【九《悲しいの代わりに》】:一
【悲しいの代わりに】
よく行くファストフード店のいつも使わない二階席。
その席の向こう側で、赤城さんはわんわんと泣き出していた。そしてその隣に座っているのは八戸で、必死に赤城さんの背中を撫でて顔を覗き込む。
「良かったね……凛恋。本当に、良かったね……」
「の、希……なんで希が泣くのよ……」
赤城さんを慰める八戸も目を潤ませている。
昨日、八戸と俺は恋人になった。それで八戸は、赤城さんと栄次に二人で報告したいと、今日の放課後この場所に集まった。
どうやら八戸は、赤城さんに「話したいことがある」としか言っていなかったらしく、ここに集まって「多野と付き合うことになった。希と喜川くんが応援してくれたおかげ。本当にありがとう」と八戸が言った瞬間、赤城さんが泣き出してしまったのだ。
赤城さんは本当に良い人で、お互いがちゃんと自分の口で告白するまで我慢するつもりでいたらしい。
「多野くんが、凛恋とも友達だって言った時、どうしよう諦めちゃったって本当に焦ったよ」
赤城さんの言葉を聞いた八戸が俺を睨む。いかにも「後でじっくり聞かせてもらおうか」というような視線だった。しかし仕方ないだろう。
八戸と一緒に居られなくなるのが怖かったんだ。その恐怖には勝てなかった。
「でも、凛恋が手作りクッキーを持って行ったなんて知らなかった」
「だ、だって……あのままじっとしてたら自然消滅しちゃいそうだったから。そんなの、絶対にイヤだったし」
「だけど、大成功だったね」
「うん、まあ多野にもう来るなって言われて、ダメだもう言うしかないって思って勝手に言葉が出ちゃったんだけどね。気が付いたらワーッとなってて、必死に告白してた」
真っ赤な顔で赤城さんと話す八戸を見てると、隣から栄次の低い声が聞こえた。
「昨日はごめん」
「いいって」
そんな短い言葉を交わすと、前から赤城さんの声が聞こえた。
「ダメ栄次。ちゃんと多野くんに謝って。多野くんの気持ち考えずに酷いことしたでしょ」
「赤城さん、いいって。今の聞いて、赤城さんから叱られたんだろうって分かるから。栄次にはそれが一番堪えただろ、それで十分だ」
「なんか、男の友情って感じね」
俺が赤城さんにそう言うと、ニコニコっと笑った八戸がそう言う。
「ということだから。ごめんね、心配掛けて」
「ううん! ホントに良かったね! 凛恋、ずっと多野くんのこと好きだったから、それ見てたから凄く嬉しい」
「ありがと、希」
笑い合う二人を見てホッとする。二人が笑い合っている姿を見ると安心する。
二人がとても仲が良い所を見てると安心する。でも、一番は八戸の笑顔が見えていることが大きかった。
一歩間違えば、もう二度と見ることが出来なかった笑顔。それが今、俺の視線の先にあるだけで幸せだと思った。
「じゃあ、私と多野は行くわ。希と喜川くんには随分協力してもらったしね。二人でゆっくりして。さっ、多野、もう少しでクリアなんだから早く多野の家に行こ」
「ああ、じゃあな二人とも」
腕を掴んで引っ張る八戸に連れ出され、まだ明るい店の外へ出る。ファストフード店の前は沢山の人通りがあり、目の前を背広の男性が横切って危うくぶつかりそうになる。
その男性は全く避ける気が無く、俺が体を逸らさなかったら顔を持って行かれそうな勢いだった。
「八戸、この前やってたやつ終わったばかりだろ?」
「二人っきりにする口実よ」
「そういうことか」
「それと、二人っきりになる口実?」
ニッと照れ笑いを浮かべた八戸が歩き出す。俺はその後ろをついて歩き出した。
八戸と付き合うということになったら、劇的な変化が起こるんじゃないか?
