【二三《断絶の決定打》】:二
田丸先輩は俺の腕を掴んで俺を振り返らせる。それが煩わしくて、腕を振り解いて振り返って歩き出す。
「……八戸さんと何かあったんだね」
歩き出した俺は、その言葉に足を止めてしまう。そして、その足を止めた瞬間、後ろからドスッという軽い衝撃があり、胴に細い腕が巻き付いていた。
「凡人くん、八戸さんと別れて私と付き合って」
後ろから田丸先輩に抱き締められそう言われて、俺の頭に上っていた血がスッと下がっていくのが分かった。
「凡人くんは傷付いてる。八戸さんに傷付けられてる。私と同じだよ、今までの私と同じ。でも、私なら凡人くんのことを分かってあげられる。私なら絶対に凡人くんのことを悲しませない。だから――」
「すみません。俺はそういう人間じゃないんです。そんな上手く切り替えられる器用な人間じゃないんです」
振られたからすぐに別の誰かと付き合う。それが出来る人は世の中にごまんと居るだろう。
でも、少なくとも俺はそんな器用に気持ちを切り替えられる人間じゃない。
「ずっと好きだったの! あの、私を助けてくれたあの日からずっと! 凡人くんのことが好きだったの。でも、凡人くんには彼女が居て、だから幸せそうだから諦めようと思った。でも、この前も、今日も、こんなに辛そうにしてる。そんなの見てたら諦められない! 絶対に悲しませないから! 私が凡人くんのことを――」
「ちょっと、勝手なこと言わないでもらえます?」
俺を抱き締めていた田丸先輩の腕が離れると同時に、聞き覚えのある幼い声が聞こえる。そして、俺が振り返るとそこには、田丸先輩の手首を掴んでいる優愛ちゃんが立っていた。
「凡人さん、私のお姉ちゃんの彼氏なんですけど」
「あなた、八戸さんの――」
「とにかく、振られたんですから諦めて下さい。凡人さん、行きますよ。では、失礼します」
優愛ちゃんは俺の手を引いて歩き出す。
暗い夜道で中学生の女の子に手を引かれる俺は、さっき冷静さを取り戻したせいで状況を考えることが出来ていた。でも、考えても今ここに優愛ちゃんが居る理由が分からない。
「優愛ちゃん、なんでここに?」
「凡人さん、お祭り行くといっぱい美味しい物あるじゃないですか」
「え? あ、ああ」
俺の質問とは関係ないことを話し出した優愛ちゃんに、俺は思わず頷いて相づちを打ってしまう。
「焼きそば、たこ焼き、イカ焼きにリンゴ飴。他にも楽しい遊びもありますよね? 射的に水風船釣り、金魚とか飼えないから金魚すくいはしませんでしたけど、結構夏祭りに行くとお金を使っちゃうんですよね」
「そ、そうなのかもしれないね」
俺は夏祭りに行った経験がない。
今日は一応行ったが、会場に行っただけで見て回ったわけじゃ無い。だが、夏祭り経験が俺より豊富そうな優愛ちゃんが言うのだからそうなのだろう。
「それで気が付いたらお金無くって」
「え? じゃあ」
「はい。電車に乗れないので歩いて帰ってるんです」
「……え? ええっ!?」
やっと早歩きを止めて隣に並んだ優愛ちゃんは、顔を真っ赤にして俯かせる。
まあ、お金を使い切って電車に乗るお金が無い。というのは、恥ずかしい状況だ。
「あの……お姉ちゃんには内緒にしてもらえると。中学生にもなってどんなお金の使い方してるのよって怒られるんで」
「大丈夫だ」
もう言う機会はない。だから、そう答えられた。
優愛ちゃんのおかげで、心にのしかかっていたものが全て何処かへ行ってしまった。
暗い夜道を並んで歩く俺は、長い距離を歩いていたことも忘れてさっきよりも格段に軽く足を動かせている。
それは優愛ちゃんのおかげで一時的に心の重しが軽くなったことと、年下の女の子の前でみっともない所を見せられないという俺のプライドが働いたせいだった。
「それにしてもなんなんですか、さっきの人」
「学校の先輩だ」
「そうですか。全く、お姉ちゃんのバカ。バイトにかまけてるからこうなるのよ」
プリプリと怒る優愛ちゃんの様子だと、あの男性と付き合ってることはまだ話していないらしい。
俺はさっきから引っ切りなしに震えているスマートフォンの電源をズボンの上から落とす。それから横に居る優愛ちゃんに視線を向けた。
「ご両親に電話して迎えに来てもらえばよかったんじゃない?」
「いや……パパとママに電話したらお姉ちゃんよりも酷いことになります。パパは笑って許してくれるかもしれませんけど……ママは」
優愛ちゃんは、最後にママと言った後にブルッと体を震わせる。
家に行った時に毎回会うが、優しそうなお母さんに見えた。でも、娘には厳しいらしい。
「じゃあ、内緒にしておかないとね」
