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庭園の国の少女  作者: ぎじえ・いり
庭園の国の少女
5/25

不安な気持ち

これは砂?

目を開けていられない。


「もらった!」


殺人鬼の声が降る。

咄嗟にその声へと剣を振るった。


しかし、何の感触も無く、剣は通り過ぎる。


からだ。


その瞬間、今まで戦ってきた中で、一度も感じた事の無い空っぽの感情が心に満ちた。


終わり?


これで私が終わるのか?


体から何かが抜け落ちたような気がした。

巨大な影が私の頭上へと落ちているような気配。

それは殺人鬼の姿ではなく、なぜか不吉な黒い鳥の影のイメージだった。


そして、時が止まった。


ベッドに横たわった母の姿が見える。

家の扉を開き、外へと出て行く父の姿が見える。

そして、猿頭に叩き潰される彼の姿が見えた。


母はそのまま二度と起き上がらなかった。

父はそのまま二度と返って来なかった。

彼は私の背中でいつの間にか呼吸を止めていた。


閉じたまぶたの裏が真っ赤に染まる。

ふざけるな!


無理矢理に目を開く。

激しい痛み。

そして何も見えなかった。


赤い世界で、何も見えず、振るった剣には何の感触も無く。


あぁあああああ!


焦燥を抑えきれずに、叫び出すべく開いた口から息が漏れる。

しかし、私が叫びを上げる前に、聞こえる声があった。


「モリーアン!逃げて!」


直後に聞こえるのは竹を裂いたような乾いた響き。

その音は確かに以前に聞いた事がある。


それはリデルの雷の魔法の音だった。






リックの吠え声が聞こえた。

そして水音。


水音はまるで直接冷水を浴びせかけたかのように、私の意識をはっきりと呼び戻した。


リデルを信じて走る。

目を閉じたまま。

まっすぐに。


再び響く雷の音が耳へと届く。


やがて水音と共に、湖へと入った感触が足へと伝わってくる。

すぐさま目を洗った。

そして目を開く。


目の前には水に濡れた白い犬がいた。


見える。


すぐさま振り返る。


そこには殺人鬼の鉈の届かない高さから魔法を放つリデルの姿があった。

虚空で集束した雷が殺人鬼へと一直線に降り注ぐ。

信じられない事に、殺人鬼はそれを鉈で打ち払った。

確かに本物の自然現象の雷に比べれば、その規模は遥かに小さい。

だからといって、枝や石が落ちてくるのとは訳が違う。

それはいかなる技だろうか。


魔法を撃った瞬間に飛んでいたリデルの高度が下がる。

それでもまだ殺人鬼の間合いには遠い。

そこに殺人鬼は手近な石を拾ってリデルに投げつけた。

リデルはそれをさらに高度を下げる事でなんとかかわす。

おそらく魔法を使いながら、そう高くは飛べないのだろう。


走る。


「リデル!下がって!」


殺人鬼は接近する私に気が付くとリデルと私、両方が視界に入るように移動する。

しかし、その動きには先程よりも鈍っていた。

打ち払ったとは言え、魔法を完全に打ち消した訳ではないようだ。

殺人鬼は迫る私を迎撃するべく、足を止め、構え、叫ぶ。


「てめえらぁ!」


リデルが走る私のすぐ脇に並んで飛行する。

殺人鬼は鉈を振り上げ、私へと打ち下ろした。

衝撃。

それを剣で受け、そして流した。

鉈は私の剣を滑り、私の体から離れ、そして地面を穿つ。

出会ったときだったら受けられなかっただろう。

その力は最初よりも弱い。


その間にもリデルが私の顔の前へと飛来し、宙で止まっていた。

私にはよく聞き取れない呪文を唱えている。

間を置かず、杖の先に現れた魔法は私が最初に見たリデルの魔法に似ていた。


光の球。

しかし、その色は紅蓮。


