殺人鬼
一度宿に戻り、装備を整えてから最初に向かったのは、その男が泊まっていたという宿だ。
幸いな事に誰も後に泊まっていないとの事だったので、頼んで部屋を見せてもらう。
既に掃除がされた後なのか、特に何か手がかりは無かった。
宿の主人に話も聞いたが、特に何かを残していったりはしなかったらしい。
「何もありませんね」
「そうね。何かあればリックに匂いでも追ってもらうかと思ったのだけれど」
リックは部屋の中をうろうろと歩き回った後、部屋の中心に座って一声鳴いた。
「行きますか。どうします?」
浮遊し、開いたままだった部屋の扉をくぐりながらリデルが聞く。
言われて考える。
逃げた被害者が襲われた場所に行ってみるのも手かもしれない。
しかし、そこにどれほどの手がかりが残っているだろうか。
考える。
獲物に逃げられて、それが街に辿り着いた事を想定しているなら、街には戻って来ないだろう。
ギルドに登録して、長い事活動していたのなら、街ごとのギルドの結びつきも知っているはずだ。
それで別の街をすぐに目指すだろうか。
長い時間をかけて、辿り着いた街で警戒されていたら休むのは難しくなるだろう。
長旅で消耗している状態で取り押さえられたくはない。
長時間の移動をひとりでするのもリスクが大きい。
それが長くなればなるほど、遠くを目指せば目指すほどに条件は厳しくなる。
警戒されていない遠くの街まで目指すには、かなりの前準備が必要になるのだ。
殺人鬼にとっても、突然の事態だったはず。
前準備無しで長距離、長時間の移動なんて事はしないはずだろう。
もしもそんな事が出来る程の手練なら、私も相手をしたくはない。
ほとぼりが冷めるまで、少なくとも警戒がある程度緩むまでのひと月ほどはどこかで隠れているのが現実的ではないだろうか。
そして、この街の周りには蛮族も魔獣も出ない。
この街を訪れる旅人は多いのだから、食料や移動のための装備を奪う事で整えようと考えるのは自然な気がする。
意外に近くに潜んでいるのではないか?
もうひとつの可能性として、あの洞窟の中なら隠れるにはちょうど良いかもしれない。
が、あの中では食料が手に入れにくいだろう。
それこそ湖で魚を捕るくらいだけれども、あの湖の魚はあまり釣れない。
「湖の周りを1周してみましょう」
「そんな近くにいますかね?」
「私ならそうするわ」
「私ならって、モリーアンは殺人鬼じゃありませんよ」
宿を出て、街を出た。
半日、ずっと歩いても湖の反対側には着かなかった。
呆れる程に大きな湖だ。
殺人鬼の姿は無く、魔獣や蛮族の姿も無い。
天気も良く、まるで気軽な散歩だ。
最初は緊張したように周囲を見回していたリデルも、やがてリックの背中で眺めるように見回すだけになった。
「いませんね」
「そうね。そんなすぐの所にいたら、誰かが見つけてどうにかしているでしょう」
やがて日は傾き、暗くなる前に木立の近くで野営をする事にした。
街から持って来た保存食を食べ、交代で休んだ。
「モリーアンは怖くないんですか?」
起こした火が爆ぜる音が夜の闇に響く。
戦う事。
他者を傷つけ、そして自らも傷つく。
そんな行為に恐れは無いのか?
