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+-∞  作者: チキンフライ
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【八《永やかな想い》】:三

 家へ続く細い道に入った時、俺はその場で足を止めた。


 街の大通りのような綺麗なアスファルトではなく、張石舗装の細い路地。舗装用の石には隙間が所々あり、そこからは緑色の雑草が執念深く葉を伸ばしている。

 そのちょっと古臭い路地の奥に、彼女は居た。


 ベージュのブレザーに赤チェックのプリーツスカート。スカートから伸びる、細い足の先には紺色のハイソックスと綺麗に磨かれたローファーを履いている。

 そして、路地に差し込む太陽の光が反射して、染められた金色の髪を輝かせていた。


 彼女は俺の方を見てパッと明るい表情をしたと思ったら、ハッとして顔にちょっと怒った表情を浮かべる。


「待ちくたびれたっつーの!」

「……八戸?」


 俺の所に駆け寄って来た八戸は、ニッと笑って、そして……俯いた。


「笑って元気付けようって思ったんだけど、ごめん。上手く出来ないわ」


 八戸はそう言って顔を上げる。見えた八戸の表情はとても辛そうな、不安そうな表情だった。


「多野、昨日からずっと元気無かったでしょ? 隠してたつもりだったんだろうけど、バレバレだったから。いつも無愛想なくせに妙に笑ってさ、違和感バリバリだったっての」

「……八戸、心配掛けてすまん。でももう大丈――」

「そっか。…………私って、そんなに信用出来ない?」


 八戸の言葉に胸が痛む。話を逸らしたことを悟られたことよりも、八戸の「信用出来ない?」という言葉に胸が詰まる。

 信用してない訳じゃない。八戸のことを好きになってしまって悩んでいる。なんて言える訳がないだろう。それを言ったら、本当に俺と八戸は友達で居られなくなる。


「ごめん、今の忘れて」


 八戸は俺の顔から視線を外すと、俺の胸に紙袋を押し付ける。


「クッキー、焼いたのよ」

「クッキー?」

「何すれば多野が元気になるか分かんなかったから、クッキー焼いたの! 全部、多野にあげる」


 香ばしいバニラの香りが袋から漂い、それと同時に体が、心の奥が震えた。心の奥で燻っていたものが揺すられて勢いを強くする。


「分かんなかったからさ、何していいか。何すれば多野のことを元気付けられるのか、全然分かんないの。どうしよう、どうすればいいんだろって不安とかしか出て来なくて。こうやって物でどうにかするしか思い付かなかった」


 八戸が、八戸の好きな誰かと付き合ったら、この八戸の優しさも、女の子らしさもそいつのものになるのだと思うと、辛くなった。

 そして、八戸に好かれるそいつを恨めしく思った。そう思った自分を嫌悪して、恥ずかしくなる。


「八戸……明日から、好きな奴と遊べよ。もう、俺の家には来るな」


 耐え切れなかったのだ。もう、こんなに大好きな八戸を見ているのが辛かった。大好きな八戸に汚い自分を晒すのが辛かった。だから、また俺は逃げた。


「多野……どう、して? 私、多野に嫌われるようなことした? ねえ、私……何かマズいことした? ごめん! やっぱクッキーとか迷惑だった? だよね、女友達から手作りクッキーとか重いよね」

