お泊まり会という催しの経験はない。でも、この四人で時間を気にせず遊べるというのは楽しそうではある。
「みんなで、泊まり掛けで遊ぶのは楽しいぞー」
「ぬうっ……」
栄次の言葉に心が揺れる。
「みんなでDVDを見るのも楽しいよ!」
「ふぐぅ……」
赤城さんの言葉に心を打たれる。
「私は気合い入れて料理する」
「なっ! ……い、いや! やっぱりダメだ!」
凛恋の言葉に心を射抜かれそうになって、すんでの所で躱す。
凛恋の手料理は食べたい。更に気合いが入った料理とかもっと食べたい。しかし、泊まり掛けは良くない。たとえ周りが許可したとしても、やっぱり――。
「…………私、凡人とお泊まり会したい」
「…………行く」
「ホント!? やった!」
凛恋のお願いに、つい答えてしまった。凛恋にお願いされたら断れるわけがない。
「じゃあ決まりだな」
「楽しみだね」
「うん! 何を作ろっかなー」
三人がお泊まり会について楽しく話し始めている中、俺は一人憂鬱な気持ちになる。
凛恋に行くとは言ってしまったものの、ぬか喜びに終わらせてしまう可能性がある。それはうちの爺ちゃんが許すかどうか分からないからだ。
うちの爺ちゃんは倫理とか道徳とか一般常識とか礼儀とか、そういうものにかなり厳しい真面目な性格だ。
そんな爺ちゃんが、保護者の居ない家に未成年の俺達だけで泊まるのを許すとは思えない。
反対されるだけなら良い方で、何を考えているのかと怒鳴られる可能性もある。認めてもらえる可能性が上がるとすれば……
「凛恋。凛恋からも爺ちゃんに頼んでくれないか?」
「私? うん、もちろん!」
隣に居る凛恋がニコッと笑って言う。
うちの爺ちゃんにとって孫は俺しか居ない。しかし、凛恋がうちに来るようになってから、爺ちゃんは……まあ、婆ちゃんもだが、凛恋を本当の孫のように思っているようだ。
俺は男孫だから、凛恋は女孫みたいな存在だと言っていい。そして、婆ちゃんに輪を掛けて、爺ちゃんは凛恋を可愛がっている。
その凛恋が頼めば、もしかしたら爺ちゃんもお泊まり会を承諾するかもしれない。まあ……可能性がある、というだけの話なのだが。
栄次と赤城さんと別れて、久しぶりに凛恋を家に連れて来たら、部屋ではなく居間に座らされた。
「久しぶりねぇ、凛恋ちゃん」
「凡人のお婆ちゃん。お久しぶりです」
「よく来たね」
「凡人のお爺ちゃんも久しぶりです」
婆ちゃんも爺ちゃんも、ただでもしわくちゃな顔をシワシワにして笑顔を浮かべている。そして、爺ちゃんの声がいつもより高い。いつもは俺に低い声で小言を言うのに……。
「婆さん。良い羊羹があったろう。凛恋さんに出してあげなさい」
「そうだったわね。凛恋ちゃん、ちょっと待っててね」
「ありがとうございます」
座布団の上に正座した凛恋が可愛い笑顔でお礼を言っている。まあ、笑顔を見られたのは嬉しいが、なんだろう……扱いの差を感じる。
「最近めっきり来なくなったから、凛恋さんに凡人が愛想を尽かされたのかと思っていたよ」
爺ちゃんは凛恋と俺の間にあったことを知らない。それに全くの無意識なんだろうが、結構容赦無しに傷口をえぐってくる。
「あの、凡人のお爺ちゃんにお願いがあるんですけど」
「なんだい?」
「今度、凡人の友達と私の友達の三人でお泊まり会をすることになったんですけど、凡人も一緒に連れて行ってもいいですか?」
「凡人でよかったら何日でも連れて行きなさい。凛恋さんの小間使いにしてやってくれ」
「本当ですか! ありがとうございます! 私、凡人と一緒がいいなって思ってたんです!」
うちの爺ちゃん……思った以上に凛恋に弱かった。
全く渋る様子も見せず、凛恋の話をすんなりと承諾してしまった。ちょっと悩んでしまった俺の心配を返してほしい。
「凡人。ちゃんと凛恋さんのことを守るんだぞ。もし凛恋さんに何かあったらただじゃ済まさんからな」
「……分かってる」
キッと睨みを利かせ、低い声で言う爺ちゃんにバレないように小さくため息を吐く。そして、爺ちゃんの格好を見て口を開く。
「何処か行くの?」
