2.ゲート
クソゲーと断じるにはまだ早い。が、全く操作できなかったのも事実。
壊れてるのか? 何かがおかしい。
最悪メーカーにて点検、返品コースになるのだろうか。出鼻をくじかれた思いだ。
株主優待割引を使って随分と安く買ったにしても酷すぎる。かといって、もうやらねーと諦めるのにも惜しい出費だった。
「サポートを呼ぶか、ヘッドセットだけでも見てもらおうか」
どうにかチェア一式を返送せずに済む方法を模索しながら、便所から出た俺はそのまま自室に向かいノートパソコンを立ち上げた。
初期不良なのか、何かが足りないのか、コンセントはアースも含めてしっかり刺さってる。通信速度も申し分ないはず。
パソコンの検索サイトを使い『ダーククレイドル 動かない』といったネガな単語で検索してみる。
似たような体験などがヒットすればありがたい。公式サイトより生きた情報を得られる可能性がある。
なるほど、どうやらこのゲームはVRMMOの初心者にはおすすめできないらしい。操作にちょとしたコツが要るとのこと。ゲームプレイを諦める人もいるそうだ。
確かに俺はズブの素人だ。優待割引につられて買った面は大いにある。
VR経験者のほうが少数派だろうと思う反面、脳波操作系のミニゲームくらいは体験しておくべきだったかなと後悔した。
このゲームは今流行の匂いや味や殴られた痛みを脳波干渉によりゲーム内で体感できるといったフィードバック機能を捨て、脳波の送信精度と速度に重きを置いている。
その割には映像伝達方法が遅延の出る液晶方式であったり、ちぐはぐな感は否めない。
多くの人気ゲームが脳への擬似信号により五感をよりリアルに再現すべく試行錯誤を重ねる一方で、このゲームは伝達デバイスに液晶とサラウンドヘッドフォンを使い、プレイヤーが発する脳波信号の入力精度と速度に重きを置いている。
さらには脳波で会話、意思疎通の可能なVRゲームが多い中、このゲームはいまだプレイヤー間の会話にはマイクとヘッドフォンを要する。
それらの理由から『ダーク・クレイドル』は多くのゲーマーから時代遅れ、旧世代ゲームとの評価を受け、それが不人気の理由の一つとなっている。
俺はこのゲームにはデバイスからの脳波干渉が無いことは知っていたが、操作だけでここまで手こずるとは思わなかった。
脳波送信レベルの低下など、何らかしらの不具合が生ずると、最長5分で自動ログアウトとなるらしい。先ほど停止したのはそのためだろう。
「早速お世話になるとはな」
異常の脅威レベルに応じて待機時間も様々だ。
ちなみに無理やりヘッドセットを外すのは、人体に影響はないものの故障の原因になるらしい。さっきは我慢して正解だった。
例えば寝落ちや、それに近い状態と判断された場合も予期せぬ誤操作を避けるためにログアウトとなる。
知らぬ間に魔法をぶっぱなしてたり、アイテムを売っぱらってたら困るだろうし。
有料オプションにて停電や、家庭に備え付けた火災警報器等との連動による緊急ログアウト機能も追加できる。
健康器具メーカーらしい良い配慮だと思うのだが、このチェアが製造中止という事実を鑑みれば俺は株に向いていないのだろう。
ログアウトと言えば、さっきは難儀したのを思い出した。操作だけでなく、それについても解決策を調べたい。
「なるほど、ナースコールみたいなものか」
外部ログアウト機能を使うにはチェア側面のUSB端子に緊急停止ボタンの役割をする何かを用意すればいいらしい。それはパソコンのマウスでも代用が効く。
マウスならノートに繋いだ手元のこれがある。手っ取り早くこれを使おう。
リビングに戻り、手順書どおりにチェアの電源を入れた状態でマウスを繋ぐ。
電源は先ほどのログアウト時に落ちていた。必要なのはちょっとしたコツ!
「ゲームスタート!」
再ログインするも、置かれた状況に変化はなかった。
闇夜、雷鳴、微かな呼び声。
相も変らぬ盛大な雷である。クレイドルとは充電の方なのか?
