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158:解釈違いなだけで舐めてはない

 


 スタッドの休日は、平素と特に変わらずに始まる。

 いつもと同じ時間に目を覚まし、身支度。ギルドに泊まり込んでいるのはギルド長とスタッドのみだが、両者とも食事の支度はしない。もとい出来ないので、買い置きのパンを食べる。

 なにせ何処の店もまともに開いていないような時間だ。ギルド長もまだまだ起きてこないので、スタッドは一人、居住スペースにある窓辺のテーブルでパンを齧る。

 パンのお供はコーヒー。コーヒーの淹れ方に特にこだわりはなく、しかし豆を駄目にするような淹れ方はしなかった。


 食事を終えたら階下のギルドへ。

 まだ誰も来ていないギルドの扉や窓を開け放ち、空気を入れ替える。スタッド自身はその行為に対して思い入れがある訳ではなく、幼い頃に教えられた通りのことを今でも淡々とこなしているだけだった。

 机の上を布で拭き、床も掃く。不足品がないか在庫置き場を確認し、あれば補充。前日に受けた依頼用紙をランク順に並び替え、依頼ボードへと貼り付ける。

 何年も続けている動作は淀みなく、それらもあっという間に終わってしまう。後はいつ来るのか分からない冒険者第一号を待ち続けるのみ。


「あらぁ、今日も有難うね、スタッド君」


 眠たげな目元をしてギルドに入って来たのは、スタッドがギルド長に拾われた時からギルドにいる職員だった。目尻の皺を深める彼女にスタッドは視線だけで応え、自身の席へと座った。

 これから徐々に、他の職員も現れ始める。大抵、五時から六時の鐘の間には各々顔を出すのだが、特に決められている訳でもない。ただ、そのくらいに顔を出すと冒険者の朝の依頼ラッシュに丁度良いくらいだ。


「今日、お休みだったでしょう?」

「はい」

「何か予定があるかしら?」


 そう問いかけられるようになったのは最近だ。

 スタッドは休日もギルドの椅子に座る。それは他にやることがないからだ。一日何をするでもなく、淡々と時間が過ぎるのを待つよりは有意義であるので、他の職員も仕事をするなとは言わなかった。

 ただ、最近は。スタッドを外に連れ出してくれる存在がある。スタッドが自ら一緒に過ごしたいと願う存在がある。


「昨日、一緒に過ごせるかと」

「誘ってみたのね」


 見守るような笑みを、スタッドはただ無感情に見返した。


「貴族様、お暇ですって?」

「はい」

「じゃあ、遊びに行って来るのね」

「はい」

「買い出しは他の人に頼むわね」

「お願いします」


 休日のスタッドに何とか息抜きさせようと、職員たちは度々買い出しを頼むことがある。

 スタッド自身は特に恩も面倒も感じていない。必要なことを頼まれたのだから行うのみだ。相変わらず微笑ましげな目をじっと見て、そしてふっと腕を見下ろした。

 手首に巻き付く時計を眺めていると、少しだけ心音が早まる気がする。それが待ち遠しいということなのだと、彼はようやく理解し始めていた。




 とはいえリゼルと会うまでは何もすることがない。

 スタッドはいつも通り朝の冒険者ラッシュを捌き、約束の時間まではギルドで業務に励んだ。ちなみに朝の冒険者ラッシュの中にはジルもいて、一人で依頼を受けて行った。

 スタッドとしては、イレヴンの姿も確認したかったところだ。折角リゼルと一緒に出掛けられるというのに、変な邪魔が入っては敵わない。


「お、スタッド出かけんの?」

「それが何か」

「え、いや別に」


 そろそろかと席を立ち、襟元のバッジを外していれば声がかかる。

 椅子から仰け反るように背筋を伸ばしていた隣の職員が、珍しいと言いたげにスタッドを見ていた。そういや休みだったか、と納得したように頷く姿を一瞥し、他の職員に「お疲れ」と声をかけられ、そして酷く事務的に挨拶を返しながら自室へと向かう。

 そして制服を脱ぎ、私服へ。制服以外の服を持っていなかったスタッドへ、それを選んでくれたのはリゼルだ。

 スタッドにはその服が自分に似合うか似合わないか、良いものなのかそうじゃないのか、興味がない故に全く分からないが、リゼルが良いと言ってくれたのだからそうなのだろうと思っている。服を選ぶ際、偶然居合わせたジルの「何で人の服はまともに選べんのに……」という呟きの意味はよく分からなかったが。


