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+-∞  作者: チキンフライ
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【一四《言えないことと言えること》】:二

 中庭にばら撒かれた俺への中傷ビラのバラ撒き犯は、案外すぐに特定された。ばら撒いた犯人の目撃証言があったのだ。


 そして、その犯人は今、生徒指導部の部屋に置かれたパイプ椅子に座らされている。

 目の前には、木目調の長机を挟んで生徒指導部の教師が座っていた。


「何故こんなことをやった」

「……やってませんけど」

「お前が一人で紙をばら撒くところを見た生徒が居る」

「誰ですか」

「名前を出すわけにはいかん」


 放課後、俺は生徒指導部に呼び出された。

 目の前に生徒指導部の末恐ろしい風貌の教師、そして少し離れた場所には別の若い教師が腕を組んで立っている。


 木目調の長机を挟んで、生徒指導部の教師の向かい側に座った俺は、疑われている。

 自分自身を誹謗中傷したビラをばら撒いたマゾヒストだと。


 俺にはそんな趣味は無いのだが、証拠として扱われている目撃者の証言がもの凄く信頼されているらしい。

 だから、もうこの部屋に来た時は既に俺が犯人だった。


 俺は良いこともしないし悪いこともしない。

 だから、教師達からすれば関心に上らない生徒だろう。だから当然、俺を信頼出来るか出来ないか判断する材料を持ってない。

 それで、集まった証拠で判断するしかないのだ。


 いつもなら、凛恋と帰ってゲームしてる頃だが、栄次に凛恋には上手く言っといてくれと言っておいた。

 まあ、いわゆる状況を丸投げしたようなものだが、急に呼び付けられたのだから、そう伝えるだけで精一杯だった。


「俺がこんなことやって何の意味があるんですか」

「それを今お前に聞いてるんだ」


 話にならん。

 正直「俺がやりました」と言って適当に反省文かトイレ掃除かで済むならそれでもいいのだが、もし放課後を何日も潰されるなら御免だ。

 今日も凛恋との時間を潰されているし。それに下手をすれば、時期的に夏休みを何日か潰されかねない。


 窓から射し込む太陽の光りが傾いている。今日はもう凛恋とは会えなさそうだ。


「多野。お前は成績も良いだろう。期末では学年二位だった。なのになんで」

「いや、だから俺、やってませんし……」


 いったい、いつまでこの押し問答を続ければいいのだろう。


 教師の方はその目撃者とやらをとても信じ切っているようだし、話がこのまま平行線になるのは目に見えている。

 その目撃者の話の信ぴょう性を考慮しなければ、向こうには俺がやったという証拠がある。だが、俺にはやってないという証拠がない。

 証拠の有無だけ考えれば俺の方が不利だ。


「多野、いい加減に認めたらどうだ」

「認めても良いんですけど、その場合処分は何になるんですか? 出来れば放課後とか夏休みを潰さないでほしいんですが」

「お前ッ! 他人に迷惑掛けてその言い草はなんだ!」

「どうしても俺を犯人にしたいみたいなので、俺が全ての罪を被りますよ。正直、俺の言い分は一切聞いてもらえないみたいですし、時間の無駄でしょ。宿泊研修の時も俺の意見を聞かなかったし」