またも体は動かない。「ふーっ」っと漏れるため息とともに肘掛けの上で掌に収まるマウスの背をポンッと叩いた。
マウスが反応した。画面に表示された風景が揺れる。ゲーム内の視線が動いたのだ。
「マジで?」
右に左にゆっくりマウスを動かしてみる。それにあわせて視線が動く。
体験型ゲームとは? そしてこのゲームは脳波で動かすのが売りのはず。
マウス操作に追随する視線に俺は困惑した。
突然、マウスの操作が効かなくなった。しかしさっきまで確かに動いていた。気のせいではない。
「集中、集中」
心を落ち着かせれば、いとも容易くマウスが機能し始める。
集中を要するということは、つまりは脳波の干渉下にあるということか。これを取っ掛かりに自在に動けるようになれば、そんな期待が持てた。
ゲームの世界に意識を戻せば、マウス操作でやや広がった視界で確認できるのは三つのゲート。
ゲートは粗野な巨石造り。足元は暗い。
各ゲートそれぞれの虚空になんらかの紋章が光彩を放つ。
もっとよく見ようと集中すべく目を凝らしながら無意識にマウスをクリック。俺は一歩踏み出し……かけたところで急にゲームがストップした。
マウスのログアウト機能を忘れていた。
落とされはしたがそれはさておき、気になるのはマウスで視線を動かせたことだ。
クリックした瞬間、新たな挙動もみれた。マウスは俺にとって心を落ち着かせるためのキーアイテムなのだろうか。
お守りのようなものならばとマウスを端子から抜いて再ログイン。
復帰すれば続きから。マウスも俺の望んだ役割を果たす。
先ほど気になった虚空に浮かぶ紋章をクリックすれば、それに向かって歩き出す。
近づくにつれて明らかになるそれは簡略化された天秤ばかりの絵だった。
説明書によれば旅商人のシンボル。このゲートを潜れば俺のジョブは旅商人か。
ワンクリックで思いのほかゲートに近づきすぎたので、他のゲートを選ぼうにも修正がきかない。
希望の格闘家とは違うが、旅商人も悪くない。諦め半分でそのままゲートを通過した。
ゲートの先には足場が無かったらしく、真っ逆さまに転落していく。
遠ざかるゲート、風を切る音。恐怖感はない。
「まあこんなものか」
臨場感に関しては、たとえ宇宙飛行士が訓練に使うような可動式チェアで天地逆転されようとも、フィードバック型VRマシンに敵わないのかもしれない。
落下中、自身が雷に打たれたのかと思うほどの、まばゆい光と轟音に包まれて俺は目を塞いだ。
目を閉じている間、VR技術が現実と遜色なくなればゲーム世界でも走馬灯を見るのだろうか、飽きるほどにスキルをお手軽に体験できる日は来るのだろうかと考えていた。
ほどなくして、周囲の気配が変わったことに気づき目を開けば、俺は草原の中にいた。
先ほどとはうって変わっての晴天。白雲が流れ、遠目には雄大な山脈が連なる。
有体に言えばのどかな初心者向けフィールドだが、これからの冒険を期待させる開放的で美しい風景。苦労してたどり着いた分、感動もひとしおだ。
ぐるっと周囲を全方位眺めたいが、ここでも俺は振り向くことが出来ない。視線の操作と見える範囲への移動しか出来ない。
俺は視線のギリギリ端をクリックして大回りに右旋回する。なだらかな平原と散見する森、周回上に小川などの致命的な段差がなくて良かった。そして村が見えた。
雑魚モンスターなのだろうか? 平原に点在する腰の高さほどのバランスボールの様な球体を武器を手にぎこちない動作で攻撃する人々。
銘々が個別のボールを相手にするいわゆるソロプレイヤー。球体からの反撃はない。
自分も今は彼らの見よう見まねで戦ってみたい。
村は後回しだ。段差や行き止まりに嵌ったら抜けられない可能性がある。
俺はボールの群れの中、あっちへふらふらこっちへふらふらと移動する。
こいつをクリックないしダブルクリックすれば、近寄ってオートバトルでも始まるのだろうか?
試せばボールがよく見える距離まで移動するだけだっだ。
他人をクリックするのはやめておこう。
マウスの右は無反応。ドラッグ、ダブルクリック、ホイール、思いつく操作を試みるも全て無駄。
飽きた。心が折れた。ログアウトしよう。
この世界は美しい、寝落ちしてしまおうか……マウスを二個用意すれば良かったのかな。
俺はログアウトのために五分間ぼーっと雲の数を数えた。