今までの戦いを思い返す。
危うい場面は幾度もあった。
いつだって無傷で切り抜けてきた訳では無い。
背筋を走る戦慄。
武器から手を離し、座り込みたくなるような恐れ。
かつて味わった恐怖を覚えている。
しかし、それ以上に。
「声が聞こえるのよ」
「声?誰の声ですか?」
「誰なんでしょうね」
羽ばたけ。
空を掴め。
その声は叫びか嘆きか。
たき火が揺らめき、影の形が変わる。
空高く飛ぶ鳥と落ちる影のイメージ。
一瞬だけ現れたそのイメージはあっという間に消えた。
一瞬のイメージは何故か脳裏に強く、強く焼き付いた。
翌日、昼を過ぎた辺りで薄く一筋の煙が立ち上っているのが見えた。
誰かが火を使った後だろうか。
警戒を強める。
そこへ向かって、ゆっくりと少しずつ近づいて行った。
そこはちょうど湖を挟んだ街の反対側だった。
湖から少し離れた木立の近く。
そこに火を起こした跡があった。
火は既に消えているのが見て取れる。
火の周りに人影はない。
ゆっくりと近づく。
と、先を行くように歩いていたリックが一声吠えた。
反射的に身を伏せる。
飛んできたのは1本の矢。
いや、立て続けに何本も飛来してくる。
罠か。
どうやら当たりくじを引いたらしい。
追跡者を予測して、近づいてきた者だけが気付く程度に小さく火を起こし、それを監視していたのだろう。
数が多ければ逃げるつもりだったかもしれないが、私ひとりと見たのか。
地面を転がり、一番近くの木の影へと身を寄せた。
矢を抜き、いつでも放てるようにする。
殺人鬼の影は無い。
リックは矢が飛来した方向から遠ざかるように走り去る。
リデルがそう指示したのだろう。
走るリックの背中にリデルの姿が見えた。
隠れている木は細い。
私ひとりでも半身になってやっと隠れられるような細さだ。
私たちがまとまって隠れられる遮蔽物は無い。
早速に分断されてしまったが、仕方無い。
むしろ、リックに乗ったリデルの存在に気が付かなかったかもしれない。
そうなれば、戦いやすくなる。
矢は間を置いて飛んでくる。
場所を移動しながら射っているのか、殺人鬼の姿は未だ確認出来なかった。
厄介な。
蛮族ならば何も考えずに姿を晒し、まっすぐにこちらに向かってくる。
意志のあるなしでこんなにも戦いが変わるとは。
意を決して、木の影から飛び出す。
やっと相手の影が見えた。
飛んでくる矢をかわし、こちらも矢を放つ。
相手は大きい。
情報通りの、私の倍近い身長。
浅黒い肌に覆われた筋肉質な男だ。
ベストのような肩から先を出した金属鎧に身を包み、巨体が扱うにはやや小さめの鈍く光る弓を手にしている。
私が放った矢はかわされた。
こちらの矢の間合いには遠い。
殺人鬼がまた1本の矢をこちらへと放つ。
それは一直線に飛来する。
向こうの弓の方が剛く、そして膂力も勝っている。
跳ぶようにして何とかかわし、また木の影へと入る。
弓の勝負では勝てそうにない。
弓を捨て、剣を抜いた。
無理にでも接近するしかない。
不意に、どこからかリックが足下に現れた。
背にはリデルの姿は無い。
これは打ち合わせ通りだった。
私が気を引き、小さなリデルが隠れ、魔法で一撃を加える。
「焦らないでくれれば良いのだけど」
想像以上に、相手は手練のようだ。
あの腕では小さなリデルすらも遠距離から射抜きかねない。
出来たら彼女にはギリギリまで、絶対的な隙が生まれるまで待っていて欲しい。
別れてしまった以上、今更話し合うのは不可能だろう。
ならば、私が先に動くしかない。
「リック、お願いね」
私が手を振ると、リックは勢い良く木の影から飛び出した。
そこに1本の矢が飛来する。
それをリックは今までに見た事のない疾走でかわす。
私もそれに合わせて飛び出した。
視界の隅で走る殺人鬼の影を捉える。
そちらに向かって走る。
リックも捉えているのだろう。
先導するように殺人鬼へと走る。
矢が尽きたのか、不意に矢が止んだ。
とはいえ、そう思わせたいだけかもしれない。
相手は意志のない蛮族ではない。
走る。