「違う。八戸には好きな奴と幸せになってほしいんだ」


 また逃げた。

 本当はそんなこともう思えないのに、八戸の恋なんて絶対に応援出来ないのに、俺は嘘を吐いた。


 俺は八戸の隣を足早に通り過ぎる。もうこれで、俺は友達としても八戸と終わってしまうのだろうか。そう考えると底の見えない絶望に滑落した。


 血の気が引いて地に足が着かず内臓がせり上がるような落下感。

 でも恐れることは無い。

 俺は堕ちる訳じゃない。

 元居た場所へ戻るだけだ。

 慣れ親しんだ九年間にまた再会するだけだ。

 九年間も上手くやれたんだ、今回もまた上手く生きていける。


 そう思った時、後ろから腕を引っ張られた。


「初めて会った時から好きでした! 私と付き合って下さいっ!」


 夕暮れの細い路地。人気は無く、カラスや野良猫さえも彷徨いていないその静かな道に、その叫びが響く。


「初めて会った時、カラオケ屋さんの前で待ってる他校の制服を着た男子の集まりを見た時、もう私には多野しか見えてなかった。男子から少し離れた位置で立ってる多野は、少し冷めた疲れた顔をして立ってた。それで、合流した時は、多野は私達の方を見てなかった。ずっと、私達の横を通る自転車を気にしてた。それで多野は歩道の車道側に立ってずっと自転車が通る度に、自転車が私達を避けるようにはみ出して立ってた。それ見た時にもうアウト。多野のことを完全に好きになってた。他の男は、喜川くん含めて全員色めき立って女子のことを見てんのに、一人だけ女子をさり気なく守ってるとか反則でしょ」


 肩に掛けていたカバンを掛け直す。そして、体の前で両手を握った。


「それで中に入ったら、案内板見てトイレと非常口の確認。ホントに真面目かっての。チョー格好良いって思った。部屋に入る時もドア開けて女子を先に入れてて、ヤバイヤバイ! どうしよう優しい格好良いって思った。部屋の中で幹事の男子は佳奈子にずっと絡んでて、喜川くんは希に猛烈アタック中。そんで残りの男子はヒソヒソ話してた。でも、多野は部屋に入った瞬間にエアコンのリモコン手に持って、さり気なく私の前に置いたわよね。そういうのも、凄く格好良かった、めっちゃドキドキした」


 手をモゾモゾと動かし、時折はにかんで頬を赤く染める。


「みんなの飲み物を喜川くんに聞かせて、おかわりも気を遣って、優しい、格好良い、仲良くなりたいって思って、めちゃくちゃ話したかった。でも、どうでもいい男子に話し掛けられ邪魔されてさ。もの凄くイライラしてた。……いや、あの時は、誰にも話し掛けられなくても多野に話し掛ける勇気なんて出なかったかも。内心ずっと座りながらビクビクしてたの。他の子が多野に気付きませんようにって。佳奈子は男に積極的だし、希は女の子らしくて可愛いから男受けするし、二人に付いてた幹事の男子と喜川くんを応援してた。絶対に多野のことを二人に気付かせないでって。他の子達は彼氏持ちだったからちょっと安心出来た。ホント、佳奈子が彼氏持ち集めてくれて助かった」


 胸に手を置いて、少し震えた声でそう口にする。


「話し掛けるきっかけが掴めなくて、喜川くんが歌った後に希が上手いねって声掛けてるのを見てこれだって思った。歌の感想なら気軽に話し掛けられるって思った。でも全然多野は歌おうとしなかった。それで時間ばっかり過ぎた時に、初めて多野が喋ったの。チラッと希の方を見たと思ったら『栄次、トイレの場所分かるか? 場所が分からん』って。ヤバイって思った。喜川くんに目配せして、明らかに希がトイレに行きたいんじゃないかって気を遣ってるのが分かった。それに女子の希が恥ずかしくないように、自分が行きたいけど場所が分からないって口実まで作ってさ。来た時、トイレの場所確認してたの知ってたから知らないわけないの分かってた。どうしよう、これで希が多野のこと好きになるかもって焦った。でも希は喜川くんのことが気になってて全然気付いてなかった」


 ホッとしたように息を吐いて、ニコッと微笑む。


「三人がトイレに行った後、私もさり気なく出たの。人が居ない外なら話が出来るかもって。それで部屋の外に出て行ったら、多野が喜川くんに希の連絡先聞けって言ってるのが聞こえた。それ聞いてさ、多野が希狙いじゃないって安心した」


 嬉しそうに笑い、両手の指を伸ばして胸の前で組む。


「それで自分が好かれるって訳じゃないのにね。結局、多野と一言も話せなくてカラオケが終わって、帰り道にみんなで男子について話したの。そしたらさ……佳奈子以外、全員多野のこと褒めるの。マジで泣きそうだった。多野の格好良い所、やっぱり気付かれてた、どうしようって。彼氏持ちの子がさ、愛想ないけどあれだけ気が遣えるのはポイント高いって言っててさ。もうこのままじゃヤバい、誰かに狙ってみようって言われたら、私も好きって言い出し辛くなるって思ったから言ったの。『私、多野くんのこと気になる』って。マジ、顔から火が出るってこういうこと言うのかってくらい顔が熱かった」