リデルは空いている左手で私に退がるように指示する。

それに従って、後方へと跳んだ。

その瞬間、紅蓮の光は火の粉をまき散らしながら、殺人鬼の顔へと向かい、そしてそのまま直撃した。


「ぐぅああああああぁああ!」


殺人鬼の頭が炎に包まれる。

髪は燃え落ち、顔は焼けただれ、辺りには苦悶の叫びが響き渡った。

それでも鉈を手放したりはせずに、炎の間から濁った目がリデルを見る。


「今度こそ、本当に」


再び前進する。

力なく伸ばされた殺人鬼の左手はリデルへと伸びたが、リデルはするりと逃れ、そして空へと舞い上がった。


殺人鬼が伸ばした左手を一息に斬り落とす。

肘から先が無くなり、そして溢れ出た血が降り掛かる。


濁った目が私の方を見た。

その目に私が映っているのか分からない。

それでも殺人鬼は鉈を振り上げた。


「終わりよ」


鉈が振り下ろされた。

ぼやけて見えなかったのだろうか。

その斬撃は弱く、そして私のすぐ脇をすり抜けた。


殺人鬼の首の前には私の剣の刃先。

まるで自ら死を選んだかのように、刃先はその首に深く、深く突き刺さった。






「ごめんなさい!」


戦いが終わると、リデルは私の前へと舞い降り、そのまま深く頭を下げた。


「何を謝っているの?それよりも、ありがとう。助かったわ」


剣の血を払い、体に降り掛かった血をぬぐう。

目を潰された時には肝が冷えた。

良くは覚えていないが、何かを、一瞬でとてつもなく深い何かを見たような気がする。


正直、甘く見ていた。

人と戦ったのはこれが初めてといって良いだろう。

蛮族を相手にするのとは、何もかもが違う。

ああいう戦い方があるとは考えた事もなかった。


これからは相手のすべてを見て戦わないと。

今の戦いを思い返そうとして、リデルが私の顔に抱きついた。


「ごめんなさい!」


前が見えない。

というか、顔に抱きつくのはやめてもらいたい。


「ちょっと、どうしたのよ?」


そっとリデルの背中を右手で掴み、そのまま左手の上に乗せた。

私に降り掛かっていた殺人鬼の血を落とす前だったので、リデルも血まみれになっている。

リデルは私の左手の上に腰が抜けたようにへたりこんで、そのままわんわんと泣き始めた。


そんな私たちを気遣うように、リックがとことこと足下に近づき、わんと一声鳴いた。






出会った時以上に、まったく会話にならなかったリデルの話をまとめると、彼女は殺人鬼の矢にすくんで木立の中で動けなくなってしまったらしい。


なんとか飛び上がり、私と殺人鬼の姿を探して見つけたのは、あの危機という事だった。

そこからは無我夢中だったようだ。


もしあとほんの少しでも自分が辿り着くのが遅かったら。

終わって、その事を考えた瞬間、頭が真っ白になってしまったらしい。


「もう良いのよ。殺人鬼はもういない。私はこうしてここに生きている。みんなリデルのおかげよ。ありがとう」


人差し指でリデルの頭を撫でる。

いつまでも泣き止まないリデルの頭を撫でている内に、いつの間にかリデルは眠ってしまっていた。

後で分かった事だったけれど、魔法を使うと体力も消耗するらしい。

あんな風に立て続けに使うと尚更という事だった。


まったく、無茶をしているのはどちらなんだか。


その日は結局、そのまま野営をした。

リデルだけでなく、私もへとへとだった。

湖で血を落とし、食事もそこそこに体を休めた。


丸くなって寝ているリックをふとんがわりにして眠っているリデルの横で、殺人鬼との戦いを何度も思い返した。

人でなしではあったが、弓の腕は素晴らしかった。

そして巨体に似合わない隙の無い斬撃。

あの砂はいつの間に握っていたのか?

私が後退していた時?