やがて、木立を抜け、湖の側へと抜けた。
殺人鬼は弓を捨て、背負っていた大きな鉈を抜いた。
斧と剣、両方の特性を持った武器か。
「リック」
声をかけると、リックは止まり、唸り声を殺人鬼に浴びせる。
「ふん。追っ手がこんな小娘とはな」
しまったな。
ここではリデルが不意を打つのは難しいかもしれない。
見通しが良過ぎる。
最悪、ひとりで何とかしなければならないだろう。
「どうして人を殺すのかしら?」
ふと、思っていた疑問が口をついた。
「あ?説教でもする気か?」
「いいえ。ただの興味本位よ」
私が本気でそう思っているのが伝わったのか、右手一本で鉈を構え、じりじりと接近しつつ、答えた。
「ふん。まあ、いいだろ。簡単だからだよ」
「簡単?」
「ああ。そうさ。馬鹿みたいに蛮族や魔獣の相手をするよりもずっと楽さ。一緒に依頼を受けて、適当に信頼させて、街から2、3日離れた所で襲えばそれで済む。寝てればなお一層楽さ。寝てなくてもいい。後ろに立って首を刎ねればそれでおしまい。こんな簡単な方法は他にないだろ?」
「あなたの弓の腕は素晴らしいと思ったけれど、中身は随分と下らないのね」
「言ってな。まあ、バレちまったのは仕方無い。元々蛮族の少ないこの辺で調子に乗り過ぎたのは確かに俺の落ち度だ。しかも、あっさりこんな小娘に見つかるようじゃ、もう無理にでも遠くに行くしかないか」
そう言うのを最後に口を閉じ、隙の無い構えで走り出した。
「あなたじゃ無理よ」
私も剣を構え、走った。
大きい。
目前に迫った殺人鬼を見て、改めて思った。
その巨体に似合わず、器用に体を折り畳むように、小さく体を回転させると、凄まじい勢いの斬撃が飛んできた。
それをしゃがんでかわす。
そのまま目の前の足に剣を一閃する。
剣は硬い音を上げて、レッグガードに弾かれた。
最近、こんな相手ばっかりね。
どうやら良い防具を使っているらしい。
その感触はとても断ち切れそうにない。
「ふっ」
足に一撃を受けても、殺人鬼のバランスは崩れなかった。
その巨体は伊達ではないということ。
振り切った鉈を返し、そのまま私へと振り下ろす。
それを後ろに跳んでかわす。
「は!その体勢でかわすか!器用な奴だ!」
そのまま片手で地に手をつき、後ろへと幾度か回転して後退する。
まずは腕を狙うべきか。
何しろ相手は大きい。
露出している部分はどこも位置が高いので、容易には斬り付けられない。
振り下ろさせて、それをかわしつつ攻撃に移るしか無い。
しかし、相手もそれは分かっているだろう。
最初の一撃は隙が無かった。
避けるのが精一杯。
そこから力をこめた斬撃を返すのは難しい。
相手の力を利用しようにも、そこまでの余裕は無い。
それこそ変に斬り付けて、筋肉で刃を止められたら、おしまいになる。
一撃で斬り飛ばさなければ負けだ。
考える。
その間にも殺人鬼は間合いを詰めてくる。
「なるほど。確かにあんたも腕利きなんだろうな。しかし、相手が悪かったな。お嬢ちゃんじゃ無理だ」
駆け寄り振るわれた斬撃は、先程よりも小さく、そして素早かった。
かわしきれない!
剣を盾に一撃を受け、そして後ろへと跳んだ。
衝撃。
「ぐっ」
殺しきれないか。
まるで腕を引きちぎられるかと思うような、恐るべき一撃だった。
それでも剣は離さない。
着地し、構える。
「ほうら。もう一度行くぞ!」
殺人鬼の顔は笑っていた。
「人でなしが笑うな。余計に醜い」
「お前はもう死んでるんだよ!」
恐れるな。
前へと足を踏み出す。
低く、もっと低く。
地をはうように進んだ私の頭上を刃が通り過ぎた。
腰だめに構えた剣を無理矢理に突き上げる。
その先には殺人鬼の頭。
これで終わり。
そう思った私と殺人鬼の目があった。
殺人鬼は笑っていた。
空のはずの左手が何かを握っていた。
危険。
このまま進んでは、良くない事が起こる。
考えるよりも前に体が反応する。
しかし、それは逆に中途半端に体を停止させ、ただの隙をつくっただけだった。
私の頭へと何かが投げつけられた。




