【四八《兆し》】:二
両手でハンバーガーを持ってモグモグと食べる凛恋は、さっきから俺の体にピッタリと寄り添って黙っている。
俺も自分の分のハンバーガーにかぶり付きながら視線だけを凛恋に向けていた。
「本当に……ごめん」
ハンバーガーから口を離した凛恋が、ボソッとそう言う。
「謝る必要なんてないだろ」
「だって……よりによってあんな時に……お腹が鳴るなんて……ホント、雰囲気台無しにしちゃったし……」
俺と凛恋がキスをする直前、凛恋のお腹が鳴って、俺はキスを中断して昼飯に買ってきたハンバーガーを食べることにした。それが、凛恋としては申し訳ないという気持ちでいっぱいらしい。
しかし、凛恋のお腹の音も可愛かったし、何より恥ずかしがって顔を赤くした上に潤ませた瞳は愛おしかった。
それを見られたのだから、俺としてはラッキーだった。
「凡人が来る前にみんなにメールしたんだけど、みんなベッドから動けないって」
「まあ、そりゃそうだろうな。八〇キロ歩いた次の日だし」
「ごめんね。そんな日にわがまま言っちゃって」
「いや、昨日凛恋が、今日会いたいって言ってくれなかったら俺は最後まで歩けなかったからな。あれは本当に助かった。ありがとう」
「なんか、お礼を言われると困る。私は、ただ凡人に会いたかっただけなのに……」
凛恋は再びモグモグとハンバーガーを食べ始める。
俺は自分の分を食べ終え、凛恋の方に視線を集中させる。俺の視線に気付いた凛恋は焦った表情をして、はむっはむっと急いで食べ始めた。
「そんなに焦って食べなくても良いって」
「だって……凡人のこと、待たせたくない。…………さっきお預けさ――……んっ」
どうして凛恋は、こんなに魅力的なんだろう。
凛恋と居るだけで、その凛恋の魅力に魅了されて、俺の理性の敷居が下がっていく。
凛恋の頭を撫でて、凛恋の滑らかな髪を指に絡める。理性の敷居が下がっただけじゃない。
欲求が……凛恋を求める気持ちが止めどなく溢れ出る。
「はぁ……はぁ……かず、とぉ……頭……クラクラする」
「ハァハァ……ごめ、ん……」
息継ぎさえもせずにキスに没頭していた俺達は互いに見詰め合い、両手の指を組んで繋ぐ。
右手を離して凛恋の腰に回す。腰から凛恋の柔らかいお尻を撫で、そこから太ももへ手を伸ばす。
凛恋にいやらしいことをしてるのは分かる。
でも、ずっと凛恋を独り占めしたくて、今それが出来る状況で……その欲望を我慢し切れない。
「凡人?」
「俺の凛恋を石川に見せたくない……」
「かず……と……」
「あいつは……凛恋のことが好きだ……。他人の好きな気持ちはどうにも出来ない…………でもっ! でも嫌なんだっ! あんな奴が凛恋のことを好きなのが許せないッ! あいつに、石川に、エロい目で凛恋が見られるのが嫌なんだッ!」
自分でも頭のおかしいことを言ってるのは分かる。気持ち悪いことを言ってるのは分かってる。でも……どうしても許せない。
どんな男でも凛恋が汚いゲスな目で見られるのは嫌だ。だけど、特に……石川だけは許せない。あいつにだけは――。
目の前で、凛恋がスウェットの上着を脱ぎ捨てた。
パステルピンクのレースが上品にあしらわれた大人っぽいブラ。そのブラに包まれた凛恋の胸は女性らしく膨らんでいて、胸元には少し汗が滲んでいた。
凛恋は黙って立ち上がる。そして、スウェットのズボンに両手を掛ける。ゆっくりと腰を折りながらズボンを押し下げ、凛恋は下ろしたズボンから足を抜いて右手で胸元を隠して左手で下半身を隠そうとする。
しかし、顔だけではなく全身を真っ赤にして、凛恋はゆっくり両手を後ろに組んだ。
「凡人……見て」
凛恋に見てと言われなくても、目が離せなかった。
魅力全開、女らしさ全開……凛恋の強烈な誘惑。
それを見せられて、魅せられないわけがなかった。
「私の勝負下着、だから」
「凛恋……」
凛恋のベッドの中で凛恋と一緒に横になる。凛恋の布団からは凛恋の香りがして、目の前には凛恋が居て……この部屋は凛恋でいっぱいだった。
「石川が私のことを好きとか考えたくないんだけどさ。もし、あいつがこのこと知ったら相当悔しいでしょーね。好きな女の子が自分以外の男とこーんなことしてるんだし。もー、チョー悔しくて堪んなくて、でも指咥えて見てるしかないのよねー」
そう言って、凛恋は俺の体を自分に引き寄せるように、自分を俺の体に引き寄せるように、ピッタリ肌を付けて抱きつく。
「昨日……さ、希の足の怪我を見た時、ううん、凡人が希に足を痛めてるって言った時…………自分のことを情けないって思ったの。親友が怪我してるのに気付いてあげられなかった。でもね……それと同時に、やっぱり凡人だって思ったの」
「えっ?」
「やっぱり、私のピンチを助けてくれるのは凡人だって」
凛恋はニッコリ笑ってギュウっと体を締め付ける。
「それに、それだけじゃなくてチョー凄いの! 私の凡人は! 保健室の先生がダメだって言って、私も萌夏も、希だってもう無理だって思ったのにさ! 凡人が言ったの! 『俺が背負って行きます』って。もー! それ聞いた瞬間、全身に鳥肌が立ったの! 心の中で『凡人格好いいっ! 最高!』って何度も何度も叫んでさ! それで、本当に希のことを背負って歩き切っちゃったの! …………そんなこと、石川に絶対出来るわけないでしょ。だから、どう足掻いたってあいつが凡人に勝てるわけないのよ。言っとくけど、あいつには私の居る方角も見てほしくない」