 着替えを終え、裏口から外に出る。

 リゼルとの待ち合わせ場所は、スタッド行きつけの喫茶店だ。特に時間の指定はない。「お昼まではそこで読書してるので、スタッド君の良い時に」と言われていた。

 前に同じことを言われた際、早朝から店を訪れ、黙々と待ち続けていたら待たせてしまったと謝られてしまったので、以降は気を付けている。

 何度かリゼルの宿に泊まっているので、依頼を受けない時の彼がどれくらいに起きているのかは把握していた。それにプラス一時間ほどがベストだと、とあるギルド職員が言った通りにしているが、割と丁度良いようだ。


 そして、然程歩かない内に目的の店へとたどり着く。

 ふと見れば、店内にリゼルの姿が見えた。窓際に腰かけ、本を開いて目を伏せる姿は時折通行人に絵画のようだと称されている。ただリゼルの姿があったことへの喜びが先立つスタッドには、よく分からないが。

 店内に足を踏み入れれば、扉に取り付けられたベルが一度二度、落ち着いた音色を奏でる。スタッドに気付いた店主が、ああと慣れたように頷いてリゼルへと掌を向けてみせた。


「いつもので?」

「はい」


 店内の空気に馴染むような声色に頷き、スタッドは静かにリゼルの元へ。足音も立てず、椅子を引く音も立てず、向かい側へと腰かける。


「…………」


 ここでリゼルが気付くかどうかは、半々だ。

 コーヒーの味に舌鼓を打つ時間ならば、直ぐに気付いて微笑んでくれる。だが、今は本に集中しきっているらしい。その紙面から視線が上げられることはなかった。

 スタッドにとっては、どちらも嬉しい。気付いてくれた瞬間は勿論、こうして伏せた瞳を眺める機会など滅多にないのだから。


「どうぞ」

「有難うございます」


 そのまま暫く眺めていれば、店主がスタッドの分のコーヒーを運んで来た。

 すると、リゼルの瞳がふと持ち上がる。その目が真っ直ぐに自分を捉えるのを、スタッドは瞬きもせずにじっと見ていた。


「スタッド君、お疲れ様です」

「いえ」


 高貴な瞳が柔らかく蕩けるのを見て、スタッドはぽんっと花を一輪飛ばさんばかりに満足げな様子を見せた。表情は無表情なままなので、それはリゼルにしか分からないのだが。


「今日も忙しかったですか?」

「いつも通りです」

「なら、スタッド君には余裕ですね」


 可笑しそうに笑いながら、リゼルの指先が広げた本の下から一枚の栞を取り出した。

 それは薄く、繊細な文様の刻まれた栞。まるで水晶を削りだしたかのように、日の光に当たって美しく色を変える。スタッドが、アスタルニアへ旅立つリゼルへと贈ったものだ。


「……一刀は来ました」

「ん、また一人で迷宮に潜ってるんですね」


 慈しむような、柔らかな仕草で本の間に消えていくそれを見送る。酷く嬉しいと思えた。


「今日は、何かやりたい事とかありますか?」

「やりたい事」


 スタッドはリゼルと視線を合わせながら考える。

 正直、リゼルと共に過ごす目的など、そのままリゼルと共に過ごす為に他ならない。リゼルもそれを分かっているが故の、その質問なのだろう。

 答えを待つ彼に、コーヒーに口を付けながら淡々と思考を巡らせた。やりたいこと、やったことがあること、その中で最も新しく印象の強いものが一つ。


「もう一度、貴方と料理がしたいです」


 リゼルがぱちりと目を瞬かせた。

 どうやら随分と意外な返答だったのだろう。しかしスタッドは割と良いんじゃないかと自負している。何せ前回は、ほとんどよく分からない内に終わった。

 どうだろうと眺めていれば、リゼルが悪戯っぽく目元を細める。


「楽しそうですね」

「はい」

「ただ、そうなると助っ人が欲しいところです」


 うーん、とリゼルが口元に触れながら思案する。

 スタッドにしてみればリゼルも料理が出来る人間だが、確かに前回の料理大会では二人を引っ張ってくれた某副隊長がいた。リゼルもその指示に従っていたので、今回もそういった存在が必要なのだろう。


