【一二《至要たる存在》】:一
【至要たる存在】
無くなったら困るもの。そう聞かれて思い浮かぶものには何があるだろうか。
酸素にお金、それから水道や電気と言ったインフラストラクチャー、通称インフラは無くなったら困るものだろう。後は人によってはスマートフォンとか音楽とか趣味の物を挙げる人も多いかもしれない。
かく言う俺が今、無くして困るものと言えば、それは絶対に凛恋だ。
布団の中で、スマートフォンを取り出して画面を見る。画面には、昨日来た凛恋のメールが表示されている。
『せっかくの休みなのに、凡人と会えないとかマジあり得ない! 散々駄々こねたんだけどダメだった……』
シュンとした顔文字が添えられたそのメールに、俺はうつ伏せ状態でスマートフォンを畳の上に伏せて置く。
凛恋は今、親戚の集まりに参加するために何処かへ遠出している。だから、この土日は会えない。
寝返りをうって天井を見詰める。そして、自然と大きなため息が出た。
凛恋と付き合い始めてから、俺と凛恋の関係はとても深くなった。もちろん、深くなったと思っているのは俺だけかもしれないが。
付き合う前からも、俺は凛恋と毎日ゲームしたり適当に話したりと、何かと一緒に居る機会が多かった。そのせいか、こうやって凛恋と会わない日を経験すると、心にポッカリと穴が空いた感覚を覚える。
凛恋と出会うまでは、休日も平日も一人で過ごすものだった。それがいつの間にか、凛恋と一緒に居るのが当たり前の日常になっていた。
急にその日常が昔の日常に引き戻されると、凄く寂しく感じる。
「――ッ! 凛恋!? …………もしもし」
『何だよカズ。そんな不貞腐れた声で』
「用がないなら切る」
スマートフォンが震えた一瞬、凛恋からかと期待した俺は、電話のアイテが栄次で心底ガッカリした。
全く、空気を読めよ、栄次のアホ。
『八戸さんと会えなくて寂しがってるんじゃないかと思ってな』
ニタニタ笑う栄次の顔が容易に想像出来る声と、完璧な図星を突いた言葉のコンビネーションで、物凄く腹が立ってくる。
「生憎だが、のんびり休みを満喫してる」
いや、この土日はまた爺ちゃんと婆ちゃんが家を空けてるから、一人でのんびりという方が正しいか。
『今日、一緒にどうだ?』
「気を遣うな。凛恋が一緒ならまだしも、恋人同士と男一人なんて拷問を俺にさせたいのか。二人っきりで楽しんで来いよ」
『メールくらいなら、大丈夫じゃないのか?』
「何がだよ。前も言ったが脈絡を考えて――」
『メールするくらいなら、八戸さんも喜ぶと思うぞ』
「…………いや、家族の時間を邪魔するわけにはいかん」
『別に、邪魔なんて――』
「俺は一眠りするから切るぞ。それと最低でも赤城さんとの待ち合わせ、五分前には着いとけよ」
そう言って電話を切り、スマートフォンを再び畳の上に伏せて置く。
俺には、家族の用事とか、親戚の用事が分からない。
昔から、物心付いた頃から、俺は爺ちゃんと婆ちゃんに育てられた。だから、爺ちゃんと婆ちゃん以外の家族や親戚を知らない。
当然、お父さんお母さんと何処かへ出掛けたり、親戚の人で集まったりなんて行事の経験は無いのだ。だから、よく分からない。
よく分からないことには下手に手を出せない。
もし下手にメールなんかを出して、凛恋がスマートフォンをイジってる場面を見られた時、悪い印象を持たれるかもしれない。
それは凛恋にとって良くない印象で、そんな凛恋に対する印象を持たせるわけにはいかない。そしてそれが俺のせいだなんてあり得ない。
凛恋からメールや電話が来れば遠慮なく出来るが、やっぱり自分からというのは躊躇ってしまう。
「今日、何しよう……」
枕に顎を載せて今日の予定を考える。しかし、前までなら何かとダラダラして過ごせていたはずなのに、今は何かやることを考えなければ時間を持て余している。