俺は、そんな風に思っていた。しかし、今のところ劇的な変化はない。
俺と八戸の持っている相手への気持ちには確かな変化がある。でも、想い人から恋人へ認識が昇華した、ただそれだけだ。
これは恋人らしいと言えるのだろうか?
そもそも恋人らしいというのは何だろう?
それに恋人になったら何をすればいいのだろうか?
前と変わらずメールや電話をして、遊ぶ約束を立てて、遊んで笑いながら話をして……。
それじゃあ、友達であるのと変わらない。世の中の恋人というのは、一体どんなことをするのだろう。
そこで、俺の脳裏に仲睦まじく手を繋ぐ栄次と赤城さんの姿が浮かんだ。
なるほど、手を繋ぐというのは確かに友達というよりも恋人らしく見える。いや、でも女子同士は友達でも手を繋いでいるし……それは女子同士特有の文化なのだろうか?
頭を捻ってみても何も思い付かない。
こんなことなら、もっと恋愛色の強いゲームをやったり漫画を読んだりしておけばよかった。
俺には圧倒的に、恋愛に対する知識がない。昔から恋愛なんて、恋人なんて自分には関係のない話だと思っていた。
人から嫌われるのが当たり前で、人から好かれることなんて頭の隅にも考えなかった。でも、あの八戸の告白はそんな俺にも分からせてくれた。
八戸が俺を好きになってくれたことを。
数歩先を歩く八戸は、やっぱり俺と並ぶのは違和感がある。だからかやっぱり、まだ八戸の存在はふわふわしてかっちりと固まっていない。
八戸が歩き慣れた飛び石を歩いて入って来るのを見届けて、玄関の扉を開ける。
「あれ? お爺さんとお婆さんお出掛け中?」
「みたいだな。買い物にでも行ってるんだろ」
家に入って台所に向かうと、八戸は手慣れた様子でコップを出してお茶を注ぐ。
俺はお菓子を探そうと戸棚に手を伸ばすと、横から手の甲をペチッと叩かれる。
「まだ食べる気?」
「お菓子は別腹だ」
「ダメよ。私も食べたくなっちゃうし」
「別に食べても」
「油断したらすぐ身に付いちゃうの。だからダーメ!」
「へいへい」
いつも、お茶を飲みながら何かを食べようとすると、こうやって八戸に止められる。
婆ちゃんは俺に甘いから、お菓子を大量に用意してくれているのだが、爺ちゃんは「飯食う前に甘いものは食うな」という方針で、その方針に賛成的な八戸は爺ちゃんと結託して俺を妨害する。
それに婆ちゃんも、女の領分である台所をあまり俺には使わせたがらないのに「八戸さんなら好きに使って」と言い、調理器具や調味料の場所まで教えてまでいる。
完全に、この家での地位は俺より八戸の方が高い。一応、ここは俺の家のはずなのだが……。
八戸がお茶を入れてくれたコップを持って、自分の部屋の中に入る。
そして、テーブルにコップを置いて座ろうとした瞬間、正面から八戸に抱き付かれた。
「もう我慢の限界」
「八戸?」
「ギュッてして」
いきなり抱き付いて来た八戸に戸惑いながらも、八戸の言う通り八戸の背中に手を回して抱き寄せる。
柔らかい感触でやっぱり抱き締めると幸せを感じる。
「ヤバー、これダメだわ。めっちゃ幸せで顔が緩む」
しばらく抱き合っていると、八戸から体を離して、下から俺の顔を見上げる。そしてニヘラっと表情を緩めた。
「どうしよう多野。私、マジで多野と付き合ってるよ」
そう言われはしたが、反応に困る。
俺と付き合ってることを俺にどうしようと言われても、どうしようもない。
「マジでなんか体がフワフワしてさ、現実じゃないみたい。でも、多野にギュッてしてもらって現実ぽい感じした」
「俺も、なんか昨日の今日だからか、なんか現実なのかよく分からんな」