「うん、やっぱりプロのところに行きましょう」


 微笑むリゼルに、スタッドは全く表に出さないまま心躍らせ頷いた。




 そして今、スタッドはジャッジの家の台所に立っている。


「…………」

「その、凄く見て来るのやめてよ」


 リゼルの人選に異を唱えるつもりは全くなく、むしろ全面的に肯定する所存だが、何かしら思う所のあるスタッドの視線にジャッジの眉尻が下がる。

 こうなる事は予想出来ていたのだろう。ほのほのとそれを眺めるリゼルだが、しかしジャッジが最善だと思ったのだから仕方がない。宿の女将も候補に上がったが、今日は昼から宿にいないと昨日の内から知らされていた。


「お昼の邪魔をしてすみません、ジャッジ君」

「いえ、それは全然……! 一緒に食べれて、嬉しいです」


 ふにゃふにゃと笑うジャッジに、リゼルも応えるように微笑んだ。

 すると、ふとジャッジがリゼルとスタッドを見比べる。その表情はやや不安げだ。


「それで、その、昼食をリゼルさん達が作るんですよね……?」

「はい。頑張りましょうね、スタッド君」

「頑張ります」


 頷き合う両者に、料理へ対しての緊張感はない。一見、手慣れた人間が気負いなく料理を始めようとする姿にも見える。

 しかし、ジャッジにはやはり不安が付き纏った。

 アスタルニアに居た頃に送られた手紙でリゼルが料理を経験したのは知っている。よくジルやイレヴンが許したものだ、と酷く感心したものだ。だが、ジャッジとしては正直そういうのはリゼルに必要ないだろうとも思っている。

 ならば、スタッドはどうか。


「……スタッド、料理、したことあるっけ」

「ありますが何か」

「えっ!?」


 驚愕のあまり混乱も露わなジャッジに、リゼルがさりげなくフォローを入れる。


「この前一度だけ、俺とカレーを作ったんですよね」

「えっ、ずるい……」

「美味しかったです」

「え、というか、何で料理……!」


 そしてリゼルによる料理大会についての簡単な説明に、それを聞いたジャッジは何で参加したのかと思ったし、何故スタッドも料理をしたことがないのに誘いを受けたのかと思ったし、某アスタルニア魔鳥騎兵団副隊長に心の中で深く感謝した。

 何はともあれ何事もなく、リゼルが楽しかったのなら良いのだが。


「えっと、じゃあ、何を作るかは決まってますか?」

「何にしましょうか、スタッド君」

「私は何でも良いです」

「ジャッジ君がいるとはいえ、簡単なものが良いかもしれませんね」


 話し合う二人に、ジャッジはほっと息を吐いて席を外す。

 料理の監督をお願いしたい、とリゼル達が店を訪れた時はひたすら驚いた。何なら自分が食べたいものを作るから、とさり気なく伝えてみた程だ。駄目だったが。

 だが、無理に難しいものに挑戦する様子がないのは救いか。これならあまり心配なく終わるかもしれないと、彼は三人分のエプロンを手に二人の元へと戻る。


「これ、どうぞ」

「あ、有難うございます」

「スタッドも、はい」

「どうも」


 ジャッジが手慣れたようにエプロンをつける横で、リゼルはゆったりとそれを被る。

 落ちていく布を抑えるように胸元に手をあて、そして肩の紐を整えた。背中でクロスさせた紐を肩越しに振り返りながら何とか結ぼうとして、すかさずジャッジの手が伸ばされる。

 それに礼を告げたリゼルだが、直ぐにスタッドが目の前にやって来たのを見て思わず笑みを零した。自力で結ぶ気のない紐と背中を堂々と差し出され、なるべく綺麗に結んでやる。


