48:実は全員苦手
「依頼にも変化が出て来ましたねぇ」
「祭りが近いからな」
「今年ちょうど建国400年とかで、ちょー盛り上がってるッスよ」
売り子募集、設営募集、荷運び募集、依頼ボードの内容は影響を強く受けている。
とはいえ上位の依頼には特に変化が無いのだが、下位だろうと何だろうと面白そうならば受けるリゼルがいる為に様変わりした依頼を三人はのんびりと眺めていた。
とにかく人が集まる時期だ、稼ぎ時だけあって出された依頼の報酬は通常と比べると遙かに高い。
次々と冒険者の手によって剥がされる依頼用紙を見送りながら、今日はこれだ!と思えるような依頼が見つからない為に空いてからまたゆっくり選ぼうとリゼル達は一旦端の方にある机へと腰かけた。
「ジルは見た事ありますか? “建国祭”」
「何処行っても盛り上がってんだから見ねぇ方が難しいだろ」
「その言い方だと参加した事は無いんですね」
「してた方がびっくりッスよ」
一年に一度行われる建国祭、数ある行事の中でも国を挙げてのイベントだけあって規模の大きさは他の追随を許さない程に盛り上がる。
開催中は独特の衣装に変装した人々が道を埋め尽くし、其処かしこで行われるイベントが休む間もなく人々を魅了し、今すでに盛り上がりながら用意されている飾りたちが目を楽しませる。
国も記念式典を行うようで、余所からの使者が大手を振って大通りを進んで行く様子は一種のパレードのようなものらしい。傅くことなく歓声を上げて見送る人々に他国の使者も祭り事だと楽しんでいるのか、わざわざ派手な登場をすることも少なくないのだとか。
「建国400年ですか、意外と若い国ですね」
ほのほのと笑いながら落とされたリゼルの発言の真相に関しては、えーと云う顔を隠そうともしないイレヴンのリアクションで全てを察して貰いたい。
「準備中の今でもお祭り騒ぎですし、本番はどれくらい盛り上がるんでしょう」
「見にいきゃ良いじゃねッスか。え、つか俺リーダーと一緒に回る気マンマンだったんスけど!」
「イレヴンも見た事ないんですか?」
「見た事あんならアンタと一緒に回れねぇの」
むっと不満そうな顔をするイレヴンに、ただ疑問だっただけなんだけどと苦笑する。
宥める様に目にかかる前髪を避けてやると露わになった瞳がすっと逸らされた。しかしすぐに期待を孕んで此方へと戻される眼差しに、微笑んで見せる。
ようやく満足そうな表情を浮かべたイレヴンは一緒に回れると確信したのだろう。リゼルは何ともねだり上手だと笑いながら頬の鱗を掠める様に手を離した。
「あ、でもこの前女将さんに祭りの時の男性はパートナーを得る事に必死だとか聞いたんですけど」
「あー、何だっけ? 確か初代の王サマが祭りの時に市井の娘と一発かまし」
「初代王が祭りの際に御忍びで出会った平民の娘と恋に落ちたなどという在り来たりな物語になぞって一人身は肩身の狭い思いをするというだけです。どうぞ飲み物をお持ちしました」
頸動脈を躊躇いもなく狙ったトレーの攻撃を避けたイレヴンが、横から口を挟んだスタッドに顔を顰める。スタッドは平然と持っていたグラスをリゼルの前へと置いた。
リゼルに聞かせるには物言いが悪いと判断したのだろう。ジャッジもそうだが、別に自分も男なのだから気にしないのにと苦笑しながらリゼルは冷たい水を見下ろした。
ちなみに辛うじてジルの分は用意されたが、当然のようにイレヴンには出ない。
誰がこの机についていようと通常サービスなど一切ない事を考えると文句も言えない気がするが、イレヴンは顔を引き攣らせながら相変わらずリゼルに見えない位置でスタッドと無音の攻防を繰り返していた。