ふと視線をゲーム機に向けて思い出す。そういえば、昨日凛恋とゲームをした時に、回復アイテムを使い切ったのを思い出した。
前やっていたゲームをクリアし、新しいゲームを始めたのだが、凛恋は不慣れなせいかよく敵の攻撃を受けてしまう。だから、回復アイテムの消費が激しいのだ。
「マラソンするか」
ゲーム関連の用語で『マラソン』というものがある。このマラソンはもちろん、長距離走のマラソンを語源としている。
ゲーム用語でのマラソンは大きく二つの意味があり、一つは長時間何かをし続けることの意味。そしてもう一つは、敵を引き付けて走り回る戦術を指す意味だ。
ゲームでよく使うレベル上げという言葉もマラソンの一種で、同じ敵を何度も倒して経験値を集める行為になる。
今回の俺がしようとしているマラソンは、回復アイテムを集めるマラソンだ。
ゲームの中では敵を倒した時に手に入るアイテムをドロップアイテムと言い、そのドロップアイテムが回復アイテムの敵を狙って乱獲し、更に倒した時に手に入るゲーム内通貨で回復アイテムを買えば効率が良い。
しかし、それには問題がある。それは回復アイテムマラソンをするとレベルが上がってしまうことだ。
回復アイテムマラソンは敵を倒して回復アイテムを集めるから、当然敵を倒した際の経験値が入ってしまう。だからレベルアップして当然なのだが、凛恋は極端にレベルが高い状態でのクリアが好きじゃない。
ゲームによって変わってはくるが、レベルが上がればキャラクターの攻撃力は上がるし防御力も上がる。だから、大抵の敵はレベルを上げてしまえばどうにかなってしまう。
もちろん、やり込み要素である隠しボス等はそうじゃないが、今やってるところは隠しボスでも何でもない普通のボスだ。
「そういえば、昨日、取得経験値ゼロの装備を手に入れてたな」
どうしようかと考えた時、装備すると経験値を取得しなくなるアイテムの存在を思い出す。それを使えば、レベルを上げずに回復アイテムを集められる。
「よーし、やるかー」
手を伸ばしてモニターとゲーム機の電源を入れて、俺は大きな欠伸をしながら回復アイテムマラソンを開始した。
結果から言うと、回復アイテムは持ち歩ける上限数に達した上に、アイテム倉庫という持ち切れないアイテムを保管して置く所の上限数にも達した。
元々、レベル上げに始まるゲームでのマラソンが苦じゃなかったことに加え、凛恋が喜ぶ姿を想像しながらやったことが大きく影響した。
まあやったことはただゲームのアイテムを集めただけだが。
「午前中丸々使わずに終わるとは思わなかった」
スマートフォンの時計を見て現在時刻を確認すると、もうすぐ昼という時間。また午後からは別のやることを考えなくてはいけない。
「昼飯は……コンビニだな」
婆ちゃんが居なければ昼飯は決まってコンビニ弁当だ。何処か外で食べるという選択肢が無いわけではないが、一人で人の多い場所で飯を食べるなんて苦行過ぎるから無しだ。
ノソっと布団から起き出て、欠伸を噛み殺しながらジーパンとTシャツを引っ張り出して着替える。
財布と鍵を持った俺は玄関から外に出て戸締まりをし、コンビニを目指して歩き出した。
今頃、凛恋は何をしているだろうか。多分家族や親戚と楽しくやっているのだろう。
細い道を抜け、大通りに出ると車道を走る車の音が絶え間なく響いて気持ちがいい。やっぱり、適度な雑音というのは心に大切だ。
スマートフォンを見て凛恋からメールも着信も来てないことを確認してため息を吐いた。ダメだ、凛恋のことが気になって仕方がない。
親戚同士で集まったら、どんなことをするんだろう。最近どうなの? とか話したりするのだろうか?