 少し俯き顔を真っ赤に染め、その顔を、頬を、両手で押さえる。


「案の定っていうか、当たり前なんだけど、みんながマジでマジでって食い付いてきて。それで友達の子が、喜川くんが親友って言ってたし、希と一緒にダブルデートしなよってアドバイスしてくれて、私も希に多野を誘ってって頼んだの」


 落ち着かない様子で手を弄り、肩に掛けたカバンをまた掛け直す。


「四人で初めて会った日、めっちゃ緊張してヤバかった。だって隣に多野が歩いてるんだもん。背が高くてすらっとしてて、ヤバイ背高い格好良い緊張するどうしようって頭がパニクって。んで、希には悪いって思ったけど、希が心細いからってことにして、多野を誘った理由にした。ホントは私が多野と仲良くなりたかったから誘ってもらったんだけどさ。そういうの抵抗無く言える性格じゃ無いから。心の中では、多野くんと話してみたくてって言おうと思ってたの。でも、そんな女の子らしい台詞、言えなくって」


 気を紛らわすためか汚れ一つ無いスカートを軽く叩く。


「多野は礼儀正しくて敬語だったけど、早く距離を縮めたくてタメ口にしてもらった。それでさり気なく、私に彼氏が居ないってのを、ホントにささやかな勇気を出してアピールして、その勢いで一番不安だったことを聞いたの。多野に彼女が居ないかどうか」


 シュンと肩を落として、本当に悲しそうに声を落とす。


「友達の間でもそれは問題になってたの。多野に彼女が居るんじゃないかって。あんだけ気が遣えるんだから彼女居るでしょって子も居て、居ないでほしいって思う反面、あれだけ格好良かったら居ても仕方ないって思った。私が好きになったんだもん。他に好きになる子はいっぱい居るって思った。でも、彼女が居ないって聞いて、私にもチャンスあるって嬉しくなった」


 胸の前で両手を抱くように握り目を閉じて微笑む。そして、ハアっと息を吐いて大きく肩を落とした。


「でもここからが問題でさ。多野ってびっくりするくらい鈍感だったの。んで、希の提案で……喜川くんに多野のこと気になるって話したの。正直どうかと思ったわ。好きな人の親友を味方に付けたら強力だけど、もし何も考えずに私の気持ち言われたら多野が警戒しちゃうじゃん? まだ全然仲良くなれてないのに。でも、喜川くんは私に快く協力してくれたし、私の気持ちを言ったりなんてしなかった」


 腕を組んでジッと視線を向ける。


「それで色々とあの手この手で仲良くなるチャンス作ろうとしてんのに、多野が全部断るの。ホント、あれはチョー焦った。ぶっちゃけ、遊び断られたって聞く度に泣いたし。完全に避けられてるって思った。でも思い返しても、避けられる理由なんて思い付かなくって、そんでこのままじゃヤバイって思ってメールで誘ったら『今日は家に一人だから外出出来ない。すまんな』って返信が来てさ。決定的、完全に避けられてるって分かった」


 震える唇を軽く噛んで、右手の拳で軽く太ももの横を二度叩く。


「そしたら、喜川くんから『カズが外に出られないから、カズの家に行かない? 八戸さんも』って希にメールがあって、心臓が止まるかと思った。だって男の子の家なんて行ったことなんて無いし、好きな人の家なんて緊張して行けないって思った。でも周りの友達にも、チャンスだって、多野みたいな男子は押すの止めたらダメだって背中を押されて、希と一緒に刻季に行った」


 足を交差させ元に戻し、ローファーの靴底でトントンと張石を叩く。


「希と二人で並んで、完全アウェイの刻季の校門前に立ってると、出てきた多野は凄く嫌そうだった。でも、私達よりも周りのことを気にしてた。それ見て変だなって思った。その理由が分かったのは、帰る途中……」


 路地から一切の音が消えた。そしてその悲痛な静寂を打ち破ったのは、沈痛な声だった。


「多野が、刻季の奴等から好き放題言われてさ。ふざけんなって思った。あんた等に多野の何が分かんのよって、私の好きな人を悪く言うなって思った。そんで、それでさ……めっちゃ声出してアピールしてやったの。私は多野と仲良いんだ、多野の友達なんだって。多野のこと悪く言う奴らに見せ付けてやった。多野に文句を言いたきゃ私を言い負かしてみろとも思ったわ」


