【一三《確かにあるもの》】:二
放課後、俺は『人と関わって良いことなんて無い』という自分の言葉を思い知った。
日頃入る用事のない職員室の中には沢山の事務机と事務椅子が並び、沢山の教師がダラダラ、セカセカ、人それぞれ動いている。
その職員室の窓際の席に連れて来られた俺は、目の前に差し出された紙を見た。
「同地域他校間交流を目的とした宿泊研修参加要請のご案内」
一際大きい文字で書かれたタイトルらしき文字を読み上げる。読み上げただけで頭が痛くなってきた。
なんだこの、無理矢理それらしい言葉を集めたようなタイトルは。いったい誰がこんなバカみたいな企画を考えたんだ。
「この宿泊研修はうちの生徒会が主導で企画したもので、俺が責任者になっている」
うちの高校の生徒会はこんな頭が悪そうな企画を考えて何がしたいんだろう。
他校間交流なんてしたければやるし、したくなければやらない。そもそも企画してまでやらせる必要のあることじゃないはずだ。
「それで、うちの生徒会は全員運営に回るのだが、うちからの参加者が少ない」
俺はそれを聞いて、宿泊研修の日程を見る。終業式があった次の日から一泊二日。そして場所は、中学の頃に宿泊学習で使った、
山の中にある宿泊施設だった。ということは、夏休みに入って早々、行事で二日潰されることになる。
そう考えると、参加者が少ないのは納得出来るし、少なくても参加者が居たことが奇跡だ。
「うちが主催している以上、他校より参加者が少ないわけにはいかない」
まあ、言い出しっぺなのに参加者が少ないと、学校の面子とやらに影響するのだろう。
「それで参加締め切りが迫っててな。多野、とりあえずこれに名前を書け」
「……遠慮します」
夏休み入って早々に、二日間宿泊研修で山の中に連れて行かれるということは、二日間凛恋と会えないということになる。それは嫌だ。
「じゃあ代わりに俺が書いて提出しておく」
「それはちょっと……」
「多野くん、宿泊研修って言っても、他の高校の人と仲良くしようってことだから、友達とのお泊まり会だと思えば楽しいでしょ?」
でしょ? と言われても、友達とお泊まり会なんてしたことが無い。いや、そもそも中学の頃はお友達居なかったし。
「とりあえず、決定な」
「いや、だから」
「話は終わりだ。もう帰っていいぞ。さあ、これから職員会議がある。出てった出てった」
無理矢理職員室の外に追い出され、俺はボーッと職員室の扉を見て立ち尽くす。
「宿泊研修、楽しみだね」
そう隣でニコニコ笑う先輩に、俺は当然愛想笑いを浮かべることなく無言で頭を下げて立ち去る。
どうして俺がこんなことにならなきゃいけないのだ。
学校生活では良いこともしてないが悪いこともしてない。
むしろ期末考査では良い成績だったから、全く問題視されるようなことはしていないはずだ。それに、凛恋にどう説明しよう。
夏休みの期間は四〇日程ある。研修はそのうちの二日だけだが、凛恋はとても夏休みを楽しみにしていたのだ。
それを始まって早々、出鼻をくじかれるように潰されてしまった。
あの教師の感じでは、とりあえず体裁として人数が欲しい感じだったからこのまま無理矢理押し通すだろう。変に反発して揉め事を起こす訳にもいかない。
「一人が心細かったら、お友達を誘ってみたら? 昼休み一緒に話してた」
「いや、あいつは宿泊研修に参加するような奴じゃないんで」
栄次を巻き込む訳にはいかない。栄次だって夏休みは赤城さんと楽しみたいはずだ。
それを学校行事で潰させるなんて、栄次と赤城さんのことを考えたらさせるなんて選択肢は無い。
「私ももちろん参加するから」
「……あの、なんで俺だったんですか? コンビニの件があったからですか?」
「うん、多野くんは優しい人だから断らないかなって」
屈託の無い笑顔を浮かべて言う先輩に、心の中で深くため息を吐く。これは面倒な人と関わってしまった……。
下駄箱で靴を履き替えて校舎を出ても、隣には何故か先輩が付いてくる。いや、もう精神が擦り減っているから一人にしてくださいお願いします。
「多野くん、この後暇?」
「いや、約束があります」
「昼休みの友達?」
「いや、俺のか――」
「カズ!」
校門の方から栄次が走って来て、俺の肩に手を置く。表情は少し心配そうにしていた。
「カズ、話は何だったんだ?」
「ああ、その件は後で説明する。とりあえず行こう。じゃあ、俺達はこれで」
栄次の登場は助かった。これで自然と帰れる。何だか絡んでくる先輩も流石に栄次が居れば――。
「何処か寄るの? 私も一緒に行って良い?」
「は?」
ニッコリ笑って首を傾げる先輩に、俺は思わずそう聞き返す。
空気の読めない俺でも、ここは付いて行ける場面じゃないと分かる。この人、もしかして俺より空気が読めない人なのか?
「ダメ?」
「あの、先ぱ――」
「凡人」
左腕が引っ張られ、校内と校外の境目である校門の外へ引っ張り出される。そして、すぐ隣には凛恋が立っていた。
「お疲れ、凡人」
「お、おお。お疲れ凛恋」
俺はニッと笑った凛恋の笑顔に違和感を抱く。
……何か、怒ってる?