「それって本当の話なんですか?」
「知らねぇよ、証拠なんざねぇし」
「ですよね」
「楽しけりゃ良いんスよ、祭りなんだし」
イレヴンがジルの前に置かれたグラスを勝手に飲みながら言った。
別に男女で参加が義務では無いなら問題は無いと、頷いたリゼルに楽しそうにイレヴンは笑みを浮かべた。その笑みが含みを持っていたことに気付かないリゼルではないが、自分に害がある事は決してやらないと確信があるので好きにさせておく。
イレヴンはかしかしとグラスの縁を齧りながら、ふと首を傾げた。
「そういやその手の話って“その後女は王妃にー”っつーの聞かねぇけど、何でッスか」
「当然ですよ。余程の狂人でも無い限り例え一時の熱に浮かされようと考えもしないでしょう。そう思うと、イレヴンの言い方の方が近いかもしれません」
「一発かましたーっての?」
「身も蓋もねぇな」
つまりそんな国王の行動になぞって誰もが相方探しに必死ということになってしまう。
リゼル達の話が聞こえる範囲に居た、祭りを控えパートナーを得ている冒険者は複雑そうな顔をしていた。別に一発かまそうとは思ってもいないが、祭りの雰囲気に呑まれてそういう展開になる事を全く期待していないかと言われれば嘘になる。
乙女が憧れる恋物語の真相が広まらなければ良い、誰もが複雑そうな顔でそう思った。
「平民の娘がっつーのってそんなに難しいんスか」
「そうですね、まず不可能だと思います。王妃になる為に必要なものは多いですし、それは当然家柄や美貌は勿論。覚悟だとか教養、人脈やノウハウなど幼い頃から積み重ねていくものです。国王に付き添って他国と関わることも多いですし、その際に国の顔として相応しい存在で無くてはなりません」
「美人で品が良いだけじゃ駄目なんスか」
「当然です。貴族社会独特の空気に慣れ親しみ些細なことに対しても気遣い、城内でも有数の勢力を誇る側室の取り仕切り、王が表に出られなくなった際のフォロー、その時当然のように貴族が従うような人望、その他もろもろ必要な能力は多いんですから。これも貴族社会で経験を積まないと不可能なので、優秀なだけでも駄目です」
つまり貴族の娘たちは全員それを習得しているということ。
贅沢三昧のイメージしかなかったが、どうにも苦労が多いようだとイレヴンは貴族に生まれなくて良かったと実感した。どう考えても今の方が気楽だし好き放題できる。
リゼルの言っている事に間違いは無いが、しかし彼にしては厳しいのではとジルは胡散臭げにそちらを見た。もしや彼の敬愛する国王の妻を想定しているのだろうか、姑か。
「何か失礼なこと考えてませんか、ジル」
「別に」
口には出さないが。
「ともかく国を乱したい国王なんて居ませんし、いっても側室くらいですね」
「側室ならいけんスか」
「一年以上生きるのは難しいと思いますけど」
あと子供を孕んだ時点でデッドエンド、そう付け加えられてイレヴンは引いた。
貴族社会怖い。周囲で聞いていた冒険者たちも引いた。
別に普通に統制がとれていればそんな事は滅多に起こらないし、実際そんな事態が起きたなどと聞いた事は無いのだが。仮定の話だ。
貴族の女性は貴族の女性らしく横の繋がりも大切にするし、内心はどう思って居ようと賢い女性たちがそれを表に出す事は決して無い。もちろん全く派閥や確執が無いと云えば嘘になるが。
どちらにせよ、国王がきちんと管理していれば要らない面倒は起きないだろう。
「夢のねぇ話ッスね」
「有り得ないからこそ恋物語としては盛り上がるんでしょう。イレヴンはお誘い無いんですか?」
「リーダー達と回るっつって断ってる」
どちらにせよ共に祭りを楽しまなければならなかったようだ。