 クスリと思い出し笑いをして口元を手で押さえる。


「でもさ、友達アピールした友達が、キョトンとした顔してんの。まったくそのこと気にした様子なんて見せてなくてさ。冷静に喜川くんたしなめてて。強いな、格好良いなって思った」


 ニッコリ笑って両手を後ろに組む。そして、空を見上げた。


「そっからは凄く仲良くなれた。二人で出掛けるようになった。喜川くんから私に遠慮してるって聞いてたし、私と友達になってるのかも不安に思ってるかもって聞いてて、その通りだったのには驚いたわ。でもね、結構可愛いなって思ったの。鈍感だけど、チョー可愛く見えた。あっ、呆れはしたけどね。…………それで、調子乗った私のせいで、あいつに、宇治屋に……多野が傷付けられた」


 空を上げた顔の頬を雫が伝い、ポツリと張石を叩く。


「多野が早く帰れって言ってくれてたのにさ……多野と出来るだけ一緒に居たくて、居ても嫌われないって調子に乗って、そのせいで宇治屋に会って。あいつが、多野を傷付けた。頭が真っ白になって、どうすればいいのか分からなくて、でも頭の中にはずっと同じ言葉が流れてた。『終わった。嫌われた』って」


 目を手の甲でゴシゴシと擦り、だらりと腕を落とす。


「多野はその日、私を家まで送ってくれた。自分が一番辛いはずなのに、私に気を遣ってくれた。でもその優しさが、辛かった。その辛さと後悔と悲しさで、明日学校行きたくないなって思ったら、本当に風邪引いて学校休んだ。正直、学校行っても上の空で何も出来なかっただろうから良かった。で、学校を休んだ日の放課後、希が来てくれて……耐え切れなかった私は、全部希に話した。多野に嫌われた、どうしようって。どうすればいいか分からなかったから、希にすがった」


 拭っても拭っても溢れる雫を、何度も何度も拭う。それでも雫は止まらない。


「希は、大丈夫なんとかするって帰っていって、その後ずっと自分のことを責めてた。多野と出来るだけ長く居たいってワガママのせいで、一番大切な多野を傷付けた。好きな人に対して以前に、友達に対して間違ってた。舞い上がって調子に乗って、バカじゃんって思った。でも、このまま終わりになんてしたくなくて、なんとかしなきゃって思った。その時は何も思い付いてなかったけど……。そんな時、希から電話が掛かってきて、そしたら希が、多野を連れてきたって言ってて、また頭が真っ白よ。こっちはダッサいスウェット姿で頭もボサボサ、化粧もしてないし目の下には隈が出来てて。今の状態じゃ絶対に会えないって思った。好きな人には、可愛いって思われたいからさ」


 無理に笑顔を作って、口を笑わせる。そして、プッと吹き出して自然と笑い声を上げた。


「ヤバイヤバイって焦りながら支度し終わって玄関開けた瞬間、見えたのは真っ青な顔した多野。頭の中の焦りよりも、多野のことが心配になった。そしたら多野、真っ青な顔して緊張してんのに、親が居ないから入れないって気を遣ってくれた。それ聞いて、もーどんだけ良い奴なのよ、格好良いのよって叫びたくなった。ビクビクしながら家に入ってくるの見て、ホントに女の子の家初めてだって聞いて、多野に友達って言われて、一気にテンション上がっちゃった。ついさっきまで多野のことを傷付けたって悩んでたのに、ホント、私って単純バカよね。それで多野が私に色々謝って、全部多野は悪くなかったんだけど、私のことを凄く真剣に考えてくれるのが分かって、凄く凄く嬉しかった」


 髪を耳に掛け、フッと笑う。


「家の中で、パンツ見られた時、チョー焦った。今日穿いてるの可愛いやつだったけって確認したくなった。急いでたからパンツにまで気が回らなくてさ。でも、真っ赤な顔して慌てる多野を見たら、もうチョー可愛かった。それで、多野が宇治屋のこと気にしてないって説明してくれて、私のことを安心させてくれて、私は嬉しくて、学習能力無いからまた調子に乗った。二人で遊ぼって、それで毎日多野に会って遊んだ」


