【二一《顧みれば》】:三
朝起きて集合して早々、女子が固まり何やら会議を始めていた。その会議は思ったよりも早く、凛恋がニコニコしながら俺の隣に座った。
「昨日の佳奈子の声、他のテントにも聞こえてたみたい。まあ、あんだけ声を上げてたら仕方ないわよね。んで、みんなに怒られてた。その気になった彼氏をなだめるの大変だったんだからって」
「そうか……凛恋はなんて言ったんだ?」
「んー?」
そこで凛恋はニヤッと笑う。
「ちゃんと時と場所は考えてよねって言っといた」
俺はその凛恋の言葉を聞いて、自分達も言えた立場じゃないと思う前に、よかったと思った。凛恋の声は誰にも聞かれていなかったようだ。
凛恋の声で他の誰かがドキドキしなかったということに、ホッと安心する気持ちが強かった。
朝ごはんは溝辺さんの両親が買ってくれていたバターロールにイチゴジャムを塗って食べ、昨日のバーベキューの残りを焼いて食べた。
そして、肝心の二日目の予定なのだが、朝飯を終えて支度を済ませた俺は、凛恋と栄次と赤城さんで近くを散策することになった。
散策している途中、港で行われていた産業祭りに立ち寄った。
産業祭りはその祭りが行われる周辺地域の特産品や特産品の加工品を販売するイベントで、主に食べ物の出店が多い。更に、特撮ヒーローや児童アニメのキャラクターショーと言った、催し事もある。
その産業祭りの会場で、俺は途方に暮れていた。
左隣には困った表情で歩いている赤城さんが居て、右隣にはもの凄く不機嫌そうな顔で俺を睨む凛恋が居る。
もちろん栄次も赤城さんの隣に居るが、栄次の方は凛恋と違って笑いを押し隠し面白がっている。
「なんで私と凡人じゃなくて、希と凡人なのよ!」
「それはこの子に聞いてもらわないと」
俺は不満そうに言う凛恋から、俺と赤城さんの間で俺と赤城さんとそれぞれ手を繋ぐ女の子に視線を向けた。
この子は産業祭りの会場でフラフラしている時「パパー」という声とともに俺の足へしがみ付いてきたのだ。
当然、俺は子供なんて居ないし、女の子の方もすぐに「パパじゃない!」と泣き出してしまった。
そんな女の子を、妹慣れしている凛恋がなだめ、赤城さんが優しく名前を尋ねてくれた。そして、名前が『ミク』ちゃんという所までは分かったが、それ以上の情報は無かった。
運営本部のある場所に行けば、迷子のお知らせをしてくれるだろうという栄次の提案で、俺達はその運営本部への移動中だ。
その道中で、何故か俺と赤城さんが気に入られてしまい、ミクちゃんは両手を繋いで楽しそうにしている。
「ミクちゃん? お姉さんと一緒に歩かない?」
「ヤダ!」
「…………かーずーとぉー」
ミクちゃんに振られた凛恋が、俺の右腕にすがり付きながら嘆く。なんでこんなにこだわるのかよく分からない。
「ミクちゃん! そっちのお兄ちゃんも格好良いよー?」
「イヤ!」
「……ぐぬぬっ! 何歳か分かんないけど、見る目はあるわね」
「間接的に俺も振られちゃったね」
振られたと言う割に全く傷付いた様子の無い栄次は、相変わらずニコニコ笑っている。
「凡人の彼女は私なのにー!」
「俺の彼女は凛恋に決まってるだろ」
「でも、この子にはそうは見えないってことでしょ?」
「さっきパパじゃないって俺は散々泣かれただろ。それに多分、雰囲気が無害そうな俺と優しい赤城さんを本能的に察したんだろ?」
「何よ! 私が優しくない女だって言う訳?」
「赤城さんと比べたら、凛恋の方が雰囲気が明るいだろうが。落ち着いて見える赤城さんの方が接しやすいんだろ」
納得しない様子でフンッとそっぽを向く凛恋は、それでも俺の右手をしっかり握って体を寄せる。