「方角は流石に酷いな」
「酷くないし! あいつは言っちゃダメなこと言ったの。私の大切な彼氏に、私の大好きな凡人に、絶対に、絶対に言っちゃいけない、許せないことを言ったの。だから、絶対に私はあいつを許さない」
凛恋は俺の手を握って自分の腰に回させる。汗が滲む滑らかな肌が俺の手にピッタリ貼り付く。その腰をグッと抱き寄せると凛恋が顔をしかめた。
「いやー、随分筋肉も解れたんだけど、流石にまだ残ってるわね。筋肉痛」
「大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫! チョー幸せ~! きっと筑摩も指咥えて悔しがってるわよねー。本当に良い気味だわ」
「筑摩さんは、本当に俺のことを好きだとは思えないな。そもそも、あの人は何を考えているか分からないし」
「でも、私の凡人にちょっかい出してきたのは変わりないんだから、私がやることは変わらないわよ。全力で凡人のことを筑摩から守るの!」
「まあ、どっちにしても勘弁してほしいな……」
「私も石川チョー迷惑。来年は石川と別のクラスになって、凡人と同じクラスなら良い――こら!」
「いてッ!」
凛恋にデコピンをされて痛みに顔を歪ませる。目の前では、ニコニコ笑った凛恋が俺の顔を覗き込む。
「彼女の話の途中に胸ばっかり見ない。私の胸なんてそんなに大っきく無いでしょ?」
「胸は大きさじゃないぞ。凛恋の胸っていうのが大事なんだ」
布団の隙間から、凛恋の柔らかい胸の谷間が見え、つい視線を奪われてしまう。
「これも凡人だけのものだぞー」
「り、凛恋! ちょっ!」
グイグイと俺の胸に自分の胸を押し付ける凛恋。凛恋が俺をからかっているのは分かるが、これは布団で添い寝している状況では効果が抜群だ。
「凛恋、ヤバイって――」
「お姉ちゃん、体大丈――」
急に階段を駆け上がる足音が聞こえたと思ったら、凛恋の部屋のドアが勢い良く開く。開いたドアの向こう側には、中等部の制服を着た優愛ちゃんが立っていた。
ドアを開けた優愛ちゃんと、ベッドの中で凛恋と抱き合う俺の目が合う。ヤバイと思って何か言い訳をしようと思った時、優愛ちゃんはそっとドアを閉じた。
「……どうしよう」
「どうもしなくていいわよ。ノックしないで入って来る優愛が悪い。それに、優愛も子供じゃないんだし」
「いや……でも……」
「それに、初めて見た男の裸が凡人なら、優愛はラッキーじゃん」
裸と言っても、布団から出ているのは肩くらいまでだが、それでも彼女の妹に彼女とベッドの中で抱き合っているところを見られたのは気まずい。
「もちろん、私の初めて見た男の裸も凡人よ。凡人はエッチな動画で女の人の裸いっぱい見てたでしょーけどねー」
「お、俺だって本物の女子の裸は凛恋だよ」
「ドキドキする?」
「するに決まってる。今もドキドキする」
「嬉しい! 私も凡人が格好いいからいっつもドキドキする」
またムギュっと俺の胸で潰れる、凛恋の胸の感触にドキドキしながら、凛恋の体を支えるように抱き返す。
「凡人ぉ~」
「ん?」
「どうしよう」
「どうしたんだ?」
「え~っと…………終電逃しちゃった」
「………………………………はい?」
凛恋の言葉に、俺は長い沈黙の末、そう聞き返すしかなかった。いきなり終電を逃したと言われても、終電を逃すような時間でもないし、そもそも俺と凛恋が居るのは凛恋の家だ。
凛恋の表情を見ていると、凛恋は不満げに唇を尖らせる。
「もういい!」
「えっ?」
凛恋がそう言ってクルリと寝返りを打って背中を向けてしまう。その様子は明らかに怒った様子だった。
凛恋を怒らせてしまっ――。
「ごめん凡人っ! 怒ってないから、本当にごめん!」
また凛恋が振り返って涙目で謝る。ほんの数秒の間に目まぐるしく起きた状況に、俺は頭がパニックになる。
「優愛、一階に今は居るし、お母さんもまだ帰って来ないから……だから……」
凛恋は俺の唇を塞いで甘いキスをする。その甘いキスは、ねっとりとしたいやらしいキスだった。
歩こう会による筋肉痛も抜けてきた日の朝、いつも通り自分の席に座る。
「おはよう、凡人くん」
「おはようございます」
隣の席に座る筑摩さんからニコニコ笑顔で挨拶をされ、俺はその挨拶に無難な挨拶を返す。
挨拶を終えてドサッと椅子に腰を下ろした俺は、俺の机にA四サイズの茶封筒が入っているのを見付けた。
そんな物を入れた覚えはない。しかし、その茶封筒の表には『多野凡人様』と書かれていて、明らかに誰かから俺へ宛てられた物だと示していた。
その封筒の口を片手で開き、その開いた口の中から中身を見る。封筒の中には、大きな文字が印刷された一枚の紙と、CDが収められたプラスチックのCDケースが同封されていた。
俺はその封筒の口を閉じ、そのまま封筒から視線を外した。
「凡人くん? どうしたの?」
「いや、何でもないですよ」
隣に居る筑摩さんにそう返して、視線を前に戻した。
視線を戻したまま、さっきの茶封筒の中身を思い出す。
A四の紙に書かれたたった七文字のその言葉を。
『八戸凛恋の正体』