 顔がまた赤く染まり、クシャッと表情を笑わせる。


「ホント、すっごい幸せだった。言い訳なんてしなくても、毎日多野に会えるんだもん。多野の隣に居ても変に緊張しなくなって、気が付いたら多野の隣に居たら凄く安心出来るようになってた。多野の家で寝ちゃった時、本当に失敗したって思った。だって多野におんぶされてたのに、家に着くまでの数分間しか起きてなかったんだもん。チョー勿体無いことした。それでやっと四人でカラオケ行けて、やっと多野の歌を聴けた。そしたらさ、多野、めっちゃ上手くて、初めて会った時に多野が歌わなくて良かったと思った。絶対にライバルが増えたから。特に佳奈子とかはコロッといくと思った」


 ニコッと嬉しそうに笑った後、ハハッと呆れたように乾いた笑いを浮かべる。


「でも、やっぱり鈍感で察しが悪くて、多野は全然私の気持ちを気付いてくれなくて。それどころか、私が他の奴のことを好きだと思ってて。そんな時だった。強引にボウリングに誘われたの。初めは女子だけって聞いてたのに、後になってから男子も来るって聞いて、正直嫌だった。私って見た目がこんなんじゃない? だから、結構男子に軽い女って見られてるみたいなの。それに、ボウリングに行くってことは、多野と会える時間を減らさないといけないってことで、めちゃくちゃ嫌だった。しかも、一緒に来る男子って女子の体にしか興味ない奴ばかりでさ。私を誘った友達が男子グループに好きな人が居て、それ知られてて利用されたみたい。ホント、女心を弄ぶとかサイテーよね」


 自分の腕で自分の体を抱く。そして体を小刻みに震わせた。


「強がってみたんだけどさ……実際は不安だった。本当に嫌な噂しか聞かない奴等だったから。ホントなんで断れなかったんだろって後悔してた。でも、多野が前の日に会った時に心配してくれて。つい、見ててって多野にワガママ言っちゃった。だけど、多野はちゃんと見ててくれた。ボウリングしてる間、ずっと胸とか足とかあいつに見られて、イヤだ気持ち悪いってずっと見られないように隠してた。全部終わったら多野に愚痴ってやるって考えて何とか平静保って。そしたら、あいつが私の肩に手を回そうとしたの。その時よ、スマホに電話が掛かってきたの。それで画面見たら多野の名前で、むちゃくちゃ嬉しくて、心の中で何度も大好きって叫んで電話に出た。話しながら多野を必死に探して、見付けた瞬間凄く安心したの。やっぱ、私には多野しか居ない。多野以外はあり得ないって思った」


 抱いた自分の腕を解き、拳を作ってグッと握り締める。


「ボウリング終わって帰るって言ったら引き止められた。それで多野が間に入ってくれて嬉しいって思った瞬間、あいつ、多野のことを鼻で笑ってバカにした。それで頭に血が上ってさ……ブチギレちゃった」


 舌をペロッと出して笑う。


「好きな人が隣に居んのにさ、私ってマジバカ。何にも考えずに思ったことをバーって言ってて、それで帰りに寄ったファミレスでも怒り収まんなくて。自分がお腹ん中真っ黒だってさらけ出しちゃった。そんでぶちまけた後、急に冷静になっちゃって、自分が性悪女だって思われたって焦った。でも、多野はそんな私のことも認めてくれた。だからさ…………私には多野しか居ないのよ……」


 八戸は、そう言ってその場に崩れ落ちた。


 こんなに長い間、八戸を見ていたことがあっただろうか。

 見ている間、体はふわふわとしていて、聞こえる言葉ははっきりとして内容も一言一句聞き漏らさなかった。

 見えていた、八戸の一つ一つの仕草もちゃんと認識出来ていた。でも、目の前に居る八戸が、現実のものではないような気がした。


 八戸が、俺のことを好きだなんて、夢の世界の話にしか思えなくて、かっちりと固まったものとして入って来なかった。


「私が好きなのは他の誰でもない多野なの! ずっとずっと怖くて言い出せなかった。言ったら、あの幸せな時間を壊しちゃいそうで……多野と笑って話せなくなりそうで……それで、ずっとずっと逃げてた。多野から告白させようって卑――」