「ジャッジ君のだからやっぱり大きいですね」

「重たくないですか?」

「大丈夫です」


 ちなみに膝を持ち上げるとしっかりと布が乗る長さだ。

 リゼルとスタッドも決して背は低くないのだが、ジャッジが相手では仕方がない。


「これは必須なんですか」

「勿論です」


 淡々と告げるスタッドと微笑んでしっかりと頷くリゼルに、少し不安になる会話をしてるなとジャッジが恐々と二人を眺める。


「え、と……それで、何を作るかは」

「それが、俺はカレーしか作った事がないし、どれが簡単なのかも曖昧で」

「作業工程を想像できないので」

「な、成程」


 なら、と彼は考える。

 昼食になるのだから、それ程しっかりしたメニューでなくとも良いだろう。リゼル達だけで何品も作る余裕はなさそうなので、一品で腹が膨れるものが良い。


「サンドイッチ……は、少し包丁を使うし」

「ジャッジ君、俺、カレー作れるんです」

「? はい。あっ、凄いです!」


 ジャッジがきょとんと頷き、そして心からの賛辞を贈った。

 そして彼は、“何故だ”と言いたげなリゼルに気付くことなく再び思案に暮れ始める。スタッドがどうして良いか分からずじっとリゼルを見ていた。


「そういえばスタッドは前、どんなことしたの?」

「野菜を洗って鍋をかき回しました」

「あ、じゃあ葉物だけなら良いかな。でも、お腹膨れないし」

「ジャッジ君、俺にも聞いて下さい」

「す、すみませんっ、リゼルさんは……?」


 リゼルにしては珍しい主張に、ジャッジは疑問を抱きながらも慌てたようにそう問いかけた。視線の先で、リゼルがぎゅっと両腕の袖をまくりながら自信ありげに口を開く。

 もしや、とジャッジの目が見開かれた。


「猫の手が、使えるんです」


 パチパチとスタッドの拍手だけが聞こえる一瞬の間。


「お握り、作りましょうか」


 それなら見たことがある、と淡々と頷くスタッドの隣。

 控えめながら優しく笑ったジャッジに、リゼルはやはり“何故だ”と目を瞬かせていた。





 ジャッジが食材を提供してくれたので、買い出しは必要なかった。

 リゼルとスタッドは、さてと台所に向き合う。両者とも、台所に立つのは以前の料理大会以来だ。


「えっと、まず、お湯を沸かしましょうか。あ、火は僕が」

「それくらいは出来ます」


 ジャッジが持ってきた鍋に、スタッドが水をいっぱいに入れる。

 大きめの鍋なので相応の重さがあるだろうが、それを火の魔石の上まで運ぶスタッドの腕は一切ぶれない。


「このお米、使って下さい」


 腕相撲でも申し込んでみようかと一人頷き、リゼルはジャッジの差し出す紙袋を受け取った。覗き込めば、白くて細長い米が袋の半分ほどまで入っている。


「女将さんは時々出してくれますけど、あんまり見ないですよね」

「そうですね。料理が趣味か、メニューにあるような店の人くらい……でしょうか」


 リゼルの元の世界でも同様だったが、基本的にパンに馴染みがある。

 小麦に比べれば流通量も減るので、あまり一般家庭では扱わない食材だ。特別珍しいとまではいかないが、食べたくなれば外に食べに行くものというのが共通の認識だろう。

 それを何故ジャッジが常備しているのかは、彼の料理の腕を知っていれば考えるまでもないことか。


「腹が膨れるので冒険者には好評だと聞いた事があります」

「だから女将さんも使ってくれるんですね」


 リゼルはさらさらと紙袋を揺らし、ふと思い出す。

 元の世界でも米を使った料理は時折口にしていたが、一度だけ変わった種類の米を見たことがあった。遥か東の国から訪れた使者。唯人と、鬼人と呼ばれる種族。

 頭に角を持ち、それこそジャッジよりもよほど長躯を持つ彼らが、二度目の訪問の際に自国の料理を振舞ってくれたことがあった。リゼルの好みだったオトーフ、それと一緒にテーブルに並べられていた。


「昔、これより丸くて小さいお米を食べたことがあります」

「これ以外のお米、ですか?」


 首を傾げるジャッジに、こちらには無いのかもしれないと頷く。

 ジルやイレヴンも心当たりがなさそうだったので、似たような文化が育っていないのか、それとも遠すぎて一切の交流がないのか。リゼルの国とて、あの東の国と国交が開けたのは偶然でしかなく、それまでは近隣のどの国もその存在を知らなかったのだから。