「教師に向かってその態度はなんだッ!」


 室内の空気がビリビリと震えるような怒号が響き、耳にキンキンとした耳鳴りが聞こえる。

 認めたら認めたで怒られるなんて、もう俺はどうすればいいんだ。


 俺は机の上に置かれた紙を見て、書かれている内容を見る。

 朝見た通り、タバコと酒と深夜徘徊をしていることはもちろん書かれている。

 後は、小中学校でいじめられていたこと、それに例のごとく親に捨てられたことも書かれていた。


 刻季には中学が同じ奴が何人か居るから、そいつ等から話が広がればみんな知ってても不思議じゃない。


「そもそも、俺がコピーしたとして、いつばら撒くんですか。俺が学校に来た時には既にばら撒かれた後だったんですけど」

「それは知らん」

「知らんって……。よく分かんないのに俺、犯人にされてるんですか……」


 今すぐに体を布団の上に投げ出してだらけた声を出してふて寝したい気分だ。


 俺は拾い集められたビラをペラペラと捲って、一つの紙で手を止める。

 その紙は学校の印刷物で使われる再生紙ではない、綺麗な上質紙だった。


 その上質紙の両面は同じ俺のことを中傷した内容に見える。しかし、書かれている内容が少し違った。


 違っている内容は、俺が凛恋を脅して無理矢理付き合っているという内容。

 それが、裏面ではごっそり削除されている。しかも、凛恋について書かれている方は、いわゆる話し言葉風の文章なのだが、裏面は公用文のような文章に校正されている。

 明らかに、両面で書いた人間が別だ。


「これ、表と裏で書いた人が違います」

「何? なっ……し、しかしこれだけではお前がやってないというしようとにはならん」

「その目撃者、俺が”一人”でばら撒いたって言ってたんですよね? なんで、一人を強調したかったんでしょうね」

「なっ!」

「じゃあ失礼します」


 俺が椅子から立ち上がっても止める声は聞こえない。

 それで、少なくとも俺を犯人とは決め付けられなくなったのだと判断した。

 生徒指導部の部屋を出て、ハァーっと息を吐いた。


「凛恋にどう話せばいい……いや、凛恋には話せないな」


 流れで持ってきたさっきの紙を見詰める。そして折り畳んで制服のポケットに入れた。

 もしかしたら、生徒指導部は不問にして有耶無耶にするかもしれない。でもその方が良いのは間違いない。


 校正される前と後の文章の違いを見れば明らかだ。


 校正した人物は凛恋に関しての言及を載せたくない人物で、公用文が書けるくらいの知能がある人間。

 まあこの場合公用文が書けることは置いておいてもいい。問題なのは凛恋が関わっていることだ。


 おそらく、ほぼ男の勘でしか無いが、校正した奴は男。しかも凛恋に好意がある。


 今回の件のあらましを表現するなら、自分の好意を寄せている凛恋と付き合ってる俺の評判を落としたかった。ということだろう。

 凛恋に関する記述を削除したのは、凛恋個人を騒動に巻き込まないためだ。


「刻雨の奴だろうな」


 刻季で生活していれば、俺の評判を落とそうなんて考えるはずがない。

 そもそも俺には落ちるほどの評判が無いからだ。むしろこれ以上落としようがない。

 だから、刻季での俺を知らない人間。そして凛恋と繋がりのある人物。


 もちろん、俺の想像の域を出ないのは分かっている。

 凛恋は交友が広いから、刻雨とは全く関係ない人間かもしれない。


「凛恋を好きな奴が、凛恋を好きな奴に協力するとも思えないから、最初に文章を作った方はとりあえず俺を陥れたかっただけか?」


 同じ人を好きな奴はライバルになる。普通はライバルに協力しないものだ。

 そう考えると、文章を考えた黒幕は凛恋を好きな他校生。そして、実行犯は凛恋が好きなわけではないうちの学校の奴になる。


 多分、俺の評判を落とすという一点の目的が合致したから協力したのかもしれない。

 しかし、実行犯は今更なんで俺の落ち切った評判を落とそうなんて考えたんだろうか。


 いや……理由については考えても仕方が無い。

 他人の考えなんて、他人と関わって来なかった俺には分かるはずもない。

 それに、自分の常識外の行動を取る人間の行動理念なんて、理解しようがない。


 靴を履き替えて校舎を出ると、既に下校ラッシュの時間帯は過ぎているから、中庭には生徒は人っ子一人居ない。

 視線の先に、石膏像が一体寂しく奇妙なポーズを相変わらず披露している。


 校門から出て、とりあえず凛恋に電話するためスマートフォンを取り出そうとした時、左手を横から掴まれる。


「凛恋!? なんでこんな暑いのに――」


 俺の手を掴んだ凛恋の姿を見て、驚いて声を上げる。

 もう日差しは夏のもので、こんな日を遮るものがない場所に居るなんて、熱射病になってもおかしくない。


「ここで待ってるって、凛恋が聞かなくて」

「赤城さんまで!? 栄次ッ!」


 明らかに日差しで汗を掻いた二人を見て、その二人の後ろに居た栄次の名前を乱暴に呼ぶ。

 すると栄次は苦笑いを浮かべて、困ったように肩をすくめた。どうやら一応は止めたが凛恋が話を聞かなかったらしい。


「凡人、帰るわよ。喜川くん、希、一緒に待っててくれてありがとう。でも、私と凡人はこのまま凡人の家に行くから。ごめん」

