9.「これがメニューか」
――某県某所――
仕事から帰ると、愛猫のプリンが俺のヘッドセットの中で寝ていた。
俺の奴はそんじょそこらのハチマキ型ではなく、野球のヘルメットみたいな形でセンサーが30個もある高性能タイプだ。
猫鍋ならぬ、猫メットか。写真をblogにアップしよう。あまり使ってないから、俺の匂いが好きでそこで寝てる訳じゃあなさそうだ。
PCをスリープモードから復帰させると、俺がちっとも操作できずに投げたVRゲームと、猫の脳波翻訳アプリが起動中だった。なになに? 「許してにゃん」?
まさか、そこで粗相でもしたのか? おいおい勘弁してくれ、高いんだぞこれは……ふぅ、セーフ。
そりゃそうだ、おふざけ無料アプリだもんな。何を焦ってるんだ俺は。
◇◇◇
「うぉおおおー!」
群集は勝ちどきを上げ、ハイタッチを交わす。
HPが尽きた俺の道具袋から飛び散るコボルトから奪った戦利品の装備と素材とゴールド。ガラクタばかりのドロップに群衆からは落胆の声があがった。
金色アイテム二つの所有権は神官の手に渡ったが、彼はそれらを一箇所にかき集められた戦利品の上に置いた。そして神官の主導による金色アイテムを特賞に据えた戦利品抽選会が、俺の亡骸の傍らで開かれた。
抽選会の盛り上がりを他所に、俺は目の前の画面に釘付けになっていた。
「これがメニューか」
死んでやっとメニュー画面に対面できた。怪我の功名というやつか。
こう、世界が止まったイメージというか、臨死体験というか、メニューを開くコツがしっかり掴めた。俺はさっそくメニューをセレクトボタンに登録した。
メニューは生き返らなければ閉じることが出来ない。うまくメニュー呼び出しを登録できたとは思うがが、生き返るまでの暫くの間メニュー項目を堪能しよう。もし失敗していても死ねばまた開ける。
これでチェアにつなぎっぱなしのマウスともおさらばか。ゲーム内では生き返ってからログアウトしよう。無闇に挑戦して、覚醒時間などに影響がでたり、永遠の眠りにつくと恐ろしい。
俺がメニューから地図を呼び出し眺めていると、個人チャットの申し込みがあった。ユカさんから、ステータスは死亡……霊界通信だ。
きっと、俺が殺した水色スカートの女性だろう。怒られるのだろうか? いや背を向けての一撃だ、いわば不慮の事故。相手の言い分も聞いてみたい。
普通の人は脳波でカーソルを操作するのだろうが、俺はコントローラーで画面内の了承ボタンを慎重に押した。
「ちょっと、いきなり何すんの! おかげでアイテム貰いそびれたじゃない」
やはり俺が殺した女性だ。俺も彼女も神官からの蘇生などを受けず、霊体としてこの場に残っていた。俺はメニューを堪能するため、彼女は何故だろう……俺を呪うためか?
「……すみません」
ある意味、君の活躍で倒された。負けを認めよう。
「ねえ、他にアイテムなんかないの?」
「さっき死んで、持ち物全部吐き出したよ」
「それじゃ、さっきみたいにあのボール殴ってパパッと拾えばいいじゃない」
「そうだな……あー!」
俺は装備画面を開いた。ネックレスがない……所持金、荷物、装備全て失った。PK者への制裁か? 胴廻しの時に、振り落とした訳ではないだろう。
「いきなり何よ?」
「ごめん、さっきみたいにアイテムは拾えないと思う。ネックレスが無い」
「ネック……レス?」
「そう、多分アイテムを拾うために必要なキーアイテム」
「どうりで梃子でも動かなかった訳ね」
文字通り梃子を試したのだろうか。気になったが、彼女はそう言ったきり黙った。心の中で悪態をついているのかもしれない。
俺の脇で行われていた抽選会はつい先ほど終わったらしい。その戦利品中にネックレスがあったのかもしれないが、彼らはほとんどレイド的な機能で会話していたため、詳しくは分からない。
神官の仕切り能力の高さには驚くものがあった。先ほどの決闘も抽選会も、揉めること無く順調に事が進んだ。決闘の真似事とは思いたくない。お互い全力を尽くしたはず。
うまく神官が取り計らったのか、クズアイテムが当たったプレイヤーが、それを捨てていくことも、俺の亡骸に投げつるような事も無かった。
当の神官は今、初心者相手に自分が所属するチームへの勧誘を行っている。
メニュー開けど装備無し。
今手元にあるのは荷物袋と周辺地図だけか。
アイテムが無くなった代わりに称号が六つも増えていた。称号は他のプレイヤー複数名のからの推薦と同意で登録される、ステータス数値には何ら影響の無いお遊び要素だ。
武器商人、4の商人、ヴェニスの商人、裸族、裸の大将、真昼の決闘。
称号が増えていたとリサに伝えると「レッテルなんて……下らない」と、つれない返事が返ってきた。
「にしても、PK者は倒されると裸になるのか、厳しいなあ」
「なに言ってんの? 初めから裸だったじゃない」