 八戸の前に膝を突き、そっと八戸の体を抱き寄せた。抱き寄せた八戸は甘い女の子の香りがした。柔らかくて温かくて、繊細で儚くて。抱き寄せた八戸は幸せの結晶のようだった。

 抱き締めているだけで、心から幸せが湧き上がってくる。


「俺も八戸のことが好きなんだ」

「えっ…………うそ……」

「嘘じゃない。気付いた時には、もう八戸のことを好きになってた。だけど俺も、好きだって言ったら八戸と友達に戻れなくなることが怖かった。やっと出来た友達を失うのが怖かった。それに八戸に好きな人が居るって――」

「私の好きな人は多野なの!」

「分かってる、ちゃんと聞いてた。今はそうだって分かってるけど、その時は顔も知らない誰かを好きだと思ってた。心の中で揺れてた。友達を……好きな人の恋を応援しようって気持ちと、誰かだけの人に八戸がなってしまうのが嫌な気持ち、どっちも心の中でひしめいて……。でも、俺は臆病だったから逃げた。自分の気持ちを抑えて友達として居ようって。でも、もう好きだって認識してしまった後には、友達になんて戻れる訳なかったんだ」


 一度経験した、一度確かにあった場所になら、元通りに戻れると思っていた。でも、俺と八戸の関係はただの場所なんかじゃない。

 確かに積み重ねてきた時間であり、俺が戻りたかった『友達』は、もう既に過去になっていた。


 人は時間を遡ることは出来ない。だから戻れるはずがなかったのだ。

 俺はそれを必死に否定して、どんどん離れていく過去を振り返って手を伸ばし続けた。


 未来を、見えないものを見るのが、俺の知らないものを見るのが怖くて。


 俺と八戸の関係はただの友達では無く、想い人に変わり、そこから先への変化を躊躇った。

 一歩間違えば跡形もなく消え去ってしまうと分かっていたから、霞のように不確かになってしまったそれを必死に掻き集めて閉じ込めようとした。

 でも、指の、腕の隙間からスルスルと抜け出て捕まえておくことなんて出来なかった。言葉にして、確かなものへ昇華させなくてはいけなかった。


 でも、今、確かなものとして昇華している。その勇気を出してくれたのは、八戸だった。


「八戸。俺は八戸のことが好きだ。誰にも渡したくない。俺の側に居てほしい」

「こんなに強く抱きしめられたら、嫌でも離れられないし」


 八戸がそう言って俺の背中に手を回す。


「離してって言われても離さないけど。…………多野、私と付き合ってくれない? 私を多野の彼女にしてほしい」

「俺でいいのか?」

「多野がいい、多野じゃなきゃヤダ」

「俺も、八戸の彼――」

「多野は私の彼氏ね。はい決定!」


 ニッと笑う八戸がギュッと俺を抱き締めて顔を胸にうずめる。


「ヤバイヤバイ、どうしようどうしよう! これって夢じゃないわよね? 目が覚めたら自分の部屋とかないわよね?」


 俺は抱き締めた八戸を立たせて、八戸の制服に付いた汚れをはたく。


「多野」

「ん?」

「大好き」

「俺も八戸が好きだ」

「てかさ」

「なんだ?」

「私があんだけいっぱい告白したのに、多野の告白短い」

「……そうは言われてもな」


 困ってそう言うと、ニコッと笑った八戸が俺を抱き締める。


「でもいいや。多野がギュッてしてくれたからそれでチャラね」


 細い路地の真ん中で抱き合う二人。俺は抱いている八戸を確かめるように、手に力を込める。


「ねえ多野」

「ん?」

「明日からも毎日会える?」

「ああ、俺は会いたい。彼女と」


 八戸は「やりっ」と笑って顔をまた胸に埋める。


 俺と八戸はもう友達に戻れない。でも、想い人だった関係は昇華され、俺達は恋人になれた。

 まだ出来たばかりできっちりとした形は定まっていない。だからもうしばらく、きっちりと定めて固めるように、八戸を抱き締めていたいと思った。

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