リゼルは苦笑し、ジルは俺もかと顔を顰めながら立ち上がる。そろそろ依頼ボードも空いて来た。
根回しって大事、イレヴンはニヤニヤと笑いながら決して断らない二人の後に続いて水を飲み干し立ち上がった。
鉱石採取の依頼(ただし目当ての物はガーゴイルの心臓)を終えて街へと帰って来たリゼル達は、一休みして行こうかと馴染みになりつつある挽き立てコーヒーの露店へと立ち寄った。
別に休息が必要になるほど疲れてはいないが、迷宮に潜り馬車に揺られて帰ってくれば喉も渇く。
おまけも付くしイレヴンは生クリームをたっぷり載せて貰えるしで、腰を落ち着ける程ゆっくりしたい時以外は都合が良い。
今日のおまけは塩っ気の強いクラッカーで、イレヴンはもぐもぐと美味しそうに齧っていた。眺める街は一段と活気に溢れている。
「街並みも華やかになってきましたね」
「浮かれた奴ばっかで面倒事が増えそうだ」
「こういう時ぐらいハメを外して下さい」
「酒が出んなら外してやるよ」
ハッと笑ったジルに、酒を楽しめる人は羨ましいとリゼルは微笑んだ。
ちなみに今居るコーヒー露店は建国祭の最中はアイスコーヒーに生クリームを載せたコーヒーフロートを売り出すらしい。リゼルやジルは普通のアイスコーヒーだが、イレヴンの飲んでいるものがそれだ。
熱気あふれる祭りの最中だし売れるのではないだろうか、飲食系はライバル店が多いので何とも言えないが。
「あ、あの……」
三人が賑やかな街を眺めながら話していると、ふと声を掛けられた。
か細い声にまさか自分達に声を掛けては居まいと一瞬流しそうになったが、リゼルがふっとそちらを向くと一人の女性が意を決するように此方を向いている。
気付いて貰えた事にほっと安堵の息を洩らし、両手を握りしめながら一歩机へと近付いた。
その目が真っ直ぐに自分を見ているのを察し、穏やかに微笑みながらリゼルは優しく声をかける。
「どうしました?」
空いている机は他にもあるし、手にコーヒーを持っていないから露店関係の用件ではないだろう。
何かを察したイレヴンが肩を寄せるように上体を傾けて来るのをどうかしたのかと思いながら、僅かに顔を伏せて窺う様に此方を見ている女性へと視線を戻した。
自然と上目遣いになるその姿は、染まった頬と中々用件を言い出せない所がいじらしさを感じさせてひどく魅力的だ。きゅっと握った手が小さく震えている。
「あの、申し上げたいことが……」
「ゆっくりで良いですよ。大丈夫、きちんと聞きます」
心に直接届くような穏やかな声に、女性の力んだ手の平からふっと力が抜けた。
ジャカジャカと遮る様に氷を掻き混ぜるイレヴンの掌からリゼルは苦笑しながらコーヒーを取り上げてジルへと渡し、女性と向き合う様に姿勢を直した。
イレヴンは奪われたコーヒーを取り返す為にジルへと近付き、チッと小さく舌打ちする。そんな彼を呆れを隠さない視線で見下ろしながら、ジルは僅かに声量を落として問いかけた。
「朝ギルドで聞いた話は此処に繋がんのか」
「そッスよ。初代王と平民の娘の禁断の愛にちなんで祭り中は無礼講っつーこと。普段は声掛けにくいリーダーでも誘える気分になるんじゃん?」
イレヴンは邪魔そうにストローをどけ、氷ごと残りを口の中へと放りこんだ。
ガリガリと氷を噛み潰す様子は何とも不満気だ。
「珍しく平民が王妃になれるかなんざ聞いたと思ったら……お前あいつに似てきたな」
「リーダーに? マジで? やった」
ニンマリと笑ったイレヴンに、正直勘弁して欲しいとジルは溜息をついた。
イレヴンにとって朝の話題は確認だったのだろう。平民が王妃になれるか、つまりリゼルが平民の女性を本気で口説く事があるのか。