「リゼルさんは、好きな味でしたか?」

「これより少し甘くて、何でしょう……べちゃっとしてるというか」

「……それは、その」

「不味いということでしょうか」

「いえ、美味しいんですよ」


 一口目が色々と衝撃的だったが、元教え子は美味い美味いと頬張っていた。

 ただ、人によっては慣れが必要かもしれない。リゼルは普通に食べられたが、同席していたリゼルの従兄弟などは何やら難しい顔をして食べていた覚えがある。


「僕も、一度食べてみたいです!」

「何処からか出回ると良いですね」


 興味からか目を輝かせるジャッジに、リゼルも微笑ましげに目元を緩めた。絶対にないとは言い切れないのだから、期待させてしまっても良いだろう。

 そうこうしている内に湯が沸いた。ボコボコと泡の立つ鍋の中を覗き込むスタッドに、米の入った紙袋を渡す。


「ジャッジ君、ここにお米で良いですか?」

「はい、そのままザバッと」

「全て入れて良いんですか」

「うーん……三分の二、くらいかな」


 三分の二、とスタッドが紙袋を見下ろす。

 ぐにぐにと袋を揉むように中の米の量を探るも、いまいちピンと来ないのだろう。別にしっかり量らなければいけない訳でもないのだがとジャッジが眺める中、リゼルとスタッドはこのくらい、いやこのくらい、と完璧な三分の二を探っている。


「あ、そうだ。袋の上から、ある程度仕切っておくと分かりやすいかも……こう、指で境目を作るみたいに」

「こうですか」

「うん、そうそう」


 スタッドがじっとジャッジの手元を見て、それを真似する。

 両手の親指と人差し指で袋を持ち、ぐにぐにと米を掻き分けて中身を二分していく。確かにこの方が分かりやすいと、しっかり米を分けた親指と人差し指が袋越しに触れた時だった。


「成程、こうするんですね。それで、分けた分だけを鍋に」


 感心したようなリゼルの声に、ふと顔を上げたスタッドの手元で重みに負けた紙袋の上部が傾く。


「あ」

「あっ」

「……」


 三分の二こぼれた。

 そして何をどうすればいいか分からず固まるスタッドをリゼルが慰めている内に、散らばった米はジャッジが何とかしてくれたようだ。リゼルが振り返ったら汚れ一つない米が入った木の器を持ったジャッジと、米粒一つない床があった。

 恐らく店の特性をフル活用したのだろう。何があったのかは謎だが。


「じゃあスタッド君、これをそっと鍋に」

「あっ、お湯が跳ねるかもしれないし、僕が……」

「私がやります」


 スタッドは鍋を覗き込み、そろそろと少しずつ米を沸騰した水の中に落としていく。

 同じくじっと覗き込みながら“意外と慎重”などと感心しているリゼルの後ろ。ジャッジが熱湯が跳びはしないかとひたすらにそわそわしていた。


「入れました」

「お米が沈んでますね」

「あ、じゃあそこに、塩とオリーブオイルを」


 ジャッジが瓶に入ったそれらを取り出し、リゼルとスタッドそれぞれに渡す。

 二人は手元の瓶を見下ろし、そしてジャッジを見た。追加の指示待ちだ。


「あ、あの……?」

「?」

「……」


 料理本ならば省略されてもおかしくはない過程も、リゼル達には知る由もない。

 入れろ、と言われないとどうして良いか分からない。何故ならど素人だから。


「これ、入れれば良いんですか?」

「え、あっ、そうです!」


 ハッとしたようにこくこくと頷くジャッジに、塩を持ったスタッドが淡々と告げる。


「どれくらいですか」

「えーと、そこそこ、かな」

「具体的にお願いします」

「えっ!?」


 リゼルとしてもスタッドと同意見であるのだが、考えたこともなかったとばかりに焦っているジャッジに色々と察した。

 料理はセンスである、とナハスとの何度かの料理経験でリゼルも学んでいる。ナハスは全て目分量だった。それなのに完成された味になるのだから酷く感心したものだ。

 自らにそのセンスがあるのかはまだ不明だが、とやや将来に希望をかけつつ口を開く。


「じゃあ、俺達が入れていくのでジャッジ君がストップって言って下さい」

「はい、それなら……」


 ほっとしたように肩の力を抜いたジャッジに、さてとリゼルは鍋の前でオリーブオイルを構えた。ガラス蓋を抜き、上から覗き込むように後ろに立ったジャッジを顔だけで振り返る。