「世話好きのおばさんが見合い話とか持って来たりしてな。…………大丈夫、だよな?」
自分で冗談を口にして、自分で不安にしてしまう。
凛恋は炊事洗濯が完璧な家庭的女子だ。嫁に欲しいと思う男は沢山居るだろう。それに何しろ一六歳の女子高生だし若い。
「いやいや、流石にそれはない。いくら若いって言っても高校生だからな」
しかし、世の中には許嫁というシステムが存在する。いや、今の時代は本人の同意がなければ結婚は出来ない。
いやでも、相手の方が乗り気でトントン拍子に話が独り歩きして、凛恋が断れない状況に陥っていたら、そもそも凛恋は一六なのだし結婚することは出来る。
「無い無い。そもそも凛恋は俺と付き合ってるんだ」
だが、相手の男がどこぞの大企業の御曹司で、金の力で凛恋を追い詰めて、無理矢理、凛恋と結婚しようなんてことを考えたら。
そう考えていると、背中にゾゾっと寒気が走る。
いや、そんな非現実的な話があるはずない。
……あるはずないとは思うが、俺は凛恋の親戚のことを全く知らない。
もしかしたら……万が一……。
「ん? ――ッ! 凛恋!」
ポケットの中で震えていたスマートフォンを取り出して画面を見た瞬間、思わず声を上げてしまった。凛恋から電話が来た。
「もしもし凛恋!? 大丈夫か!?」
『ちょっ、凡人、声おっきい』
「ご、ごめん……」
『それと、大丈夫って、凡人はいったい私が何をしてるかと思ったのよ』
「いや、遠出だし事故とか怪我とか病――」
『嘘ね』
ごまかしたらすぐバレた。
『正直に言いなさい』
「……大企業の御曹司とお見合いさせられて、金の力で無理矢理結婚させられそうになってるんじゃないかと心配になった」
凛恋にごまかしは通じないから、恥を凌いで正直に考えていたことを話した。
そして、長い沈黙があった後、凛恋の大きな笑い声が電話から聞こえてきた。
『アハッ、アハハハ! お見合い? 結婚? いったいどうやったらそんな単語が出てくるのよ』
「笑うなよ」
結構……いや、かなり真面目に心配したのだ。笑われると気恥ずかしさで押し潰されそうになる。
『ごめんごめん。凡人が心配してくれてるようなことは何にもないわよ。強いて言えば、いとこ達の昼ご飯作らされて大変だったくらいかな』
「凛恋の手料理を食うとは、羨ましいな、いとこ」
凛恋は休日に俺の家に来た時、爺ちゃんと婆ちゃんが居なければ簡単な昼飯を作ってくれる。
それが凄く美味くて、正直今週も凛恋の手料理が食べられると期待していた。だが、現実はコンビニ弁当を買いに行く状況だ。
『私だって凡人に作りたかったわよ。しかも居ても座って話を聞いてるだけだし。……ハァー、凡人に会いたいなー』
「……俺も凛恋に会いたい」
『えっ?』
「えっ? って言われてもな。ここ最近、凛恋と遊ぶのが日常化してきてたから、急に一人にされても何していいか分かんなかったぞ。あっ、回復アイテム集めといた。それと、経験値ゼロの装備でやったからキャラのレベルは上がってない」
とりあえず午前にしたことを報告する。ついでに午後は何すればいいか聞いてみよう。凛恋に聞いても仕方のないことだが。
『凡人、私が居なくて寂しくて、それで私のためにアイテムを集めてくれたの?』
「ん? ああ、凛恋が居ないと寂しい。アイテム集めも凛恋が喜ぶか――」
『チョー嬉しい! ああもうっ! なんでこんな時に私はいとこの昼ご飯作ってんのよっ!』
何やら怒り出した凛恋に困惑していると、電話の向こうから凛恋の優しい声が聞こえてくる。
『お見合いなんてあるわけないから安心して。それにペアリングを付けてたら、散々彼氏はどんな人って冷やかされたわよ。だから、チョー格好良くて優しい彼氏って言っといた』
「変にハードルを上げるなよ」
『そんなことないわよ。あっ、そろそろ切らないと。…………凡人』
「ん?」
『大好きっ!』
その声の後、電話は切れて、ツーッツーッという電子音が鳴っていた。
スマートフォンをポケットに仕舞うと、体が凄く軽くなったような気がして、心配で消え失せていた食欲も出てきていた。
「大好き、か」
凛恋にそう言われるだけで、心が温かくなる。俺は相当凛恋のことが好きなのだ。
ふと、午後は何をすればいいか聞きそびれたことを思い出した。しかし、そんなくだらないことでメールや電話をするのは気が引ける。
「まっ、適当に過ごすか」
凛恋と話せただけで心のポッカリ空いた部分がスッポリと埋まる。そして、すぐに凛恋に会いたいという隙間が空く。その隙間を満たすのを我慢しながら俺は軽い足を進めた。