基本的に効率主義なリゼルがわざわざ苦労を抱える可能性は低い。朝の言い方ならばまずあり得ないだろう。それはつまり、女性に祭りの供を誘われようと承諾しなければいけない理由は無いということ。
リゼルの中に他に優先するものがあったら当然断るだろう。
「どうしててめぇがそんなに嫌がんだよ」
「リーダーが俺放って女んトコ行くの嫌じゃん、ニィサン平気なんスか」
「あいつ前こっちで嫁探そうかなんて言ってたぞ。本気かは知らねぇけど」
「はァ?!」
思わず叫んだイレヴンにリゼルが振り向く。
その向こうで驚きを露わに此方を見る女性も居て、リゼルが女性を前にしながら自分を優先した事への優越感を驚きながらも感じた。
イレヴンが何でも無いと愛想の良い顔を浮かべてひらひらと手を振ると、リゼルと女性は話に戻る。ちょっとした雑談からリゼルの祭りの予定を聞きだそうと女性は懸命だった。
イレヴンが二人の意識が此方から外れたのを確認し、余計な事を言ったと面倒そうな様子を隠そうともしないジルへと詰め寄る。
「何で! リーダーにそういうの早いと思うんスけど!」
「お前……早い所かアイツなんざとっくに婚期過ぎてんじゃねぇか、仮にも貴族だぞ」
「俺が許さねぇっつの!」
「お前の許可がいんのか」
「いる」
真顔だ。
「ん、じゃあ何でリーダー独身なんスか。モテねぇ訳ねぇのに」
「元の国だと国王に邪魔されんだと」
成程、とイレヴンは思わず納得した。
だから国王の手が届かないこの世界で、と思いかけて止まる。
そもそもリゼル一人ですらどうやって帰れば良いのか分からないのに、妻を娶った所で共に帰れるのだろうか。そう考えてみるとリゼルも本気では無いのだろう。
しかし油断は出来ない。リゼルの事だから共に連れていける場合も考えているだろう。
イレヴンの見た目は正常ながら大いに翻弄されている脳内が容易に想像出来るのか、ジルはもはや関わるまいと視線を外してコーヒーを味わい始めた。
「それで、もし宜しければ、私と建国祭を回ってくださいませんか……!」
話題がようやく本題へと入ったようだ。
意を決したように顔を上げた女性に、リゼルが何かを考える様に微かに首を傾げる。
何故一瞬でも考えるのかと思いながらイレヴンはじっとその後ろ姿を見ながら手を伸ばした。リゼルへと固定されていた視線は一瞬だけ女性へと向けられる。
「あ、忘れてた。お姉さんゴメーン」
肘を付いた状態のまま片手を伸ばしてリゼルの服を引いた。抵抗も無く此方を振り返り瞳の甘さが僅かに増すのを満足感と共に眺める。
パチリと目を瞬かせる女性にニコリと笑い、イレヴンは掴んだ服をそのままにゆるりと目を細めた。
「ジャッジとか氷人間とかリーダーのこと誘いたいっつってたッスよ」
直後イレヴンから放たれた殺気に気付いた人間は極めて少なかった。
それは殺気を向けられた先の精鋭二人、そして意図して向けられてはいなかったものの感じ取ったジルの三名だけ。ジルは我関せずと無視を決め込みながら不自然に消失した二人分の気配をわずかに追った。
殺気は命令だったのだろう。発言を真実にしろと、それだけの。
絶対的な命令を下された二人は今頃名前の出た両名の元に向かっているはずだ。
「そうですか」
微笑まれ、平然とイレヴンは頷いて掴んでいた手を離す。
厳しくなど決して無い甘い瞳はそれでも全てを見透かすようで、恐らくバレてはいないのだろうが心臓に悪い。いつものように、つまり常に何かを企んでいるようなニヤニヤとした表情で笑ってみせた。
リゼルは何事も無かったかのように女性へと改めて向き直る。
「すみません。貴女の申し出はとても嬉しいのですが、今回は友人を優先させて下さい」