 スタッドもさり気なく隣で見物していた。


「行きますね」

「はい、どう、ストップで!!」


 普通に瓶を傾けたリゼルにジャッジが叫ぶ。なみなみと出た。

 煩そうな顔をしているスタッドを尻目に、咄嗟に瓶の底を掴んだ彼は手をそのままにドキドキと高鳴る心臓を落ち着かせるよう息を吐いた。


「入れ過ぎましたか?」

「い、いえ、大丈夫です……」


 きょとんと自身を見上げるリゼルの瞳に、ジャッジは引き攣りそうになる唇で笑ってみせる。ぎりぎり制止が間に合った。

 ナハスがリゼルに味付けを任せたことがない故の悲劇だろう。適正量が全く分からない所為で、味付けのスタートダッシュが激しい。


「えーと、じゃあ、スタッドも」

「はい」

「少しずつね」

「分かっています」


 リゼルに場所を譲られ、今度はスタッドが鍋の前へ。

 瓶の蓋を開け、ティースプーンを突っ込み、そして先端で僅かにすくう。もはや数粒に見えるそれをぺいっと鍋へ。そしてジャッジを見た。


「うん、もうちょっと入れて良いよ」

「……」


 数粒すくって、ぺいっとして、見る。促され、数粒すくって、ぺいっとして、見る。見る。見る。見る。


「……スタッド、もうちょっと一気に入れても」

「貴方が少しずつと言ったんでしょう愚図」

「だって、そこまで慎重になると思わなくて……!」


 そしてスタッドはジャッジからストップが出るまで、淡々と塩を加え続けていった。

 木べらで鍋をゆっくりとかき回しながらそれを微笑まし気に眺めるリゼルも、楽しそうで良かったと満足げだ。




 リゼルとスタッドが交代で鍋をかき回すこと十分弱。

 ジャッジからそろそろ大丈夫、との太鼓判を貰い、二人は木べらですくった米を一口分だけ掌に乗せて貰った。食べてみると、しっかりと食べた覚えのある米になっている。


「料理によっては、ほんの少しだけ芯が残ってた方が良いんですけど、今日はお握りなので」

「美味しいですね」

「はい」


 二人が頷き合うのにほっと息を吐き、ジャッジはじゃあ、とミトンを手にした。


「後は、この鍋のお湯を捨てて蒸らすだけです」

「あ、じゃあ今度は俺が」

「いえ、熱いので……!」


 鍋に水を入れてくれたのはスタッドだし、と立候補したリゼルは即座に却下された。

 しかし諦めずに説得すること少し、引かずにいればジャッジが泣く泣くミトンを渡してくれる。


「お湯だけ捨てるんですよね?」

「は、はい……」


 難しそう、とリゼルはミトンを装備して鍋の取っ手を掴んだ。

 分厚い布越しにじわじわと熱が伝わって来る、かと思いきや全く伝わってこない。もしや迷宮品か、ならばジャッジは何を心配していたのかと考えながら鍋を持ち上げる。


「熱くないですか」

「大丈夫ですよ」

「お、重かったらすぐに置いて下さいね」

「分かりました」


 リゼルは可笑しそうに笑い、流しの前に立った。

 鍋を傾け、米まで流さないように、ゆっくりと湯を捨てていく。鍋の外側を伝った湯が、底の方からぼたぼたと台所の上を濡らしたがジャッジがさり気なく拭き去った。リゼルは気付かない。