「あのさ……名前で呼んでみない?」
「八戸?」
俺が八戸の名前を呼ぶと、八戸が頬をプクッと膨らませて睨み付ける。
睨み付けられているはずなのに、怖さは感じず、むしろ愛くるしさを感じた。
「それってマジボケ? 下の名前に決まってるでしょフツー」
「下の名前か。そういえば栄次達も下の名前で呼び合ってるな」
「下の名前で呼び合えば、ちょっとはカレカノらしくなると思わない?」
「そうだな」
「…………」
「…………」
急に会話が途切れ、俺は八戸に視線を向けたまま首を傾げる。八戸は俺の方を見た顔を真っ赤にしたままチラッと視線を外す。
「そっちから呼んでよ。男でしょ」
「凛恋?」
「ちょっ! なんでそんな簡単に言えんのよ! 何? 女子の名前、呼びなれてたりするわけ?」
「いや、そんな訳あるはずないだろ。女友達どころか女子の知り合いは凛恋と赤城さんだけだ」
俺が『凛恋』と言うと、凛恋は体をビクッと跳ね上げて目をパチクリとさせる。
「そ、そっか。…………えっと、さ。その……かず、と?」
「何だ?」
「凡人、大好き!」
「俺も凛恋のことが大好きだ」
互いに照れ臭くなって笑い合う。
床に座って、ゲーム機の電源を入れる。今日からは二人で協力出来るアクションゲームをやることにした。
凛恋は負けず嫌いだ。
対戦ゲームをやると負けても負けても挑戦してくる。それは切りがないし、彼女の機嫌を損ねる可能性のあることは避けたい。
その点、協力アクションゲームは一緒に仲良く出来るから向いている。
「あっ、そーだ!」
何かを思い出したように凛恋がスマートフォンを取り出してニッと俺に向ける。そこには『罰ゲームルーレット』と書かれている。どうやらスマートフォンのアプリケーションらしい。
「やられたらこれで罰ゲーム決めて実行!」
「良いのか? 凛恋、このゲーム初めてだろ?」
「大丈夫大丈夫! んじゃさっそく始めよ! あっ……」
ゲームを開始した瞬間、歩いてきた敵に突っ込み、凛恋の操作していたキャラクターがやられる。俺はそれを見届けると、待機画面にして凛恋を見た。
「さあ、罰ゲームをどうぞ?」
「くそー! なんで初っ端から敵が出てくんのよ!」
凛恋はぶつくさ文句を言いながらスマートフォンの画面をタッチする。そして、画面に出てきた罰ゲームを見て顔をしかめる。
「自分の可愛い、格好良い所を三つ言うか……。えっと、恥ずかしがり屋な所と、見た目に似合わない純情さと、それと笑った顔! 言っとくけど、これみんなに時々言われることだから! 自分可愛いって思ってないから!」
恥ずかしそうにコントローラーを握り締める凛恋はモニターを睨み付ける。俺はその凛恋の横顔をクスリと笑って見ていた。
その後は、当たり前だが凛恋ばかりが罰ゲームを受けることになった。
しかし、あまりにも凛恋ばかりだから段々不憫になってくる。そう思いながら操作していると、操作をミスして俺のキャラクターがやられてしまう。
「やったぁー! ほら凡人! 罰ゲーム罰ゲーム!」
もの凄く嬉しそうにスマートフォンを差し出す凛恋に苦笑いを浮かべながら、人差し指で遠慮しがちに画面をタッチする。
すると、画面に表示された罰ゲームを見てニヤリと凛恋が微笑む。
「いいと言われるまで、語尾を赤ちゃん言葉にする! だって」
俺は黙って待機画面を解除してゲームを再開しようとするが、すぐ凛恋のコントローラーで待機画面にされる。
「こらこら、私は散々やったのに凡人はやらないつもり?」
「わ、分かった……でしゅ」
「プッ! アハッ、アハハハハハッ! めっちゃ無愛想な赤ちゃん!」
「からかうな、でしゅ」
