1.動かない
本日、我が家にマッサージチェアが到着した。水曜日の昼前、配達時間指定どおりだ。
さっそくリビングで開封、そのまま設置する。ちょっと重かったが、リビングが一階で助かった。洋風平屋建て、自室はリビングの隣だ。
俺の名は落合春人。近所の大学に通う一年生。共働きの両親と、この家に住んでいる。
到着したのは、一見ただの黒い合皮張りのマッサージチェアだが、実はこの椅子は付属のヘッドセット・コンセント・そしてネットワーク回線を繋げば、VRMMOが遊べてしまうのだ。パソコン等が必要なのは初期のアカウント登録と課金の時くらいだ。
長い時間、同じ姿勢をとりかねないVR機器において危険視される、エコノミークラス症候群対策の救世主という大げさな触れ込みで売り出されたマッサージチェア。
これは売れると思った俺は、親に販売元の家具メーカーの株主になってもらったものの、大した話題にもならず半年で製造中止になった。
そこそこ売れたらしいが、ゲーム目当ての購入者数と、現時点での利用者数は非公開。ゲームハードメーカー協力の元とはいえ、家具屋の作ったゲームマシンというのは無謀だったのかもしれない。
現時点で一つのゲームしか遊べないのも問題だろう。その唯一のゲームの名は『ダーク・クレイドル』。
ちなみにチェアで無くとも、一般的に普及しているヘッドセットで問題なくプレイ可能だ。
プレイ中の姿なんて見られたくないので、本当は自分の部屋に置きたかったが、母もチェアのマッサージ機能は使いたいと、到着を楽しみにしていたのでリビングに置くことと相成った。
とまあ、そんなことを考えている間に、ゲームのインストールとヘッドセットの動作チェックが完了した。今日は大学もバイトも無いので、みっちり遊ぶつもりだ。
いざゲームの世界に繰り出そう!
マッサージチェアに適度に腰掛け、座り心地を確かめる。ヘッドセットを被りマイクに開始の合図を送る。
「ゲームスタート」
液晶画面を通じて初めて見た景色は、自分を取り囲むように並んだゲート、そして落雷。晴れてはいるのだが、闇夜の中、頻繁に雷が落ちてくる。
まず目に付いたゲートは石造り。配置はそう、ストーンヘンジの様だ。きっと似たようなゲートがぐるっと続いているんだろう。と、周囲を見回そうと思ったのだが……動かない。体が全く動かない!
意識の方だけではなく、実体の方の頭を振っても無反応だった。
後ろから女性らしき人のささやき声が聞こえるのだが、雷鳴に加え、振り返ることが出来ないので聞き取れない。ムービーなのか、何かのイベントなのか、今までやったゲームの経験から推測する。
まるで金縛の様だと思ったら、じわじわと尿意に襲われだした。ステージ上に便所を探したが、そうじゃない。ログアウトで便所だ。
説明書によれば、メニューを開いてログアウトを選べばゲームは終了する筈だが、メニューよひらけ、ログアウトしろ! と念じても、声に出しても一向にメニューが開かれる様子がない。
落雷の勢いは衰えることを知らず、今も四方から鳴り響いている。
ピシャッ……ドゴーン!
「はい、どっこーん」
ドッカーン!
「はい、どっかーん」
轟く雷鳴が膀胱をゆらす、そんな気がした。限界は近い。
飽きた。これっぽっちも操作できないことに、嫌気がさした。
いきなりヘッドセットを外しても一回くらいなら壊れないだろうか、開始早々に壊したくはない、いや既に壊れてるのかと逡巡するうちに、画面が徐々に暗転しはじめゲームが終了した。
俺はヘッドセットをチェアの座面に置き、便所へと急ぐ。
俺は便所で吼えた。
「なんじゃこのクソゲーは!」