「い、いえ、そんな、全然……!」
申し訳無さそうに眉を下げて謝るリゼルに、女性は頬を染めながら少し勢いよく首を振った。
リゼルは気にすることはないと伝える彼女の少し乱れて頬にかかる髪を見て、ゆっくりと手を持ち上げた。避けようと思えば避けられる程に優しく向けられた手の平を、女性は呼吸すら忘れて見開かれた瞳でただ視線で追うことしかできない。
親しくも無い男に触れられるのは不快だろうと極力肌に触れないよう繊細な動きで髪を掬い、乱れを直すように除けたリゼルはにこりと微笑んだ。
「お誘い、ありがとうございました」
女に甘すぎる、とはジルの談。サービスしすぎ、というのはイレヴンの談。
リゼルとしては勇気を出して誘ってくれた女性に恥をかかせない様に、という男として当然の配慮だと思っている為に別に何の意図もない極自然な行動なのだが。
決して悩みも優先もせず断ることで期待を持たせること無く、しかし充分に相手を気遣ったそれは彼女に届いたのだろう。こちらこそありがとうございましたと、存分に噛みながらも言って去って行く女性は熱に浮かされたようにフラついていたが、はにかんだ微笑みはひどく満足そうだった。
「リーダー、それ誘ってくる女全員にやるつもりッスか」
べぇ、とリゼルに見えないよう女性の背中に舌を出したイレヴンが言う。
リゼルは氷が溶けて薄くなったコーヒーを一口飲み、そのままイレヴンへと渡しながら苦笑した。
「冒険者相手にあまりお誘いがあるとは思えませんが」
「お前冒険者枠じゃねぇよ」
「や、つか冒険者も上位になると祭りの時は人気ッスよ」
「じゃあジルとか人気じゃないんですか?」
飲み干したコーヒー片手に嫌そうな顔をしているジルを見る。
ランクこそBだが上位の範囲に入るし、むしろ実力から言えば上位すら下に置くだろう。身長も高く顔も極上、裏街の女性からは常に引く手数多なジルを女性たちが放っておくかと言われれば……微妙だろうか。
なにせ致命的にガラが悪い。余程肝が据わった女性でないと誘えないだろう。
「あ、でも以前マルケイドで女性二人に声をかけられてましたよ」
「初見でニィサンに声かけるとか凄ぇ女もいるもんスね」
「遊び慣れてる方はジルみたいなタイプでも逆に刺激になるのかもしれないですね」
「危ねぇ男っつぅの? あーそういうの好きな奴結構いるよなァ」
割と好き放題言われているがジルは特に口を挟む事無く呆れた視線を向けるだけだった。
備え付けのゴミ箱に空のコップを捨てたジルに、そろそろ行こうかとリゼルは微笑む。
お誘いの件は有耶無耶になったが問題ないだろう、なにせ噂好きの井戸端会議常連が露店の中で好奇を隠さず此方を窺っていたのだから。明日には街中にリゼルが誘いを受けないという噂が広まりきっているはずだ。
また来な!という言葉に見送られてリゼル達は歩き出した。
「でも危ない男って言うならイレヴンもそうだと思います、だって本業ですし」
「元じゃねぇッスか」
数日間続く国最大の祭りが幕を開けようとしている。
建国祭の開催は劇団“Phantasm”も公演を行った中心街前の広場にて行われる。
今日の為に作られたステージの上で華やかに開催が宣言されるのだ。
早朝の広場には早くも色とりどりの服に身を包んだ国民達が集まっていた。“お忍び”であった初代王の変装を模しているらしいのだが、全く忍べない派手な装いの数々は今となっては完全に祭りを盛り上げる為の重要な要素のひとつだ。
「ここに、建国400年記念祭の開催を宣言する!」
高らかに告げられた声と、ブワッと空に舞い上がった鮮やかな花々に大歓声が上がった。
