6.ボボルへのいざない
土曜日の夕食後、俺がヘッドセットを持ってリビングでそわそわしていると、両親が快くリビングを空けてくれた。ゲームに理解がある親でよかった。
俺が「ありがとう」と言うと、むしろ毎日プレイしないのが不思議だという感じだった。
覚醒時間の長さと、クリティカル切れが無ければ、俺ももっと遊びたい所なんだが……。
「うわっ」
ログインしてまず驚いた。目の前に先日の女性がまだ居た。
「あのー、すみませーん」
「あ、はい」
「最近、ボボルの卵をあまり攻撃されてない様なので、もしよろしければ、お暇なときにお願いしたいのです」
「ボボル? 卵って、あの練習ボール?」
「今日も一回攻撃されただけで」
今日はやってない。蹴ったのは三日前か。夏の日差しに負けそうな、学者タイプの女性だった。
「まあ、暇なときなら」
彼女はこちらの返事を待っている様に思えたが、俺が話かけても返事はない。
「もしもーし」
もしや彼女はNPCなのか? 見た目が冒険者っぽくないし、会話も依頼形式だ。もしもNPCならば目の前にずーっと居たことも一応は納得できる。
それならばと、了承の意を持って決定ボタンを押した。彼女の頬にジャブがヒットした。
「あんっ」
喜色混じりの悲鳴とともに彼女が倒れこむ。
「私じゃなくて、卵にお願いします!」
彼女は立ち上がりながら抗議の声をあげて俺の真正面に立ち、上着のポケットから取り出した金色のネックレスを俺の首に掛けた。彼女の匂いは感じられないものの、ドキッとした。
「ではー、よろしくお願いします」
彼女はおじぎの後、遠ざかっていった――「ぼぼるぼーるぼるー」――ご機嫌な様子で歌をうたいながら。
報酬の前払いか? 約束破ったら首が絞まるとか? まさかね。
しかしなにげにこれが初装備、こうして俺は強くなっていくのか。
冷静に思い返せば、NPCと会話するには、メニュー内で「はい」、「いいえ」、「任せろ」などの返事候補を予め音声認識させる必要があった。
「別に、あんたの……」を同意語句として設定すればNPC相手にツンなプレイが可能だ。
音声認識の設定は、職業選択ゲートのあったゲーム開始地点にいた案内人の女性に話しかけることでも可能だった。彼女は世界の成り立ちや、職業を説明する役割も担っていた。会話をスキップしたり、俺のように話しかけないで職を選ぶ人も多いらしいが……。
ネックレスを直接掛けてくれたのは、道具袋が満杯だった俺への特別サービスかな?
今日追加した動作はファイティングポーズと防御。
ファイティングポーズは雰囲気作りのためには欠かせない。いままで何の構えもせず戦ってきたが、日々の貴重なスキル追加枠を使うことになっても、やはり構えてから戦いたい。俺にはそんなこだわりがあった。
ポーズの登録を済ませ、静止した右前の構えのままでの移動を調整したり、構えながらの技の出具合を素振りで確認した。
棒立ちよりは構えていたほうが、ジャブなどの手技の出がやや早くなり、キックにおいても不都合は無かった。威力の変化は素振りなので不明だ。
防御は後日、ザコ敵を相手した時にでも調整するので、今日はここで終了した。
そして水曜日。追加した技は、サッカーボールキックと後掃腿。
サッカーボールキックは威力重視に育て、黒狼へのリベンジに使いたい。あの狼には正直、槍でも使ったほうが楽だとは思うが、奴のHPの低さに勝機を見出したい。
あの狼も含めて魔獣自体には、滅多に出会えるものでは無いらしいが、俺はあの時、偶然にもオーバーキル気味に倒せたことに関係がある気がした。