「本当によろしくお願いします。ママ、怒るとチョー怖いんで」
街灯に照らされた歩道を歩く俺と優愛ちゃんは、時折通るヘッドライトの眩しい自動車に文句を付けたり、ファンヒューの進行具合を話したりした。
久しぶりにまともに人と楽しい話をした気がする。
「あの、凡人さん」
「ん? 何?」
「お姉ちゃんと何かありました?」
「……どうして?」
「お姉ちゃん、最近凡人さんの話をしないんです」
優愛ちゃんの言葉に俺は視線を前に向けて、優愛ちゃんから顔を逸らす。そして、優愛ちゃんの言葉から、現実から目を背けた。
「ファンフューもしてくれなくなって。ゲーム機もクローゼットの奥に仕舞ってて。まるで、凡人さんのことを考えないようにしてるみたいで……」
背けているのに逸らしているのに、容赦なく現実をぶつけられている。心に容赦なく投げ付けられる沢山の現実が、まるで泥や墨をぶちまけられているかのように心を黒く汚していく。
「……お姉ちゃんと別れてませんよね?」
確認されても答えようがなかった。別れ話はしてない、でも凛恋の気持ちは明らかに、もう俺には向いていない。
俺は黙って歩き続ける。その無言の意味を理解してくれたのか、優愛ちゃんもそれから黙って歩いてくれた。
「あの、結構歩いて喉が渇いちゃって。凡人さんの家でお茶をもらってもいいですか?」
もうすぐ俺の家が近付いてくるという頃、優愛ちゃんがそう切り出した。喉が渇いているという女の子をそのまま帰すわけにもいかない。
「いいよ。でもお茶を飲んだらすぐに送るからね。あまり遅くなるとご両親も心配するだろうし」
「いや、凡人さんの家からは一人で――」
「こんな時間にこんな可愛い女の子一人で出歩かせるわけにはいかないよ」
ポンポンと頭を軽く叩くと、優愛ちゃんは唇を尖らせて真正面に顔を向けたまま呟く。
「ホンット、お姉ちゃんのバカ。なんでこんな良い人ほったらかしにするかねー」
ぶつくさ言う優愛ちゃんを連れて家に辿り着いた俺は、玄関の扉を開けて中に入る。優愛ちゃんは礼儀正しく「お邪魔します」と挨拶をして中に入り俺に付いて来た。台所に入ってすぐにコップを出して冷茶を注ぐ。そしてそれを優愛ちゃんに差し出した。
「はい」
「ありがとうございます」
両手でコップを受け取った優愛ちゃんは、ゴクゴクと勢いよく冷茶を飲み干す。
俺と同じように二駅分を歩いてきたのだ。いくら夜と言っても真夏だから、相当喉が渇いていたのだろう。
「優愛ちゃん」
「はい?」
「お金を使い切っちゃった件、俺は絶対に言わない。だけどその代わり優愛ちゃんにお願いしてもいいかな?」
「は、はい! なんでしょう?」
「優愛ちゃんのお姉ちゃんに、今日見たことと、優愛ちゃんが考えてることを言わないでほしい」
「……あの人と付き合うんですか?」
「いいや、それはない。それに優愛ちゃんは断ったの見てたよね」
「じゃあ、なんで!」
食い下がるとは思っていた。食い下がって当然だとも思う。優愛ちゃんは何も知らないのだから、そりゃあ真実というものを確かめたくもなる。
「全部俺が悪いんだ。それで、納得してほしい。納得なんて出来ないかもしれない。でも、それでこれ以上聞かないでほしいんだ」
「……分かりました」
「ありがとう」
答えてくれた優愛ちゃんが全く納得していないのは明らかだった。でも、それでも承諾してくれたことが本当にありがたかった。
そして、年下の女の子に気を遣わせてしまったことが、本当に申し訳なかった。
お茶を飲み終えた優愛ちゃんを連れて家を出る。玄関の鍵を掛けて飛び石を歩き門を出た所で、俺は右から迫る拳を躱した。
「キャッ!」
隣で優愛ちゃんの悲鳴が聞こえ、俺は右から殴り掛かって来た人物に視線を向ける。視線の先には息を切らした栄次が立っていた。
「避けるなッ!」
「避けられたくなかったら当てやがれ」
栄次が俺の胸ぐらを掴み上げて詰め寄る。
「カズッ! なんで電源切った! どれだけ心配したと思ってるんだッ!」
目の前で怒鳴り散らす栄次から視線を優愛ちゃんの方に向けると、体を小刻みに震わせて怯えている。
目の前で年上の男がいきなり殴り掛かる場面を見て、更に凄い剣幕で怒ってるの目の当たりにしているのだ。怖いに決まっている。
「栄次、優愛ちゃんが居る」
「あっ……ごめん」
俺は胸ぐらを掴む栄次の手を外し、その手に家の鍵を押し付た。
「栄次、家で待っててくれ。俺は優愛ちゃんを送らないといけない」
「俺も一緒に――」
「年下の女の子怯えさせたバカが付いて来るな」
俺がそう突き放すと、栄次は「分かった」と呟いて玄関の方に歩いて行った。それを見送ると、俺は隣に居る優愛ちゃんの頭を撫でた。
