5.コボルト大乱闘
水曜日、午前8時。出社する両親を見送り、さっそくゲームの準備。
あらかじめ毛布を体に掛けておく。親が帰ってくる前に、問題なく覚醒できているとは思うが。
へその下あたりがコントローラーでこんもりしてるのが恥ずかしい。
ログインしたら、まずはボールを一蹴り……バシーン!
これからの狩りを暗示させるいい音だ。
こんな清々しい始まりでもメニュー機能は追加できない。いや、他に出来ることがあるうちは、へこたれるのは止そう。
今日は、『拾う』と『右の正拳逆突き』を追加した。
メニューによる動作関連のコマンドは、調べる・使う・渡す・捨てる・装備・マップ・そしてログアウト。
アイテム・マップ・装備などは、自分で使うなり着てもいいし、面倒ならコマンドに任せてもいいといった具合だ。
「メニューが使えたら週一課金してもいいんだけどなあ」
忙しいプレイヤー向けの週一限定課金ブーストプラン。毎週選んだ曜日の日だけ、能力一割上昇、獲得経験値上昇、そして悪用厳禁のPKプロテクトの恩恵が受けられる。限られた時間をまったり楽しむ為に戦闘中はPKを受けず、平常時にPKされてもゴールドしか奪われなくなる。選ばなかった曜日でも接続は自由だ。
週一プランは、人の少ない平日は料金が安い。まさに水曜日しかゆっくり遊べない自分のためのプランだと思えた。
他のサービスは、半年以上ブランクの空いたプレイヤー向けの『お帰りキャンペーン』や、例えば8日に落ちたら翌月8日ぴったりに繋ぐと適用される『マルっとひと月キャンペーン』が無料で用意されている。
コボルトの森に到着。ボール用からコボルト用にサイドキックの高さを調整する。
今日の目標は、敵の武器種による挙動の違いを見極めて、最終的には二匹同時でも難なく相手出来るようにしたい。
こまめに安全地帯の草原に戻り、HPを回復。あくびで回復速度に変化は無かった。
倒したコボルトがドロップした装備を拾うのも一苦労だった。
クレーンゲームの様に、拾うための手の落下地点にあわせて体を移動させる。集中を要するゲームの中で、さらに集中を強いられる。
抜き身の剣も恐ろしいが、つかみどころの無い盾が厄介だ。盾をメンコのように裏がえして拾うか? 地面に腰からお出迎えすれば、腰に下げた万能道具袋が吸い込んでくれるのかも知れない。
剣はしっかりグリップを握れば装備できそうだが、まだ使わない。気分転換したい時にでも使おう。
格闘のためにはナックル系がほしい。上手く指が納まれば、拾うと同時に装着できるだろうか?
戦いを続けながら、カウンターを狙い易くするために技の研鑽を続けた。サイドキックはよりシャープに、飛び膝蹴りと正拳突きはボタンを離すまで――威力は変わらないが――ディレイが掛かるようにした。
森に他のプレイヤーは居ない。初心者は好戦的ではない鹿等を狩るか、パーティーを組んでもっと強い敵を狙う方が効率がいい。
いわばフィールドの一部を独占状態だ。恥ずかしがらずに技とともに声を出して自分の世界に没入できる。
程なくして道具袋が満杯になった。安そうなアイテムで持ちきれなくなるのもコボルトが不人気な理由か?
拾う動作の続きに放る動作を加えて、道具袋に入らない場合は自動で手放せるようにした。
「トゥーマッチ」
今まで握っていたグローブを手放すときに、某ハクスラゲームの真似をした。
アイテムや石を放り投げてコボルトに当てたりはしない。奴等が飛び道具を使わない限り俺も使わないつもりだ。
コボルト自体が弱いこともあり、無傷でかなり森の奥深くまで来れたと思う。そこには、ほぼ真っ黒なコボルトが居た。ここのボスか? 取り巻きは居ない。最後にこいつに挑戦しよう。ステータスは見れないが、俺もここまで戦ってきて、少しは打たれ強くなってる筈。
斧を振り上げたコボルトにあわせて、カウンター気味に正拳突きを放つ。ぶっ飛ばされたコボルトは、背後の樹木にぶち当たり、落ちてきたツルに上半身を絡めとられ、立ったまま行動が阻害された。
これは禁止されてる地形ハメになるのか? ステージギミックだよな?