出店が並ぶ港には炭火の煙が薄いモヤを掛けている。人手はイベント事だからか当然多い。まあ、イベントの内容が内容だから、カップルよりも家族連れが多い。そして、年齢層はかなり上だ。
パイプテントに囲まれた道を歩くと『運営本部』という紙を掲げたテントが目に入る。やっと運営本部にたどり着いた。
「すみません。この女の子が迷子みたいで、名前はミクちゃんだそうです」
栄次がテントに居るおじさんに事情を説明し、すぐに港に設置されたスピーカーから迷子のお知らせが聞こえた。
「でも、しがみ付いたのが凡人で良かったわよね。悪い大人に会ってたらもっと大きな問題になってただろうし」
「そうだね。でもパパって言われた時の多野くんの顔、凄く面白かった」
「いや、第一声がそれだったら誰でも驚くだろ……」
ハアっと息を吐く凛恋とクスクス笑う赤城さん。二人から視線をミクちゃんに向ける。子供というよりも、どちらかと言えば年の離れた妹のような感じだ。
ミクちゃんをボーッと見ていると、ミクちゃんはジーッとある一点を見詰めていた。ミクちゃんの視線の先にあったのは、キャラクターがプリントされた袋に入った綿菓子だった。おそらく、綿菓子よりもあの袋の方が欲しいのだろう。
「凡人、ダメよ」
「な、何がだ?」
「何処の誰だか分からない子に、勝手に物を買い与えちゃダメってことよ。どーせ凡人のことだから、年が離れた妹みたいだなって思ってるんでしょ」
「むうぅ……」
ぐうの音も出ない。言葉には出してないはずなのに、何故凛恋にはバレてしまったのだろう。
「凛恋は多野くんのことをよく分かってるね」
「凡人は優愛に甘いのよ。優愛のちょっとしたわがままとかホイホイ聞いちゃって。その時と同じ目をしてたの。そういう、凡人の優しい目、私は大好きだけどさ。勝手に他人の子を甘やかしたりしちゃダメ。特にミクちゃんはまだ小さいし」
「分かった」
凛恋は俺にそう言った後、ミクちゃんの前にしゃがみ込んで、ミクちゃんが持っていたポーチを指さしながら話をしていた。やっぱり妹が居るせいか
、凛恋は穏やかな表情を浮かべてミクちゃんのことを見ている。
「八戸さん、お姉さんって感じだな」
「まあ、実際妹が居るしな」
隣で俺に肩を置く栄次に視線を向ける。赤城さんもミクちゃんと話をしていて、男二人は完全に蚊帳の外状態だからだろう。
「カズ、昨日は悪かったな。勝手に言って」
「別に俺に断りを入れるような話じゃない」
「いじめのこと、話されて気分は良くないだろ」
「俺くらいになれば耐性が出来てるから全くだな」
そう答えると、栄次はフッと笑って凛恋に視線を向けた。
「カズ。ミクちゃんの家族が来たら、お互い別行動しないか?」
「ああ、良いが何処か行きたい場所でも――」
「この辺で景色が綺麗な場所があるんだ」
「そうなのかそれは何処な――」
「秘密だ」
ケチと言う言葉は、頭には浮かんだが言葉に出さなかった。
二人の時間を邪魔されたくはないだろうし、それに聞いたとしても行かないと思ったからだ。
多分、栄次は赤城さんに喜んでもらおうと事前に調べたんだろう。
「俺は何処に行こうか」
「カズは決まってなくても八戸さんが引っ張って行きそうだな」
「……まあ、その可能性が大だな」
いつも出掛ける時は凛恋が提案することが多い。いや、ほぼ凛恋からだ。それで凛恋に連れ出され、外出が苦手な俺もいつの間にか楽しくなる。
女物の服なんて見ても楽しくないのに、凛恋があれやこれやと合わせて居るのを見るのは嬉しい。おしゃれな雑貨屋の、原形が分からないほどデフォルメされた、へんてこな動物の置物だって、凛恋と見れば可愛く見える。
「パパ! ママ!」
凛恋の横顔を目で追っていると、ミクちゃんがパッと表情を明るくして走り出す。ミクちゃんが走り出した先には、綺麗な女性が駆け寄って来ていて、強くミクちゃんを抱き止めた。