 そして鍋から滴る湯も少なくなった頃、そろそろかなと鍋を覗き込もうとした時だ。


「もうそろそろ全部、っ」


 言いかけた瞬間、鍋の底に溜まっていた米が存分に傾いた鍋の中でごしゃりと崩れた。

 リゼルは米が全て零れるかと思ってびくりとしたし、ジャッジとスタッドはそんなリゼルを見てびくりとした。


「どうしましたか何かありましたか無事ですか」

「いえ、大丈夫、セーフです」

「や、火傷しませんでしたか!?」

「それは全く」


 ほっとして鍋を起こし、リゼルはそれを元の場所に戻す。

 こんなに驚いたのは久しぶりだとしみじみとしている姿に、大丈夫そうだと年下二人も肩の力を抜いた。


「何もなかったなら、良かったです……」

「ご心配おかけしました」

「いえっ、じゃあ鍋にもう一度火をつけて下さい」


 ジャッジの言葉に、鍋の近くに立っていたスタッドがひょいっと魔石を指さして火をつける。


「十秒くらいで良いからね」

「分かりました」

「これは何をしてるんですか?」

「水気を飛ばしてやるんです。あまり火にかけすぎると、焦げちゃうので」


 成程、と頷いている間にスタッドが早々に火を消した。

 恐らく心の中でしっかり十秒数えただろう。リゼルも同じ状況なら数える。


「後は蓋をして、しばらく蒸らして、出来上がりです」

「ジャッジ君、有難うございました」

「いえ、僕は口を出してただけなので……!」

「……有難うございました」

「スタッド、リゼルさんに言わせておいて自分が言わない訳にはいかないっていう雰囲気が……」


 しかしスタッドもスタッドなりに、それなりに感謝している。

 リゼルと一緒に料理を作り上げることが出来たことに対する感謝だ。料理を教えてくれたことに関する感謝とは微妙にずれているが。


「リゼルさん達は座って待っててください。お米だけだと寂しいでしょうし、ちょっとした付け合わせも作っちゃいますね」


 ふにゃふにゃと笑い、腕まくりするジャッジにリゼル達は素直に席に着いた。

 そして米が蒸しあがるまでのおよそ十分。一切無駄のない動きで見事おかずやスープを作り上げていくジャッジの後ろ姿に、リゼルは絶対的な信頼感を抱かずにはいられなかった。


「あの姿を見ると、自分もまだまだだなと思います」


 別にあの姿を目指している訳ではないのだから良いのでは、とスタッドは思ったが、彼は何も言わずに同意しておいた。





「炊きあがりは熱いので……!」

「いえ、これは是非やりたいんです」

「う、なら……ッ熱、何か飛んできた! ちょ、スタッド、ストッ」

「熱いです」

「熱いって言ったのに……!」

「思ったより熱かったんです」

「スタッド君、ほら、水で流しましょう」


 米を鷲掴んだスタッドが、あまりの熱さにぴぴぴぴと手を振って米粒を飛ばしたり。


「緩いと崩れちゃうので、少し強めに握って下さいね」

「女将さんは何かの葉っぱで包んでくれるんですよ」

「食用でそういう葉っぱ、ありますよね。少し香りがあって」

「あ、ですよね。少し良い匂いがするなと思ってたんです」

「食用って言っても、そのままじゃ食べられなくて……スタッド、それ強すぎるんじゃ」

「強めにと言った癖に今更ですか愚図」

「少しって言ったのに、ひぇ、米粒の境目まで消え始めてる……!」

「ジルだと二回り小さい真球になりそうですね」


 スタッドのお握りが非常に硬めになったり。


「ジャッジ君、綺麗な丸にならなくて」

「え、そんな事ないと思いますけど……。それに、形は何でも良いんです。国によって変わったりもしますし」

「女将さんは丸だし、王都は全体的にそうなんですか?」

「多分、そうだと思います。あ、他の国から来た方が、お握りを筒型っぽくしてるのは見た事が」

「筒ですか」

「スタッド穴はいらない、あっ、ほら零れてる!」


 スタッドのお握りの中心部分が貫通したりしながらも、二人は無事にお握りを作り上げた。


「完成ですね、スタッド君」

「光景的にはこの愚図の作った料理がメインを張っている気もしますが」

「え、お握りが主役のメニューにしたんだけど……」


 テーブルの上に並べられたジャッジ作のおかず、スープ、そしてやや大きさの不揃いなお握りが載った皿。メイン以外の完成度が高すぎるのは確かに、とリゼルは一つ頷いた。

 そして三人は、やっと昼食だとばかりに席に着く。さてどんな出来かと楽しみなリゼル、心なしかそわそわしているスタッド、そして積極的にグラスに水を注いだり食器を用意したりと尽くし方に余念のないジャッジ。