「ああ、今から婆さんと一緒にヨシさんところとトメさんところと……後は、どこだったか?」
「あー、スケさんだろうがカクさんだろうが何処でもいいけど、遅くなるのか?」
「今日中には帰ってくる」
「……なるほど」
みんなでワイワイガヤガヤと酒を飲んで来るんだろう。だったら晩飯はまたコンビニか何かで食べないといけない。
「夜、遅くなるんですか?」
「ああ、ヨシさんが美味い酒と肴が手に入ったらしくてな! カンパチだ。ちなみに――」
「酒の肴と泳ぐ魚を掛けたんだろ? 面白い面白い」
ダジャレを言う爺ちゃんに反応してやると、テーブルの向こう側で「そうだろう、そうだろう」と誇らしげに笑っていた。
「あの、じゃあ凡人のご飯は?」
「おお。そういえばそうだな! 婆さん! 凡人の飯はどうする?」
「あの! 私が作ります! お爺ちゃんとお婆ちゃんが留守の時は、お昼とか作ってましたし」
凛恋が身を乗り出して爺ちゃんに提案する。しかし、爺ちゃんは俺の顔を見た後に渋い顔をした。
「凡人なんぞのために凛恋さんの手を煩わせるわけにはいかんだろう」
自分の孫になんぞとは酷い。
「私は凛恋ちゃんが良ければお願いしたいわねぇ。凡人は台所に立たせられないし」
自分の孫への料理に対する信頼が一切ない婆ちゃんは、凛恋に微笑んで言う。
「でも、冷蔵庫に何も入ってないから、必要な物はこれで買って来てくれるかい?」
そして、自分の孫への信頼が一切ない婆ちゃんは、一万円札を凛恋に差し出す。いや、普通そこは俺に渡すだろ。
「分かりました! レシートとお釣りは凡人に預けておきますね」
「ありがとう。これで心置きなく行けるわ」
ホッと胸を撫で下ろす婆ちゃんと、ウンウンと何度も頷く爺ちゃん。その様子に思うところは多分にあるが、まあ、凛恋の手料理と二人きりの時間が得られたと思って、俺の扱いに関しては不問にしよう。
爺ちゃんと婆ちゃんは、行きに何か手土産を買って行くらしく、早めに家を出て行った。
爺ちゃんと婆ちゃんを乗せたタクシーを見送ると、凛恋が俺の腕を抱き締めた。
「…………今日の私、めちゃくちゃ図々しい女だ」
隣で俯き、そういう凛恋はシュンとしている。シュンとしている理由までは分からないが、何となく罪悪感に苛まれているのは分かる。
「どうしたんだ?」
「凡人……話、聞いてくれる?」
「分かった。とりあえず俺の部屋に行こう」
凛恋が不安そうに俺の顔を見上げる。その表情を見て凛恋の手を取る。
家の中に戻って俺の部屋に入ると、凛恋はいつもとは違って、入り口に近い場所に正座した。俺は、その凛恋の様子に頭を掻きながら隣に座る。
「凡人、正面に座って」
「凛恋の隣が良いんだけど」
「お願い」
「……分かった」
俺は立ち上がり、テーブルを挟んで凛恋の正面に座る。すると、凛恋は俯き、頭を下げた。
「凡人、この間は本当にごめんなさい。凡人の気持ち何も考えずに言っちゃって」
「いや、凛恋が謝ることじゃない。俺だって、家族が居ることが羨ましいなんて聞いても、凛恋が困ることくらいよく考えれば分かったんだ。それなのに言った俺が悪い」
「ううん。私、凡人と会えない間、ずっと考えてた、凡人のことを。それで分かったの……ううん、最初から分かってた。凡人は、私に、正直に凡人の気持ちを話してくれたんだって」
凛恋は正座したまま俺の顔を真っ直ぐ見ている。その凛恋の唇は少し震えていた。
「私、凡人が悲しい顔をしてるのが嫌で、私が話を聞けば凡人の悲しい気持ちを消せると思った。でも、凡人の悲しい理由は……ううん、寂しい理由は私には本当の意味では分からないことだった。想像は出来ると思った。でも、想像は想像なのよね……。本当の意味では何にも分かってないの。分かったつもりになれるだけで、本当に凡人の気持ちを分かった訳じゃない。そう思って、本当に悔しかったの。何も凡人に返せないことが。大好きな人が目の前で寂しそうな顔をしてるのに、私……何も出来ないんだって思ったら、めちゃくちゃ悔しかった」
凛恋は涙を止めようと唇を噛み締め、ぐっと堪えながらゆっくりと唇を動かす。