「俺のせいで怖い思いさせてごめん」
「いえ、あの、凡人さん怪我は?」
「いや、大丈夫。栄次はそもそも当てる気無いしな。とりあえず早く帰ろう。お父さんとお母さんが心配する」
俺はもう一度優愛ちゃんの頭を撫でて、優愛ちゃんの家に向かって歩き出した。
戻って来た家の中に入ると真っ暗で、居間に着くと真っ暗な中、座布団に正座する栄次を見付けた。
「電気くらい点けろ、怖いだろうが」
居間の明かりを点け、俺は台所に言って二人分の冷茶をコップに注いで居間に戻る。
テーブルの前に正座する栄次の前にコップを置いた。
「ありがとう」
栄次はコップの冷茶を一気に飲み干してコップを元の場所に置く。俺はそれを見届けて手に持ったコップに口を付けた。
「カズ、ここ最近あったことを全部話せ」
俺を真っ直ぐ睨み付けて言う栄次に、俺は栄次が何を求めているのかを分かりながら答えた。
「ここ最近って何時まで遡ればいいんだ。後、流石に一日の行動をこと細かには覚えてないぞ。昨日の今頃は多分寝てただろうけど」
「言い方を変える。ここ最近、八戸さんと何があった。全部話せ、今すぐに」
「分かった」
俺は栄次に、キャンプ二日目に交わした凛恋との会話から、上手く二人で話せなくなったこと。それから、少しずつ距離が離れて、そして今日、決定的に俺達の間が途切れたことを話した。
全てを聞き終えた栄次は、俯いて唇を噛んだ。
「なんで……なんでもっと早く相談しなかったんだ!」
「済まん。色々混乱しててな。そういうことを考える余裕が無かった」
「…………そう、だよな。カズは自分で何でも処理しようとする奴だ。誰かに相談する前に、自分でどうにかしようとするよな」
栄次は一度頷いた後そう言うと、栄次は俺の顔を見た。
「カズが帰った後……希が八戸さんにビンタした」
「ああ。…………えっ? ハアッ!?」
「……めちゃくちゃ怖かった。あの場所だけ、人が避けてたし……」
栄次が体を震わせて呟く。赤城さんが怒りを態度で表して、しかも暴力に出るなんて想像出来ない。
俺が赤城さんの取ったという行動に戸惑っていると、栄次がスマートフォンを取り出す。そして、スマートフォンの画面をタッチして電話に出た。
「もしもし切山さん? どうしたの? えっ? カズの電話番号? 急にどうしたの? 話がしたい? お兄さん?」
栄次の声しか聞こえないから会話がよく分からないが、俺の名前が何故出ているのかが気になる。電話をしている栄次は、戸惑った表情をしながら俺にスマートフォンを差し出す。
「あの、切山さんのお兄さんがカズと話がしたいって」
「おい、まず切山さんって誰だよ。そしてその人のお兄さんってどういうことだ」
ほとんど知り合いという存在が居ない俺だが、切山なんて名前の人は聞いたことが無い。それに聞いたことが無い何処の誰かも分からん人の更にお兄さんなんて、関係が薄いどころか無関係だ。
「そうは言われても、多野凡人くんと話がしたいって言ってるんだよ」
「分かった」
とりあえずスマートフォンを受け取って、俺は電話の向こうに声を発する。
「もしもし、お電話代わりました。多野凡人です」
『初めましてこんばんは。切山晶と言います』
「はあ……」
『突然なんですが、今からうちの店に来られますか?』
「店?」
電話の向こうから聞こえる男性の言葉に、俺は首を傾げる。全く知らない無関係の人にうちの店と言われても、何処のことだか分からない。
そもそも、この人いったい誰だ。
『凛恋ちゃんがアルバイトしている喫茶店って言えば分かる? 凛恋ちゃんのことで話したいことがあります。出来れば二人で話したいんだけど』
俺はその言葉を聞いて、手に力が入った。
「分かりました。今から行きます」
俺は電話を切って立ち上がる。電話を受け取った栄次は俺の腕を掴んで心配そうな顔をする。その手を退けて俺は頭を掻いてさも面倒臭そうな態度を作った。
「なんかこの前行った喫茶店の人に呼び出されたから行ってくる」
「じゃあ、俺も」
「いや、二人でって言われたからダメだ」
俺は栄次と一緒に家を出て歩き出す。駅から少し歩けばいいだけだから、多少遅くなっても問題ない。
「栄次は赤城さんの方の様子を確認して置いた方がいいだろ」
「でも、多分さっきの呼び出しって」
「俺の彼女に近付くなって釘刺されてくる」
俺はそう言って栄次と別の方向へ歩き出す。
栄次が心配しているのは、電話をして来た切山晶という人が、凛恋と一緒に居た男性ではないか、ということだろう。
多分、十中八九、栄次が考えている通りだ。そして、俺が呼び出されたのは、いよいよもって決着が付くのだろう。
俺と凛恋の関係の決着が。




