3.ノーマルとリバース
俺は仕事から帰ってきた母親に起こされた。
リビングでマッサージチェアに座ったまま、ログアウト後に寝ていたらしい。寝落ち成功だ。今は夜の10時、5時間ほどか。
寝足りない。頭はさえないし体もだるい。ヘッドセットしたまま寝てたせいなのか、はたまた揉み返しか?
「たのむよ救世主」
「なに、寝ぼけてんの? それで、どうだったの、買ってよかった?」
「あ、ま、うん……よくわかんね」
「ふーん。春人、リモコンは?」
「ああ、スマホ。貸して」
母のスマートフォンを受け取り、マッサージチェア単体としての操作アプリをインストールする。チェアに貼られたQRコードを読み取れば、後は待つだけ。眠くても出来る。
リモコン、リモコン、リモートコントローラー。
「うーん、あ、おかえり」
寝ぼけながらも次に試すことは決まった――ゲーム用コントローラー、ゲームパッド。気の早いことに両手は既にパッドを握っているかの様だった。
俺は隣の自室に行きかけて、ヘッドセットをチェアから外すのを忘れていた事に気づいた。ヘッドセットは自室で管理する。両親が「ゲームスタート」する可能性は無いと思うが、うっかりヘッドセットを尻に敷く可能性はかなり高い。ヘッドセットとチェアをつなぐ光ファイバーケーブルは捻れに弱いから余計心配だ。
次の日、大学から帰るとさっそくゲームスタート。
用意したパッドは、多くのメーカーが生産しているアナログスティック2本と16ボタンのものだ。よく手に馴染んだスタイル。
パッドをつなぐ必要はない、一度つないで認識させる必要もない。もともと対応していない。俺にとっての精神的なお守りだ。
こいつで操作出来ればありがたい。ボタンは16個もあるし、なにかしらの発見がありそうだ。
ツインスティック、車のハンドル、アーケードスティックにマラカススティック……夢が膨らむ。そして連射機能付きのマクロ搭載型ゲームパッド。
「マクロか」
マクロにはどんな挙動を見せてくれるのだろう。忍者なら分身できるのか? 規約違反だろうか? いやいや、脳波操作型VRにマクロもくそも無いだろう。
「おっと、集中集中!」
まずは移動を期待しての左スティックから……。
検証は短時間で終わった。2本のアナログスティックによる移動と視界操作はできたが、その他のボタンとスティック押し込みの計16箇所の試みは無反応だった。
左スティックは前進、後退、左右旋回といった具合で、倒しこむ向きと角度で、やや右側に向かって走るなどの微妙な調整が可能だった。
昨日に比べれば、移動の自由は格段に増えたものの気分は晴れない。正直、ジャブくらいは出るだろうと期待していた分、落胆のほうが大きい。
何か、何か無いのか? 動く、攻撃するためのデバイスが。今までのゲーム知識からヒントを探す。
モーション検知カメラを使えばパンチが出せるかもしれない。
しかし、脳波入力VRゲームでパンチを繰り出すため、カメラの前でパンチを繰り出す。レンズに見られていることを意識しながら、USB端子に未接続のカメラの前で……滑稽だ。果たしてそれは脳波入力といえるのか? カメラの電源は入れるべきなのか?
「落ち着け、落ち着け俺。こういう時は他人のスキルが盗めるもんだ……多分」
俺がカメラになるのだ! 付近にいた見ず知らずのプレイーヤーに熱い視線を送る。
「しっかしリバースか、ノーマル派なんだけどなー」
右アナログスティックのことだ、右スティックによる視界操作の設定はリバースタイプ。例えば下に倒すと上に、右に倒すと左に動く。スティックで後頭部を動かす感じだと聞いたことがあるが、俺はいつもノーマルモード、順操作に慣れ親しんでいる。
「変わらんもんかな? これ」
変わった! いともたやすく簡単に。俺が望めば変更が可能なのか?
「これが操作のコツか……違うよな」
早速、祈る想いでボタン1にパンチを登録。頭の中で出したい技を想像する。
「やっぱり基本はジャブでしょ」
シュッ、シュッ!
ボタン1を押せば連動するゲーム内の体、俺の分身。その右腕を今、初めて見た。
楽しい。技が出るだけで楽しい。寸分たがわぬ右ジャブの連打、サウスポースタイル。
次はボタン2に左サイドキック、昨日見たあのボールを蹴るためだ。
さっそく初心者らしいプレイヤー達に混ざって、手つかずのボールにミドルキックを放つ。誰もボールを倒せないが、ボールからの反撃もない。ここはやはり技を磨く場所なのだろう。
ペチッと音をたてキックがあたる。与えたダメージ量の表示などは無い。
ボールが受けたダメージの大きさに比例してノックバック距離が長くなるようだ。全てのボールはくすんだ灰色で模様はなく、転がったのか押しやられたのかは分かりづらい。
ボールの真芯を捉えるべく、間合いを調節する。ノックバックしたボールが勝手に元の位置へ戻ってくる事が、同じ技を繰り返す俺には大変都合が良かった。
ひとたび攻撃ボタンを押せば軌道修正などの調整は全く利かない。技を途中で止めることも出来ない。ランダム性も一切ない――足場などの不確定要素には影響されそうだが――ただ愚直に同じ技を繰りかえす。
大振りのキックがボールに当たって、足が振り抜けない場合は技の戻りが自動で始まる。軽そうなものを蹴ったときの挙動の違いも確かめたい。
ミドルキックに続いて、この調子でいろいろな技を増やしたい所だが、新技の登録にはかなりの集中がいるらしく限界を超えた途端に操作が出来なくなる。
「膨大な技表は一度に覚えれないものさ」
いづれはコンビネーションを、連携を、コマンド必殺技を覚えたい。俺は現状を受け入れた。これはもう格闘ゲームだと割り切っていた。
「横画面にはならんよなあ?」
敵との距離を把握しやすい格闘ゲームでおなじみの横画面には流石にならなかった。
俺は夢中になってキックを放っては技の練り直しを続ける。ボールへのインパクトの瞬間に納得の音が出せる様になるまで、時にコンパクトに、時にダイナミックに。
軸足を踏みしめ、インパクトに合わせて関節を一気に固める。脚の振り抜きを意識したほうが良い音が出た。もっと上達すれば振り抜かずとも同程度の音が出せるのだろうか。
全力で蹴り続ける。俺のアバターには筋肉痛も骨折の心配もない。
練習場が過疎ってきた。声を出していこう。
「おりゃー」、ドガツ! 「くそがー」、ドガツ! 「金かえせー!」、ドガツ!
すっきりした。
ボールに会心の蹴りを決めると、5センチほどひしゃげられるようになったものの、ボールはすぐに復元する。
ノックバックの最大記録は目測30センチ。しかし、いくら蹴っても元の場所に戻ることに変わりはなかった。練習は終わりだ、倒せる獲物を探そう。ガードとジャンプも欲しい。
次の標的は森に群生するコボルト、その群れの中で孤立している奴を狙う。鹿や牛などの獣型よりも人型モンスターと格闘がしたい。