「ううん、大丈夫。私も多野くんのことが心配だったし」

「俺達のことは気にしないで」


 二人が手を振るのを見ると、凛恋は左手を引っ張って歩き出す。


「ちょっ、凛恋?」


 問答無用で腕を引っ張られ、栄次と赤城さんに挨拶する余裕もなく歩き出す。

 日が傾いているとはいえ、気温は高くムッとした空気が体に纏わり付く。


 出歩く人達も日傘を差したり、空に向かって不機嫌な視線を向けたりと、思い思いの方法で暑さを紛らわしている。

 そんな中、凛恋はいつの間にか走り出していて、手を引かれる俺も一緒に走る。


 毎日歩き慣れた道を、凛恋は一切迷うことなく抜け、涼し気な敷石舗装の道を走って、俺の家の門を開ける。

 玄関の扉が閉まっているのを確認すると、凛恋は俺に道を空けた。


 玄関の鍵を解錠すると、凛恋はいつも通り静かに上がって靴を揃え、台所に向かっていく。

 俺も凛恋の後を付いて歩くと、凛恋は台所でいつも通りお茶の準備をしていた。

 でも、いつもより準備を終えるのが早い。


「部屋行こ」

「あ、ああ」


 そう短く言う凛恋に返事を返して、既に部屋まで歩いて行っている凛恋の背中を追う。

 部屋に入ると、凛恋はテーブルにコップを置き、いつもの場所に腰を下ろした。俺は冷房のスイッチを入れて、凛恋の隣に座る。


「……凡人はいつも通り全然気にしないって分かってた。喜川くんも、私との時間潰されて不機嫌になってはいるだろうけど、落ち込んでることは無いって言ってた。もちろん私も、凡人がダラケた顔で出てきて不満を一つくらい言ってはい終わり。だと思ってた。……でもさ、やっぱ私には無理」


 俺の右手を握った凛恋が顔を俯かせて、右手で顔を覆った。


「なんで、凡人なのよ……。何も悪いことしてないじゃん。なのに、なんで凡人ばっかり悪く言われなきゃいけないのよ……」

「分からないけど、理由を考えても、その考えた理由を潰しても、また新しい理由が出来るんだ。だから考えるだけ無駄だな」


 俺はポケットに入った紙を見せるのはマズいと思った。こんな状況で見せたら、凛恋をもっと辛い目に遭わせる。


「凡人はホント凄い。なんでそんなに強くなれんのよ……」

「慣れ……と、凛恋が隣に居てくれるからかな」


 自然と凛恋の肩を抱き寄せて抱き締めていた。凛恋の体を抱き締めると、生徒指導部の取り調べで溜まった疲労が一気に体から抜け出る。


「凡人……そ、その……汗、掻いてるから……」

「大丈夫だ」

「わ、私が大丈夫じゃないって……」


 凛恋の汗の匂いが漂ってきて、全身がカッと熱くなる。

 ついその匂いを嗅ぎたくて鼻を凛恋の首筋に近付けると、凛恋の両手が俺の両肩を押して引き離す。


「せ、せめてシャワー浴びさせて。凡人のスイッチ入っちゃう前に」


 俺を引き離した凛恋は、スッと顔を近付けて軽いキスをすると、嬉しそうにはにかんだ。


「もうちょっとだけ、我慢してね」



 グッタリとした、でも心地良い疲労感。それを全身に感じながら、俺は目の前に横になっている凛恋を見る。

 俺のハーフパンツとTシャツを着た凛恋は、俺の顔を見てニッと笑う。


「まさか、夏休み前にスッピンを見せることになるとは思わなかった」

「凛恋って、化粧してないと顔が幼く見えるな」

「子供っぽいでしょ?」

「いつもと雰囲気が違って新鮮だが、可愛い」

「……よかった」


 布団の中でモゾモゾと動く凛恋は、俺のシャツを掴んで額を胸に当てる。


「……あーあ」

「ん?」

「凡人を慰めようって思ってたのに、やっぱ慰められるの私なのよね。凡人はいっつもそうやって格好良くてさ。ズルくない?」

「ズルいと言われても」

「ズルいわよ。いっつも凡人に元気付けられてばっかりで、なんか私ばっかり凡人に寄り掛かってるだけじゃん。彼女なんだから、私だって彼氏の力になりたいし」


 そう言う凛恋の頭を撫でて、口を開く。


「凛恋は俺に出来ないことをしてくれるだろ」

「凡人に出来ないこと?」

「俺は料理が出来ないから、婆ちゃんが居ない時はいつも昼飯を作ってくれる。栄次と赤城さんと話してる時も話題振って盛り上げてくる。それに俺の代わりに俺のことで悲しんでくれる」


 凛恋は俺に欠けている、無いものを持っている。

 凛恋は俺の力になれてないなんて言っているが、実際、凛恋は俺の意味に、根拠になっている。


 何かを行動する時、いつも凛恋が居るから、凛恋が喜ぶから、凛恋のために、そうやって行動することが圧倒的に増えた。

 そしてそれはもちろんポジティブなことばかりで、それは本当に、凛恋と出会うまでは考えられなかったのだ。


 凛恋は俺の人生を変えた人だ。力どころの話じゃない。


「俺が拒んでも凛恋は俺に歩み寄ってくれた。それだけでも、十分過ぎるのに、俺のことを好きになってくれた」

「私は最初っから凡人のこと好きだったし。……凡人は何にも悪くないからね。私だけじゃなくて、希も、もちろん喜川くんも思ってる」


 凛恋の手が背中に周り、グッと俺の体を引き寄せる。凛恋の体は、何度抱き締めても柔らかくて温かくて、細く儚く弱々しかった。

 その凛恋の体をもう一度強く抱き締める。


「凛恋、ありがとう」

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