国中に賑やかな音楽が鳴り響き、人々の笑い声が咲き誇る建国祭初日。
開催が宣言されたその瞬間リゼルが何をしていたかと言うと、完全に寝ていた。祭りの前夜だろうと後だろうと読書を欠くことの無いリゼルは昨晩もまた寝るのが遅かったらしい。
祭り前独特の浮ついた空気が部屋の中にいようと分かる為に落ち着かないというなら仕方が無いが、いつもと変わらず平常心で読書に勤しんでいたので関係は皆無だ。
「嫌です」
利用する人々が居なくなった食堂で少し遅い朝食を食べ終えたリゼルが、目の前に立つイレヴンを見ながらはっきりと言う。隣にはジルが座って面白そうにその様子を眺めていた。
何を嫌がっているのかというと、イレヴンによって掲げられている服装だ。
外で歩く人々に似たような、しかしそれよりは落ち着いた色を持つ仮装用の衣装。イレヴン自らが選んだ服を見てリゼルは苦笑した。
「えー、俺すっげぇリーダーに似合う奴選んだんスけど」
「それはとても嬉しいですけど、」
ちらりとリゼルはイレヴンを見た。賑やかなのが大好きな彼はもう既に祭り衣装に着替えている。
華やかな色合いは彼の鮮やかな赤色を引き立たせ、普通の人間が着れば派手すぎる色合いも見事にハマっていた。不満そうにガタガタと椅子を揺らすと同時に取り付けられた装飾品がジャラジャラと音を立てている。
何処となく以前の衣装に似ているのは動きやすさを考慮しているからだろうか。晒された腹は臍近くにある鱗もはっきりと見え、祭りの陽気さをいかにも醸し出していた。
しかしリゼルが嫌がっているのはまさに其処だった。
「お腹丸見えなんですけど」
「肌出さねぇ祭衣装なんて滅多にねぇッスよ」
「別に恥じらいなんざねぇんだろ」
「慣れてないんです」
落ち着いた色彩は許容できるが、着れば間違いなく腹が出る。
風呂場には平然と全裸特攻できる癖に、リゼルの普段の装いは顔と手首から先以外肌の露出が無いと言っても過言ではない。シャツのボタンだってきっちり一番上まで留める。
もはや幼い頃から普通だったので堅苦しさなどは微塵も感じないし、むしろそうでないと落ち着かないぐらいには当然の事だった。
それがいきなりの腹出しはハードルが高い。ジルの言う通り恥じらいは無いし必ず着なければいけないのなら平然と着るが、別に普段の衣装のまま祭りを回っても問題は無いのだ。
避けられるのなら普通に避けたい。
「ジルに着せたら良いじゃないですか、腹筋キレイに割れてますし」
「着ねぇよ」
「さっきニィサンにも渡したら投げ返された」
すでに試した後だったようだ。
「ジルは体格が良いから見栄え良さそうなんですけど」
「俺がこんなの着て浮かれてんの見たいのか」
「結構見たいです」
飄々というリゼルに、相変わらずだとジルは溜息をついた。
どちらにせよジルに着替える気は無い。リゼル同様に肌の露出も好まない。
あまり乗り気ではない二人にイレヴンは詰まらなさそうに持っていた服装を片付ける。
「じゃあこっち」
しかし諦める気は微塵も無い。
すぐさま取り出した次の衣装は色合いこそ先程のものと変わらない鮮やかながらも落ち着いたものだが、決定的な違いは露出が少ないという点だ。
こういう事に妥協の無いイレヴンらしくリゼルに差し出される衣装は彼の魅力を最大限引き立てるものばかりで、これだけはジルも感心している。選ぶのにどれ程かかったのか。
リゼルは食器を片付ける女将に礼を言い、そして掲げられた衣装を眺めた。
「首周りちょいゆったりしてっけど、こんでも無理?」
「いえ、全然大丈夫です」
普段ほぼ首元までしっかりと覆っているが、別に隠したくて隠している訳ではない。
微笑んだリゼルに、イレヴンは内心でガッツポーズを決める。