後掃腿は敵の上段攻撃をしゃがんで避け、なぎ払いのような下段蹴りを繰り出しつつ周囲を見られる、今の自分には願ってもない技だ。狼には当てづらいかもしれないが……。
先週、二つの技を一遍に調整したら、物凄いだるさに襲われ効率も悪かった。なので今は、ボボルの卵と呼ばれたボール相手に、後掃腿の調整に専念する。
後掃腿をボールに当てて前に振り返ると、浮いたボールが落下する途中だった。ボールはもっと重たい印象があったので、俺は驚いた。
後掃腿の打撃音はあったが、万に一つを考えると、蹴りの力だけで浮いたという確証は持てない。ヒット時に後ろを向いているのが早速裏目に出た。
ネックレスの効果か、それともレベルアップで強くなったのか? ネックレス無しで試そうにも、外すのすら一苦労だ。
試しにサイドキックを放つと、ボールは以前の半分も動かすことが出来なかった。コボルト用に調整されたキックの軌道ではボールの真芯を捕らえられなくなっていた事をうっかり忘れていた。
未調整のサッカーボールキックでは前に動くだけだった。
いずれにせよ、この浮きを利用してバウンドコンボなんか出来たら面白そうだ。次の課題にしよう。
後掃腿の練習に戻る。威力を上げればボールはより高く浮くだろうか。浮かせるには威力以外にもコツがありそうだが、俺が優先すべきは浮き加減ではなく、威力と敵の上段攻撃の回避。敵の上段を想定しつつ調整を重ねる。
思い通りの技を出せる喜び。全身の調和の取れた動きを登録することは難しいが、ひとたび登録できれば、ボタンひとつで理想の技が使えることに、俺は興奮を覚えた。
冒険も装備も仲間もそっちのけでのめり込む。
調整を重ね、少しずつ理想に近づく技。碌に操作のできない、覚醒に最長半日もかかる状況の中でも、自分が誰よりも一番自由なのではないかと思えた。
後掃腿に満足した俺は、サッカーボールキックの練習に移る。動く敵を相手にしたい。
修行相手には通常の野生狼がいいだろう。やつらの生息地を目指す。
ほどなくして狼のいる草原についた。群れだ。これは無理だ。俺が縄張りに踏み入れたら大挙して襲い掛かってきそうだ。
いい経験にはなりそうだが、練習にはなりそうに無い。後掃腿で一掃ともいかないだろう。
周辺には一匹狼も見当たらず、仮に居ても強いかもしれない。俺は早々に退散した。
代替案として猪と戦おう。このフィールドの猪は初心者向けで好戦的ではないので、先に突進してくることもなくこちらが先手を取りやすい。激怒した母猪が襲ってくることもない。
心を鬼にしてサッカーボールキックの餌食になってもらおう。
猪は一撃で倒せる。あの黒狼を思い浮かべながら、右足で猪を蹴り上げる。牙があれば牙を避け、アゴや腹を狙う。
蹴りを食らった猪が山なりに一メートルほど吹っ飛ぶ。ドロップした素材は持ちきれず野ざらしだ。村の店主でも殴れば、荷物を買い取って貰えるだろうか?
猪がしぶとくなった。クリティカルの恩恵が切れた。ここからは防御の練習開始だ。
防御にもクリティカル判定があるのだろうか? その可能性に切れてから気づいた。
大ダメージを心配したが、猪の攻撃力は元々大したことがなかった。
防御動作といっても、盾を持たず、アドリブの利かない俺は、敵の多彩な攻撃を防ぐことも、弾くことも難しい。金剛体で全ての攻撃を弾けれればいいのだが、VRにおいて体を硬くすることは可能なのだろうか? さしあたっては、敵の攻撃が当たる瞬間に微妙に動いて打点をずらし、歯を食いしばって耐えようと思う。
そして翌週の水曜日、技を増やすことに楽しさを見い出した俺は馴染みのボールの草原に戻ってきた。追加した技は三つ。さあ早くバウンドコンボを試そう。