エッ? いつからだ、初期装備はいつ脱げた。ダメージの蓄積で壊れたのか、あの森で黒狼を振りほどいた時か、雷に弾かれた時か? 今まで裸で戦っていたのか、それが裸の大将か……恥ずかしい。
「……レアに一つ心当たりがある」
「えっ?」
あの森の黒狼……倒せば何かしら落とすだろう。その話に彼女も興味を示し、次の狩りへの同行を申し出てきた。
「先に謝っとく、空振りでも勘弁な」
「ふふっ、もう怒ってないよ」
今日は色々なことがあり過ぎて、俺自身怒られていたのを忘れていた。
「私はリサ、盗賊のリサ。よろしく」
「俺はバルドル、一文無しだ。ちょっと操作に不慣れな所があるから、色々待たせるかも」
本名の春人をもじってバルドル。実際は不慣れどころじゃない。
「分かったわ、でも、それはお互い様かも」
「そうかー。まあよろしく」
俺よりもっと凄い名前のプレイヤーはざらに居るとはいえ、いざ北欧神話の神の名を名乗るのはちょっと恥ずかしかった。さりとて、それについてリサは無反応。なので俺もチャット申請時の名前がユカだった点には触れなかった。
「あー、先に言っておくけどアイテム売るわよ」
リサが思い出したように声をあげ、真剣な口調になった。
「売る?」
「リアルマネーにするって事」
このゲームは運営の用意するマーケットでのプレイヤー間のアイテム売買が活発だ。取引方法はゲーム内通貨か、リアルマネーのどちらかを出品者が選べる。リサは小遣い稼ぎでもするつもりだろうか。
「身バレかまわないなら、やま……少しはお金振り込むけど?」
山分けって言いかけた? そして身元を明かせと? 主導権でも握りたいのか、匿名でのやり取りなど幾らでもあるだろう。
俺のいぶかしむ雰囲気でも伝わったのか、リサが説明を付け加えた。
「規約でそういうことになってんの。未成年だったら親の同意とかうるさいし、税金もあるし」
「なるほど」
なんという皮算用。レベル4の俺にあまり期待するなよ。
俺はアイテムを売することを了承した。お手並み拝見、本当に税金を気にするほど稼げるのか楽しみだ。
「それで狩りはいつすんの? 今日、明日?」
「一週間後だな。来週の水曜日」
「いっ、いっしゅうかんん?」
せっかく盛り上がった所に、冷や水を浴びせられたように彼女が抗議の声をあげた。彼女の心情も分かるがしょうがない。
「水曜日しか、ゆっくり遊べないんだ。来週から週一の課金も始めるつもりだし」
「分かったわ」
「じゃあ、朝9時からでいいかな?」
今日、ログインした位の時間だ。
「了解。遅れないでよ」
「ああ、集合場所は、えっと、メニューで復活って選ぶと何処に飛ぶんだ?」
「さあね、あんたは牢屋じゃない?」
「きっついなあ、まあ出所したら今日はここで落ちるから、ボール脇で会おう」
「了解。問題ないわ」
個人チャットでは、お互いのステータスが見えない。俺は一撃で倒れた彼女の打たれ弱さを思い出し、その懸念を伝えた。あのときHPが万全では無かったらしいが、確かに今のキャラは脆く、次回から彼女は新キャラで繋いで、操作に慣れておくそうだ。なるほど、それがリサか。
俺のレベルは4だと伝えると逆に俺が心配された。リサが来週までに適当な装備を用意すると言ってくれた。俺は今ほぼ全裸だ。その好意に甘えよう。
俺は格闘系旅商人だと伝えて、ナックル系と左腕のガードを希望した。ハードブーツやスパイクブーツは攻撃力が上がるだろうが、技のバランスが崩れる恐れがあるので、今回はノーマルブーツを頼んだ。
やっとメニューが開けて装備ができる喜びからついつい色々と頼んでしまったが、水曜の狩りを円滑に進めるためと、彼女は快く引き受けてくれた。
チャットを終えて復活を選ぶと、俺は村の門の前で生き返った。先ほど見知った初心者に手を振られた。今日はメニューよりも、挨拶を登録すべきだったか。ジャブや挑発で返事をするわけにもいかず、俺は「またなー」と声を上げた。
挑発で思い出した。力士から裸の大将、ガンマンからは真昼の決闘それぞれの称号に継承依頼がきていた。称号は認めた相手に譲ることができる。複数の称号のうち名乗れるものは一つ。選ばれなかった称号は二日程で消える。
禁止語句、中傷、組織票など問題の多いシステムらしく、称号の可否の線引きはゲームスタッフが判断する。そのために日夜監視している担当者が居るらしい。管理が面倒だろうが、このゲームの譲れないこだわりなのだとか。
あの時は好き勝手できたのは楽しかったし、力士の突進とガンマンの「跳べ」という号令には正直負けた思いがあるので、俺は称号を二人に送った。
なるほど、金アイテムの回収業か。ログアウトのためにボールの広場に向かっていた俺は、やっとヴェニスの商人の意味に思い当たった。何かしら体を動かしていると不意にひらめくというのはVRゲームも現実と一緒なのかもしれない。俺は称号にヴェニスの商人を選んだ。