先程のものも着て貰えたなら着て貰いたいと思っていたが、恐らく断られると思っていたので本命は此方だ。気合を入れて選んだ。
受け取ったリゼルは一体どうやって着るのかと首を傾げながら自らの部屋へと向かっていった。
「俺けっこーニィサンのも気合入れて選んだんスけどね」
「悪意しか感じねぇよ」
ちなみにイレヴンが朝一で渡したのは漆黒の衣装。もはや完全に当てつけだ。
それでも本当に着たのなら恐らくこれでもかと云うほどに似合うだろうデザインに、イレヴンが本当に気合を入れて選んだのだろう事が分かる。
その点だけは評価してやるとジルは内心呟いた。ただし実際に着たら確実に爆笑されていただろう事を思うと感謝の気持ちは欠片も湧いてこない。
「お前何軒回ったんだ」
「んぁ? リーダーの? とりあえず一通り」
この時期衣装を扱っている店は国中に在る。
それを全て回ったということか。本当はフルオーダーしたかったと当然のように云うイレヴンにジルは若干引いた。
「でも良いっしょ、あれ。中心街で見つけたんスよ」
「まあ似合うんじゃねぇの」
「ちなみに俺のはどッスか」
「派手」
しかし相変わらず似合うのは高い服らしい。中心街の服屋など結構な値段がするだろうに。
ジルの返答が不満なのか文句を言いながらこだわりを語っているイレヴンの言葉を聞き流す。全身黒で妥協しているのを見て分かる通り、ジルに服のこだわりなど無い。
動きやすく、装備性能が高く、余程変でなければ何でも良い。それだけだ。
聞いているのかと騒ぐイレヴンの言葉に正直に聞いていないと返していると、階段を降りて来る足音が聞こえた。間違えることのないリゼルの足音に、二人の視線が食堂の扉へと向く。
「意外と涼しいですね」
「お、似合ってるッスよ」
流石俺、と言いながらイレヴンはひょいひょいとリゼルへと近付いた。
思わず首元に視線が行くのは物珍しさの所為か。例えシャワーを浴びた後であろうと第一ボタンまでしっかりと締めるリゼルなので滅多にない希少な機会だろう。
魔鉱国の温泉で全裸は見ているが、それとこれとはまた違う。
「サイズは?」
「大丈夫です。装いを変えると気分が盛り上がってくる気がしますね」
「でっしょ」
イレヴンが満足気に頷く。
平素と変わらない表情で何をとジルは思うが、楽しんで居るのならば水を差すのも無粋だろう。
ほらみろ着替えろ着替えろと云うイレヴンにリゼルまで加わって主張する言葉に辟易しながら、出発するならばさっさとしろと言い立ち上がる。
何を言われようと着替える気は無い。
「そういや他の約束は良いのか」
「ジャッジ君たちですか? 明日一緒に回る予定です」
問いかけたジルに、リゼルは話を逸らされた事に気付きながらも微笑んで答える。
先日イレヴンから誘いたがっていると聞いた後、その日の内にリゼルを誘いに来た二人を思い出した。やけに真剣な顔で絶対にと約束していったのが印象に残っている。
『あの、迷惑かと思って止めようかと思ってたんですけど、どうしても一緒に回りたくて……、駄目ですか?』
『別に祭りに興味は無いですし貴方と共に出掛けるならば煩い場所は煩わしいですが、先程不快な害虫の知らせがあったので誘いに来ました一緒に行きましょうむしろ祭りじゃなくても良いので一緒に過ごしましょう』
仮にも商人なジャッジは意外にも上手く誘い、誰かに急かされたなどとは感じさせなかった。
ちなみにスタッドは隠す気などさらさら無い。彼は心から自分に正直な人間だ。
リゼルは有難うと微笑みながら二人の誘いを受け入れたので、明日三人で一緒に回ることとなっている。連日参加しようと飽きなど来ない建国祭、二日続けて行こうと新鮮味が薄れることはないだろう。