いや、あの場で拾った砂ではなかったのかもしれない。

あらかじめ、どこかに目つぶし用に持っていたのだろうか。

まだ目に違和感が残っている。

体は疲れていても、頭は妙に冴えていた。

私はいつまでも、いつまでも殺人鬼との戦いを想像の中で繰り返した。






翌日、リデルとリックを街へと送り出した。

ギルドの方で、死体と持ち物の確認、今までの被害者についての何らかの情報が無いかの調査を行いたいらしい。

あの巨体を持ち運ぶ術がない以上、こちらへ来てもらうしか方法は無い。


馬車に乗り調査に来たギルドの人たちと、そして殺人鬼の死体と持ち物、私とリデルとリックが街へと戻れたのは、さらにその翌日の事だった。


ギルドのカウンターでいつものランプを胸に飾った係員と話す。

私もリデルも軽装だ。

足下にはリックもいる。


「お疲れさまでした。こちらが報酬になります」


その金額は洞窟の最奥へと辿り着いた報酬よりは少なかったとはいえ、かなりの額だった。


「それじゃあこれはリデルの分ね」


半分をカウンターに直接腰掛けていたリデルの前に置く。


「いいです。モリーアンが預かっていてください」

「え?」


リデルのどこか硬い声に、我ながら間の抜けた声が漏れた。


「こちらのお金は大きいんですね。私が持ち歩くには重いですから」


置いたお金をわざとらしく重そうに持ち上げかけ、冗談を言うように笑って言う。


「こんなに重い物をか弱い私に持たせる気ですか?それにそう!借りていたお金も返さないと!」


慌てたように続ける。

貸していた分があったとしても、渡した金額の方がはるかに大きい。


「でも」

「いいんです!だってこれを受け取ったら」


またしても、リデルの目に涙が浮かんでいた。


「あなたは泣いてばかりね」


出会ってからリデルは泣いてばかりいるような気がする。


「だって!」

「ごまかさずにきちんと話しなさい。私もちゃんと聞くから」


幾度か口を開きかけては、閉じる。

私は急かさずに待った。

ランプの人は察したように、少し外しても宜しいですか?と一言告げて、カウンターの後ろへと下がった。

やがて、呟くように小さな声でリデルは話した。


「……これを受け取っちゃったら、モリーアンと一緒にいる理由が無くなっちゃうじゃないですか」


この街まで来たのはリデルの杖を作るため。

その杖は既にリデルの手に収まっている。


リデルはお金を持っていない。

しかしそれもこの報酬で、しばらく暮らすには十分な額になる。

私が貸したお金も十分に返せる。


つまり、リデルはもう私の助け無しでもこちらの世界で暮らしていくのに必要な備えが出来たのだ。

そう考えれば、確かに私がここで彼女に別れを告げても、薄情とは言われないだろう。


街に帰る時から、妙に歯切れの悪い受け答えをしているなとは思っていた。

私はそれを、殺人鬼との戦いの事を気にしているのだと思っていたけれども、どうやら違ったようだ。


「何を気にしているのかと思ったら、そんな事を考えていたのね」

「だってそうじゃないですか!」


うつむいていたリデルが顔を跳ね上がる。

小さな目が私の目を真剣に見つめる。

その目に私は笑いかけた。


「一緒にいたいのなら、一緒にいれば良いじゃない」

「へ?だって、その良いんですか?私、モリーアンみたいに強くありませんよ」


急にリデルの目が戸惑った色を見せる。

正直、あの魔法の威力を見ると、その言葉には頷きかねる。


「言ったでしょう?あなたはあなたのわがままを通しなさい、って。だから良いのよ。それに私とあなたは友達なんでしょう?」


友達。

自分で言っていて、その響きは新鮮だった。


その言葉を使っていたのは、これまで人に対してではなかった。

私の家の周りで暮らしているあの馬に似た魔獣だけ。

あの子は確かに私の友達だったけど、私が一方的にあの子の事をそう呼んでいるだけだ。


こうして相手に告げ、そして相手の反応を待つのは初めての事だった。

そう思うと、ほんの少し、胸がドキドキした。


リデルは私の言葉に、虚をつかれたように、放心したように口を開いた。

そして。


「モリーアン!!」


リデルは急に羽を震わせ、飛び、私の顔に抱きついた。


「だから、顔に抱きつくのはやめなさい!」


そう言って、リデルを掴む手には、彼女が傷つかないようにそっと優しく力をこめた。

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