「やっぱ、お父さんとお母さんが一番よね」
しゃがんでいた凛恋が立ち上がって、優しく微笑みながら凛恋が声を漏らす。その表情も声もとても魅力的だった。でも……何故か心にスッと細い傷が付いた。
港の外れで手に持ったたこ焼きのパックに、隣から凛恋がつまようじを刺す。そして、たこ焼きを口に放り込んでたこ焼きの熱さにハフハフと声を漏らして熱さに悶えている。
産業祭りの会場から少し離れたこの場所からは、会場の音よりも防波堤にぶつかる波音が大きく聞こえる。
栄次と赤城さんは今頃、雰囲気の良い場所で二人の時間を楽しんでいるのだろう。俺も、凛恋と一緒に居る時間を楽しみたい。でも、心の中にはモヤっとしたものが漂う。
本当は随分前からあった。優愛ちゃんと接する凛恋を見た時から感じていた。
それは、家族という存在の不鮮明さ。
俺には、爺ちゃんと婆ちゃんが居る。でも父親母親、兄弟姉妹が居ない。それで悲しいとは思ったことがない。
悲しいと思ったら、爺ちゃん婆ちゃんが悲しむ、という気持ちが少しはあったのかもしれない。でも爺ちゃんと婆ちゃんが生活も心も不自由させなかったのは確かだ。
だけど、存在しない存在は誰も創り出すことは出来ない。
優愛ちゃんと凛恋を見ていて、もし俺に妹や姉が居たら二人のように仲良く話して時々口喧嘩をして、それでも仲良く笑い合っていたのだろうかと思う。
それにミクちゃんと両親、それから溝辺さんの両親を見て、両親が居たら甘えたり怒られたりしたのだろうかと思った。
そして、凛恋の『やっぱ、お父さんとお母さんが一番よね』という言葉。それが、一番心に響いた。
別に辛くなったとか悲しくなった訳じゃない。単純に羨ましく思った。
凛恋の言葉は、両親の良さをよく理解している人しか出ない言葉だと思う。だから、凛恋は両親の良さをよく知って育ったのだ。それが本当に羨ましいと思った。
俺は兄弟姉妹が居る楽しさを知らないし、両親の良さも知らない。それらは俺がどう足掻いたって知ることは出来ないだろう。
「そういう顔してる時の凡人はあんまり見たくない」
「凛恋?」
隣でたこ焼きを飲み込んだ凛恋が、水平線の先を眺めて口にする。
「そういう顔してる時の凡人は、何を考えてるかよく分かんない。それに、凄く遠い存在の人に見えて寂しい」
「そうか?」
「うん。でもそういう凡人が嫌いって訳じゃないの。そういう凡人のことを分からない自分が嫌いって言うか。そういう顔の凡人に何も出来ない私が嫌い、かな」
「俺は凛恋に自分を嫌いになってほしくはない」
凛恋が俺のせいで自分を嫌いになるなんてあってはいけない。俺はそんな思いをさせるために凛恋の側に居るわけじゃない。
「だってさ……どうやっても、その顔してる凡人に近付けない気がするから」
「……羨ましいなって思ったんだ」
俺は凛恋の寂しそうな表情を見て、耐えられなくなった。凛恋の寂しそうな表情を無くすには、凛恋が分からないことを分かってもらうしかないと思った。
「羨ましい?」
「凛恋は両親が居るし優愛ちゃんっていう可愛い妹も居る。さっきのミクちゃんも優しそうな両親が居た。それを羨ましいと思った。それだけの話だ。だから、凛恋が自分のことを嫌いになるようなことじゃない」
「ごめん……私、凡人にそんな顔をさせるつもりじゃなかったのに」
防波堤の上に置いた俺の手の上に、凛恋の手が重なる。そこから凛恋の温かさと、震えが伝わった。
お互い、そんなつもりじゃないのは分かってる。相手を傷付けるために、相手を悲しませるために話した訳じゃない。
凛恋は俺のことを気遣ってくれた。そして俺は凛恋に心配を掛けたくなかった。
だから、二人が相手を想い合った結果…………何かがズレた。