しかし二人とも店やギルドは良いのだろうかと話しながら、三人は宿から足を踏み出した。
「あ、インテリさんじゃねぇか。久しぶりだな相変わらず好みど真ん中だ」
「おい、見すぎ」
「薬士さんですね、お久しぶりです」
「見すぎだっつの、おい」
「あれから依頼受けてくれねぇから日々残された眼鏡で色々……」
「舐めるみてぇな目でドコ見てんだっつってんだろ聞け痴女!」
挨拶をしている最中もただリゼルの首元を真顔で凝視し続けるメディにイレヴンが口元を引き攣らせながら怒鳴った。実力行使に出ないのは偏にジルがその首根っこを掴まえているおかげだ。
この瞬間を逃すまいと堪能し納得するように時折頷かれながらリゼルは苦笑した。
何と云うか、相変わらずだ。美人なのに中身はイレヴン曰く肉欲系女子。
「細くはない首、首から肩にかけての筋肉のなだらかなライン、しっかりした思わず触りたくなる鎖骨、穏やかな声と共に上下する喉仏、決して女には出せない男の色気が知的な顔とのギャップで何とも言えず……」
「首どころか上半身も出してる方もたくさん居ますけど」
「普段隠されているものが垣間見えるこのエロスが堪らねぇんだよ! いや、好みの知的美形が丸出しだったらそっちも見るけどな!」
パァンッと担いでいた荷物を叩いて悶えるメディの格好は工房で着ているツナギのままだ。
恐らく配達の途中だろうに良いのだろうか、不思議に思いながら落ちてきた髪を耳にかけるとメディの身悶えはより一層激しくなった。何かがツボにはまったらしい。
しかしそれは次の瞬間ぴたりと止まった。
おもむろにごそごそとツナギを漁り、何処からか取り出したピンセットをぽんっと地面に放り投げる。何をしているのかという視線を受けながら、メディは物凄く真剣な顔をしてリゼルを見た。
「おおっと落とし物しちまった悪いけど取ってくれねぇか出来ればそのままこっちを見上げながら上体を倒すように(棒読み)」
「死ねクソ女!!」
「アタシは絶景を拝むまで死なねぇ!」
「イレヴン、口が悪いですよ」
ジルは抑えていた手を解放した。ドン引きだ。
叫びながらリゼルの前に立ち塞がったイレヴンは何故自分が注意を受けているのかと理不尽さを感じながら、舌打ちをして自分でピンセットを拾うメディを見る。
もはや消した方が、不穏な事を考えたその時、獣の咆哮のような怒鳴り声が響き渡った。
メディはぴたりと固まり、そしてギシギシと油の切れた機械人形のような動きで背後を振り返る。
「何処ほっつき歩いてんだ小娘ェ! てめぇ配達にどんだけ時間かけてやがる!」
「煩ぇクソジジイ! 折角の祭なんだから寄り道ぐらい良いだろうが!」
「良い訳ねぇだろ働けェ!」
巨体を揺らして工房の親方が迎えに来たようだ。
欠片も怯える事無く言い返したメディを引っ掴んで強制送還するらしい。イレヴンとジルは内心で親方を応援しながらそれを見送っている。
メディはぎゃあぎゃあと叫びながら引き摺られていく。それでもその視線はリゼルの首元に注がれていたが。
「アタシはまだ草食系が女の極端な露出見て頬を赤らめて目を逸らすとこも見てねぇんだぞクソ爺離しやがれー!」
「あいつ最低だな……」
離れて行く声と駄々漏れの妄想にイレヴンは思わず呟いた。
果たしてあんな女だったろうか。いや、間違い無くあんなもんだったか。
まだ祭りを見始めたばかりの時に出会った知り合い第一号だったのだが、祭りらしい会話を行えた気はしない。辛うじて最後の捨て台詞がそうだった気がするが、リゼル達は聞かなかったことにした。
開始早々賑やかな祭りは、しかしまだまだ始まったばかりだ。