俺はやや拍子抜けしたが、遠慮なくサイドキックと正拳突きを交互にぶち込んだ。
森に差し込む日差しが消えて、辺りが暗くなる。
止めとばかりに放った飛び膝蹴りが当たる直前に、雷が目の前のコボルトに落ちた。
”ビシャーン!”
落雷の勢いに俺は弾き飛ばされ、雷を受けたコボルトは苦しそうに悶え、見る間に地を這う黒狼に変化した。俺は倒れこんだ――無様にひっくり返った訳だが――のは初めてだが、移動スティックであっさりと立ち上がれた。
強そうな敵だ……強そうだ……対する俺は……。
「下段攻撃もってねえ!」
勝負にならない!
何か使えそうなものは?
サイドキックをローキックに軌道修正するか? 嫌だ! 練りに練ったサイドワインダー(今、名付けた)を大幅に軌道修正させたくない。戻したときに絶対、攻撃力が下がる気がする。
逃げるか? 森に火を放つ? さっきの雷で出火はないか? 火種があれば放り投げる。緊急事態だ!
狼が前足を振り上げて、飛び掛ってきた。
”ジャーーラーッ!”
狼と樹木を繋ぐ鎖が音を立てた。
攻撃は届かなかった。見れば狼は首輪をつけ、その首輪から伸びる鎖で樹木に繋がれていた。樹木の直径は1メートル超。狼に折られる心配はなさそうだ。
樹木の側の鎖が何かに固定されていれば、樹木をぐるぐる回ることで、巻きつけることが出来るかもしれないが、生憎、鎖は投げ縄の様なループ状で樹木に結ばれ、固定されてはおらず、狼の樹木から行動範囲は変わらない。
その半径は2メートルと言ったところか。ギリギリの距離まで近づいて迎撃する技が欲しい。
地面を叩くように激しく拾う? しゃがみジャブ?
攻撃の届かない範囲に居るとはいえ、強敵を前にスキルを有用なほどに修正できるのか?
狼の顔に飛び膝蹴りの足首部分でダメージを与えられるかも。慎重に試すものの、あっさりと右足が噛み付かれた。
行動範囲外に逃げようとするも、狼の引っ張りに負けそうだ。
レバガチャならぬスティック&ボタンガチャで、なんとか狼を振りほどけた。
出鱈目に押したボタンによりサイドキックのために振り上げた左足が、キックを出し切る前に正拳突きの為に振り下ろされ、狼の右前足を踏み抜く。ちょうど尖った石の上にのった右前足を。
痛がる狼。今のでHPが三割は減った。HPは少ないらしい。しかし俺のHPも残り半分を切っている。
もう一度、狼の間合いギリギリで、今の踏み抜きを再現するチャンスを待つ。今度は顔を踏み抜きたい。尖った石、狼に避けられたら裸足の俺も痛そうだ。
狼も警戒して鎖を余らせ、俺に近寄ろうとはしない。俺の挑発にも、誘いの飛び膝蹴りにも応じない。
「アゥオーーーン」
焦れた狼が遠吠えを始めた。仲間を呼ぶ気か?
「ばっ、おい! やめろ!」
呼びかけに周囲のコボルトは応じない。この森に狼は居ない。
数分の膠着状態の後、狼は樹の幹に吸い込まれるようにして鎖ごと消えた。
「ふう、引き分けか……」
ただの無気力試合、判定があればこちらの負け試合である。
「変化……か」
変化――稀に倒されたモンスターが変化することがあるという。魔獣化、悪魔憑きなどとプレイヤーの好きに呼ばれている。
変化モンスターを操るのは、学習型AIだとも、ゲームを盛り上げるために8時間交代で働く36人のスタッフだとも、まことしやかに噂されている。
戦いが終わってみれば、眠い、ただただ眠い。技の微調整に根を詰めすぎたか?
クリティカルの恩恵が切れる前にここを離脱しよう。
無事、森を抜け草原の安全地帯にたどり着いた。
安堵する俺のもとに、一人の女性がゆったりとした足取りで近づいてきた。
「あのー、すみませーん」
覇気のない、学者タイプの女性だ。
「ううっ? もう落ちます」
俺の返事も覇気が無い。せっかく声かけてもらったけど、初めて声かけられたんだけど……ごめん、眠気の限界だ。
俺は返事を待たずに、ログアウト用のマウスをクリックした。