「凡人、その人、誰?」
「え? ああ、二年の先輩だ。名前は――」
「初めまして、田丸栞です。あなたは?」
「初めまして、八戸凛恋です。あー、凡人、ちゃんと学校が終わったら指輪付けてよ。ほら、早く!」
「あ、ああ、ちょっと待ってくれ」
何故か急かされ、生徒手帳に挟んだペアリングを取り出して左手の薬指にはめる。すると凛恋は俺の左手を右手で持ち上げ、自分の左手と並べる。
「やっぱペアリング嬉しい」
「そ、そうか」
改めてそう言われ、どうコメントすれば良いのか分からず、無難な返答しか出来ない。
いつも通りの凛恋に見える。でも行動が少しいつもと違う。指輪をはめさせたり、それを改めて比べたり、後はずっと俺の腕を抱き締めている。下校中の生徒でごった返す校門前で。
「そういうことなんで、失礼します」
凛恋が丁寧に頭を下げた後、思いっきり腕を引っ張って校門から離れていく。やっぱりおかしい。こんな荒々しく引っ張るなんて初めてだ。
「またね、凡人くん」
後から先輩の声が聞こえた瞬間、俺の手首を掴んでいた凛恋の手に、グッと力が入った。
テーブルを挟んだ向こう側に、凛恋と赤城さんが座り、少し離れた所に栄次が座る。
栄次の表情はとても居心地が悪そうで、俺達から視線を逸らすためか、日頃読まない漫画を読んでいる。
凛恋の隣に足を崩して座っている赤城さんは、凛恋を見て苦笑いを浮かべた後、俺に気遣うような柔らかい笑みを浮かべてくれる。
そして、その隣に居る凛恋は、明らかに怒っていた。
胸の前で両腕を組み、テーブルを挟んで反対側に居る俺を睨み付けている。
いったい、俺が何をしたって言うんだ。
「凡人、あの女誰よ」
「あの女?」
「仲良く一緒に出てきた女子よっ!」
テーブルの天板をバシッと叩いて詰め寄る凛恋に、俺は思わず顔を引きつらせる。こ、こえーよ、めちゃくちゃこえーよ凛恋。
「い、いや、誰と言われてもな」
とりあえず、先輩が働いていたコンビニであったことの次第を詳細に説明する。そして、今日巻き込まれた宿泊研修についても説明した。
俺の説明が終わると、凛恋はコップに注がれたお茶を一気に飲み干してゆっくり息を吐いた。
「マッジあり得ないッ! ふざけんじゃないわよ、あのクソ女ッ!!」
部屋どころか家を震わせるような怒鳴り声に、俺の体はガチガチに固まる。視界の端では、凛恋の怒鳴り声に驚いた栄次が漫画を床に落としていた。
「凛恋、言葉遣い」
「言葉遣いなんて気にしてらんないわよッ! 凡人の人の良さに漬け込んで好き勝手しやがってッ! マジ許せない!」
「私もあの人の行動はどうかと思うけど、多野くんじゃ断り切れないよ」
「分かってるわよ! 凡人は一ミリも悪くないッ! 変な客に絡まれてる店員さんを助けるとかめっちゃ格好良いじゃん! チョー惚れ直したしッ! でもそれでこんな強引な手を使って来るなんてふざけんなってのッ! あっちがその気ならこっちも考えがあるわ!」
おもむろに凛恋が立ち上がり部屋から出て行く。そして、戸が閉まる音を聞いて、俺は大きく息を吐いた。
「……心臓、止まるかと思った」
「……相変わらず、怒ると八戸さん怖いな」
栄次が隣に座って引きつった笑みを浮かべる。目の前で聞かないように離れてたくせによく言う。
「栄次もちゃんとカバーしてくれないと。凛恋に頼まれたでしょ、協力してって」
「ご、ごめん」
栄次は赤城さんにそう言われてシュンとうなだれる。
「すまん、栄次。俺のせいで栄次まで怒られて」
「いや、大丈夫だ」
「それと、多野くんも。凛恋を泣かさないで」
「え?」
俺は、俺を真っ直ぐ見て赤城さんに言われた言葉に頭が真っ白になった。
「凛恋。栄次に、多野くんが職員室に呼ばれたけど理由は分からないって聞いて、もの凄く心配してた。それでやっと出てきたと思ったら、知らない女子が隣に居て、涙は頑張って堪えてたけど、心の中で泣いてた」
「凛恋が……」
「多野くんも凛恋の立場になって考えて。もし凛恋が職員室に呼び出されて、やっと出てきたと思ったら、多野くんの知らない男子と歩いてたらどう思う?」
「…………呼び出されたことを凄く心配するし、男と歩いてたら凛恋が他の男に取られたかと思う」
「凛恋も同じだったの。だから多野くんもちゃんとして。私、凛恋を悲しませたら多野くんのこと、絶対に許さない」
静かに、落ち着いた口調で発せられるその言葉に、明確な怒りが込められていた。でもその怒りは落ち着き過ぎて、余計恐ろしかった。
「ごめん……」
「ごめん、用事が終わったか――凡人!? ど、どうしたのよ?」
「ごめんね凛恋。多野くんのこと、怒っちゃった」
「えっ!?」
凛恋が目を見開いて俺を見る。そして、急に心配そうに俺の前にしゃがみ込んだ。
「だ、大丈夫? 希って怒ると凄く怖いから」
「い、いや、怒られて当然のことをしてしまったからな……」
「栄次、帰ろ」
「あ、ああ」
赤城さんの声に栄次がサッと立ち上がる。俺は二人を見送ろうと立ち上がったが、赤城さんに手で制された。
「私達はいいから凛恋と一緒に居て。じゃあ、またね」
「あ、ああ」