「じゃあ頂きましょうか」

「はい」

「僕も、頂きますっ」


 三人はそれぞれ、自身の握ったお握りを手に取った。

 ジャッジも手本で一個だけ握っている。一番形と握り具合の綺麗なものが彼のお握りだ。


「スタッド君、どうですか?」

「米の味がします」

「失敗せずに出来ましたね」


 淡々とそう口にしたスタッドに、リゼルはほのほのと微笑む。

 手料理という感慨深さは一切窺えないものの、もぐもぐとひたすら口を動かし続けているので気に入ってはいるのだろう。正直な彼なので、不味ければ不味いという筈だ。

 そしてリゼルも一口。作り立てホカホカで美味しい。


「ほんのり塩味ですね」

「はい。今回はお米に何も混ぜなかったので……塩を多めにして、おかずに合うようにしてみました」


 ふにゃふにゃと笑うジャッジは、リゼル達に包丁を握らせる気など微塵もない。よって具を混ぜ込むという選択肢など端から放棄している。

 そういうものかと納得しているリゼルとスタッドがそれについて言及することなく、昼食の時間は平和に過ぎて行った。




 それからも、スタッドはリゼルと過ごした。

 ついつい食べ過ぎてしまったからと腹ごなしに通りを散歩したり、植木広場のベンチでのんびり読書したり、スタッドの服を買い足したりしていれば時間はどんどん過ぎる。

 その内に暗くなり、中心街にある店で夕食を共にした。昼と被ってしまうが、折角だからと米料理の出る店を選んだ。


「じゃあスタッド君、おやすみなさい」

「はい。…………おやすみなさい」


 そして、すっかりと月も昇った頃。ギルドと宿への分かれ道。

 ぽつりと呟けば、優しい微笑みが返された。柔らかな月明かりを宿したかのような眼差しに、瞬きすら忘れたかのように見入る。別に、特別なことではない。

 惜しみなく与えられるのを知っている。けれど、少しだって取りこぼしたくはないのだから。

 去り行く後姿が見えなくなるまでその場から動かず、その背が曲がり角に消えるのを確認してようやくギルドへの道を歩む。購入した服、その箱を持つ手が不思議といつもより軽い気がした。


 ギルドは大抵、日が落ち切る頃に門戸を閉ざす。

 大体の冒険者が日が落ちるまでに活動を切り上げるからだ。それを過ぎてしまったら、冒険者達は諦めて翌日以降にギルドを訪れるしかない。それが嫌なら早めに戻って来い、ということだ。

 裏口の扉を開けば、ギルドの中はまるで時が止まったかのような静寂が落ちていた。職員は全員帰ったのだろう。

 扉を閉め、足を踏み入れる。コツ、コツ、と自身の静かな足音だけが聞こえた。一度だけギルド内を覗き、階段を上がって居住スペースへ。


「……」


 暗い廊下に、一つの扉から明かりが漏れていた。

 どうやらギルド長が帰っているらしい。いや、何処にも出かけていないだけかもしれないが。

 スタッドは特に声をかけることなく自室に入り、そして真っ直ぐにチェストへ。手にした箱をその上へそっと下ろし、棚を引く。

 制服しか入っていなかったのは、果たしていつ頃だろうか。つい最近の事だろうに、ずっと以前の事のように思えた。

 徐々に埋まりつつあるスペースに、箱ごと新しい服を収める。これを身に着けるのはきっと、次にリゼルと出掛ける時になるだろう。


「(明日は)」


 思いかけ、棚を閉じて小さく息を吐いて立ち上がる。

 明日のことを考えるようになったのも、初めて出会った時からだ。それが何、という訳ではないが。

 自身の変化に気付かず、また興味もないスタッドでは感慨を覚えることもない。そして彼は襟元を寛げながら廊下に出て、狭いシャワー室へと向かうのだった。

 穏やかな人が明日もギルドを訪れれば良いと、そう願いながら。





 その頃、リゼルの帰った宿では。


「はァ!? 料理すんなっつったじゃん!」

「一人ではしない、って約束ですし」

「もー、リーダーすぐ抜け穴作るー」

「場所は」

「ジャッジ君のキッチンを借りたんです。色々教えて貰えました」

「……あいつか」

「ジャッジならまァ……いっか。ぜってぇ手厚いし。で、何作ったんスか」

「お握りです」


 舐められまくっとる、とジルとイレヴンが思わず真顔になっていた。



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― 新着の感想 ―
スタッド君の変化が愛しいです。 リゼルさんがあっちに帰っちゃった時が心配。
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