「ヤバイヤバイ、お腹痛い! ヒィー! それ反則だって!」
赤ちゃん言葉で話すことを強いられた俺は内心不公平だと思う。
凛恋の罰ゲームは全部単発で終わりだったのに、俺のは凛恋が止めなければ半永久的に続く。
「さっ、続き続き! あっ!」
実に楽しそうに再開した凛恋は、また敵に突っ込み自分のキャラクターをやられさせた。俺はスマートフォンを指さして罰ゲームを促す。
「もー、今度は何の罰ゲームよー」
自分が言い出した凛恋がスマートフォンの画面に触れると、ジーッと画面を睨み付けたまま固まった。
ちょっと待ってみても何の反応もせず、横から凛恋のスマートフォンを覗き込む。
凛恋のスマートフォンの画面には『いいと言われるまで語尾に”にゃん”を付ける』という文字が表示されていた。俺が受けている罰ゲームと同じ系統のやつだ。
「…………」
「凛恋、黙るのは卑怯でしゅ」
「だって、恥ずかしい……にゃん」
視線を逸らして顔を真っ赤にし、ボソッと口にした凛恋は、普段見ている明るい凛恋ではなかった。
羞恥心を必死に堪える様子は、可憐な乙女のようだった。
「可愛い……」
「えっ?」
「あっ! で、でしゅ!」
「語尾じゃなくて! その前!」
「可愛い、でしゅか? それより、凛恋語尾ちゃんとしろでしゅ」
「わ、分かってるにゃん! 可愛いって言われたのが、凄く嬉しくて。……にゃん」
何だろう、語尾のせいで若干空気が寒く感じる。
凛恋のにゃんという語尾は可愛さしかないが、俺の赤ちゃん言葉はどうにかならないものか……。
「凡人は、こういうのが好きにゃん?」
なんだか、羞恥心の針が振り切ったのか、凛恋はいたずらっぽく笑って身を寄せてくる。
「凛恋がやると可愛い。でちゅ」
「どーしよ。凡人が好きなら、二人の時は猫語で話そうかにゃん?」
「いや、毎回だと勿体無いと思う、でしゅ」
「そ、そうよね! こういうのはここぞという時に使わにゃいと」
ニッコリとはにかむ凛恋が、再びコントローラーを持つ。そして嬉しそうにパタパタと足を動かした。
なんだか『にゃん』の使い方が上手くなっている気がする。
ゲームを再開して、大分操作に慣れた凛恋はなかなかやられなくなった。そして順調に攻略を進めていると、ボスが出てきた。
そのボスになった瞬間、凛恋のキャラクターが久しぶりにやられた。
「結構粘ってたのに、悔しいにゃん!」
「罰ゲームを決めるぞ、でしゅ」
「決めるぞでしゅっておかしいにゃん」
「仕方ない、でしゅ。赤ちゃん言葉なんて話し慣れてない、でしゅ」
「私はもう慣れたにゃん!」
手で猫の手を真似てポーズを取る凛恋は楽しそうに笑う。赤ちゃん言葉には慣れないが、凛恋が楽しいならよかった。
「さーて罰ゲームは、なーにかにゃん! ……隣の人の耳元で大好きって囁く、だにゃん」
真っ赤な顔した凛恋の猫語が乱れた。凛恋はスマートフォンを机の上に置いて、俺の方に体の正面を向ける。そして、畳に両手を突いて四つん這いになり、俺の耳元へ顔を近付ける。
「大好きだにゃん。……凡人のこと、大好きだにゃん」
「えっ? 二回?」
一回目の囁きから一拍置いて、凛恋が二回目の囁きを言う。凛恋は照れ臭そうに笑って真っ赤な顔を手で扇ぐ。
「罰ゲームで言わされてるなんて思われたくないから、二回言ったにゃん。チョー恥ずかしいにゃん」
「俺も、凛恋が大好きだ」
「凡人。……罰ゲーム、守ってにゃん!」
凛恋の肘打ちが脇腹に入り、若干の痛みを感じるが、その後にギュッと腕が抱き締められる。
「さっ! ボス倒そーにゃん」
「了解でちゅ」
二人で仲良くコントローラーを手に持って並び、ボスとの決戦を楽しんだ。




